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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
家督相続編 第一章
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物想う

 花の香りがしない、と大海は思った。

 毎朝目覚めると、外に咲き乱れる花々の芳香が室内にまで届くのに。

 磨理の声もしない、と思い、そこで正気に戻った。

 ここは花屋敷ではない。磨理も既に――――――――。

 今、大海がいるのは音ノ瀬分家の一つで、老夫婦とその孫娘が暮らしている家だ。

 現音ノ瀬当主・音ノ瀬ことの差配で、自分は隼太と恭司と共にここに預かりの身となったのだ。

 しかし隼太はとうにこの家を出た。

 花屋敷でなくとも、朝の陽射しだけは変わらない。いや、この部屋のほうが以前より日当たりが良い。

 障子から射し込む淡い光を仰臥して見つめ、大海は寝床から起き出し、洗面所へと出向いた。

 音ノ瀬千秋はさばさばした性格で面倒見が良く、大海たちのぶんまで歯ブラシとコップを揃えてくれた。

 青い柄の歯ブラシを見てから、冷たい水で顔を洗う。


(あれは昔から勝手気儘に生きる子だった)


 そんな奔流のような隼太をただ見守りながら生きてきたが――――――――。




 また盂蘭盆会の季節が巡ってきた。

 死者を想う季節。

 そして音ノ瀬家当主が、一族の者を検分する季節。


 私は毎年のように朝、水垢離をし、白い綾織の単に袖を通した。

 今年も秀一郎は、白い上衣と袴でやって来た。

 これはもう終生変わらないのではないかと思いそうになる。

 気持ちに応えてやれないほうも辛いんだぞと、秀一郎や俊介に言いたくなる。

 毎年と違うのは、私の左後ろに聖が控えているということ。

 これまた、白い上布で仕立てた着流しを着ている。

 右後ろにいる秀一郎と対のようだ。

 副つ家の聖はこの行事には初めての参加となるが、それにしても秀一郎に対抗するかのような在り様だ。

 事実、そんな側面もあるのだろう。

 楓を同席させるべきかどうか悩んだが、やめておくことにした。この場に楓を同席させれば、嫌でも一族の後継のように見なされてしまう。

 あの子の将来は、まだ白紙のままにしておいてやりたい。


 お盆にうちを訪れる一族には千秋の祖父母も入っている。


 四角い箱の贈り物を捧げ持ち、他と同じように叩頭して挨拶する。

「御当主に置かれましては御健勝の由、祝着至極に存じます」

 千秋の祖父・音ノ瀬康醍(こうだい)はさすが、滑舌良く挨拶して未だコトノハ健在な様子を見せた。

「ああ。そちらの家には苦労を掛けているな」

「何を仰せられます。居候の二人や三人、引き受けるくらい造作もございません」

 どことなく千秋の面影と重なる顔で、さっぱりと言い切る。

 本心からそう言っているのが解る口振りだった。このあたり、千秋と通じるものがある。

「……不足があれば何なりと申すように」

「強いて申し上げるなら音ノ瀬大海の気力が希薄なのが、気に入りませんな」


 私は着物の袖で笑んだ口元を覆った。

 老いて尚、気力充実して矍鑠(かくしゃく)とした康醍としては、茫洋とした風来坊のような大海の気質が歯痒いのだろう。康醍の横に座る音ノ瀬実()()は微苦笑している。


「それは自己で努力してもらうより他、無いな」

「は。つい、年寄りが要らぬ愚痴を申しました」

「良い」

 火種に成り得る者が一族内にいないか探る目的もあるこの行事だが、この老夫婦に関しては心配無用だろう。

 二人は再び恭しく叩頭すると、客間より退出した。


 送り盆の夕刻。

 燈籠の流れゆく様を、秀一郎と聖と楓と四人で眺めた。

 今年は私も燈籠を一つ、用意した。桔梗が描かれた物だ。

 両親の魂を灯して、そっと水に浮かべる。

 やがては彼岸へと流れ着くように。

 燈籠は水に浮かぶと、ゆらと揺れながら他の燈籠の中に紛れた。

 (ひぐらし)の声が聴こえる。

 淡い紫の暮色の中、樹々の濃緑と燈籠の明かりが絵のような光景だ。

 秀一郎と聖はこの盆の間、口数少なかった。

 その理由を察する私もまた、余り喋らない。

 幾つもの明かりが揺らめいている。

「綺麗」

 楓が一言、呟く。

「ええ」

 私は楓と繋いだ手を軽く揺らして相槌を打つ。

「ことさんのお父さんとお母さんもいるんだね」

 楓には私の両親が故人であると話した。

 私は微笑する。

「……ええ」

 流れの中には私の両親も、音ノ瀬隼人も、音ノ瀬磨理もいるだろう。


 生者が今は亡き人に想いを馳せる季節が、今年も終わった。



挿絵(By みてみん)




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