24 一族をあげて2
開け放った窓から涼やかな風が入ってくる。
フレア達が助けられて7日経っていた。良く晴れた昼下がり、ようやく体調が回復したオリガがフレアとコリンシアの元を訪れていた。コリンシアもフレアの部屋に寝台を移してからは、みるみる体調が良くなり、昼間は起きていられるようになっていた。ただ、フレアだけは、祖父のペドロから安静を言い渡されており、未だ起きて動くことも出来ないでいた。今も寝台に横になったまま、来てくれたオリガにそっと手を差し伸べる。
「本当に良かった、あなたも無事で……」
「フレア……様……」
数日前に女主の本名を知ったばかりなので、オリガにとって違和感があるのは仕方がない。ためらいがちにそう呼び、未だ体調が優れないにもかかわらず自分を気遣ってくれる彼女の手を取った。
「ねえ、オリガ。ティムは?」
母親の寝台の縁に座っていたコリンシアがオリガに尋ねる。過酷な旅の間は一番働き、襲ってきた盗賊にも果敢に立ち向かっていった少年の姿を彼女はずっと見ていない。ペドロやマルトから回復していると聞いていても、やっぱり彼の事が心配なのだろう。
「まだ動き回る事はできませんが、随分と傷も良くなりました。ご心配なさらないでください、姫様」
聞かれるのが分かっていたので、オリガはここに来る前に弟の様子を見に行っていた。母屋の別室で治療を受け、ペドロや弟子のグルースも驚くほどの回復力を見せているという。もう少しすれば起きて動くこともできるだろう。
「そう……よかった」
オリガの話を聞いてコリンシアは笑顔を見せた。フレアは手を伸ばしてそっと娘の頭を撫でた。
「この村では昔から薬草の研究が盛んに行われています。おじい様もその一人で、父と母も生前はその手伝いをしていたそうです。ティムが助かったのも、そのおかげかもしれません」
「フレア様が薬草に詳しいのも、ここのご出身だからでございますか?」
「そうね。私がコリンの年の頃には大人に混ざって薬草の採取に出かけていたわ。まだ、目が見えていて、ここの外の事を何も知らなかった頃の話ね」
そう言ってフレアは枕元で丸くなって眠っているルルーを優しく撫でる。横になっているだけの生活なので、今はあまり彼の眼を頼ることもない。懐かしい光景の中、平穏な生活に身をゆだねてしまうと、直面している現実を忘れ、最愛の夫の事をないがしろにしそうで怖いのだ。
「あの洞窟で少し話をしたと思うけど、元々聖域は礎の里の賢者方が己の教義を高めるために籠って修行をした場所なのです。このラトリは昔から薬草の宝庫で、薬学を研究する人達が集まってできたと言われています」
「母様、どうしてここが聖域なの?」
難しい話はまだよくわからないコリンシアが首をかしげて尋ねる。
「窓から高いお山が見えるかしら?」
フレアに聞かれ、コリンシアは寝台から降りて窓辺に近寄る。
「雪をかぶったお山?きれいに見えるよ」
「そう。そのお山はクーズ山と言います」
フレアはほほ笑むと娘を手招きする。コリンシアが再び寝台に近寄ると、彼女は手を伸ばして娘の頭を撫でながら説明する。
「いつかお話しした、ダナシア様のお話を覚えているかしら?」
「うん」
「ダナシア様が古の神々の怒りに触れて閉じ込められたのがあのお山だと言われています」
「あんな高いお山に?」
コリンシアは青く澄んだ瞳を見開いて驚く。
「ええ。そしてダナシア様と深いご縁がある、あのお山に連なるこの山脈は聖域と呼ばれるようになったのですよ。ダナシア様はお山におられる間、たくさんの書物を読まれて勉学に励んだと言われています。だから礎の里の賢者方はダナシア様にあやかって、ここへ自分の知識を深める為にいらっしゃるのです。
ここにいる間は書物には困らないから、コリンもたくさんお勉強しましょうね」
「はい……」
勉強の話になり、コリンシアはしゅんとなる。そんな様子の娘をフレアは腕を伸ばして抱きしめる。すると母親のぬくもりにコリンシアもつい笑顔になってしまう。
ひとしきり笑った後、フレアは少し表情を引き締めてコリンシアの顔を覗き込む。
「ねぇ、コリン。大事なお話があるの」
「なあに?」
フレアは無邪気に見上げるコリンシアの頬を撫でて額に口づける。
「今、母様のお腹の中には赤ちゃんがいます」
「え? 本当?」
コリンシアは目を輝かせて身を乗り出す。
「ええ。コリンの弟か妹が……」
見た目にはまだ何の変化も無いが、フレアはコリンシアの手を取り自分のお腹に当てさせる。
「うわぁ……コリン、お姉ちゃんになるんだ」
「そうよ」
フレアはもう一度コリンシアを抱き寄せて額に口づける。
「だけどね、ちょっと困った事になってしまったの」
「なあに?」
「……赤ちゃんが生まれるまで、母様はここから動けないの」
「どうして? 父様やみんなの所へ帰れないの?」
とたんにコリンシアの表情が曇ってくる。
「すぐには無理ね。でも、皆がきっと悪い人達を懲らしめてくれて、フォルビアが平和になったらお父様がきっと……」
楽観的すぎるかもしれない。それでもフレアはそう願わずにはいられなかった。それはコリンシアもオリガもティムも苦難続きの旅を共にしてきた4人の共通の願いだった。
「お手紙……書いていい?」
「ごめんね、すぐには無理みたい」
「お手紙もダメなの?」
小さな姫君は落胆を隠せない。フレアはもう一度コリンシアを抱きしめて額に口づける。
「悪い人達が捕まるまでは手紙も送れないの」
「どうして?」
「悪い人達がその手紙を途中で取ってしまうかもしれないからです。コリンも母様もこの村にいると分かれば、ここへ悪い人たちが来てしまいます」
「……」
フレアの説明にコリンシアはなかなか納得できない。眉根を寄せて口をへの字に結んで今にも泣きそうな顔で母親を見上げている。
「けれども、きっといつかみんなでタランテラへ帰りましょう」
「本当に?」
「ええ。4人……いいえ、お腹の赤ちゃんも含めて5人で……」
フレアがそう断言すると、コリンシアは彼女に抱きついた。そして親子はしっかりと抱き合い、その様子をオリガは黙って見守っていた。
その時、ムクッとルルーが起きて頭を上げる。フレアも何かに気付いて窓の外に顔を向ける。
「フレア様、いかがいたしましたか?」
「この気配は、まさか……」
フレアは少し驚いた様に体を起こそうとする。オリガはそんな様子の彼女をいぶかしみながらもあわてて彼女に手を貸し、その背中に枕を当てる。やがて外から複数の飛竜の羽ばたきと、ガヤガヤとにぎやかな話し声が聞こえてくる。
「うわー、飛竜がいっぱい来た」
先ほどの窓辺へ走っていったコリンシアは外の光景を見て感嘆の声を上げる。続けてオリガも外を見ると、10頭余りの飛竜が村の外でくつろいでいるのが見える。その他にも3頭の飛竜が離れの向こう側に降りている。これだけの数の飛竜を見たのはいつ以来だろうか、ふと、恋人のルークを思い出して涙があふれてくる。
「オリガ?」
それに気づいたコリンシアが心配げに彼女を見上げる。
「だ、大丈夫です、姫様」
声を詰まらせながら、彼女はコリンシアを抱きしめた。小さな姫君は父親の安否すらわからない状態で会えない寂しさをこらえているのだ。自分がくじけていてはいけない。彼女は泣きたいのをグッと堪えた。
そこへ扉を叩く音がする。オリガは涙を拭いて立ち上がり、戸口に近づきそっと扉を開ける。そこにはマルトがきれいな女性を伴って立っていた。
「はい」
「フレア様、アリシア様がお見えでございます」
オリガは慎み深く頭を下げると脇に下がり、2人を中に通す。マルトはオリガが涙を流した様子に気づいたが、すぐには何も言わずに客を室内へ案内する。
「フレア」
「……お母様」
アリシアが声をかけるとフレアは声がした方へ手を差し伸べる。彼女はその差し延ばされた手を握り、そっと寝台に横たわるフレアを抱きしめた。
「本当によかった……」
養母の腕の中で思わずフレアも涙ぐむ。オリガは親子の再会を邪魔しない為に、部屋を退室しようと頭を下げた。
「ああ、ちょっと待ってちょうだい」
すぐにアリシアは出て行こうとするオリガに気付き、呼び止めて彼女に近づいてくる
「あなたがオリガさんね。フレアの養母、アリシアです。アレスの話を聞いてあなたに会いたいと思っていたのよ」
優しく微笑みかけてくるアリシアの姿を改めて見て、オリガはほう……と思わず嘆息する。ダークブロンドの長い髪をきっちりとまとめ、所属を示す記章は外されているものの、品のいい騎竜服をまとっている。見たところ30代でも通用するような外見をしているが、フレアの養母ならばもう少し年齢は上なのかもしれない。身のこなしも優雅で、フォルビアやロベリアで見かけたどの上流階級の女性達よりも洗練されている。ふと、エドワルドやグロリアが口にしていた言葉を思い出す。
『フロリエはきっと大公家に匹敵する上流の家庭で育ったに違いない』
そんな事を思い出していると、アリシアにふんわりと抱きしめられた。
「本当に、娘を助けてくれてありがとう。何とお礼を言っていいか分からないわ」
「そ…そんなこと……」
突然の事に動揺し、オリガはこらえていた涙があふれてきた。アリシアはそんな彼女を優しく包み込むように抱きしめる。
「誰が何と言おうとも、決してあなた方を悪いようにはしないから。これだけは約束させてちょうだい。だけど、今は少しだけ待っていてほしいの。焦る気持ちはあると思うけど、時期が来るまで……」
「…ヒック……」
いつの間にかオリガはアリシアの胸で泣きじゃくっていた。辛かった逃避行や恋人のルーク、親しくしていた人達を思い出し、責任感だけで堪えていた涙がとめどなくあふれてくる。
「オリガ、泣いている……」
コリンシアがフレアの側に来て呟く。
「オリガはずっと我慢していたの。辛い旅の間も私達の為にずっと我慢していてくれたのよ」
そっと娘の頭を撫でながらフレアは言い聞かせると、彼女はコクンと小さくうなずいた。小さな姫君にもオリガやティムがどれだけ自分達の為に働いてくれていたかはっきりと理解していたのだ。静かな部屋にオリガの嗚咽が響いていた。
オリガは落ち着くと、アリシアに謝意を伝え、「申し訳ありません」と一同に謝罪する。そしてマルトの勧めに従って泣きはらした目を冷やしに部屋を静かに退出していった。その姿を見送ると、改めてアリシアはフレアとコリンシアの親子に向き直る。
「あなたがコリンね。まぁ、本当に愛らしい事……」
「この人だあれ?」
コリンシアは相手が何者か分からずキョトンとアリシアの顔を見上げる。
「この方は、母様のお母様……コリンのおばあ様ですよ」
「おばあ……さま?」
フレアの説明にまだよく分からない様子のコリンシアの前にアリシアは跪くと、小さな姫君を優しく抱きしめた。
「ええ、私の事はおばあ様と呼んでちょうだい。本当にこんな小さな子がよく耐えた事……」
アリシアは感無量で小さな姫君を抱きしめる。オリガが語った過酷な旅の内容をアレスから聞かされていたが、俄かには信じられなかった。しかもこんな小さな子供を連れてである。
「あのね、オリガとティムがいっぱいがんばってくれたからなの。だから母様もコリンもね、旅が続けられたの」
辛い旅の最中、フレアがコリンシアに言って聞かせていた事だった。そんな小さな姫君の姿にアリシアは胸がいっぱいになった。
「そう……それならティムにも後でたくさんお礼を言わないとね」
「うん。コリンもね、お礼が言いたいの。でも、お熱が出ててお部屋へ行けなかったし、ティムも怪我をしてるんだって。会いたいな……」
いつも側に居た頼もしくて優しいお兄ちゃんに会えず、コリンシアは寂しさを覚えていた。
「じゃあ、後で一緒に会いに行きましょうか?」
「うん、行きたい!」
元気よく答えた姫君の頭をアリシアは優しく撫でると頬に優しくキスをした。
「そうそう、コリンにお土産が有るの」
「お土産?」
「ええ。お菓子もあるのよ、見たい?」
「うん!」
コリンシアが答えると、アリシアはマルトに目配せをする。戸口に控えていたマルトが進み出る。
「コリン、マルトと一緒にあちらでおやつを食べていらっしゃい。マルト、後はお願いね」
「かしこまりました」
コリンシアは一度フレアの顔を見上げ、彼女が優しくうなずくと安堵したようにマルトの手を取った。そしてアリシアとフレアの2人に「失礼します」と小さな声で言うとちょこんと頭を下げてからマルトと部屋を出て行った。
「本当にいい子ね」
「ええ……」
部屋には寝台に横たわるフレアとその側に立つアリシアのみとなった。アリシアは椅子を引き寄せるとそれに座り、改めて娘の手をとった。
「本当に無事で良かった……」
「ご心配をおかけしてすみませんでした」
「いいのよ、もう……」
感無量の2人はもう声にならず、しばらくの間手を握り合っていた。
「具合はどうなの?」
「あまり……」
マルトが消化の良い食事を用意してくれるのだが、悪阻も治まっていない事もあって食欲がわかず、フレアの体調はなかなか良くならなかった。ペドロもマルトも心配して未だに体を起こす事も許してくれない。
「……お父様は何と仰っておられますか?」
「あなたの体の事を心配しているわ。タランテラの事は皆に任せて、あなたは自分の体と生まれてくる赤子の事に専念しなさい……と言付かっているわ」
不安げなフレアにアリシアは明るく答え、更に茶目っ気を加えて付け加える。
「その子が産まれるまで、長期休暇ぶんどって来たのよ」
「お母様……」
アリシアは首座としてブレシッド公国公王として多忙の夫を支える参謀でもあり、その一方で公妃としての役割も果たしている。「困ります!」と縋ってくる文官達を一蹴して強引にラトリへの長期滞在を認めさせたのだ。そうまでして文字通り飛んできてくれた養母にフロリエは胸が一杯になる。
「ルイスも一緒よ。まだ、気持ちの整理が出来ていないみたいで、直接顔を見に来るのはもう少し先になりそうだけど、あなたの事を心配しているわ」
「……そう……みたいね。アルドヴィアンの気配を感じるわ。……アレスは帰ってないの?」
フレアは飛竜達の気配をたどっていたが、弟の飛竜クルヴァスの気配だけが見付からない。
「ええ。ディエゴがタランテラの伝手を紹介するからと引き留めていたわ。本当にあの子は顔が広いわね」
「ディエゴお義兄様が?」
ディエゴはブレシッド公夫妻の長女シーナの夫で、アリシアの生家、ルデラック家の現当主だった。
直系のアリシアがブレシッド家に嫁いでしまい、縁戚に当たる当時10歳だった彼が当主候補としてルデラック家に引き取られた。だが、堅苦しいのを嫌い、成人した後は武者修行と称して10年ほど傭兵として各国を放浪していた。その結果、彼は各地に様々な伝手を持っていた。
余談だが、帰国した彼がシーナと出会い、互いに惹かれて結婚するまで一言では語りつくせない波乱があったのだが、どうにか結ばれた2人は子供にも恵まれて幸せな家庭を築いている。
その彼が、今回自分の為に一肌脱いでくれたらしい。フレアは申し訳なく思いながらも、自分の為に動いてくれる家族の存在が無性に嬉しかった。心配かけた上にタランテラ皇家の血を引く子を宿し、家族にも拒否されたらどうしようかと内心不安に思っていたのだ。
「きっと、あなたの愛する人と再会できるわ。だから、何も心配しなくていいのよ」
「……お母……様」
体を起こせないフレアはアリシアの手に縋ってホロホロと涙を流す。心の底から安堵した事もあって次々溢れるその涙はなかなか止まらなかった。
コンコン……
戸を叩く音がしてアリシアが返事をすると、別室でお土産を堪能しているはずのコリンシアが入ってきた。最初は何かわくわくとした表情を浮かべていたのだが、寝台で涙を流す母親を見てそれが一転する。
「母様、母様、どこか苦しいの? 痛いの?」
コリンシアは慌てて寝台の側まで駆け寄ってくる。
「マルトばあや呼ぶ? おじいさま呼ぶ?」
その必死な姿に小さな姫君の優しさを垣間見て、アリシアもフレアもつい顔が綻んでしまう。
「大丈夫よ」
「……具合が悪いわけではないの。ちょっと、ね……」
子供にどう説明していいか分からず言葉に詰まるが、フレアは側に寄ってきた娘の頭を優しく撫でた。
「大丈夫なの?」
「ごめんね、びっくりさせて……」
涙を拭い、フレアは優しくコリンシアの頭を撫で続けると、彼女も大人の事情を敏感に感じ取ったらしくそれ以上は何も聞いてこなくなった。
「おやつの途中だったのではないの?」
アリシアが横から手を伸ばして頭を撫でると、小さな姫君は手の中に握り込んでいた物をフレアに差し出した。
「あのね、これ、おばあ様のお土産の中にあったの。色んな色のがあったけど、赤いのが一つあったから母様に食べてもらおうと思ったの」
彼女の手の中には、アリシアが持参したお土産の中にあった赤い包み紙の砂糖菓子が握られていた。彼女の大好物だが、母親と一緒に食べたかったのだろう。
「ありがとう、コリン……」
姫君の優しい心遣いにまたもやフレアは涙が溢れてくる。
「母様?」
「……ごめんね、大丈夫よ。包みを開けてくれる?」
「うん!」
心配そうな姫君に笑いかけて頼むと、コリンシアはすぐに包みを開けて中の砂糖菓子を取り出す。
「はい、母様」
「ありがとう……美味しいわ」
コリンシアの優しい思いが籠った砂糖菓子をフレアはゆっくりと味わった。その思いにやはり涙があふれそうだった。
ティムは寝台の上で半身を起こし、窓の外を眺めていた。彼の部屋からは2日前にやってきた飛竜達が寛いでいる姿や、竜騎士達が飛竜の世話をしたり、鍛錬したりしているのが良く見える。
所属は分からないが、高名な騎士団らしく統制がとれた竜騎士達の姿に目を奪われる。これだけの数の飛竜を見たのはいつ以来だろうか? 何だか急に故郷が懐かしくなる。
「お、坊主、起きてたか。お前に客だ」
いきなり部屋の戸が開いて大柄な男が入ってきた。グルースと名乗った彼はワイルドな風貌からは想像できないが、薬学と医学を研鑽する賢者の助手らしい。ティムがここへ運び込まれてからずっとつきっきりで世話をしてくれているのだが、小さな子供と同じ扱いをされるので彼はちょっと辟易していた。
「坊主は止めてください」
「まだ半人前の内は坊主で充分だ」
ガハハと笑いながらティムの頭をその大きな手で撫でまわす。体が揺れて傷にちょっと響く。
「痛た……」
「わりぃ、傷に響いたか?」
グルースは全然悪いとは思ってもいない軽い口調で更に頭を撫でまわす。
「その辺にしておいてやれ。話が出来ないだろう」
呆れたような口調で声をかけられ、戸口を見れば2人の若い男が立っていた。
1人は輝くばかりの金髪で、彼が身に纏う圧倒されるような竜気の力はまるで燃え盛る炎の様だとティムは感じた。もう1人の黒髪の若者はどこかで見た記憶がある。
「はっはっは……竜騎士になりたいんならこれくらい普通だ」
「……」
「ここの連中と一緒にしてやるな」
豪快に笑いながら胸を張る大男に2人は呆れた口調で言い返す。ティムは傷が痛いのと口を挟む暇がないのとで彼等のやり取りを黙って見ていた。
「悪かったな。大丈夫か?」
「は、はい……」
全く反省していないグルースを部屋から追い出すと、2人はティムが横になっている寝台の側までやってきて、手近にあった椅子に腰かけた。
「名乗って無かったな。俺の名はアレス・ルーン。彼はルイスと呼んでやってくれ」
「ルイスだ」
徐に黒髪の若者が口を開き、金髪の男は短く名乗った。ティムは2人と握手を交わすと改めて相手を眺める。その力の強さから2人とも優れた竜騎士なのが分かる。隊長格のリーガスやクレストよりはるかに勝り、エドワルドやアスターにも匹敵する圧倒的な力をひしひしと感じる。
前日にコリンシアと共に見舞ってくれたフレアの養母といい、敬愛するフレアの身の周りにこれほど高位の力を持つ存在が多くいる事に驚くと供に妙に納得が出来る。フルネームで名乗らないところをみると、余程名のある竜騎士なのかもしれない。
「先ずは礼を言う。姉を……フレアを支えてくれてありがとう」
黒髪の若者に頭を下げられ、ティムは狼狽える。ここでようやく、盗賊に襲われていた時に助けに来てくれたのが彼だったのを思い出した。見覚えがある気がしたのは、遠目にその姿をチラリと見ただけだったからだ。
「い、いえっ、俺は最後まで守れなかったし……」
「だが、フレアだけでは戻って来れなかったのは確かだ」
「……」
これほどまでの力の持ち主に認められたのは嬉しい半面、気恥ずかしくもある。ティムはどう答えていいか分からずに黙り込んでしまう。
「グルースから話を聞いているとは思うが、あちらの情勢がはっきりしない間は君達の事は隠匿する事になった。その代り、陰ながら手助けさせてもらう」
「本当に……だめなんですか?」
「ああ。悪いが全てが終わるまで待ってくれ」
「……」
ティムは落胆の色を隠せない。情勢を巻き返すのにそう時間はかからないだろうと思うのだが、その後、向こうに帰った時に、何も連絡をしなかった事を随分と責められそうな気がするのだ。理由を言った所で兄貴分のルークも、リーガスも容赦しないだろう。思慮深いエドワルドやクレストは少し考慮してくれるかもしれない。だが、アスターにはねちねちといつまでも嫌味を言われそうでティムは今から気が重かった。
「俺は今夜のうちにここを立ち、タランテラへ行ってくる。だが、俺はあちらの人達の顔がよく分からない。君の記憶に残る人物像を読むから、そこにいる小竜達に彼等のイメージを伝えてくれるか?」
気付くと窓辺に数匹の小竜が止まっている。アレスがやろうとしている事は、竜騎士が知能の高い飛竜を介してならば出来る技だ。しかし、それを小竜でするというのは聞いた事が無い。
「そんな事が……」
「こいつには可能だ。女性陣には酷だろうから、申し訳ないが君が協力してくれ」
言葉に詰まるティムにルイスが頭を下げる。確かにまだ体調の優れないフレアや小さなコリンシアには無理だろう。オリガも出来なくはないだろうが、あまり故国を……ルークを思い出しては泣く彼女にそんな真似はさせたくないのは確かだった。
「分かりました」
「ありがとう。始めてくれ」
ティムがうなずくと、窓辺に居た小竜達が寝台に乗ってくる。彼等を撫でながらルルーを相手にする要領で、あちらで世話になった人々を1人ずつ思い出していく。彼等と別れてまだ2月も経っていないのに懐かしさで胸が熱くなり、自然と涙が溢れてきた。
「悪いがラグラスと親族達、あとリューグナーという似非医者の姿も頼む」
淡々とした口調でアレスが注文を付ける。ティムは怒りを抑えながら、グロリアの葬儀や遺書の公開の折に垣間見た親族達の姿を思い出す。最後に偉そうにふんぞり返ったリューグナーを思い浮かべたが、ついでに館を追い出される直前の酔っぱらいの姿も付け加えた。
「……ありがとう。どうにか記憶できた」
アレスの言葉にティムはようやく緊張を解く。精神的な疲れは半端なく、彼はぐったりと寝台に体を預けた。
「これを飲むと良い」
そう言ってルイスが手ずから飲み物を勧めてくれる。幾度か様子を見に来てくれたフレアのばあやだと言う老女が作ってくれたハーブ水は一口飲んだだけで体中に優しく染み渡る。
「無理をさせたな。すまない」
「いえ、大丈夫です。……ですからどうか殿下を……」
「わかった」
ティムの懇願にアレスは無表情でうなずく。そして準備があるからと小竜達を引き連れて部屋を出て行った。その姿を見送ると、ルイスが改めてティムに向き直る。
「私はここに残り、フレアを……この村を守る事になっている。君は竜騎士になりたいそうだね?」
「はい……」
ルイスの確認といった聞き方にティムはうなずいた。
「ここにいる間、必要な訓練を受けられるように計らおう」
「本当ですか?」
「但し、うちの訓練は厳しいぞ」
「お願いします」
第3騎士団の面々からかなり厳しい稽古をつけられてきたティムには自信があった。臆することなくルイスの申し出にうなずく。
「とりあえずはその傷を早く治す事だ。過激なスキンシップは控える様、グルースには言っておいてやろう」
にやりと笑うルイスにティムは心から感謝したのだった。
ラトリ村でようやく身の安全を確保したフレア達。彼女たちの話もようやく一区切りといったところ。
合間で彼女たちの様子も入れますが、次話からは奔走する竜騎士と陰で暗躍するアレスたちのお話がメインとなります。