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群青の空の下で  作者: 花 影
第2章 タランテラの悪夢
63/156

13 流浪の果てに1

 エドワルドが家族の無事を願っていた頃、フロリエも月を見上げていた。

 彼女達の過酷な旅は未だ終わっておらず、一行は今宵も野営をしていた。フォルビアの南にはダナシア神殿の総本山、礎の里が聖域と定めているクーズ山を中心とした山脈があり、そこを一行は目指す事になったのだ。

 ペラルゴ村を後にした彼らは、同行した男の紹介で近くの村に立ち寄った。男はその村で、農耕馬の繁殖をしている知り合いに、仔を産まなくなった牝馬を分けてくれるように頼んでくれたのだ。他にも分けてもらった干し草を布で包み、即席のクッションを作って古い荷車の振動を和らげる工夫をしてくれた。

 馬を分けてもらえたことにより、歩くつもりでいたティムはその老いた牝馬に跨り、女性陣は荷車に乗って旅をより快適に続けられることになった。彼らは少し遠回りまでしてくれた男に深く感謝して別れたのだった。

 先行きが怪しくなり始めたのはその4日後の事だった。食料の補給に立ち寄った村で、ティムはロベリアから来た行商と知り合い、境界の渡し場で行われている厳しい検問の話を耳にした。大がかりな関所が設けられ、特にフォルビアから出ていこうとする女性に厳しく、身体検査まで行われるらしい。

 その場は平静に聞き流したティムであったが、行商の一団と別れると急いで他の3人を待たせている古びた宿屋へ戻った。久しぶりにまともな寝台で休めることを喜んでいた彼女達はその知らせに驚き、手形を見せるだけでは関所を通してもらえないことに頭を悩ませた。

 ここから南の境界にはずっと川が流れていて、似たような渡し場があるものの、同様な検問が行われているのは間違いない。北へ行こうにもこの先で同じ検問を受けて湖を渡らねばならない。馬で川を渡れなくもないが、川は広い上に上空を絶えずフォルビアの飛竜が行き来しているという。訓練も受けていない4人が夜間に渡河をするのは不可能で、昼間ならばすぐに見つかってしまうだろう。

「あなた達だけならこの手形で通れるでしょう。2人でロベリアへ行きなさい」

 フロリエはオリガとティムの姉弟にそう言って、エドワルドが渡してくれたお金も渡そうとしたが、2人は頑として首を縦に振ろうとしなかった。

「奥方様や姫様をおいて逃げるなど出来ません」

「お2人でどこへ行かれると言うのですか?」

 2人は断固として反対するが、それでも彼女は困った様子で2人の説得を試みようとする。

「私達なら大丈夫です。行く当てはありますからあなた達だけでも安全な場所へ……」

「それはできません、奥方様」

「当てがあるというのなら、我々もお供いたします」

 ペラルゴ村を出発してから彼らは用心してフロリエとコリンシアを名前で呼ばないようにしていた。特徴的な名前でもあるため、他人に聞かれれば気付かれる恐れもあったからだった。それ以前に人が多く集まる場所には4人で行かない様にもしていた。買い物などの雑用はほとんどティムが一人でこなし、その間にオリガはフロリエとコリンシアのそばに付き従うようにしていた。

 3人の話を今にも泣きそうな表情で聞いていたコリンシアはフロリエのそばに寄って彼女を見上げる。

「母様、どうしてオリガとティムは一緒に行けないの?」

 娘の問いにフロリエはさらに困った表情になり、彼女の頭を優しく撫でながら答える。

「そこは余所から来た人間を極端に嫌うのです。例え私の娘だと言っても、もしかしたらコリン、あなたも留まることを許されないかもしれません」

 それをきいてティムがすかさず反論する。

「それは行ってみないと分からないではありませんか? そこが安全だというのならば、我々はあなた方を送り届けた後にロベリアへ向かいます」

「奥方様、その当てというのは一体どこなのでしょうか?」

 オリガも必死に懇願するが、フロリエは戸惑った様子ですぐには答えない。肩に止まるルルーが心配げに主の顔を覗き込む。

「私はあの時、囮になれなかった分、殿下に後事を託されたのです。その私がおめおめと貴女を置いて逃げるなどと到底できません」

「私はグロリア様に貴女様にお仕えするように命じられたのです。ここで逃げることなど出来ません。少なくてもその当てがあるという場所まではご一緒させてください」

 2人の言葉にフロリエは小さくため息をつく。座ったままの彼女の膝にすがるコリンシア、その後ろでひざまずくようにしているオリガとティムの顔をルルーの目を通じて順に見ていき、決意をしたように顔を上げた。

「そこへたどり着くまでの道はとても険しく、そして危険です。おそらく命の保証は無いでしょう」

「かまいません。あの時に捨てる覚悟はできていました」

 ティムが即答する。

「ここからずっと南……お山へ帰ろうと思っています」

 フロリエの言葉にオリガはハッとなる。

「帰る?……もしかしてご記憶が?」

 彼女の問いにフロリエは小さく頷く。

「全て戻ったわけではありません。未だあやふやな部分も多く、どうして記憶を失ったのかさえも思い出せません。ただ、かろうじて故郷の村と家族の名前は思い出せました。

 聖域の中にあるラトリという村で私は生まれ、育ちました。そこに祖父と弟がいるはずです」

 彼女の告白にオリガもティムも嬉しそうな表情となる。しかし彼女が故郷という聖域は、フォルビアの南にある山脈の中にあった。タランテラ側のその麓には湿地が広がり、開拓が困難な事から人が住みつかず、村どころか民家さえもない場所だった。それをいいことに多くのならず者が身を隠すために住み着いているともいう。ラグラスの配下の者に見つかる心配はないが、旅は一層険しいものとなるだろう。それでも2人は彼女の記憶が戻りつつあることと、行く当てが出来たことを喜んでくれる。

「ようございました。本当に……」

「母様、昔の事思い出したの?」

 膝にすがっていたコリンシアが身を乗り出す。

「ええ。少しだけど」

「おめでとう、母様」

 姫君はフロリエの首にすがって頬にキスをする。

「ありがとう、コリン。喜んでくれるのね」

「だって、父様がずっと心配していたことだもの」

「そうね……」

 この旅の最中に思い出してはっきりしたことが多く、夫に伝える事もできない。全てを話した時、彼はどんな反応をするだろうか?

「どんなに危険でも、最後までお供させてください」

「2人で行かれるよりも、4人の方がずっと楽なはずです」

 2人の言葉にフロリエは思わず涙があふれる。

「私は何という果報者でしょう。あなた方に何を報いれば良いのか……。分かりました、一緒に行きましょう」

 彼女の言葉に他の3人はパッと嬉しそうな表情となる。

「それでは、奥方様……」

「ええ、これからもよろしくおねがいします」

結局、フロリエが折れる形でその話は決着した。

「どこまでもお供します」

 ティムが改めてそういうと、姉のオリガも同意して頷いたのだった。




 決意を新たにしたフロリエ達は7日間街道を南下し続けた。町や村どころか民家さえ見かけなくなり、フォルビア最南端にある妖魔防止の城壁を超えてさらに南下すると、やがて道もなくなった。おまけに古ぼけた荷車は車輪が壊れて修復不可能となり、その場に放置するしかなった。それでも彼等は老いた馬と驢馬ろばに荷物とコリンシアを乗せて歩き続けた。

 そして彼らは今、丘の上から一面に広がる葦原あしはら灌木かんぼくの茂みの向こうに勇壮な山脈が連なる景色を見ていた。その山々の中にこの季節にも雪を残した最も高い頂に目を奪われる。彼らはとうとうフォルビア領を出ることが出来たのだ。

「クーズ山……」

 雪が残る頂を目にし、おぼろげながら戻り始めた記憶を重ねてフロリエは懐かしさが込み上げてくる。自分がいなくなり、あの山脈にある故郷の人々に心配をかけている事への後ろめたさから思わず涙が溢れてきた。

「奥方様?」

 オリガがそんな彼女の様子を気にかけて声をかける。気付けばコリンシアが心配そうに自分を見上げていた。

「母様、どうしたの? 気分でも悪いの?」

「奥方様、少し休みましょう。こちらへ……」

 ティムが慌てた様子で簡易の天幕を張り、彼女を休ませる用意を始める。

「ごめんなさい、大丈夫……」

 慌ててフロリエはそう言ったが、オリガは彼女の手を取って弟が用意した天幕へ彼女を案内する。どう見ても彼女の顔色は良くない。コリンシアも心配そうについてきて、母親のそばにチョコンと座った。

「もうじき日も暮れます。今日はここで野営しましょう」

 ティムがそう提案し、他の3人もうなずいた。すぐにティムは見つけておいた沢へ水を汲みに行き、オリガは手ごろな薪を集めて火を起こし、食事の支度を始める。3日前に最後に立ち寄った村で食料を補給できたものの、目的の村までこの先どのくらいかかるか見当もつかない。途中で野草や果実を採取し、ティムが野鳥や野兎を獲ったりしながら、普段の食事も出来るだけ質素に済ませて倹約を心がける。

 今夜はティムが捕えた野鳥の肉と沢で見つけた野草のスープ、そして保存がきく固焼きのパンが一切れずつ配られた。

「さあ、どうぞ」

 ささやかな晩餐が始まるころには、辺りは薄暗くなり始めていた。オリガはできたスープをまずはコリンシアに配り、続けてフロリエに渡そうとする。

「私はいいわ……」

 やはり気分がすぐれないのか、彼女は最初に座った場所から動こうとはしない。

「少しは召し上がってください」

 オリガは彼女に近寄ってスープの椀を差し出す。食は進まないものの、そうして差し出してくれた椀を受け取らないわけにもいかず、フロリエは手を伸ばした。しかし、料理の匂いをかいだとたん、口元を押さえて立ち上がり、手探りでその場を離れる。

「奥方様?」

 突然の事にコリンシアもティムも動けずにいるが、オリガはスープの椀をそばに置くと、慌てて彼女の後を追う。ほどなくして少し離れた木の根元でうずくまっている彼女を見つける。

「フロリエ様、いかがなさいましたか?」

 彼女はそこで咳き込みながら吐いていた。その様子に彼女はピンと来るものがあったが、すぐには声をかけずに、苦しそうな様子の彼女の背中をそっとさする。しばらくそうしていると、彼女は落ち着いた様子で木から少し離れた下生えの草の上に座り込んだ。

「奥方様、もしやお子が……」

不憫ふびんな子ね。こんな時に分かるなんて……」

 オリガの問いにフロリエはお腹を優しくさすりながら答える。この様子だと自身は前から分かっていたようである。

「いつからお分かりになっていたのですか?」

 水臭いと思いながらオリガが尋ねると、彼女は少し微笑んで答える。

「ここ数日の間かしら。月のモノがこないからもしかしてと思っていたけど……」

「フロリエ様……」

 思い返せば特にここ数日、彼女は食欲がないからと言って食事のほとんどをコリンシアやティムに分けていたような気がする。とにかくこのまま旅を続けるのは、お腹の子供だけでなくフロリエ自身にも危険である。

「コリン様が心配しておられます。とにかく戻りましょう」

「このことはお願い、まだ2人には黙っていて」

 フロリエはオリガに手助けしてもらいながら立ち上がると、微笑んで言う。

「どうしてでございますか?」

「このような状況ではこの子が無事に育つかどうか……。もし助からなかった場合、コリンがまた傷ついてしまう。それにティムにはこれ以上負担をかけたくありません。あの子はもう限界のはずです」

 このような時にも他人に対する心遣いを忘れないフロリエにオリガは心配になって応える。

「では、その分私が負担します。ですから、どうか……」

「貴女も無理しないで」

 彼女はそう言ってほほ笑む。辺境を流浪し始めて半月近くたっている。ティムだけでなく、フロリエもオリガもコリンも蓄積された疲労はピークに達していた。慣れない野営は言うに及ばず、例え宿屋に泊っていても気分が落ち着かずにゆっくり休むことが出来ない。気が緩めば誰が倒れてもおかしくないだろう。

「大丈夫です」

 オリガはそう答えると、フロリエの手を取って他の2人が待つ野営地へ戻っていった。心配げに待っていた2人には適当に言い繕い、食事の続きを促した。

 オリガは食欲のないフロリエの為に干し果物を用意し、今は少しでも栄養を必要としている状態の彼女はコリンシアと分け合ってそれを口にしたのだった。




 その翌日、一行は湿地帯へと足を踏み入れた。300年くらい前までは聖地への巡礼が認められていたので、その巡礼路の名残が辛うじて残っていた。その古道を用心の為に先頭はティムが徒歩で一歩一歩足元を確認しながら歩き、それにコリンシアが乗った驢馬が続く。次にフロリエの乗った馬、そして殿しんがりはオリガが務めた。

 ここでもルルーは活躍し、少し先の様子や周りの様子などを見まわってきてくれる。それでティムは行き先を確認し、休憩できる場所を探すこともできた。そうやって一行は4日かけて広い湿地帯を渡りきったのだった。

 湿地帯を抜けて息をつく間もなく、今度は険しい山道を登るが、ペラルゴ村でもらった驢馬が足を痛めてしまった。驢馬も馬も足を痛めることは死を意味する。やむなく息の根を止めてやるしかなかった。

 本当はコリンシアに見せたくはなかったのだが、それでも彼女は事情を聞いて最後まで立ち会った。女性3人今まで頑張ってくれた事への感謝の気持ちを込めて最後の祈りを捧げると、ティムが苦しんでいる驢馬の急所へ短剣を突き立てて止めを刺した。遺骸は埋葬する穴を掘る事が出来なかったので、そのまま谷へ落とすしかなかった。





 そして山道に入って3日目、最悪の事態が起きた。

「コリン、コリン?」

 昨夜は山道から少しそれた場所にあるこの洞窟で夜を明かした。ティムが見つけたこの洞窟は4人入れば少し窮屈に感じるくらいに狭いのだが、夜露をしのぐにはちょうど良かった。それで奥の方にフロリエとコリンシアが横になり、オリガは入り口近くで壁にもたれ、ティムは短剣を抱えたまま座って体を休めた。付近に馬をつないでおけば、何かが近づいて来ても彼女が騒いで知らせてくれる。そうやって朝を迎えたのだが、コリンシアがぐったりしていて起きてこない。額に手をやるとかなりの高熱である。

「疲れが出たのでございましょうか?」

 心配気にオリガが覗き込む。フロリエは無理をさせてしまった事を申し訳なく思いながら、子供の手を取る。熱で寒気がするのか、震える姫君に手持ちの夜具を全て掛けてある。

「水を汲んできました。」

 ティムが桶に水を汲んで戻ってきた。沢の冷たい水に布を浸して軽く絞り、コリンシアの額に乗せる。手持ちの薬草では解熱の薬を調合することもできず、今は熱が下がるのをただ祈るしかなかった。

「コリン様には私がついていますから、奥方様も少しお休みになってください。」

 オリガはフロリエを気遣ってそう言う。彼女は少しためらいながらも、お腹に宿っている新しい命の為にもコリンシアの隣に横になって体を休めることにする。

 彼女たちが寝床にしている場所には、ティムが洞窟内に積もっていた枯葉を集め、更にその上から夜具を掛けて居心地良くしていた。フロリエは熱でぐったりしている娘を抱き寄せるように横になる。

「父…さま……」

 譫言うわごとでコリンシアが父親を呼んでいる。リラ湖での父親との別れは、彼女の心を深く傷つけていた。周囲に心配かけない様に普段は明るくふるまうようにしているが、時折、寂しそうな表情となる。寝ていて突然に泣き出すこともあった。そんな時には決まってフロリエが優しく抱きしめ、娘が落ち着くのを待った。

「父…さま……」

 コリンシアの手が宙をさまよっている。オリガは優しくその手をつかみ、フロリエの手に握らせてくれる。

「コリン様、さあ、お母様とお休みなってくださいませ」

「大丈夫よ、ルルー」

 フロリエは枕元で心配そうに覗き込んでいる小竜にそう声をかけ、手探りで優しく頭をなでる。そして少しでも体を休めようと、娘の手を握ったまま目を閉じた。




 夢の中で彼女は祈っていた。聖なる頂へ向かった弟の為に。

『どうか無事に帰ってきますように……』

 殺人の濡れ衣は養父の働きかけのおかげで晴れたものの、ガウラ出身の大母補と恋に溺れて本来の役目を放棄していたことをとがめられ、この聖域に彼は左遷された。本来なら竜騎士資格も返上するところだったのだが、修行として聖なる頂に1人で登れたらそれを免除されることになっていた。

『嬢様、心配いりませんよ。若様はきっと無事にお帰りになられますよ』

 神殿にひざまずく彼女にばあやが声をかけてくれる。彼女も心配なはずだが、それ以上に心配性の自分を励ましてくれているのだ。

『マルト、私はもう成人したのだからその呼び方はやめて』

 いつまでも子ども扱いするばあやに彼女は頬をふくらます。こうして会話していれば少しでも不安を和らげることができた。

『そんな表情をなさる間はまだまだ子供ですよ』

 マルトはそう言って笑いながら彼女が立ち上がるのを手助けしてくれる。

『もう……』

 自立する為に養父母の元から離れたのだが、こうしてばあやのマルトだけでなく、じいやのバトスまで細々と彼女に世話を焼いてくれる。目が不自由というだけで、1人で外出もさせてくれないのだ。肩に大人しくとまっている小竜がいれば、日常生活に不自由はしないというのに……。

『さあさ、旦那様が心配なさっています。そろそろ戻りましょう』

 不満はあるものの、マルトに手を引かれて大人しく従う。

神殿の外に出ると、雲の隙間から聖なる頂が見える。途中には垂直の崖を登らなければならない場所もあり、天候も変わりやすいとも聞く。頂上へ到達するのにどのくらいかかるのだろうか……。

『フレア様?』

 動かなくなった彼女を心配してばあやがまた声をかけてくる。

『ごめんなさい、帰りましょう』

 彼女は我に返るとあわてて歩き始める。マルトは彼女の心中を察し、それ以上は何も言わずに手を取り歩調を合わせて家に向かった。

 それから一月後、予定よりずいぶんと遅れて彼は帰ってきた。途中で遭難しかけたと笑いながら言うが、彼は体中擦り傷だらけでしかも右腕を骨折していた。だが、不思議とあの一件以来付きまとっていた暗い影が和らぎ、本来の彼の屈託ない性格が戻ってきているようであった。

『心配かけてごめん。もう、大丈夫だから』

 彼は明るくそう言うと、聖なる頂に収められていた石を見せてくれる。それは水晶の様に透明で美しい結晶だった。これを礎の里に収めれば、彼は竜騎士としての名誉を失わずに済むのだ。

『気に入ったのならあげようか?』

 石に見とれていると弟はあっさりそう言うが、もらうわけにはいかない。

『苦労して手に入れたのに私がもらう訳にはいかないでしょう? 早く怪我を治して、礎の里へ報告に行ってきなさい』

『はいはい』

『はい、は一つでしょ?』

 弟が大命を果たした安ど感から、怒ったふりをしていてもつい笑ってしまう。この時はこれで全てが元に戻ると信じていた。

 しかし……報告に礎の里へ行った彼は賢者たちへの目通りがかなわず、竜騎士に復位することが認められなかった。養父は再三にわたり抗議したが、それも聞き入れてはもらえなかった。

 それでも弟は何かを悟ったかのように、このままでいいと養父の怒りを逆に鎮めていた。彼女が長年抱いていた、故郷の村に帰って生活する夢はかなったものの、何か釈然としないものが残った。




「奥方様、奥方様」

 オリガに揺り起こされてフロリエは目を覚ました。

「私……」

「随分とうなされておいででした。お加減が優れませんか?」

「大丈夫。お水を一杯頂けますか?」

 ひどく心配している様子のオリガを安心させるために、彼女は体を起こしてほほ笑んだ。

「すぐにお持ちします」

 オリガがそう言って側を離れると、フロリエは傍らで眠る娘の様子をうかがう。幸いルルーは彼女が起きてすぐに寄ってきたので、意識を集中させて辺りを見ることもできた。

「コリン……」

 小さな姫君は眠っている。熱は相変わらず高く、彼女が一息眠る前と比べても状況は大して変わっていない様子であった。

 フロリエ自身もつわりがひどく、食べ物がのどを通らない状況である。かろうじて果物は口にできるが、このままでは彼女自身も遅かれ早かれ倒れてしまうだろう。目的の村まであと2つは山を越えなければならないが、今のティムとオリガには病人を抱えて行く事はおそらく無理であろう。早く手を打たなければならなかった。

「ルルー、お願いがあるの」

 フロリエは腕の中にいる小竜を抱き上げると、向き合うように自分の顔のそばに寄せる。そして、先ほどの夢に出てきた黒髪の若者の姿を思い浮かべる。

「……この人を呼んできてほしいの」

 一度も行ったことがない場所へ小竜を行かせるなんて無理な頼みかもしれない。それでもわずかな可能性があるなら賭けてみるしかなかった。だが、小竜は不思議そうに首をかしげているだけである。

「奥方様、お待たせしました」

 オリガが水を用意して戻ってきた。フロリエはルルーを降ろすと礼を言って彼女から水が入った器を受け取った。

「……おいしい」

「さっき、ティムが汲んできてくれたばかりです」

 道理で冷たいはずであった。まめに動く彼は、今は薪を集めに行ってくれているらしい。申し訳ないと思いながらも、今の自分はその好意無しでは生きていくことが出来ない。村に着くことが出来たら、その恩に少しでも報いたいと彼女は切に思った。

 オリガは食事の支度をすると言って側を離れ、フロリエは日が傾くまでそのまま楽な姿勢で娘を気にかけながら過ごした。2度ほど水分補給の為に水を飲ませたが、あまり受け付けない。このままでは本当に回復が見込めない。

 簡単な食事が済んだ頃には辺りはすっかり暗くなっていた。ティムが薪探しの途中に見つけてくれた蔓グミの実でフロリエも食事を済ませ、後片付けをする姉弟の姿をぼんやりと眺めていた。

 今は洞窟の外にティムが用意してくれた椅子に座り、所在無げに膝の上にいるルルーの頭をなでている。ふと見上げると、木々の間から月が出ていた。まだか細い三日月の光は彼女の不安をそのまま表しているようであった。

「エド……」

 夫の事を考えると、胸が締め付けられる思いがする。可能性は低いが、どうか無事でいてほしかった。彼女はその場に跪き、ダナシアへ祈りの言葉を捧げる。

「奥方様、お体に障ります。お休みになってくださいませ。」

 祈りの言葉が終ると、オルガが心配して声をかけてくる。今の自分にできることはない。フロリエは彼女の手を取って立ち上がり、勧めに従って体を休めることにした。


記憶喪失の人の記憶が戻る場合、本来ならばスイッチが入れ替わるように記憶を失っていた間の事は忘れてしまう物らしい。

ちょっとあやふやですが何かで読んだ記憶があります。

作中のフロリエのように徐々に思い出すってことはないらしいのですが、もうこのスタイルで話を決めていたので強行しちゃいました。

記憶が切り替わった場合でもドラマティックになりそうですが……。

さて、一行はやっとフォルビアを抜けましたが、姫君が病に倒れました。フロリエも懐妊が判明し、一行の窮地は続きます。

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