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群青の空の下で  作者: 花 影
第2章 タランテラの悪夢
82/156

31 かけがえのない存在1

前半はほのぼの。後半は重い話になります。

 アスターは長剣を手に鍛錬をしていた。型の練習をしているのだが、療養の為に一月以上離れていたこともあってなかなかしっくりこない。彼は鍛錬を中断すると、その場に座り込んだ。

 フロリエとコリンシアの死亡の知らせを受けてから半月経っていた。あの後リカルドが帰って来るとすぐに相談し、彼はマリーリアの部屋を出てファルクレインが治療を受けている山荘に移っていた。

 もちろん、他の村人に姿を見られるわけにもいかず、暗いうちに狩猟に出るリカルドの弟ベルントのお供のふりをして村を出たのだ。彼の案内で山道を登り、目的の山荘に着いたのは昼過ぎだった。

 馬に乗っていたとはいえ、まだ十分に体力が回復していない彼は疲れ切っていたが、久しぶりに会うファルクレインの姿を見てそれもどこかに飛んでいた。手厚い治療と行き届いた世話をされた飛竜は随分と元気になっていて、その頃には運動で放されるカーマインとじゃれて遊ぶまで回復していた。

 近頃は羽ばたきも強くなり、以前の様にとまではいかないが飛べるようになっていた。もうじきここも引き払い、アスターも仲間の元へ行かなければならない。

「まだまだだな……」

 日の出とともに起きて鍛錬を始めたのだが、既に日は随分と高くなっている。朝食をとってからまた始めようと立ち上がったところで、山荘の裏にある湖に張り出した大きな岩の上で、日向ぼっこをしていたファルクレインがムクリと起き上がる。そして空に向かってゴッゴウと親愛の挨拶をした。

「カーマインか」

 見上げると、ちょうど飛んでくるカーマインの姿が目に入る。だが、今日はその背中に誰かが乗っていた。騎乗している人物は、アスターの姿を見つけて手を振ってくる。

「マリーリア?」

「おはようございます、アスター卿」

 優雅に着地したカーマインの背から降りてきたのはマリーリアだった。父親の命令で村を空けることが出来ないはずの彼女が姿を現し、アスターは首をかしげる。何かあったのだろうかと訝しむが、彼女の様子は何時もと変わらない。内心ほっとしながらも彼女が持参した荷物を受け取り、飛竜の装具を外すのを手伝う。

 装具を外してもらう間もどかしげにしていたカーマインは、身が軽くなるとすぐにファルクレインが日向ぼっこしている岩の上へ移動する。2頭は飛竜の挨拶を交わすと、短い秋の日差しを存分に楽しむためにその場で丸くなった。

「珍しいな、何かあったのか?」

「差し入れに来たのよ」

 飛竜2頭がごく自然に寄り添う様子を微笑ましく見守りながら、騎手の方は少しぎこちなく会話を交わす。マリーリアが持参した籠の中を覗き込めば、薄焼きのパンに野菜や卵、あぶり肉がはさんであるのが見える。朝食にしては量が多い気もするが、軽く体を動かした彼には何の問題も無かった。

「ありがたい。ちょうど食事にしようと思っていた所だ」

「そう? 一緒に食べようと思って私も食べて来なかったの」

マリーリアが嬉しそうに微笑むと、アスターは彼女をうながして山荘の中へ入っていく。

「ここ、久しぶりに来たわ」

 彼女にとってここは思い出の場所らしい。子供の頃に従兄と良く来て遊んだ話をしながらテーブルに籠の中身を広げていく。アスターはその話に耳を傾けながら、炉で沸かしておいたお湯で2人分のお茶を淹れた。

「お、ご馳走だな」

「ガレット夫人のお手製よ」

 さっき籠の中を覗いた時に見えたパンの他に香草入りの腸詰やキッシュ、スコーンに手作りジャムが並んでいる。

「ベルント殿に申し訳ないな」

「……そうね」

 マリーリアの答えに微妙な間があったのは笑いを堪えていたからだ。ベルントはルバーブ村に来たエルデネートに一目ぼれし、毎日のように口説いている。10歳も年上の相手に本気で結婚を考えているらしいのだが、当のエルデネートは全くそれを相手にしていない。周囲はそれを生暖かい目で見守っていた。

 村や家族の事、カーマインの様子やファルクレインの回復具合を話題にしながら2人は食事を楽しんだ。




 ガキンと刃が交わるとアスターの手から長剣が落ちた。肩で息をしている状態の彼はヨロヨロと落ちたその長剣を拾い、再び立ち上がって剣を構える

「少し、休憩しましょう」

 そんな彼を気遣い、マリーリアが声をかける。2人で模擬試合をしているのだが、回を重ねるうちにアスターは刃を交える回数が続かなくなっていた。隻眼というハンデに加えて明らかに体力が低下している為だ。

「いや、もう一回」

 思う様に体が動かないからか、マリーリアに負けて悔しいのか、アスターは少しムキになって再戦を申しこむ。

「焦ったところで一朝一夕にはどうにもならない……そう教えてくれたのは貴方では無かったかしら?」

「う……」

 少し……いや、かなり意地悪くマリーリアが言うと、アスターは言葉に詰まった。確かに昨年、剣術の指導を頼まれた時に似たようなことを言った気がする。

「休憩しましょう。ね?」

「……分かった」

 アスターは少しバツが悪そうに頷いた。




「はい、どうぞ」

「ありがとう」

 鍛錬の前に井戸水で冷やしておいたお茶をマリーリアが差し出すと、アスターはありがたく受け取った。今日は天気が良く、この時期にしては汗ばむほどの陽気だった。鍛錬で汗をかいた2人は、湖に張り出して作られた山荘の露台に並んで腰掛ける。ここからだと日向ぼっこに飽きたらしい2頭の飛竜が湖の中でじゃれて遊んでいるのが良く見えるのだ。

「ファルクレインもすっかり良くなったみたいね」

「ああ……。そろそろ合流しないとな」

 何の為に誰と合流するかは聞かなくても分かる。リカルドからロベリアの竜騎士が頻繁にフォルビアの様子をうかがっているのをマリーリアも聞いている。おそらくここを出れば、彼等が主と仰ぐあの人を助けに行くのだろう。

 本心を言うと彼女自身もそれに加わりたいが、父親から言い渡されている期限が明日に迫っていた。ロベリアとの連携が困難な現状では、大人しく従うしか道は無かった。そこで彼女の気持ちを察したリカルドがどうにかするからと今日一日の時間をくれたのだ。

「マリーリア?」

 気付けば心配気にアスターが顔を覗き込んでいた。物思いにふけっていたので話しかけられたのに気付かなかった。

「ごめんなさい、考え事してて……。何?」

 間近に彼の顔があってマリーリアはドキドキしていた。一方で左目に受けた傷跡を前髪で隠しているのに気付き、そういえば縫った眼帯を持ってきているのに渡すのを忘れていたと冷静に思い出す。

「いつごろまでに帰ればいいのか? と訊いた」

「えっと、多分日没までは大丈夫」

「そうか」

 何か思い悩む事でもあるのだろうかとアスターはアスターで彼女の事を気にかけていた。しかし、彼女の顔を覗き込んだ時に目に入った、化粧っ気がないものの健康的な肌や艶やかな唇に心臓が高鳴る。思わずその肌に触れてみたい衝動に駆られ、手を伸ばしかけた時に大量の水しぶきが2人に降りかかった。

「ファルクレイン!」

「カーマイン!」

 湖の中心辺りでじゃれていた2頭がだんだん山荘の方へ移動してきて、悪ふざけが過ぎたのかその水しぶきが露台にいた2人にかかった。さすがにまずかったと思ったのか、2頭はピタリと動きを止めると、逃げるように飛び立っていった。

「ハメ外しやがって……」

 悪態をつくものの、アスターは内心助かったと胸を撫で下ろしていた。妙な高揚感のおかげであのまま何も無かったら彼女に何をしていたか……。

「あーあ、ずぶ濡れ。着替えないと……」

 マリーリアもアスター同様に全身ぬれねずみである。着ている騎士服のシャツが彼女の肌に張り付いて……。

「どうしたの?」

 突然ブンブンと頭を振り出したアスターにマリーリアは怪訝そうな視線を送る。

「いや……ちょっと水練してくる」

 とにかく、今すぐこの煩悩を振り払いたかった。アスターは着ていたシャツを脱ぐと、そのまま湖に飛び込む。

 山荘にも引き込んであるが、この近辺では温泉がわき出している。この湖にも流れ込んでくるので、ここは水温が高めで冬でも氷が張らないのだ。傷に効能があると言うこの温泉を活用する為に、竜騎士だったマリーリアの祖父がこの山荘を建てたらしい。

「アスター卿?」

 突然の行動を不信に思いながらも、濡れた服を着たままだったマリーリアはブルリと体を震わせる。今日は暖かいとはいっても、水遊びする時期はとっくに過ぎているし、ここは標高が高い。水練を始めてしまったアスターを気に掛けながらも、着替える為にマリーリアは屋内に戻った。




「帰ってこないな……」

「ええ……」

 日は既に山の向こうに沈もうとしていた。見事な夕焼けから空はだんだんと夜のとばりに覆われようとしている。既に星が瞬き始めているのだが、昼間、湖から飛び立った飛竜達が戻ってこないのだ。気配をたどろうとしても距離が離れていて居場所が掴めない。そのうち帰って来るだろうと軽い気持ちでいたのだが、さすがに心配になってくる。

「フォルビアの方まで行って見つかったのかしら……」

 2頭が向かったのは南西の方角だった。真っ直ぐ行ったとは限らないが、飛竜の翼ならばフォルビアは目と鼻の先である。慎重なファルクレインなら危険をうまく回避できるだろうが、自由奔放な性格のカーマインは本当に心配だった。

「冷えて来た。中に入ろう」

 日が沈むとぐっと気温が下がってくる。アスターがマリーリアを気遣い、屋内へと誘う。2頭が帰れば気配で分かるので、彼女も素直に従った。

 早めに夕食を済ませていたので、暖炉の前に敷かれた毛皮の前に2人で並んで座る。柑橘の果汁と蜂蜜をお湯で割った物を飲みながらマリーリアは燃え盛る炎を見ていた。

「このまま……こうしていられたらいいのに」

「マリーリア?」

 ぽつりとこぼれ出た言葉にアスターは怪訝けげんそうな表情を浮かべる。

「一体どうした?」

「……何でも……ない」

「そんな風には見えないから聞いている」

 心配なのだが、どうしてもマリーリアが相手だと口調がきつくなってしまう。

「何でもないって」

 マリーリアもついムキになる。

「言ってくれ、何があった?」

 彼がこの山荘に移ってからの間に事態が進展したのだろうか? アスターはマリーリアの顔を覗き込むが、彼女は目を逸らす。

「だって……」

「だって、何だ?」

「貴方には……関係が……」

 震える声で答える彼女にアスターはムッとする。

「そんな言い方ないだろう?」

「仕方ない……のよ……」

「だから何がだ!」

 ついカッとなって言葉を荒げた時に、あの嫌な痛みが彼を襲う。頭を押さえ、その場にうずくまる。

「くっ……」

「頭痛? 薬を……」

「関係……ないんだろう?」

 刺し延ばしたマリーリアの手を振り払うと、アスターはヨロヨロと立ち上がって棚から乱暴に薬を取り出し、丸薬を3つまとめて飲み下す。

「アスター卿……」

「悪い、休ませてもらう」

 用意してあるのは比較的強い作用のある薬だった。睡眠薬も混ざっていて、飲むとすぐに睡魔が襲ってくる。アスターはふらつく足取りで寝室に行き、そのまま寝台に倒れ込んだ。





 鳥のさえずりと顔にあたる陽の光でアスターは目を覚ました。既に頭痛は治まっていたが、気分は最悪だった。

「っ……」

 這い出る様にして寝台から降りて寝室を出ると、もうマリーリアの姿は無かった。少し不機嫌なファルクレインの思念が伝わって来る。

「……」

 昨夜のマリーリアとの会話を思い出し、あんな言い方をするんじゃなかったと嫌悪感に襲われる。ふと、居間のテーブルの上に置手紙と何やら布の様な物が置いてあった。手に取ってみると、それは手縫いの眼帯だった。

『カーマインが戻って来たので帰ります。眼帯は気に入らなかったら捨てて下さい。マリーリア』

 意地を張っている時の彼女らしい手紙だと思わず苦笑する。意地を張っているのは自分も一緒かもしれないとアスターは思い直し、眼帯を手にするとそれをつけてみる。肌に直接当たるところは柔らかい布を使用していて、彼女なりの心遣いが伝わってくる。捨てるなんてとんでもなかった。


ドンドンドン!


 乱暴に扉が叩かれ、アスターの返答を待たずにベルントが入って来る。

「アスター卿! マリーリアを止めなかったのか?」

そう怒鳴り込まれ、アスターは目を瞬かせる。

「止めるって……何をだ?」

「マリーリアをだ! 今日、迎えが来てあの子は行ってしまった」

「ど……こへ?」

「嫁にだ!」

「よ……め?」

「大殿の決定で、マリーリアはフォルビアのラグラスに嫁がされる。2日後に大公位の認証式と一緒に婚礼をあげる事になったんだ。エルデネートさんもあの子の侍女としてついて行ってしまった!」

 アスターは頭の中が真っ白になり、ただ、機械的に相手の言葉を繰り返していた。やがて、ようやくその意味を理解し、血の気が引いてくる。

「な……んだと?」

「……聞いてないのか?」

「あのバカ……」

 怒りで体が震えた。何故、話してくれなかった? 何で、よりによってあの男の元へ嫁ぐ決意をしたのか? そして何よりも自由の許された1日を自分に会いに来てくれたと言うのに、些細な事で腹を立て、思い悩んでいる様子の彼女からちゃんと話を聞き出してやらなかった自分にも腹が立った。

「何故だ!」

 怒りに任せ、拳でテーブルを叩く。その怒りに同調し、外でファルクレインが咆哮する。

「今の大殿に命じられれば断る事は出来ない。兄貴もどうすることも出来ないらしい。あの子は……自分が行けば大々的な宴が開かれる。そうなれば堅固なフォルビア城にも隙が生じ、あの方を助ける手助けになると信じている。だが……あの男は……」

 リカルドがフォルビアへ放っている密偵により、ラグラスの悪評は彼等の耳にも届いていた。そんな男の元へ妹の様に可愛がってきたマリーリアが嫁がされ、しかも惚れた女性まで付いていくことになり、ベルントはもう黙っていられなかったのだろう。

「正直、ワールウェイド領の人間は警戒されてロベリアの竜騎士達になかなか接触できない。彼等がどういうつもりなのか分からず、手をこまねいている状況だ。頼む、手を貸してくれ」

「もちろんだ」

 アスターに迷いはない。片目での戦闘に不安は残るが、昨日の様子を見る限りファルクレインはもう十分回復して飛べるようになっている。己の存在を明らかにして親友を始めとしたロベリアの竜騎士達に合流する頃合いだろう。

「恩に着る。ロベリアの竜騎士達が動いて、囚われているという殿下を助け出すことが出来れば、俺達も心置きなく動ける」

「何かするつもりなのか?」

「ああ、何としてもあのゲオルグを国主にするのだけは阻止する」

「何をするつもりだ?」

 暗殺と言う言葉が脳裏を過る。だが、それを実行すれば面倒な事になるのは間違いない。アスターはベルントを睨みつけていた。

「貴公が考えている事じゃない。アイツがその資格すらない証拠があるんだ」

「何?」

 更に問い詰めようとしたところで、新たな来客をファルクレインが伝える。カーマインの気配と共に複数の騎馬が近づいてくる。ほどなくして現れたのは、渋い表情を浮かべたリカルドだった。

「ベルント! お前は勝手な事を!」

「だからと言って兄貴、このまま黙っているつもりか?」

「下手に動いてみろ、全てを握りつぶされるのがオチだぞ」

 長兄と末弟が言い争いを始める。後から何かを大事そうに抱えて入ってきた次兄のラルフと妹のテルマは、その様子に呆れて溜息をついた。

「リカルド殿、マリーリアの件、何故知らせてくれなかった?」

 兄弟喧嘩をさえぎったのは冷え切ったアスターの声だった。第3騎士団の元部下達なら直立不動で固まるところだが、リカルドはものともせずに言い返す。

「貴公にとって優先すべきは主君であるエドワルド殿下だろう? 以前のような権限もなく、まだ十分に動けない状態の貴公にマリーリアの事にかまっている余裕があるのか?」

「余裕? そんなものは無いさ。だが、方法は有るはずだ」

「どうしてそこまでしてあの子に構う?」

 リカルドの鋭い視線をアスターは正面から受ける。試されていると悟り、大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせてから口を開く。

「彼女自身の気持ちは確認していないが、単なる恩人としてではなく、かけがえのない相手だと……たった今だが自覚した」

「……気付いてなかったのか。貴公だけだぞ、あの子があそこまで必死になったのは」

 アスターの返答にリカルドは少々呆れてため息をつくと、全員に座る様に指示する。そして弟と妹が持ってきた荷物を広げた。




「少し長い話になりますが、聞いていただけますか?」

「ああ」

 荷物の中身は男性の姿絵と細かい字で綴られた日記、そして更に細かい字がびっしりと書き連ねられた数枚の紙切れだった。リカルドが先に手に取ったのは古ぼけた絵姿だった。

「この絵姿は我々の母方の祖父、竜騎士クリストフです。この一帯の領主でもありました。大殿とは従兄同士で、大公候補の1人でしたが、先の大公が後継者を決める直前、謀反を企てたとして捕えられ、処刑されました」

 アスターには記憶のない名前だった。おそらくワールウェイド公に配慮してその名は抹消されたのだろう。

「ですが、それは冤罪でした。祖母が手を尽くしたのですが、疑いは晴れることなく、彼女は心労がたたって祖父の後を追う様にして他界しました。残されたのが当時12歳だった私達の母モニカと5歳だったマリーリアの母マリーです。

 当時、母は既に父と婚約していたので、彼女はルバーブ村に預けられました。叔母のマリーも一緒にという話もありましたがそれは許されず、彼女は大殿の元で養育されました。しかも……罪人の子とさげすまされ、大殿の娘の世話をさせられていました」

 話の内容にアスターは思わず息を飲んだ。リカルドは平静を保ちながら言葉を続ける。

「この日記は母が付けたものです。母はこの村で過ごし、成人と同時に父と結婚しました。正直に言うと、祖母は嫁である母に随分とつらく当たっていました。祖父の事があったので余計だったのでしょう。ですが父は竜騎士クリストフを尊敬していたので、彼女の事を大切にしていました。年に一度だけ妹と逢う事を許されていたので、それを励みに姑からの仕打ちに耐えていました。

 叔母が成人する頃、大殿の長女ブリギッテ様とジェラルド様の縁談がまとまりました。大殿は大層お喜びになったのですが、ほどなくしてブリギッテ様が流行病で他界されました。焦った大殿は皇家に掛け合い、縁談の相手を急遽次女のイザベル様に挿げ替えたのです」

 この辺の事情はアスターも知っている。グスタフは娘の死を嘆くよりも皇家との縁談が消えてしまう事を嘆いていたと、大人達が陰でコソコソ噂しているのを耳にしていた。

「ジェラルド様に嫁がせるため、大殿も奥方様もブリギッテ様には随分と手をかけられ、彼女は非の打ちどころのない淑女にお育ちになられました。逆にイザベル様は奔放で、夜会があろうと無かろうと、寝室でお休みになられる日は稀で、複数の男友達と付き合っていたようです。

 そんな彼女が突然皇家に嫁ぐことになり、慌ててそのための教育を受けさせたのですが、あまり芳しくは無かったようです。輿入れが決まっても夜遊びは続き、更に婚礼の日が迫った頃になって彼女が懐妊している事が発覚したのです」

「え……まさか……」

 夏至祭の折、ヒースから聞かされた噂話が脳裏をよぎった。

「当時、その事実を知っていたのはイザベル様ご本人とその乳母だけでした。大殿と奥方様にも事実は打ち明けず、2人は彼女の世話係をしていた叔母のマリーを呼び出してとんでもないことを命じたのです。自分の身代わりに初夜の床へ行け、と。

 もちろん、伯母は断りましたが、最終的にはうなずかざるを得なくなり、イザベル様の代わりに真っ暗にした初夜の床でジェラルド殿下を迎えられたのです」

「……」

 重苦しい沈黙に耐えられなくなり、アスターは気持ちを落ち着けようと大きく息を吐く。

「ジェラルド殿下はこの事に……」

「これは叔母の手記ですが、これによると殿下はすぐに気付き、それでいて叔母の事をたいそう気に入られたようです。ただ、相手はワールウェイド家。彼女の身の安全の為にも下手には動けないと判断した殿下は密かに調査を命じていたようです。

 ほどなくしてイザベル様の懐妊が発覚し、大殿は当初大層喜んだのですが、相手がジェラルド殿下ではないと分かったとたんに大層お怒りになられました。ですが、殿下は気づいた様子を見せなかった事もあり、このまま隠し通せれば自家の名誉も守られると大殿は踏んだのです。その結果、月を満たずして生まれたとされる男児はゲオルグと名付けられました」

「……」

「イザベル様の懐妊を公表した直後に、殿下と密やかな逢瀬を重ねていた叔母も自身の体の変化に気付きました。ですが殿下に打ち明ける前に、事情を知っている彼女をこのまま放置できないと判断した大殿は叔母を所領に呼び戻しました。そして……罪人の子では嫁の貰い手が無いだろうから自分の愛妾にしてやると言い放ち、叔母を……」

「な……」

 グスタフの仕打ちに怒りが込み上げてくるのだろう。リカルドら4兄弟は握りしめた拳を震わせている。

「あの城で、奥方様や他のお嬢様達の嫌がらせに耐えながら、やがて叔母はマリーリアを産みました。ですが、精神的にも肉体的にも限界が来ていた彼女は、産後間も無く他界しました。父と母が遺品を引き取りに行き、そして大殿に嘆願してマリーリアは家で育てる事になりました。その頃は今のようなプラチナブロンドではなく、淡い金髪だったのが幸いしたようです」

「では、彼女は……」

「あの子はジェラルド殿下の子です。長ずるにつれて光輝く様になったあのプラチナブロンドがそれを証明しています」

 断言したリカルドにアスターは息を飲む。

「あの子が3歳になった頃に、ようやく消息を掴んだ殿下がお忍びでルバーブに来られました。殿下はあの子を見てすぐに自分の子だと確信したそうです。叔母の墓に泣きながら詫びていたのを今でも私は覚えています。そして去り際に母と約束したそうです。証拠が揃ったからワールウェイドを糾弾できると。そして全てが片付いたら、自分は国主の継承権を放棄し、イザベルと別居してマリーリアを自分の子として引き取ると……。

 ですが……私達が耳にしたのは殿下の訃報でした。私達は直感的に悟りました。大殿の仕業だと。そして下手に動けば自分達も抹殺されると……」

 リカルドは大きく息を吐くと、細かい文字でつづられた紙を広げる。

「マリーリアが13歳になった頃、あの子の髪を見た大殿が竜騎士にするからと強引に引き取りました。その後の事はアスター卿も良くご存知だとおもいます」

「ああ。覚えている」

 グスタフが我が家の血筋でも竜騎士の素質がある者がいるのだと自慢していたのは周知の事実だ。その一方で彼女には不正に入手した繁殖用の飛竜をあてがっていたのだ。

「こちらの叔母が残した手記は大殿の目を盗んで母が持ち出しました。殿下への思いと謝罪で締めくくられています。この存在を私達が知ったのは2年前に母が亡くなる直前の事です。日記と祖父の絵姿と共に私に託して息を引き取りました」

「マリーリアはこの事は?」

「知っています。伝えようかどうしようか迷いましたが、彼女には知る権利があると判断して私から伝えました」

「……」

 この事実を抱え込み、彼女はどれだけ苦悩しただろうか? そんな彼女に厳しい言葉を投げかけた事にアスターは後悔した。

「ゲオルグも大殿も謹慎していた昨年の間に動いていれば、今の事態は避けられたと後悔しております。ですが……私も家庭を築き、それを失うかもしれないと思うと怖かったのです」

「……マリーリアはどのルートでフォルビアに向かうか分かっていますか?」

 しばらく無言で考え込んでいたアスターが一同に尋ねる。

「今夜は領内の別邸で過ごし、明日、フォルビア領に向かう。ワールウェイド領からフォルビアへ直接通じる道はこの街道のみ。明日の夜はフォルビア城下の神殿に宿泊予定だ」

「……」

 地図を開いてベルントが説明する。アスターはその地図を睨みつけるように眺めていたが、徐に席を立つ。

「先にロベリアへ行ってくる。向こうの状況を把握した上で、計略を練る。ベルント、戻ってきたら手伝い頼む」

「ああ、もちろん」

 アスターが立ち上がり、戸口に向かおうとすると、リカルドが呼び止める。

「アスター卿、これを使っては貰えないだろうか?」

「これは……」

 リカルドは自分の腰に差していた長剣を彼に差し出す。使い込まれているが、不思議と彼の手にすんなりとなじむ。

「祖父が愛用していたそうです。双剣の名手として名高い貴公に使ってもらえればこの剣も本望でしょう」

 今、アスターが持っているのはハルベルトの形見となった長剣のみである。一本だけだと落ち着かないのは確かだ。

「いいのですか?」

「使ってくれ。あの子だけでなく、殿下も、この国も救うのに役立ててくれ」

「……感謝します」

 アスターはそう答えると、一同に頭を下げると表に出る。ファルクレインを呼び寄せ、素早く装備を整えると、ロベリアに向けて飛び立った。

なんだかんだでグスタフのいいように扱われてた感のあるタランテラ皇家。

それに終止符を打つべくハルベルトやエドワルドが行動を起こしたために、グスタフが強硬策に出て今回の事件が起こりました。

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