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Chapter Nineteen



 突然の訪問者の知らせを受けて、ノースウッド伯爵エドモンド・バレットは上等の黒いガウンを羽織り、玄関先まで堂々と降りてきた。


 最初に寝室まで知らせを届けに来た使用人によれば──残念ながら、本来客を迎えるべき執事のピートはあまり役に立たない──なんとクレイモア伯爵その人本人が、たった一人の従者を従えるのみで現れたという。

 予想……いや、期待していたのよりもずっと早い到着に加え、クレイモア伯爵本人がわざわざ出向いてくるというのも予期していなかったことだ。

 使用人達は慌てふためき、急いで台所に火がくべられ、居間に明かりが灯された。

 そして、安眠を邪魔された仏頂面の屋敷の主が、妻と娘のいる暖かい寝室を後にして冷え切った玄関へ出向かうこととなった。


 豪奢ではないが、広さだけは自慢できるであろう中世屋敷の玄関に佇むクレイモア伯爵、ロチェスター・マクファーレンは、エドモンドが想像していたのよりもずっと小柄で青白い青年だった。

 焦げ茶色の外套に包まれた身体はずいぶんと細身に見受けられたが、酒を嗜みすぎるのか、腹の辺りだけが妙に太くなっている。

 とりあえずエドモンドは、自分の弟が、この恋敵よりずっと魅力的であることに一応の安心を感じた。問題の女性が盲目であるので、外見的な優劣がどこまで通用するかは謎であるが。


「このような時間にようこそおいでくださった、クレイモア伯爵。さぞお疲れだろう」

 エドモンドは礼節に従い、ロチェスターに握手の手を差し伸べた。「わたしがこの屋敷の主、ノースウッド伯爵エドモンドになります。お互い、そう遠くない領地を持ちながらも、お会いするのはこれが初めてですな」

 どういうわけか、ロチェスターはエドモンドの慇懃な挨拶に驚いた顔をして、差し出された手とエドモンドの顔を交互に見つめた。

「あ、ああ……僕はあまり……舞踏会のような社交の集まりは軽々しくて好きじゃなくてね……」

 そして、恐る恐る、まるで食べられてしまわないかと危惧しているようなおどおどとした仕草で、エドモンドの手を握った。

 なぜかエドモンドは可笑しくなって、わざとその青白い手を必要以上の力でぎゅっと握り返した。すると、誓ってもいい、ロチェスターは握手し終わった後に慌てて指の数を数えていた。もぎ取られていないか確認しているらしい。

 ふん、誰が貴様のような不味そうな肉を欲しがると思っている。

 エドモンドはそう呆れ返っていたが、しかし、屋敷の主としての威厳と節度を守ったまま、微笑を取り繕ってロチェスターを玄関から居間へ案内した。

「それはわたしも同じだな。舞踏会のような集まりにはあまり出なくてね。そのせいで今までお会いする機会がなかったのでしょうな」

 そもそも、この前に出た舞踏会では、二人の紳士の礼服に火を付けたあげく二階の窓から主催者を放り出したようなものなので、しばらくエドモンドに招待状が届くことはないだろう。

 その事実を今言ってやれば、ロチェスターはこのまま馬車へ逆戻りして帰ってくれるかもしれないと、エドモンドはぼんやりと思った。


 ロチェスターは案内されると大人しく居間へ入っていった。

 暖炉は火がおこされたばかりで、その火力はまだ心許ない。天井の高い造りの部屋はお世辞にも暖かいとは言えず、ロチェスターは外套を脱ごうとしなかったし、エドモンドもそれを勧めはしなかった。

 きょろきょろとした蛙のような目付きで、この招かれざる客はバレット邸の内装をせわしなく見回している。

 その目がふと、壁に掛かった巨大な肖像画に留められていた。

 エドモンドとローナンの先祖に当たる、五代前の当主の肖像だった。

 いかにも荒々しく厳しい顔付きと、堂々たる体躯で、狩りで仕留めたイノシシのような巨大な獲物を片手にぶら下げ、もう片方の手は猟銃に添えられている図が描かれている。全身肖像画としてはよくある構図だったが、掲げた獲物がイノシシというのは珍しいだろう。普通は野ウサギかガチョウのような小動物だ。

 それが、バレット家の男たちのすべてを物語っていた。

 いつだって、わたし達がその気になれば、お前もあのイノシシと同じ運命を辿ることになるんだぞと、言葉なく宣言しているようなものだ。

 なんといっても、五代の年月を経ても、エドモンドもローナンもこの先祖とそっくりの容姿なのだ。

「飲み物はいかがかな、ブランディは?」

「あ、ああ……欲しいね、助かるよ」

 ロチェスターもまた、単なる怯えた獲物になることを拒むかのように、不自然なほど胸を反り、肩をいからせ、声を強張らせて対峙してきた。領主であるエドモンド自らがデキャンタからグラスに注ぐ飴色の液体を、恍惚といっていいような表情でじっと見つめている。

 酒が入ると気が強くなる性質の男なのだろうなと、エドモンドは思った。


 ごくり、ごくりとゆっくりブランディを飲み干してしばらくすると、予想どおり、ロチェスターの顔付きはみるみる鋭気を養っていくように豹変した。

「ところで、僕の従姉妹いとこのことだが」

「とりあえず座らないかな、クレイモア伯爵。使用人に部屋を用意させているが、なにぶん夜中なのでね、もう少し時間が掛かってしまうだろう」

 引き続き丁寧に、エドモンドは客人を椅子へ案内した。

 ロチェスターは勧められた椅子に浅く座りはしたが、今にも立ち上がりたさそうな顔でソワソワとしている。

「僕の従姉妹のことだが……」

「今年の農作物の収穫はどうだったかな、クレイモア伯爵。それともクレイモアは畜産業の方が盛んだっただろうか?」

 あまり社交とは縁のないエドモンドだったが、弟のためを思えば少しくらい饒舌にもなれる。それに、このロチェスターにはどこか、からかってやりたくなるような脆弱さがあった。

「農作物……? さあ、領地のことは土地管理人に任せているのでね……。僕はあまり詳しくないよ」

「ほう、それは興味深い。任せきりにできるほど有能な土地管理人がいるとは、羨ましい限りだ」

「ところで、僕の従姉妹はどこに、」

「うちは今年から大麦の作付けに種類を加えてみてね。寒さに強く従来の種より収穫が遅いものだ。おかげで一時期に集中することなく、ゆっくり収穫することができた」

「はぁ……」

「森林の切り出しも、昔はすべて薪にしていたのだが、去年から加工を加えて建設用材木として外へ売り出している」

 ロチェスターの薄い反応にもかかわらず、エドモンドは流暢に続けた。「この事業は主に弟に任せているのだが、なかなか気の利く奴でね。おかげで少なくない収入を得ている」


 弟、という単語をゆっくり強調して言うと、ロチェスターは途端に顔を強張らせた。

 二人の男はしばらく無言で睨み合い、お互いを探り合っていた。

「……しかし、その弟君に爵位はないだろう」

 そして、静かに紡がれたロチェスターの声には、少なくない軽蔑が混じっていた。

 エドモンドは慇懃な口調さえ変えはしなかったが、しかし、その緑の瞳には怒りのようなものをたぎらせ始めていた。

「確かに。しかし、わたしにはまだ娘しかいない。もし今わたしに何かあれば、ノースウッド伯爵を継ぐのは彼だ。爵位はないが、いくつかの事業で悪くない財産を持っている。今はまだ独身なのでここに同居しているが、所帯を持てば、領内に自分の屋敷を建てるだろう。ここよりは小さくなるだろうが、もっと洒落た屋敷を、ね」

「…………」

 ロチェスターは顔を赤く染めだした。

 怒りか。嫉妬か。

 エドモンドは滑らかに続けた。

「もちろん、彼らがここに住み続けたいのなら、わたしも妻も大いに歓迎する。どちらにしても、あなたの従姉妹殿が不自由することは、まずないだろう」

「僕はそんな許可を出した覚えはない! 彼女は僕のものだ!」

 バンシーさながらに顔を額から顎まで真っ赤にさせたロチェスターは、ガタンと音を立て椅子から立ち上がった。

「僕は……僕は彼女を引き取りに来たんだ。余計な御託は聞きたくない。彼女はまだ法的に、僕の保護下にあるはずだ」

 立ち上がっても、ロチェスターの背は座ったエドモンドとそれほど変わらなかった。

 しかし、先刻飲ませたブランディがすでに頭の神経にまで回っているのか、威勢だけはいい。

 エドモンドも立ち上がり、客人を威圧するように対峙した。

「その彼女は、目も見えない身体でボロ馬車に年老いた従者と二人きりで冬の北部の旅を強要され、遭難しかかっていたぞ、クレイモア伯爵。あなたに彼女の保護云々を語る権利があるとは思えない」

「それは……っ」

 反対の声を上げようと、ロチェスターがさらに顔を赤らめ、両手の拳を脇で硬く握り締めている時だった。


 居間の入り口に、きらめく金髪を肩に垂らしたままのネル・マクファーソンが、寝着に上着を羽織った格好で現れていた。

「ロチェスター……」

 もとから色白な彼女の肌は、驚きと落胆にさらに白さを増している。

 エドモンドは短く舌打ちをした。



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