2 晴天の霹靂2
城へ引っ越した数日後、1人の客がフロリエを尋ねて来た。赤褐色の飛竜の背から降り、騎竜帽を脱ぐと、見事なプラチナブロンドの髪が風にたなびく。
「ようこそおいで下さいました、マリーリア卿」
「いらっしゃい、お姉ちゃん」
フロリエは久しぶりに会う竜騎士を娘と着場で出迎えた。
「わざわざのお出迎えありがとうございます」
駆け寄ってきたコリンシアを軽く抱きしめると、マリーリアは着場まで出迎えてくれた城の女主にお辞儀する。
「遠路お疲れでございましょう。お茶をご用意しておりますから、こちらへどうぞ」
「ありがとう。貴女のお茶を楽しみにして来ました」
2人はそう言って挨拶を済ませると、フロリエの案内で中庭に面した居間へ移動する。既にお茶の用意が整えられ、マリーリアに席を勧めると、フロリエは早速お茶を淹れて差し出す。
「さあ、どうぞ」
「うん、この味。久しぶりだわ」
マリーリアは早速一口飲むと、嬉しそうな表情となる。エドワルドの頼みで、彼の留守中に館を訪れるようになった彼女もフロリエが淹れるお茶のファンになっていた。ロベリアに配属当初はあれだけ反発していた彼女も、ジーンとオリガを加えた4人で尽きることのない会話を楽しむようになっていた。
「ここに座っていると、あの館に来ている気分になるわね」
「ええ。エドが気を使ってくれて、家具の配置を館と同じにしてくれて……とても助かっているわ」
率直なマリーリアの感想にフロリエは微笑んで答える。彼女はここへ移ることに不安を感じていたのが嘘の様に、この数日間ですっかりこの城になじんでいた。
互いに近況を語り合いながらお茶とお菓子を味わっていたが、大人しく座っていることに飽きたコリンシアに誘われて中庭を散策し始める。夏を思わせる午後の日差しは眩しく、大人2人は木陰を選ぶように中庭に作られた小道を進む。
「殿下はお出かけになられているのですか?」
「ええ。西部で何か揉め事があったとかで、アスター卿と仲裁に出かけられました。夕方にはお戻りになると思います」
ため息混じりに答えると、フロリエは少し俯く。
「相変わらずお忙しいみたいですね」
「自分では何も出来ないのがとても心苦しい。本来は私の務めですのに……」
「深く気にしすぎる必要はないかと思います」
マリーリアはそこで一旦言葉を切ると、中庭に置かれたベンチの一つにフロリエを座らせた。ルルーが遊びたくて落ちつかず、フロリエが同調出来ずに歩調を乱していたからだった。
「ありがとう。遊んでいらっしゃい、ルルー」
フロリエはマリーリアの気遣いに感謝すると、肩に乗せていたルルーを解放する。小竜は嬉しそうに一声鳴くと、蝶を追いかけて遊んでいるコリンシアの元へ飛んでいく。
「私も正直、政は詳しくありませんが、エドワルド殿下はそれに精通しておられます。グロリア様がお亡くなりになったばかりで、混乱している今のフォルビアを治めるのにご主人を頼っても不自然な事ではありません。きっとグロリア様もそうお考えになったからこそ、あのようなご遺言を残されたのだと思います」
マリーリアは中庭で遊んでいるコリンシアに一度目をやると、更に続ける。
「それに、次代のフォルビア女大公を養育すると言うのは、これ以上は無い大切な仕事ではありませんか。その事は誰もが認める貴女の功績だと思うのですが?」
彼女の言葉にフロリエは思わず目頭が熱くなり、手でそっと抑える。
「自信をお持ち下さい。貴女は立派なフォルビア大公です」
「…ありがとう」
フロリエはようやく感謝の言葉を口にする。後は涙があふれてきて言葉にならなかった。
暗くなる頃になってようやくエドワルドが城へ帰ってきた。フォルビアの西部は未だに親族達の影響が色濃く残っており、エドワルドの手法をなかなか受け入れてはくれない。新しく派遣した責任者と地元の有力者との間で起こった諍いを仲裁するのに思ったよりも手間取ってしまい、アスター共々随分疲れた様子である。
「お帰りなさいませ」
「父様、お帰りなさい」
出迎えてくれた妻と娘を抱きしめ、エドワルドはそれぞれの頬にキスをして改めて「ただいま」と答えた。
「わざわざ寄ってくれたというのに、留守にしていてすまない」
愛する家族への挨拶が済むと、彼はようやく妻子から一歩下がって出迎えてくれた客人に頭を下げる。マリーリアはかつての上司に微笑みながら首を振る。
「いえ、お忙しい中へお邪魔して、かえって申し訳ありませんでした」
「それは気にしなくていい。何ももてなしは出来ないが、それでも良かったら2,3日ゆっくりしていってくれ」
エドワルドは妻子を伴い、客であるマリーリアを晩餐の支度が整っている食堂へ案内する。先ずは客を席に案内し、続いて妻と娘を座らせ、自分は最後に席につく。食前酒で乾杯し、ささやかな晩餐会が始まった。
「それほど長くは滞在できませんが、奥方様にも勧められたので今夜は泊めて頂く事にしました。コリン様にも熱心に勧められましたので」
マリーリアはコリンシアに一度微笑みかけると、エドワルドにそう答えた。既にフロリエがオルティスに命じて客室の準備は整えてある。
「お姉ちゃんがね、コリンといっぱい遊んでくれたの」
コリンシアは嬉しそうに昼間の事を報告する。たくさん遊んでおなかが空いたらしく、いつもより食が進んでいる様子である。その横でルルーが好物の甘瓜を見つけて夢中でかぶりついていた。
「そうか、良かったな」
コリンシアの微笑ましい様子に目を細めながら、エドワルドも切り分けた肉を口に運ぶ。フォルビアを管理するようになってからの彼にとっては、家族と過ごすこの時間が何よりの癒しとなっていた。
「カーマインの事、兄上から聞いたぞ」
いつものように食後の団欒の時間を母子が一緒に絵本を読んで過ごしているのを見守りながら、エドワルドはワインのグラスを傾けつつマリーリアに話しかける。
「ええ。全て殿下のおかげです」
オルティスはマリーリアにもワインのグラスを用意してくれたが、それ程強くない彼女はほんの少し注いでもらってその香りを楽しんでいる。
「前例はいくらでもあるからな。グスタフも謹慎中で大人しかったし、話を進めやすかったらしい」
本来、繁殖用の雌竜は神殿に属し、各国にある神殿が管理する繁殖施設で大事に飼育され、それぞれの国で有力な飛竜と番って生涯に20個前後の卵を産む。繁殖用の雌竜もパートナーを得た方が精神的にも安定して御しやすく、より多くの卵を望める事から神殿では女神官や大母補が仮のパートナーとなって世話をしていた。
もちろん、今までにも例外はある。そういった例外で一番有名なのがワインの産地で有名なブレシッド公夫人の飛竜だった。その資質の高さから彼女は異例の10歳で大母となった。その才覚で大乱を未然に防いだ功績を認められ、退位後、聖騎士に任命された夫であるブレシッド公の飛竜の番を特別に貸与されたのだ。しかし、生まれてくる子竜はある程度大きくなったら神殿の飼育施設に返還するといったいくつかの条件が付けられている。
その例に倣い、マリーリアもカーマインの正式なパートナーとして認めてもらえるように、ハルベルトを通じて神殿に願い出たのだ。父親に随分と脅されていた彼女も最初は半信半疑だったが、先日、正式な通達が届けられてようやく納得したのだ。
「カーマインの番が見付かるまで一旦騎士団を離れなければならなくなりましたが、それでもあの子と引き離される苦痛とは比べ物になりません」
「そうだな」
竜騎士の半身でもある飛竜と離される苦痛は何物にも耐えがたい。エドワルドは望みどおりの結果を引き出せて安堵していた。
「それまではどうする? 皇都へ行くのか?」
「いえ。皇都には私の居場所はありませんから、ワールウェイド領の外れにある故郷の村へ帰ろうと思います」
彼女は少し寂しげに微笑んで答える。
「故郷? ああ、母君の故郷だったか?」
一瞬どこか思い当たらなかったが、エドワルドは彼女の生い立ちを思い出してすぐに得心する。
「はい。ルバーブ村といいますが、いい所です。」
「そうか。今後、皇都に出る時は真直ぐ本宮へ行くといい。フォルビアの屋敷でもかまわないぞ。なあ、フロリエ?」
「ええ、もちろんです」
絵本を読み終え、2人の話を慎ましく聞いていたフロリエは笑顔で答える。
「ありがとうございます」
「とにかく、秋の結婚式には是非来てくれ。約束だぞ?」
「はい。それはもちろん。お2人の幸せな姿を見に行かせて頂きます」
マリーリアはうれしそうに答える。すると横からコリンシアが口を挟む。
「コリンね、花嫁のヴェール持つの」
「それは楽しみですね」
「うん。それでね、母様とお揃いのドレス着るの」
よほど楽しみなのか、コリンシアは目を輝かせてマリーリアに言う。その様子をエドワルドもフロリエも笑みを浮かべて眺めている。絵に描いたような幸せな家族の光景がここにはあった。その幸せが永遠に続くと、ここにいる誰もが信じていた。
彼女が成人の儀式を迎えた数日後、彼女は弟と共に養父母に呼ばれ、彼等の部屋を訪ねた。部屋には既に彼等の息子も呼ばれて待っていた。
『こちらへ』
金髪の少年がいそいそと彼女の手をとって椅子へ案内してくれる。養父母は苦笑しながらその様子を眺め、弟は肩をすくめて空いている椅子に座った。
『呼び出してすまなかったな』
全員が椅子に座ったのを確認すると、養父は姉弟に頭を下げた。
『義父上、何か大事なお話があると伺いましたが?』
黒髪の少年が居住まいを正すと、養父に話しかける。彼はうなずくと、少年に話しかけた。
『ふむ。この度、礎の里神殿騎士団へ送るわが国からの候補にそなたを推薦することが決まった』
『僕が……。ルカでは無いのですか?』
黒髪の少年は驚いたように金髪の少年に目をやる。彼は平然として椅子にふんぞり返って座っていた。
『そうとも考えたが、能力的にはそなたのほうが上だ。あちらでたくさん学んで経験を積んで来るといい』
『義父上……』
礎の里神殿騎士団は各国から選りすぐった竜騎士で構成されていた。国主会議が開かれる時に候補となる若い竜騎士が集められ、厳しい試練を受けて合格した者のみが入団を許される。その候補となるだけでも大変な名誉だった。
『礎の里のようなお固い場所は真面目なお前の方が向いているさ。俺に気兼ねせずに行って来いよ』
『ルカ……ありがとう』
『いいって事よ』
兄弟のように育った2人は笑顔で肩をたたきあっていた。その様子を彼女は誇らしく、また少し不安に思いながら眺めていた。
翌日、1人で故郷へ帰ろうとするマリーリアにアスターが同行を申し出た。飛竜での旅とは言え、女性1人では危険もあるだろうからとエドワルドの配慮だった。彼女は迷いながらもその申し出をありがたく受け、フォルビアの当主一家と短く別れの言葉を交わして飛竜にまたがった。そしてカーマインとファルクレインは初夏の日差しを受けて空に舞い上がった。
「お姉ちゃん、また来てね!」
コリンシアは手を振りながら飛竜が見えなくなるまで見送っていた。
別宅とはいえれっきとした大公家の所有する屋敷に人の気配は感じられず、静まり返った廊下をラグラスは先導する家令について歩いていた。古めかしい屋敷の作りと揺らめいている蝋燭の光が一層の気味の悪さを演出している。
「こちらでお待ちでございます」
恭しく頭を下げて家令は扉を開けた。応接間らしいその部屋も明かりが落としてあり、いくつかの燭台が灯されているだけである。ラグラスが無言で中に入ると背後で扉は締まる。彼は肩を竦めると部屋の奥へと歩を進め、安楽椅子に座って蝋燭の炎を眺めている屋敷の主に声をかけた。
「まさか、貴公から声をかけて頂けるとは思いませんでしたよ」
ラグラスは自分を呼び出した相手に冷ややかな視線を送る。
「このままでは後がないと思ったからこそ、呼び出しに応じたのであろう?」
そんなラグラスの態度に呼び出した男は動じることなく、相手の顔を見返す。しばらくの間2人は睨み合っていたが、男の言う通りもう後の無かったラグラスが先に視線を逸らす。
「で、私に一体何をさせるつもりですか? ワールウェイド公」
「……分かっておろう? フォルビアの件だ」
「……」
相手の思惑通りになるのは癪だったが、ラグラスは一つため息をつくと断りも無く空いているソファの1つに腰を掛けた。相手の男……謹慎が解けたばかりのグスタフは軽く口の端を上げると、懐から一通の書状を出してラグラスに渡す。
「?」
「中を見よ」
受け取った書状を彼はいぶかしげに眺めていたが、意を決してその中身に目を通す。
「!」
「わしに協力すればフォルビア公の地位はそなたのものだ。如何する?」
書状の内容をにわかには信じられずにいるラグラスにワールウェイドは端的に取引を持ちかける。
「……何をすればいい?」
「いずれこの情報があの男にも届くだろう。それを出来る限り引き伸ばし、加えて足止め出来れば言う事は無い。いずれ何らかの罪を着せて抹殺する」
「あの女もか?」
誰の事かはすぐに分かったのだろう、ワールウェイドは興味がないとばかりに鼻をならす。
「どうせ飾りに過ぎん。好きにしろ」
「わかった。だが、それを実行するにはある程度まとまった兵力が必要だ。フォルビアの連中はあてにならん」
たおやかな女性の姿を思い出し、ラグラスは嗜虐的な笑みを浮かべる。
「手配しておこう。フォルビアの紋章を手に入れろ。そうすればかの地はお前のものだ」
「その言葉、信じてよろしいですね?」
不敵な笑みを浮かべ、2人は握手を交わした。
こうして密約は結ばれた。エドワルドがフォルビアの再建に奔走中の夏至の日の深夜の事だった。




