表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

純白のミライ

作者: 夜薙歌茅

 大学受験を目前に控えた、12月のことだった。

 2学期末の短縮授業が始まり、放課後の教室に、俺たちは二人きりだった。

 ユウコが、机から立ち上がろうとしなかったのだ。

「……なあ、帰ろうぜ」

 ユウコは無言のまま立ち上がって、廊下を歩き出した俺の後をふらふらとついてくる。

 うつむきっぱなしで黒髪のショートカットが顔にかかり、表情はうかがえない。

 彼女の指先には、11月の模試の結果がつままれたままだった。


 俺たちは、言葉をかわさぬまま、校門を抜けていく。

 俺たちは地元の公立高校に通っている。

 陸上部の俺の隣で、ユウコがマネージャーをしていた都合ーーで、3年生の初夏に、カレシカノジョという関係になった。

 俺は、ちらちらと背後の気配をうかがっている。


 互いに志望大学は違うが、第一志望は、どちらも実家から通える範囲内だ。

 今の頃合い、二クラスに一組ぐらいのカップルは、大学受験を機に片割れが上京したりで、離れ離れになる悲しみを背負っている。先輩たちの噂には、その後、関係が長くつづいたという話は聞かない。

 そいつらほどではないにせよ、俺たちの間にも、緊張感と、悲愴感がただよっていた。


 ユウコの第一志望に出たのは、5段階の下から二番目、D判定だった。

 全く見込みなし、というわけではないが、この時期に出ると死活問題となる。

 担任との面談が組まれ、志望大学の変更を余儀無くされるところだった。

 そして彼女が第二志望の私立大に通えば、二つ隣の県に、下宿することになる。


 俺は歩調をゆるめる。並んで歩いていても、ユウコは落ち込んでいる。

 寒風が、枯れ葉を地面に転がしていった。

 どうしていいのかわからない。彼女のことは心底大好きだ。

 だが、俺にもたいした心の余裕はない。同じ受験生だ。

 俺は、何も気にしてないさ、どうってことないぜ、と言わんばかりに、上ずった声を出した。

「ほ、ほら、アイス食おうぜ。おごってやるから。ほら、おまえあそこのアイス好きだって言ってたじゃん。ショッピングセンターの、フードコートの。たまには、行こうぜ。な」


 子供をあやす方便のようだと思う。

 何の解決にもなりゃしない。

 その間にも、ライバル達は模試の復習をして、過去問を解いて解いて解きまくって、追い上げをして、冬の特別対策講座をとって、合格に照準を合わせてくる。

 だけど、俺は誘わずにはいられなかった。


 15分ほど歩いて、市内唯一のショッピングセンターにたどりつく。

 中高生の遊び場というのは、だいたいここか、隣のゲームセンターになる。

 昼過ぎの中途半端な時間帯だ。広い店内に、客の姿はまばらだった。

 俺たちは、ベージュ色の床を歩いて、一番奥のフードコードに向かっていた。


 ユウコの足が、途中で尻すぼみにとまった。

 俺が振り返っても、彼女はまだうつむいていた。

「……帰る……勉強しなきゃあ……」

 声を聞いてから、気づく。

 彼女はすすり泣いていた。

 おい、とか、なあ、とか、意味のない声をかけようとした、その時だ。

「どうせ、わたしなんか落ちるんだああああ」

 閑散としたフロアに、金切り声が響き渡る。

 遠くの客が、店員が、何事かと首を伸ばす。

 うわああん、と人目をはばからずに、ユウコは大声をあげて泣いた。


 俺たちにはーー今が、18年間の人生で、最大の山場なのだ。


 彼女は、俺に勢いよくコートの背を向けて歩き出す。

「待てって」

 不意打ちをくらった俺は、遅れて追いすがろうとする。一度足がもつれかけた。

 ユウコの背中がみるみる離れていく。

 彼女がいま家に帰って、机の前に座って、勉強が手につくかといったら、とてもそうは見えなかった。

 俺にも覚えがある。前々回の模試が散々だったときに、少なからずそんな気分になったのだから。

 だからこそ、それ以来、気合を入れてガリ勉することができた。

 彼女は盛大に鼻水をすすり、コートの袖で拭い、ヒックヒックとしゃくり上げながら、ざくざくと歩を進めていく。

 俺は、どうにか彼女の手首をつかんだ。俺の手を振り払おうと、彼女は反動をつけて振り返る。


「いいよ、カッちゃんだけ受かりなよ。わたし、応援してるからさあ。わたしのことなんかほっといて、早く帰って勉強しなよお」

「いや、だからさ…」

 ーー俺はおまえが心配なんだって。喉に言葉がつっかえる。

 恥ずかしいじゃないか。

 俺は見かけがひょろいわりに、わりと硬派で通ってる。

 それに、俺だって不安だった。

 ユウコ、本気で?

 ここまで来て、全部白紙に戻す気なのか?ーー俺たちの、未来を。


 うわああああん…


 わめこうとしたユウコが、ふ、と首をそらした。

 黒目がちな瞳は、主張の控えめなショーウィンドーの向こうに釘付けになっている。

 まるで、目の前に未知の食べ物を差し出された子供のように、きょとんとしている。

 その先には、ほぼ鼻だけの顔立ちをしたマネキンーーが身にまとっている、真っ白く、すその長く広がった服。


 ウェディングドレスだ。

 ライトアップの下、きらきらしている。

 刺繍のせいなのか、小さな飾り石のせいなのか。

 レース。フリル。ドレープ……?

 フリフリじゃないが、その衣裳はたしかに上品なたたずまいを醸し、つややかで、綺麗だった。


 彼女の目に、新しい涙が浮き上がる。

 それは、遠い憧れ。

 今のこいつには、想像もつかないんだろう。将来のことなんて。

 この春の見通しすらつかないんだから。

 俺だってそうだ。


「……いいんだよ、カッちゃん、大学で別の女の子と知り合って、イチャイチャしたって……

カッちゃんかっこいいもんね。大学いったらもてるよ、きっと……」


 ユウコがつぶやくように言った。

 俺は、無性に悔しくなった。

 何いってんだ。俺が、あの夏レーンを全力で走り抜けたのは。いま、必死に勉強してるのは。

 おまえにかっこいいとこ見せるためなのに。

 ーー逆だな。みっともないとこ、見せないためなのに。


 ユウコは、ぼうっとなってドレスに見惚れている。

 遠い、遠い憧れの眼差しで。

 それは、ステージの下から芸能人を見上げるときの。

 手に入らないものを、見送るときの。


 俺はポケットティッシュを差し出した。ユウコは鼻をかんだ。


「……着てみるか?」

 俺は無意識に、つぶやいていた。

 よっぽどおかしかったのだろう。ユウコは、ぷっと遠慮なく吹き出してあはは、と続けた。

 ほんのりと笑顔が戻る。ゴシゴシこすっていたせいか、顔が赤い。鼻のかみすぎで鼻頭はさらに赤い。唇は舐めるくせのせいで、冬は荒れっぱなしだ。

「なにいってんの。無理無理ーー」

 そう言ったとき、ユウコは何か思い出したようで、表情を曇らせた。すぐに顔を上げて、おどけてみせる。

「わたし達、高校生だよ? お店に入ったら変な顔されちゃうよ。客にならないの、わかってんじゃん」

 また、ははは、と、今度は力なく笑った。

 俺は、カチンときた。

 無理だなんて言いたくないくせに。無理して無理とかいうなよ。

 意味がわからんな。

「………よし、着せてやる!」

 俺の胸の内に、闘志が燃えたった。夏の終わりに、陸上部を引退して以来の、熱いものが沸き立つ。

 クラウチングスタートを切る直前の、あの感覚だ。

「無理だよう。カッちゃん、バイトしてないでしょ」

 ユウコは嬉しげな声を出した。嘘でも嬉しい、というときの声音だ。

 ユウコはガラスに張り付き、小さな値札に目を凝らしている。


 いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……わっ


 何かに気づいたのだろう。数え上げていた、声が途絶えた。

「…………」

 俺も沈黙した。

 その時、俺たちにつられたのか、若い男女が足を止めた。隣のドレスを指差して、何か話し合っている。

 そこへ、30代と思しき女店員がやってきて、にこやかに声をかけた。


 ご試着されますか?


 えー、いいんですかあ、と高いヒールを履いた女が言った。

 すみません、それじゃ、と黒革のジャケットを着た男が続けた。

 寄り添う男女の姿は、店内へ吸い込まれていく。

 俺たちは、互いの衣裳を上から下まで眺め、戻した。

 二人とも、制服の上にコート。手持ちは使い古した学生カバン。俺のは三年間、運動場の隅に放り投げたり使い倒してぼろぼろ、ユウコのにはUFOキャッチャーでとった可愛いキャラクターのぬいぐるみ、花飾りのついたヘアゴム、バッジ……それに変色した『学業成就』のお守り。

「………ね…」

 ユウコが力なく笑った。

 俺はまたカチンときた。今度は、自分自身に、だったかもしれない。

「……やってやろうじゃねえか!」


 俺たちはまずユウコの家に向かった。

「ちょっと、アンタなにやってんのーーあたしの合コン勝負服!」

 忍び足で戸口を抜け出すとき、会社員のユウコの姉の悲鳴が追いかけてきた。

 俺は、アスファルトを疾走する。

 逃走のために、ユウコは自転車を準備していた。

 クリーム色のタイトなスカートがめくれあがらないように押さえ、立ち漕ぎになって、赤いピンヒールというやつで、ぎっこぎっこペダルを漕ぎながら、ついてくる。 首にはラメの入ったスカーフを、スナフキンのようになびかせて。


 それから、俺の家に寄った。

 幸いにも、みんな留守のようだった。

 俺たちは団子のようになって階段を駆け上がり、大学生の兄貴の部屋に転がり込む。

「兄貴の背広借りる」

「背広ってお父さんが着てるみたいな地味なのだよね? 不自然でしょお」

 ユウコはそわそわしたまま両腕を広げて、自分の、パーティーでも行きそうに派手な格好を見回す。

「兄貴が最近買ってた、オシャレなやつがあるんだ。イタリア製とかなんとかーー」

 俺は兄貴のクローゼットを探る。

 ない。どこを探しても。

 心臓がどっどどっどと鳴りつづけている。

 アニキ、今日デートとか言ってたっけーー


「やっぱり…」

「これしかねーんだよ!」

 廊下に出ると、ユウコが半ベソの半笑いで俺を見る。

 俺も泣きそうになった。

 兄の部屋から掘り出したのは、カラスのように真っ黒で飾り気ゼロのリクルートスーツ。

 そして、俺は玄関でなさけない声を上げる。

「あ……アニキ履いていってんのかよ……」

 あとはスニーカーしか残っていない。

 そこで、親父の替えの革靴を見下ろす。履き慣らされて形がフィットされ、お袋の手で磨かれて黒光りしている。渋すぎる。俺には履けない。

 一瞬、沈黙が流れた。

 俺たちは顔を見合わせる。

「が……がんば!」

 ユウコは不安に泣き出しそうな顔で、拳をにぎり固める。

 立ち止まっているヒマはない。この状態を家族に見つかればたたじゃすまない。

 ああ。わかったよ、マネージャー。

「水虫うつったらどうすんだよっ」

 俺は靴下を引き上げて、片足を突っこんだ。

 ーー耐えろ、俺の足!

 俺たちは、汗と、冷や汗をかきながら自転車を漕ぎ、再びショッピングセンターにたどりついた。


 ユウコは、すれ違う大人の女性客と、自分をしきりに見比べていた。

 ふと、思い出したように俺の腕を引っぱる。

「お化粧だよね……?」

 ユウコの素顔が青ざめてみえた。

「ほ、ほら。大人の人でもすっぴんの人いるじゃん」

 俺は視線をさまよわせ、それっぽい女の姿を探しだして、指差した。

「あれ、ナチュラルメイクっていうんだよ……」

 彼女の頬にはニキビができている。

 あの人と、俺たちの違いはなんだ。大人って、なにが違うんだ。

 ユウコは化粧品コーナーに飛び込んで、試供品をあれこれ手に取りはじめた。小さな鏡にめいっぱい顔を近づけて何かやっている。


 紫? やっぱ赤だよね??


 見かねた店員のお姉さんが、何を勘違いしたのか、手伝ってくれた。

 ちぐはぐな格好の俺たちは、ついにその店の前にたどりついた。


 随分、試着をくりかえしていたのだろう。

 店の敷地から腕を組んであらわれたのは、さっきのカップルだった。

 結局、買わなかったんだろう。

 疲れた感じの女店員が、俺たちをみた。その愛想のいい笑顔が、微妙にゆがんだ。

 俺は、ピシッと背筋を伸ばす。伸ばし過ぎて、しゃちほこばっていた。


 まずいな。いくらなんでも、服屋の店員からみたら、

 俺たちはチンドン行列みたいな格好に等しい。

 冷たい汗が一筋、背筋を流れ落ちていくのを感じた。ひしひしと視線を感じる。

「おっれ、わた、ぼくは……」

「どのようなものを、お探しですか………?」

 店員が、細めにかいた眉を下げて、にっこり微笑む。

 空白が長かったのは、葛藤を黙らせるためだったのだろう。

 接客のプロってのはすごいな。客になる可能性があれば、どんな珍客にも応対する。

 俺は、一直線に、ショーウィンドーを指差した。



 試着室のほうで、かちゃり、と音がした。

 大げさで、投げやりにも聞こえるような、店員の声がした。

「まあ、よおくお似合いですよ。本当に、お綺麗で」


 奥から歩み出たのは、純白に染まった、花嫁の姿だった。

 裾をカーペットに引きずり、しずしずと、歩いてくる。

 身体にぴったりしたドレスのシルエット。長いシルクの手袋をはめて、頭に透けるヴェールを被っている。

 俺の前に、近づいてくる。


 いかがですか? 未来の旦那様。

 店員さんが目を細めて笑う。

 ほら、エスコートして!と言わんばかりに、俺の顔と手をすばやく見比べる。

 俺は宙に手を浮かべる。そこへ、白い手袋が触れる。

 俺たちは、雲の上を歩くような心地で、カーペットを歩く。

 二人、鏡の前に並び立つ。

 白と、黒。ユウコと、俺の姿が、そこにある。

 俺は汗ばんだ手で、ぎゅっと、彼女の手を握りしめる。


 い、一緒に受かろうな。

 鏡の中で、瞳を潤ませたユウコがこっくりとうなずいた。



お読みいただき、ありがとうございました。

感想、ご意見など、お気軽にいただけましたら、幸いです。


夜薙歌茅(ヤナギカガヤ)と申します。

かってに短編強化週間グランドフィナーレ、7作品めです。

一日、あるいは一週間、お付き合いありがとうございました!

皆様の日々に、一雫の潤いをお届けすることができたなら、光栄です。


皆様にまたお会いできますことを、お祈りして。


後書き(舞台裏)めいた事は、活動報告のほうでさせていただこうと思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ