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群青の空の下で  作者: 花 影
第2章 タランテラの悪夢
69/156

19 打開の糸口1

 荒天により揺れる船上で彼は矢を受けた。背後からは刃を刺し抜かれて倒れた彼は流れ出た血に染まる。彼に手を伸ばすが、いつの間にか敵に囲まれ、部下も次々と倒れていく。自身も斬りつけられてその場に倒れこんだ。

『殿下!』

 彼の元へ這ってでも行こうとしたが、それは叶わなかった……。




「……!」

 声にならない叫び声を上げてエルフレートは飛び起きた。あの一件から既に2ヶ月あまり。あの時の事を幾度となく夢に見ては飛び起きる日々を過ごしていた。

 既に完治しているはずなのだが、脇腹の傷跡がうずいている。寝台に座り込んだまま傷跡に手を当て、乱れた息を整える。そしてのろのろと寝台から降りると、テーブルに置いてある水差しの水を飲んだ。

「はぁ……」

 まだ夜は明けていない。だがこうなるともう眠る事は出来ない。寝間着の上から上着を羽織ると、窓を開けてバルコニーに出た。眼下に広がるのは水の都とうたわれる海洋王国エヴィルの都。張り巡らされた運河の穏やかな水面に常夜灯の灯りが反射して幻想的な光景が広がっている。

 エヴィルは国土の大半が荒れた土地の為、海運と交易で活路を見出し、海洋国家として名をはせている。エルニア半島の付け根に位置する立地を生かし、ホリィ内海へ抜ける街道を整備して交易の幅を広げたことで、その地位をゆるぎないものとしていた。彼はそんな国の中枢となる王城に滞在していた。

「はぁ……」

 幻想的な景色も今の彼には何の慰めにもならない。海賊相手に遅れを取り、次代の国主となるべき主は討たれ、部下の半数を失った。最後の最後まで抵抗したものの、生き残った部下共々海賊に捕われた。ろくな手当も受けられないまま船底へ押し込められ、悪辣な環境の中で感染症にかかり、生死の境をさまよった。

 気付けばこの城の客間に寝かされていた。海賊討伐に出ていたこの国の海軍が、討伐した海賊船の中に捕われていた彼等を見付けて助けてくれたらしい。後から聞いた話によると、船底には人の思考を低下させ、更には強い中毒性もある薬が焚き染められていた。それにより生き残っていた部下のほとんどが正気を無くし、もう元には戻らないだろうと診断されていた。回復したのはエルフレートの他にわずか2名で、その2人も完全に回復までまだ時間がかかりそうだった。

 エルフレートが回復し、現状を把握できたのは助け出されてから一月経っていた。国元ではその頃には既にハルベルトと随行していた彼ら全員の死亡が公表されていた。更にはエドワルドも奥方に殺され、相次ぐ息子達の死に病が悪化したアロンによってゲオルグが国主代行となったと知らされた。ゲオルグによって宰相に任じられたグスタフは、短期間でタランテラを掌握したことになる。

 だが、それはあまりにも手際が良すぎた。部外者であるエヴィルの上層部ですら疑問を抱くほどに。どこの国にも肩入れしないと中立を宣言している国の政策上、下手に口出しは出来ないが、それでもタランテラに関する情報を集め、彼が回復するまではと匿ってくれている。

「……こうしてはいられない」

 いつまでも甘えているわけにはいかない。エルフレートは気持ちを切り替えると、いつ帰国しても動けるように衰えた体を鍛え直すため、部屋を出て行った。




「早くから熱心だね」

 中庭でエルフレートが一心不乱に訓練用の剣で素振りをしていると、不意に声をかけられた。振り返ると1人の若者が立っている。大陸南方には珍しい銀髪のその人物は、少年と見紛うほど線が細いのだが、この国に5人しかいない船団を指揮する提督を任命されている実力者だった。エヴィル史上最年少で提督になったこの人物は、エルフレートの命の恩人でもあった。

「ブランカ、君こそこんな早くにどうしたんだ?」

 ちょうど日が昇ったばかりで出仕するにはまだ早い時刻だ。よくよく相手を見てみれば幾分か疲れた表情をしているので、どうやら夜を徹して仕事をしたのだろう。

「昨夜飛び込んできた案件の対応で寝る暇が無かったんだ」

 エルフレートの予想通りの答えを返した相手は、そう言って肩をすくめる。提督という立場上、何かあればその対応に追われるのは当然だろう。現在、その最も厄介事となっているエルフレートは何だか申し訳なく思ってしまう。

 救出された直後、意識のないエルフレートの身分を身に付けていた記章で判断し、王城で療養するよう指示したのを始め、グスタフの主張の微妙な違和感を指摘し、エルフレートを匿うように国の上層部に働きかけたのもブランカだった。未だ回復してない部下達にも手厚い看護を受けられるように手配してくれたのもそうだし、命が助からなかった部下を手厚く葬ってくれたのもそうだった。何から何まで本当に頭が下がる思いだ。

「それにしても凄いね、もうそんなに動けるんだ」

「いや、まだまだだよ」

 お世辞では無いのだろうが、エルフレートにしてみればこの程度で息が上がっている様では完調には程遠い。気温の違いもあるかもしれないが、負傷する前の彼であればこの倍は動いても平気だった。いつ戻れるか分からないが、きな臭さが漂っている故国へ帰り、主を守りきれなかった贖罪しょくざいを果たすためには少しでも動けるようになっていなければならない。

「凄いよ。舞を見ている様だった」

 ブランカと呼ばれた若者は飲み物の入った器と乾いた布を差し出す。エルフレートは感謝してそれを受け取り、流れ出る汗を拭きとると器の中身を飲む。中身はこの地域でよく飲まれている花の香りがするお茶だった。井戸水で冷やしてあり、喉が渇いていた彼は続けて3杯飲み干していた。

「ありがとう」

「でも、あまり無理しない方がいい」

「分かってはいる。でも、何かしておかないと落ち着かないんだ」

「気持ちは分かるが、今、無理をしてまた寝込んでしまっては困る」

 中性的なブランカに真摯しんしに見つめられると何だかどぎまぎしてくる。自分にそんな趣味は無かったはずだと言い聞かせ、顏が赤くなるのをごまかす様に布で額の汗を拭う。そんなエルフレートの内心を知ってか知らずか、ブランカは背の高い彼の顔を心配そうに仰ぎ見ている。

「君をタランテラに送り届ける方策がまとまった」

「本当か?」

「ああ」

 情報収集にはもう少しかかると聞いていたが、先ほどブランカが言っていた案件のおかげで事態が動いたのだろう。エヴィル上層部がどんな判断を下したにせよ、世話になった身では従うつもりではいる。だが、それでも自分にとって有益であってほしいと願わずにはいられなかった。

「朝食後、詳しい話をするからその心づもりでいてくれ」

「分かった」

「では、また後で」

 一度戻って衣服を改めるのだろう。ブランカはそう言い残すと中庭を後にした。エルフレートはその姿を見送ると空を見上げる。既に日は昇り、故国に居たのでは想像もつかないような強烈な日差しが照り付けている。噴き出す汗をもう一度拭うと、彼も自分の部屋へ戻っていった。




 鍛錬でかいた汗を流し、用意された朝食が済む頃に侍官がエルフレートを迎えに来た。案内されたのは国主の私的な来客に使われる応接間の1つ。半月前に現状の説明を受けた折に同じ部屋に通され、その後でブランカからそう教えてもらっていた。

「失礼いたします」

 部屋に入ると既に5人の人物が待っていた。前回にも顔を合わせたこの国の宰相とブランカの祖父である外相は右手に座り、手前の席にはブランカと初めて顔を合わせる若い竜騎士が座っていた。エルフレートは左手の席に座るように指示されるが、ふと正面に座る人物の顔を見て固まる。

「遅れて申し訳ありません、陛下」

 エヴィルの国主、その人だった。まさかこの場に出てくるとは思わず、恐れ多くて頭が下がる。

「気にせず楽にしなさい。体の方はどうかね?」

「おかげさまで鍛錬を再開できるほど回復いたしました。部下の事も合わせ、エヴィルの皆様には本当に感謝しております」

「そうか。だが、無理はいかんぞ」

「肝に銘じます」

 エルフレートは再度頭を下げると指定された席につく。そこでようやく同席している竜騎士を紹介してもらう。

「今回傭兵として雇った竜騎士のレイド卿だ」

 紹介された若い竜騎士はエルフレートに短く名乗ると頭を下げた。伝わってくる強い竜気からただの傭兵ではないと気付く。色々と聞きたい気もするが、大人しく宰相からの説明を待つ。

「先日、盗賊団を壊滅させたのだが、頭目を含む数名はまだ逃走中だ。北方へ逃げたとの情報があり、タルカナとタランテラへ注意をうながす使者を送ることにした。君は彼と共にその使者の護衛としてタランテラ入りしてもらうことになった」

「分かりました」

 エヴィル側の申し出に断る理由などない。エルフレートは感謝して頭を下げた。

「正直に言うと、タランテラへ向かわせた諜報員がまだ戻ってきておらず、かの国の詳しい状況は分かっていない。ただ、貴公が以前に言った通り、ロベリアならば大丈夫だろう」

「そうですね。駐留する第3騎士団の団長とは旧知の中です。彼ならば偽りの情報に惑わされることは無いですし、私の話にも耳を傾けて頂けると思います」

「貴公がそこまで言うのであれば、信じてもいいだろう」

 エヴィル側が納得してうなずいてくれたので、エルフレートは安堵する。ふと、ロベリアを出港したおりの光景を思い出す。港には多くの人が見送りに来てくれていた。エドワルドは一家でわざわざフォルビアから来てくれたのだ。仲睦まじい様子にハルベルトが弟をからかっていた。ふと脳裏をよぎった幸せな記憶に熱いものがこみ上げて来そうになるが、今はそんな感慨にふけっている場合ではない。

「出立は何時になりますか?」

「使者は先行していますので、できればすぐにでも」

 返答は今まで黙って話を聞いていたレイドがする。早い方がいいのは確かなので、エルフレートにも異存はない。

「分かりました。すぐに支度します」

 話はこれで終わりとなり、エルフレートはすぐに部屋に戻ると荷物をまとめた。もっとも、現在の所持品はエヴィル側が用意してくれた必要最低限の物しかない。荷物はすぐにまとまり、侍官の案内で城の着場に向かう。そこには既にレイドが彼の相棒と待っており、ブランカが見送りに来ていた。

「道中気をつけて」

「ありがとう、世話になった」

 エルフレートは恩人と握手を交わすと、レイドに促されてその後ろに乗せてもらう。そして感傷に浸る間もなく、世話になったエヴィルの王城を飛び立った。




 ヒースは机の上に重ねられた書類に囲まれてまたもや頭を抱えていた。新人を訓練するための演習を終え、今はロベリアの総督府に彼は戻ってきていた。ここでは皇都から執政官を拝命されたトロストが目を光らせている手前、あからさまな行動が出来ない。時期的にはまだ早いのだが、東と西の砦へ竜騎士を振り分け、地道に情報収集とフォルビアにラグラスが不利となる噂を流す程度の事しか出来ていなかった。

 しかしながら日々、彼の元に届く知らせは悪くなる一方で、有能な彼でも全てを投げ出したい衝動に駆られていた。一番の原因は先日彼の元に届いた親友の死だった。半ば諦めていたとはいえ、ルーク同様に心のどこかで彼の生存を願っていたのだが、それが全て打ち砕かれてしまった。ここまで状況が悪くなると、もはやどうでもいいとすら思ってしまう。

「団長、皇都から新たな知らせです」

 機嫌が悪い彼をおそれながら、今年ロベリアへ配属になったばかりの若い竜騎士が遠慮がちに声をかける。

 皇都にいる同志が飛竜を使わずにもたらしてくれる最新の情報は、最速でも数日かかってしまう。それでもその同志を経由してブランドル家とサントリナ家に連絡が取れるのがありがたかった。不機嫌ながらもヒースはびくびくしている竜騎士から知らせを受け取り、目を通し始める。

「……あのバカが来てもあの方は喜ばないだろうに……」

 皇都からもたらされたのは、来月早々に国主の名代でゲオルグがグロリアの墓参に来るというものだった。更にはワールウェイド公がアルメリアとユリウスの婚約を破棄したこと、ラグラスとマリーリアの婚約が発表されたことも書かれている。極めつけは、近々国主選定の会議も開かれるという。こうなればワールウェイドのゴリ押しでゲオルグが選ばれてしまうのは明白だった。

「悪くなる一方だな」

 婚約破棄はユリウスとアルメリアの2人が望んだ訳ではない事を知っているヒースはいたたまれない気持ちになる。更にはマリーリアの事も気がかりだった。口に出しては言ってなかったが、親友はどうやら彼女の事を憎からず思っていたようだ。彼女自身もそうだったらしく、この知らせを聞けば二重の悲しみに暮れている事だろう。どうにかしてやりたいところだが、今の彼にはその余裕が無かった。

「団長、お客様がお見えでございます」

 仕事が手に着かずに、積み上げられた書類をただ眺めていると、若い侍官が彼を呼びに来た。

「客? どなただ?」

「エヴィルから使者が来られ、騎士団を束ねられているお方にお会いしたいと仰せになっています」

「エヴィルから?」

 思わぬ客にヒースは首をかしげる。他国からの使者を待たせるわけにもいかず、彼はすぐに机の上の書類を片付けると、立ち上がって衣服を整える。

「分かった、お会いしよう」

 侍官の案内で客間に行くと、使者らしい中年の文官と護衛2人が待っていた。使者は椅子に座っていたが、帽子を目深にかぶった護衛はその背後に立って控えている。

「お待たせしました、ロベリア駐留の第3騎士団団長を務めております、ヒース・ディ・フロックスと申します」

 見知った気配を感じ取り、ヒースは護衛の1人に鋭い視線を向ける。そして勤めて丁寧に挨拶をすると、使者も立ち上がって頭を下げる。ヒースは改めて席を進め、お茶を用意した侍官が下がると口を開いた。

「早速本題に入らせていただきたいのですが、ロベリアにどういった御用でしょうか?」

 他国の使者であれば皇都へ向かうのが普通である。自分を指名して会いに来たという事は、使者の背後に控えている護衛も関係しているのだろうと見当を付け、単刀直入にヒースは話を切り出した。

「突然の訪問でお騒がせして申し訳ありません」

 使者は急な来訪の詫びを言い、回りくどい前置き無しで本題に入った。彼らの話ではエヴィルから逃れてきた盗賊がタルカナを経てタランテラへ入った可能性が有ると言う。手下の大半は捕えたものの、頭目と取り巻きに逃げられたので用心してほしいというものだった。

「本題はそれだけですか?」

 ジロリともう一度護衛に鋭い視線を向けると、観念したように1人がかぶっていた帽子を外した。彼は春まで共に第1騎士団で大隊長を務め、礎の里に向かったハルベルトと共に他界したと伝えられていたエルフレートだった。

「聞かせてもらえるんだろうな? 今頃になって帰って来た理由を」

 正直に言ってヒースは気が立っていた。他国の使者の前にもかかわらず、殺気のこもった視線を向ける。使者は顔色を失い、隣にいたもう一人の護衛も思わずといった様子で身じろぎする。ヒースの殺気を向けられた当の本人は、正面から受けてどうにか耐えてみせた。

「もちろんです」

 しばらく2人はにらみ合う形となったが、ヒースは徐に口角を上げると席を立ち、部屋の外に声をかける。

「そこにいる奴! 盗み聞きしている暇があったらさっさと主だった連中呼んで来い!」

 どうやらエルフレートの存在は既にバレていたらしく、何人かが扉の外で様子をうかがっていたらしい。どたどたと慌ただしい足音が聞こえ、やがて息を切らして総督と主だった文官、総督府に残っていた竜騎士と兵団長が駆け込んできた。

「全員そろいました」

 竜騎士を代表し、クレストが報告する。応接間は満杯だったが、部屋を変える手間も時間も惜しかった。

「トロストは留守だったな?」

 ともかくエルフレートが帰ってきたことをまだ皇都に知られるわけにはいかない。当人は気付いていないが、その行動は常に監視していた。

「交易船が着くとかで、ご家族を伴って港のある東砦に行っております。帰りは明日の予定です」

 文官の1人がよどみなく答える。ヒースは心底ほっとした様子で息を吐く。執政官の地位を得て何にでも口を出してくるトロストも厄介だが、現在ヒースが最も悩まされているのが令嬢のカサンドラだった。

 春までエドワルドに執心だったはずの彼女は彼の訃報を聞くと、今度はヒースに鞍替えしたのだ。彼には妻子がいるのだが、そんな事は構わない。自称タランテラ一の美女は何をやっても許されると思っているらしい。本当に迷惑な話だ。

「よし、今日中に対策立てるぞ。早速だが何があったか話してくれ」

 テキパキと書記官が記録の準備を整え、タランテラ側の準備は整った。その迅速さにエルフレートを含むエヴィルから来た3人は取り残されたようにポカンとして見ていた。





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