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群青の空の下で  作者: 花 影
第1章 群青の騎士団と謎の佳人
9/156

7 華の皇都1

 北の国も初夏を迎え、花が咲き乱れる季節となった。夏至を間近に控えたこの日、コリンシアは朝からそわそわしていた。

「まだかなぁ」

 グロリアの館の2階にある自分の部屋のバルコニーに出て、コリンシアは先ほどから空を見上げている。病気療養中の国主の見舞いと、数日後に行われる夏至祭に参加するため、皇都に向かうことになっている彼女をもうそろそろエドワルドが迎えに来る時刻である。それで飛竜の姿が見えないか、先ほどからずっと空を見上げていた。

 皇都に行くのは初めてではないが、今まではコリンシアの体力を配慮して主な移動手段は船だった。今回は初めて飛竜での長旅となる。それが嬉しくて、何日も前から待ちきれない様子でうきうきしていた。

「上ばかりご覧になっていますと、首が痛くなりますよ」

 部屋の中からフロリエが声をかけるが、それでも姫君はまだ空を眺めている。よほど待ちきれないのだろう。フロリエは苦笑しながらもオリガにもう一度服装の確認をしてもらう。

 この館で世話になり始めた当初から、着る物は侍女達と同じお仕着せでいいとフロリエは言っていたのだが、それはグロリアによって却下されていた。その為、折衷案として彼女のお古を頂いたのだが、それでも大公家の当主が着るものだけあって最高級の素材が使われている。目が見えないので地味でも気にはならないし、着心地は本当に良かった。

 だが、エドワルドはそれも気に入らなかったらしい。そして約束通り、あのピクニックの翌日には館に仕立屋をよこしてくれた。とりあえず着るものとして、その仕立屋が持参した既製品から普段着用を数着選び、腕に覚えのある侍女がサイズ直しを引き受けてくれた。その他にもドレスをいくつかあつらえる事になり、戸惑う彼女は細かいところまで採寸されて出来上がりの希望を細かく質問された。彼女には特に希望は無かったのだが、代わりにグロリアが一番熱心に注文を付けていたかもしれない。

 出来上がってきたものは本当に素晴らしいものばかりだった。仮縫いの時も、完成して納品された時も、自分のものではないのに館の侍女たちは総出で試着を手伝い、うっとりとその出来栄えを鑑賞していた。両日とも竜騎士のジーンが館に来て、彼女の小竜を貸してくれたので試着した自分の姿を見る事が出来た。しかし、見慣れないせいか自分の顔にも違和感を覚えてしまった。

 フロリエは今日、その時仕立てた浅黄色のドレスをまとっていた。裾の方に細かい花模様の刺しゅうがほどこされたこのドレスは、オリガをはじめとした侍女たちが一番似合うと絶賛したものだった。エドワルドは相変わらず忙しいらしく、結局ピクニック以来館に来ていない。今日はコリンシアを迎えに来るだけだったが、彼にも是非見てもらいたくてこのドレスに袖を通した。

「見えた!」

 コリンシアの弾んだ声と共に当人がバルコニーから駆け込んでくる。既に準備を整え、外出着姿の彼女はそのまま飛び出して行こうとする。

「お待ちくださいませ、お帽子をお忘れですよ」

 フロリエが声をかけると、コリンシアはあわてて引き返して帽子を被らせてもらう。そして仲良く手をつないで2人は階下へと向かい、いつも通りその後ろにはオリガが従う。コリンシアの荷物は既にオルティスの指示で使用人達が運んでくれていた。

 玄関を出るとちょうど5頭の飛竜が玄関先に着地したところだった。広くゆったりとしたつくりになっていたはずだが、さすがに飛竜が5頭並んでいると狭く感じる。

「父様おはよう!」

 コリンシアは真直ぐ父親に駆け寄っていく。

「おぉ。コリン。おはよう」

 グランシアードから降りたエドワルドが娘を抱き上げると、姫君は父親の頬にキスをして朝の挨拶を終える。

「おはようございます、姫様」

 今日のお供はいつも通りアスターとルークにリーガスとジーンが加わっている。

 ルークは夏至祭の目玉の一つ、飛竜レースに出る事になっていた。若手の竜騎士の育成が目的で、2年に1回開かれている。アスターも8年前にファルクレインと共に出たことがあったが、その時はしくも2着だった。皇都近辺を守る竜騎士に有利なレースだが、今回のルークとエアリアルは優勝も狙えると師匠である彼は密かに思っていた。

 もう一つの目玉は各騎士団の威信をかけた武術試合。それぞれの騎士団から選ばれた猛者が出場するこの試合にはリーガスが出る事になっている。ちなみにジーンは恋人の雄姿を観戦する為について来たのではなく、道中のコリンシアの世話をするためだった。

 コリンシアの荷物をオルティスから預かり、第3騎士団の期待の若手はリーガスと手分けして飛竜に固定していた。

「おはようございます、殿下、皆様」

 オリガに手を引かれ、少し遅れてフロリエが姿を現す。流行の衣服に身を包んだ彼女の姿を始めて見る男性陣は目を丸くして絶句する。ルークは驚きのあまり、せっかく固定したベルトが緩んでしまって荷物を落としそうになり、思わず見惚れたリーガスは恋人のジーンに足を踏まれ、一見平静を装っていたアスターは何をしようとしていたか忘れてしまった。気を利かせたティムが飛竜達に水を汲んできたのを見て、ようやくティムにそれを頼もうとしていたことを思い出したのだった。

「おはよう、フロリエ。これはまた……良くお似合いだ」

 エドワルドは眩しそうに眼を細める。先日の地味な服装の時よりも彼女はずっと美しく見える。

「ありがとうございます」

 フロリエはつつましく頭を下げて礼を言う。

「フロリエも一緒だったらもっといいのに」

 父親の腕の中でコリンシアが口をとがらす。

「無理をおっしゃってはいけません、コリン様。遊びに行かれるのではないのですから…。

 ご病気のお爺様にお見舞申し上げるだけでなく、皇家の一員として公式の行事に出席されるのです。コリン様ならご立派にお勤めを果たせます。戻られましたら、皇都の華やかな様子などを教えてくださいませ。」

 すかさずフロリエが言い含めるようにしてさとすと、小さな姫君は「はーい」と素直に返事をする。2人の様子をエドワルドは満足そうにながめる。

「さあ、おばば様にご挨拶して出かけようか?」

「はーい」

 娘を腕に抱いたままエドワルドは玄関に向かうが、そこへグロリアが自ら外に出てきた。

「おはよう、エドワルド」

「これは叔母上、おはようございます」

「おはようございます」

 エドワルドが挨拶すると、他の4人はあわててその場に跪く。

「道中気を付けて行ってきなさい。

 リーガス卿、ルーク卿、己に恥じる事の無い試合をして参れ。結果報告を楽しみにしております」

「は、はい、ありがとうございます」

 直接声を掛けられて緊張し、特にルークの返答は声が震えていた。

「コリンや、初めての公務となるが、このばばやフロリエの教えを忘れずに務めを果たすのですよ」

「はい、おばば様」

 コリンシアの返答にグロリアは満足そうに頷く。

「エドワルド、これはハルベルトに渡しておくれ」

 オルティスが盆に捧げ持ってきた封書をとると、グロリアはそれをエドワルドに渡す。宛名は明記されていないが、上質の封筒はグロリアのイニシャルをかたどった封蝋で閉じられていた。

「かしこまりました」

「それから、こちらはアロン陛下に。見舞いの文じゃ、直接渡しておくれ」

 グロリアはもう一通の手紙を取り出す。こちらには宛名にアロン・ハラルド・ディ・タランテイル様とあり、裏にはグロリア・テレーゼ・ディア・フォルビアとある。こちらは金箔をあしらったさらに上質な封筒が使われ、封蝋の型押しはフォルビア家の紋章が使われている。公式文書に匹敵する格式の高さだった。

「お預かりします」

 エドワルドはコリンシアを降ろすと、一礼をしてから2通の封書を両手で受け取った。そして丁寧に自分の懐に納める。

「よろしく頼みますよ」

 満足したのか、グロリアはそう言ってスタスタと館の中へ戻って行ってしまう。一行を見送るつもりはないらしい。

「では、そろそろ行くか?」

「はっ」

 まだカチカチに固まっている部下に声をかけると、彼らもようやく立ち上がって装具の最終チェックを行う。そんな中、オリガは意を決したようにルークに近寄ると、小さな包みを差し出す。

「あの…飛竜レース、頑張ってください」

「俺に?」

「はい……」

「あ、ありがとう」

 ルークは短く礼を言って受け取ると、それをすぐに懐へ納めた。じっくり中を確かめている暇はない。軽くオリガに頭を下げてエアリアルにまたがるが、先輩達からの痛いほどの視線を感じる。きっと、後で冷やかされるにちがいない。覚悟を決めつつ、顔がにやけるのをごまかすように騎竜帽を目深にかぶる。

「行ってくる」

 コリンシアを自分の体の前に乗せ、見送りに出ているフロリエとオルティス、オリガとティムに声をかける。

「どうぞ、お気をつけて」

 フロリエがそういうと、他の3人も頭を下げる。エドワルドは頷き返し、まずはグランシアードが飛び立つと残りの4騎も次々と飛び立った。

「行ってきまーす!」

 初夏の青空にコリンシアの元気な声が響いた。




 ロベリアから皇都まで飛竜を飛ばせば、通常であれば半日ほどで着く。しかし、子連れでそんな無茶はできない。とりあえず、皇都郊外にあるエドワルド所有の離宮まで2日かけて行き、着いた翌日に衣服を改めて皇都のタランテラ城へ赴く予定になっていた。

 天候も安定し、道中何事もなく予定通りに進み、グロリアの館を出た翌日の夕方に件の離宮に到着した。新婚の頃、エドワルドがコリンシアの母、クラウディアと過ごした場所のため、彼は一時この離宮に寄り付きもしなかった。時の流れが彼の心の傷を癒したらしく、5年ぶりに門をくぐっても以前ほどの悲しみを感じなくなっていた。

 翌日、白を基調に群青をアクセントにした夏用の竜騎士正装に身を固めた5人とお気に入りの青いドレスに身を包んだ姫君は皇都に向かった。

 夏至祭を2日後に控えた皇都は祭の準備でいつも以上ににぎわっている。その上空を5頭の飛竜はすべるように飛んでいき、そして城の西棟にある飛竜専用の着場に優雅に舞い降りた。竜舎の係員や侍官が素早く対応し、荷物を降ろすと飛竜達はすぐに西棟に併設される竜舎へ連れていかれる。グランシアードだけは気難しいので、ルークが皇家専用の室まで付き添う。

 侍官達がそれぞれの荷物を運んでくれるので、エドワルドは部下達にそれぞれの宿舎へ案内してもらって休むように命じた。そしてロベリアに赴任するまでこの城で生活していたエドワルドは案内を申し出た侍官を断り、娘の手を引いて皇家の住居がある北棟に向かって歩き出す。

「エドワルド、よく来た」

 竜騎士団の施設が集められた西棟を出たところで、数人の従者を従えた男が声をかけてくる。皇家の象徴ともなっているプラチナブロンドの髪をしたその男性はエドワルドの兄、ハルベルトであった。エドワルドとは歳が親子ほども違い、もう40を過ぎているが、元竜騎士の彼は現役のエドワルドと遜色そんしょくないほどの堂々とした体躯の持ち主だった。今でも時間があれば竜騎士に混ざって鍛錬を行っているらしい。

「兄上、お久しぶりでございます」

 エドワルドが頭を下げると、続けてコリンシアもちょこんとお辞儀する。

「おぉ、コリン。大きくなられた。もう立派な姫君だな」

「ありがとうございます、伯父上様」

 愛らしい姫君の姿にハルベルトは目を細める。

「父上の見舞いに来てくれたのだろう? 先ほどからお待ちになられている」

「ええ。叔母上からも手紙を預かっています」

「きっと喜ばれるだろう」

 長身の2人が並んで歩くと、目立つことこの上ない。城の中ですれ違う誰もが息をのんで道を譲り、2人を見送る。

 エドワルドの父でタランテラ国主のアロンは、半年前に突然倒れた。命は助かったものの、右半身が麻痺してしまい、介助が無くては生活できない状態になっていた。次代の国主にはハルベルトが内定しているのだが、決定権を持つ5大公家の全ての了承が得られずに即位式を挙げられずにいた。仕方なく、彼は国主代行として国政を預かる形となっている。

 長い廊下を歩き、皇家の住居となっている北棟の一番奥にある国主の部屋に一同は着いた。代表してハルベルトが扉を叩いた。

「父上、エドワルドとコリンシアが到着いたしました」

「お入り……」

 思ったよりも弱弱しい声で返事があった。ハルベルトが扉を開け、エドワルドとコリンシアを先に入らせる。そして自分もそれに続いてドアを閉めた。

「お久しぶりでございます、父上」

 奥の長椅子にアロンが座っていた。元気なころの父親しか知らないエドワルドは胸が詰まったが、どうにかこらえて彼の前に跪く。

「お爺様、お加減はいかがですか?」

 傍らでコリンシアが心配そうに声をかける。

「よぉ来たのぉ……」

 倒れた後遺症により言葉も少し不自由な様子で、アロンはそれだけ言うとかわいい孫娘の頭をなでる。

「エドワルド、コリンシアもこちらに来て座りなさい」

 ハルベルトが跪いたままのエドワルドの椅子を勧める。彼は礼を言ってコリンシアと共に勧められた席に座った。

「一時は命も危うかったが、ここまで回復された。侍医団の話では、少しずつ歩く練習をされるといいそうだ」

 長年アロンの身の回りの世話をしている年配の女官がお茶を淹れてハルベルトとエドワルドに勧める。コリンシアには良く冷やした果汁と焼き菓子を出し、静かに席を外した。

「そうでしたか。お倒れになったと聞いた時に駆けつける事が出来ずに申し訳ありませんでした」

 エドワルドの言葉にアロンは静かに首を振る。

「それは仕方のないことだ。そなたは任地での責務があったのだからな。ただ、送ってくれた見舞いの品と文は父上も大層喜んでおられた」

 アロンの代わりにハルベルトが返事をする。討伐で身動きが取れない焦燥感もあってか、エドワルドは知らせを受けてから幾度も父親の病状を尋ねる文を送り、ハルベルトはその度に詳細を手紙にしたためていた。快方に向かったと知らせが来てからもそれは続き、数日前にも手紙を送ったばかりだった。

「そうですか、喜んでいただけて良かった。……文と言えば、叔母上から手紙を預かってきました。直接父上にお渡しするように念押しされましたよ」

「おぉ……」

 エドワルドが懐から文を出すと、アロンは嬉しそうに左手で受け取った。叔母と甥という関係だが、両親が早くに亡くなったアロンにとって、グロリアは母親代わりでもあり、帝王学を叩きこんでくれた師匠でもあった。そんな彼女から手紙をもらい、嬉しいのだろう。宛名と差出人を確認すると、ハルベルトに封を開けて中身を出してもらう。中にはカードが一枚入っていた。

「ふぉっふぉっ……」

 カードを見たとたんにアロンは笑い出した。興味をひかれて横から覗き込んだハルベルトも思わず吹き出す。

「あの方らしい」

 父に一言断わると、ハルベルトはエドワルドにもカードを見せてくれる。それには一行、こう書かれていた。

『妾より先に逝く事は許さぬ』

「……見舞い…ですかね?」

 彼女なりの激励なのかもしれない。人生経験が豊富ならば、これを見て笑えるのだろうか?

 その後、お爺様を元気づける為にフロリエから習った歌をコリンシアが歌って聴衆から拍手をもらい、長居して病人を疲れさせる前に早々に部屋から退出した。皇都滞在中にまた顔を出し、アロンの体調が良ければ一緒に食事をしてもいい。エドワルドはひとまず父親の顔を見て満足し、まだ傍にいたがる娘を抱き上げて連れだした。




「エドワルド、ちょっと寄っていきなさい」

 すぐに部屋に戻ろうとするエドワルドを引き止め、ハルベルトは2人を自分の居室へ招いた。「お菓子もあるよ」といわれ、コリンシアはエドワルドの腕から降りて伯父の後をついていく。

 ハルベルトは北棟の2階に一家で住んでいた。1階の父親の住居とは完全に独立したつくりになっており、それはエドワルドがロベリアに赴任する前と全く変わっていない。ちなみに3階にはエドワルドが独身の頃に使っていた部屋がそのまま残されていた。皇都に来た時は今でもその部屋に宿泊している。

「お久しぶりでございます、叔父上様」

 ハルベルトの住居で出迎えてくれたのは、彼の15歳になる娘のアルメリア皇女だった。一族特有のプラチナブロンドの髪は彼女にも受け継がれており、結い上げられて美しい髪飾りで彩られている。

「久しぶりだね、アルメリア。随分ときれいになられた」

 エドワルドはお世辞抜きでそう挨拶し、彼女の手にキスをした。実際に中から光り輝くようで、なんだか眩しく感じてしまう。

「ありがとうございます、叔父上。コリン、あちらにお菓子があるの。いらっしゃい」

「はーい」

 大人同士で話があるのを分かっているらしく、彼女はコリンシアを誘って奥の部屋へ連れて行く。綺麗なお姉さんに手を引かれ、彼女は上機嫌でついていく。

 その後ろ姿を父親2人は見送ると、ハルベルトは弟を客間に案内する。彼に仕える古参の女官が冷たい飲み物を用意して静かに去ると、兄弟2人だけとなった。

「アルメリアは随分綺麗になりましたね」

「ふむ。内々にだが、ブランドル家の子息との婚約が決まった。夏至祭の折に正式に発表になると思う」

「ほぉ……それはおめでとうございます。また祝いの品を吟味して贈ります」

「ふむ」

 娘の婚約は喜ばしいのだが、父親らしく一抹の寂しさを感じているのかもしれない。ブランドル家も5大公家の1つなので、家格もつりあい、先ほどのアルメリアの様子からしても相手の子息との仲はとてもいいのだろう。

「義姉上の姿を見かけませんが、今日はどちらに?」

 こんな時は自らお茶を用意してくれる義姉の姿が見えず、エドワルドはいぶかしんで尋ねる。

「所用で留守にしておる」

 ハルベルトの答えはそっけない。喧嘩でもしたのだろうかと思い、彼はこれ以上このことに触れないことにした。お茶で喉を潤し、グロリアから預かった手紙を手渡した後はしばらく互いの近況を語り合うのだが、何分素面で男同士である。会話が続かない。そろそろ部屋に引き上げようとしたところでハルベルトが口を開く。

「エドワルド、妻をめとれ」

「え?」

 唐突な兄の言葉に彼は目が点になる。第一、命令されてすぐに出来るものではない。

「どういうことですか?」

「私は国主になれないだろう」

「どうしてですか? 次代の国主は兄上に内定していたはずです!」

 エドワルドは兄の発言に思わず声を荒げる。国主の選定は5大公家の当主により決められる。アロンが引退の意思を表明した3年前に選定会議が開かれ、ハルベルトが国主に選ばれるはずだった。しかし、ワールウェイド公が猛反対し、内定という中途半端な形で決着していた。

「皇子のいない私が即位したのでは将来にまた混乱を招く。若くともしっかりとした後ろ盾が付いているゲオルグの方が次代の国主に相応しいそうだ」

「ばかな……」

 ゲオルグは現在18歳。両親を早くに亡くし、ワールウェイド家で甘やかされて育ったため、皇家においては数年前のエドワルド以上の問題児だった。エドワルドは遊んでいても公務はおろそかにしなかったが、ゲオルグは任地にもおもむかず、昼間から仲間と酒を飲んで遊び歩いている。トラブルも起こしているが、それらは全てワールウェイドが権力でもみ消していた。

「お前には言ってなかったが、昨年、アルメリアにゲオルグとの縁談があった。あの愚か者に大事な娘をやれるわけがない。即座に断ったが、今度は先ほどの理論を持ち出して内定しているはずの私の即位に待ったをかけた」

「……」

「義兄上が意義を唱えると、あのゲオルグを私の養子にすれば認めると言う。叔母上が引退されて10年。対策は怠らなかったはずだが、あの男は着実に政を掌握している」

 苦虫をかみつぶしたかのような表情にハルベルトの苦悩を感じ取る。だが、それと自分の結婚とどんな関係があるかわからず、エドワルドは首をかしげる。

「それで……私の結婚とどう関係が?」

「そなたに即位してもらいたいのだ」

「え?」

 ハルベルトの言葉にエドワルドは固まる。

「私に息子がいないことが養子の件を持ち出された要因でもある。アルメリアにも帝王学は学ばせてはいるが、この国の慣例では皇子が優先される。仮に私が即位できたとしても、その次代でまたもめる事になる。アルメリアの婚約を急いだのも、ゲオルグとの縁談をまた持ち出されるのを防ぎたかったからだ。幸い、ユリウスとはうまくいってるようだ」

 娘の話になると、少しだけハルベルトの目も和らぐ。

「そなたは若い。新たに妻を娶れば皇子も生まれるだろう。そなたが即位すれば、その子へと自然に受け継がれる。それを認めさせるのも困難かもしれないが、我々にも意地がある。」

 ハルベルトの言葉にエドワルドは唇をかみしめる。

「ですが、兄上、義姉上だってまだ……」

「先日、セシーリアは流産した。医師の話ではもう子は望めぬらしい。姿が見えないのは離宮で静養しているからだ」

「……」

 エドワルドは言葉に詰まる。

「ワールウェイドをこれ以上野放しにはできない。これはサントリナ家、ブランドル家とも共通の認識として一致した。リネアリス家は既にワールウェイド側についているとみられ、フォルビア家の代表は叔母上がおられるにもかかわらず、中立を明言した。この分だとワールウェイド側に回るのも時間の問題だろう」

「ですが……あまりにも勝手ではありませんか? エルダは…エルダはどうなるのですか?」

 エドワルドはようやく恋人の名を口にする。彼女はこの兄の差し金でエドワルドの元に送られたのだ。

「確かに、彼女には酷な事をしたと思う。だが、元々は2年という約束だった。それを引き止めたのはそなた自身だろう?」

「……」

 エドワルドは本気で彼女を愛していたので、真相を知った上でも引き止めてプロポーズをしたのだ。だが、どうあがこうとも彼女はこの先、決してそれを受けてくれない事も分かっていた。

「今しばらくはこのままでもどうにかなるだろう。だが、決断は早い方がいい。考えておいてくれ」

 ハルベルトの言葉に強く反論できない。しかし、応じることもできずにただ「部屋に戻ります」と言ってエドワルドは客間から出て行った。




エドワルドがコリンシアを迎えに行くと、彼女は沢山の玩具に囲まれていた。

「見てー、父様、すごいよー」

 いくつものドールハウスに沢山の人形。積み木に合わせ絵、山積みのぬいぐるみ。色鮮やかな挿絵入りの絵本もある。アルメリアと侍女達と共にそれらに囲まれたコリンシアは、どれから遊んでいいか分からない状態になりながらも幸せそうだった。

「すごいな、これは。……どうしたのだ?」

「昔、私が遊んでいたものでございます、叔父上」

 絶句するエドワルドにアルメリアは微笑んで答える。どうやらハルベルトも娘には相当甘いらしい。

「そうか。話が終わったから、そろそろ部屋に戻ろう、コリン」

「えっー、もっと遊ぶ!」

 コリンシアは頬を膨らます。

「叔父上、よろしかったらこちらでコリンを預かりましょうか?」

 アルメリアがそう申し出る。

「え?」

「妹ができたみたいで、とても嬉しいのです」

 コリンシアの頭をなでながらアルメリアが微笑む。彼女には弟と妹がいたのだが、いずれも体が弱く、幼い時に他界していた。セシーリアの事も聞いていたので、彼女の気持ちをおもんばかり、エドワルドは強く反対できなかった。

「コリン、そうさせてもらうか?」

「うん!」

 彼女は元気よく頷いた。

「伯父上やお姉ちゃんの言うことを良く聞くのだぞ」

「はい。いい子にしていると、フロリエと約束したの」

「そうだな」

 エドワルドは娘の頭をなでると、「では、頼む」とアルメリアに言ってハルベルトの住居を後にした。

 ちょうど1人になりたかったこともあり、彼は内心助かったと思った。だが、これは裏で着々と進む計画の序章である事を彼はまだ知らなかった。




 エドワルドは昔使っていた居室に戻ると、侍官に命じてコリンシアの荷物をハルベルトの部屋に運ばせる。そしてようやく堅苦しい正装を解くと、寝台に寝ころび兄に言われたことを思い返す。

 彼が言いたいことはよく分かるが、どこか素直に従えない。エルデネートの事もある。複雑な気持ちで悶々としていると、侍官が来客を告げる。のろのろと起き上がり、客に会いに居間へ行く。

「お久しぶりでございます」

 客はエドワルドの姉の夫、サントリナ公カールだった。彼は50代半ば。でっぷりした体型に薄くなった頭、愛嬌のある外見とは裏腹に政治家としてはなかなかのやり手だった。

「お久しぶりです、義兄上」

 執務の合間に寄ってくれたのだろう。彼は笑顔でエドワルドを迎えた。

「皇都に着いたばかりでお疲れかもしれませんが、ソフィアが今夜の晩餐ばんさんに招待したいと申しております。今夜のご予定はございますか?」

「今夜? 特に予定はありません。喜んで伺いますよ」

 エドワルドは笑顔で答える。カールは満足そうにうなずくと、招待状を差し出す。

「それでは、こちらを……。迎えを寄越しますので、是非ともアスター卿といらして下さい」

「分かりました。男2人でむさくるしくなりますが、よろしくお願いします」

「それでは、後ほど」

 2人は笑顔で握手をし、カールは再び執務に戻っていった。


どうでもいいウラ話

18年前、エレーナがガウラに嫁ぐときに付き添ったハルベルトは、かの国の貴族の令嬢セシーリアに一目ぼれし、即座にプロポーズしてお持ち帰りしたらしい…



エドワルド、兄と姉の策略に翻弄されています。

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