18 恩と怨2
「戻ってきたのね……」
フレアは目を覚ますと、そこはラトリにある自分の寝室である事にすぐに気付いた。見えなくても漂う匂いと自分にかけられている夜具の肌触りですぐに分かった。1年半たった今でも、部屋は出かけたあの日のままにしてある事も…。
「嬢様」
感極まった様にばあやのマルトが声をかけてきた。
「マルト…私……」
「本当に……嬢様……」
涙腺が緩い彼女は涙声でフレアの手を握りしめる。
「心配かけてごめんね」
「お帰りになられて、本当にようございました」
「コリンは?あと、他の……」
フレアはふと心配になり、他の3人の様子を尋ねる。
「皆様ご無事ですよ。嬢様が一番お寝坊でございました」
「もう……その呼び方はやめてって言っているのに……」
フレアはみんな無事という言葉に安堵しながらも、昔からの呼び方を変えないばあやに不満を漏らす。マルトは以前と変わらないやり取りでようやくフレアが帰ってきたという実感がわいたようだ。
「そうですわね、もう母君になられたのですから……」
フレアはそっとお腹に手を当ててみる。そこには小さな命の気配が残っていた。直面した危機にもどうにか耐えてくれたようだ。
「コリンは寂しがっていない?あの子の寝台もここへ置いて欲しいの」
目的の地に着き、オリガも長旅の疲れが出てコリンシアの世話どころではないだろう。見知らぬ人々に囲まれてさぞかし心細い思いをしているかもしれないと、フレアは娘の様子が心配になる。
「ご心配なさらず、今はご自身のお体を優先させてくださいませ」
「でも……」
フレアが思わず体を起こそうとすると、マルトは優しくそれを押しとどめた。
「まだ無理はいけません。本当に、今は安静が必要なのでございます。この状態でお子様とご一緒にしてしまえば、フレア様はきっと無理をしてまでお嬢様の世話をしてしまわれます。どうか、もう少しご辛抱なさいませ」
そこまで言われてしまうと、これ以上わがままを言うことが出来なくなってしまう。
「さ、これを少しお飲みくださいませ」
マルトは優しい香りがする飲み物を入れた、小さな器を口元へあてる。それは彼女特製のハーブ水だった。
「おいしい……」
絶妙な酸味と甘みのバランス、そして程よい濃さ。フレアがどんなに真似して調合してもマルトが作るものと全く同じにはできない。
「お嬢様も、オリガさんも喜んで下さいましたよ」
マルトは満足そうに言うと、飲み終えた器を片付ける。
「マルト、アレスはどうしているの?お礼が言いたいのだけど……」
「若様はもしかしたらお出かけになっておられるかもしれません。下に降りたついでに探してみましょう」
「お願い」
「それまで横になってお待ち下さいませ」
マルトはフレアの夜具を掛けなおすと、そっと部屋を出ていく。その入れ替わりにルルーがパタパタと飛んできて、フレアの枕元にやってくる。そしてクウクウと鳴きながら頭を摺り寄せて甘える。
「ルルー……」
元気そうな様子に安堵し、フレアは優しく頭を撫でた。小竜は嬉しそうに喉をクルクルと鳴らし、更に頭を摺り寄せてくる。
「エド……」
フレアはもう一度お腹に手を触れる。一緒だったらどんなに喜んでくれた事だろう。その喜びを一番分かち合いたい相手がいない。今、心細い思いをしているのはフレアの方だった。
「若、起きて下さい!」
アレスは自分の部屋で寝ている所をレイドに叩き起こされた。昨日は早朝から働き通しだった上に寝たのは夜が明けてから。一度はレイドの手を振り払って夜具を再び体に巻きつけたが、それも若い竜騎士にはぎ取られてしまう。
「集合かけたのは若でしょう?みんな待っていますよ」
「集合?」
不機嫌そうに頭をかきながらようやくアレスは体を起こすと、伸ばしている髪がもつれてくしゃくしゃになってしまっている。
今日は聖域内の長老達が集まって、昨日オリガから聞いた話をもとに、今後の対応を協議する予定だった。竜騎士達には今朝一番の指示を昨夜のうちに小竜で送っていたし、長老達の結論が出るまではどうすることもできないので、彼は昼頃まで寝ているつもりでいたのだった。
「集めた張本人が来ないから、みんな怒っていますよ」
アレスの従者を務めたこともあるレイドはてきぱきと洗顔用の水を桶に張り、上半身裸の彼に着替えを用意する。そして慣れた手つきでアレスの髪をすき、いつものように革紐で髪を束ねた。
「知らないぞ」
「え?」
「集合をかけた覚えはないぞ」
顔を洗い、レイドが用意してくれた着替えに袖を通しながら彼は首をかしげる。
「ですが実際に、他の村には小竜で使いが来たと……」
「え?」
とにかく聖域の竜騎士が全員集まっているのならば、集合を掛けた覚えがなくても立場上顔は出さなければならなかった。
「とにかく急ごう」
血の気が多い上に一癖も二癖もある竜騎士が揃っているのだ。自分の釈明を果たして聞いてくれるか疑問に思いながら身支度を整えると、アレスは竜騎士の宿舎へと急いだ。
「若!」
いつも集会に使う広間に入ると、冷たい視線が彼を迎える。
「集合掛けておいて寝坊は無いでしょう?」
一番遠くの村に住む竜騎士のスパークが開口一番に嫌味を言う。アレスが指示した盗賊の捜索に出かける直前に使いが来て、急きょ予定を変更したらしい。
「言っておくが、俺は集合掛けた覚えがない」
寝不足なうえに、厄介ごとだらけの現状でアレスの口調も自然と不機嫌なものになる。周囲のブーイングを無視し、とりあえずいつもの席に座る。せっかく全員そろっているので、とりあえず昨日の出来事を報告して解散しようと口を開きかける。
「とりあえず昨日の事だけ……」
「お、揃ったな」
その時、広間の戸口があいて団長のダニーが上機嫌で入ってくる。
「ダニー?」
「もしかしてあんたか?」
団長の登場に全員が驚きの声を上げる。アレスも唖然として、ただ上司が隣に来て座るのを眺めるしかできない。
普通の騎士団ならば団長が部下を集めて会合を開くことはごく普通の事である。だが、このクーズ山聖域神殿騎士団の場合、団長は昼間から酔っぱらっている事が多く、平時の雑事や会合などは全てアレスが取り仕切っていた。何も彼が好んでしている訳ではないのだが、礎の里や聖域の内情にも精通している上に、この聖域内でまとめ役をしている賢者の孫にあたるため、いつの間にか竜騎士達を束ねる立場になってしまっていた。もちろん、武技全般に長け、騎竜術も並はずれた技量の持ち主の彼だからこそ、他の竜騎士も指示に従うのだ。
「さて、始めようか。皆、座ってくれ」
珍しい、いつになく団長がやる気になっている。天変地異の前触れではないかと皆こそこそと陰で会話を交わす。アレスは夢でも見ているのではないかと思わず自分の太ももの辺りをつねってみた。だが、それは現実だったらしく、確かに痛かった。
「さて、昨日の盗賊の件は皆聞いているな?」
「ああ」
代表して先ほどのスパークが答える。
「捕らえた連中からは何か目新しい情報は得られたか?」
「今のところないですね。元は外海とホリィ内を繋ぐ街道を通る隊商を襲撃し、エヴィルから手配されていた盗賊団で間違いありません。取り締まりが厳しくなって聖域に逃げ込んできたのが2年前になります。1年半前、慰問に行かれた嬢様が消息を絶った集落を襲撃したのは確かですが、壊滅させるまではしておらず、嬢様の事は知らないと言っております」
聖域騎士団が本腰を入れて盗賊団の討伐に踏み切ったのはフレアの失踪事件が切掛けだった。1年半前、彼女は妖魔に襲われた村へ慰問に出かけた。その村で近くの集落が盗賊に襲われたと聞き、放っておけなかった彼女はその集落にも足を延ばし、その後行方が分からなくなった。
もちろん1人で出かけたわけではない。付き従っていた護衛から寄り道の連絡を受けたアレスが迎えに行くとその集落は壊滅し、当の護衛は変わり果てた姿で発見されていた。
けがや病気だけでなく心の病も癒すと「至高の癒し手」「ラトリの聖女」と称されるフレアは住民達から信奉されており、その後聖域全体が団結して彼女の行方を捜索した。ともかく手掛かりを探そうと難民の集落を回って情報を集め、そしてならず者達を片端から捕まえていったのだ。そしてつい先日壊滅させた盗賊団が件の集落を襲撃した犯人だと判明し、彼等は頭目を捕まえればフレアの行方もわかるだろうと考えていたのだ。
昨日の騒動があり、思いもかけない方角からフレアは帰ってきた。それは既に聖域中に知れ渡っており、竜騎士達の間には安ど感からかどこかのんびりとした空気が漂っている。しかしながら肝心の頭目には逃げられており、もし彼らによって他の地域で被害が出てしまったら、聖域の竜騎士達はひどく責められることになる。まだ気を緩めることは出来ない。
「逃げた連中の行先は分かったか?」
「北の砦に自警団を派遣して、張り込ませている。こちらへ来る様子がないから、おそらくタランテラへ向かったのだろう」
「あの辺りは集落がない。ほとぼりがさめる秋の終わりまで身を潜め、冬になったころに避難民を装って近くの町か村に身を寄せる……あるいは根城を見つけて活動を再開するかもしれないな」
アレスの問いに聖域で最北の村に住む竜騎士が答える。タランテラ側の地形も彼はよく心得ているようだ。
「ところで、フレアちゃんの具合はどうだ?」
いつになく神妙な顔をしてスパークはアレスに尋ねる。神殿騎士団全員の熱い視線がアレスに注がれる。討伐で受けた傷の手当てに二日酔いの薬……彼等は全員フレアのお世話になった事があり、特に熱狂的な信奉者ばかりだった。
「昨日は爺さんがつきっきりで処置にあたっていた」
「良くないのか?」
「芳しいとは言えないだろう」
いくらかわいい孫娘とはいえ、あの長老がつきっきりで処置を施すということは予断を許さない状況にある事を彼らも熟知していた。皆、沈痛な面持ちで黙り込んでしまう。
「そのフレアちゃんの為に一肌脱がないか?」
ダニーの呼びかけに皆即答で快諾する。
「もちろんだ」
「俺たちは何をすればいい?」
竜騎士達の熱い視線を受けながら、ダニーは隣のアレスに目で合図を送る。
「いいのか?」
「既に爺さん達からフレアちゃん達の存在を漏らさなければ好きにしていいと了承を得ている。彼等もやる気満々だったぞ」
思えば他の村長達もフレアの信奉者ばかりだった。話をまとめる立場のペドロの気苦労は計り知れないだろう。アレスはため息をつくと昨夜オリガから聞いた話をかいつまんで全員に語った。
「……タランテラの第3皇子と結婚!」
「フレアちゃんに殺人の濡れ衣だぁ?」
「フレアちゃんが懐妊だって!」
竜騎士達は驚きを隠せない様子だったが、動揺が収まると怒りを顕にし始める。
「若、あんたよく平気で……」
「ラグラスとかいう野郎、さっさと懲らしめに行きましょう」
竜騎士達は口々にそういうと、装具を手に腰を浮かせる。そんな彼らをダニーが片手で制する。
「まあ待て。このまま我々が動けば、内政干渉だとすぐに礎の里に注進が行くぞ。それに彼女達がここにいる事が知られれば、タランテラはすぐに引き渡しを求めてくるだろう」
「……」
ダニーの言葉に竜騎士達も冷静さを取り戻し、皆自分が座っていた席に戻る。
「何か、策はあるのか?」
わざわざ全員を呼び出したのだ。ダニーには何か考えがあるのだろう。
「昨日捕えた盗賊達、エヴィルで手配されてたよな? 護送するのは誰だ?」
「私の他にレイドとパットが行きます」
どんな関係があるのかわからずに、ラトリで隊長を務めるガスパルが答える。
「賢者殿の話では、エヴィルには貸しがある。あっちの宰相捕まえて紹介状と身分証用意してもらえ。それからタランテラに潜入し、向こうの様子を探って情報を集めろ。分かっているとは思うが、フレアちゃんや他の3人の事は一切口外するな。あと、盗賊の件はあちらからタルカナ、タランテラ両国に伝えてもらってくれ」
「なるほど」
だてに団長の地位にいるわけではないと、全員が思ったに違いない。皆、ダニーの話を感心して聞いている。
「ガスパルはある程度の情報を集めたら一旦帰って来い。他の2人はそのまま向こうに残って情報収集を続けろ」
「分かりました」
「後続はその情報を聞いてから判断する」
「了解」
「俺はどうすればいい?」
1人取り残された感じがしていたアレスはダニーに尋ねる。
「お前は先ず、ブレシッドの親父さんのところへ行け。経緯はどうであれ、フレアちゃんが帰ってきたことは伝えるべきだろう。真相が分かればあちらでも何か策を講じられるだろうから、後はそれからだ。」
「……分かった」
あまり多忙な養父を頼りたくは無かったが、昨年フレアが失踪した時には養父母にも知らせて協力を仰いでいた。彼女の事を今でも気にかけているはずなので、戻ってきたことを知らせるのは当然の義務でもある。アレスは渋々うなずく。
「それから、北方の監視は怠るな。奴らが戻ってこないとは限らない。分かったな?」
「了解」
「今日は以上だ」
ダニーは話を締めくくると、席を立って部屋を出ていく。そして竜騎士達もそれぞれの役目を果たすために皆出て行った。アレスはその後ろ姿を見送るが、まだ動く気になれずにしばらくの間1人でその場に残っていた。村の方針はほぼ固まったが、彼の心はまだそれについていけなかった。
「若様」
声を掛けられて振り向くと、戸口にマルトが立っている。
「マルト、何か用か?」
「若様、フレア様がお目覚めになられました」
「本当か?」
「はい。嬢様……フレア様がお会いしたいと仰せでございます」
「分かった、すぐ行く」
アレスは立ち上がると、すぐにフレアの寝室に向かう。どういった顔をして会えばいいか分からなかったが、部屋の外で一度深呼吸すると扉を叩いた。
「どうぞ」
すぐに返事があり、アレスは扉を開けると部屋の中に入った。窓にカーテンが引かれて少し暗くしてある室内は、彼女が失踪する以前のままに保たれている。ただ、季節ごとにカーテンも床に敷かれた敷物も寝台の布団もいつ彼女が帰ってきてもいいようにマルトがこまめに変えていた。
アレスは寝台にゆっくりと近づいた。その傍らにある机には、彼女が肌身離さず持っていたものがきちんと並べて置かれている。
一つは彼がクーズ山の山頂で手に入れた聖なる石で造られた首飾り。手先が器用なバトスが加工してくれたものだ。もう一つある首飾りはメダルに紋章の様なものが刻まれている。これがおそらくフォルビア家の当主の証だろう。その他には翡翠で作られた耳飾りがあるが、どこかで落としたらしく片方しかない。それらの装飾品に囲まれて、幾ばくかのお金が入っている巾着が置いてある。見るからに高級な生地が使われ、落ち着いた色合いに銀糸で装飾が施されている。女性の物ならもう少し華やかな装飾が施されているはずだから、それはおそらく彼女の夫であるエドワルドの物だろう。
「アレス……」
「お帰り、フレア」
アレスは勤めて明るく声をかけた。フレアの枕元で丸くなっていた小竜が眠そうに頭を起こしたので、彼はその頭を優しく撫でてやる。
「助けてくれてありがとう」
体を起こす事が出来ない彼女は、アレスの方に顔を向けて礼を言う。
「礼はこいつに言ってくれ。彼が来てくれなかったら、我々は間に合わなかった」
「本当に?」
「ああ。昼飯を分けてやった時に、野良ではなさそうだったから、大好きな人はどこだと尋ねた。そうしたらあの洞窟で寝込んでいる子供のイメージを伝えて来たから、急いで皆で駆け付けた」
フレアも手探りでルルーの頭を撫でてやると、小竜はクルクルとのどを鳴らして彼女の手に頭を摺り寄せる。
「あの時はお腹が空いていたはずだから、たくさん食べたでしょう?」
「ああ。指まで食べられるかと思った。あの瓜にかぶりついた姿は見ものだったよ」
「甘瓜はこの子の大好物なの」
「そうか? 飛竜達も唖然としていた」
小竜の話題で久しぶりに会う姉弟の緊張がほぐれていく。
「この子はあの人が皇都で見つけてきてくれたの。コリンとは大の仲良しで、いつも一緒に遊んでいるわ」
「フレア……」
自分が知らない母親としての一面を垣間見て、アレスは少し戸惑う。
「アレス」
「うん?」
「お願いがあるの」
「何?」
フレアの改まった口調にアレスは居住まいを正した。
「エドを……あの人を助けて欲しいの」
「フレア……」
「あなたに頼むのは間違っているのかもしれない。あなたがタランテラを憎んでいることは分かっているけど、でも……でも、あなたに頼るしかない……」
「……」
「できる事ならコリンをここに置いて私が行きたい。でも今は動くどころか体を起こすことも出来ない」
フレアの頬を涙が伝い、彼女は両手で顔を覆った。
「あの人に会いたい……。エド……エド……」
「フレア、もういい。泣くな。腹の子に障る」
アレスはようやくそれだけ言うと、彼女の頬を伝う涙をぬぐった。
「……」
「大体の事は昨夜のうちにオリガから聞いた。ダニーも仲間も君の無実を晴らすために動き出している」
フレアが顔を覆った手を降ろすと、既に目は赤くなっている。
「……みんなが?」
「ああ。これから俺は父上に会いに行く」
「お父様に?」
フレアは驚いたように目を見張る。
「あまり手を煩わせたくないけれど、フレアが帰ってきたことを報告しないといけないし、現在のタランテラの情報をきけるかもしれない。とにかく君にかけられた濡れ衣は何とかしないと……」
「……迷惑かけてばかりだわ」
フレアはうつむいて目を伏せる。
「気に病まないことだよ。とにかく今は、元気な赤子を産むことを考えればいい」
「……」
「ダニーが珍しくやる気になっているから、どうしたのかと思ったけど、結局酒が無くなったから補充して来いだって。彼のやる気もその程度だから、深く悩まなくていいよ」
深刻に悩んでしまっている姉の気持ちをほぐそうと、アレスは勤めて明るく言った。
「……本当に?」
「ああ。だから思いつめなくていいよ。結局、みんな楽しんでいるから」
アレスの口調につられて少しフレアの表情も和らいでくる。
「じゃあ、俺は出かけてくる。ゆっくり休んで、養生してくれ」
まだ安静が必要な姉の体に配慮し、アレスは話を切り上げて彼女の寝室を後にした。
フレアの相手がタランテラの皇子と聞いて二の足を踏んでいたアレスだったが、姉が夫を慕う様を目の当たりにし、腹をくくって一肌脱ぐ決意をした。とにかく今は時間が惜しい。彼は速やかに旅の支度を整えると、相棒の飛竜にまたがって旅立った。
コリンシアは真夜中にふと目を覚ました。辺りを見回してもフレアの婆やだという優しげな老婆も、お医者様だというきれいな竜騎士のお姉さんの姿も見えず、心細くなってくる。
「母様……」
昼間はちょっとだけオリガがルルーを連れて彼女に会いに来てくれた。老婆もきれいなお姉さんも優しくしてくれるが、彼女に会えたのは本当に嬉しかった。しかし、余計にフレアに会いたくなってしまったのだ。
「母様……」
コリンシアはそっと寝台を抜け出すと、裸足のまま床に降りた。ずっと寝込んでいて足腰が萎えている上に未だ熱があって立っていることが出来ない。それでも彼女は這うようにして戸口を目指し、壁に捕まりながら廊下に出た。
「……」
夜中と言うこともあって廊下に明かりはほとんどない。明り取りの窓から月の光が差しこんでわずかに辺りを照らしていた。
「母様……どこ……」
見知らぬ家にいるのでどこに行けば人がいるのかさっぱりわからない。動くこともままならず、途方に暮れたコリンシアは廊下に座り込んでしくしく泣き出した。そこへ明かりが近づいてくる。
「!」
現れたのは体の大きな老人だった。会ったことが無い相手に思わず怖くなってコリンシアは後ずさりする。
「……熱が……」
声をかけてきたのはバトスだった。彼はこんなところにいたらまた熱が上がるよと言いたかったらしいが、コリンシアには残念ながら伝わらなかった。それでも彼が着ていた上着をかけてくれたので、姫君は相手が怖い人ではないことを理解した。
「母様に……会いたい」
勇気を振り絞ってコリンシアはバトスにそう言ってみた。彼は困った様に首をかしげ、床に座り込んだままのコリンシアをそっと抱き上げた。
「母様に会いたいの……」
知らない人に囲まれている寂しさがこみあげてきて、コリンシアはまた泣き出した。バトスは困った様にその場に立ち尽くしていたが、小さな姫君の熱がまた上がったように感じてくる。本当は有無を言わさずに寝台へ連れて行くのがいいのだが、母親を慕って泣くこの子をこのままにしておくのは忍びなかった。
「寝て……」
フレア様のところへ連れて行ってあげるが、もしかしたら寝ているかもしれないよとバトスは言ったつもりだったが、当然コリンシアには伝わらない。しくしく泣き続けているコリンシアを抱いたまま、バトスはフレアの部屋に向かい、扉を軽く叩いてみる。
「はい?」
出てきたのはマルトだった。バトスがコリンシアを抱いていることにひどく驚いた顔をする。
「廊下……」
ぽつりと言ったバトスの言葉にマルトは全てを理解した。困った様子であったが、黙って戸口の脇にどける。
「母様……」
寝台に横になっているフレアの姿をコリンシアが見つけて声をかける。その声にフレアもピクリと反応して体を起こそうとする。
「コリン……コリンなの?」
「母様!」
バトスの腕の中でコリンシアは身を乗り出そうとする。慌てて彼はしっかりと抱きなおすと、フレアの寝台に近づいてそっとコリンシアをその横に寝かせる。
「コリン……」
「母様……」
横になったまま2人はしっかりと抱き合った。フレアは何度もコリンシアの額にキスをすると再びしっかりと腕に抱き締め、コリンシアはフレアの胸にすがりついて泣き出した。
その様子を見ていたマルトとバトスは親子の再会を邪魔しないようにそっと部屋を退出する。そして2人はある提案をするためにペドロの元へ向かった。
話し合いが無事に終わり、マルトがそっとフレアの部屋を覗いて見ると、親子は寄り添い、そして幸せそうに眠っていた。2人はようやく安心して休める場所に着いたのだった。
聖域長老会議
長老A「フレアちゃんがのう……」
長老B「相手がタランテラの皇子とはまた……」
長老C「その皇子、女性関係が派手だと聞くぞ」
長老A「何じゃと」
長老C「真にフレアちゃんに相応しい相手か見極めなければならんぞ」
長老D「全くじゃ」
長老A「わしも30歳若ければフレアちゃんと……」
長老B「無理、無理。おぬしじゃ50歳若くても釣り合わんぞ」
ペドロ「……」
長老E「それにしてもラグラスという奴は許せんのぉ」
長老D「全くじゃ」
長老A「それこそ30歳若ければ懲らしめてやろうに……」
長老B「無理、無理。おぬし、鍬も鉈もよう扱わんじゃろう」
長老A「なせば成る」
長老E「なんじゃい、何も策が無いのか」
長老A「そんなもん、若殿やダニーなんぞに任せておけばええ」
長老B「結局、他人任せか」
ペドロ「……連れの3人の滞在は認めても?」
長老A「フレアちゃんが世話になったからのう……」
長老C「何もない所じゃけど、ゆっくり滞在してもらったらええ」
長老D「全くじゃ」
長老A「それにしても、フレアちゃんがのう……」
長老B「相手がタランテラの皇子とはまた……」
こうして会議は無限ループへと……。
ダニー「わしらはどうすればいい?」
ペドロ「……存在を悟られなければ好きにしていい」
ダニー「いいんですかい?」
ペドロ「構わん」
なおも話し続ける長老達を後目に、いつになく忙しい2人は部屋を出て行ったのだった。




