めにはさやかに見えねども
「何しに来た」
「初物の秋刀魚を献上しに。一本釣りです」
「……ほう」
「十年物の泡盛の古酒もございます」
「お上がりください」
「有り難う存じます」
これは本日の夕刻、私と秀一郎が交わした会話である。
逢魔が時につけ入られた気分だ。釈然としない。
夕方時分に人に何かを訴えるというのは科学的にも有効な手法らしく、有名なところではアドルフ・ヒットラーも夕方を選んでよく演説をしたと聴く。
理知がたわむ束の間にコトノハを投下する。
秀一郎の人となりを信用していなければ厳重注意するところだ。
それにしても泡盛が。
「うん……めえっ」
「ことさん、親父入ってます」
庭に出した七輪で秋刀魚を焼きながら秀一郎が窘める。煙で曇らないように鼈甲ぶちの眼鏡は縁側に置いてある。
軽い近視なので裸眼でもそう不自由はないのだ。かっこつけめ。
しかも凝り性だ。
グリルで焼けば手軽で良いものを、秋刀魚は七輪のほうが気分が出ると言って譲らなかった。
結果、物置から引っ張り出した七輪に銀光りする剣のような魚の身が横たえられている。
焼く前に水分を丁寧に拭き取ったり粗塩を振ったりと真剣に秋刀魚と向き合う秀一郎の様子は、料理人にも理科の実験前の教師にも見えた。
そして現在、私は琉球硝子の深い青を愛でながら泡盛を呷りつつ、秋の風物詩そのまま、庭で繰り広げられる一幕を眺めている。
香ばしい香りが一帯に漂い、秋の青魚を通過した煙を空に帰している。
匂いに釣られて来たのか、桜の枝に留まった烏がかあ、と鳴いた。
「御当主に報告があります」
秀一郎が七輪から目を逸らさずに口を開いた。
そんなところだろう。不敬にも当たる態勢だが、これは私の目を見ながらでは言い辛い内容ということだ。
「申せ」
「音ノ瀬聡子嬢が旅行先のヨーロッパで消息を絶ちました」
上方に吸い込まれる煙を見る。
「有給を取っての単身旅行だったな」
「はい。注意は促しておいたのですが。短慮と言えば短慮。なまじコトノハが使える身という油断がなかったとは申せません」
慢心だと、秀一郎は責めたいのだろう。
私としては一族の若者を庇ってやりたい気もするがそれでは話が進まない。
泡盛を口に含む。
アルコール度数の高い酒は喉を通る時には燃える火のようだが、それが心地好いのだ。
「これで音ノ瀬の人間が消えたのは二人目か」
「はい、この三年以内、若者で、コトノハの処方に長けた者が」
とん、と琉球硝子を置く。
深く青く細かな無数の気泡を孕んでいる。
人の世にはこのように美しい物もあるのに。
かあ、とまた鳴いた烏の声が今度は耳障りだった。
「より詳細を調べてください、秀一郎さん。網の目を狭めるように。私は一族に改めて警報を発令します」
「背く者もおりましょう」
秀一郎が初めて振り返って物言いたげな目を向けた。眼鏡をかけていないほうが昔の面影を感じられる。
処罰を考えろと言いたいのだろう。だが私はかぶりを振った。
「自己責任です」
「厳しさが彼らの為になる時もあります」
その理屈は解るのだ。
特異な力を持つゆえの危険に、音ノ瀬の人間は晒されて生きて来た。
例えば江戸時代、一族の娘が大名家に攫われ、座敷牢に幽閉されたままコトノハを利用されて一生を終えたという記録も残っている。
天候をも操る程のコトノハを操る子供が、居住する村の村人たちに恐れられ、喉を焼かれたという伝承も。
一度人間社会で異形と特別視されたら、その先に安穏とした未来はない。
そうなる前に防ぐしかない。
集団心理の熱狂の前では、少数派の思惑など水に浮く葉のようなもの。
だから父も私に火種を防げと言い渡した。
「音ノ瀬隼太の所在が知れた時はどうされますか」
更に秀一郎が問う。
音ノ瀬隼太――――大伯父・音ノ瀬隼人の孫息子。
「一族に諮ってから処遇を決めます」
軍手を嵌めた手で焼き網を持ち上げた秀一郎は、秋刀魚の焼け具合を窺う。
不満顔を私に見せまいとそうしたのだとは、気付かない風を装うのが大人だろう。
私は琉球硝子を持ち上げて苦笑した。




