表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

三 手負い

 佐野は上司の言葉を聞き誤ったかと思い、問い返した。

「庄田さん、携帯端末宛に、準備資料のうち、・・・・・」

「現地の最終の見取り図を全部です。すぐ送ってください。細かいものが手元にないので。」

「・・・あの、失礼ではありますが、それはなぜですか」

「・・・・理由を説明する必要はありません。」

 夜道を飛ばして事務所へ向かう車の中で、佐野は運転席の黒髪の小柄な女性のほうをちらりと見て、そして自身の携帯端末の画面を操作しかけた手をまだ止めていた。

 携帯電話へ向かい、躊躇し応答する。

「しかし・・・」

「現地へアサーシン二名を派遣するとき、送信したばかりのはずです。手元にないということはありませんね?」

「もちろん、揃っていますが・・・・・。あの、庄田さん」

「なんですか?」

「もう理由はお尋ねしませんし、すぐにお送りします」

「はい」

「その代わり、我々も現地へ向かいます。ご指示を。」

「・・・・・・・」

「私と松原が、これから向かいますので十分ほどで到着します。事務所へ向かっていましたので目と鼻の先です。」

「・・・・・・断ったら、データも送らないと言いそうですね。」

「さすが庄田さんですね。俺の性格を把握しておられます。」

 電話を終え、明るい色の長髪を右手で耳にかけ、眼鏡の奥のよく光る眼で少し笑うと、佐野は左手で端末のデータ送信ボタンをタップした。

 信号待ちをしながら、運転席の松原は、手に嵌めた薄い手袋を緩みなく嵌め直している。

「久々にぶっつけ本番のプチ冒険かしら?」

「そうみたいだね」

「わくわくしちゃうわ。トランクに遊び道具一式常備しててよかったと思うのは、こういうときね。」

「ああ。」

 信号が変わる直前、松原はポーチからリップスティックを取り出し、鮮やかな赤い口紅をひいた。



 階段室はあまり快適な環境ではない。窓もなく、そして通常、あまり多くの人間が頻繁に歩くことを想定してはつくられておらず、壁の色も照明も陰鬱である。

 二階から十八階まで、必要以上に高い二階から三階までの天井のために必要以上に多い階段を、さすがに体力に自信がある警護員も後半は息を切らせて登ることになった。

「槙野さん、大丈夫ですか」

「もちろんです。山添さんより体重軽いですから」

「まあね。・・・それにしても、槙野さん、良いセンスしてますね」

「いえ・・・はあはあ、それは昔、友達が・・・・・」

「息切れしてますよ。休みますか?」

「大丈夫です・・・・その人が、言っていたんです・・・・”人間、追い詰められると上へ逃げるっていう。でも、プロの工作員なら、そんなことはしない。いつも一番逃げやすい地上を目指す。本能的に。”」

「・・・・工作員?」

「・・・・・・」

 槙野はかなりつらそうに息をし、階段を登りつづける。

「・・・・・」

「はい。この間申し上げた、僕の知り合いです。阪元探偵社にいるはずの。」

「・・・・そうなんですね。それで、思ったんですね。あの傷ついたエージェントは、三十二階から、下へ向かったはずと。」

「はい。最上階バンクのエレベーターの停止階は三十二階から四十五階まで。そいつはきっと、最初の停止階で降りて、下へ向かうはず。中層階バンクの停止階は二十階から三十二階までです。乗り換え階を避けて降りて、階段で十八階か二十階へ向かうでしょう。」

「フロア案内で、テナントが入っていないフロアがふたつある。十八階と、二十階。そのどちらかで、仲間の助けを待つだろうということですね。」

「はい。足をやられていますから。」

「波多野さんに褒めてもらえそうですね。警護業務外の行動でさえなかったら。」

「・・・・・」

 槙野はどう反応してよいか分からないという表情で、そして流れる汗をぬぐいながら少し微笑んだ。

「エレベーターホールで、コンサートホールの案内係の女性が、一人の青年を呼び止めていた。見たところなんの変哲もない光景でしたね。・・・エレベーターの扉が開くまではね。」

「はい。山添さんが道に迷った客を装って声をかけるまでは・・・。」

「ふたりとも、プロですね。女性は女装した男性だったんでしょうけど・・・・青年に足払いをかけた、それだけに見えました・・・一見。」

「足に仕込んだ刃物で、青年の右足を瞬時に使えなくしました。恐らく腱を切断したのでしょう。青年のほうも大したものです。無事なほうの足で相手を蹴り、ナイフを投げてエレベーターに自分だけ乗り込んでその場を逃れた。・・・・見事なもんです。」

「そうですね・・・はあはあ、でも女装の襲撃者は、その後山添さんや僕には、なにもしませんでしたね・・・どうしてなんでしょうか・・・はあはあ」

「襲撃範囲をむやみに広げないのは、プロの基本ですよ。プロの警護員が、警護範囲をやたらに広げないのと同じようにね。」

「それじゃあ、山添さん、我々はとてもプロの警護員とはいえないわけですね・・・・はあはあ」

「そうですね。」

「でも、なぜあの女装した襲撃者をつかまえなかったんですか・・・・?山添さん・・・・傷害の現行犯なのに・・・。」

 山添は後ろの後輩警護員のほうを振り返り、階段を登る足を止めずに、微笑んだ。

「殺人の現行犯を追うほうが優先ですよ。」

「・・・・・」

「うそですよ。簡単なことです。警護員は人を守るのが仕事です。負傷した人間を追うのが最優先です。」

「はい。」

 十八階は機械室の階らしく、テナントのオフィスが入るようなつくりではなかった。階段室から廊下に出て山添が一回りし、戻ってくる。

「二十階へ行きましょう」

「はい。・・・・電波が悪そうなこういうフロアでは、助けは待たないですよね。」

「ええ。」

 そして二人がかなり疲労の色を濃くしながら十九階から二十階への階段を途中まで上がったとき、山添が途中で立ち止まった。

 声を出すなというしぐさをする。

 槙野を後ろへ従え、ゆっくりと最後の角を曲がると、目の前の階段の上にひとりの人間の姿があった。

 身長百七十センチほどの痩せた青年。準礼装姿に、顔を覆うような、肩近くまでの長さがある黒い波毛。白い絹のシャツから血の滲む右肩、そしてやはり出血を応急処置で止めている右足。

 全て、山添がホールロビーと高層ビルのエレベーターホールとで目撃した、殺人犯の特徴と一致していた。

 そして踊り場で壁にもたれるように片足を伸ばして座り、こちらへと向けているその顔は、今初めてはっきりと見ることができた。

 山添も槙野も初めて見る顔だったが、しかし過去の警護記録が頭に入っている二人は、相手が誰であるかほぼ瞬時に見当がついた。

「大森パトロール社の警護員です。やはりここでしたね。怪我をされていますね?救護しますので、動かないでください。」

「来ないでくれる?」

 山添の呼びかけに対して、予想を裏切らない回答をしながら、深山祐耶は足下の警護員へ向けて銀色に光るナイフを向けた。

 左手を斜め後ろに伸ばして後輩警護員をかばいながら、山添が一段階段を上がる。

 深山の手のナイフが、さらにまっすぐに山添に向けて伸ばされ、すぐに持ち手がナイフを投げる準備を整えた。

「あと一歩動いたら、零コンマ一秒で君の喉にこれが突き刺さるよ。」

「わかりました。これ以上は近づきません。」

 深山がナイフを投げる態勢を保ったまま、低くため息をついた。

「・・・・よくここがわかったね・・・大森パトロールの山添さん。後ろは・・・過去の資料では見かけない顔だね。」

「槙野です。」

 槙野がきっぱりとした声で名乗った。

「三十二階より上しか行かないエレベーターに乗った僕が、二十階の階段の踊り場にいるって、当てたのはどっちの警護員さん?」

「昔の友達が言ってたからです。プロの工作員は、追い詰められても本能的に下を目指すって。上に行くと見せかけても。」

「そのとおりだよ。で、どうして二十階?」

「十八階とここしか、テナントがなく、深夜とはいえ周囲への影響がゼロにできる階はないからです。そして、十八階はしかし窓がなく外部とのアクセスが悪い。助けを待つならこの階しかないと思いました。」

「ほとんど当たってるけど、ひとつだけ外れだね。」

「・・・・・・」

「僕は助けを待っているんじゃないよ。殺し屋を待っているだけ。」



 吉田恭子がカンファレンス・ルームを出て事務室内に入ると、奥の応接コーナーで、立ったまま壁に向かい、酒井が煙草を吸っていた。

 後ろからチーム・リーダーの近づく気配を感じても、酒井は振り向かない。

「・・・アサーシン二名がまもなく現場に到着する。応援要員は既にほぼ待機済みだ。」

「はい」

「四十五階建てのオフィスビル。地下三階から地上二階までの、全てのエレベーターと階段の、出口も・・・物理的に、あるいは人的に、押さえる。深山を追い詰める刺客を、全員追い詰める。」

「・・・・」

「あきらめるな。結果として深山が助かる可能性はある。」

 酒井は手に火の点いた煙草を持ったまま、少しうつむいた。

「・・・・ルール・C。想定外にエージェントの殺害が試みられた場合、刺客を殺すことが、全てに優先する。」

「・・・・・・」

「どんなときもエージェントを見捨てないうちの会社の、三つの例外のひとつです。そしてアサーシンには常に無条件に適用される。その理由は明らかです。」

「・・・・・・」

「アサーシンは、追い詰められたとき、迷わずひとつの行動をとる。つまり助ける意味がないからです。」

「酒井・・・・・」

「あいつは今、手負いです。しかも、暗殺を遂行した後ですから、間もなく警察の手も回ります。血痕も、まったく残さないわけにはいかなかったでしょう。」

「ええ。」

「恭子さん・・・・・今度ばかりは、無理です」

 酒井の声が、震えているのが分かり、吉田は唇を噛んだ。

 煙草を持った手が、その声と同じくらいに、震え、灰が床へと落ちた。



「我々と一緒に来てくれませんか?深山祐耶さん。」

「僕の名前、知ってるの。山添さん」

「警護記録は全部読んでいますから」

「・・・・ほんとに・・・・君たちみたいな人間じゃなくてよかったよ。今日僕を襲った奴らが。もしそうだったら、こんなに悠長なことをしている時間なんかなくて、とっくに追いつかれてるね。」

「・・・・あなたを病院へ連れて行きたい。そしてその後は、あなたが判断してください。」

 槙野は軽い驚きの表情で、前方の先輩警護員の背中を見た。

 深山はもっと驚いていた。

「君は見たんでしょ?僕が○○議員を殺すところを。」

「はい」

「警察へ突き出すのが正しい市民だよ。」

「現行犯逮捕は権利であって義務ではありません。我々は自分の身の安全を考慮し、あなたを病院へ連れていくところまでが精いっぱいと判断する。いけませんか。」

 黒く染めた緩やかに波打つ髪を揺らして、少しだけ深山は笑った。

「・・・人道的なんだね。」

「ありがとうございます」

「でもね、それは無理なんだ。死ぬ人間が増えるだけだから。」

「襲撃者は・・・・」

「普通に考えても五人いる。そいつらを雇って僕を狙った人間が誰だか知ってる?山添さん。」

「いいえ」

「君たちが守った会社社長だよ」



 篠崎がカンファレンス・ルームの舟形テーブルに向かう椅子から立ち上がろうとして、椅子が床に躓き、硬い音をたてた。

 立ち上がるのをあきらめた篠崎が携帯電話の声に耳を凝らし、手が触れたテーブルの上の書類が何枚か床へと落ちて行った。

「それは・・・どういうことですか・・・・?」

 ドアを開けて中の様子を見に入った吉田は、思わず立ち止まった。

 出て行こうか一瞬躊躇したが、その必要はないことに思い当り、そのままテーブルを回り込んでもとの自分のいた席に戻る。

 篠崎は吉田のほうを見ようともせず、電話を続けている。

「・・・・はい。アサーシン二名は到着するころです。あなたより一足遅い、くらいでしょう。ええ・・・ご指摘のとおりです。」

 後からカンファレンス・ルームへ戻ってきた酒井も、篠崎の電話へ向かう声を聞き、ほぼ吉田と同じ反応を示した。

「いえ、社長への説明のことを、心配はしていませんよ。そういう問題ではありません。」

 酒井は吉田のほうを見た。吉田も自分を見て、驚愕の表情をしていた。

「・・・深山は・・・既に殺されている可能性が高いですよ。・・・・アサーシン二名が想定しているのは、深山の殺害を終えてビルから逃走を図る段階のターゲットたちです。状況からいって、最も確率の高い・・・。・・・だめです、間に合う可能性のことではありません。・・・・あなたが危険だと申し上げているんです!」

 しばらく相手がさらに話していた。やがてほぼ承諾に近い返答を強いられたかたちで電話を終え、篠崎は肩で息をしながら通話終了ボタンを押した。

 酒井が声をかけなければ、永遠にそのままじっとしていそうに見えた。

「篠崎さん。・・・今の電話、庄田さんからですな?」

「そうだよ。」

「あなたが敬語を使う相手は社長と庄田さんだけですから。」

 篠崎はまだ軽い動揺が収まらない表情で、吉田と酒井の顔を順に見た。

「・・・・・・・庄田さんは、今、深山が襲撃された現場の、高層ビルにおられる。」

「・・・・・」

「社長には自分の責任で事後承諾を取るとおっしゃっている・・・・・。ターゲットのうち、少なくとも三名を受け持つと。」

「えっ」

「それはいずれも、深山の殺害を彼らが試みる場面で、殺す・・・と。・・・社長が派遣し僕が指揮するアサーシンは、残る最低二名を・・・エレベーターホールの一人と、そして高層エレベーターバンクから遠いほうの階段を、降りてくるほうの一人を、やるようにとのことだ。」

 吉田が息を飲み込み、そして応答した。

「ターゲットが少なくとも五人で、上から降りてくる二人の動きが、十分遅いことに期待してのことね・・・・。しかしもっとターゲットの人数が多い可能性もあるし、通信機というものがあるのだから、相手にする人数など何の保証もない。それに・・・・」

「そう。庄田さんは深山を救出するおつもりだ。追い詰められた、手負いの、アサーシンを。」



 深山は両目を一瞬閉じ、そして足下の二人の警護員へ微かな笑みを向けた。

「芸術文化という、美しいものに限って、最も醜い者たちが群がるものなんだね。税金を使った、市民のための事業で、政治家と業界が一緒になって役所から不正な金をとって。もう何人もの役人が死んだり行方不明になったりしてるんだよ。」

「・・・・・・」

「僕たちが狙った政治家・・・・○○議員は、やくざのみたいな用心棒をつけた。素人だね。そして君たちが守った会社社長は、とてもしたたかだったってこと。」

「・・・・・・あなたを狙ったというのは、どういうことですか?」

「あの会社社長・・・・君たちのクライアントの、同業者が殺されたことがあるって、知ってるよね。」

「ええ。」

「前回の第一回のイベントでね。そして今回の、第二回で、○○議員が殺されるって予想したんだよ、あのしたたかな会社社長さんは。だから、自分には大森パトロール社みたいな優秀なプロの警護員をつけて。」

「・・・そして、○○議員を殺す刺客を、その場で殺すための、殺し屋も雇ったということですか。」

「そうだよ。我々の想定外だったことはひとつだけ。その殺し屋が人数も腕前もちょっと予想を上回っていたこと。」

「・・・・・・」

「○○議員が死ねば、いつか不正が明るみに出たとき、死人に口なしで利益を受けるんだよ、君たちのクライアントは。そして○○議員を殺した人間も殺せば、証拠隠滅は完璧だって考えたんだろうね。」

「・・・・・・」

「そう。君たちのクライアントにとっての想定外は、僕たちがここまで大きな組織だってことを、予想しなかったってこと。」

「あなたたちは・・・・・我々のクライアントを殺すのですか?」

「それは僕にはなんともいえないね。さて、そろそろおしゃべりの時間も残り僅かだと思うから・・・・」

「・・・・・・」

「問題。僕を直接襲ったのが二人。ホール出口側にあと二人いた。あのクラスの殺し屋なら、さらにもう一組つまりあと二人を裏口へ配置してるだろう。都合六人はいる。一人は僕がホールロビーで動けなくした。」

「あと五人…」

「君たちならどう手分けする?」

 山添が答えた。

「外部の人間が立ち入ることのできる階段室は二ヶ所ですから、四人で上と下からゆっくり追い込みます。」

「エレベーターは?」

「残りの一人が二階ホールにいればいい。深夜です。乗る人間はほとんどいません。ボタンを全部押して。地下に行くエレベーターとの乗り換えも二階と一階ですから。」

「そうだよ。警察も知らずに協力してくれる。長くはかからない。でも現実にはまだ僕に追い付いてないってことは、あいつらは各階のフロアをいちいち一回りしてるんだろう。そろそろ気づくころだよ。その必要がないってことに。君たちみたいにね。」

「はい。ビルの各フロア、隠れるところは意外に多くはありません。そして仮にも警備と監視カメラを持つオフィスビルで、一晩明かそうという犯罪者はあまりいないでしょうから。」

 山添が言い終わるか終らないうちに、槙野が言葉を出した。

「あなたは、さっき、殺し屋を待っていると言いました。その怪我で、戦って勝てるとは思っていないですよね?」

 深山が驚いた顔で槙野を見たが、槙野自身が自分の言葉に最も驚いている様子だった。

 やがて深山が微笑んだ。

「僕を殺しても、奴らは逃げられない。」

「なぜですか?」

「アサーシンの命を狙った人間は、どんなことをしても殺すんだよ。アサーシンが人質にされようが生死不明であろうが関係ない。これが方針だから。」

「どうやって・・?奴らはこのビルを、従業員を装って出ていくでしょう。どうやって見分けるのですか?」

「そんなの決まってるでしょ。何にも特別なことはしないはずだよ。」

「検問?」

「そうだよ。隣の施設で事件があったから、警備会社の職員が出入りする人間に名前と会社名を聞く。別に不思議なことじゃないでしょ。」

「なるほど。反応が怪しい人間は別室に連れて行って・・・・」

「補助要員達はベテランだからね。百パーセント嗅ぎ分けるよ。まあ今回のケースなら素人でも分かるくらい。入館証を持っているけど身元が判明せず、でも妙に落ち着いている人間。・・・・そしてビルの周りで手ぐすね引いているアサーシンたちへ連絡して、ビルを出たところであの世行き。」

「そこまで互いの考えていることがわかるのに、なぜ会社はあなたの命を助けないのですか?」

 深山は嘲るように笑った。

「あのね、殺人専門のエージェントっていうのは、命にかかわるミッションにおいて少しでもリスクを負うエージェントの人数を減らすために、専門化されたものなんだよ。ターゲットの生命にも自分の生命にも特別な責任を持って仕事してるんだよ。それを助けるために別のエージェントやアサーシンの危険を増すというのはね、アサーシンという存在そのものと矛盾することなの。もうこのくらいでいい?説明は」



 庄田は二十二階でエレベーターを降り、迷わず二か所の階段室のうちのひとつへと向かって歩き出した。

 通信機から佐野の声が入る。

「庄田さん、エレベーターホールにいたターゲット一名の特定と殺害が完了したとのことです。残念ながら他のターゲットに関する情報については得られなかったそうです。篠崎さんから連絡がありました。」

「わかりました。」

 階段室の重い扉を押し開け、足を踏み入れる。

 そのまま庄田は、階段の床に耳をあて、しばらく目を閉じた。

 小声で通信機へ向かって言葉を出す。

「佐野さん。階段室一人目は上からです。応援を。」

「了解しました。」



 深山祐耶は壁に手をかけ、片足だけで立ち上がった。

「さあ、おしゃべりはおしまい。山添さん、槙野さん。十九階のフロアから、エレベーターに乗ってこのビルを出ていって。たとえ君たちが途中でターゲットと遭遇したところで、あいつらは余計な人間は襲わないから。」

「・・・・・・」

 深山は下の階段室のほうをナイフで指した。

 槙野のほうを見る。

「その上着、似合ってるね。捨てたりしないで、大森パトロールさんで活用してくれてて、嬉しかったよ。」

「・・・・・・・」

 深山が、片手片足で風のように二十一階へ向かい階段を登り姿を消した。

 槙野が追おうとしたのを、山添が腕をつかんで止めた。

「山添さん、あのままでは・・・・」

「足音がしました。それで深山は上がっていったんです。つまりもう刺客が降りてきています。無理です。」

 山添は槙野の腕をつかんで、一緒に深山の言った十九階のフロアへ出る扉の前まで移動した。

 しかし二人が扉を開けて階段室を出る前に、目に入ってきた光景が二人の足を一瞬で止めた。

 コンサートホールの女性スタッフの制服を着たひとりの人間が、物言わぬただの物体となり、二十一階へ上がる踊り場辺りから階段を転がり落ち、ほんの少し前まで深山がいた二十階の扉の前まで到達して止まった。

 床へ投げ出された手から大型のナイフが離れ、刃が床に当たり鋭い音をたてた。

 その首からはまだ出血していたが、やがてその勢いは急速に弱まっていった。

「槙野さん!」

 痛ましい光景を後輩警護員に見せまいとして、山添が槙野を扉から連れ出そうとしたが、しかし槙野はむしろしっかりとした表情で目の前の出来事を見ていた。

 やがて静かな足音とともに、死体が落ちてきたのと同じコースを、二人の人間が歩いて降りてきた。

 あまり背の高くない、むしろ華奢なひとりの短髪の男性が、左手で深山を抱きかかえるようにし、そして右手にはまだ血糊の残る刃物を手に、死体のすぐ前まで降りてきた。

 同時に二十階の扉がフロア側から開き、一人の長身で明るい色の長髪の男性が深山を受け取り、肩を貸し、フロアへと出ていく。

 階段室に残された男性は、右手の刃物をさっと一振りすると、山添と槙野のほうを振り向き見下ろした。

「どいてください」

 静かな声だった。

 山添は従った。

 山添と槙野が十九階のフロアへと出ていき、扉が閉まる。

 そして僅か数秒後に、さらに下の階から、階段を上がってくる足音がはっきりと聞こえてきた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ