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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第一章
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フィトンチッド

 風がやはり立秋前、盆前とは違う。

 優しく人に触れる。

 暑気に疲れた人々に、冷やし飴のように。

 私は縁側に座り、今はまだ緑の庭を眺めながらハイボールを飲んでいた。


 間も無くこの庭も秋に染まる。

 赤に黄金にはらはらと散り。


 ハイボールの肴は枝豆だ。

 そして本日の晩餐は、枝豆と胡瓜、紫蘇と茗荷、生姜などの具材を冷やした出汁と一緒に食べるうどん。

 多少、締まらないが、人の日々の営みとはそんなものだろう。

 美味ければ良いのだ。うん。


 夏野菜の風味を出汁が引き立てて、うどんの喉越しの良さが堪えられない。

 つるる、と無心に食べて食べて、我に返れば器は空だ。

 しまった、浴衣に出汁が飛んだ。


 そう言えば最近、山海の美味が、いや、俊介が来ない。

 盆前に顔を合わせたきりだ。忙殺されているのだろうか。結構。

 いやしかしそれでは豪勢な肴にありつけない。

 由々しき問題だ。


 いやしかしそんな懊悩は倫理的にどうなのだ。


 切子硝子を持つ右手は浮いた露に濡れ、ぽたりと雫を滴らせながら琥珀の海を飲む。

 こくこくこく。

 合いの手を入れるように釣忍がリーンと鳴る。私の髪が風に揺れた。


 おや虫のすだく声まで。いよいよ秋か。

 まだ月は満ちないけれど、いずれ中秋の名月も来る。早いものだ。

「…………」

 早いものだ。

 人がどうあれ時間は流れる。時の流れはコトノハに似ている。

 良薬にもなれば――――――――。


 すっかり酒臭くなった私の鼻腔に、優しい香りが届くのに今更気付く。

 忘れていた。

 最近アロマに凝っているという重音嬢からウッドチップ入りの香り袋を貰ったのだ。

 枕の下に置くと安眠効果が期待出来ると聴いたので、寝床に持って行こうと浴衣の袖に入れておいたのだった。

 私は熟睡するほうだが、好意は有り難く頂戴しておいた。

 どうもあの令嬢には強く出られない。


 心身をリラックスさせるフィトンチッドと言う揮発成分が浸透したウッドチップなのだそうな。

 樹木とは偉大だ。

 ただ在るだけで、フィトンチッドとやらを発生するというのだから。

 ただ黙して在るだけで、人を安らがせる。

 コトノハも使わずに。


 沈黙は金。


 ハイボールが少し苦い。


 月桃香とフィトンチッドとウィスキーの香りが入り混じる。

 カサブランカと同室で紅茶を飲む重音嬢をとやかく言えない。

 秋には独特の匂いがあって、夜になるとそれは顕著になるのだが、こうも香りが合唱していてはそれを感じる暇さえない。


 片膝立てた上で香り袋をいじる。

 優しいフィトンチッドは人の罪さえ包み込むようで。

 目を閉じると脳裏に響く声。



〝お前は何も知らないね、こと〟


 知らない。

 私は何も知らない――――。


 虫の音が消えた。


「ごめんね」


 昔日の罪はコトノハでも消せない。



挿絵(By みてみん)



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― 新着の感想 ―
[一言] 冷やし飴……初めて知りました。 響きと存在が素敵ですね。 夏から秋に差し掛かる時期のそれでもまだ暑い日々。 ことさんの感じているものを知りたいと思います。 人物のいる空間の空気を表現する…
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