32 かけがえのない存在2
普通ならば、飛竜の背中に乗る久しぶりの感覚に心躍るのだろうが、今のアスターには焦燥感しかなかった。ラグラスに嫁がされると聞いて初めて自覚したマリーリアへの気持ちが一層彼を駆りたてる。
ファルクレインの後にカーマインがついてくる。聞くところによると近日中にワールウェイド城から迎えが来るらしく、このままだとマリーリアを助けられてもカーマインとは離れ離れになってしまう。あの山荘にただ残しておくのは不安だったのだ。ファルクレインの状態にも不安があり、彼がひどく体力を消耗する様子ならばカーマインに乗せてもらおうと考えたのだった。
「呼ぶまで待っていてくれ」
ロベリアにいる飛竜が気付くか気付かないかギリギリのところでファルクレインから降りたアスターは、2頭の飛竜の頭を撫でて言い含めた。
自分の生存が知られていない今、状況によってはその方が有利に働く場合もある。アスターはここから徒歩でロベリアに向かい、知っている秘密の通路で騎士団長の執務室へ入るつもりだった。そこにはおそらく親友のヒースがいる。彼から現在の状況を聞き出し、対策を練るつもりだった。
「ファルクレイン、カーマインを守るんだぞ」
もう一度飛竜に言い含めると、ファルクレインは当然とばかりに一声吠えた。アスターは2頭の頭を撫でると、夕日を体に受けながらロベリアへの道を歩き始めた。
夜が更けた頃、ようやくロベリアについた。閉門時間を過ぎており、街の門は固く閉ざされていた。だが、彼は慌てることなく街の北側へ移動する。5年間この地で暮らしたおかげで、この街にあるありとあらゆる抜け道を心得ていた。もっともそれは、赴任したばかりの頃にエドワルドが夜遊びしに抜け出すのを阻止する為に覚えたのだが……。まさか今になってこれが役に立つとは思わなかった。
さして苦も無く街の中どころか総督府の敷地に入り込むと、建物と建物の隙間を縫うように進み、団長執務室を目指す。真っ暗な通路の先、明かりがわずかに漏れ、複数の人の気配がする。耳を澄ますとなかなか物騒な会話が聞こえてくる。
「もう、遠慮はいらないだろう。明日の夜、強行突入する」
「今からじゃないんですか?」
「殿下からのご指示だ。出来るだけ多くの者にその瞬間を目撃させ、言い逃れできなくするのが狙いだろう」
ここまで話が進んでいるのなら、もうコソコソする必要もなさそうだった。音をたてないようにそっと出口となっている壁の一部を動かして部屋に入る。ちょうど壁に掛けられたタペストリーに遮られて、執務室に集まった一同には彼の姿がまだ見えていない。だが、風が室内に吹き込んでくるので、タペストリーが捲れる前に急いで壁を元に戻した。
「ウォルフの提案通り、あの船を奪いますか?」
「そうだな。元はと言えば皇家の所有する船だ。殿下が使うのに何の問題は無い。二手に分かれよう」
ヒースの他に第3騎士団の面々が見える。アルメリア姫と死亡したと伝えられているエルフレートの姿もある。危険を冒してでもエドワルドを助けようとする彼等の熱い思いが嬉しくて、不謹慎だが笑いが止まらない。
「誰だ!」
「なかなか、物騒な計画を立てているじゃないか。私も混ぜてくれないか?」
ヒースの誰何に姿を現すと、一同はポカンとして彼の顔を見つめる。死んだ事になっているし、見てくれが少し変わってしまったので直ぐに分からないのも無理はない。抑えていた竜気を緩めると、彼等は立ち上がってアスターを取り囲んだ。
「アスター!」
「アスター卿!」
「お前、生きて……」
真っ先に来たヒースはアスターの顔を掴んで離さない。実物かどうか確かめているのか、集まった竜騎士全員にもみくちゃにされる。
「イテテ……痛い」
手荒な洗礼にアスターが根をあげると、ようやく手が緩んだ。ホッとしたのも束の間、ヒースに力いっぱい抱きしめられる。
「く……苦しいぞ」
「黙れ。……本当に……よかった」
ヒースの声が震えている。よく見ると、彼の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。彼だけではない。リーガスやクレストといった第3騎士団の中核を成す竜騎士達もみんな涙を浮かべている。特にルークは涙が止まらないらしく、袖でゴシゴシ拭いていた。
「身動きが取れなくて、そうするしかなかった。すまん」
「確かに……そうだな。だが、お前、目を……」
「左目だけで済んだ……と思う事にしている」
「そうか」
改めて風貌が変わってしまった親友の顔を見て、ヒースが無念そうに呟く。だが、まだやるべきことが有るアスターは意外なほど割り切っている。
「ルーク、コイツを届けてくれてありがとう。助かった」
「いえ……」
腰に差す2本の長剣のうち、ハルベルトから譲られたものを指してアスターが礼を言うと、ルークは泣き笑いの状態で顔をぐしゃぐしゃにしている。その彼の肩をポンポンと叩くと、彼はとうとう嗚咽を堪えきれなくなっていた。精神的に参ってしまうまで追い詰められ、抑え込んでいた感情が彼の姿を見て安堵し、一気に爆発したのだろう。
興奮冷めやらぬ様子だったが、ヒースの指示で竜騎士達はアスターから離れる。そこでようやくアスターは少し離れたところで立ち尽くしているアルメリアの姿が目に入った。彼は彼女の側に寄ると、その場で跪いた。
「敵を欺くためとはいえ、姫様を始め皇家の方々にも偽っておりましたことを深くお詫び申し上げます。戦闘はまだ不安が残りますが、皇家の臣として再びお仕えする事をお許しください」
「……アスター卿、よく……よく、戻ってきて下さいました。許可など必要ありません。貴公がタランテラに仕える竜騎士である事は変わりありません。どうか……皆と共に……」
アルメリアは感無量で言葉が続かなかった。横にいたユリウスがそっとその肩を抱いて支えた。
「かしこまりました」
アスターは深々と頭を下げ、そして立ち上がると一同を見渡す。
「強行突入とか船を乗っ取るとか物騒な事を話しあっていたが、現状を説明してくれないか? 役に立ちたい」
「もちろんだ。一番華々しい所へ行ってもらう」
ヒースは人の悪い笑みを浮かべると、自分の隣に座る様身振りで示す。改めて全員が席に着き、先ほどよりも熱気の籠った作戦会議が再開される。
「完全に復調してないんだ。お手柔らかにしてくれよ」
「お前なら大丈夫だ。殿下を迎えに行ってくれ」
詳細を聞くまでもなく、強行突入組に入れられたようだ。
「……ありがたいが、ファルクレインもまだ本調子ではないぞ」
「それでもだ。殿下をお救いするのはお前とルークが適任だろう。先行してくれ」
まだ目が赤いルークも神妙に頷く。そこから改めてヒースからアスターに現状を伝え、アスターはワールウェイド領に属しているが、ルバーブ村が味方してくれることを伝える。そして最後にルークがもたらしたウォルフの手紙をアスターに見せると、さすがの彼もラグラスやゲオルグの所業に思わず言葉を失う。
「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、救いようのない馬鹿だな」
ゲオルグが皇家の血を引いていない事を知っているアスターは言葉にも遠慮が無かった。そのはっきりとした物言いに一同は苦笑するしかない。
「その馬鹿が乗ってきた船をエルフレート卿とケビン、ゴルトに頼む」
「お任せください」
回ってきた大役にエルフレートは神妙にうなずく。
「リーガスとキリアン、トーマスは必要とあれば代わりに動くつもりでアスターの指示を仰げ」
「分かりました」
いずれも武術に長けた竜騎士を選んだのは、復調していないアスターに配慮しての事だろう。
「クレストとジーン、ユリウスは総督府で待機」
「な……私も……」
参加する気満々だったユリウスは納得がいかず、身を乗り出す。
「お前は姫の護衛だ。賛同を得たとはいえ、まだ油断はできない。ジーンと共に姫のすぐ傍に控えてお守りしろ」
「しかし……」
「それに、今、お前を危険に曝す訳にはいかない。分かるな?」
「……」
ヒースに言い含められ、ユリウスは項垂れる。以前、アルメリアの為にも自分の身を大事にしろとハルベルトに言われたのを思い出したのだ。
「他の者は私と共に、西砦から堂々とフォルビア城に向かう。きっと多くの観客が後をついて来て、その現場を目にするだろう」
現在ラグラスは自分の身辺を自領から連れて来た兵士とグスタフから譲り受けた傭兵達に守らせている。フォルビアの竜騎士達は境界の警備に当たらせ、その多くがロベリアに接する砦に振り分けられていた。そこに駐留するほとんどの者がラグラスの言葉を鵜呑みにしている。
フォルビアの騎士団が守る城壁を事前通告なしに通り過ぎれば、彼等も黙ってはいないはずである。そのままヒース達がフォルビア城へ向かえば、追ってきた彼等もその場に居合わせる事になる。
後は事前に潜入させていた騎馬兵達と予測される援軍の配置を決め、レイドが探ってきた城下の警備情報とオルティスが提供した情報をもとに、城を制圧する手順を確認して一応作戦会議は終了となった。
会議が終わり、執務室に残ったのはヒースとアスターとクレスト、そして強行突入組となったリーガスとルーク、トーマスだった。キリアンは万が一に備えてマーデ村で待機しているので、この後リーガスが決定事項を彼に伝える事になっていた。
「大事な作戦だが、その前に彼等の力を借りていいか?」
「どうした?」
何か思いつめた様子のアスターにヒースだけでなく他の竜騎士達も首をかしげる。
「大事な人を取り返しに行く」
「……」
それで何となく事情を察したヒースが盛大な溜息をつき、何か言いかけたところで、執務室の扉がノックも無しにいきなり開いてバセットが入って来る。
「ヒース卿、今しがた殿下がとんでもない目に合っていると聞いたのじゃが……」
彼はその先を言おうとしたところでアスターの姿が目に入り、驚きのあまり言葉が途切れる。
「爺さん、ノックぐらいしてくれ」
「アスター……あんた生きとったんじゃな……そうか、そうか……」
ヒースの苦言も耳に入らない様子で、アスターの側に寄ると彼も実物かどうか確かめるように彼の肩を掴む。
「お主、目を……」
「命は助かりました。殿下の救出に役立ちたいと、戻ってきました」
「そうか……ちょっと見せて見ろ」
医者として気になるのだろう。アスターは素直に従って眼帯を外した。
「……」
曝された傷跡に一同は思わず息を飲む。バセットは難しい表情で傷跡を確かめるように指でたどり、その周辺を軽く押す。まだ場所によっては引き連れるような痛みがあり、アスターは思わず顔を顰めた。
「よぉ助かったのぉ……。奇跡じゃよ。まだ痛む様じゃが、他に変わった症状は有るか?」
「これの後遺症かどうかははっきりしないが、時折ひどい頭痛がします」
「ふむ……。詳しく検査をしてみんと何とも言えぬが、やはり影響を受けておるのじゃろう。薬は有るのか?」
「ええ。飲むと眠くなるのが難点ですが」
「それは致し方あるまい」
一通り診て納得したのか、ようやくバセットがアスターから手を放す。やはり傷痕を人前に曝すのは抵抗があるのか、彼はホッとした表情で再び眼帯を付けた。
「で、その看病をしてくれた恩人は一緒ではないのか?」
「……取り返しに行く相談をする所でした」
「馬鹿者が。なぜそうなる前に阻止せなんだ?」
互いの気持ちにとっくに気付いていた老医師は呆れた様子でアスターを叱り飛ばす。鬼の元副団長にここまで言える人物はなかなかいない。
「是非とも聞かせてもらおうか?」
今まで黙って2人のやり取りを聞いていたヒースや他の竜騎士も興味津々といった様子で身を乗り出してくる。
「……今朝までそんな事になっているとは知らなかった。言い訳かもしれませんが、ルバーブ村を引き合いに出されれば、彼女は断る事も出来ません」
「確かにそうじゃの」
「ある程度回復してからは村から出て、村長が管理しているという山荘でファルクレインと療養していたので情報が私の元まで届かなかった。確かに……昨日彼女は会いに来てくれたのだが、うまく話を聞き出せなかったし、頭痛が襲ってきてそれどころじゃ……。今朝になってベルント……村長の弟で自警団のまとめ役をしている奴が知らせてくれたんです」
自嘲気味に答えるアスターにバセットは盛大に溜息をつく。
「大方、また口論でもしたのじゃろう。全く……乙女心も分からん奴め」
じゃあ爺さん、あんたは分かるのかと言い返す元気はアスターには無かった。がっくりとうなだれるその姿見て、一同は図星だと気付くが、リーガスもルークもトーマスもそこを指摘するほど命知らずでは無い。必死で口をつぐんだ。
「で、どうするつもりじゃ?」
「フォルビアへ向かう街道は一つだけです。村長殿が探っているので、向こうに戻る頃にはもっと詳しい情報が集まっていると思います」
「手伝います。彼女は仲間ですから」
「私もご一緒させてください」
ルークとトーマスはすかさず名乗りでる。逆にマーデ村へ行かなければならないリーガスは残念そうにしている。
「お前達はそのまま向こうから突入してくれ。リーガスとキリアンは当初の予定通りマーデ村から城へ向かってくれ」
「分かった」
「了解です」
話はまとまった。アスターは急いで準備を整えたルークとトーマス、そして事情を聞いたエルフレート達、船強奪組と共に総督府を後にすると、待機させていた2頭の飛竜と合流してあの山荘に向かったのだった。
月が沈んでから夜が明けるまでの僅かな時間を利用してフォルビアとの境界を越えてリーガスがマーデ村に戻ってきたのは白々と夜が明け始めた頃だった。そんな彼を1人寂しく待っていたキリアンはホッとした表情で出迎えた。
エドワルド奪還の行動を起こす事が決まり、危険を回避するために非戦闘員であるディアナ親子とオルティス、そして捕えたリューグナーはロベリアに移っていた。ルークがウォルフから届いた情報を持ってロベリアに飛んで行ってしまうと、その静けさに寂しくなり、相棒のロイドフェルスの側で夜を明かしたのだ。もっとも、ラグラスとゲオルグの所業を知り、一晩の間に数えきれないくらい悪態をついていたので、飛竜にしては迷惑以外何物でもなかったかもしれない。
ただ、この日の昼頃にはフォルビアに潜入している騎馬兵団がここへ終結するので、逆にこの静けさが恋しくなるかもしれない。
「何? アスター卿が生きているのか?」
キリアンは思わずリーガスの襟首をつかんで叫んだ。アスターが生存し、復帰したと聞いて信じられずにリーガスを締め上げていた。
「おまえ、苦しいぞ」
リーガスは不快そうにキリアンの手を振りほどく。鍛えられた太い首は少々ではびくともしそうにないのだが、男に体を触れられて喜ぶ趣味は無い。一つ息を吐くと、キリアンに座る様に促して改めて会議の様子と作戦の内容を伝える。
「殿下はうまく屋外に出られますかね?」
「ウォルフとかいう奴の手腕に寄るだろう」
正直、リーガスはまだウォルフの事を信用しきれていない。だが、現状では彼のもたらす情報が頼りなのも確かで、渋い表情を浮かべる。
「防御結界張るつもりですかね。しかし、大丈夫でしょうか?」
「あの方なら何とかするだろう。問題は怪我の程度だが……」
肋骨が2本折れていると書かれていた。2ヶ月に及ぶ幽閉生活で体力も低下しているだろう。そんな状態で力を使っても長くは持たない。だが、その竜気で彼が生きてその場に存在し、ラグラスの言い分が虚言であることを城の周辺に集まった竜騎士達に知らしめることになる。だからこそ、多くの観客を集めろと指示されていたのだ。
「私は強行突入組ですか……。で、その先行部隊の他のメンバーはどうしたんですか?」
「アスター卿の手伝いだ。大事な人を取り返しに行くんだと」
「大事な人?」
首をかしげるキリアンにリーガスはマリーリアが輿入れすることになってしまった経緯を話した。
「で、あの人は彼女を奪い返しに?」
「そうだ」
「くそ……今からじゃ無理か……」
キリアンは歯ぎしりをしながら悔しがる。元々、トーマスとハンスと彼の3人で誰が残るか決めるくじ引きで負けたからだ。あの時勝っていれば、あのアスターがどんな顔して強奪した花嫁と対面するのか見物できたのだ。
「悔しいが、この憂さはフォルビア城突入で晴らすとしよう」
「そうだな。今までの恨みを込めてあの2人をボコボコにしてやる」
「遠慮はいらないが、殿下をお救いするのが先だぞ」
「分かってる」
リーガスの指摘にキリアンは不敵な笑みを浮かべる。不遇を蒙ったディアナ親子の恨みも込めて、少なくともラグラスには拳か蹴りの1つや2つをお見舞いしておきたいところだ。
「兵団が集まるまでまだ時間がある。少し休んでおこう」
やれるべきことはやってある。後はその時が来るのを待つだけだった。リーガスとキリアンは兵団が集まるまで交代で休憩をとる事に決めた。
「ふう……」
マリーリアは馬車に乗り込んでから幾度目かも分からないため息をついた。着なれないドレスに身を包み、きつく結い上げた髪は頭を動かす度に引き連れるように痛く、なんだか落ち着かない。
「お加減が優れませんか?」
向かいに座るエルデネートが心配げに声をかけてくれるが、彼女はゆるゆると首を振る。確かに、ここ数日はあまりよく眠れていなかった。特に昨夜は宿泊したワールウェイド家の別邸では気も体も休まらず、出立したのが日の出前だった事もあってほとんど寝ていなかった。
好きでもない男の元へ嫁がされるのだから無理もないのだが、本当は彼女を悩ましているのはその事では無かった。
「あんな言い方しなければよかった……」
村で過ごす最後の1日を、従兄の計らいでアスターと共に過ごしたのに、最後は口論で終わってしまったのだ。頭痛が起き、薬を飲んで寝室に下がってしまった彼を彼女はただ見送るしかできなかった。
あの時に輿入れの話をして本心を打ち明けていれば、恩を感じているアスターは何よりも優先して阻止しようとしてくれたかもしれない。だが、ファルクレインもアスター自身も本来の調子を取り戻していないし、現状ではマリーリアの事に構っている場合ではなく、主君であるエドワルドの事を優先するべきなのだ。だからこそ、話してしまう訳にはいかなかったのだ。
「マリーリア卿……」
彼女は何も言わなかったが、それとなく察しているエルデネートもかける言葉が見当たらない。意地っ張りな2人が心を寄り添えるようになるにはもう少し時間が必要だったのかも知れない。だが、その時間がもう無い。
新大公の認証式と婚礼というこの大きな行事に、きっと竜騎士達は動くだろうと確信してはいるものの、時間が経つにつれてじわじわと不安が広がってくる。このまま何事も無く明日を迎えれば、もう会う事が出来ないだろう。
「ふう……」
マリーリアはもう一度ため息をついた。輿入れについては元々グスタフの言いなりになるしかなかったので半ばあきらめていたが、アスターとの最後の思い出があんなつまらない口論で終わってしまったのを後悔していた。
「何だ? どうした?」
「おい、動け!」
馬車の外から護衛達の狼狽した声が聞こえてくる。閉められていたカーテンの隙間から外を覗いてみると、護衛が乗っている馬が乗り手の意に反して立ち止っている。逆に馬車は止まることなく、むしろスピードを上げて進み、置き去りにされて呆然としている護衛達はどんどんと離れていく。我に返った何人かは言う事を聞かなくなった馬を降りて追いかけて来るが、到底追いつける速度では無かった。
「何?どうしたの……」
口ではそう言うが、竜騎士としての訓練を受けた彼女には分かっていた。何者かが圧倒的な竜気に任せて護衛達が乗っている馬を操っているのだ。それが出来るのは高位の竜騎士ぐらいである。しかも騎乗した護衛は20人。それに加えて車を引く馬が4頭。だが、これだけの数を1人で操るのは不可能だ。
ガタン
今度は急に馬車が止まった。
「何者だ!」
誰かが立ちはだかっているのか、御者台にいた2人の護衛が怒鳴る声が聞こえる。マリーリアはたまらず馬車の扉に手をかけて外に出ていた。
「嘘……」
前方に隻眼の男が仁王立ちして立ちはだかっていた。気に入らなければ捨ててくれと意地を張ったメモ書きの伝言と共に置いて来たあの眼帯を付けたアスターだった。その彼に御者台から降りた護衛が2人がかりで斬りかかる。
「!」
彼はまだ十分に調子を取り戻していない。マリーリアは真っ青になるが、そんな彼女の心配をよそに、彼はその刃をかいくぐり、剣の柄で護衛を2人共殴って昏倒させる。
「アスター卿……」
マリーリアの呟きに、彼は長剣を鞘に納めると、ゆっくりと彼女に近寄ってくる。
「マリーリア」
少し離れたところで彼は立ち止まり、機嫌が悪いのかそのまま押し黙って視線を逸らしてしまう。だが、どことなくいつもと様子が違う。
「アスター卿?」
戸惑いながらマリーリアが問いかけると、彼は意を決したように顔をあげる。珍しいことに彼は緊張していた。
「この間は悪かった。ただ、困った事になっているなら相談して欲しかった」
「……ごめん……なさい。その……どうしていいか……分からなかったの」
「ベルントが知らせてくれたおかげで間に合った。良かった」
少し調子が出て来たのか、アスターもほっとした表情で彼女に近づく。だが、2人が触れ合えるほど近寄った時に、乱暴に馬車の扉が開けられる音がする。振り返ると、中に残っていたエルデネートが護衛の1人に捕えられて喉元に剣を当てられている。
「武器を捨てて大人しくしろ。女はこっちに来い」
「……」
やはり感覚が完全には戻っていなかったらしい。昏倒させたはずだったが、1人は殴り方が不十分だったらしく、アスターがマリーリアに気を取られている間に中に残っていたエルデネートを捕えて人質にしていた。
形勢逆転とばかりにその護衛は余裕の笑みを浮かべているが、彼が立っている位置が悪かった。邪魔された苛立ちをぶつけるようにアスターが一睨みすると、すぐ後ろにいた馬が護衛の向う脛を蹴り飛ばしていた。
「ぎゃあぁぁ」
加減は一切させなかったので、もしかしたら骨が砕けているかもしれない。剣を落とし、足を抱えて転げまわるその男を別の馬がのんびりとした動きで襟首を咥えて放り投げる。地面で体を強打し、その護衛はそのまま伸びてしまった。
自由の身となったエルデネートは少し青ざめていたが、怪我は無さそうだった。
「ごめんなさい。大丈夫よ」
彼女は気丈に微笑むと、2人に謝罪する。その姿を見て安堵したアスターはマリーリアに手を差し出す。
「命が助かっても君がいなければ何の意味もない。これからも一緒に戦ってくれるか?」
「……アスター卿」
「好きだ、マリーリア」
「わ……私も……」
マリーリアの目から涙が溢れる。そしてそのままアスターの胸に飛び込んだ。少しよろけたが、彼は彼女をしっかりと受け止め、そしてそのまま唇を合わせた。
「もう言いなりになって誰の所へも行くな」
「……はい」
「それから……眼帯、ありがとう。気に入ったよ」
涙が止まらないマリーリアは、アスターの腕の中でうなずいた。
「エルデネートさーん!」
そこへベルントが慌ただしく駆けつけてきた。折角の雰囲気を邪魔された気がして、こいつも馬で蹴ってやろうかとアスターは本気で思った。
作者も焦れる思いで見守っていたこの2人。
やっとくっつきました。やれやれ……。
次はいよいよ竜騎士達がフォルビア城突入します。




