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群青の空の下で  作者: 花 影
第2章 タランテラの悪夢
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15 不協和音

 ラグラスはフォルビア城で晩餐の最中だった。広い食堂の重厚なテーブルに贅沢な料理が並べられ、高価なワインも用意されている。だが、席についているのは彼一人で、最近気に入っている若い女性を給仕にはべらせていた。会話も無く、ラグラスが乱暴に置く食器の音がただ無機質に響き、エドワルドやフロリエがいた頃には想像もつかない寂しい光景であった。

「失礼いたします」

 彼がメインの料理であるこんがりと焼いたキジ肉を食べている所へダドリーが何やら報告にやってきた。

「食事中だ。後にしろ」

 冷たく言い放つと彼はワインでのどを潤す。すかさず若い女性が空いた杯にワインを注ぐ。

「急ぎでございます」

「くどい」

 なおも言いつのろうとするダドリーにラグラスは手近にあったメインディッシュの皿を投げつけた。かわいそうな彼は先日のワインに続き、食べかけのキジ肉を頭からかぶる事となった。

「ラグラス様」

 ダドリーはそれでも平身低頭で彼に報告する。

「リラ湖の西岸で、親子のものとみられる遺体が乗った小舟が漂着しているのが発見されました」

「……それで?」

「遺体は損傷が激しく、判別も難しい状態ですが、船に例の村の刻印があり、乗っていたのは手配中の女とコリンシア様ではないかと思われます」

 ラグラスは食事の手を止めて身を乗り出す。

「間違いないか?」

「小舟の刻印が村で使われていたものと一致いたしました。襲撃した折に船で脱出した者はおりませんでしたので、間違いないかと……」

「フォルビアの紋章は回収できたのか?」

「それが……船の中も付近も捜索したのですが、発見できませんでした」

「湖に沈んだか」

「おそらくは……」

 ラグラスは杯に満たされたワインを一気にあおり、しばらく何かを考えていた。

「複製はまだ出来ないか?」

「急がせておりますが、もう少しかかるとのことです」

「とにかく急がせろ。それから皇都の宰相殿に女が死んだことを報告しろ。紋章も無事に回収できたと」

「かしこまりました」

 ラグラスの指示に彼は深々と頭を下げると、食堂と退出していった。

「死んだか……」

 ラグラスはそうつぶやくと給仕の女に空の杯を突き出し、ワインを注がせる。そしてそれをまた一気にあおる。

 実のところ、ラグラスはフロリエが死んで残念に思っていた。初めて見かけた時からゆがんだ感情を抱き、身柄を確保できたら助命を交換条件に自分の愛人の一人にしようと考えていたのだ。エドワルドを生かしておいたのも今まで味わった屈辱の仕返しに彼の目の前で彼女を自分の物にする所を見せつけてやるつもりでいたのだ。

「まあいい。別の手も用意してある」

 ラグラスは不敵な笑みを浮かべると、女が満たしてくれた杯をまた一気にあおった。食事は途中だったが、気が変わった彼は席を立つと女の腕をつかんで寝室へと向かう。

 控えめで大人しい印象を受ける彼女はどことなくフロリエの印象と重なる。集められた女性の中でラグラスが一番気に入ったのもその辺りにあるのかもしれない。少し乱暴に女性の腕を引っ張り、寝室へ連れ込む。

「あ……」

 ラグラスが彼女の服を乱暴にはぎとると、体中のいたるところにあざや傷痕が残る裸身が露わになる。この一月余りでラグラスによってつけられた痕だった。気に入られ、夜伽よとぎに呼ばれた回数だけ傷痕が増えていく。彼は相手を傷つけることで自分の優位を確認し、快楽を得ていた。

 集められた女性の中には逃げ出そうとしたものもいたが、捕えられて兵士達の慰み者にされた挙句に首をはねられていた。それを目の当たりにした彼女を含む女性達は、怖くても従うしかなったのだ。

 ラグラスは荒れている。直感的にそう感じていても彼女にはどうすることもできない。恐怖に顔をこわばらせ、男が満足するのを待つしかなかった。




 フロリエとコリンシア死亡の知らせはフォルビア城下にあるヘデラの屋敷にも直ちに伝えられた。例によって夫妻の他にヘザーもいる。ラグラスを失脚させ、その息子であるバートをフォルビア公に仕立てて自分たちが主導権を握る為の計画を着々と進めていて、今もその会合の真最中だった。

 つい先日、皇都へワールウェイド公グスタフに彼の孫娘とバートとの婚約を打診した使者を送りだした。今はその返事を待っている所なのだが、そこへフロリエ死亡の知らせである。彼女の死が確定してしまえば、ラグラスが正式にフォルビア公に任命され、地位が安泰してしまう。

「計画を急ぎましょう」

「皇都からの返事がまだ来ていないのに?」

 ヘザーの言葉にカトリーヌが疑問を投げかける。

「あれの地位が確定し、この計画がばれてしまったら私達はおしまいだわ」

「確かにそうだけど……」

 浮足立つヘザーとカトリーヌに対してヤーコブは1人悠然としている。

「彼にそんな暇を与えなければよろしい」

「何か策がありますの?」

 カトリーヌが不思議そうに尋ねる。

「リューグナーに動いていただこう」

「あなた、あの男をいつの間に仲間に加えたのですか?」

 カトリーヌが不満そうに口をはさむと、ヘザーも不快感を露わにする。

「あのような者を加えた所で何の利益にもなりませんわ」

 彼らの感覚からすれば、一族でもない彼はていのいい使用人にすぎない。しかも守銭奴である彼は金次第で着く側を変える恐れもあった。

「いえいえ、我々の手駒として動いていただきます」

 一同を安心させるようにヤーコブは人の良い笑みを浮かべる。

「何かいい案でも?」

「ええ。ラグラスにこき使われて不満を持っているのは彼も同じですからね。近頃は謝礼が少ないと周囲に不満を漏らしています」

「聞きましたわ。酒場で泥酔しているのを見かけたと召使が言っておりました」

 何が関係するのだろうと、不思議に思いながらヘザーが言う。

「リューグナーがサントリナ家のソフィア様に取り入って、皇都でフロリエの悪評を高めてくれたのはお手柄でした。更には捕えた殿下の治療にもあたっている」

「それは確かに」

 女性陣もその点ではリューグナーの手柄を頷かざるを得なかった。

「もし仮にそのことをネタにラグラスを強請ゆすったらどうなりますか?」

「強請る……とは?」

 すぐには理解できずに他の2人は首をかしげる。

「殿下が健在なのは我々とラグラスの他に一部の人間しか知りません。もしそれを……例えばロベリアの竜騎士達に教えると言ったら、奴はどうなりますか?」

「それは……私達も危ないのでは?」

 蒼白な顔をしてヘザーが口をはさむ。

「本当に行く勇気は奴にはありませんよ。加担したとあっては暴露した本人も命は無いでしょう。ただ、ラグラスはそうとわかっていても奴を全力でつぶしにかかるはずです」

「確かにやりかねませんわ」

 ヤーコブの目論見がだんだんと分かってきてヘザーも余裕が生まれてくる。

「リューグナーがあの男を強請って注意をひきつけてくれている間に、我々はバートを連れて皇都に向かいましょう。そして先にワールウェイド公にお会いしてラグラスを失脚させてしまいましょう」

 ヘデラの提案は他の2人にも妙案に思え、皆が納得して頷いている。

「それでリューグナーにはいつ動いていただきますか?」

「我々の準備ができ次第、彼には動いていただきましょう」

 自信満々のヘデラに他の2人も同意する。3人は計画の成功を願い、改めてワインの杯を合わせて乾杯したのだった。




 皇都、本宮南棟の執務室。ワールウェイド公グスタフは、差出人が異なるフォルビアから来た2通の手紙を机に並べ、苦笑していた。

 一通は現在仮のフォルビア家当主として認めてやっているラグラスからの物で、手配中の女が死んでいたことを報告してきた。もう一つはフォルビアの親族からの物で、無能なラグラスに代わって彼の息子をフォルビア公として認めてもらいたいという内容だった。どちらも彼と縁戚を結びたいと言ってきており、ラグラスはマリーリアに、その息子はグスタフの末の孫娘に求婚してきていた。

「悪い気はしないが、さて……」

 タランテラ国内の実権をほぼ手中に収めた彼の元へは似たような申し入れはいくつも来ていた。むろんすべてに応じることはできないので、本当に自分の役に立つ相手の申し入れを厳選して受けるつもりでいた。

「どちらを優先するか……」

 どちらにも応じる義務はなく、どちらかを無理に選ばなくてもよかった。ただ、現段階ではラグラスの申し出に応じた方が得策のように思える。だからと言ってこのままあの男が自分に従順であるとは思えなかった。

「親族達も考えたものだな……」

 幼い子供であれば、育てようによっては周囲の大人に頼るように仕向けることもできる。かつて自分がゲオルグにした同様の事を彼等はしようとしているのだ。手の内がわかるだけに、周囲を固めようとする大人は邪魔に感じる。

「保険をかけておくことにしよう」

 グスタフはそう呟くと、親族達からの手紙を破り捨てた。このままマリーリアをラグラスに嫁がせて跡継ぎが出来ればそれでよし、もしできなかった、もしくはその前に自分にはむかうようであれば親族達が担ぎ出そうとしている子供をフォルビア公に仕立てようと考えたのだ。もちろん邪魔な親族達は排除してからの話である。

 グスタフは手早く2通の手紙に返事をしたためた。ラグラスには了承した旨を、親族達には子供に会ってみたいから皇都に連れてくるようにという内容だった。

「誰か」

 グスタフは呼び鈴を鳴らして侍官の一人を呼び出す。

「これをフォルビアへ。くれぐれも宛名を間違えないように」

 そう指示を与えると、手紙を侍官に渡す。若い侍官は指示を復唱し、手紙を持って退出していった。

「さて、これでもうあの娘を見なくて済む」

 従兄の孫にあたるマリーリアを見ると、否応なしに血塗られた己の過去を思い出してしまう。せめて髪があの色でなければ、こうまで罪悪感にかられることは無かっただろう。

『嘘やごまかしで足場をいくら固めても、ひとつの真実で崩れゆくものだ』

 彼が……マリーリアの実の父親が今際の際に語った言葉だった。

「嘘だろうとまやかしだろうと、勝ち残った者が真実だ」

 グスタフはひとり呟いた。




 囚われてから1月余りたったとある夜更け、エドワルドはいつものように固い寝台で横になっていた。受けた傷もすっかり良くなり、動かせるようになった手足を出来るだけ動かして以前の様に鍛えなおす努力をする一方で、愛する妻子の無事を祈る日々を送っていた。

 ふと、扉の外に人が近づく気配がして目を覚ました。妙だと思い、油断なく身構えていると、重い扉があいて数人の護衛と共にラグラスが現れた。

「貴様!」

 エドワルドは反射的につかみかかろうと体が動きかけるが、ラグラスは護衛を盾がわりにしているので、容易に近づけないのに気付いて思いとどまる。

「これは殿下、ご機嫌麗しゅう」

 にやけた表情でラグラスが挑発するように声をかける。

「麗しいように見えるか?」

 エドワルドは思いっきり侮蔑を込めてかえす。だがラグラスは、そんなことを気にもとめずに護衛の後ろから何かを取り出して彼に見せる。

「これが何だかわかるか?」

 鎖の先に、表面にフォルビアの紋章が刻まれた硬貨ほどの丸いものが見える。

「……」

 エドワルドは答えない。それの正当な持ち主は彼の妻であり、ひと月程前にリラ湖で別れた時にも彼女は肌身離さず持っていたはずのものだった。それが今ラグラスの手にあるということは、彼女の身に何かあったことを示していた。

「リラ湖の西岸に漂着した小舟に親子の死体があったそうだ。荒れた湖に出たばかりにかわいそうなことをしたな。いい女だったが、惜しい事をした」

 エドワルドは他人事のように話すラグラスの言葉を聞き流す努力をするが、自分でも青ざめているのがはっきりとわかった。

「ま、来月には正式に私の就任式を行うことで皇都の宰相殿と合意している。前祝に妻子の元へ送ってやるから安心しろ」

 部屋が暗かったことが幸いし、彼の表情までははっきりとは分かっていないらしい。ラグラスは得意気に己の栄達を披露する。

「ワールウェイド公に更なるよしみを結ぶために、彼の娘との婚礼を申し入れたら了承された。誰だかわかるか?マリーリア嬢だ。あの高貴な髪を我が物にできると思うとたまらないな。どのようにいたぶるか、今から楽しみだ」

「な……」

 皇家と同じ髪を持つ、自分には妹の様にも錯覚する女性の名をきき、エドワルドは今度こそ狼狽を隠せなかった。

「就任式と同じ日に婚礼を行い、その10日後にはゲオルグ殿下の即位式が行われる。見せてやれないのが残念だな。ははは……」

 言いたい事だけ言うと、ラグラスはきびすを返し、護衛達に守られながら部屋を後にする。重い扉には再び鍵がかけられ、静けさが戻ってきた。

「嘘……だろう……」

 突き付けられた現実にエドワルドは立ち直ることが出来なかった。



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