48 冬の到来3
久々にヒーローが活躍?
エドワルドが皇都に帰還し、政権を掌握してから一月が経った。体調もどうにか回復しつつあり、バセットが顔を顰めて休む様に進言する回数は格段に減っていた。
体力の回復に伴い、彼は南棟にあるハルベルトが使っていた執務室を引き継ぎ、日中はそちらで政務をこなす様になっていた。
泊まり込まないのは病床にあるアロンが気がかりだったからだ。医者からもいつ急変するか分からないと言われており、本当ならば日中も出来るだけ近くに居たいと思うのだが、政務の手間を思うと我儘ばかりも言っていられない。朝、執務室に向かう前と、執務を終えて夜に自室に帰る折には必ず父親の病床を見舞う様にしていた。
その日、執務室で仕事をしていたエドワルドは、その気配を感じると手を止めて立ち上がった。そして露台に続く窓を開けて外に出る。
「グランシアード」
露台の向こうにいたのは彼のパートナーだった。忙しくてなかなかかまってやれないのだが、飛竜の方がこうして会いに来てくれるのだ。庭に降り立ち、精一杯伸びをして2階にいる彼に頭を寄せる様は微笑ましい。エドワルドも露台から手を伸ばしてその頭を撫でてやれば、飛竜はうっとりとしてその手に頭を擦り付けてくる。仕事に追われるエドワルドにとって、これはほんのひと時の安らぎだった。
「どうした?」
飛竜が急にピクリと体を緊張させる。エドワルドが訝しむと、飛竜が彼の腕を咥えて引き寄せるので、露台の手すりから半ば落ちる様にして飛竜の背に乗る。その衝撃は未だ完治していない肋骨に響いて思わず呻くが、グランシアードはそのまま飛び立った。
「グランシアード?」
日中とはいえ、いつ雪が降り出してもおかしくない天気である。部屋着にしている厚手のシャツとズボンに薄手の上着を羽織った状態のエドワルドはその寒さに思わず身震いする。どこかへ連れて行きたいらしいのは理解できたが、凍える前に着いてくれと思わず願っていた。
「で、殿下、いかがなされましたか?」
着いたのは上層の着場だった。係官が慌てた様子で尋ねて来るが、聞きたいのはエドワルドも同じだ。だが、エドワルドに答える間も与えずに、グランシアードは竜舎の中へものすごい勢いで入っていく。
「グランシアード、止まれ!」
通路に人がいれば間違いなく怪我人がでる。焦ったエドワルドは止めようとするのだが、飛竜は一目散に奥の室に向かう。幸いにも通路には誰もおらず、最悪の事態は避けられた。着いたのは最近、番と判明したファルクレインとカーマインの室だった。
アスターは所用で出かけているらしく、室にいるのは腹に卵を抱えたカーマインのみ。お腹に抱えた卵の重みで動きがままならないカーマインの頭を係官が2人掛かりで抑え込んでいた。仲間の危急をグランシアードは察してエドワルドを連れて来たのだろう。
「お前達、何をしている?」
グランシアードの背からひらりと飛び降りると、エドワルドは室の中に足を踏み入れる。どうやら2人は何かを無理やり食べさせようと、飛竜の口をこじ開けようとしているらしい。
「いや、その……」
「これを……その、食べさせるように命じられたので……」
突然現れたエドワルドに2人は腰を抜かさんばかりに驚き、そしてその無言の圧力にしどろもどろになって応える。彼等が手にしているのは芋の塊だった。何でもない芋をここまでカーマインが拒否する事の方が逆に疑問に思う。
「中に何が入っている?」
エドワルドの問いに2人はギクリとなる。やがて騒ぎを聞きつけた係員や竜騎士達が駆けつけて来る気配がし、慌てた2人は身をひるがえして逃げようとする。
「待て!」
まだまだ完全に復調していない状態ではあるが、長年で培った身のこなしで難なく一人を取り押さえ、もう1人は阿吽の呼吸でグランシアードがその襟首を咥えて捕えた。そこへようやく係官が到着する。
「この2人はどこの所属だ?」
遅れて到着した係官達にその身柄を引き渡してエドワルドは問うが、彼等は一様に首を傾げる。どこぞから応援として来たらしいのだが、その辺りがどうも曖昧だった。とにかくそれらを全て吐かせるように命じると、拘束された2人は少し乱暴に連れ出された。余計な仕事が増えたのだ。その気持ちは分からなくもない。
「この芋を無理に食べさせようとしていた。調べてくれ」
エドワルドは転がっていた芋を拾うと竜騎士の1人に手渡す。蒸した芋には切れ目があり、何か加工してあるのが一目瞭然だった。竜騎士は敬礼して受け取ると早速その芋の調査にその場を退出する。
見張りに2名の兵士を残して他は仕事に戻る様に命じ、エドワルドは通路を塞いだ状態のグランシアードにも室に戻る様に促す。小声で知らせてくれたことを褒める事を忘れない。すると大きな飛竜は機嫌よく自分の室に戻って行く。最後に怯えているであろうカーマインを宥めようと室に再び足を踏み入れると、背後から通路を駆けてくる足音が聞こえた。
「カーマイン!」
そこへ息を切らしたマリーリアが駈け込んで来た。カーマインの危急に気付き、北棟からここまで走って来たのだろう。息を整える間も惜しく室に入ると、奥で怯えていた飛竜はマリーリアの姿に安堵して顔を寄せて甘える。
「殿下……兄上が助けて下さったんですか? ありがとうございます」
エドワルドの姿に気付き、マリーリアは律儀に頭を下げる。呼び直した呼称に思わず顔がにやけてしまいそうだが、状況を考慮して慌てて顔を引き締める。
「グランシアードが気付いた。アスターは出ているのか?」
「はい、もう戻るはずなんですが……」
実はエドワルドは子供の頃、自分を兄と呼んでくれる存在が欲しかった。この年になってようやくその念願がかなったのだが、堅苦しい彼女はなかなか兄と呼んでくれない。それをつい先日指摘したところ、ようやくそう呼んでくれるようになったのだ。
内心で達成感に浸っていると、今度はドドドドッと勢いのある足音と共に背中にアスターを乗せたままのファルクレインが現れる。そして飛竜は周囲に目もくれずに室の中へ入り込むと、心配そうに番に顔を寄せた。さっきまでパートナーに甘えていたカーマインは、とたんに番に甘えた声を出している。
「誰かを跳ね飛ばさなくて良かった……」
その背からホッとした様子でアスターが飛び降りる。その安堵感はエドワルドも十分理解出来て思わず一緒にうなずいていた。
当の飛竜はもうそんな事はお構いなしで、夢中で番を構っている。少し腹立たしくなったアスターは着けていた装具を少し乱暴にはぎ取っていた。
「殿下、ありがとうございます」
「いや、間に合ってよかった。だが、一番の功労者はグランシアードだな」
「そうですか。ならば、今夜は好物を添える様に伝えておきましょう」
アスターの決定を伝えられ、グランシアードは上機嫌で喉を鳴らした。
慌てて駆けつけてきた係官にアスターはファルクレインの装具を渡し、室の中にいたままのマリーリアを促して外に出る。そこでようやく上司が部屋着に室内履きという姿でいる事に気付き、慌てて自分の外套を差し出した。
「すみません、宜しければこれをお使いください」
「助かる」
すっかり体が冷え切っていたエドワルドは、ありがたくその外套を受け取ると体に巻きつけるようにしてはおった。幾分かましになったが、飛竜に合わせて天井が高い竜舎の中は、床暖房が入っていてもしんしんと冷えてくる。
「私の部屋に行きましょう」
竜舎からはアスターの執務室が一番近いので、一先ずそこで報告を待つことになった。アスターの采配により、執務室には既にエドワルドの着替えが用意され、冷えた体を温める飲み物も準備されていた。
すぐに机に山となっている書類にかかり始めた部屋の主に勧められ、エドワルドは暖炉の前で冷え切った体を温め、暖かな着替えに袖を通した。そしてマリーリアが淹れたお茶を飲むとようやくほっと息をつく。
「それにしても、カーマインに何をしようとしていたのでしょう?」
自分にもお茶を淹れ、それを一口飲むとマリーリアは不安を零す。
「芋の塊を無理に食べさせようとしていた。その芋の調査を命じたが、おそらく中に薬か何か仕込まれているはずだ。だが、芋一つに仕込める量の薬では、飛竜はせいぜい体調を崩す程度だ。カーマインは卵を抱えているから、もしかしたら狙いはそちらだったかもしれない」
「そんな……どうして?」
エドワルドの推測にマリーリアは絶句する。
「玄人にしては随分と雑な仕事ですね。何者かに雇われたのでしょうが、それにしてもある程度の計画は立てられていたはず。期限が迫っていたか、想定外の事が起きたか、とにかく今日、実行に移さなければならなかったとみていいでしょう」
「今までにも何かあったのか?」
山積みの書類をさばきながら顔も上げずに答えたアスターにエドワルドは鋭い視線を送る。エドワルド自身にも余裕が無かったこともあるが、今までにそんな報告は受けていない。
「近づく世話係に対してファルクレインがやたらと神経を尖らせているんです。単に番に近づく者を警戒しているだけかと思っていたんですが、今日の事でその理由が分かりました」
「なるほど」
どうやらアスターも確信があったわけではない様だ。2人の話を黙って聞いていたマリーリアは1人不安げな表情を浮かべている。どうやら彼女が気に病むのを分かっているから、あえて口に出して言わなかったのだろう。
「警備を強化するか……」
「そうですね。飛竜達も協力してくれるでしょう」
飛竜は弱い者を守ろうとする傾向がある。本宮にいる飛竜達はカーマインが卵を抱えている事を察しているらしく、特に雄竜は彼女を守ろうとする行動が顕著だった。今日のグランシアードの行動もそれによるものだろう。
「卵に……雛に一体何をするつもりなんでしょうか?」
「芋に何を仕込まれていたかによるな。本当に狙いが卵だったかも分からんし、現段階では何とも言えん」
「確かに……」
尋問も芋の検分も難航しているのだろう。報告がなかなか上がってこない状態に痺れを切らし、エドワルドは一旦部屋に戻る事に決めて腰を浮かせる。残してきた仕事の中には急ぎのものも含まれていた。グラナトやサントリナ公といった重鎮達の仕事も滞っているかもしれない。
「仕事に戻る。後で纏めて報告してくれ」
「かしこまりました」
アスターはすぐさま若い竜騎士を呼ぶと、南棟に戻るエドワルドの供を命じる。若い竜騎士は突然の命令に緊張でガチガチに固まってエドワルドに敬礼する。彼は苦笑してそれに応え、部屋の主とその恋人にお茶のお礼を言って自分の執務室に戻った。
グランシアードに連れ出されたエドワルドが急に部屋からいなくなり、執務を補佐していたウォルフを始めとした侍官は随分と慌てたらしい。だが、混乱が大きくなる前に気が利くアスターから連絡をもらい、大事にならずに済んでいた。
しかし、仕事は増える一方なので、机の上にはグランシアードに連れ出された時に残っていた倍以上の書類が山積みとなって鎮座していた。
「仕方……ないか」
サボったつもりはないのだが、結果的に仕事を滞らせてしまったのは確かなので、諦めて席に着くと執務を再開する。小休止を挟みながら黙々と仕事をこなし、全て片付いた時には夜が更けていた。ずっと同じ姿勢でいて強張った体を解していると、扉を叩く音がする。
「アスターです。今、宜しいでしょうか?」
「構わない。入ってくれ」
何の用で来たかは聞くまでも無かった。おそらくはエドワルドの仕事が一段落するのを待っていたのだろう。返事をすると、アスターはすぐに執務室に入って来た。
「報告を聞こうか」
エドワルドは席に座り直し、アスターは報告書を机の上に置いた。姿が見えないところをみると、マリーリアは先に休ませたのかもしれない。
「捕えた男達はワールウェイド領からの避難民でした。担当者の話では、小神殿の紹介状を持っていたので採用し、当初は様子を見る為に馬の世話を主にさせていたそうです。仕事ぶりも真面目で試しに飛竜達の世話をさせたところ、臆することなく世話をしたのでそのまま人手が足りなかった竜舎へ配置換えをしたそうです」
「紹介元の小神殿に確認はしたのか?」
「紹介状は偽装された物でした。その小神殿では今年、避難民には紹介状は発行されておらず、昨年かその前の年のものをもとに作られた偽物でした。一見しただけでは区別がつかない程巧妙に作られています」
エドワルドの眉間に皺が寄る。明らかに不機嫌な様子だが、この程度で臆していては、彼の副官は勤まらない。アスターは冷静に報告を続ける。
「当人達に尋問した所、一月ほど前に親切な男がその紹介状を譲ってくれたそうです」
「その親切な男とは?」
「名も知らない相手で、酒場で意気投合したと言っております」
要は、その男は自分の目的の為に捨て駒になる男を探していたのだろう。エドワルドは優雅に足を組み、考えるそぶりをしながら先を促した。
「その色々というのは具体的に?」
「休みの折に城下で会い、竜舎の様子等を話すと酒を奢ってもらえたそうです。そしてつい先日、あの薬をカーマインに盛る様に頼まれたそうです」
「二つ返事で受けたのか?」
「いえ、さすがにそれはまずいと思った様で、最初は断ったそうです。ですが、色々と脅されて最終的には報酬に目がくらんで引き受けたそうです」
ありがちなパターンである。エドワルドが一つため息をつく。
「離れて暮らす家族に危害を加えるとか、本宮内の情報を漏らしている事をばらすとか言った事をネチネチと言われた他に、いつの間にか周囲をその男の仲間に囲まれていたそうです」
「なるほど。それで、その薬が何かは知っていたか?」
「そこまでは聞いてないそうです。芋に仕込む方法を教えてもらったそうですが、それでも食べようとしなかったので無理やり押し込もうとしたところへ殿下が来られたと言っておりました」
「そうか……」
期待はしていなかったが、やはりあの2人は何も知らされていなかった。まだこの騒ぎは広まっていないだろうが、雇われているのはあの2人だけとは限らない。今から城下を捜索させても、別口から情報を得ていれば、その親切な男は仲間ともども既に逃亡しているだろう。
「手遅れかもしれませんが、僅かでも手がかりが得られればと思いましてその酒場を調査させております」
エドワルドはうなずくと一通り目を通し終えた報告書を机に置いた。
「使われていた薬は何か分かったか?」
「堕胎薬の一種だったようです。人間には劇薬ですが、飛竜に効くかどうかは疑問です」
「カーマインの産卵を阻止して何の益が有るのか……」
「勘繰った見方ですが、こちらでの産卵が失敗に終われば、マルモアの神殿は堂々とカーマインの引き渡しを求められます。そこまで執着する理由までは分かりかねます」
「マルモアか……。探ってみたいが、余裕はあるか?」
「ワールウェイド領の問題が解決しましたので、本格的に討伐が始まるまでは手を裂けます」
「そうか……」
前日にロベリア、フォルビア、ワールウェイドの3総督から増援の傭兵部隊のおかげで全軍の配置が完了した旨の書簡が届いていた。ギリギリになったが、これで最大の懸念が解消されたことになる。
しかし、ワールウェイド領の問題が解決したからと言って、討伐を間近に控えた現状では余裕は殆どないはずである。それでもアスターが引き受けるのはカーマインに、ひいてはマリーリアに関する事だからだろう。
「上級の室には古参の係員が世話をする様に言いつけ、交代で見張りをたてています。他の飛竜達がいれば問題ないのでしょうが、これから討伐期に入るとどうしても隙が出来ると思いますので、人員を割く事に致しました」
「仕方ないだろう。カーマインが産卵し、子竜が無事に孵るまではそうしてくれ」
「かしこまりました」
アスターは了承し、すぐに執務室を後にしようとするが、そこへ慌ただしい足音が近づき、少し乱暴に扉が叩かれる。
「何事だ? 騒々しい」
アスターが誰何すると、返事をするのももどかしい様子でマリーリアが室内に転がり込んできた。
「マリーリア、どうした?」
よろめく体をアスターが支え、エドワルドは腰を浮かせる。
「兄上、大変です。陛下が……御危篤だと……」
「何?」
兄と呼んでもらったのを喜んでいる場合じゃなかった。すぐさまエドワルドは北棟に駆け出した。なりふり構わずアロンの部屋に駆け込むと、既にセシーリアとアルメリア、ソフィアの3人がアロンの寝台を囲む様にして見守っていた。
「父上」
セシーリアが場所を空け、エドワルドは寝台の脇に跪く。手を握ると氷の様に冷たかった。
「父上……」
再び呼びかけると、少しだけアロンは目を開けた。そしてエドワルドの姿を認めると安堵したように再び目を閉じる。
「父上?」
控えていた医師が確認するが、静かに首を振る。アルメリアとマリーリアはその場に泣き崩れ、セシーリアは両手で顔を覆った。ソフィアはエドワルドとは反対側から握りしめていた手に縋り、エドワルドはその場で固まった様に涙を流した。
3日後、アロンの葬儀が行われた。列席したのは身内のみで、国主の葬儀としては異例なほど簡素に執り行われた。
「父上……」
アロンの棺が霊廟に納められ、順に花を供えて祈りを捧げた。泣き崩れる女性陣をそれぞれの伴侶や恋人が支える様にして連れ出し、エドワルドは最後に花を供え、改めて国の再建を誓った。
霊廟を後にしても涙がこらえきれず、彼は天を仰いだ。すると、冷たいものが顔に落ちてくる。
「雪……」
曇天からひらひらと白いものが舞い落ちてくる。タランテラにとうとう辛く長い冬が到来した。
番にデレデレのファルクレイン。同じ区画にいる他の飛竜……グランシアードとフレイムロードは常に当てられっぱなし。
大柄な飛竜はモテるので、グランシアードは繁殖用の雌竜にモテモテ。ちなみにグランシアードの番はフォルビア正神殿に健在で、既に6頭の子竜をもうけています。
逆に小柄なエアリアルは見向きもされない……。




