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群青の空の下で  作者: 花 影
第2章 タランテラの悪夢
79/156

28 綻び始めた計略

 祈りを捧げに神殿に籠る朝、出立前にアルメリアは特別に許可が出たので祖父を見舞っていた。

「お祖父……様……」

 2か月ぶりに会った祖父は随分と弱弱しくなっていた。アルメリアが声をかけると、アロンは寝台に横になったまま、可愛い孫娘に手を差し伸べる。

「アル……メリア……。すまぬ……すまぬ……」

 アロンはアルメリアの手を握りしめ、ひたすら謝罪の言葉を口にする。

 現在の状況を生み出した原因は、やはり政が苦手なアロンがそれらを家臣に任せきりだったことに尽きるだろう。アロンも竜騎士の資質が低かったこともあり、グスタフに親近感を抱いた彼が、特にグロリアが国政から引退した後はサントリナ公やブランドル公よりもワールウェイド公の進言を重用してきた結果ともいえる。

 2人の優秀な息子を失い、更にはかわいい孫娘までが不便を強いられているという事態に陥り、ようやく自分がとんでもない間違いを犯してきたことに彼は気づいた。精神的なショックとストレスが相まって、彼の病状は悪化の一途をたどっていた。

「お祖父様、お祖父様が謝られる事ではありません」

 アルメリアは骨ばった祖父の手をそっと握り返す。久しぶりに会った2人は感無量でそれ以上の言葉が出てこない。

「皇女様、出立のお時間が迫っております」

 そんな2人を気遣う様子もなく、ドロテーアは無機質に淡々と面会時間の終了を告げる。

「もう? もう少しどうにかできないの?」

「皇女様、予定の変更は私どもを初め、護衛の兵や付き添う文官及び神官方の時間と手間を無駄に致します。その様な影響を考えなしに仰られるとは如何な事かと存じますが?」

「……」

 彼女の言葉にアルメリアは反論できずにうなだれる。だが、国主付きの年配の女官が彼女を庇う。

「おや、その程度の変更も出来ないとは、最近の女官は随分と質が落ちたこと。主の我儘に応えてこそ、その力量が試されるのではなくて? もっとも、そなたの主はワールウェイド公か。だが、皇女様のご身分はその上に有らされる。秩序を守るのも我らの務めではありませんか?」

 人生の大半をこの本宮で過ごし、女官長も務めた事もあるこの女官は、グスタフが政権を牛耳った直後に配置換えを命じられていた。だが、見事に彼を言葉で言い負かして国主の世話係に居残った強者だった。一介の女官が彼女に勝てる筈も無く、すごすごと引き下がって時間の延長を認めた。更には家族の語らいを邪魔してはならないと部屋からも追い出される。

「さ、皇女様、心配なさらずにごゆっくりお祖父様とお話ししてくださいませ」

 彼女自身もそう言うと、2人に丁寧に頭を下げる。

「ありがとう……」

 彼女の去り際にアルメリアはようやく感謝の言葉を口に出来た。女官は微笑むと部屋の戸を閉めた。

「これを……」

 2人きりになると、アロンはアルメリアに小さな紙片を渡す。それは、母セシーリアからの手紙だった。小さな文字でびっしりと書かれた紙面に彼女は素早く目を通す。その内容に彼女は思わず手が震えてくる。

「お祖父……様……」

「わしらは……気に致すな……。その、通りに……」

 既に手筈が整えられているのだろう。ここでアルメリアが躊躇ちゅうちょしたら、全てが水の泡となって関わった人達全てに危険が及ぶことになる。彼等の為に、ひいてはこの国の未来の為に彼女は決意した。

「必ず……必ず戻ってまいります」

 アルメリアの言葉にアロンはうなずいた。彼女は手紙に書かれた指示通り、内容を全て暗記すると、その手紙を細かくちぎって暖炉の炎で燃やした。全てが灰になると、彼女は立ち上がって再度祖父の手を取って挨拶し、部屋を後にする。

「参りましょう」

 表で待っていたドロテーアに声をかけると、彼女は相変わらず無表情で彼女の後に続く。周囲には警護の兵士が付き従い、物々しい雰囲気が漂う。

 前日にゲオルグがフォルビアへ出立した際には、楽団が招かれて仰々しいほどの見送りがあったのだが、見送りする者も無く、彼女の立場からすると実にそっけない出立となった。警備上の都合という理由で、彼女の動向は公にされていないからだ。

 アルメリアは窓がカーテンで閉ざされた薄暗い馬車に乗り込むと、ドロテーアと2人きりになる。神殿に着くまで重苦しい沈黙が続いた。




 体裁を気にしてか、神殿側の心遣いか、皇家の霊廟が有る神殿でアルメリアに用意されていたのは国主が宿泊する際に使われる最上級の部屋だった。しかも女官を1人しか伴わなかった彼女の為に、見習いの女神官を世話係としてつけてくれた。

「皇女様を甘やかす訳にはいきません。お世話は私1人で充分でございます」

 ドロテーアはそういって神殿側の申し出を却下しようとしたが、神官長が言葉巧みに説き伏せて2人の若い見習いを側に付けてくれたのだ。

 監視役のドロテーアが煩いのであまりおしゃべりは出来ないが、アルメリアは同じ年頃の少女達と会話が出来るのが嬉しかった。

 その日は着くともう夕刻だったので、部屋に案内されて一息つくとすぐに夕餉となった。一日とはいえ旅の疲れもあるだろうからと、その日は早めに就寝する事になり、祈りの儀式は翌日からとなった。

 1日目は古来から受け継がれる仕来りに則り、女神官服に身を包んだアルメリアは始祖を祀る霊廟で計3回祈りを捧げた。そして2日目の午前中は前日同様に祈りを捧げ、午後の祈りは父親の墓もある王家の墓所に続く祈りの間で祈りをささげることになっていた。

「ここから先は皇女様のみお入りください」

 神官長は祈りの間の入口で立ち止まると、重々しい扉を開ける。アルメリアは遺品の竜騎士正装を抱えて中に足を踏み入れた。ドロテーアも当然といった様子で後に続こうとしたが、神官長に押しとどめられる。

「何故です?」

「仕来りでございます」

 不満そうな彼女に神官長はそれだけで済ませるとさっさと扉を閉めてしまい、揃いのかぶとをかぶった、神殿の兵士がその扉を守る様にして立つ。アルメリアはこの中で一時ほど祈りを捧げる事になっていた。

 ハルベルトの葬儀は、エドワルドの到着も待たずに早々とゲオルグを喪主にして皇都の大神殿で行われた。家族である自分達の意向を無視し、あまりにも性急に行われたため、アルメリアはグスタフに随分と詰め寄った。だが、逆に行動を制限され、埋葬にも立ち会わせてもらえなかった。

 正直、まだ父親が亡くなった実感が湧かない。葬儀もどこか他人事のような気がしたのは、もしかしたらまだ父親は生きていて、何事も無かった様に現れてこの混乱を鎮めてくれるのではないかとアルメリアは心のどこかで願っていたからかもしれない。




 誰もいないはずの霊廟にカツンと足音が響く。アルメリアがハッとして顔を上げると、そこに一人の若者が立っていた。シャツとズボンは薄汚れ、どこかで引っ掻けたのかあちこちほつれている。髪の毛もちょっとボサボサになっていて、枯葉や綿埃わたぼこりもくっついていた。

「ユリ……ウス様……」

 グスタフによって一方的に婚約破棄にされ、この2ヶ月という間、会いたくても会えなかった相手がそこに立っていた。アルメリアがその名を呼びかけると、彼はふわりと笑いかける。

「ようやく会えました。姫様」

「会い……たかった……」

 アルメリアはその胸に飛び込んでいた。ユリウスは彼女をしっかりと抱きとめる。

「お迎えに上がるのが遅くなってすみません。さぁ、行きましょう」

「はい……」

 皇家と深いかかわりのあるこの霊廟には幾つかの隠し通路があった。詳しくは記録に残されていないが、やはり過去に国が荒れていた頃に万が一を想定して作られたのだろう。

 この神殿だけでなく、本宮にもある隠し通路の存在は皇家の直系のみに代々伝えられている。今回、アルメリアを脱出させるにあたり、アロンがその存在を明かして計画が練られたのだ。わざわざこの神殿から逃がす事にしたのはいくつか理由があるが、本宮に比べると警備兵の数が少ないのが一番だろう。

 ユリウスは父親の形見の竜騎士正装を抱えたアルメリアの手を取り、奥の壁に開いた穴から暗い通路へ出る。皇祖のありがたい言葉が刻まれたレリーフが通路へつながる扉となっていて、彼は内側から慎重にそれを閉めた。

「足元に気を付けて」

 人が1人ようやく通れる通路は真っ暗で何も見えない。ただ、目のいいユリウスには見えている様で、彼女の手を取り、しっかりとした足取りで先を進む。やがて前方に明かりが見えてきた。自然と2人の足の運びは早くなり、外からの光が差し込んでいる場所に着く。よく見ると、天井に人が一人通れるほどの穴が開いていて、目隠しの為に板で覆われていた。その隙間から光が漏れている。

「様子を見てみる」

 ユリウスはそっとその板を動かすと、通路にも傾きかけた日の光が入って来る。その眩しさに目が慣れると、彼は穴の縁に指をかけてその力だけで体を持ち上げる。穴から顔だけ出して辺りを窺い、誰もいない事を確認すると、そのまま地上へ体を持ち上げた。

「大丈夫」

 周囲に人の気配がない事を再度確認し、ユリウスは穴の中へ手を差し伸べ、先ずはハルベルトの遺品を受け取る。そして今度はアルメリアの腕を掴むと、彼女を地上へと引き上げた。

「ここは……厩舎?」

 2人が出た所は厩舎の片隅にある用具置き場だった。本当はまだ通路は続いていて、この先に進むと神殿の敷地の外に出られるのだが、あちこち崩れていてとても危険な状態だった。事前にそれらの事を調べ上げ、ここから馬を拝借して逃げる計画に変更したのだ。

「ええ。もう少ししたら騒ぎが起きます。その混乱に乗じて逃げましょう」

 ユリウスは穴を元あったように石で塞ぐと、手近にいた馬にてきぱきと装具を整える。そしていつでも動けるように、2人共騎乗してその時を待った。




 祈りの間から締め出され、ドロテーアは落ち着きなくその扉の前をうろうろしていた。主であるグスタフから、この神殿ではアルメリアから決して目を離すなと厳命されていたからだ。出立前のアロンの部屋での事と言い、この事と言い、予定外の事態が続いて少なからず彼女は焦っていた。

「嫌な予感がする……」

 ワールウェイド家、そして己の血を引くゲオルグを国主にするというグスタフの悲願は彼に忠誠を誓うドロテーアの一族の悲願でもあった。この儀式が済めばなし崩しに事が進むのだが、目の届かないところへ皇女を一人きりにしてしまい、言いようのない不安が過る。

「扉を開けて頂けませんか? 中を確認するだけでいいのです」

 扉の外に控えている兵士に頼むが、彼等は首を横に振る。

「まだ半時も経っておりません。祈りが終わるまでは扉を開ける事は出来ません」

「仕来りだから出来ないと?」

「左様でございます」

「……」

 護衛兵の言葉にドロテーアは強く唇をかみしめた。

「仕来り、仕来りと小賢しい……。私は宰相閣下に此度の権限を与えられているのですよ!」

「お言葉ではございますが、ここで全ての権限を担っておられるのは神官長でございます。今、中にお入りになられたいのでしたら、神官長のご許可を頂く必要があります」

「……」

 神官長は午後の務めの最中だった。今から会いに行っても門前払いをされるのが目に見えている。どうすれば中に入れるか、ドロテーアは必死で考えを巡らせた。

「火事だー!」

 その時、外で誰かがそう叫んだ。窓の外を見れば、厨房の方からモクモクと黒い煙が上がり、消火活動をしているのか人が慌ただしく行き交っている。厨房からこの祈りの間までは距離がある上に別棟になっているので、延焼の心配はそれ程ない。急いで避難しなければならない事態ではないが、扉を開けるのにちょうどいい口実ができた。

「皇女様が心配です。開けて下さい」

 護衛の兵士たちは顔を見合すと、仕方ないといった様子で扉を開ける。ドロテーアは内心ほくそ笑むと中へと入っていく。すると、唐突にガチャンと音がして扉が閉められた。

「え?」

 突然の事に狼狽し、慌てて扉を開けようとするが、外から鍵が閉められている。ガチャガチャと取手を引いたり押したりするがびくともしない。

ハッとして振り返り、部屋の中を見渡すが、皇女の姿も見当たらない。日が傾き、薄暗くなり始めた祈りの間に彼女は1人取り残された。




 辺りが薄暗くなってきた頃、厩舎の外が騒がしくなった。アルメリアが不安げにユリウスを見上げると、彼は安心させる様に微笑む。ふと、彼の髪に藁屑が付いているのに気付き、それを摘まんでとる。

「ありがとう」

 ユリウスは礼を言うと、そっと彼女の頬に口づける。アルメリアは驚いた様子で頬を染める。

「火事だー!」

 外から誰かが叫ぶのが聞こえる。何かが焦げる匂いもしてきて緊張が高まる。アルメリアは遺品の包みをしっかりと握り直し、ユリウスは目立つ彼女の髪をフードで隠した。

「行くよ」

 ユリウスは一つ深呼吸をすると馬を厩舎から出す。外は消火活動の最中で騒然としているが、現場は厩舎からは少し離れているので馬を歩かせるのは問題ない。神殿の敷地内を先ずは緩駆けで門に向かう。火事に関心が集まっているおかげで誰にも咎められずに門に着いた。

「しっかり掴まって」

 敷地内にいる警備兵のほとんどは神殿側の兵士が占めるが、門の外は皇都から来た兵士が物々しく警護している。火事の騒ぎで浮足立っている様子だが、このまますんなりと外に出るのは難しいだろう。

 ただ、アルメリアが来てからは警護の名目でずっと閉められていた門は火事の騒ぎで開いていた。ここを抜ける為の小細工も色々と考えたが、門で行われる検問ですぐにばれるのは目に見えているので諦めた。結局ここは正面突破を決行する事にし、ユリウスは馬の速度を上げさせると一気に門を抜ける。

「おい、止まれ!」

 すぐに兵士が気付いて呼び止められるが、それに素直に従う義理はない。馬の脚にモノを言わせ、野営地も一気に走り抜ける。するとアルメリアにかぶせていたフードが風にあおられ、その美しいプラチナブロンドが日没間近の光を受けて輝く。

「皇女様?」

「皇女様がさらわれたぞ!」

 護衛に付けられていた兵は優秀な者を集めていたらしい。すぐに追跡隊が編成されてユリウスを追ってくる。

「……ごめんなさい」

「大丈夫、想定内です。しっかり掴まっていてください」

 謝罪するアルメリアにユリウスは安心させるように笑いかけ、彼女の肩を抱く手に力を込める。

「待て!」

 2人を乗せている分負担が大きいのか、だんだんと追手が迫って来る。ユリウスは迷うことなく馬を近くの森へと向かわせ、細い獣道を選んで走らせる。続けて追跡隊も後に続くのだが、ここには事前に追手を振り切る為の罠が張り巡らされていた。

 追手は大人数である。彼等はユリウスを追うのに律儀に獣道をたどるような真似はしない。木々の間を縫うようにして追ってくるのだが、獣道の両端には段差を利用して作った落とし穴があった。積もった落ち葉で表面を覆っているので誰も気付かない。1頭2頭と馬が足をとられて転び、後続がまたその馬につまずく。気付けば追手の数は半分に減っていた。

「すごい……」

「私1人の力じゃないよ。仲間が手伝ってくれたし、強力な助人が来たからね」

「?」

 意味深な言い方をしながら今度は急に獣道から逸れる。急に道を逸れたので、追手の先頭を走る馬は曲がりきれずに大きく道を逸れた。実はその近くの木の根元には蜂が巣を作っていた。他の昆虫を餌とする獰猛で体が大きな種類の蜂である。運悪く追手の馬がその巨大な蜂の巣を踏みつけて壊してしまい、怒った蜂たちがその乗り手や後に続く兵士達にも襲い掛かる。

「うわー」

 混乱する彼等を後目にユリウスは馬を走らせ、やがて森の反対側へと抜けて開けた場所に出た。しかし、その先は崖で行き止まりだった。

「そこまでだ」

 どうやら運のいい兵士が何名か森を抜けてきたらしい。中にいた隊長格の男が弓に矢をつがえてユリウスに放つ。本気で狙ったわけではないらしく、矢は彼の頬をかすめた。傷口から血が流れ出て、アルメリアは真っ青になって叫ぶ。

「ユリウス様!」

「大丈夫」

 不安げに見上げるアルメリアの肩を抱きながらユリウスは答える。一方で皇女を連れ去った犯人の正体に兵士達は一瞬尻込みするが、隊長はもう一本矢をつがえてユリウスに狙いを定める。

「とうとう宰相閣下に反旗を翻したか、ユリウス卿。皇女様を解放しろ」

「従う義理は無いね」

「その先は崖だ。もう逃げられないぞ」

 なかなか優秀な部隊だったらしく、あれだけの罠を潜り抜けて30名ほどの兵士が森を抜けてきた。そんな彼らに舌を巻きながらも背中を見せていたユリウスは馬を操り彼等に向き直る。

「これだけの罠を張って置いて、これで終わりだと思うか?」

「何?」

 一瞬彼等は躊躇するが、周囲を見ても罠を張るような場所は無い。雨が降ろうが、槍が降ろうが、彼等は職務を全うしなければならない。隊長は彼の言葉を鼻で笑うと、部下達に命じる。

「反逆者を捕えて皇女様をお救いせよ」

 兵士達が一斉に動こうとしたその時、正に空から槍が降ってきた。その槍は隊長の目の前の地面に突き刺さる。

「何?」

「飛竜だ!」

 空を見上げれば2頭の飛竜が地面に激突しそうな勢いで突っ込んでくる。そして2頭は地面すれすれで制動をかけると、ユリウスと兵士たちの間に降り立った。騎手のいない赤褐色の飛竜はユリウスのフレイムロード。そして暗緑色のもう一頭はエアリアルだった。飛竜の背から地面に突き刺さった槍を引き抜くと、ルークは兵士達を睨みつけて牽制する

「まさか……」

「雷光の騎士!」

 兵士達の中には前年の飛竜レースを見ていた者もいた。あの鮮烈なゴールシーンは忘れられる筈も無く、国主アロンより直々につけられた二つ名は最早皇都では知らない者はいない。

「どうしてルーク卿が……」

「理由は後で。さ、急ごう」

 不思議に思うアルメリアを急かし、ユリウスはフレイムロードに彼女を乗せる。そしてすぐに準備を整えると、崖を利用してすぐに飛び立つ。

「悪いな、これで失礼するよ」

 ルークにしては珍しく、人の悪い笑みを浮かべるとエアリアルを飛び立たせる。完全に日が沈み、やがて暗くなった空に溶け込んで2頭の飛竜は見えなくなった。




 皇女をさらった曲者を追っていた一隊は、まんまと逃げられただけでなく、仕掛けられていた帰り道用の罠にもかかって全員ヘトヘトになって神殿に帰って来た。責任感の強い隊長は、それでも曲者を追う手配をし、協力を求める為に神官長に面会を求めた。

「ただ今、神官長は火事の後始末に奔走されておられます。申し訳ございませんが、今日中の面会は不可能かと……」

 対応した神官にそう言って断られ、隊長は仕方なく引き下がった。そこで今度は、常にその動向を監視していたはずの皇女付きの女官から詳細を聞こうと、部屋を訪ねたのだが姿が見えない。

神殿滞在中に皇女の世話係となった見習いの女官達もずっと姿を見ていないと聞いて、ようやくドロテーアの捜索が始まった。

 結局、ドロテーアが閉じ込められていた霊廟から解放されたのは、夜も更けてからだった。寒さと孤独感と恐怖とで半泣きの状態で救出された彼女は、皇女が攫われたと聞いて手近にいた神官達に盛大に八つ当たりを始めた。

「皇女様を1人にするから……あんた達が邪魔をしたから皇女様は……ああ、大殿に何てお詫びすれば……」

 ヒステリックに泣きわめく彼女にその場にいた神官や兵士は失笑をこらえるのに必死だった。我慢が限界に達しそうになったところで、火事の後始末の陣頭指揮を執っていたはずの神官長がその場に顔を出す。

「泣いたり、怒ったり忙しいことですなぁ」

「神官長! あんた……あんたの差し金でしょう?」

「何が、ですかな?」

 ドロテーアの目が異様に血走っている。

「私から皇女様を引き離して、あんな陰気くさい所へ閉じ込めたのはあんたでしょう!」

「言葉を慎まれた方が宜しかろう。皇家の祖霊が祀られておられる場所ですぞ」

 激昂する彼女に神官長は苦笑して窘める。間違いなく不敬罪に問われる発言で、隊長も慌てて止めるが、興奮した彼女の怒りは一層激しくなる。

「あんた達がブランドルの息子と結託して姫様の逃亡に手を貸したんだわ!」

「ドロテーア殿……」

「おや、皇女様は攫われたのではなくてお逃げになられたのでございますか?」

「そうよぉ、私をあんな所にわざと閉じ込めてあんた達は皇女様を逃がしたんだわ!」

「ほぉ……。と、なりますと、あなた方……つまりワールウェイド公は何の理由もなくアルメリア皇女の自由を奪っておられた、ということになりますな」

 神官長の細められた目がドロテーアと隊長に向けられる。ドロテーアは自分の失言にようやく気付いて大いに狼狽える。

「それは……その……」

「わが国で最も高貴な皇家の血筋を受け継がれる皇女様を、臣下に過ぎないワールウェイド公が何の権利があってその自由を奪っておられるのでしょうか? 噂ではアロン陛下もセシーリア皇子妃様までもが外出はおろか面会もままならない状態だと聞きます。宰相の地位を得られたとはいえ、これは越権行為に当たるのではありませんか?」

 畳みかけるような神官長の言葉にさすがのドロテーアも蒼白となる。しかし、それでも気丈に反論を試みる。

「わ……私の失言だけで大殿を咎める事は不可能です」

「左様。我々は皇女様誘拐の共犯者としてあなた方を捕える事も可能です」

 口をはさむ暇のなかった隊長もここは強気に援護する。

「そうですな、ここには証拠がありませんな。しかし、皇女様は自由を得られた。現在のワールウェイド公に反感を抱く方々は大義名分を手に入れた訳ですな」

「……」

 あくまで他人事のような神官長の言葉に2人は一気に血の気が引いていく。

「皇女様を連れ戻さねば……」

 隊長は我に返ると、部屋を出て行こうとする。しかし、その行く手を神殿の兵士が塞ぐ。

「な……」

「彼等が事を起こすまで、ここで大人しくして頂きましょう。ああ、貴方が手配された皇都への急使は既にこちらで押さえました。あちらへは代わりに皇女様が急病でしばらくこちらに留まると知らせましたのでご安心を」

「な……」

「他の兵士達も全員身柄を確保しております。まあ、野外活動で随分とお疲れのようでございましたから、こちらでごゆるりと養生して頂きましょう」

 神官長の合図で既に脱力していた2人はすぐに捕えられた。そして部屋の外へと連れ出されていく。

「さて、竜騎士方のお手並み拝見といきましょうか……」

 真っ暗な窓の外に目を向けて神官長は1人呟いた。

 ちなみに、火事になったのは厨房の隣に建つ古びた倉庫。近々建て替えが決まっていたその倉庫の中には、よく煙が出るように生木の枝が詰められていたのだった。


ちょっと補足

作中での女官と侍女の違い

女官は公費つまり税金で雇われている女性秘書官。

本宮で働くには、教養と礼儀作法、そしてある程度の後ろ盾が必要。

ドロテーアはグスタフの命令で、アルメリアのスケジュールを管理すると言う名目の元、彼女を監視していた。

侍女は私費で雇った身の回りの世話をするお手伝いさん。

教養や礼儀作法は雇い主の好みによる。

ちなみにオリガはグロリアの私費で雇われていたので侍女になる。

但し、彼女の元で鍛えられているので、本宮の女官と同程度の教養と礼儀作法は身に付けている。

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