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群青の空の下で  作者: 花 影
第2章 タランテラの悪夢
73/156

23 一族をあげて1

フレアの養父母登場w

礎の里の賢者が趣味で発刊している竜騎士名鑑で最強の番と紹介されている夫婦w

世間にはおしどり夫婦と称されている2人ですが、アリシアは姉さん女房で、ミハイルは完全に尻に敷かれているという設定。



 プルメリア連合王国首都ソレル。元々交易都市だったこの街は旧プルメリア王国の主家が絶えたために分裂、独立した7つの公国が紆余曲折を経て統合するにあたり、国の中間地点にあるということで首都に定められた。その為、商人達が自治権をもって運営している旧市街と、各公国の公邸及び、国の中枢機関が集まる新市街とに分けられている。

 しかしながら統合されて100年近くたった現在も、各公国はそれぞれの公王の元で統治され、時にはバラバラの行動をとることもあった。そこで各公国間でのもめ事や、対外的な問題が起こった時に各公国の意見調整役として7人の公王の中から国主に相当する首座の地位を定めた。現在の首座はブレシッド公国のミハイル・シオン・ディ・ブレシッド。38歳の若さで首座に着き、10年以上連合をまとめてきた屈指の実力者だった。




「本当のようだな……」

 新市街にある王国中枢の中央宮。その首座の執務室で部下からの報告を受けたミハイルは呟いた。部屋には彼の他に報告に来た政務官とブレシッドを除くソレル駐留の各公国の大使、そしてミハイルの補佐官も務めている妻のアリシアがいる。

「タランテラのハルベルト殿下が亡くなり、かの国では政変が起きている。どうやらあのワールウェイド公が実権を握っているらしい」

 報告書に目を通すと、妻や各公国の大使たちにも報告書を見せる。直接の交流が無いにしても、他国の動向は気になるところである。第一報は国主会議の最中に届き、各国に少なからず衝撃を与えた。その確認の為に人を送り込んでいたのだが、その調査報告書がたった今届いたのだ。

「しかし、ハルベルト殿下には弟がおられたはずですが?」

 シャスター公国の大使が首をかしげる。

「彼も亡くなったらしい。噂では財産目当てで近づいた女に殺されたとか……」

「女ですか?」

 疑わしい表情で逆に聞かれるが、ミハエルも肩をすくめるしかない。

「分からん。いずれにせよ情報が不足している。次の報告を待つしかない」

「そうね……ガウラの方からは何も情報は入ってきていませんか?」

 連合の北、ガウラと隣接するサーマル公国の大使にアリシアが尋ねる。4年前の一件以来、連合全体ではタランテラだけでなくガウラとも交易は極力避けていた。だが、ガウラと隣接するサーマルだけは細々と続けているので、大陸北方の情報も入ってきやすい。

 ガウラのさらに北がタランテラで、ガウラ王家にはハルベルトの妹が嫁いでいる。更にはハルベルトの妻はガウラの貴族の出身だった。その為にタランテラの情報は比較的早くガウラに入り、更にはサーマルにも自然と伝わってくる。

「ガウラにしても寝耳に水のようで、ひどく混乱しているようです」

「無理からぬことだな」

 ミハイルだけでなく他の大使達も対策が思いつかないようで、困った様に唸っている。するとそこへ戸を叩く音がして若い侍官が恐縮した様子で入室してくる。

「失礼いたします」

「どうした?」

 ミハイルだけでなく、高官が集っている執務室に入ったために、若い侍官はガチガチに緊張している。ミハイルは彼の緊張をほぐすように、穏やかに尋ねた。

「あ……あの、陛下にお会いしたいと、お客様がお見えでございます」

「来客の予定は無かったはずだが……」

 ミハイルは首をかしげる。急な来客にしても、国主に相当する彼の客ならば普通はもっと高位の文官が取り次ぐしきたりである。

「名前は伺ったか?」

「はい、アレス・ルーン様と名乗られました」

「!」

 侍官から聞いた名前にミハイルと傍らに控えるアリシアは驚きを隠せなかった。

それは大使たちも同様で、一瞬執務室の空気が固まる。

「あ、あの……」

 若い侍官は自分が何か失態をしたのではないかと思い、おろおろし始める。

「どこで待たせている?」

「に……2階の蔦の間でございます」

 我に返ってミハイルが尋ねると、侍官は上ずった声で答える。怒られるのではないかと恐れているのだ。

「方々、先ほどの件はまた後ほど協議致すとしよう」

 ミハイルは大使たちにそう宣言すると、アリシアを伴ってそそくさと執務室を後にする。

「かしこまりました」

 我に返った大使達はかろうじてその背中に声をかけた。

「あの、一体……」

 取り残された侍官は訳が分からずに呆然とその場に立ち尽くした。

「そなたが彼を知らないのも無理はない」

「アレス・ルーン様は陛下の御子息だ」

 笑いをかみ殺すようにルデラック公国の大使とリナリア公国の大使が侍官に語りかける。

「え?ですが、公子様はルイス殿下お一人では……」

 驚いた様に言い返すと、サーマル公国の大使が渋い表情で答える。

「彼は陛下の御養子だ。どういう訳か、ご夫婦揃ってあの姉弟に随分と肩入れなさる。困ったものだ……」

 アレスに対してあまりいい感情を持っていないようで、サーマル公国の大使はブツブツ言いながら執務室を後にしていく。他にも北部のシャスター公国とバビアナ公国の大使は同様の考えのようで、不機嫌そうにその後に続く。

「資質はどこの子息よりも高いからね。だが、惜しい事だ」

 クロウェア公国の大使はのんびりとそう言うと、侍官の方をポンと叩いてゆったりとした足取りで部屋を出て行った。

「そなたは何も失態はしておらぬ。心配せずに仕事にもどりなさい」

 ルデラック公国の大使に言われ、ようやく若い侍官はほっとする。そして残った大使2人に頭を下げると、自分の仕事に戻っていった。

「しかし、彼がここへ来るとは珍しいな」

「確かに。余程の事が起こったと見える」

 ルデラック家とリナリア家はブレシッド家と縁続きと言うこともあって特に内情に詳しい。アレスがあの一件以来、ブレシッド公国の公都ミアーハに顔を出すことはあっても、ソレルに来たことは一度もない。他の公王の中には自分の事を快く思っていない事を知っている彼がミハイルやアリシアの立場に考慮し、出しゃばらないようにしているのだ。

「早くどうにかしてやりたいのだが……」

「全くです」

 2人の大使は才能豊かな青年の事を思い起こしながら静かに執務室を後にした。




 ミハイルとアリシアは急ぎ足でアレスが待っている蔦の間へと向かった。中央宮がいつになくざわついているのは、ミハエルを訪ねてきた若者は一体誰なのだろうかと特に若い女官達が浮足立っている為のようだ。そんな中を供もつれずに歩く2人の姿を行き交う人々は何事かと見送る。

 2人が蔦の間に入ると、黒髪の若者が椅子に座って外の景色を眺めている。手の平に空となった茶器をのせ、考え事をしているのか2人に気付く様子もない。

「アレス」

 声を掛けられて若者はようやく我に返り、あわてて茶器をテーブルに置いて立ち上がる。そして洗練された動きで2人に頭を下げた。

「突然に押しかけて申し訳ありません」

 装飾を抑えた濃紺の正装はアリシアが毎年用意しているものだった。それに合わせ、いつもは無造作に革紐でまとめている髪も今日は凝ったつくりの銀細工の髪留めでまとめられている。

 ほんの数年前までは線が細く、女性と間違えられることもあった少年は、背が伸び、肩幅も広くなって逞しい若者に成長していた。加えて整った顔立ちをしているので、人目を引くのだろう。女官達が浮足立つのもうなずける。

「いや、訪ねてきてくれて嬉しい。まあ、座ろう」

 ミハイルは久しぶりに会う息子に席を勧めると自分もその向かいに座り、アリシアは新たにお茶の用意を命じる。久々に顔を合わせた親子がお茶を飲みながらしばし3人で雑談に興じていると、部屋の外が騒がしくなる。

「アレスが来ているというのは本当か?」

 バタバタと言う足音が近づき、おもむろに部屋の扉が開いて長身の若者が入ってくる。たなびく金髪に端麗な顔立ち。ミハイルの若い頃を髣髴ほうふつとさせる若者はブレシッド公国の公子、ルイス・カルロス・ディ・ブレシッド。アレスとは同い年で、彼がブレシッド家に引き取られてからは兄弟同然に育った仲だった。

「ルイス、騒々しいわよ」

 母親らしく、アリシアが若者をたしなめ、ミハイルは息子の行動に眉間に皺を寄せる。それでもかまわずにルイスは部屋にズカズカと入ってくる。

「ルカ!」

 アレスは久しぶりに会う兄弟を立ち上がって迎えた。

「元気そうで何よりだ」

 ルイスは両親が眉をひそめるのも構わずにアレスの肩を叩いて再会を喜んだ。以前に会ったのは3年前。所用でミアーハをアレスが訪れた時以来である。ソレルを警護する騎士団で隊長を務めているルイスは、アレスが昨年フレアの件でミアーハへ来た時には仕事で会えなかったのだ。

 再会を喜び合う息子達を見て、ミハイルとアリシアもそれ以上何も言えず、黙ってルイスのお茶も用意させる。

「ルイスも座りなさい」

 渋々と言った様子でミハイルは実の息子にそう言い、ルイスは両親に軽く頭を下げてアレスの横に腰を下ろした。

「しかし、よくこっちまで来る気になったな?」

 遠慮なくお茶とお茶菓子を口にしながらルイスはアレスに話しかける。アレスも屈託のないその様子に苦笑しながらお茶を口に運ぶ。

「何やら変事があって父上も母上も中央宮に詰めていらっしゃると、ミアーハで耳にしたのでこちらまで押し掛けてしまいました。お忙しいのに申し訳ありません。」

 生真面目に不意の来訪を謝罪する息子に、ミハイルの機嫌も直る。彼はどうやら血を分けた息子よりもアレスの方を気に入っているらしい。

「いや構わぬ。こうして頼りにしてくれるのは嬉しい限りだ」

「そうよ、アレス」

 アリシアも笑顔で答える。

「ありがとうございます。実は各国の世情を知りたく、参上致しました」

「ほぉ……」

 珍しい事だと思いながらミハイルはアレスの顔を見返す。政治に今までほとんど関心を示したことがなく、ましてや他国の事など気にもとめたことがない彼からそんな言葉が出るとは夢にも思わなかった。だが、いい傾向だと思ったのか、ミハイルは近隣諸国の最近の情勢を話し始めた。

「3年後に代替わりする大母の候補を早くもエルニアが礎の里に送り出した。まだ10歳の姫君だ。しばらくエルニアからは大母が排出されていないからな。今度こそはと力が入っているのだろう。

 他には礎の里の大賢者が今年限りで引退を表明された。春には新たな大賢者が選出される。

 身内がらみの話はクロウェア公国の姫君が南のダーバへの輿入れが正式に決まった事ぐらいかな。後は……」

そこまで説明して珍しくミハイルが言いよどむ。

「他にも何かあるのですか?」

 アレスがいぶかしんで先を促す。

「そなたには快い話ではないが、タランテラで政変が起こったらしい」

「タランテラで?」

 ルイスも初耳なようで、興味をひかれて身を乗り出しかけるが、アレスに配慮して元の位置に座りなおす。

「この話はこのぐらいにしよう」

 ミハイルはそう言って話を変えようとするが、アレスは居住まいを正してミハイルに向き直る。

「いえ、続けて下さい」

「……」

 ミハイルはアリシアと顔を見合わせるが、何かを悟って彼の要望に応えることにした。

「タランテラの現在の国主はアロン陛下とおっしゃるが、どうやら決断力に欠けるようで国政の大部分を家臣に任せておられたようだ。特に2年前に病に倒れられてからはほとんど国政に関与しておられない様子だ」

「後継者はいなかったのですか?」

 ルイスが口をはさむ。彼も他国の内情までは詳しく知らないようだ。

「アロン陛下には3人の皇子がおられた。長子は20年ほど前に別荘の火事で奥方と亡くなられている。かろうじて生まれて間もない皇子が助け出され、その子は健在だ。

 第2皇子のハルベルト殿下は3年前に竜騎士を引退され、その後は父親を補佐する為に国主代行に就かれて今年の国主会議に参加されるご予定だった。だが、途中で海賊に遭遇し、亡くなられてしまった。いつの国主会議だったか、父親の護衛をしておられた彼と挨拶を交わした事があったが、英明そうな方だった。あの方なら国交回復の交渉をしても悪くないと思ったのだが、残念だ。

 第3皇子は何と言われたか……」

さすがのミハイルもここで言葉がつまり、記憶をたどるように頭に手をやる。

「エドワルド……」

 ぽつりとアレスが言う。

「あ、そうそう……」

 とミハイルは言いかけてハッとした様子で息子を見る。

「アレス?」

「続けて下さい、父上」

「あ、ああ。外交の舞台には出てこられたことは無いが、若くして直轄地の総督と騎士団長を兼ねる切れ者らしい」

 不審に思いながらもタランテラ皇家について知っていることをミハイルは2人の息子に話して聞かせる。

「優秀な息子がいるなら、さっさと国主の位を譲ればいいだろうに」

 あきれたようにルイスが口をはさむ。

「国主が直接後継者を選べない制度にしているからな。実際にアロン陛下が倒れられた時も次代の国主を選ぶ会議が開かれたらしいが、意見が分かれてまとまらなかったらしい」

「候補が多すぎるのも問題ってことか」

 肩をすくめてルイスがつぶやく。そんな息子をしり目にミハイルはさらに話を続ける。

「その優秀な皇子が相次いで亡くなったらしい。入ったばかりの情報では、ハルベルト殿下は先ほども言ったが国主会議に向かう途中で海賊に殺され、弟のエドワルド殿下は財産目当てで近づいた女に毒殺されたとある。

 皇家の直系で残った男子は亡くなられた第1皇子の息子だけ。その皇子の母方の祖父はワールウェイド公だ。今、タランテラの国政は我が物顔でワールウェイド公が仕切っているという」

「まさか」

 意外そうな声を上げるルイスの横で、アレスは唇を強く噛み、手を固く握りしめている。その様子にミハイルはとうとう話を切り上げてはるばる訪ねてきた息子に向き直る。

「そろそろ聞かせてもらおうか、アレス。そなたの用向きを」

「……」

「タランテラと関係があるの?」

 すぐには口を開こうとしないアレスにアリシアも心配げに言葉をかける。彼は肯定も否定もせずに静かに語り始めた。

「フレアが帰ってきました」

「!」

「本当か?無事だったのだな?」

「まあ、どうしてそれを先に言わないの?」

 3人は取り囲むようにアレスに詰め寄る。

「無事と言えば無事なのかな……。1年半前、トラブルに巻き込まれた時に記憶を失っていたらしい。記憶は戻りつつあるようだが、まだ完全ではないと言っている」

「まあ……」

 心配げにアリシアが声を上げる。

「聞いた話では、フレアは妖魔に襲われている所をタランテラの竜騎士に助けられたらしい。小竜のクルートが最後までフレアを守ろうとしたのを気に留めて下さって、その方はご親戚のお屋敷に彼女を預けられたそうだ」

「……」

 アレスが静かに話し始めると、3人は椅子に座りなおして彼の言葉に耳を傾ける。聞きたいことは山ほどあったが、大人しく聞いていた方が早く済むと判断したのだろう。

「3日前、俺達が逃げた盗賊の行方を追っている時、偶然に聖域に向かう途中の彼女達を見つけた。フレアには同行者が3人……いや、正確には4人と2匹いた」

 話が長くなることを察し、アリシアが空になったアレスの茶器に新しくお茶を注ぐ。彼はそれを飲んで一息ついた。

「1人目はあちらのお屋敷でフレアの身の回りの世話をしてくれていた侍女。2人目はその侍女の弟でもうじき竜騎士見習いになる予定の少年。3人目はフレアを助けてくれた竜騎士の娘でフレアを実の母親の様に慕っている。2匹のうちの1匹は年老いた牝馬で、もう1匹はクルートの代わりとして竜騎士殿がフレアに与えてくれた小竜だ。こいつのおかげで俺達は彼女達の元へ駆けつけることが出来た」

「アレス、4人目の同行者は?」

 ルイスが疑問に思って口をはさむ。

「4人目は……彼女のお腹の中にいる」

「え?」

 アレスが言っている事を3人はすぐには理解できなかった。

「フレアはこの春に助けてくれた竜騎士と組み紐の儀を済ませた。その竜騎士が、当時ロベリア総督兼タランテラ第3騎士団団長をしていたエドワルド・クラウス・ディ・タランテイル殿下だ」

「な……」

 ある程度予想をしていたとはいえ、それを上回る展開にさすがのミハイルもアリシアも言葉が出ない。ずっとフレアの事が好きだったルイスに至っては既に半泣きの状態である。

「アレス、子供がいるって言う事は、そいつには妻がいるのではないか?」

 ルイスはほとんどつかみかかるようにしてアレスに詰め寄る。

「最初の奥方は子供を産んですぐに亡くなられたそうだ」

「……」

「略式だが、神官の前で誓いは済ませている。正式な婚礼はこの秋にあげる予定だったらしい」

 アレスの返答にルイスは力が抜けたように椅子に座り込んだ。

「詳しい経緯を聞いているのなら、全て教えてちょうだい」

 アリシアは気持ちをすぐに切り替え、アレスに話の続きを促す。アレスも頷くとオリガに聞いた向こうでのフレアの暮らしぶりと事件のいきさつを静かに語った。

「何分、フレアの側からの見聞しかないので、情報が完全とは言えません。しかし、このままではフレアは……」

 全てを語り終えた後、アレスは頭を抱え込んだ。身内に全てを話して責務を終え、不安を抑えきれなくなったのだろう。

「すぐにあの子達をブレシッドに移そう」

 硬い表情のままミハイルが断言する。しかし、アレスは首を振った。

「オリガとコリンシアは長旅の疲れで体調を崩しているだけだから数日安静にして滋養のあるものを摂れれば回復するだろう。ティムも重傷だがあの里にいれば回復も早いと思う。だけどフレアは長旅の疲れと盗賊に襲われたショックで流産しかけた。爺さんの話ではとにかく今は安静が必要だと……」

「少なくとも安定期になるまで待った方が良いのね?」

 優しくアリシアが尋ねる。

「爺さんの話では、今は3ヶ月といったところだそうだ。安定期に入るころには冬になる」

「あ……」

「子供を産んで、その子を動かせるようになるまで待たねばならないのか」

 悔しそうにミハイルが呟く。

「ところで、フレアが戻ったこと、礎の里には報告したの?」

 心配そうにアリシアが尋ねる。

「そのことも含めて爺さん達が協議したけど、今のままでは絶対に報告できない。聖域の爺さん達は俺よりも報復に乗り気みたいだ」

「確かに。フレアが疑われたまま居場所が知られれば、そのラグラスと言う詐欺師は礎の里に引き渡しを求めるだろう。里も引き渡しには躊躇ちゅうちょはしないはずだ」

 眉間に皺を寄せてミハエルが同意する。

「そうね。それにベルク神官が何て言ってくるか目に見えているわね」

 彼女はため息をついた。ベルクは礎の里で運営に携わっている賢者の甥にあたり、その後継者と言われている高位の神官である。2年前、ラトリの聖女と呼ばれるフレアの噂を聞きつけてわざわざラトリに立ち寄り、興味本位で会った彼女に一目ぼれした。

 ミハイルと変わらない歳の彼が猛然と結婚を迫り、アレスの竜騎士復位もちらつかせ、目が不自由では嫁の貰い手もないだろうから自分がもらってやると言い放ったのだ。もちろん、当人だけでなく祖父であるペドロも養父であるミハイルもきっぱりと断ったが、その後冬になってもしつこく手紙を寄越して言い寄った。

 事情を知れば、強引に和解の仲立ちを買って出て、保護する名目でフレアを囲い込もうとしてしまうだろう。拒否しても、外堀から埋められて断れない状況にもっていくぐらいやりかねなかった。

「当初はあいつの仕業かと思いました」

 フレアが行方不明になった時、アレスは真っ先にベルクを疑ったが、ペドロがそれをたしなめた。詳しく調べていくうちに彼女が慰問した集落が盗賊に襲撃されたのが分かったのだ。壊滅した集落で彼は呆然として立ち尽くした。

「しかし不思議ね。エヴィルに近い集落で行方不明になったフレアがタランテラで保護されていたなんて」

「ああ。その辺りは彼女自身もよく思い出せないらしい」

「そうか……。疑問は尽きないが、当面は彼女達の身の安全を確保しなければならない」

 頭の痛い問題にミハイルもすぐには答えが出てこない。

「ラトリの防備を強化する必要があるわね」

 冷静にアリシアが言葉を添えると、アレスが困った様に反論する。

「しかし、どうやって?礎の里には頼めないし、村には傭兵を雇う余裕はない。しかも今は盗賊の問題とタランテラへ情報収集に人員を割いているから余計に手薄になって……」

「情報収集しているのか?」

「そうです。珍しくダニーがやる気を出して、采配を振るってくれました」

「彼が?珍しい事だ」

 ダニーの事はミハイルもアリシアもよく知っていた。その彼がやる気を見せているならば自分達も負けてはいられない。

「あなた、私、しばらくラトリに逗留とうりゅうしようと思います」

 アリシアがミハイルに向かって宣言する。

「理由もないのに行ったのでは、怪しまれるぞ」

「理由はいくらでも作れますわ。血の道が悪くなったとか、眩暈めまいがするとか言ってその治療と療養で長期滞在できます。私が行くからには護衛も必要でしょ?」

 アリシアはミハイルにウインクする。

「……そうだな。護衛は少し多めにつけよう」

 ミハイルは口元に笑みをたたえている。

「アレスはどうする予定?」

「俺?」

 アリシアに聞かれて彼は困ったような表情を浮かべる。

「どうするか悩みましたが、タランテラへ行ってみようと思います。向こうでエドワルド殿下の消息を追うつもりです」

 アレスの言葉に今まで黙っていたルイスがつかみかかる。

「お前よく平気でタランテラに肩入れ出来るな……」

 後は言葉が詰まって続かない。フレアが知らないうちに結婚をし、子供までできていることに相当ショックを受けているようだ。

「やめなさい、ルイス」

 ミハエルが息子を止める。

「アレスだって平静ではいられないはずよ」

「だからこそ聞いている!」

 母親の言葉にもつい語気が荒くなる。

「確かに、フレアはフロリエと別人だと言い張ればそれで済むと当初は思っていた」

 義兄弟の手を振りほどき、アレスは彼に語りかけるように話し始める。

「だけど、ダニーに言われた。あちらで殿下がフレアを助けてくれたのと我々が姫君を助けたのは全く意味が違うと」

「……どう、違うと?」

「姫君はフレアの連れだった。いわばついでだ。だが、妖魔から人を助けるのは義務とはいえ、記憶をなくし、目が見えない彼女を厄介者扱いにせずに資質をきちんと見極めて扱ってくれたことに感謝するべきだろうと」

「……」

「それに……フレアが泣くんだ。夫を慕って。それを見たら、もうつまらない意地ははれなかった」

 アレスの言葉にルイスもうなだれる。

「ダニーの言う事は正しいわね。確かにそうだわ」

 アリシアが頷く。

「とにかくもう一度、大使達を集めて対応を練り直そう。アレス、さっきの話をもう一度彼らの前でしてもらえるか?」

「いいですよ」

 ミハイルの要望にアレスは快く応じる。

「ルイス。お前、アリシアの護衛としてラトリに行くか?」

「それは……」

 突然、父親に言われて彼は答えに詰まる。

「我々はあの子の幸せを願っていたはずだ。お前もそう思うならば、あの子の気持ちをお前自身の眼で確かめてくればいい」

「父上……」

 ミハイルもアリシアも当初はルイスとフレアが結婚することを望んでいた。しかし、フレアの中ではルイスに対する気持ちが兄弟に対する以上の物が持てなかった事を知り、無理強いをしなかったのだ。それでもルイスはあきらめきれなかったが、両親にそれで彼女が幸せになるかと諭され、不承不承あきらめたのだ。だが、未だその気持ちは彼の中でくすぶったままだ。

「ルカが来てくれれば、俺も安心して村を空けられる」

 アレスにも言われ、ルイスは頭をポリポリとかく。

「どうなっても知らないぞ」

「もう部屋に閉じ込めるようなまねはしないだろう?」

「……」

 昔の事を言われてルイスは耳まで赤くなる。

「決まりだな。先ずはそれを認証する手続きをしよう」

 ミハイルは立ち上がり、他の家族を促して自分の執務室へと向かう。

 そしてその後、再び集まった大使達を交えて対応を協議した。アレスの話を聞き、彼に好意的でない大使達も協力を約束し、アリシアのラトリ行きとルイスの護衛の件もすぐに認証されたのだった。

「私がいないからって浮気しないでね」

「するわけないだろう?君以上に素敵な女性はいないさ」

 いつまでもラブラブなブレシッド公夫妻に各公国大使だけでなく、息子2人も肩をすくめるしかなかった。

次席補佐官の試練


フカフカの絨毯に落ち着いた色合いのカーテン。重厚でどっしりとした机に豪奢なソファセット……プルメリア連合王国首座に相応しい立派な執務室なのだが、現在はとても残念な状態となっている。

 常に磨き上げられてピカピカな筈の机の上は、書類のみならずペンやインク壺、ペーパーナイフといった雑多なもので溢れ、机の表面も見えない。置ききれない書類は机の周りの床にも散乱し、それらに混ざって脱ぎ散らかした服や靴も転がっている。

 ソファセットのテーブルには空いたワインのボトルとグラス、酒肴が乗っていたとみられる空になった皿が放置されている。

 そんな残念な状況を作った部屋の主はソファに長身を横たえて仮眠の最中だった。

「全くこの人は……」

 世間では公正明大で英明な統治者だとか、最強の番だとか、最も仕えたい主ナンバーワンだとか様々な美麗字句で称えられるミハイルだが、今の彼の姿を見れば誰もが幻滅するに違いない。

 着ている服はよれよれで、アリシアが出かけてから剃っていないのか、端正なはずの顔は無精ひげに覆われている。仕事に関しては非の打ちどころがないのだが、私生活においては超がつくほど無能だった。

「さて、どこから手をつけましょうか……」

 アリシアに後事を託された次席補佐官は、今更ながらに後悔して深いため息をつく。

「あら、早いのね」

 かけられた声に驚いて振り向くと、若い女性……ルデラック家に嫁いだミハイルの長女が立っている。

「これは……シーナ様」

「おはよう……あらあら、相変わらずね」

 部屋の惨状に苦笑し、シーナは床に散乱したものを器用によけながらソファに近寄ると、部屋の主を起こす。

「ミハイル~、朝よ~」

 アリシアを真似た声色にミハエルは飛び起きた。

「ア、アリシア?……シーナ……」

 状況が把握できずに彼は目を瞬かせる。

「はい、着替えは用意させてますから、湯浴みして髭を剃ってきてください。それから、朝食をちゃんと食べて下さいね。その間にここを片付けますから。それから……」

「分かった、わかった」

 なおも言い募ろうとするシーナから逃げるようにミハイルは執務室を出ていく。

「全く……アリシアにどんどん似て来るな……」

 彼の呟きに補佐官は苦笑する。

「さあ、始めるわよ」

 シーナは繊細なレースで飾られたドレスの袖をまくると、行動を開始した。補佐官はようやく仕事が出来るとほっとしたが、アリシアに劣らない人使いの荒さにやはり留守を任されたことに後悔したのだった。



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