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群青の空の下で  作者: 花 影
第2章 タランテラの悪夢
91/156

40 不穏な気配3

「殿下、申し訳ありません。ラグラスに逃げられました」

「何?」

 ゴルトが報告した内容に一同は愕然とする。

「詳細を」

 いち早く気持ちを切り替えたエドワルドは、椅子に座りなおすとゴルトに詳しい報告をするようにうながす。他の出席者たちもようやく我に返り、全員の視線がゴルトに集まる。

懺悔ざんげをしたいと言うラグラスの要望をロイス神官長は嫌な顔せずにお引き受けくださいました。担当の役人の話では、足枷だけでなく、念のためにラグラスの両手を拘束し、担当者以外に牢番も立ち会わせるようにしていたのですが、ラグラスの強い要望でロイス神官長以外は席を外す事になったようです」

 焦燥しきった様子のゴルトにマリーリアが飲み物の杯を差し出すと、彼はそれを一気に飲み干した。どうやらフォルビアからほとんど休憩を取らずにウォリスを飛ばしてきたのだろう、続けて出されたおかわりも彼は一気に飲み干した。

「神官長は懺悔を聞く為に毎日城に来て下さっていました。ラグラスは暴れる事も無く、従順な様子でしたので、3日目からは現場の判断で手を拘束するのは止めたそうです。そしてその翌日、牢番達が退出して間もなく、悲鳴がしたので戻ってみると、神官長を羽交い絞めにしたラグラスがいつの間にか入手していたナイフで脅していたと……」

「ロイス神官長は?」

「人質として連れ去られてしまいました」

「何か要求はあったか?」

「私が向こうを出立した時点では何もありませんでした」

「そうか……」

 遠く離れた皇都に居ては状況を把握するにも時間がかかる。歯がゆい思いに苛立つが、現状の確認が済んだらすぐにでもヒースやリーガスをあちらに戻さないといけない。

「それにしてもいったいどこでナイフを……」

「身体検査はしなかったのか?」

 エドワルドが竜騎士達を一瞥すると、代表してヒースが答える。

「もちろんしました。牢内もあらかじめ調べましたし、食器に関しましても金属製の物は使用していません」

「そうか……と、なると何者かが持ち込んだことになるな」

「内通者がいる可能性は確かにあります。あの日はクレスト卿がロベリアに行かれていて、私は元々ヘデラ夫妻の所領だった町へ視察に行っていました。他の主だった竜騎士も出払っていたので、対応が遅れました。偶然にしては出来過ぎている気がします」

「……」

 エドワルドは険しい表情で考え込む。領民にうとわれていても、自分が思っている以上に親族達の影響力が強いのだろうか?

「各神殿に連絡は?」

「フォルビア周辺の神殿には小竜を使って知らせました。それからトビアス神官の要請でフォルビア正神殿に駐留する傭兵が同行してくださいまして、大神殿へ報告に行かれました」

 ゴルトの報告にエドワルドはうなずく。フォルビア正神殿で雇われた形となっている3人の傭兵の話は、盗賊の一件と一緒に皇都に到着する前に船内で報告を受けていた。頭の痛い問題が山積みで、優先順位をその都度確認しながら解決してきたがここまで来てまた大幅な見直しが必要になった。思わずため息が漏れる。

「分かった。大神殿にはこちらからも知らせておこう。あと、時間が取れれば、彼に直接会って協力を要請しよう」

 そうは言ったものの、この会議の後は有無を言わさず寝台に縛り付けられそうだ。エドワルドの背後に控えているバセットからはそろそろ休めと言わんばかりのプレッシャーが絶え間なくかけられている。アスターかヒース辺りに頼むことになりそうだ。

「向こうを出立した時点の情報ですが、ラグラス達はフォルビアの街を出た後北西に向かい、小神殿で休息し、更には旅に必要な物資を手に入れています。その神殿の神官長が言うには、ヘデラ夫妻の所領に向かう途中だと説明を受けたそうです」

「地図を」

 エドワルドの要望に応え、フォルビアの詳細な地図が用意される。

「ルークを呼んでくれ」

 飛竜で飛び回っただけでなく、2度にわたり陸路フォルビア領内を調査したルークはこの場に集まった一同の中で一番地理に明るい。扉の外で待機していた彼は、呼ばれてすぐに入って来た。

「お呼びですか?」

「お前の意見を聞きたい」

 そこでもう一度ゴルトが地図を使用しながらラグラスの逃走経路を判明している範囲で説明する。

「街を出た後、北西にあるこの神殿に立ち寄り、更に西にあるこの小さな村の住人が一行を目撃しています。それを最後に消息がつかめなくなっているのですが、向こうに戻ればまた新しい情報が入っていると思われます」

「ガウラに向かっているのか?」

「そう見せかけてタルカナに向かう可能性もありますね」

 ブランドル公の呟きにアスターが意見を付け加えるが、それにヒースが異を唱える。

「だが、盗賊対策の検問がある。それは難しいのではないか?」

「うーん……」

 正直、入手できた情報が少なくて現時点では判断が難しい。

「私はフォルビアに留まると考えています」

 地図を睨みつけていたルークがおもむろに口を開く。

「どうしてそう思う?」

「我々の裏をかくと言うのが理由の一つです」

「確かにそれはあり得るな。他は?」

「妖魔の襲来が間近に控えています。うまく隣国に逃げ込めたとしても、結局はそこで一冬こさなければなりません。ロイス神官長を利用して神殿に滞在することも考えられますが、妖魔討伐の時期に担当地域から高位神官が出歩くのは不自然です。そうなると身分を隠して宿を使うか、あるいは隠れ家を確保するにしても、その為にはまとまった資金が必要です。身代金を要求すればそれは手に入りますが、勤勉では無い彼等がすぐに使い切るのは目に見えています」

「なるほど」

 ラグラスの人となりを知るエドワルドもアスターも納得してうなずく。

「奴の性格からして慌てる我々をどこからか見て楽しんでいるのではないかと思います。いずれにせよ殿下が復権なされた時点で反逆罪が適用されるのですから、失敗しても自分に下る刑罰は同じだと割り切ったのではないでしょうか」

「もし、フォルビアを出ずに一冬過ごすとしたら、お前はどこだと思う?」

「多分、この辺りではないかと」

 ルークが地図上で指したのは、彼等が拠点にしていたマーデ村の近くにある山だった。

「第2警戒区域内ですが、西側の中腹には建国当初に作られた砦が残っています。霧が届かない場所にありますし、一冬越すには問題ないかと思われます。ラグラスの所領からは少し離れていますが、行き来できない距離ではありません。勝手を知った場所でもあるので、資金が底を尽きれば、最悪の場合力づくでも領民から奪えると考えるのではないでしょうか。無論、決めつけるのはまだ早いですから、結論はもう少し情報を得てから出した方が宜しいかと思います」

 ルークの説明にエドワルドは大きくうなずいた。普段の飛竜の飛行ルートからは外れた位置にあり、エドワルドも砦の存在は知っていても現物を目にした事は無い。古い物だがおそらく頑丈に出来ているだろう。つい数年前、城壁の閉鎖に間に合わなかった隊商が竜騎士に発見されるまでの半月程をそこで過ごしたという記録を目にした記憶がある。

「そうだな。ヒース、ルーク、休む暇が殆どないが、すぐに戻り、ロイス神官長の保護を最優先にラグラスの行方を追ってくれ。リーガス、第3騎士団も妖魔対策に忙しいとは思うが、補助を頼む」

「かしこまりました」

「了解です」

「エルフレート、君も準備が整い次第ワールウェイド領に行ってくれ。事の次第をリカルドに説明し、君達も出来る限りフォルビアの手助けをしてくれ」

「はい」

 エドワルドの指示に竜騎士達は神妙に頷く。背後からの圧力もあり、エドワルドはここで一旦会議を終了した。





「それは真か?」

 大神殿にある最上級の貴賓室。ベルクが就寝前に寛いでいた所へ部下がグスタフの訃報を知らせてきた。

 昼間、死んだと思われていたエドワルドの突然の帰還に、彼は大慌てで部下に事実確認を命じていた。同じく死んだと思っていたエドワルドの副官も生存が確認され、悪辣な方法でエドワルドが処刑されかけた事も聞いた。更には既に国主の署名入りの書状によってゲオルグの国主代行もグスタフの宰相位も白紙撤回され、エドワルドが新たな国主代行に任じられていると言う。

 時間が経つにつれて上がってくる報告にベルクは焦りを覚える。一番の気がかりは例の薬草を栽培しているワールウェイド領の薬草園とのつながりである。ラグラスは詳細を知らないので問題ない。だが、全てを知るグスタフが口を割ってしまうと、自分にも疑いの目が向けられてしまう。

 だが、幸いにも今年の収穫分を積んだ船は出航準備がほぼ整っている。現物が無い限りはどう騒がれようともごまかせる自信はあった。後は叔父の威光をちらつかせれば、自分よりもはるかに若い皇子はきっと大人しくなるだろう。うまく交渉できれば、あの薬草園を寄進という形で撒き上げられるかもしれない。

 そうやって色々と対策を講じていた所、本宮の様子をさらに詳細に調べて来る様に送り出した部下がグスタフの訃報を知らせて来たのだ。

「あの若造が手を掛けたのか?」

「いえ、それが……。どうも逆上したゲオルグ殿下に刺殺されたようです」

「何?」

 ゲオルグとも面識のあるベルクは、我儘に育った彼が気に入らない事があるとすぐに癇癪かんしゃくを起す事も良く知っていた。有り得るだけに一笑に付すことも出来ない。

「合議の間で午後から御前会議が開かれていた様なのですが、紛糾した様子で随分と怒号が飛び交っていました。衰弱した国主は早々に退出されたのですが、それからしばらくして慌てた様子で医者が呼ばれ、扉が開いた折に中をチラリとだけ伺えたのですが、宰相殿が倒れておられました」

「……よし、マルモアへ使いをやれ。船は予定通り明朝に出航させろ。絶対に奴らに積み荷を見られないようにするんだ」

「かしこまりました」

 グスタフが死んだのなら、あの薬との関わりが知られる心配が無くなった。ベルクはホッと胸を撫で下ろす。

 資質の高い者がもてはやされる今の風潮が変わらない限り、あの薬の需要が無くなる事は無い。特に見栄を張りたがる高位の貴族達が、自家から大母や竜騎士を排出しようと躍起になっており、ベルクはそんな彼等を救済するという名目の下、この薬を高値で売りつけていた。そして自家の名誉がかかった彼等は、それに何の疑問も抱かずに彼の言い値でその薬を買っていく。

 聖域に流れ着いた難民をうまく利用して作らせてきたが、勘のいい聖域の竜騎士に気付かれそうになり、移動せざるを得なくなった。そしてより多くの収穫を得るために莫大な投資をして新たな施設を作ったのだ。まだ元を取っていないのに、今更こんなに儲かる商売をやめるなんて考えられない。

 春になれば新たな賢者が選出される。自分が選ばれるために大金を使って買収を進めてきた。叔父の威光もあるので、ほぼ間違いなく自分が選ばれるだろうと言われている。勿論それで終わりではない。最終的には自分が大賢者として大陸に君臨するのが目標である。その野望をかなえる為にはまだまだお金が必要だった。

「そうだ、私は賢者になるんだ。堂々としていればいい」

 ベルクは自分にそう言い聞かせると、杯に注がれたままになっていたワインを飲み干した。




 皇都に着いたレイドは、同行したゴルトのおかげで面倒な手続きをすることなくすんなりと相棒のイルシオンを預け、大神殿へ向かうための馬を貸してもらえた。

 一般市民の立ち入りは制限されているらしく、人通りの少ない黎明れいめいの街を駆けて大神殿に向かった。門番に身分証と提示して用向きを伝えると、すぐに神官長の執務室へと案内される。

「どうぞ、こちらへ」

「失礼します」

 そこには神官長以外にもう1人、来客用のソファにふんぞり返ったベルクの姿があった。どうやらエドワルドの帰還という不測の事態が起き、慌てふためいた彼は少しでも情報を得ようとこの部屋に居座っているのだろう。

 レイドは身元がバレないか肝を冷やしたが、よくよく考えてみれば相手はレイドの顔など知る由もない。一度大きく息をはいて気持ちを落ち着けると、高位の神官2人に頭を下げた。

「フォルビア正神殿トビアス高神官の使いで参りました」

「トビアス高神官の?ロイス神官長ではなく?」

「はい」

 神官長は驚いた様子で聞き返す。だが、それだけで不測の事態が起きた事に気付いたらしく、レイドが差し出した書簡筒を受け取った。

 神官長はちらりとベルクを一瞥するが、彼は当然と言った様子でその場を動こうとはしない。仕方なく専用の鍵で封を開け、中の書簡に目を通すとみるみる顔が青ざめていく。

 その様子を黙って見ていたベルクは、おもむろに立ち上がると神官長の手から書簡を奪って目を通す。

「これは、真かね?」

「はい」

 神官長が受けた衝撃から立ち直るよりも早くベルクが質問してくる。レイドは仕方なく、つつましやかに応えた。

「私達がフォルビアを出立した時点で分かっていたのは書簡の内容の通りです。クレスト卿を始め、騎士団の方々は全力で捜索にあたられていますが、ラグラスがどこに行ったのかは不明です」

「……そうですか。分かりました。トビアス高神官にはロイス神官長の代理としてフォルビア正神殿をまとめて頂きましょう」

 我に返った神官長は、親交のあるロイスの身を案じながらも組織の長としての役割を果たしていく。無事に帰ってくることを信じ、彼が最も信頼している補佐官にその業務を一時的に託すと決めた。

 しかし、手紙の返事と共に一時的な任命書を作成し始めると、ベルクが横から口出しをしてくる。

「あちらにはわしの部下のオットーがおる。あ奴の方が位は上だ。一時的ならオットーに任せるべきではないかね」

「ベルク殿、確かにオットー高神官の方が位は高いかもしれません。しかし、非常時でもありますから、かの地の事を良く知るトビアス殿の方が適任だと判断いたしました」

 暗にタランテラの事に口を挟まないでくれとベルクに言っているのだが、それに気づいた様子もない彼は不満だったらしく更に言い募ってくる。

「ここはタランテラです。いくら里からのお客様である貴方様でもこれは明らかに越権行為ではありませんか?」

「……不愉快だ」

 神官長がキッパリ断ると、ベルクは不機嫌そうに言い残し、足音も荒く執務室を出て行った。そこでようやくレイドも安堵の息をもらした。

「お見苦しい所をお見せして申し訳ない。フォルビアから来られたのならお疲れでしょう。案内を呼びますので、部屋でお休みなって下さい」

「いえ、すぐに戻りますので大丈夫です。お気づかいありがとうございます」

「もう帰るのかね?」

 レイドが丁重に申し出を断ると、神官長は驚いた様子で目をしばたかせる。街に着く前にアレスに小竜で伝言を送っており、この後街の外で落ち合う予定だった。だが、例え時間があってもベルクと同じ屋根の下で過ごしたいとは思わない。

「雇われた身ではありますが、それでもロイス神官長には随分と良くして頂いております。少しでも早く戻り、あの方を助け出すお手伝いをしたいと思います」

「そうか。それなら仕方ない。だが、十分に気を付けて帰られよ」

「はい、ありがとうございます。それでは、私はこれで失礼いたします」

 神官長が急いで書き上げた任命書を納めた書簡筒を受け取ると、レイドは頭を下げて執務室を退出した。




 大神殿を辞去したレイドが本宮に戻ると、侍官が彼を呼び止めた。

「レイド卿でいらっしゃいますか?」

「はい」

「第1騎士団副団長とフォルビア総督がお会いしたいそうです。少し、お時間を頂けないでしょうか?」

 副団長に総督……おそらくはエドワルドの側近だろう。思いがけない大物からの申し出にレイドは迷いながらも応じる事にした。ただ、今着ているのは普段着である。こんな恰好で本宮をうろうろして大丈夫なのかそれが気がかりだった。

「構いませんが、その……こんななりで大丈夫でしょうか?」

「気になさる方々ではありませんので、ご心配は無用です」

「分かりました」

 総督を決めた事からしてフォルビアは当面国が管理するのだろう。そのフォルビア総督が誰になったのかも気にかかる。アレスを待たせてしまうかもしれないが、今後の為にも会っておいた方が得策だと判断する。単に好奇心が勝ったとも言うべきかもしれない。

 レイドが係員に案内されたのは西棟の上層、第1騎士団の副団長執務室だった。南棟の中枢区画に案内されたらどうしようかと思っていたのだが、堅苦しい場所では無くて胸を撫で下ろす。

「レイド卿をご案内いたしました」

「ご苦労、入って頂いてくれ」

 重厚な扉を叩いて侍官が声をかけると、思ったよりも若い声で返答があった。

「失礼いたします」

 室内は随分と散らかっていた。奥の机には書類が山と積まれ、壁際には雑多な物が箱に入れられて積み上げられている。辛うじて中央に置かれたソファとテーブルが片付いており、そこに2人の人物が座っていた。

 最初に声をかけてきたのは、フォルビアでの盗賊の捜索にも参加し、レイドも顔を知っているヒースだった。以前は第3騎士団の団長だったが、今回の事で移動になったのだろうと推測する。

「お呼び立てして済まない。第1騎士団副団長のアスター・ディ・バルトサスだ」

 もう1人は左目を眼帯で隠した若い男だった。この部屋の主がどうやら彼のようで、苦笑しながら散らかっている事を付け加えるように詫びてきた。

「落ち着かないかもしれないが、お掛け下さい」

「はい、失礼します」

 アスターとヒース……オリガやティムから聞いた話に加え、今まで拾い集めた噂話から統合すると、今、自分はエドワルドが最も信頼する側近に会っている事になる。その2人が揃っているという事は、エドワルドの名代として彼に面会を求めてきたのだろう。正直レイドは緊張していた。

「御用と伺いましたが?」

「貴公はフォルビア正神殿に雇われる形で滞在しているんだったね?」

「はい、そうです」

 盗賊の大掛かりな探索は終わった後も、レイドとガスパルとパットの3人は聖域との連絡が取りやすいという利点からフォルビア南部の検問所を兼ねた砦に交代で詰めるようにしている。

「我々の状況をどこまでお聞き及びか分かりませんが、正直に申し上げますとこの冬を乗り切るための人手が足りません。そこでお願いがあるのですが、フォルビアでの妖魔討伐に貴公の力を貸して頂けないでしょうか?」

 回りくどい美麗字句など省き、単刀直入な申し入れだった。礎の里の賢者相手に腹の探り合いばかり目にしてきたレイドにとって、清々しさまで感じてしまう。勿論、今のタランテラにとってそんな余裕すらないのが現状なのだろう。

「もちろん、ロイス神官長とはそのつもりで契約を済ませております」

「そうですか。ありがとうございます」

「ご助力、感謝します」

 2人は口々に礼を言って頭を下げる。ハルベルトに同行した大隊が1つ壊滅したのだ。厳しい冬を乗り切るためには1人でも多くの竜騎士を確保しておきたいのは確かだろう。

「失礼します」

 そこへ1人の女性が入って来た。レイドは彼女の目の覚めるようなプラチナブロンドにくぎ付けとなる。

「……マリーリア卿……かな?」

 レイドが思わず呟くと、凍てつくような視線を感じてピキリと固まる。視線の送り主は先程まで穏やかに会話を交わしていた副団長だった。彼女を言い当ててしまったのはまずかったかもしれないと、レイドは己の失態に内心焦った。

「……アスター卿、そんなに脅しちゃ可哀想でしょう?」

「余裕がない男だな」

 呆れたように騎士服姿のマリーリアが口を挟み、ヒースは冷やかすような視線を親友に送る。

「……余裕が無くて悪かったな」

 どこか憮然ぶぜんとした様子のアスターは立ったままのマリーリアから何かを受け取る。

 どうやら2人は相愛の仲なのだろう。レイドが彼女……正確にはその髪だが……に見惚れたのがちょっと、いや、かなり気に入らなかったらしい。

「ご助力に感謝して新たな許可証を用意させてもらいました。春までの期限付きだが、身分証代わりに使用してください」

 アスターが無言でマリーリアから受け取った物を差し出し、ヒースが代わりに説明をする。差し出された通行証は今レイドが持っている物と同様のものだったが、裏面に有る署名が別人のものである。

『エドワルド・クラウス・ディ・タランテイル』

 まさか国主代行直筆の通行証を頂けるとは夢にも思わず、レイドはその場で再び固まる。そこまで信用してもらえると、隠し事が多い分、逆に心が痛む。

 ラグラスが逃亡し、ベルクが不穏な気配を漂わせている現状では、さすがにまだフレア達の事を話すわけにはいかない。第一、これはアレスの役目だ。レイドはうっかり口を滑らせないよう、改めて気を引き締めた。

「本当に、良いんですか?」

「助力を頂けるならば、相応の便宜を図るのは当然だろうと殿下のお言葉だ」

「我々も準備が整い次第フォルビアに戻る。レイド卿もすぐお戻りになると伺っていますが、我々に同行してもらえないだろうか?」

 要するにフォルビアでは自由にしていいが、そこに着くまではタランテラ側の目の届く範囲にいて欲しいのだろう。当然と言えば当然の措置ともいえる。

 アレスが向こうに戻ると言えば、一緒に連れて行くつもりで小竜に伝言を持たせていた。予定が狂っても臨機応変に対応するだろうから心配はいらないのだが、アレスに何も連絡できないのが心苦しい。だからと言って変に断れば怪しまれてしまう。ここは素直に応じるしかない。

「分かりました。同行させていただきます」

「出立まで少し休まれると良い。部屋に案内させよう」

「はい、ありがとうございます」

 ここへ案内してくれた侍官が呼ばれ、レイドは一同に挨拶をすると執務室を後にした。




「気に入らんな」

 レイドが退出してもアスターは依然として不機嫌な様子だった。そんな彼をヒースはおかしそうに眺めている。

「本当に余裕がないな」

「そういう意味ではない」

 憮然として言い返すと、ずっと黙って2人のやり取りを眺めていたマリーリアが首をかしげる?

「何が気に入らないんですか?」

「何か……隠している」

「敵意は感じないんだがな」

 アスターの返答にヒースは苦笑して同意する。

「エヴィルを疑うつもりはないが、ただの傭兵ではないだろう」

 ヒース達がフォルビアの様子を探るのに一苦労していた頃、彼はエルフレートと共に使者の護衛として現れた。逃げた盗賊の探索という格好の口実を作ってくれたおかげで城の襲撃に参加する騎馬兵達をフォルビアへ多く送り込むことが出来た。勿論、遠方からも駆けつけてくれた竜騎士達のおかげもあるが、城の占拠も速やかに行われたのは騎馬兵団の存在が大きかったのは確かだ。

 実のところ、ヒースは他にリューグナーを捕らえたのも彼ではないかと考えている。酔っぱらって木箱に入って眠り込んだと言うのはありえなくもないが、それがマーデ村へ運ぶ荷物に紛れ込んでいたというのはあまりにも出来すぎている。組織だった何かが働いているのではないかと感じていた。

「とりあえず、しばらく様子を見る」

「そうしてくれ」

 そこへ侍官がヒースを呼びに来た。フォルビアへ出立する準備が整うまでに、まだする事があるのだ。

「事後処理、途中で任せることになるが、後は頼む」

「ああ、それは任せてくれ。その代り、フォルビアを頼むぞ」

「もちろんだ」

 いつも以上に厳しい冬が来ようとしている。2人は再会を約してがっちりと握手を交わした。

どうやらベルクの壮大な野望にタランテラは巻き込まれたらしい。

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