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群青の空の下で  作者: 花 影
第2章 タランテラの悪夢
81/156

30 想いは1つ2

 フォルビア正神殿に着いたウォルフは、神官長を始め、神殿関係者が勢ぞろいして仰々しく出迎えられて実に気分が良かった。形通りにグロリアの霊廟に花を供えて役目を終えると、神官長に「お疲れでしょうからこちらでご休憩なさって下さい」と言われれば何の疑問も抱かずにそれに応じた。

 広々とした応接間は最も高貴な客を迎える為の部屋で、お茶も茶菓子も最上級の物を用意されていた。しばらくの間神官長が応対してくれていたが、若い神官が彼に何かを伝えに来ると、用事が出来たと彼は席を外した。

 広い部屋に1人でいるとなんだか落ち着かないが、自分は国主代行ゲオルグの補佐官である。堂々としていればいいと自分に言い聞かせながら、冷めたお茶を飲み干した。


トントン……。


 神官長がなかなか戻ってこないので、そろそろお暇しようと思った所で扉が叩かれる。鷹揚に返事をすると、神殿の警備兵らしい男が2人と、フードを目深にかぶった若い女神官がお茶を持って現れる。

「失礼いたします」

 静々と入室した女神官はウォルフに一礼すると手にしたお盆をテーブルに置く。兵士の1人は扉の前に立ち、もう1人は女神官の隣に立った。

「随分と偉くなったな、ウォルフ」

「な……」

 目の前にいるのがユリウスだと気付き、ウォルフの目が大きく見開かれる。更には女神官がフードを外し、類まれなるプラチナブロンドの輝きがさらされると、腰が抜けたようにソファから転げ落ちる、

「な、何故、アルメリア様が……」

 ゲオルグとの婚礼の為に神殿に籠っているはずのアルメリアが目の前に現れ、ウォルフは言葉が続かない。その間にアルメリアはウォルフの向かいに座り、彼女を守る様にユリウスがその後ろに立つ。

「お母様とお祖父様が手配して下さったおかげで逃げる事が出来ました」

「に、逃げるって……何故?」

 アルメリアはその問いには答えず、狼狽ろうばいするウォルフの目をじっと見つめる。耐え切れずに目を逸らすと、徐にユリウスが声をかける。

「ウォルフ、君の手が借りたい」

「何を……」

「エドワルド殿下がラグラスによって囚われている。フォルビア城内にある北の塔の地下室だ。救い出すのに力を貸してほしい」

 エドワルドは死んだと思い込んでいるウォルフには彼が何を言っているのか理解できなかった。その言葉の意味を理解するのにしばらく時間がかかる。

「あの方は……財産目当てだった奥方に毒を盛られて亡くなられたと……」

「デタラメだ。フロリエ様はそんな事はなさらない」

 扉の前に立っている兵士が横から口を挟み、驚いてその顔を見たウォルフは更に驚愕する。本宮の地下牢に囚われているはずの人間だからだ。

「何故、ルーク卿が……」

「俺の事はどうでもいい。一刻を争うんだ。あの方を助け出す手伝いをしてほしい」

「……宰相閣下はそう仰せになったんだ。ラグラス様が嘘をついていると?」

「ああ」

「そんな……馬鹿な……」

「本当だ。我々は先日、リューグナーの身柄を確保した。皇都でフロリエ様を貶める噂を故意に流し、更には囚われたエドワルド殿下の治療をしたと証言した」

「……」

「北の塔の地下室に軟禁されているらしいが、俺達では近づけない。あの方を救出するには君の協力が必要なんだ」

 ウォルフは混乱して言葉に詰まる。それに追い打ちをかけるようにユリウスが言葉を添える。

「おそらくワールウェイド公も関わっている。ラグラス1人ではあの方を出し抜く事なんて出来なかっただろう」

「嘘だ……」

 自分を重用してくれたグスタフを尊敬し、信じているウォルフには信じられなかった。

「ワールウェイド公はラグラスに自分が雇った傭兵を貸している。ラグラスはその兵で神殿からお館に戻る途中のご一家を襲わせた。それだけじゃない。退路を断つ目的で小さな漁村も壊滅させている」

「いや、でも……」

「あのワールウェイド公が何の目的で使われるか分からずにわざわざ雇った傭兵を貸す事は無いだろう。それどころかワールウェイド公の方から持ちかけた可能性もある」

「ユリウス、いくらお前でも言っていいことと悪い事があるぞ。私を重用してくれた恩人をそこまで言う資格がお前にあるのか? そんなに竜騎士はえらいのかよ! それとも、そんなに私が出世したのがねたましいのか?」

 ウォルフは立ち上がると、ユリウスに詰め寄る。そんな幼馴染の態度に彼はため息をつく。

「お前こそ目を覚ませ。彼は自分に都合のいい政治を行っているだけだ」

「そんな事は無い!」

 激昂するウォルフをアルメリアが制して落ち着かせる。そして彼を向かいの席に座らせると、静かに問いかける。

「あなたが仕えているのはタランテラ皇国ですか? それともグスタフ個人にですか?」

「え……私はもちろん国に……」

 ウォルフは戸惑いながら答えるが、アルメリアは悲しげに目を伏せる。

「今、国政には皇家の意向は一切反映されていません」

「そ……そんな事は……」

「本当です。ユリウス様との婚約解消もゲオルグとの婚姻もワールウェイド公から一方的に告げられました。彼に反対する勢力の動きを封じる為です。暗に祖父と母の命を握っている事をほのめかされれば、私は拒否する事もできませんでした。

 更には人事も法令も自分の都合のいいように変えています。あなたは頻繁に法令が書き換えられている事に疑問を抱かなかったのですか?」

 アルメリアの指摘にウォルフはすぐに答えられなかった。確かに法令の改正が頻繁に行われていて、彼自身もその書類の整理に携わっているのは確かだ。しかし、一呼吸おいてグスタフとのやり取りを思い出すと、アルメリアの指摘に反論する。

「いや、あの方はいい国にしようと改革なさっているだけだ。その過程でどうしても人事も法の改正も必要だから行われているに過ぎない」

「本当にそれだけでしょうか?」

「当然です。ユリウス、お前、アルメリア様に何て事を吹き込んでいるんだ? 自分から婚約を解消しておいて、姫様の相手がゲオルグ様になったのがそんなに気に入らないのか?」

 頭に血が上ったウォルフはユリウスを睨みつけるが、彼は冷静に応える。

「私から婚約の解消を申し出てはいない。ハルベルト殿下の護衛の指揮官が兄上だったと言うだけで、一方的に婚約破棄を宣告されたんだ」

「嘘だ!」

「少し頭を冷やせ」

 再び立ち上がりかけたウォルフをユリウスは強引に座らせる。アルメリアはすっかり冷めてしまったお茶を入れ替え、彼に一息つく様に促した。

「宰相閣下は素晴らしい方だ。竜騎士の資質を持つ者ばかりに偏りすぎる今の制度を改革なさろうとしているんだ。ユリウスは今までの身分を失うのが怖いんだろう? そうだよな、私に負けるのが悔しいんだ」

 ブツブツと呟くウォルフにユリウスもアルメリアもため息をついた。逆に彼のその態度に怒りを表したのはルークだった。一気に間を詰めると、彼の胸ぐらをつかみ上げる。

「さっきから聞いていれば自分勝手な事を……。今の立場を失うのが怖いのはお前の方だろう!」

「ら、乱暴だなお前は……。これだから平民は……」

「だからどうした? 敬称が許される身分に必死にすがりついている貴様の方がよっぽど無様だぞ!」

「な……無礼な!」

「自分を認めてくれたのがワールウェイド公だけだって言うが、じゃあ、今まで他の人間に自分を認めさせるような努力をしたのか? 敬称のある身分にただ胡坐あぐらをかいていたって誰も認めてはくれないぞ」

 ルークの剣幕にウォルフだけでなくユリウスもアルメリアも呆気にとられる。

「資質が有ろうと無かろうと、周囲に認められている人は皆、何かしらの努力をしている。殿下やアスター卿だって執務の合間に自己鍛錬を惜しまれなかった。ユリウスやアルメリア姫だってそうだ。だから彼等の元には人が集まるんだ。これは口に出して言う事じゃない。だから上辺しか見ようとしないお前には分からないんだ!」

 一気に言い放つと、ルークはウォルフの胸ぐらをつかんでいた手を乱暴に話す。彼はその場に尻餅をついて座り込み、ルークはもう興味が無いといった様子で元の扉の前に戻った。

「なぁ、ウォルフ。家から絶縁されたお前がワールウェイド公に認められて嬉しいのはよく伝わった。そして、私達の言葉を急には信じられないのも確かだろう。だから、自分の目で確認してくれないか?」

 呆然として床に座り込んだウォルフの側に膝をつき、ユリウスが静かに話しかける。

「何……を?」

「フォルビア城内にある北の塔の牢にエドワルド殿下が捕らわれている。疑う気持ちは有るだろうが、彼が本当にそこに居たら、私達の言葉を信じて欲しい」

「お願いです、ウォルフ・ディ・ミムラス。私達は不当に囚われている叔父上を助けたいのです。もちろん彼の家族もです。

 認証式の日にちは分かっていますが、その他の細かい所までは分かっていません。確実に叔父上を助ける為には、些細な事でもいいですから、情報が欲しいのです」

 アルメリアも床に膝をついた。そこでようやくウォルフは我に返り、慌てて立ち上がる。

「こ、皇女様、私なんかに膝をつかないでください……」

「私はお願いする立場ですから、いくらでも膝をつきます。お願いです、協力してください」

「わ……わかりました、確認すればいいんですね。もし、間違っていたら……」

「好きにしてくれ」

 アルメリアに懇願され、ウォルフは遂に根負けした。半ば投げやりに言葉を返したが、不思議と言い負かされた悔しさは無い。

 フォルビア城へ戻るウォルフと共に神官長の使節として神官1人が同行する事になっていた。彼等の頼みを了承する証として、神官の護衛としてロベリアの兵を同行させることになった。

 ただ、そうやって城へ入れたとしても、神官の護衛が勝手に城内をうろつけば不審に思われる。ウォルフがもたらす情報をその兵が受け取り、それを街の外で待機しているルークが仲間の元へ運ぶ手筈となっていた。その為に拠点の村へエアリアルを置いて来ている。本当はルーク自身が潜入したがったのだが、彼はフォルビアで顔を知られているので、仕方なく諦めたのだ。

「どうかお気をつけて」

「頼むぞ」

 アルメリアとユリウスに見送られ、複雑な表情を浮かべたウォルフは軽く頭を下げて馬車に乗り込んだ。そして、来た時とは比べ物にならないくらいひっそりと神殿を後にしたのだった。




 エドワルドは固い寝台に横になったまま、その痛みに低くうめいた。頬は腫れて熱を持ち、抵抗できない状態で受けた暴力により、全身はきしむ様に痛み、身動きもままならない。特に脇腹は肋骨が折れているのだろう、こうして寝ているだけでも鈍い痛みが襲ってくる。

「くっ……」

 昨夜、久々にラグラスが顔を見せたと思ったら、今回は同伴者がいた。甥のゲオルグと彼の取り巻きである。

 彼がこうして囚われている事にゲオルグは嘲笑するだけでは飽き足らず、昨年の夏至祭の折のお返しとばかりに集団で殴り掛かってきた。

 もちろんただ殴られてやる義理は無いので、殴り掛かってきたゲオルグと腕自慢の取り巻き2名でストレスの発散をさせてもらった。だが、それがいけなかったのだろう。ラグラスの命でエドワルドは兵士に抑え込まれ、その状態で3人に殴る蹴るの暴行を受けたのだ。

 やがて満足したのか、彼等は床に倒れたエドワルドを放置すると、高笑いしながらこの地下室を後にした。

 その後、どうにか自力で這うように移動して寝台に横になったが、もう歩くどころか指一本動かすのも億劫で水を飲む気力すらなかった。もう夜は明けており、いつもなら日課となっている鍛錬を始めるのだが、今日は身動きすら出来そうにない。

「……」

「……」

 誰かが来たのか、扉の外で牢番と会話する声が聞こえる。聞き取ろうとする気力もなく、そのまま横になっていると、軋む様な音がして扉が開いた。また、奴らが来たのか、半ば諦めたようにそのまま横になっていると、ひんやりとした布が腫れた頬に当てられる。

「……誰だ?」

「ウォルフ・ディ・ミムラスと申します、殿下」

「ミムラス家の?」

 その名前に心当たりがあった。昨年、ゲオルグが取り巻きと共に狼藉ろうぜきを働いている現場に居合わせ、それを阻止するために馬を操作した際に落ちて骨折をしたのが彼だった。

「……君も憂さを晴らしに来たのか?」

「……」

 ウォルフは答えず、エドワルドの薄汚れたシャツを肌蹴ると、体を拭いて傷の治療を始める。

「何故?」

 彼は自分の事を少なからず憎んでいるはずである。その意図が掴めずにエドワルドは首をかしげる。

「確かに、殿下の事は恨んでおりました。ですが……こんな事は……許される事ではありません」

 ウォルフは震える声で答えると、擦り傷には軟膏を塗り込み、痣となっている所には湿布を張り付けた。

「くっ……」

 骨が折れていると思われる場所に触れられると、痛みで思わず呻き声が漏れる。ウォルフは思わず手をひっこめると、脂汗が滲む彼の額をもう一度濡れた布で拭いてくれる。

「そこは……2本くらい折れている」

「し、失礼しました」

 ウォルフは応急処置として、ひとまず包帯を巻いて固定する。ここへ持ち込めた医薬品で出来るのはそれが限度だった。

「食事と痛み止めを用意してあります」

「……薬をくれるか?」

「はい」

 長身のエドワルドを苦心して抱えて起こすと、痛み止めの丸薬と水を手渡す。エドワルドはしばらく不審そうに薬を眺めていたが、こうして体を起こしているのも辛いらしく、悩むのを諦めて薬を飲むと再び横になった。

「何故、恨んでいるはずの私を助ける?」

「ユリウスに……頼まれました」

「ユリウスに?」

「あと、アルメリア姫とルーク卿に」

 出てきた名前にエドワルドは目を見張る。彼が聞いている話では、ルークは本宮の地下牢に軟禁され、ゲオルグとの婚礼を控えたアルメリアは神殿で祈りを捧げている最中の筈だったからだ。

「殿下がここに囚われている事……生きておられる事自体に半信半疑でしたが、彼等はここに貴方が捕らわれている情報を得ていて、助けるのに手助けして欲しいと頼まれたのです」

「よく……信じたな……」

「ルーク卿に力でねじ伏せられた感じです」

「くっ……くっ……」

 憮然としたウォルフの表情にエドワルドは笑いたいのだが、骨折した個所の痛みで思う様に笑えない。久しぶりに味わう爽快な気分に笑いの発作はなかなか治まってくれない。

「笑い事ではありません。明日の晩、就任式の前祝に貴方様の首をはねるとラグラスは言っています。ユリウスやルークは就任式の当日に貴方を助ける計画なんです」

「ラグラスも律儀だな。宣言通りにしてくれるとは……」

「殿下!」

 呑気な口調のエドワルドに思わずウォルフは声を荒げる。

「声がでかいぞ。聞かれては困るのだろう?」

「そ、そうですが……」

「この事、アイツらに知らせる手筈は整っているのか?」

「は、はい……」

 気付けばウォルフはすっかりエドワルドに従っていた。やはり、人を従わせる何かをこの人は持っていると感じていた。

「ラグラスにはせめて最後は空の下で迎えたいと伝えてくれ」

「で、殿下?」

 彼の要望にウォルフはもう諦めてしまったのかと彼の顔を見るが、言葉とは裏腹に目が爛々と輝いている。

「その瞬間に出来るだけ多くの人間を引き連れて来いと言え。後はアイツらがどうにかするだろう」

「もし……間に合わなかったら……」

「時間稼ぎはする。あと、良く効く痛み止めを差し入れてくれ。食事もだ。出来るな?」

「はい」

 ウォルフは殆ど条件反射で答えていた。もちろん、今の彼には怪しまれることなくそれらを用意するのは簡単だった。

「もう行ってくれ。長居しすぎると君も怪しまれる」

「分かりました。失礼します」

 ウォルフが頭を下げてその場を離れようとすると、エドワルドは何かを思い出したように彼を呼び止める。

「あ、ウォルフ」

「はい」

「手助けしてくれて感謝する。ありがとう」

「い……いえ。当然の……事です」

 エドワルドに礼を言われ、ウォルフは戸惑いながらももう一度頭を下げて彼の独房を出て行く。不思議と気分が高揚し、充実感で満たされている。そして何故か、グスタフに頼られた時よりも喜びが勝っていた。気付けば頼まれた以上に何が出来るか考えていた。

「これも、努力の内に入るのだろうか……」

 ふと、ルークに言われた言葉を思い出す。だが、いつまでも難しく考えている暇はない。ウォルフは自分の頬をペシリと叩いて喝を入れると、先ずは頼まれた用事の手配をするために動き始めた。




 春分節の失態で閉門の憂き目を見ていたトロスト一家の転機が訪れたのは夏だった。皇都から宰相の使者が来て、新しく設立された執政官に任命されたのだ。職務内容は、宰相の意向に反していないか、総督と騎士団長双方の動向を注視するといったものだった。

「副総督も経験されたトロスト殿であれば、その責務を果たせると宰相閣下も期待しておられます」

 使者にそう言われれば悪い気はしない。加えて宰相のお眼鏡に敵えば、彼が望む地位も夢ではなく、俄然やる気が出て来た。かくして宰相閣下の威光を背景にトロストはロベリアの総督府を闊歩するようになる。その効果は絶大で、誰もが彼に媚びへつらうようになる。

 一方、娘のカサンドラは自分の夫に相応しいと思っていたエドワルドの訃報に悲しんでいたが、いつまでもくよくよしているのはこのタランテラにとって大きな損失だと(本気で)思っていた。そこで新たな出会いを求め、父親の権勢を盾にロベリアの社交界に復帰していた。

 今年はグロリアを筆頭にハルベルトやエドワルドといった国の要人が相次いで他界しているため、夜会の類は自粛する傾向にあった。それでも全てが無くなるわけではない。そんな中、偶然にもヒースの姿を見初めた彼女は、運命を感じた。

 騎士団長だけでなく、裕福なフロックス家の当主という肩書も申し分ない。一番の問題は既に結婚していて子供もいる事だが、薄情な奥方は夫の任地に一度も来たことが無い。貴族にありがちな政略結婚なのだろう。それならばタランテラ一美しい自分を見れば、簡単になびいてくれるに違いない。

 そんな思惑で彼にさりげなく迫ってみたが、恥ずかしいのかあからさまな口実で逃げてしまった。その後も父親の威光を使って総督府へ押しかけてもみたが、忙しいのか会ってはもらえなかった。

「今夜、総督府で大規模な集まりがあるそうだ」

 秋も近づいたある日、総督府で急きょ夜会が開かれることになった。トロストもついさっき聞いたらしい。当然、ヒースも出席する。お近付きになるまたとない好機である。カサンドラは大急ぎで支度をし、父と共に総督府に向かった。




 広間にはロベリアの有力者が多数集まり、何事かとひそやかな会話を交わしていた。着飾った妙齢の女性はカサンドラ1人なのだが、逆にその方が目立って好都合だ。

 やがて総督と共にヒースが姿を現す。想い人の登場にカサンドラは思わず駆け寄ろうとしたが、その後に続いた数人の竜騎士に付き添われた若い女性の姿をみて足が止まる。初めて見る顔だが、その類まれなプラチナブロンドをみれば思い当たるのは1人しかいなかった。

「アルメリア皇女様?」

「何故、このようなところへ……」

大きなどよめきがおこり、騒然とする中、アルメリアは堂々と一同の前に立った。 水色の上品なドレスを身に纏い、髪を美しく結い上げ、品よく化粧した彼女は成人したばかりとは思えないほどの威厳に満ち溢れていた。その威厳に集まった人々は彼女の前で自然と頭を下げていた。それはトロスト父娘も例外ではなかった。

「今日はお集まりいただきありがとうございます」

 花が綻ぶような笑みを浮かべれば、集まった有力者達はたちまち彼女に魅了されていた。しかし、続けて語られた彼女の訴えにトロストのみならず集まった一同は驚愕する。

「私は先日までワールウェイド公グスタフによって監禁されておりました」

 アルメリアのみならず、母セシーリアと国主アロンまでもがグスタフによって行動を制限され、監視まで付けられていたという。更にはグスタフが国主の意向を無視した施政を行い、ユリウスとの婚約破棄とゲオルグとの婚姻は脅されて承諾させられたのだと訴える。

 周囲は大きくどよめき、そして宰相の威光を笠に着ていたトロストに冷たい視線が集まり始める。

「皇女様、お戯れもほどほどに……」

「私は父により常に皇家の自覚と誇りを持つよう教えられてきました。このような公の場で戯れを言う事は皇家の尊厳を貶める事。私はそのような事を致しません」

 内心で冷や汗をかきながらトロストがアルメリアを窘めようとしたが、それは返って逆効果となった。激昂することなく、静かに諭されるように言い返され、彼は彼女から慌てて目を逸らす。逆に彼女の周りを固めている竜騎士達や他の有力者から刺すような視線を受けて彼は何も言えなくなってしまった。

「ワールウェイド公は近日中に形だけの国主選定会議を開き、強引にゲオルグを国主にするつもりです。それは皇祖様が築かれたこの国の秩序を乱す行為です。それだけは阻止しなければなりません。

 既に祖父はゲオルグに与えられていた国主代行の任を解きました。それに伴い、ワールウェイド公も宰相としての地位を失いました」

 トロストは思わず息をのむ。

「では、皇女様が国主代行に?」

「確かに、皇女様ならいずれ国主も務められましょう」

「私ではなく、もっと相応しい方がおられます」

 気の早い有力者達が口々に言い始めるが、アルメリアはそれを制す。

「この春までここ、ロベリアの総督を務めていた叔父のエドワルド・クラウスです」

 広間は一瞬静まり返る。しかし、その場の空気を読めないカサンドラがその静けさを破った。

「そんなの嘘よ。あの方はあの女に殺されたんでしょ」

「口を慎め」

 ヒースから鋭く睨みつけられて思わず身がすくむ。

「殿下はご一家でグロリア様の墓参へ出かけ、フォルビア正神殿よりお帰りになる途中でラグラスの手勢の襲撃を受けた。護衛が足止めしたがリラ湖畔の村で追いつかれてしまい、殿下はご家族を逃がすために孤軍奮闘された」

「その村は予めご一家が船で脱出出来ないよう襲撃されていた。奇跡的に子供が数人生き残っていて、殿下が捕われて連れ去られる現場を目撃している。

 更につい先日はグロリア様の専属医だったリューグナーを捕縛した。奴からも殿下はラグラスに捕らえられていると証言を得られた」

 皇都側からの発表と明らかに異なるヒースとリーガスの報告に広間がざわつき、トロスト父娘に視線が集まる。父親は冷や汗を流しながら震えているが、カサンドラは事の重大さをまだ分かっていない。

「彼等の報告の通り、叔父上はラグラスの姦計にはまり、囚われております。どうか、彼を救いだす助力をおお願いします」

 アルメリアの訴えに大きな歓声が上がった。



 盛り上がる会場を尻目にトロストはこの隙に逃げ出そうとするが、それを阻止したのは溺愛する娘だった。

「ねえ、お父様、お父様から宰相様に頼んであの方を助けていただいたらどうかしら?」

「ば、ばかっ」

トロストは大いに焦った。慌てて娘の口を塞ごうとしたが、既に手遅れだった。カサンドラには難しい話は分からなかったが、エドワルドが生きていることだけは理解した。すると、先ほどまで恋焦がれていたはずのヒースへの気持ちは消え失せ、エドワルドへの想いが再燃してくる。

「酷いわ、お父様。でも、お父様なら宰相様にお願いできるでしょう? そうしたら助けた私達に感謝して、きっと私と結婚して下さるわ」

 カサンドラの妄想は止まらない。能天気な発言に一同は絶句し、散々彼女に悩まされたヒースはこめかみに青筋を浮かべている。そんな周囲の空気をものともせず、彼女は1人悦に浸っていた。

「架空の地位を騙り、ロベリアに混乱をもたらしたこの2人を捕らえよ」

 ヒースの命令でトロスト父娘は警備として控えていた若い竜騎士達に囲まれ、更には乱暴に腕をつかまれる。

「痛―い! 何するのよ」

 突然の事に驚いて抵抗するが、そのまま広間の外へ連れ出される。自分は執政官トロストの娘で、いずれ国主代行エドワルドの妻になるのだと抗議するが、それはことごとく無視された。そして、父親共々捕らえられ、牢に入れられたのだった。




「お見苦しい所を失礼いたしました」

「いえ、構いません」

 広間がようやく静かになったところでヒースはアルメリアに頭を下げる。気付けば集まった有力者全員が彼女に頭を下げていた。

「改めて皆様にお願いいたします。どうか、叔父上を救出し、この国の正義を取り戻すためのご助力をお願いします」

 アルメリアが改めて助力を請うと、集まった一同から大きな歓声が上がる。彼女が彼等の心をガッチリと掴んだ証だった。

 この様子ならもう後顧の憂いなくロベリアを空ける事が可能だろう。後は総督を初めとした文官達に任せ、竜騎士達はエドワルドの救出に向けた最終的な打ち合わせの為にヒースの執務室に移動する。

「お手柄でございます、アルメリア様」

 ヒースは大役を終えたばかりのアルメリアをねぎらう。だが、彼女は寂しそうに微笑む。

「まだ、これからです。皇都を解放するまでは気を抜くことはできません」

「おっしゃる通りです」

 揃った竜騎士達は彼女に同意してうなずいた。するとそこへ慌ただしい足音が聞こえてくる。扉を叩く音が聞こえ、返答を待つのももどかしい様子で部屋に飛び込んで来たのはルークだった。

「ウォルフから情報が届きました」

「本当か?」

 ルークは握りしめていた手紙をヒースに渡す。彼はそれを読み進めるにしたがってだんだんと青ざめ、やがて怒りに代わる。

「ヒース卿?」

「あの、能無し殿下! よりによって叔父に集団で暴行を加えるとは……」

「え?」

 怒りで手紙を持つ手が震えている。ヒースから手紙を受け取ったアルメリアはその内容に眩暈めまいを覚えそうだった。

「あの野郎、どんな神経をしてるんだ……。前祝に処刑だなんて……」

 今にも倒れそうなアルメリアを支え、その手紙の内容を呼んだユリウスの声も怒りで震えている。

「もう、遠慮はいらないだろう。明日の夜、強行突入する」

「今からじゃないんですか?」

「殿下からのご指示だ。出来るだけ多くの者にその瞬間を目撃させ、彼等の非道な振舞を見せつける狙いがあるのだろう」

 逸るルーク達若い竜騎士をヒースは冷静に抑える。

「殿下は怪我をしておられる可能性がある。皇都まで飛竜で移動するのは難しいかもしれないな」

 手紙を読み、渋い表情のリーガスが呟く。グランシアードの怪我は随分と良くなってきたが、体力が回復していないので長距離の飛行はまだ難しいと彼は判断していた。別の移動手段を手配しておかなければならない。

「ウォルフの提案通り、あの船を奪いますか?」

 ゲオルグが皇都から乗ってきた船である。彼の手紙には、船が停泊している桟橋の警備状況も記されていた。

「そうだな。元はと言えば皇家の所有する船だ。殿下が使うのに何の問題は無い。2手に分かれよう」

 ヒースがそう決断した時に、どこからか風が吹き込んだ。そして、低く抑えた笑い声が聞こえる。

「誰だ!」

「なかなか、物騒な計画を立てているじゃないか。私も混ぜてくれないか?」

 重厚な机の奥、タペストリーがかけられた壁際に隻眼の男が立っていた。

役者は揃った!



この勢いで続きを……と行きたい所ですが、次はここに至るまでのアスター&マリーリアサイドの話を一話入れます。すみません。

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