48 葬送の鐘2
親族達が暴言をはくシーンがあります。予めご了承ください。
グロリアの葬儀当日、未だ体調の優れないフロリエはエドワルドの手を借りて館から出てきた。玄関先には既に3頭の飛竜が準備を整えて控えている。一足先に表に出ていたハルベルトは既にヒースのオニキスの背に座って準備を整えていた。コリンシアもユリウスがフレイムロードに乗せている。エドワルドは優しくフロリエを抱き上げてグランシアードの背に乗せ、補助具をつけて準備を完了する。
「では、行こうか」
葬儀は正午からの予定である。日は既に高くなっているが、今から神殿に向かっても飛竜でならすぐである。喪服に身を包んだ一行は、葬儀の行われる神殿に向けて飛竜を飛び立たせた。
神殿には既に多くの人が集まっていた。ロベリアに宿泊したサントリナ公とブランドル公も到着しており、彼らを案内してきたアスターとマリーリアが一行を出迎えてくれた。神殿の入り口には昨夜から警備の為に泊まり込んでいたルークや、皇都から来た竜騎士の姿もある。しかしながらフォルビアの親族達はまだ到着していない。
「まだ来ていないのか?困った方々だ」
「いかが致しますか?」
「放っておけ」
心配げに尋ねてきたアスターにエドワルドはそっけなく答える。ユリウスに飛竜から降ろしてもらって駆け寄ってきたコリンシアの頭をなでると、フロリエを飛竜の背から優しく抱き下ろした。それでもやはり体に負担がかかるのか、彼女は辛そうに顔を顰める。喪服の代わりに黒いリボンを首に巻いているルルーが、心配そうにクウクウ鳴きながら頭をすり寄せると、彼女は安心させる様に小竜の頭を軽くなでた。
「大丈夫か?」
「はい」
「中へ入ろう」
顔色の良くないフロリエを気遣い、エドワルドは彼女を支えるようにして神殿の中へ向かう。すると彼等に気付いた領民達が幾人も声をかけてくれる。フロリエは近隣の住民に、秋頃から風邪の予防法を伝授していた。それは確かな効果があり、リューグナーの高い薬に頼らなくて済んだ事もあって彼女は領民達に慕われている。彼等は恭しくお辞儀をして一同に道をあけた。
神殿に入ると、奥の祭壇の前にグロリアの棺が花で埋もれるようにして安置されている。彼らは一度棺の前で軽く祈りを捧げ、サントリナ公とブランドル公に軽く挨拶をして自分達の席に座る。ただ、ハルベルトは2人に用があるらしく、彼等の側に座ると小声で何か話を始めた。他にも近隣の有力者や領民の代表が次々と入ってきて、それぞれの席に座るが、親族達の席だけがぽっかりと空いているような有様だった。
やがて正午を知らせる鐘の音が響き渡る。神官達が儀式を始めようとした所で、外が騒がしくなり、ようやく親族達の一行が神殿に現れた。悪びれる様子も無く、彼らは一応皇都から来た客人に頭を下げると自分達の席につく。そして神官達に横柄な身振りで葬儀を始めるように促した。一同は呆れつつも、神官達が厳かに祈りの言葉を唱和し始めたので、厳粛な儀式の場ではあえて何も言わなかった。
その後、滞りなくグロリアの葬儀は済み、神殿の奥にある霊廟へたくさんの花と共に棺が収められた。葬儀の参列者で一番泣いていたのはフロリエとコリンシアであろう。儀式が終わっても、棺が霊廟へ収められても、2人はずっと泣き通しであった。一方で他の親族達は泣くどころか笑顔で談笑し、更にラグラスや一部の親族達は相当飲んでいるらしく、足元がおぼつかない様子だった。
「フォルビアはどうなってしまうのか……」
領民の代表達は彼等のそんな姿を見て、不安そうに陰でそんなささやきを交わしていた。
日が沈んで暗くなった頃、グロリアの遺言状の公開に立ち会う為に親族達が館へ集まってきた。既にハルベルトや5大公家の代表であるサントリナ公とブランドル公も揃っているので、かろうじて常識が働いた彼等は比較的大人しくしていた。
アスターとマリーリア、ヒースとユリウス、ルークといった竜騎士が警護と混乱の防止の為に無言で部屋の隅に立っている。ラグラスは部屋に入ってきた時に、ルークの姿を見て一瞬たじろいだが、ルークは完全にそれを無視していた。
広い居間も20人以上も人が集まると、少し狭く感じる。親族達は侍女達が用意したお茶を飲んで、エドワルドがやってくるのを大人しく待った。
「お待たせ致しました」
全員が揃った知らせを受け、エドワルドは妻と娘と共に居間に現れた。フロリエの体調を気遣い、ぎりぎりまで部屋で彼女を休ませていたのだ。
「その娘は遺言には関係ないであろう?何故同席させるのですか?」
親族でも長老格の1人がフロリエを見咎めてエドワルドに尋ねる。
「関係なくはありませんよ。彼女は叔母上の養女ですから」
エドワルドはさらりと答えると、彼女を暖炉に近い特等席へ座らせる。彼女が楽に座れるように背当てのクッションが用意されている。
「何ですと?」
「いつの間に?」
「我らは何もきいておりませんぞ?」
当然のことながら親族達は反発し、エドワルドとフロリエに詰め寄る。
「私に言われましても……。決めたのは叔母上です」
怯えるフロリエを安心させるように手を握り、親族達には席に戻るように促す。ハルベルト達が見ているので、それ以上は彼らも強気に出られない。しぶしぶ席に戻っていく。
「冬の間に手続きは済んでいる。正式にフロリエ嬢はフォルビア大公家の養女になっておられ、この場に同席をする権利を与えられている」
ハルベルトがそう言うと、彼らはそれ以上文句が言えない。さすがの彼等も国主に一番近い人間には逆らえない様子である。
「失礼いたします」
そこへオルティスとロイスが居間へ入ってきた。オルティスは手に布をかけたお盆を持っている。それを見ると、彼らは一様に居住まいを正した。
「皆様、お待たせ致しました。ここに私がお預かりいたしました、女大公グロリア様の遺言状をお持ちいたしました」
オルティスは深々と一同に頭を下げると、お盆をテーブルの上に置き、上にかけた布を外す。お盆にはフォルビアの紋章を模った封蝋で封印された封書が一通載せられていた。
「遺言状を公開する前に、皆様にはこちらをご署名願います」
遺言状の封書を手に取る前に、オルティスは懐から一枚の書類を取り出す。それを先ずは年長の親族へ手渡し目を通させる。それは遺言状に同意し、内容を遵守するといった誓約書であった。
こういった場では別段珍しい事ではないので、親族達も皆、仕方なくサインしていく。やがてフロリエにもその書類が回ってきたので、ルルーを集中させてその内容に目を通し、親族達の名が連なる一番下へエドワルドと共にサインした。最後に見届け役のハルベルトとサントリナ公、ブランドル公もサインをし、一同に確認させるとその場を代表してハルベルトが誓約書を預かった。
「それではハルベルト殿下、代読して頂けますでしょうか?」
オルティスはハルベルトに深々と頭を下げて頼む。これも混乱を避けるための対策として、昨夜のうちにエドワルドと3人で決めていたことであった。
「良かろう」
さすがに親族達の間からも異議を唱えるものは誰もいなかった。ハルベルトは席を立ってオルティスに近寄り、彼が捧げ持つお盆から封書を受け取った。一同に封書を見せ、開けられていない事を確認させると、ペーパーナイフで封を開けて中の遺書を取り出した。慎重に遺書を広げて目を通すと、一瞬彼の顔がほころび、静かに内容を読み上げた。
「遺言状。
次のフォルビア大公は我が娘、フロリエ・ディア・フォルビアとする」
そこまで読み上げると、親族達は驚きのあまり全員が立ち上がった。
「嘘だろう!」
「どこの馬の骨とも分からぬ小娘をフォルビアの当主にするのか?」
「あのババア!」
居間は一時騒然となる。何よりも一番驚いたのは当のフロリエであった。
「何かの間違いでは……」
「本当でございます。フロリエ様は先代様より直接紋章をお受けになられました。その時より、貴女様がフォルビア家の当主でございます」
オルティスがそう言って呆然としているフロリエに頭を下げる。傍らに立つロイスもそれに習って頭を下げた。
「フロリエ、紋章を出しなさい。あれが当主の証だ」
横からエドワルドにそう言われ、朝から服の下に隠すように首から下げていたグロリアの形見のペンダントを襟元から出した。
「寄越せ、それはお前が持つべきものではない!」
「そうだ!こんな遺言、認められるか!」
「あのババアが死んだ後に盗んだのであろう!」
親族達は一斉にフロリエにつかみかかろうとするが、その前にエドワルドが立ちはだかる。フロリエは恐ろしさのあまり泣き出したコリンシアを抱きしめて震えている。
「静粛に。まだ続きがある」
騒然となった親族を諌めるようにハルベルトが口を挟む。フロリエを守るエドワルドにも睨まれて、腰を浮かせた親族達はしぶしぶ元の席に戻る。
「次のフォルビア大公は我が娘、フロリエ・ディア・フォルビアとする。
彼女を当主とするに当たり、以下の条件を加える。
一、コリンシア・ディア・タランテイルが成人するまでとし、コリンシアが成人した暁にはその地位を速やかに譲る。
一、フロリエ・ディア・フォルビアは婚姻し、その夫との共同統治とする。
一、フロリエ・ディア・フォルビアとその夫、コリンシア・ディア・タランテイルの3名がいずれも死亡した場合は、国にフォルビアを返上する。
以上。
グロリア・テレーゼ・ディア・フォルビア」
ハルベルトは読み終えると、グロリアの書名が入った遺言状を一同に広げて見せた。親族達は苦々しい思いでその遺言状を見るしかない。
「フロリエを嫁にすれば当主になれるのか?」
「うちの息子の嫁にしよう」
「いや、うちの息子の方が……」
親族達はわれ先にと自分の息子を呼びに行かせる。そんな中、ラグラスは酔った足取りでフロリエに近付いてくる。
「俺様のところへ来い。あの侍女と共にかわいがってやろう」
ラグラスが怯えるフロリエを引き寄せようとしたところで、その手をエドワルドがはたいて振り払う。
「汚い手で彼女に触るな」
エドワルドはラグラスを睨みつけると、立ち上がって親族達に向き直る。
「生憎と、彼女には既に夫がおります」
「な……」
「一体誰が?」
一同の目がエドワルドに注がれる。彼はフロリエを促し、彼女の右手首に巻かれた組み紐を袖から出させ、自分も左手首に巻いた同じ組み紐を一同に見せる。
「今際に叔母上は婚約した私達を祝福して下さいました。私とフロリエは組み紐の誓いを済ませ、既に夫婦となっております。よって今後は、私がフロリエと共にフォルビアを治めていきます」
「こちらがその証明でございます」
ロイスがエドワルドとフロリエの結婚証明書を提示すると、親族達を始め、見届け役でいたサントリナ公とブランドル公も驚いて声も出ない。
「そんなバカな!」
「殿下がご自分に都合の良い様に捏造されたのではありませんか?」
「きっとそうだ!そうでなければこんな遺言はありえない!」
「こんな下賎の女に栄えあるフォルビアの当主の座を渡してなるものか!」
「そうだそうだ!」
ショックから立ち直ると、親族達は口々にそう言って2人に詰め寄り、それから2人を守ろうとする竜騎士達ともみ合いになってその場は一時騒然となった。飛び交う怒号にフロリエは真っ青になり、泣きじゃくるコリンシアをただ抱きしめるしか出来ない。
「止めぬか!」
ハルベルトの一喝で居間は静かになった。彼は明らかに怒っており、親族達も大人しくなる。
「遺言状は紛れもなく叔母上の手によるものである。サントリナ公、ブランドル公、お2人も署名を確認していただきたい」
「良かろう」
一族から離れた所で様子を見守っていた2人は、ハルベルトに近づくとグロリアの遺言状に目を通し、署名の筆跡を確認する。5大公家の当主である彼等はグロリアと文のやり取りを良くしていた。彼らの目から見てもそれは紛れもなく彼女の筆跡に間違いなかった。
「グロリア殿の署名で間違いないですな」
「ふむ。これでもまだ疑うか?」
2人の答えに頷き、ハルベルトは親族達に鋭い視線を送る。彼等は慌てて目を逸らした。
「先ほど、フロリエ嬢に対し侮蔑の言葉をはいた者がいたが、彼女はエドワルドの妻となった時点で皇家の一員とみなされる。よって先ほどの言動は不敬罪に値し、近々相応の罰を与える故、覚悟せよ」
一番威勢良くフロリエを責めていたのは、先日グロリアの部屋を漁りに来たヘデラ夫妻だった。彼等はハルベルトとエドワルドに睨まれて、慌ててその場にはいつくばって頭を下げる。
「謝罪する相手は私ではなかろう。先日、貴公達が乱暴を働いた折に彼女が受けた傷もまだ癒えておらぬ様子。その分も含めて謝罪せよ」
2人はガタガタ震えながらフロリエの前で頭を下げた。彼女は何か言いかけるが、エドワルドがそれを制す。
「ご一同方良いか? 我が妻は不調であるにもかかわらず、毎日叔母上の元へ祈りを捧げに通い続けた。あなた方はその間何をしておられた? 葬儀より前に一度でも神殿へ参られた方はおられたか? 叔母上を軽んじた上に、不平不満しか言わないあなた方にフォルビアを継ぐ資格は無い」
「殿下のお言葉はごもっともですな。仮に、あなた方の中に相応しいお方がおられれば、混乱を避けるためにもグロリア殿はもっと早くに後継を決められたはずですな」
「皆様は遺言状に従うと誓約された。異論はございませんな?」
黙りこんでしまった一同にサントリナ公とブランドル公が声をかけると、彼らは力が抜けたようにその場に座り込んでしまう。
「近々査察を行い、現状を確認した上で、新たなフォルビアの任官を行いたい。不明な点は納得するまで追及させて頂くので、ご協力をよろしくお願いいたします」
エドワルドの言葉に親族達はみるみる蒼ざめてくる。皆、後ろ暗い事をいくつも抱えているのだろう。我に返ると挨拶もそこそこに、帰る支度を始めてしまう。
一行を見送るためにオルティスとロイスは席を外し、アスターとヒースを除いた竜騎士はロベリアへ戻る準備のためにそれに続いた。2人の竜騎士は警護の為に扉の外で待機し、居間に残ったのはエドワルドとフロリエ、コリンシアと見届け役の3人となった。
「全く、叔母上にはしてやられた。お前を国主にしようと思っていたのに、フォルビア大公家へ籍を移したら出来ないではないか」
ハルベルトは呆れたように弟を見る。
「諦めて兄上がおなり下さい。元々そう決まっていたのですから」
「仕方ない。フォルビアが落ち着いたら手助けしろよ」
「もちろんです」
和んだ様子で会話をする兄弟に立会いを勤めたサントリナ公とブランドル公が近寄り、深々と頭を下げる。
「エドワルド殿下、改めて御成婚おめでとうございます」
「ああ、ありがとう。叔母上の喪が明けたら、改めて婚礼の儀式を行うつもりだ。その折には2人も出席して欲しい」
「喜んで出席させていただきます」
2人は頭を下げると、今度はフロリエに向き直る。
「新たなフォルビア公に選ばれました事をお祝い申し上げます」
「私……」
衝撃から立ち直れていないフロリエは、怯えたように2人を見上げるしか出来ない。その様子にハルベルトは彼女を気遣い、弟に声をかける。
「無理も無い。受けたショックが大きい上に、体調もまだ優れないのであろう? エドワルド、休ませた方が良いのではないか?」
「いえ、大丈夫です。お兄様。ただ、何も知らない私がお母様の跡を継いでフォルビアの当主になって良いのか……」
遠慮がちにつけられた“お兄様”と言う言葉に、ハルベルトは嬉しそうに表情を和ませる。
「何もしなくて良い……とは言わない。それは君に対して失礼だから。先ずは貴女の出来る事をすればいい。そして出来る事を一つ一つ増やしていこう」
ようやく泣き止んだものの、フロリエにしがみついているコリンシアの頭をなでながら、彼女は不安げに義兄と5大公家の当主2人を見上げる。そんな彼女をエドワルドは優しく抱きしめ、言い聞かせるように言う。そして彼女がもっと楽な姿勢になれるように、しがみついているコリンシアを彼は抱き上げた。
「エド……」
「だが、今は体を治す事に専念しよう。いいね?」
彼が優しく言い聞かせると、彼女は小さく頷いた。
「父様、怖い小父さん達は母様をいじめない?」
「ああ、大丈夫だとも。父様がコリンも母様も守るからな。そんな事はさせないよ」
ようやく落ち着いたコリンシアが父親の腕の中で尋ねると、娘を安心させるように彼は大きく頷いて答える。
「大丈夫だよ、コリン。今の彼らにフロリエ嬢に危害を加える事は出来ない。安心しなさい」
横から伯父が付け加えると、コリンシアはようやく安心した様子で父親の腕から降りた。そして母親となった女性の側にちょこんと座る。フロリエは楽な姿勢を保ちながらコリンシアの頭をそっとなでた。
オルティスが飛竜の準備が整った事を遠慮がちに告げる。
「さて、我々もそろそろお暇するとしよう」
「新婚のご家庭に長居してお邪魔しては悪いからの」
サントリナ公とブランドル公は2人を冷やかすように言うと、ハルベルトに丁寧に挨拶をして居間を出て行く。2人を見送りにエドワルドが続くと、フロリエも体を起こそうとするが、彼に止められる。
「無理しなくて良い。見送りは私がしてくる」
「そうしなさい。エドワルドが戻ってくるまで私の話し相手になってくれませんか?」
ハルベルトにもそう言われ、フロリエは頷いて楽な姿勢に座り直した。
「はい」
その様子にエドワルドも安心して居間を出て行く。
今夜は館の警護の為にアスターとヒースが残る事になっていた。総督府へはユリウスが自分の父親を、ルークはサントリナ公を乗せて送ることになっており、マリーリアはそれに付き従う形となった。
皇都からは他にもたくさんの竜騎士がロベリアへ来ていたが、混雑を避けるために館へ来る事は遠慮してもらったのだ。今頃はロベリアで第3騎士団の面々と共に情報交換と銘打って話に花が咲いている頃だろう。
満天の星空の中へ3頭の飛竜が飛び去るのを見届けると、エドワルドは居間へ戻ってきた。そこではコリンシアが母親と伯父におばば様との思い出を一生懸命話していた。ハルベルトと何を話して良いのか分からなかったフロリエは、ほっとした様子で懸命に話すコリンシアを眺めている。エドワルドはその様子をほほえましく思いながらも、顔色の良くない妻に提案する。
「君もそろそろ休んだ方が良い」
「ですが……」
「無理をなさる必要は無い。早くお体を治されて、皇都へいらしたらまたゆっくりと話を致しましょう」
フロリエは自分でも体が限界に達しているのが分かっていたので、ハルベルトにもそう言われ大人しく従うことにした。コリンシアに手伝ってもらってゆっくりと体を起こして立ち上がろうとする。
「無理するなと言っただろう?」
「あ……」
エドワルドは苦笑すると、ハルベルトに頭を下げ、彼女を軽々と抱き上げた。
「兄上、もうしばらくお待ちください」
彼はそう言うと、コリンシアも連れて居間を出て行く。1人になったハルベルトは、その様子をほほえましく思いながら、3人を見送った。そんな彼にオルティスがそっとワインの入った杯を差し出す。
「理想の良き家族だな」
「左様で。ほんのひと時でございましたが、殿下が負傷されてこの館でご静養されておられた折に、お3方のご様子をグロリア様は目を細めてご覧になっておられました。互いに思いあっているならば、是非とも一緒にしてやりたいと仰せになられ、あのご遺言を残されたのでございます」
「このまま、あの親族達が大人しく引き下がるとは思えぬ。皇都にいれば私も守ってやる事が出来るが、こちらにいる間はそれも叶わぬ。そなたもエドワルドと共に新たな当主を守る手助けをしてやってくれるか?」
「もちろんでございます」
ハルベルトの頼みにオルティスは静かに頭を下げた。彼もフロリエの真摯な態度に好感を持っており、コリンシアが成人するまでという期間限定であるが、彼女を新たな主としてもりたてて行く事に異論は無かった。
しばらくしてフロリエを部屋へ連れて行ったエドワルドが居間に戻ってきた。オルティスは彼にも酒杯を用意すると、静かに居間を退出する。皇家の兄弟は杯を傾けながら、今後のフォルビアのみならず、タランテラの行く末について夜が更けるまで熱心に語り合ったのだった。
夢の中で子供の頃のフロリエは女の人に看病をしてもらっていた。
『もう大丈夫だからね』
飛び出した自分が悪いのに、一言も責めることなく彼女は優しい言葉をかけてくれる。斜面から転がり落ちた後、動けなくなった自分を見つけてくれたのはあの金髪の男の人だった。そして足を痛め、更には熱を出したフロリエをこの女性はかいがいしく看病してくれた。
『私が悪いのに……』
『そんなことないわ。あなたの気持ちも分からずに、すぐに連れて行こうとした私達が悪いのよ。でも今はゆっくり休んで元気になりましょう。そのお話はそれからまたしましょうね』
彼女はそう微笑むと、フロリエの額に優しく口付けてくれた。
『この人なら大丈夫……』
この時ようやくフロリエはこの夫婦に身を任せても安心だと思えるようになったのだった。優しく握り締めてくれる手のぬくもりを感じながら眠りについたのを思い出した……。
翌朝、総督府に逗留していたサントリナ公とブランドル公が館へ立ち寄った。ここでハルベルトと合流して皇都へ帰る為、護衛の竜騎士が10名も同行している。既にヒースのオニキスは玄関前に準備を整えて待機しており、その横にサントリナ公を乗せた大公家の竜騎士とブランドル公を乗せたユリウス、そしてここまで案内してきたルークが降り立った。オルティスとアスター、ヒースの3人が玄関前で一行を出迎え、上空で待機している護衛の竜騎士達に敷地外に着地するように指示を与えた。
「準備は整っているようだな」
旅装のハルベルトが玄関から出てくると、竜騎士達は一様に敬礼をする。彼に続いてエドワルドとフロリエ、コリンシアが出てくる。フロリエはまだ体調が思わしくないのだが、見送りだけはしないといけないと思って出てきたのだ。
「殿下、我らはこれで皇都へ帰ります。フロリエ殿もわざわざのお見送りありがとうございます」
サントリナ公とブランドル公がエドワルドとフロリエに頭を下げる。
「兄上もお2方も道中どうかお気をつけて」
エドワルドはそう挨拶を返し、フロリエも一同に慎ましく声をかける。
「皆様が無事に皇都へお帰りになることをお祈り申し上げております」
「では、我らは貴女の体調が良くなられる事を祈らせてもらおう」
「左様。元気な二世の姿を見せてもらわねば」
2人の言葉に彼女は頬を染めて頭を下げ、そんな姿を夫のエドワルドは苦笑して見ている。
「では、帰るぞ」
ハルベルトは弟に短く挨拶を済ませると、オニキスの背にまたがった。他の2人も再度頭を下げるとそれに習う。
「皆も道中よろしく頼むぞ」
エドワルドは護衛の竜騎士達にも厩舎にいるグランシアードを通じて声をかけた。竜騎士たちからは力強い返事が返ってくる。さすがは第1騎士団や各大公家の精鋭だと彼は内心思った。
先ずは先行する護衛3騎が飛び立ち、それにヒースのオニキスら要人を乗せた飛竜が続く。そして最後に残りの護衛が飛び立つ。
「途中まで見送りしてきます」
ルークはエドワルドに頭を下げてそう断ると、エアリアルにひらりとまたがる。そして春霞の空へ飛竜を飛び立たせると、先行する護衛の飛竜にたちまち追いつき、彼らを先導するように飛んでいく。おそらくフォルビアの境界までついていくのだろう。
「これから忙しくなるぞ」
「はい……」
一行を見送りながらエドワルドがつぶやくと、フロリエが応える。これで彼女はタランテラ国内に要人の一人として知れわたる事になるのだ。
「だが、先ず君は体を治そう」
「エド……」
「本格的に始動するのはそれからだ」
そう言って彼は愛する妻を抱き上げると、彼女を休ませる為に館の中へ戻っていったのだった。
グロリアの遺言がとうとう公表されました。後継者に指名されて動揺するフロリエをエドワルドはしっかりと支えます。
これで第1章完結です。




