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一 拘り

大森パトロール社の槙野俊幸警護員と、阪元探偵社のエージェント庄田直紀が、少し主役です。

一 拘り


 街の中心にある古い高層ビルに、朝日が静かに光を届け始めた時刻、事務室奥の社長室には、まだドアの隙間から細い光が無人の事務室内へ漏れていた。

 社長室というより個人の書斎のような簡素なつくりの室内で、部屋の主が、窓に向かって設えられた机に向かって、立ったまま向かいのビルに反射する光を見ていた。

 部屋の中央にある円卓にある六つの椅子のひとつに、長身のエージェントが座り、テーブルの上の冷え切った磁器のコーヒーカップに目をやり、そして上司の横顔に再び視線を向けた。

「社長、お体に障ります。」

「・・・・・」

「昨日の通夜に続いて、今日の告別式にも出はるんでしょう?いくら内輪の式やいうても、社長が途中で倒れたら大変です。」

「大丈夫だよ。」

「少しだけでも寝てください。隣のホテル用意してありますから。」

「ありがとう。もう少ししたら、そうするよ。」

「遺体のない葬式いうんも、哀しいもんですけどね。しかしそれは、分かり切っていたことです。」

上司の横顔から目を逸らし、酒井凌介は椅子にもたれたまま長い脚を組み直す。

上司は窓際の机の前から動こうとしない。

「社長。」

「・・・・・」

「・・・阪元さん」

 阪元探偵社の若き社長は、名前で呼ばれて初めてゆっくりと振り返った。その金茶色の髪に相応しい異国の血の入った顔立ちは、静かな疲労に沈んでいた。

 円卓のテーブルに座っている酒井の漆黒の両目が、阪元航平の深い緑色の両目を少し斜に見た。

 社長の両目に泣いた跡がないことが、一層その立場と思いを想像させるようで、酒井は眼を伏せた。

「うん、・・・ごめんね、酒井。心配かけてしまって。」

「横河さんはベテランのアサーシンでした。最後の仕事で、ターゲットを殺せず終わったことは無念だったでしょうが、いつかこういう風に終わる日が来ることは、誰よりよく自覚していたはずです。」

「そうだね。」

「どんな有能なアサーシンにも、失敗はある。そしてそれに不運が重なることもある・・。そのために、アサーシンはいつでも自殺する用意をしている。」

「横河と最後の通信をした篠崎も、そのことを繰り返し言っていたよ。彼自身、自分に言い聞かせていたんだろう。・・・アサーシンの殉職は久しぶりのことだからね。・・・これで、十二人のアサーシンが、また一人減って、十一人になった。」

「二人のアサーシンが応援に入ると聞きました。必ずターゲットを殺害すると。」

「そうだよ。」

 阪元は再び窓のほうを見て、少しだけ目線を上に上げた。

 その上体が微かにふらついたような気がして、酒井は立ち上がりかけたが、思いとどまった。

「・・・・横河さんには、確か、別れた奥さんと娘さんがおられましたな。」

「仕事のことを知らせていない・・・つまり縁を切った、家族が、ね。そして社内規程のとおり、匿名で家族の生活支援は続けるよ。彼の代わりにね。」

「身元は判明しますかね」

「すると思う。でも、ご家族はなぜ横河が死んだか、一生知ることはないんだ。」

「そうですな。」

 酒井は冷たくなったコーヒーカップに触れ、持ち上げた。

「・・・社長、こんなことをお尋ねすべきじゃないんでしょうけれど」

「うん」

「生きて逮捕されてほしかったと、思われてます?」

 阪元は窓の外へ向けた顔をさらに少し上げ、空を見るような角度で頭を止める。

「うちの今の力量なら、それでも会社が決定的な危険に曝されることはなかったと思う。」

「はい」

「ただし僅かとはいえ、彼が生きて取り調べを受ければ、以前起こったような、同僚が退社し自首する事態も起こる可能性もなくはない。第二に、自分がどこまで黙秘を貫けるか百パーセントの確証は誰にもない。第三に・・・たとえ会社が総力を挙げて証拠隠滅をしても実際に刑が執行された場合それを自分として受け入れがたいことがある。」

「・・・・横河さんは、自分が死ぬことで、それらを完全に回避したんですな。」

「そうだ。」

 しばらくの間、沈黙があった。

 朝日がさらに光を増し、阪元は机に向かう椅子に落ちるように腰を下ろし、手元のスイッチを探り当て、部屋の明かりを消した。

 自然の光だけになった室内は、見えるものの色が微かに穏やかなものに変わった。

「・・・大丈夫ですか?何か軽い食事でも持ってこさせましょうか。」

「ありがとう、酒井。優しいね。」

「・・・いえ・・・・」

「我儘言っていい?」

「どうぞ」

「・・・あと少しの間、そこにいてくれる?」

「かまいませんよ」

「一人になると・・・・自分のその後の行動が予想できない」

「・・・・・」

「恥ずかしいことだね」

 酒井が目を伏せたまま小さく笑った。

 阪元は椅子にもたれ、顔を天上へと向けた。

「ちょっと安心しました」

「え?」

「社長が我儘なのは、正常な証拠ですから。」

 今度は阪元が、少しだけ苦笑した。



 大森パトロール社の事務所はターミナル駅近くの雑居ビル二階に入っている。警備会社であり、いわゆる制服を着た警備の警備部門と、身辺警護をするボディガードを派遣する警護部門とに分かれており、雑居ビル二階の小さなほうの事務所は後者である。

 事務所に河合茂がいないのを知り、警護業務の打ち合わせから戻ってきた槙野俊幸が少しがっかりした表情になったので、山添崇が事情を説明した。

「槙野さんは知らなかったですね。ここ最近、ほぼ二~三日おきなんですよ。」

「?」

 大森パトロール社ができたときからいる先輩警護員の山添は、そのスポーツ好きらしいよく日焼けした童顔に楽しそうな笑顔を満たして、後輩のやはり皮膚の色の濃い、気品のある顔立ちを見下ろす。

「怜の家ですよ。」

「葛城さんの?」

「怜が出勤停止が解けて復帰するまで、どのみちほぼ間違いなく河合さんも警護業務は入らないでしょうからね。」

「・・・単独案件とか、別の警護員とのペアとかは・・・」

「準備期間とかも考えると、僅か一か月の怜の不在期間を埋めるのは、かえって不合理でしょうから。」

「はい。」

「急な警護員の病気なんかの、交代要員がせいぜいでしょう。」

「なるほど」 

 槙野は山添の愛らしい童顔を見上げて頷いた。身長百七十五センチほどの山添と比べて、槙野は十センチほど背が低く、体も非常に細い。顎くらいまでの少し長めの髪の山添と異なり、髪もきっちり短髪にしており、ボディガードというより大人しい大学院生のように見える。

「お疲れ、崇、槙野さん」

「あ、高原さん。こんばんは」

「まだいたのか、晶生」

「ひどいなあ」

 同期入社の高原晶生が給湯室から出てきて声をかけてきたのを見て山添が手をふり、槙野は一礼した。高原は山添よりさらに背が高く、爽やかな短髪に知的な眼鏡がよく似合う好青年である。同期入社の葛城、山添、月ヶ瀬ともに有能だが、特に高原は抜きんでた実力の持ち主である。

「晶生、お前徹夜続きの案件が終わったばかりだろ?今日はさっさと帰って寝てるものと思ってたよ。」

「寝だめができるんだよ、お前とは違ってさ、崇。槙野さん、こいつ打ち合わせで居眠りとかしてなかった?」

「だ、だいじょうぶです」

「うるさいなあ晶生」

「今日も河合がいなくて、ちょっと残念だよな。ミケも怜がいないと連れてくるのもつまらないし」

「はい」

 槙野はふたりの先輩警護員の顔を見比べながら、尋ねた。

「あの、河合さんは葛城さんのところということでしたが」

「うん」

「なにか、お仕事なのですか」

 高原と山添が顔を見合わせて笑った。

「まあ・・・仕事といえば、仕事といえなくもないかも、ですが・・・・・」

「でもとりあえずボランティアなんだよな。」

「?」


 噂をされていた河合茂は、葛城怜の自宅である一軒家の、ダイニングルームにいた。

 食卓を挟んで座るふたりは、背格好は非常によく似ている。どちらも身長は百七十センチくらいの青年であり、体は槙野ほどではないが細身である。

 テーブルに並ぶ手作りの夕食を食べながら、葛城が茂へ感謝のまなざしを向ける。

「おいしいです。ありがとうございます、茂さん。」

「よかったです!ご飯もおかずもどんどんおかわりしてくださいね。」

 葛城は嬉しそうに笑った。

 背格好は似ている二人だが、容貌はかなり異なる。茂は髪の色はかなり明るく、長さは女性のショートカットくらいで、その両目も色素の薄い琥珀色である。容姿はまあ平凡だが、童顔の愛らしさは多少は「かわいい」という表現も当てはまらなくはない。

 葛城は茂とは異なり、非常な特徴をもった容貌である。

 濃い栗色の柔らかそうな髪は、肩までの長さがある。同じ色の両目は切れ長で天然のアイシャドウをしたような艶っぽさがあり、そして両目だけではなくその顔立ち全体が、絶世の美女と見紛うような美しさである。

「ありがとうございます、茂さん。回復期に健康的な食生活ができるのも、茂さんのおかげです。お手当さしあげたいくらいですよ。」

「いえいえ、俺も一緒に食べてますし材料代頂いてますからぜんぜんだいじょうぶです。」

「元気になってきました」

「よかったです!」

「・・・私も、なにか茂さんにお礼がしたいです。」

「・・・・・・」

「できることって、ありますか?」

 茂は何かを思い出そうとしているように視線を上げ、しばらく考え、そしてうつむいてもう少し考えた。

 かなり経ってから、はっとしたように茂は顔をもとの位置に戻し、目の前の先輩警護員の顔を見た。

 その顔に決意の色が漲っていた。

「今、おもいだしました、葛城さん」

「?」

「俺、怒ってるんでした。」

「・・・・・・」

「葛城さんは、泣いて怒ったのに、俺にもっと酷いことをしたんです。」

「・・・・・」

「ちょっと忘れてましたが、このことは、ちゃんとしておかなければなりません。」

「・・・・・はい。」

 葛城は背筋を伸ばした。

 背筋を伸ばしたまま、葛城は少しだけうつむいた。

「今回、私が出勤停止処分になったのは、前回の警護業務中に、必要以上のことをして負傷し、会社へも多大な心配と迷惑をかけたからです。」

「はい」

「警護現場での状況変化に応じて、現場の警護員には大きな裁量権が与えられていますが、クライアントのご許可があったとはいえそもそも警護の範囲を逸脱しました。そのとおりです。」

「はい。そして葛城さんは、襲撃犯を殺そうとしたあいつら・・・阪元探偵社のエージェントから襲撃犯の命を救おうとして、負傷されて・・・・」

「そして結局私があいつらに逆に助けられるという失態を演じました。もうなんの言い訳の余地もありません。」

「・・・・・・・」

「サブ警護員を務めてくれていた槙野さんにも苦しい思いをさせてしまいましたし、波多野部長や、茂さんたち、仲間にも心配をかけました。」

「そうですよね」

「しかも襲撃犯たちの命も救えなかった。」

「・・・・葛城さん」

「・・・・・・」

「そのことは、今は関係のない話ですから」

「・・・はい」

「高原さんが、葛城さんのことを、どれだけ心配していたかご存じですよね」

「・・・・・はい。」

「葛城さんが行方不明になったあの晩、山添さんと槙野さんを家に帰した後、高原さんは一歩も歩けなくなっていました。」

「・・・・・・・・」

「そしてそのまま、倒れてしまったんですよ」

「えっ」

「葛城さんがご存じないのは当然のことではありますが、そうなんです」

「・・・・晶生が・・・・茂さんの前で・・・・?」

「はい。もちろん俺は、どんなときも全力で先輩を支えます。守ります。でも、やっぱり、高原さんは、最後は葛城さんじゃないとダメなんです。」

「・・・・・・・」

「葛城さんにとっての高原さんが、そうであるように、です。」

 葛城はその美しい両目を伏せた。

 茂は、ポットから急須に湯を注ぎ、熱いほうじ茶を淹れなおして、葛城へすすめた。

 湯呑を受け取り、葛城はそのまま手元を見つめる。

「私が再びこの家に戻ってきたとき、茂さんたちと一緒に来てくれた晶生は・・・・最初に一言少し怒るようなことを言った後は、もう全然私を責めませんでした。茂さんたちが先に帰った後、晶生はただあいつらの病院での治療のことや、今の体調のことばかりを、尋ねていました・・・・」

「そうなんですね」

「もっともっと、怒ってくれたら・・・・などということを、私が思うのは筋違いですが・・・・・でも茂さん、私が、今までのことや今回のことを、反省していないということでは、ないんです。」

「そうなんですか?」

「今回のことを振り返っても、自分でも、愚かだと思うんです。それまでだって、波多野さんにぶたれて、茂さんに怒られて、無謀な自分をすごく反省してきたはずなんですから。特に・・・・ついには茂さんに、あそこまで思いつめさせてしまったことは・・・・・・」

「・・・・・・・・」

「だから、こんなバカなことをしていてはいけない、と、頭でわかっているんです。でも、なんだか、まだ・・・・体が、頭についてきていない・・・・そういう、感じなんです。」

「・・・・・なるほど」

「なんだかよく分からないことを言ってすみません」

「いえ、まったく分からない訳でもない気はしますが・・・・・・。長年意識もせずにやってきた習慣って、そう簡単には抜けないってことですよね」

「はい、たぶんそんな感じです。」

「しょうがないですよね・・・・・」

「でも」

「・・・」

「私が危ないことをしても、茂さんだけは危ないことはしないでください」

「葛城さん」

「はい」

「そんな、身も世もないくらい我儘なことをおっしゃらないでください」

「あははは。・・・・・・すみません。」

「・・・困りました・・」

「甘えていてはいけないですよね」

「そうですよ」

「何度でも、反省します。・・・茂さん、協力していただけますか?」

「?」

 葛城は湯呑から視線を外し、顔を正面に向け、向かいの茂の顔を見た。

 そしてそのまま目を閉じ、少しだけ顔を上げ気味にした。

 沈黙が流れる。

「思い切り行ってください、茂さん」

「・・・・・・・」

「ちょっと遠いですか?」

「いえ、あの」

「そちらへ行きましょうか?」

「そ、そうではなくて」

「遠慮は無用です。往復でお願いします。」

「・・・・・うううう」

 次の瞬間、鋭い平手打ちの音が響き渡った。

 葛城が驚いて目を開けると、正面の後輩警護員が、その童顔の右頬を赤くして、閉じた目から涙を滲ませていた。

「し、茂さん・・・・・・?」

 すぐに茂は、今度は自分の左手で、自分の左頬を思い切り叩いた。再び大きな音がした。

「馬鹿、俺の馬鹿。」

「・・・・・・」

「なにも心配しないって決めたのに」

「・・・茂さん・・・・・」

「俺も・・・頭に体が全然ついてきてない・・・・・」

 両方の頬を赤くした茂は、情けない表情で言った。

「茂さん、そんなふうに、決めたんですか」

「そうなんです。」

「どうして?」

「俺は、俺のすべきことをするだけで精いっぱいのはずですし、それさえ全然できていませんから・・・・身の程をこえたことをあれこれ考える暇があったら、自分のできることを、それだけをやろうって、決めたんです。決めたはずなんですが」

「そうなんですね」

「でも、気がついたらこうして葛城さんを責めているし」

「・・・・・・」

「何度でも反省しないといけないのは、俺でした」

「・・・・茂さん」

 さらに自分の右頬を打とうとする茂の、右手を、葛城が立ち上がり身を乗り出してつかんだ。

「止めないでください、葛城さん」

「だめです茂さん、ぶたれるべきは私なんですから」

「いえ俺です」

「一回くらい私もぶってください」

「そんなわけには」

 もみ合ううち、大事故が発生した。

「あーっ!」

 二人は同時に叫んだ。

 茂と葛城の腕がテーブルの上の味噌汁椀をひっくり返し、茂のシャツからズボンまで味噌汁が飛び散っていた。

「し、茂さん・・・・・・」

「・・・・・・・」

「大丈夫ですか?」

「あ、もう冷めているから平気ですが・・・・ちょっと広範囲ですね・・・・・」

「脱いでください、洗いますから。」

「いえ、大丈夫です」

 葛城が立ち上がり、茂の腕を引っ張って浴室前の洗濯機のところまで連れていく。

「着替え持ってきますから」

「す、すみません」

 二階の部屋へ上がり、戻ってきた葛城は自分の地味なシャツとズボンをひと組手にしていたが、茂へそれを渡しかけたところでふっと思いとどまった。

「葛城さん?」

「ちょっと待っててください。別のにします。」

 再び自室へ戻り、浴室前に戻ってきた葛城は、ハンガーにかかったジャケットとシャツとズボンのひとそろえを持っていた。

「こっちにしませんか?茂さん」

「こ、これ、なんだかすごく・・・・・・」

「もしも茂さんが気になさらなければ、ではあるのですが」

「?」

 葛城は遠慮がちに苦笑した。

「私があいつらの病院から退院するとき、提供してくれたものなんです」

「なんか、見たことのないような高級ブランド品とかなのでは・・・・」

「そのとおりなんです。薄給の警護員のワードローブの中では、浮きまくっていて・・・。茂さん、着ませんか?」

「葛城さんにとてもお似合いだと思いますが・・・・それに俺もさらに薄給ですし・・・・・・・」

「いっそ古着屋さんに売ってしまったほうがいいでしょうかね・・・・・・」

「うーん」

 茂は味噌汁のかかったシャツを半分脱ぎかけた姿のまま、考え込んだ。

「そうだ、槙野さんにあげませんか?」

「え?」

「槙野さん、次の警護案件で、ものすごく久しぶりに山添さんと組むんですよ。」

「そうなんですね!」

「しかも、初めて、山添さんの指導のもとでのメイン警護員なんだそうです。」

「それは記念すべき案件ですね」

「槙野さんは俺よりちょっと体は小さいですが、大丈夫でしょう」

「はい」

 茂は自分の腕を服にあてて、槙野の体型を想定して確認している。

 葛城が微笑した。

「よかった」

「?」

「あんな奴らからもらった服なんて、と言われるんじゃないかとちょっと不安でした。」

「あはは・・・俺はそういうことにはあまり拘りません。服に罪があるわけじゃないですからね。」

「はい、私もそういうタイプです。・・・茂さん、きっと茂さんは、別れた彼女からもらった品物も気にせず使い続けるタイプですね?」

「・・・・・・」

 葛城はすぐに自分の失言に気がつき、反省の色を一層濃くしてうつむいた。



 私鉄駅から少し離れた場所にある、あまり大きくない病院は、しかし救急車が頻繁に出入りし、待合室もいつも通り混雑している。

 病棟の、廊下の突き当たりにある小さな個室へ、異国的な髪の色と顔立ちをした青年がそっと入っていく。

「仁志、起きてる?」

 深山祐耶は一声かけ、返事がないことも気にせず室内へと足を進める。

 マットレスの上体が少し起こされたベッドの上で、左腕に点滴の針を刺されて、長身の青年が眠っている。

 ブラインドの隙間からは、昼近くの明るい陽光が差し込んでいる。

「仁志」

 二度目の呼びかけで、浅香仁志は少し眩しそうにしながら目を開けた。

「・・・祐耶、・・・・ごめん、寝てたよ。今何時?」

「もう十一時だよ。朝弱いんだね」

「そうじゃないけど。」

 深山はベッドサイドの椅子に腰を降ろし、持ってきた花を花瓶へ入れた。

「酸素マスクももう外れたんだね。調子はいいの?」

「うん。一日決まった時間、歩くことも始めたよ。」

「そうか。」

「この様子なら、来週には退院して、自宅からリハビリに通えるようになるだろうって。」

「よかったね。病院に担ぎ込まれたときはほとんどダメかと思ったよ。よく助かったよほんと。」

「先生もそうおっしゃってる。成分が不明なものも含めて、大量の有毒ガスを吸いこんで、肺もダメージを受けたし全身状態も危篤に近かったって。」

「この病院の医療レベルはたぶん世界一だけど、やっぱり仁志、お前がよく頑張ったからだよ。」

 深山は金茶色の髪に相応しい、異国の血の入った顔の茶色の両目を同僚へ向け、微笑した。

「ありがとう・・・祐耶にも心配かけたよね。」

「僕のほかに、よく訪ねてくるのはやっぱり佐野さんとか庄田さんとか?」

「うん。佐野は一日おきに来てくれてる。」

「・・・庄田さんは?」

「・・・・・一度だけ、話をした。俺が意識不明の間は何度も来てくださってたって、看護師さんがおっしゃってたけど。」

「ふうん。」

 ふたりはしばらく黙った。

「ミッション中の、単純ミスで負傷して、これだけ会社に迷惑をかけた。処分があっても当然だと思うんだけど、庄田さんから特にそういうことも含めて、お話はないんだ。」

「あまり会ってないんだね?」

「うん。」

 浅香が窓のほうへ視線を移し、少しため息をついた。

 深山は顔を傾け、尋ねる。

「大丈夫だよ、仁志」

「?」

「僕がミッション中に毒針にやられて息が止まって入院したときなんか、凌介も来ないし、兄さんだって来なかったんだから。」

「はははは」

「チーム・リーダーの吉田さんも、メンバーの和泉さんも板見くんも来てくれたのに。凌介は一番長いつきあいなのに冷たいよ。」

「酒井さんの性格だと、確かに、来ないのも分かる気はするけど」

「そうかな」

 浅香はその静かな両目を細めて、笑った。

「つきあいが長いだけに、じゃないかな。」

「庄田さんもそうなの?」

「それは・・・・・」

 浅香の表情が苦しそうになったのを見て、深山は話題を変えた。

「庄田さんは元アサーシンだけど、今は前線からは引退されてる。でも、あれだけの・・・いくつも伝説ができるくらいすごい実力だったんだから、もっと後輩指導とかコーチとかをされてもいいんじゃないかって、よく思うんだ。」

「うん」

「でもチーム・リーダーとしてはきっちりお仕事されるけど、アサーシン育成はあまり熱心じゃないね、庄田さん。」

「そうなんだ」

「体力的なこと?やっぱり・・・。足を悪くされてるし、いくつかの負傷の後遺症ですごく疲れやすくなってしまったんだよね。」

「それももちろんある。でもいくらでも、やりようはある。やっぱり、そのことそのものにご関心がないんじゃないかな。」

「今の庄田さんだったら、戦ったら勝てる?仁志」

 浅香はうつむいて笑った。

「無理に決まってるよ。正面から行ったら絶対勝てない。」

「そうか。じゃあ、凌介だったら。。。」

「酒井さんなら、今の庄田さんなら勝てるよ。祐耶、お前は・・微妙かな・・」

「正直すぎ。」

「あはは。もちろん、怪我される前の庄田さんだったら、酒井さんとお前と俺と、三人束になってかかっても無理だけどね。」

「うん。それはわかる。・・ねえ仁志、庄田さんと何か気まずくなってるのは、やっぱりお前が葛城を助けたから?」

「そのことはすごく叱られた。でも俺がその後ミッションで事故に遭うまでは普通だったから・・・・」

「じゃあ、お前が今回負傷したことが原因なんだね。」

「庄田さん、俺のこの事故を、ご自分の責任だと思っておられるのかもしれない」

「・・・・・・」

 深山は腕組みをして考え込んだ。

 浅香が同僚の横顔を見つめる。

「祐耶?」

「・・僕のバカな頭で考えても何か思いつくわけじゃないけど・・・・カリスマみたいに有能なアサーシンだった庄田さんが、ミッションを遂行するときご自分の負傷を伴うことが増えたのって、引退する直前ごろだよね。」

「そうだね。」

「ちょっと兄さんに聞いてみるよ。」

「怒られるよ」

「大丈夫だよ。そうじゃなくてもいつも怒られてるもの。」

「・・・・・・」

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