26 フォルビアの暴君1
地味に仕立てた馬車の車輪は、抗議するかのように耳障りな音をたてながら激しく回っている。だが、襲撃者から逃れる為にはそんな事には構っていられない。夜の街道をその馬車は全力で疾走していた。
「急げ、急ぐのじゃ」
真っ青な顔をしたヘザーは御者に向かって甲高い声で何度も喚き、恐怖で激しく泣いているバートをその母親は真っ青な顔で抱きしめていた。
ヘデラ夫妻やヘザーといった親族達がワールウェイド公グスタフの返事を待たずに皇都へ出立しようとした矢先、ようやく彼から返答が届いた。しかし、待ちに待った手紙には目通りできるのは子供の他に付き添いは1名と記されていた。
誰が行くかでもめにもめたが、結局は全員で行き、誰が目通りをさせてもらうかは向こうで決める事にしたのだ。計画がうまくいかなかった場合、フォルビアに残っている者から粛清されるのは間違いなかった。ラグラスに気付かれる前にワールウェイド公の元へ急がねばならず、彼等は二手に分かれて皇都を目指す事になったのだ。
「何故じゃ……何故……」
激しく揺れる馬車の中、ヘザーはなおも喚き続ける。計画は完ぺきだったはずだ。彼女達は闇にまぎれてフォルビア領内を北上し、夜明け前には北のワールウェイド領に出る予定だった。もう一組のヘデラ夫妻はフォルビアの西から隣領に出る大回りのルートを選んでいた。
但し、地味に仕立てたとはいえ貴族が所有するような大型の馬車である。それが2台も連なり、おまけに護衛がぞろぞろとついていれば嫌でも目立つ。それに彼女達は気づけなかった。
結果、ヘザー達の一行は盗賊に襲われたのだ。始めの一撃を受けた時点で護衛の何人かはさっさと逃げてしまった。ヘザー達も荷物(ほとんどがヘザーの着替え)を乗せた馬車と残った護衛を犠牲にして逃げてきたのだが、追手を恐れて全力で馬車を走らせているのだ。
更に運が悪いことに、襲撃の混乱の中、逃亡に選んだ道はフォルビア城へ向かう街道だった。川沿いの道をひたすら走っていると、やがて悲鳴を上げていた車輪が壊れて横転し、車は川へ突っ込んでいた。
「だ、誰か……」
川に投げ出されたヘザーは必死でもがく。ドレープの多いドレスは水を吸って体にまとわりついてくる。大量に水を飲み、意識が遠のきかけたところで誰かに腕を掴まれて引き上げられた。
「大丈夫ですかな?」
「……げ、げほっ……」
助けてくれたことに感謝しようと顔を上げたヘザーは固まる。そこにいたのは武装した一団で、ラグラス配下の城の警備兵だった。どうやら異変に気付いて様子を見に来たのだろう。
「何があったのか、じっくり話を聞きましょうか、ヘザー様」
「ひぃぃっ……」
一団を率いる隊長はヘザーとも顔なじみの相手だった。彼女は恐怖のあまりその場で卒倒した。
ウォルフ・ディ・ミムラスは書類の束を抱えて忙しなく廊下を歩いていた。くすんだ金髪と揶揄された事もあるダークブロンドにそばかすの残る顔、小太りの体を揺らしながらセカセカと足を動かすさまはどこか滑稽に映る。
少し前まではゲオルグの取り巻きとして、一年前の夏至祭に起こした事件の犯罪者としてつまはじきにされていたが、今では国政を掌握したワールウェイド公の部下として大手を振って歩ける身分となった。
今はもう誰も彼の事をからかったり揶揄したりする者はいない。両親や祖父母は相変わらずだが、親戚や知人の多くは今までとは掌を返したように彼に媚を売り、へつらう者もいて実に気分が良かった。
「ウォルフでございます」
ウォルフは宰相執務室の前に来ると、戸を叩いて声をかける。ほどなくして返事が帰って来たので静かに扉を開けて部屋の中に入った。
「失礼いたします。先日の法改正に関する書類をお持ち致しました」
「おお、ごくろう」
机に向かっていたグスタフはにこやかに彼を迎える。ウォルフは所持した書類の自分なりの気付きを添えて彼に手渡した。
「……ふむ、良くできている。君は見込みがあるな」
グスタフは満足げにくとうなずくと、その書類にすぐサインをする。ウォルフは内心舞い上がりそうになるのを必死に堪えた。
「それはそうと、殿下のご視察の準備は順調に進んでおるか?」
「はい、準備は万端整ってございます」
ウォルフは笑顔で答えるが、実は肝心のゲオルグ当人がこの視察に乗り気ではなかった。出発まで後2日。グスタフも承知している事とはいえ、その日になって行方を眩まされないように、他の取り巻きが護衛という名目の元、今から彼の動向を見張っている。
「ラグラスが最高のもてなしをするから期待して欲しいと言っておる。その旨を殿下にお伝えすれば多少は心を入れ替えられるであろう」
「かしこまりました」
さすがは宰相閣下だとウォルフは改めて彼を尊敬する。その後も忙しいにもかかわらず、グスタフは政に関する意見交換をウォルフと交わし、熱心に自分が思い描く未来を若い彼に語って聞かせる。
「今までこの国は竜騎士の資質がある者だけが優遇される仕組みとなっておった。しかし、国を動かすのにその資質は必要ない。必要なのは礎の里が示す大陸の指針をしっかりと理解し、それを政に生かしていく力だ。
ワシはのう、当代様を中心とした世の中を作りあげれば、大陸からは自ずと争い事は消えていくと思っておる。その為には血統に裏付けられたしっかりとした後ろ盾を持ち、神殿と密に連携出来る者が必要なのだ。
政に竜騎士の力は必要ない。奴らはただ、妖魔を狩っておればよいのだ。そうは思わぬか?」
「はい、私も宰相閣下の意見に賛成です」
ウォルフの返答にグスタフも満足げにうなずく。そこへ戸を叩く音がしてグスタフの側近が入室してくる。彼はウォルフの存在に少し顔を顰めたが、グスタフに近寄ると小声で何かを報告する。
「……子供が……」
「……真か?」
「はい、おそらくは……」
何やら予定外の事が起こったらしい。グスタフは先程までとは打って変わって非常に厳しい表情となる。すぐに退出するべきであったが、既に辞去するタイミングを完全に逃してしまったウォルフはその場で大人しく待つことにした。
「如何致しますか?」
「気付かれたところでワシに刃向うような真似は出来まい。だが、奴の動向からは目を離すな」
「かしこまりました」
指示を受けて側近は一礼をすると部屋を出て行った。
「ああ、待たせてすまなかったね」
グスタフは先程までの表情とは一転させて穏やかな笑みをウォルフに向ける。
「いつまでもすみませんでした。私もこれで仕事に戻ります」
「おお、そうか」
「それでは失礼いたします」
ウォルフが頭を下げて部屋を出ようとすると、なぜかグスタフが呼び止める。
「ああ、ウォルフ君」
「はい」
「君には期待しているよ」
「……ありがとうございます」
雲の上のような存在からそのように言われ、ウォルフは感激して涙が出そうだった。竜騎士の資質を持たなかった彼には祖父母や両親にさえ言われた事が無い言葉だった。辛うじてもう一度作法通りに頭を下げると静かに宰相執務室を後にした。
ヘデラ夫妻はヘザーとは異なる道を選んで北上していたが、ワールウェイド領の直前で待ち構えていたラグラスの部下にあっさりと捕まってしまった。そして保護という名目のもと、周囲をがっちりと固められて城へと連行されていた。
「わしを何だと思っておる! この扱いは何じゃ!」
持ち出そうとしていた高価な品々は全て没収され、馬車から物資運搬用の荷車に乗せられた2人は道中しきりに不満を爆発させるが、誰一人相手にしない。周囲にはた迷惑な一行は深夜の街道をフォルビア城へと向かっていた。
「こんなに早く収束するとは思わなかったな」
「そうですね。もう少し混乱してくれるとありがたかったのですが……」
その様子をキリアンとルークの2人が物陰から伺っていた。2人はフロリエとコリンシアの遺骸が乗った船が流れ着いたと言う場所へ行ってきた所だった。その船を発見した近くの村の自警団員や埋葬に立ち会った人々から話を聞き出し、村人が作った簡素な墓に花を供えてきた。
2人は船に乗っていた親子はフロリエ達ではないと確信した。いくら獣に荒らされたとはいえ、あの、コリンシアの髪が全て無くなるはずは無い。発見した自警団員も埋葬に立ち会った人達もあの目立つプラチナブロンドを目にはしていなかった。そして埋葬した人物の話によると、亡くなった子供はコリンシアよりも小さな乳飲み子ぐらいの大きさだったらしい。
その村を出た2人ははやる気持ちを押さえつつ、フォルビアの街へ向かう途中だった。下町の酒場にリューグナーが現れ、ラグラスへの不満をぶちまけているという噂を聞いていたので、場合によってはその身柄を確保する為だった。
「この事は早く知らせた方が良いな」
「そうですね。一旦戻りましょう」
「ああ」
2人は頷き合うと、馬を置いて来た場所に一旦戻った。そして、拠点にしているマーデ村へ向けて馬を走らせ始める。
警備兵とかち合うのを避ける為に森を突っ切って近道をし、街から幾分か離れたところで再び彼等は街道に出ていた。川沿いに馬を走らせていたのだが、ふと川の中ほどで何かの残骸が引っ掛かっているのが目に留まる。目のいいルークは僅かな月明かりの元で、その残骸に人が捕まっているのに気付いた。
「あれ、人じゃないですか?」
「何?」
キリアンも馬を止めて目を凝らす。確かに人の姿が見える。しかも2人いるようだ。
「助けよう」
彼等の性分としてこのまま放置することは有りえなかった。すぐさまザブザブと川へ乗り入れ、馬を残骸の元へ向かわせる。よく訓練された2頭は速い流れをものともせずに、操者の意のまま力強く泳いでいく。
「息がある」
残骸に子供と半身を乗せた女性が気を失っていた。キリアンが女性を、ルークが子供を抱きあげてすぐさま馬を岸に向かわせる。
「しっかりしろ」
長い時間水に浸かっていたせいか、2人共体が冷え切っていた。手早く火を起こすと、女性相手に気が引けたが、やむなく濡れた服を脱がして自分達の着替えに包む。そして体を摩ってやるが、一向に目を覚ます気配もない。しかも子供の方は随分と具合が悪そうだった。
「まずいな」
2人も濡れた服から手早く着替え、火にあたる。ここからだと街の方が近いのだが、素性がばれないように彼等を医者に見せるのは至難の業だ。マーデ村に帰るのが一番いいのだが、馬で戻ると着くのは明け方になる。
2人共緊急措置でやむなく濡れた服を脱がして自分達の着替えで包んでいる状態である。妙齢の女性に朝までこの状態は気の毒だし、子供もこのまま朝までとなると重篤な状態になりかねなかった。
「とにかく少しでも移動しよう」
「はい」
飛竜に乗り慣れていると、こんな時にもどかしさを感じる。運動で放している時間帯だが、そうそう都合よくこんな所まで来ないよなぁ……。そんな事を頭の片隅で思いながら手早く後片付けをしていると、飛竜の気配が近づいてくる。
「……シュトロームか?」
「高度下げろ、ハンス。見つかるぞ」
どうやらロベリアへ使いに出ていたハンスがまた迷ってこちらまで来たようだ。2人は懲りない彼に呆れながらも、今回ばかりは助かったと心底思ったのだった。
パチパチと炎が爆ぜる音で彼女は目を覚ました。粗末な作りの小屋の中、質素だが清潔な寝具に包まれて彼女は寝かされていた。
「ここ……」
確か皇都に向かう途中で盗賊に襲われ、馬車の車輪が壊れて川に投げ出されたのだ。息子を抱えたままどうにか破片に掴まったまでは覚えている。気力が尽きた自分達を誰かが助けてくれたらしい。
ゆっくりと体を起こすと、隣の寝台には息子が静かな寝息を立てていた。思わず安堵の息を吐くが、目が回って起きていられず、再び寝台に横になる。
「あら、目が覚めたのね」
木戸が開いて栗色の髪の女性が入ってきた。水を張った桶を手にした彼女は寝台の側まで来ると汲んだばかりらしいその水で布を濡らし、子供の額に当てる。そしてテーブルにあった水差しから手つきの器に水を入れると、それを彼女に手渡してくれた。
「すみま……せん」
彼女は感謝して受け取ると、その水をゆっくりと飲む。何か混ぜてあるらしく、ほのかに甘くて優しい香りがした。
「私はジーン。昨夜、川に流されているあなた方を仲間が見つけて助けたの。こちらの子はもう少し発見が遅かったら肺炎を起こしていたかもしれないって」
「そう……でしたか……。ありがとう、ございます」
わざわざ助けてくれたのならば害意は無さそうなのだが、一見人の好さげなこの女性は一体何者なのだろうかと警戒して口が重くなる。辛うじて礼は言えたが、何をどこまで話すべきか判断に迷ってしまう。
「無理に今全てを話さなくていいから、名前だけ教えて頂けますか?」
彼女の葛藤を見抜いたかのようにジーンと名乗った女性は優しい笑みを浮かべたまま名前を尋ねる。彼女は一瞬、躊躇したが、相手は名乗ってくれているので偽りなく本名を名乗る事にした。
「私はディアナと言います。この子はバート」
「ディアナさんですね。何か用意してきますから、横になって待っていてください」
ジーンはそれだけ言い残すと、部屋から出て行った。
いったい何者なのだろう……。片田舎で暮らしていた彼女達を言葉巧みに連れ出したヘデラ夫妻の様な胡散臭さは感じないが、すぐに信じる気持ちは持てなかった。
ラグラスへの復讐心は捨てきれていないが、こんな目に合うのならばもう関わりたくは無いとも思う。ディアナは傍らで眠る息子を眺めながら、この先どうするか迷っていた。
助けた2人は親子だった。ディアナと名乗った女性はどうやら訳ありの様子で身寄りがない事と盗賊に襲われた事以外は自分達の事を話したがらない。ただ、オルティスはその名前に心当たりがあった。
「昔、ラグラスが認知した子供とその母親ではないかと……」
赤子を連れた女性が城へ押しかけてきたのをグロリアが知り、彼女が口添えした事でラグラスが不承不承認知したのはエドワルドがロベリア総督に就任して間もないころの事だった。オルティスはグロリアの命令でその場に立ち会った為にその名まで記憶していたのだ。
「状況から判断して、ヘデラ達に担ぎ出された……といった所か」
「その様ですね」
リーガスの呟きにキリアンも同意して頷く。
明け方に拠点へ戻ったキリアンとルークが一通りの報告を終えた後に仮眠をしようとしたところでディアナが目を覚ました。続けて子供も目を覚ましたので、ジーンが彼等に食事を用意し、話を聞き終えるまで待っていたら完全に日が昇っていた。結局仮眠する暇もなく、2人は朝食を摂りながらの情報交換に加わっていた。
「行く当てもなさそうだから、またロイス神官長に保護を頼むようになるわね」
「仕方ないな。だが、少しでも話をしてくれるといいのだが……」
ディアナを介抱したジーンも、濡れた服を着替えさせたキリアンも彼女の体の至る所に傷跡が有るのに気付いた。ラグラスの性癖を聞いたことがある2人は、オルティスの話を聞いて彼に付けられたものだと確信していた。
「恨んでいるのかしら? ラグラスの事を」
「可能性はあるだろう。金を貰ったとはいえ、子供が出来たのに捨てられたんだ。ヘデラ達の誘いに乗ったのも復讐出来ると踏んだんじゃないのかな」
「状況からすると、ヘデラ夫妻だけでなくヘザーも既に囚われている可能性は高いな。川に投げ出されたのは逆に運が良かったのかもしれない」
用意されていた食事も殆ど空になり、一同はオルティスが淹れたお茶を味わいながら飲む。ビルケ商会やジーンの実家を始めとするエドワルドと懇意にしていたロベリアの有力者数名から彼等は支援を受けているが、正直に言うと財政状況はあまり良くない。各竜騎士が自分の貯蓄を切り崩したりしているが、活動資金に提供したルークの実家から預かったお金もそろそろ底を尽きかけている。今の彼等にはオルティスが淹れたこのお茶が最高の贅沢となっていた。
「そうだな」
リーガスがふと視線を移すと、ルークが壁にもたれて眠っていた。実家で療養したものの、彼はまだ完全に復調してはいない。5日間、情報収集で出かけていた間も殆ど休まずにいたので、相当疲れているのだろう。
「おい、ルーク。奥で……」
キリアンが声をかけるが、完全に寝入っているようだ。オルティスがそっと彼に上掛けをかけてやる。
「仕方ない、ここで眠らせてやろう。キリアン、お前も休んでおけ」
「はい」
キリアンも一つ伸びをすると、席を立って寝室になっている奥の部屋へ向かう。彼等は明朝、フォルビアの街へ情報収集に出直す事になっていた。特にあの街では素性がばれないように神経を使うため、出来るだけ体を休めて疲れをとっておきたいところだ。
リーガスとハンスが音をたてないように静かに部屋を出て行くと、ジーンとオルティスは眠っているルークに気を遣いながら静かに空いた食器を片づけ始めた。




