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二 襲撃

 茂が平日昼間務めている会社は、ターミナル駅を挟んで大森パトロール社の入っている雑居ビルの反対側にあるが、さらにその中間地点にあるコーヒー店は、平日昼間の会社・土日夜間の大森パトロール社両方を通じて、茂も先輩や同僚たちもよく使っている。

 以前はときどき一緒に来ていたが最近少し間が空いていた先輩警護員に誘われて、茂が店内に入ると、土曜の午前ということでまだ客は疎らだった。

「ありがとうございます、河合さん。今日は事務所へみえる予定じゃなかったのに、来てくださって」

「あ、いえ・・・。山添さんとそういえば最近、あまりゆっくりお話ししてないですよね。」

「事件続きでしたからねー」

「ははは・・・」

「そういえば、ここにいた河合さんを呼び出して、それから二人で晶生と怜のバトルを見守ったことがありましたね。」

「はい!」

「過ぎてしまえば、あれも面白かった。」

「そうですよね」

「・・・槙野さんと最近河合さんが仲良くなっておられるんで、今日はちょっと河合さんの意見を聞きたくて。」

「はい」

 山添はコーヒーを一口飲み、その日焼けした童顔に似合う黒目勝ちの目で茂を見た。

「阪元探偵社のことになると、槙野さんはすごく、なんというか・・・・ムキになるんです。」

「・・・・」

「うちの会社に警護員たちは、一~二年とかで辞めていく者でない限り基本的にあの会社のことは知っています。語るのはタブーとはいえ。でも、うちの警護員で、仕事であいつらと直接なにかあった人間は、実際にはそんなに多くありません。我々最古参組の四人は仕方ないとして、後は実際は河合さんくらいなんです。」

「はい」

「皆、警護記録を読んではいるでしょうけれど。そして確かに殺人を業務のひとつにしている人間達なんて許しがたいですが、言ってみれば我々のクライアントが殺傷されたことは厳密に言えばまだない。」

「そうですね。・・・元クライアントは、ありますが、警護中にやられたことはないですね。」

「むしろ、彼らが関わらないケースのほうが、過去、うちの警護員が警護しているときに、クライアントが負傷した例はいくつもあります。」

「そうですね」

「しかしいつも槙野さんは・・・・・、そういう襲撃犯たちに対する態度と、阪元探偵社に対する態度が、不自然なくらい違うんです。」

「・・・・・・それであのとき・・・・葛城さんの家からの帰り、山添さんはあんなことを・・・」

「まあそれだけじゃないですけどね」

「”奴らをつかまえようとか変えてやろうとか、そういう大それたことを考えるのも、一億年早いのかも”・・・。あいつらが、リンゴの木の絵を描いてきたのも、そういうことなんでしょうか。」

「あるいはあいつら自身へ向けたものなのかもしれないですけどね。・・・いずれにせよ、河合さん」

「はい」

「何か気づいたことってないですか?槙野さんと話していて。」

「そうですね・・・・・・前に少し山添さんにお話しした、あの時以来は特にないです。あの時は本当に心配になって、ついお話してしまいましたが・・・・」

「感謝していますよ。あいつらをつかまえるためなら、自分の命さえどうでもいいようなことを言ってたんですからね。怜の悪い見本もありましたし。慌てて本人と話をしました。」

「・・・・・・」

「その後、また似たようなことがあって・・・・。」

「ええ。また怜が、しかも自分自身が実際に負傷して・・。お仕置きの対象ですね。」

「葛城さんに、お仕置きしてほしいって言われました」

「あははは。」

 山添は困ったように笑い、コーヒーを飲んだ。

 山添警護員は、高原のバランスの良い好青年ぶりとも、葛城の天使のような優しさとも違う、不思議な安心感を覚えさせる先輩だと茂はいつも思う。もしかしたら、良い意味で物事にこだわり過ぎない性格のせいかもしれないとも、思う。

「頭でわかっても、体がなかなかついていかないんだそうです。」

「なるほど」

「あの、山添さん・・・・・」

「はい」

「槙野さんについて、ちょっと全然違うことなんですが」

「いいですよ。どうぞ」

「俺、高原さんに初めて槙野さんを紹介されたとき・・・・なんとなく、似ていると思ったんです」

「誰にですか?」

 茂は一旦ためらい、唾をのみ込み、まばたきしてから先輩の顔をもう一度見た。

 山添は日焼けした童顔の、黒目勝ちの少年のような目で、微笑しながらこちらを見ている。

「・・・・俺が二度目のメイン警護員を務めた案件で、観光船のデッキの上で襲撃してきた、阪元探偵社のエージェントがいました。」

「はい」

「庄田、と名乗っていました。そして俺を襲う振りをして、自分を殺そうとした。ふたつの会社の人間達が、これ以上危険な目に遭うのをやめさせるためだったと思います。そのときは分かりませんでしたが、後から、はっきりそう分かりました。そしてあのエージェントは、非常に高いレベルの技術の持ち主で、なおかつ・・・・」

「なおかつ?」

「・・・実際にたくさんの人間を、殺してきたんじゃないかと思います。そして最後に自分を殺す。そういう惨めさが、罪深さが、顔に出ていた気がしました。」

「そうですか・・・」

「でも、俺、その人のことがそれ以来ずっと忘れられなくて。」

「・・・・・・」

「前回、葛城さんが負傷してあいつらの病院で治療を受けたとき、浅香だけでなく庄田に会ったと聞いて、つい色々質問してしまいました。」

「そうなんですね。」

「なんとなく、槙野さんを見ていると、いつも庄田を思い出すんです。」

 山添が微かに表情を変えた。

 茂は後悔の念に堪えながら先輩の言葉を待った。

 すぐに山添は聞き返した。

「・・・顔が似ているんですか?」

「いえ、そうではないんですが・・・。背格好は似ていますが、顔立ちも肌の色も全然違います。ただ・・・・なんともいえない、雰囲気が、すごく似ていて。静かで、上品で、でも怖いくらい頑なで芯が強そうな。」

「槙野さんを見るたびに思い出す?」

「はい。」

 山添は手を上げ、二人のために二杯目のコーヒーを注文した。

 店員が行ってしまうと、山添はため息をついた。

「次の警護案件なんですが・・」

「はい、山添さんがついて、槙野さんがメイン警護員を務める案件ですね?」

「ええ。少し、嫌な予感がしてるんですよ。」

「まさか」

「はい。あいつらが、関わっていそうな。」

「案件は、その背景が重いんですか?」

「文化芸術分野の、汚らしい政官財癒着が原因のようですが、俺と槙野さんが警護するのは会社社長です。行政の不正が指摘されていて、既に何人かの役人が自殺したり行方不明になったりしています。」

「・・・・プロの、暗殺者の出番がありそうですね・・・・・」

「これまでの警護記録は全部頭に入っているでしょうし、そしてなにより、あいつらはプロのボディガードに対しては顔も身分も名前も隠さない。もしも阪元探偵社のエージェントが襲撃してきたら、それを槙野さんが知ることになるのは明らかですし、そしてそうなったら、槙野さんがどんな行動に出るか正直予想できません。」

「それは確かに・・・心配ですね・・・・」

「河合さんは、どうですか?」

「え?」

「次の警護案件であいつらに遭遇したとしたら、どうしますか?」

 茂は一瞬考え、そして答えた。

「余計なことはしません、俺は。」

「そうですね」

「槙野さんは、葛城さんの事例を見て、あれは悪い見本なのだということを、理解しているのでしょうか」

「わかりません」

「・・・・・・・」

 コーヒーが運ばれて来て、山添はもう一度ため息をつき、天井を見上げた。

「体がついていくかどうかどころか・・・・・頭でさえ、まだまだ理解していないかもしれません。」



 一面の芝生のほかには、数本の薔薇の樹だけがある簡素な庭に面した部屋で、阪元航平はピアノに向かって座っていた。

 短い曲を弾き終わり、後ろのソファーに向かってそちらを見ずに声をかける。

「告別式が終わったら会いたいっていうから、何の話かと思えば。」

「・・・・・」

 庭から、曇り空を通した弱い陽光がガラス戸越しに届いている。高台にある庭の先には下界のどんよりとした街並みが顔を覗かせている。

「そういう話をしている暇があったら、次の仕事も近いんだからきちんと準備をしなさい。ほかのチームとの合同案件だ。それに急遽逸希のかわりにお前が入ることになったんだから、時間だってなかったはずだよ。どれだけ注意してもし過ぎということはない。」

「兄さん、どうしてそんなに機嫌が悪いの?」

「お葬式の後、機嫌が良い人間のほうがおかしいよ。」

「仮眠は?」

「したよ。だからピアノを弾いているんだよ。・・・眠いから、私が不機嫌だと思ってる?」

「そうじゃないけど。」

 兄と同じ金茶色の、しかしずっと長い髪を両手でかき上げて、深山祐耶はソファの背中に居心地悪そうにもたれる。

「浅香の回復は順調だ。庄田のチームも少しずつ通常業務に復帰している。何か問題ある?」

「兄さんがそういう言い方をするのは、問題が大有りだってことだよね。」

「・・・・・・」

「仁志は庄田さんとろくに話もできてないんだ。復帰してもうまくいかないよ。」

「・・・・・」

「僕に大森パトロール社のボディガードは殺せない・・・・自分もろともでない限り。兄さんは僕にはっきり言ったじゃない。だから当分対峙はさせないって。・・・同じことが、仁志にいえるんじゃないの?」

「浅香はアサーシンじゃないよ」

「関係ないでしょ。自分の仕事を邪魔しようとする人間を、状況がどうあれ、普通は自分の命を危険に曝してまで助けないよ。でも仁志は、葛城を助けた。僕の時なんかよりもっとひどいってことじゃない。僕が高原を助けたときは仮にも・・・僕と高原は刺客とボディガードという関係じゃないときだった。そして返すべき借りを返した後は、僕はちゃんとアサーシンとして彼に対峙したよ。」

「・・・・・」

「でも仁志の行動は、どこからどう説明しようとしても、できない。だからこそ仁志は悩んで悩んで、追い詰められてあんな事故を起こしてしまったんだ。」

「・・・・・」

「回復したらそれでおしまい、なわけないでしょ。」

「祐耶、お前が珍しく理詰めで話すと、ちょっと戸惑うよ。」

「茶化さないで、兄さん。庄田さんは一度厳しく仁志を叱ったけれど、その後はむしろ仁志を避けてる。」

「・・・・・」

「大森パトロール社と、庄田さんと、何があったの?」

「お前だって知っていると思っていたけど」

「凌介には、朝比奈和人警護員とのことは聞いたけど、庄田さんも朝比奈警護員への攻撃を躊躇したり逆に助けてしまったりしたの?」

「そういうことはない。」

「だったら、ほかにも、なにかあるんでしょ?」

「・・・・・・・」

 阪元はグランドピアノの蓋をゆっくりと閉めた。

 そのままピアノの前の椅子の背にもたれ、少し目線を上にあげ、しかしやはり弟のほうは振り向かずに少しの間沈黙した。

「兄さん」

「・・・・・庄田が怪我することが増えたのは、朝比奈警護員と出会ってからだよ。自分の身の安全を完全に度外視して仕事をするようになった。それは、アサーシンとしてのそれまでの積もり積もった矛盾が限界に来ていたことと相まって、それでもあくまで自分の仕事をやり続けようとした結果だ。」

「うん」

「大森パトロール社の、あの警護員を殺したくない。そういう思いを、無理やり乗り越えて仕事をしていたんだよ。」

「・・・・・うん。」

「浅香も・・そういう当時の自分と同じようになってしまうんじゃないか。庄田の不安はそこに尽きるだろう。そしてね、私も同じなんだよ。」

「・・・・・・・」

「祐耶、お前にとっての高原。酒井にとっての葛城や河合。そして・・・浅香と葛城。」

「・・・・・・・」

「逸希と山添。・・・・皆、状況は違っていても、根本のところは同じだと思う。」

「兄さん・・・・・・」

「酒井と浅香は、実際に、このために死にかけた。」

「そうだね・・・・」

「もちろんわかっているよ。問題を理解したところで、解決策が得られるなどということは、ない。」

「・・・・」

「そして一番絶望的なことはね、祐耶」

「・・・・」

「あいつらは間違っている。でも、我々も常に間違っているということなんだ」

 深山は体が固まったようになって、兄の背中を見つめた。

 小雨が降り出し、ガラス戸に微かな音をたてて雨粒が当たり始めた。

 阪元は立ち上がり、部屋の隅にあるシェードランプの明りを灯した。

 午後の陽光が雲に遮られ、人工の明りが室内に満ちた。

「僕は、高原を殺せるよ。兄さん。僕の命と引き換えにしてまでそんなことをするなって、兄さんは言ったけど。でも、アサーシンは皆、自分の命を少しずつ削って人を殺す。それは、当たり前のことだよ。」

「・・・・・・」

「だから、殺人専門エージェントは、他のエージェントより遥かに格が高い。そうだよね。」

「・・・・ああ、そうだよ。」

「親でも殺すのがアサーシンだよ。庄田さんはある意味当然のことをした。現役時代を通じて、アサーシンのすべきことを貫かれたんだ。」

 阪元がゆっくりと歩いて、ソファーに腰を下ろした。

「・・・・・・ねえ、祐耶。葛城が退院のとき庄田に、言ってたんだって。」

「・・・・」

「”愛しているかどうかと、味方であるかどうかは、何の関係もないこと”って。もとは月ヶ瀬警護員の言葉らしいけどね。」

「・・・・・・・」

「そして葛城は、自分を助けたことについて、浅香に、なんの感謝もしていないしむしろ迷惑してると、はっきり言った。」

「・・・・・やさしいひとだね、葛城さんは。」

「ああ。ありがたいことだ。そして・・やっぱり、迷惑なことだ。」

「・・・・・・・そうだね・・・・」

「だってね。」

 雨が強まり、風の音が響いた。

「・・・・・・」

「そういうことって、理屈でわかっても、心がついてくるものじゃ、ないよ。そう簡単にはね。」

 深山は、目の前に座る兄の顔を見て、もうひとつの質問をするのをやめていた。



 黒衣のまま事務所へ戻ってきた庄田は、自席へ向かう途中でよそのチームのエージェントとすれ違い、会釈をした。

 ロッカールームでもう一度遭遇したとき、ようやく相手が話しかけてきた。

「お疲れ様でした、庄田さん。」

「酒井さんも・・・・。昨日のお通夜の後、今朝のお葬式までの間、社長が正気でいたのは酒井さんのおかげだと想像しています。」

「いえいえ、俺はただ近くで見てただけですから。」

「一睡もなさらなかったようですが、倒れたりせずほっとしました。」

「告別式の後、死んだように寝てはりましたけどね。今頃自宅でゆっくりしてはると思います。」

「全部のチームのリーダーが顔をそろえたのは久しぶりでした。」

「篠崎さんもいてはったんですね」

「はい。見るのもつらいような、状態でした。」

「そうでしょうな。」

 庄田は黒衣の上着とネクタイををロッカーに入れ、代わりの上着に着替える。

 酒井が百八十センチ以上の長身であるのに対し、庄田直紀の身長はずっと低い、百六十五センチほどである。体型も細身で、左手には杖をついている。

 しかしそのぬけるように白い肌をした気品ある顔立ちに似合う、涼しげな切れ長の両目は、酒井にも負けない不思議な凄味がある。

「酒井さんも今日はこれで帰られて・・・・お休みになれるんですよね?」

「まあ、そうですな。俺のことまで心配してくださって、ありがとうございます。よろしければご自宅まで、お送りしましょうか?車で来てますんで。」

「いつもなら遠慮するところですが・・・・今日は、お言葉に甘えます。」

「はい。」

 運転席でエンジンをかけ、車を出しながら酒井は庄田のほうを見ずに、尋ねた。

「告別式では、お疲れやなかったですか?」

 エンジン音の中でも、よく通る庄田の声が聞こえる。

「いいえ。皆が、気を遣ってくれました。私の体のことは、よく理解してくださっています。少し申し訳ないほどです。」

「今回は社長のほうがふらふらでしたな。」

「ええ。ずっと心労が続いていた、そんな中の、手ひどい追い打ちのような出来事だった訳ですからね・・・・・久々のアサーシンの殉職・・・・。」

 雨の街へと車が走り出す。

「・・・・はい」

「酒井さん・・・・。アサーシンという存在は、やっかいなものです。」

「・・・・・・」

「あなたは今は殺人専門ではないし、私ももう現役のそれではない。しかしその癖は、なかなか抜けません・・・・私は。」

「ええ。」

「ひとつのチームを率いるリーダーとして、メンバーたちに、自信を持って指導をすることもできません。」

「それは、浅香さんと葛城さんのことですか?」

「逸希さんと山添のことも、そうですね。」

「・・・・・・」

「最後は自分の命と引き換えにして解決する。殺人専門エージェントのそういう性格は、部下に、伝染するのかもしれません。」

「・・・・・・・」

 ワイパーが、強くなる雨水を散らし、フロントガラスをせわしく行き来しても、視界はあまり良くならない。

「私は、本当の意味で、引退しようかと考えています。」

「・・・えっ・・・・・!」

 信号がきわどいところで黄色に変わり、酒井はなんとかブレーキを間に合わせ、そして隣の元アサーシンの横顔を見た。

 何事もなかったように庄田は前を見たまま、静かな表情を変えていなかった。



 高速道路に近いビル街の外れにあるコンサートホールは、複合施設の一部として隣接する高層オフィスビルや商業施設とつながり、昼夜を問わず多くの人間たちが行き来する場所である。

 しかし日曜夜の芸術文化イベントはその終了時刻が夜十時過ぎということもあり、終演を待つホールの周囲を行き交うのは数名のイベント関係者だけになっていた。

 槙野俊幸は身辺警護員としてクライアントのオーダー通りの、準礼装姿で、コンサートホールの最前列に座るクライアントの斜め後ろの席を占めていた。

 時折耳元のインカムから、山添の声が入る。

「ロビーを一回りしてきました。異常はありません。」

 小声で槙野が応答する。

「ありがとうございます。あと五分で終演です。」

 山添は、関係者の許可を得た、イベントスタッフに似た扮装で、ホールの内外を巡回し、終演を待っている。

 メイン警護員の経験の浅い槙野のサポート役であるが、彼のこれまでの経験が、この案件があまり事なきに終わらないであろうことを告げていた。

「刺客がいますね。これは勘ですが。あまり質のよくない、凶暴なタイプの。くれぐれも、最後まで気を抜かないで、槙野さん。」

「・・・・はい。」

 山添の勘は、ほぼ当たっていた。そのことが分かったのは、終演直後のことだった。

 そして当たっていたのは百パーセントでなかったことも、そのときに判明した。

 ホールの客席の扉が開き、客たちがロビーへ吐き出され、クライアントを含む来賓らがレセプション会場へと移動し始めたときに、それは起こった。

 インカムから山添の鋭い声が入った。

「クライアントの隣にいる○○議員を、背後から刺客が狙っています。」

「・・・・!」

「クライアントを○○議員から離してください!」

 槙野は前を歩く痩せて背の低いクライアントの、隣にいる大柄な政治家とそのやはり大柄な二人の用心棒たちを素早く見た。

 槙野の目にも、用心棒たちの間を縫うような、刃物の煌めきが映った。

「こちらへ!」

 槙野に腕をつかまれたクライアントは、逆らわなかった。政治家との談笑を中止し、ボディガードに導かれるままに脇へ移動し、レセプション会場方面からそのまま出口方面へと歩く方向を変える。

 後ろから客たちの悲鳴が聞こえた。

 山添は槙野と反対側から政治家のほうへ駆け寄っていたが、間に合わなかったことを知った。

 大柄な政治家の体は、声もなくゆっくりとロビーの厚い絨毯の上に倒れ、そのまま動かなくなった。首の後ろに一か所だけ赤い血の噴き出す傷がついていた。

 用心棒たちがパニックになったように声を上げている。

 警備員が駆け付け客たちを誘導する混乱の中、山添はインカムで槙野からクライアントの無事を確かめながら、もうひとつの、彼以外はロビーにいるどの人間も気づいていない現在進行中の攻防の行方を捉えようとしていた。

 タクシー乗り場で、クライアントは自分より少しだけ背の高いボディガードの顔を見上げ、満足そうに微笑んでいた。

「槙野さん、ありがとうございました。やっぱり、プロのボディガードをお願いして、よかった。」

「・・・・大丈夫ですか?ご自宅まで同乗いたしましょうか。」

「いえいえ。秘書もいますし、平気です。レセプションももうお流れでしょうしね。恐ろしいことです。では、失礼します。」

 秘書とともにタクシーの後部座席に収まり、もう一度笑顔で手をふり、クライアントは槙野に一礼してタクシーで走り去った。

 槙野はインカムから山添へ警護終了を報告した。

 しかし先輩警護員からの返事は意外なものだった。

「刺客を追います。」

「山添さん?」

「このまま槙野さんは帰ってください。」

「・・・・いやです。」

「・・・・・」

「いやです!僕も同行します。メイン警護員は僕です。」

「・・・・・・」

 槙野が振り返り、ロビーから高層ビルへつながる通路へ出ようとする山添の姿をはっきりと認めた。



 街の中心にある高層ビルの、事務所内にあるカンファレンス・ルームに、緊急事態に相応しい空気が満ちていた。

「和泉、身の安全を確保しなさい。」

 吉田恭子が、低い、しかしきっぱりとした声で通信機器へ向かって命じる。

 スピーカーから、和泉の声が入る。

「はい。大丈夫です。周囲にホールのスタッフたちもいます。・・・・深山さんは、ロビー出口から高層ビル方面へ向かいました。右肩に負傷していると思われます。」

「通信は」

「こちらには入りません。呼びかけにも答えません。」

「ホールの従業員たちから離れずに、引き続き呼びかけを続けなさい。」

「はい。」

 舟形テーブルには、吉田のほかに二人の人間が向かっていた。

 向かいにいる、短髪で長身の男性に向かって、吉田が言葉をかける。

「申し訳ない・・・・篠崎。あれだけ入念な準備をしてもらったというのに。」

「今はそんなこと言ってる場合じゃないよ、吉田さん。三つのチームの合同作戦にしたのは、ほかの案件との兼ね合いもあったけど、この案件が決して簡単なものじゃないからだからね。」

「ええ。」

「庄田さんのチームの逸希くんじゃなくてよかった。今思えば。彼だったら、たぶんもう殺されている。」

「・・・・・」

 篠崎は吉田の顔色が微かに変わったことに気がついた。

「ごめん。」

「・・・いいえ。」

「とにかく、社長へ一報するよ。そして次にすることは、わかっているよね?・・・そう、深山から応答がない場合は、無条件に・・・・・」

 二つ椅子を空けて吉田の隣に座っている酒井凌介が、ちらりと吉田のほうを一瞥した。

 吉田は黙っている。

「ルール・Cですな。通常のエージェントやったら事前に合意しておくのが原則ですが、アサーシンはその必要はない。常に、適用ですから。」

「そうだね。酒井さんは、もとアサーシンだから、よく知っているよね。」

 阪元航平の携帯電話が鳴ったのはその一分後だった。

「非常事態発生だね?篠崎」

「はい」

「声でわかるよ」

「・・・はい。」

「そこに恭子さんもいるの?」

「います。・・・社長のご許可を頂いて、よろしければアサーシンを二名お貸しください。」

「祐耶が命を狙われたんだね」

「はい。○○議員暗殺はさきほど成功しましたが、その際、少なくとも二名の刺客に深山が襲撃されました。ホールのスタッフに扮して監視していた和泉からの報告です。右肩にナイフのようなもので刺し傷を負わされ、手持ちの武器で反撃しそのまま高層ビル方面へ逃れました。深山を襲撃した二名はいずれもホール案内の女性従業員の姿でした。一人は深山の反撃を受け動けなくなりましたが、もう一名が後を追いました。」

「わかった。」

「両名の顔は和泉が撮影しました。特定は可能です。」

「直ちにアサーシンを手配する。指揮は、篠崎、お前がやりなさい。」

「了解いたしました。」

 電話を終えた篠崎が、目の前の、よそのチームのチーム・リーダーの顔を少し哀しそうに見た。

「ルールどおり、刺客はどんなことをしても殺害する。逸希くんは参加してないけど、準備作戦に加わった庄田さんのチームにも連絡しておくよ。」

「よろしく、篠崎。」

「大丈夫だよね?吉田さん」

「・・・もちろん。お前と同じ、私もひとつのチームのリーダーだ。最悪の事態は常に覚悟している。」

「・・・・僕が実況に参加してるときに限って、なにかが起こるんだよね。ほんと、どうしてなのかね。」

 篠崎はまだ疲労の残る表情で、その端正な顔を少し曇らせた。

 酒井は何もいわなかった。

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