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群青の空の下で  作者: 花 影
第2章 タランテラの悪夢
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3 立ち込める暗雲

 夏至が過ぎ、本格的な夏を迎えた頃、エドワルドはグロリアの墓参りの為に妻子を連れてあの館を訪れていた。

 フォルビアの新たな体制も整って軌道に乗り出した上に、各方面を任されていた親族達の不正の摘発も終わったので、彼の手がようやく空いたのだ。

 ラグラスやヘデラ夫妻を始めとした親族達が着服した金をエドワルドは利子をつけて返還するように命じていた。渋る彼らに親切にも返済計画書まで用意してやり、その通りに返済できないと追徴金も加わると脅しておいた。その支払いを待つ間、結婚式の準備を進めながら過ごせば、国主会議を終えたハルベルトと合流する丁度いい頃合いとなっているだろう。

「引っ越してから2ヶ月も経っていませんのに、随分と離れていた気が致します」

「そうだな。随分前の事の様だ」

 いつもの玄関前にグランシアードが着地し、フロリエはエドワルドに飛竜の背から優しく抱き下ろされる。続けてファルクレインが着地してアスターがコリンシアを抱き下ろし、同行した護衛の竜騎士5騎が飛竜を敷地の外へ着地させた。アスターも彼らも周囲への警戒を怠らず、鋭い視線を辺りへめぐらしている。

「なんだかほっとするわ」

「ああ。休暇を楽しむつもりでのんびりするとしよう」

「はい」

 歩きなれた玄関前のアプローチをエドワルドに手を引かれてフロリエは顔をほころばす。住み易い様に改善してもらったとはいえ、彼女には城よりもこちらが我が家と思えるのだろう。それはコリンシアにも同様で、先ほどからうれしそうにあたりを走り回っている。

「コリン、あまり走ると転びますよ」

「大丈夫」

 母親の心配をよそに、娘は両親の元へ戻ってくると、勢い良く父親に抱きついてくる。

 この休暇をゆっくり楽しむ為に、ここ数日仕事を優先して妻子とほとんど顔をあわせていなっかったので、コリンシアは父親といられる事が嬉しくて仕方ないのだ。そんな彼女の気持ちを知っているエドワルドは、ひょいと娘を抱き上げた。

「さあ、中へ入ろう」

「うん」

 当主一家がこちらに滞在する間、彼等の世話をする為にオルティスはあらかじめ元々こちらで働いていた使用人達を連れてきていた。彼らに出迎えられて一行は住み慣れた我が家に入っていく。

 当然、グランシアードを始めとする飛竜を世話する為に、ルークとの野外活動を終えたばかりのティムも呼ばれて来ていた。彼はエドワルドの推薦で、この秋から第3騎士団へ竜騎士見習いとして入団する事に決まっていた。基本的な武技と操竜術及び一般教養を学んだ後、皇都で最終的な試練を受けて合格すれば、神殿から飛竜が与えられて竜騎士と認められる。夢に一歩近づいた彼は、張り切ってグランシアードとファルクレインの世話をし始めた。

「エドワルド様、フロリエ様、冷たいお飲み物をご用意しております。どうぞこちらへ」

 張り切っているのはオルティスも同様だった。慣れた場所で勝手を知る人たちがいるので動きやすいのだろう。オリガと共に朝一番にこちらへ来て、全ての準備を抜かりなく整えて一家を出迎えてくれた。そして彼は先導してあの居間へと案内する。

「ありがとう」

 フロリエは座りなれたいつもの場所へ座り、向かいの席にエドワルドとコリンシアが座った。一番奥のグロリアの指定席は空いたままで、愛用の肩掛けがかけられたままとなっていた。

「ここはやはり落ち着くな」

「ええ」

 とりとめのない会話をしながらオルティスが用意したお茶で喉を潤す。開け放たれた窓から涼やかな風が通り抜け、実に心地がいい。ずっと仕事に追われていたエドワルドは久しぶりにのんびりと家族と過ごす事が出来てほっとしている様子である。

「平和……だな」

 彼はポツリとつぶやいた。




 次の日の明け方、エドワルドは言いようの無い恐怖と焦燥感に駆られて目を覚ました。

「一体……」

 手が震え、全身に寝汗をかいていた。開け放っている窓から入る、生温い風が更に気持ち悪く感じ、彼は体を起こすとふらつきながら寝台から抜け出した。

「……エド?」

 隣で寝ていたフロリエが彼の動く気配に気付いて目を覚ます。

「起こして済まない。なんだか変な夢を見たようだ。汗をかいたから体を拭いて着替える」

「大丈夫?」

 彼女も寝台から手探りで降りると、夫の側に近寄る。差し出された彼の手に触れると、汗ばんでいるのがわかる。

「心配ないよ。自分でするから君は横になっているといい」

 確かにルルーがいない状態ではさほど役には立たないと思い、フロリエは大人しく寝台の縁に座る。エドワルドは洗顔用においてある水差しの水で布を濡らし、それで汗をふき取ると替えの寝間着に着替えた。

「どこか具合でも悪いの?」

「違うよ。これではいつもの逆だな」

 心配そうな妻にエドワルドは苦笑する。しかしながら言いようの無い焦燥感はぬぐいきれておらず、彼は寝台脇のテーブルに置いていた寝酒のワインの残りを一気に飲み干した。

「エド……」

「大丈夫」

 心配する妻に軽く口づけると、彼は彼女を促して寝台に潜り込む。そしてもう一息寝ようと彼女を腕に抱いて横になったのだった。




 翌日は墓参りの予定にしていたのだが、来客があって行けなくなってしまった。当主夫妻がこの館に滞在しているのを聞きつけ、フォルビア東部の地主達だけでなくはるばるロベリアからも次々と客が挨拶に訪れたのだ。今後の領地経営を考えれば無視する事も出来ず、エドワルドとフロリエはその対応に追われてしまった。

 元々予定していた贔屓ひいきの仕立屋と婚礼衣装の打ち合わせやビルケ商会に結納の真珠の加工を依頼したりしたおかげで、グロリアの墓参りにようやく出かけられたのは館に来て10日目の事だった。

 いつもなら飛竜を利用するのだが、今回は近隣の視察も兼ねて馬で出かけ、神殿に一泊する予定となっていた。フロリエやコリンシア、同道するオリガの為に婦人用の馬車が用意され、その御者をティムが任された。エドワルドやアスター、護衛の竜騎士や騎馬兵は馬車を囲むようにして馬を併走させている。

「こうして外へ出るのは気持ち良いな」

「同感です」

 来客のため、外出も間々ならなかった上官の言葉にアスターはうなずく。決していい天気とは言えなかったが、こうして風をきって走るのは気持ちがいい。馬車に乗っているコリンシアも身を乗り出すようにして外の景色を楽しんでいる。

 行きかう領民達が一行に気付き、道を空けて馬を駆るエドワルドや馬車に乗るフロリエに恭しく頭を下げる。そんな彼らにコリンシアは元気良く手を振り、フロリエは娘を微笑みながら見守っている。領民達はそんな親子の姿をニコニコしながら見送ってくれる。

 一行は途中にある2つの村を視察し、午後になってようやくグロリアが眠る神殿に着いた。神官長長自ら頭を下げて出迎え、フロリエは夫に手を引かれて馬車から降りた。

「お待ち致しておりました。エドワルド様、フロリエ様」

「出迎えありがとう」

 フロリエは神官長に声をかけると、夫に手を引かれて神殿の中へ入っていく。オリガと手をつないでコリンシアが続き、アスターと護衛の竜騎士が最後に入る。ティムは神殿の係りと共に馬を厩舎へ預けに行った。

 神官長がグロリアの霊廟に一行を案内し、彼等は持参した花を供えてしばらくの間瞑目する。特にフロリエは墓前にひざまずき、最後まで祈りを捧げ、そんな彼女をエドワルドは穏やかな気持ちで見守っていた。




 霊廟を出た一行はフロリエの要望で神殿のハーブ園を訪れていた。ルルーの力を借りて見るのは初めてだが、その香りは何だか懐かしくて彼女は顔をほころばせる。そんな彼女の前に1人の女神官がひざまずいた。

「お久しぶりでございます」

「まあ、イリス? イリスなの?」

 顔を見るのは初めてだが、その声には覚えがあった。一年前、この神殿を訪れた際に世話係を勤めてくれた見習い女神官だった。

「はい。この度は大公位継承おめでとうございます。謹んでお喜び申し上げます」

 礼にのっとって深々と頭を下げる様はもうすっかり一人前である。フロリエは笑顔で彼女を立たせると散策に誘い、コリンシアとオリガを加えた4人でおしゃべりをしながらその香りを楽しむ。

「楽しそうだな」

 その様子を眺めながらエドワルドはつぶやく。庭園の端に設けられた東屋に腰を下ろし、用意された飲み物で喉を潤しながら楽しそうな妻子の様子を眺めていたのだ。庭園の周囲には護衛達だけでなく神殿を警護する兵士も加わって厳重に警備されていた。ちなみに神官長は午後のお勤めの為、霊廟を出たところで別れていた。

 以前にここでフロリエは襲われかけた。その記憶からか、ハーブ園に入るまでは少し緊張していた様子だった。だが、エドワルドが優しく肩を抱いて励まし、そしてルルーがいて視覚的な不安が無い事が彼女を安心させたのか、今ではすっかりリラックスしている様子だった。

 彼はもう一度ほっと息をつくと良く冷やされた飲み物をもう一口口に含む。そしてまるで絵画のような光景に目を細めた。




「あ、温室がある! 行ってもいい?」

 一通り散策が済み、東屋へ女性陣も休憩にやってきた。コリンシアはイリスに作ってもらったハーブの小さなブーケをご機嫌で父親に見せていたのだが、植込みの向こうに温室を見つけて弾んだ声を上げる。

「あそこは……」

 コリンシアには南方の珍しい花々や果物が植えられていて、温室は楽しい所だという認識しかなかった。1年前にここで交わした会話を思い出し、フロリエもオリガも困った様に口籠る。

「姫様、あの温室に今は何も植えられていないのでございます」

 お茶を給仕していたイリスが2人の代わりに優しく話しかける。小さな姫君は不思議そうに女神官を見上げる。

「どうして?」

「あの温室では貴重な薬草が育てられておりました。この春に一時お預かりしていたその薬草をお返ししたので、今の温室には何も植えられておりません。またしばらくして、寒さに弱い薬草を越冬させる為に植えられる予定になっております」

「ふーん……」

 言葉を尽くしてイリスが説明するが、やはりまだコリンシアにはよく理解できていないようである。それでも、温室に入れない事は理解できたようで、面白くなさそうに用意されていたお茶菓子をほおばる。

「薬草……か」

 女性陣の話を聞くともなしに聞いていたエドワルドは、ふと、リューグナーが薬草庫に無断で保管していた薬草を思い出す。彼を取り逃がしたこともあり、結局入手先など詳しい事が分からず終いだったが、今はロベリアでバセットと新たな総督の元で厳重に保管されていた。

「……雷か?」

 しばらくその場でお茶を楽しんでいると、遠くの方でゴロゴロという音が聞こえ、見上げると空は黒い雲に覆われている。コリンシアは怯えて父親にしがみつく。

「父様、怖い」

「怖がらなくて良いよ、コリン。フロリエ、部屋に戻ろう」

 エドワルドは怖がるコリンシアの頭をなでると、妻に手を差し出す。

「はい」

 彼女がその手を取り、宿泊予定の居住棟に向かって歩きはじめると、ポツリポツリと雨が降り出した。エドワルドは妻子が濡れないように自分の長衣で2人をかばいながら、イリスの誘導に従って建物へ戻っていった。

 日が暮れるにしたがって雨は一層激しさを増していく。エドワルドは竜騎士の一人を使いにやり、河川の増水に警戒するように指示を与えた。

 神殿らしく、質素ながらも滋養のある晩餐が終わると、一家は最上級の客間へと案内された。広い寝台が置かれた寝室とこざっぱりとした居間、オリガ用の寝台が整えられた控えの間もある。

 昼間の疲れもあって、フロリエはコリンシアと共に用意された部屋着に袖を通すと、早々に寝台へ横になった。ルルーは既に寝台の端の方で丸くなって眠っている。まだ雷が鳴っているため、コリンシアは怖がって寝台の中でもフロリエにしがみついてくる。彼女はそんな娘をそっと抱きしめながら優しく子守唄を歌う。やがてそれで安心したのか、コリンシアはそのまま健やかな寝息を立て始め、フロリエは控えていたオリガに合図する。彼女は明かりを落として自分に与えられた部屋へと下がっていった。




 その頃エドワルドは、アスターと彼に用意された部屋で酒を酌み交わしていた。神官達が整えてくれた神酒のお下がりと酒肴をティムが届け、2人の世話をしてくれる。

「もうじきだな、ティム」

 エドワルドは酌をしてくれる少年に笑いかけると、彼は嬉しそうに答える。

「はい。これも全て殿下のおかげです」

「素質がある若者を引き立てるのは当然の事だ。だが、絶対に竜騎士になれるとは言い切れない。しっかりヒースの元で学びなさい」

「はい」

「今日の様子を見ても大丈夫だろう。4頭ともよく操っていた」

 2人のやり取りを聞いていたアスターが横から口を挟む。今日は試しに馬車を引く4頭の馬をティムに操らせた。無理があるようならば護衛に連れてきた竜騎士の一人が代わる予定だったが、彼は難なくそれをこなし、竜騎士となる素質は充分に備えている事を自ら証明した。

「ありがとうございます」

「だが、あいつは殿下の推薦だからといって贔屓はしないし、逆に厳しく鍛えるだろうから覚悟はしておいたほうがいい」

「はい、肝に銘じます」

 ヒースとは古い付き合いのアスターにそう言われ、ティムは神妙に答える。事実ヒースは自分の隊に配属されたブランドル大公家のユリウスを、周囲が青ざめるほど容赦せずに鍛え上げた。おかげで今の彼があるのだが、当時はその事で何かと責められる事があったらしい。当の本人と父親であるブランドル公も納得しているのにおかしな話なのだが……。

 それからしばらくして2人はティムを下がらせ、今後の予定を話し合い始めた。この雨が続く様であれば、休暇を返上して城に戻り、災害に対処しなければならない。その事で2人の意見は一致し、明日は雨が降っていても小ぶりであれば館に帰る事に決めてエドワルドは自分に用意された部屋へと戻っていった。




『落ち着いて聞いて欲しい』

 弟が礎の里の神殿騎士団に配属が決まって半年ほどたっていたある日、養父は彼女にこう切り出した。

『アレスに殺人の容疑がかかった』

『えっ?』

 あまりの事に彼女は言葉を失った。養父も焦りの色を隠せないでいる。

『ガウラ出身の大母補が変死したところへ居合わせたらしい。他にも何やらあるらしいから、今から礎の里へ行って真相を確かめてくる』

『お義父様……』

 心配そうに見上げる彼女を、彼は一度軽く抱きしめた。

『ガウラの国主がタランテラにも協力を申し込んでいるらしい。かの国には交渉に長けたワールウェイド公がいるから、彼が出てくれば厄介な事になる。だが、私はアレスを信じている』

『はい』

『出来る限りの事をしてくる。心配せずに待っていなさい』

 そう言って養父は礎の里へ向かったが、弟の容疑を完全に晴らす事が出来無かった。そして彼は騎士資格を剥奪され、左遷されてしまった。その知らせを聞いた彼女は、部屋に閉じこもって泣いていた。


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