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群青の空の下で  作者: 花 影
第1章 群青の騎士団と謎の佳人
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3 好ましい変化

 騎士団長として妖魔討伐とその後の事後処理、総督として決済事項の署名やもめごとの仲裁等、次々と出てくる仕事に加え、極めつけは総督主催の新年を祝う春分節。様子を見に行くと約束したものの、結局エドワルドは一月以上もグロリアの館に顔を出せないでいた。

 これまでに何もしなかったわけではない。記憶が戻らない彼女の身元を調べるため、仕事の合間に近隣の町や村に該当する女性が行方不明になっていないか問い合わせた。更には彼女を助けた湖畔の一帯をくまなく調査して手がかりを探した。だが、いずれも芳しい成果を上げる事が出来ず、あの女性は謎だけが残ったのだった。

 手紙で彼女の体調が回復し、見事グロリアのお眼鏡にかなって話し相手として館に留まる事になったと知ったのはあの一件の3日後だった。エドワルドはルークに命じてグロリアに礼状と共にお金を送り、女性の支度金として使ってもらうよう言付けていた。




 季節は春になっていた。新年の春分節を過ぎて雪解けが進み、空から降るのが雪から雨に変わって霧が完全に引くと妖魔の襲来が無くなる。竜騎士も、その下で働く兵士たちも、ようやく緊張を解く季節となった。

 春らしいのどかな天気が続いたこの日、ようやく仕事が一段落したエドワルドは、久しぶりにグロリアの館に向かっていた。この日もお供を言いつかったのは、第3騎士団で最も若いルークだった。

 伝文ならば小竜に任せる事が出来るが、物やお金の場合は新米の彼が使いに出されていた。今日も都合が悪くなったアスターの代わりを急に言いつかったわけだが、嫌な顔せずにグランシアードと自分の飛竜の装具を整えて、エドワルドが出てくるのを飛竜の着場で待っていた。

「無理についてこなくても良かったのだぞ、ルーク。する事があったのではないか?」

 立場上、どんな時でも一人で行動できないとわかっていても、エドワルドは少々恨めしく思ってしまう。

「自分の務めだと思っていますから」

 ルークはすまして答える。武術のみならず竜騎士に必要な知識もアスターから教え込まれている彼は、最近、口調まで師匠に似てきたとエドワルドは思う。それでも配属されて2年目の新米が一癖も二癖もある竜騎士達を束ねるエドワルドに適うはずがない。

「それとも、叔母上の館に目当てがあるのかな?」

「い、いえ」

 あてずっぽうに言ってみたが、どうやら当たりだったらしい。初々しい彼は耳まで赤くなっている。

「ほぉ……。そのあわてぶりは女だな。相手は誰だ? 叔母上の侍女の1人か?」

 その方面に関しても百戦錬磨な総督閣下は、面白がって若い竜騎士を追求し始める。ルークは困ったように「いや、その……」と口を濁す。そんな彼の口を無理に割らせ、ようやく年若い侍女への片思いが判明する。

「はっはっは。自信を持て。告白したらどうだ?」

 他人事だと思い、エドワルドは実に楽しそうだ。

「自分はまだ新米ですから……」

 冬を乗り切ったとはいえ、周囲はエドワルドやアスターをはじめとした熟練の竜騎士ばかりである。まだひよっ子と呼ばれている彼に自信を持てるはずはなかった。

「そなたを見込んでスカウトしたのはこの私だ」

「え?」

 ルークにとってそれは初耳だった。「人手が足りないから誰でもいい」と言われて配属になったと聞いている。

「私の目に狂いは無かったな。こうして春を迎えたのが何よりの証だ。使い物にならなければ、アスターがさっさと元の騎士団に送り返している。君とエアリアルの機動力は我々にとって得難いものだ」

「団長……」

 今まで下端として雑用等にこき使われるばかりだった彼は、褒められたことはほとんどなかった。思考が停止して頭の中が真っ白になり、相棒の飛竜エアリアルが心配そうにパートナーを振り仰ぐ。

「お、見えてきた」

 2騎の行く手に瀟洒しょうしゃな石造りの館が見えてきた。ルークも我に返ると、エアリアルの速度を落として着地の体勢に移す。まずはエドワルドが玄関前の開けた場所にグランシアードを着地させ、続けて少し離れたところへルークがエアリアルを降ろした。

「父様!」

 エドワルドが飛竜の背中から降りると、玄関からコリンシアが飛び出してきた。そして勢いよく父親に飛びついてくる。

「コリン! 元気だったか?」

 エドワルドは飛びついてきた娘を抱き上げ、久しぶりに会う娘の頬に軽くキスする。彼女も父親の頬にキスを返し、グランシアードに挨拶をする。飛竜も姫君に会えて嬉しいらしく、コリンシアに大きな頭をすり寄せていく。

「いらっしゃいませ、殿下。女大公様がお待ちでございます」

 遅れて出てきたオルティスがうやうやしく頭を下げてエドワルドを出迎える。

「ああ、騒がせてすまないな。変わりないか?」

「お気遣いありがとうございます」

 オルティスが静かに扉を開けると、娘を抱えたままエドワルドは館の中に入っていく。ルークは頭を下げてそれを見送ると、グランシアードとエアリアルを休ませる為に専用の厩舎へ連れて行った。




「お久しぶりです、叔母上。お変わりありませんか?」

 オルティスに案内され、娘を抱いたまま館の居間に入ると、グロリアは暖炉の傍にあるお気に入りの安楽椅子に腰かけていた。傍らのテーブルにはいくつか書簡が置いてあり、お茶を飲みながらそれらに目を通していたようである。

「随分久しぶりですこと。娘を預けているのを忘れたのではないかえ?」

 相変わらず挨拶には嫌味が混ざる。エドワルドは苦笑すると娘を床に降ろし、勧められた席に座る。

「そんな事はありません。仕事に追われて、やっと一段落したのです」

 そんな言い訳をしながら、お土産代わりの巾着を懐から出し、張り付いてくる娘に手渡した。

「父様、ありがとう!」

 コリンシアは喜んでそれを受け取ると、父親の隣に座って早速中身を取り出し始める。砂糖菓子の包みにかわいいレースがついたリボンや髪留め、凝った刺しゅう入りの絹のハンカチといった細々とした物が入っている。

「わぁ!」

 小さな姫君は感嘆の声を上げると、早速、大好きな砂糖菓子の包みを開けてほおばり始める。エドワルドはそんな娘の頭をなで、オルティスが淹れてくれたお茶を味わった。

「そういえば、あのお嬢さんは話し相手が勤まっていますか?」

 とりとめのない会話の後、エドワルドはふと助けた女性の事を思い出してグロリアに尋ねる。今までグロリアからもらった手紙には彼女の事に触れられて無かった為、もしかしたら気が合わなかったのではないかと心配していた。

「フロリエの事かえ?」

「フロリエ?」

 聞きなれない名前に思わず聞き返す。

「いつまでも名前が無いのは不便。彼女がしていた首飾りにFの頭文字が掘り込まれていた。それから妾がそう名付けたのじゃ」

「ほぉ……」

 わざわざグロリアが、呼び名とはいえ名前を付けたことから、彼女は相当気に入られたようである。それをわざと、一向に様子を見に来ないエドワルドには知らせなかったらしい。

「オルティス、フロリエはどこじゃ?」

 忠実な家令はグロリアに近寄ると、丁寧に頭を下げて答える。

「フロリエさんはお部屋におられます。ご親族が寛がれるのに、自分がいてはその妨げになるだろうからと仰せでございました」

「呼んで参れ。エドワルドが気にかけておるから、挨拶せよと伝えよ」

「かしこまりました」

 オルティスが頭を下げると、コリンシアが席を立つ。

「コリンが呼んでくる!」

 元気よく宣言すると、小さな姫君はオルティスの先になって部屋を出ていった。




「随分懐いているみたいですね、コリンは……」

 いつもなら父親にべったりくっついて離れないのだが、何かを言われたわけでもなく自発的にこうして何かをしに行くこと自体今まで無かったことである。娘の変化にエドワルドは戸惑いを隠せない。

「そなたはあの者に感謝せねばなりません」

「え?」

 グロリアに何の事か聞こうにも、彼女はただ「すぐにわかる」と言って答えようとしない。疑問符を頭に張り付かせたままお茶を飲んでいると、やがてコリンシアの弾んだ声が聞こえてくる。

「フロリエ、早く、早く!」

「コリン様、そのように手を引かれましても、私は早く歩けません。もう少しゆっくりお願いします」

 女性の困ったような声と共に足音が近づいてきて扉の向こうで止まり、居間の扉がノックされる。

「フロリエでございます」

「お入り」

 オルティスが扉を開け、まずはコリンシアがちょこんと頭を下げて入ってくる。続けて幼い姫君に手を引かれた一人の女性が姿を現す。長い黒髪を軽く結い、女大公のお下がりを仕立て直したらしい地味な衣服を身にまとった、清楚な女性だった。

「失礼いたします」

 彼女は上品に膝を曲げて一礼し、コリンシアに手を引かれてグロリアの傍に立つ。役目を終えた姫君は、どこか唖然としている父親の隣に戻った。

「お呼びでございますか?」

「そなたの正面にエドワルドがおる。挨拶しなさい」

「はい」

 フロリエはスカートをつまむと、先ほどよりも深々と頭を下げる。

「フロリエでございます。先日は殿下に助けていただいたにもかかわらず、お礼を申し上げるどころか取り乱し、お見苦しい姿をお目にかけ、大変失礼いたしました。遅くなりましたが、お詫びとお礼申し上げます」

 よどみなくすらすらと礼を述べるその姿と、先日の話を聞こうとした時に取り乱した姿が重ならず、エドワルドは心底驚いた。入室して来てからの所作も礼を述べる言葉づかいも上品でとってつけたようには見えない。内心の驚きを隠しつつ、彼はかしこまっている彼女に話しかける。

「お元気になられて良かった。どうですか、ここには慣れましたか?」

「未だ戸惑うことばかりで、皆様にご迷惑ばかりかけています」

 はにかんだその姿にエドワルドは好感を抱いた。

「謙遜することはありませんよ。そなたも座りなさい」

 珍しくグロリアが他人を手放しで褒めている……エドワルドは更に驚いた。

 フロリエは彼の内心など知る由もなく、手でソファの位置を確認しながら彼の向かいに腰を下ろした。

「しかし、叔母上。彼女は若いのですから、もっと華やかなものを着せたらどうですか?」

 エドワルドの指摘にグロリアはため息をついて答える。

「このままで良いと申すのじゃ」

「あの支度金で何も買わなかったのですか?」

 下働きなどではなく、貴人に直接仕える使用人は主に恥をかかせないためにもそれなりの身支度が必要になってくる。ましてや彼女は女大公グロリアの話し相手として傍に仕えることになった。エドワルドは通常よりも色を付けて支度金を渡したのだ。

「本人がいらぬと申してな、最低限の物だけ揃えた。あの支度金の残りは妾が預かっておる」

 グロリアがため息をついて答えると、エドワルドは正面に座る慎ましやかな女性に尋ねる。

「何故? 新しい服は嫌いかい?」

「殿下のご厚意は大変感謝しております。身元のわからない私にここまで気を使って下さり、お礼の言葉もございません。ですが、殿下や女大公様のご厚意でここにいる私が、贅沢をするのは許されないような気がいたします」

「そんな事は無いでしょう? 叔母上の話し相手としてここにいていただくのです。給金と思って受け取ってください。これからいい季節になります。明るい色のお召し物もあってはいいのではないですか?」

 エドワルドは心底もったいないと思っていた。華美ではないが、彼女の慎ましやかな美しさは洗練された上品な所作により際立って見える。流行の明るい色彩の衣服の方がその美しさはより映えるのではないかとも思えたのだ。

「エドワルドの言うとおりですよ、フロリエ」

「ロベリアから仕立屋を寄越します。ちょうどコリンのも頼みますし、一緒に流行のものを作らせましょう」

 グロリアにも後押しされ、ようやくフロリエは頷いた。

「ありがとうございます」

 2人がこれ程までに自分の事を気遣ってくれることに感謝して彼女は深々と頭を下げた。

「父様、コリンね、フロリエとお揃いがいい」

 ずっと父親のお土産で遊んでいたコリンシアが不意におねだりしてくる。

「お揃いか……それもいいな」

 娘に甘いエドワルドはすぐに賛成する。

「コリンはフロリエが好きかい?」

 何気なく聞いた言葉に小さな姫君は大きく頷く。

「大好き。フロリエはね、たくさんお話ししてくれるの。あと、お歌も教えてもらったの」

 コリンシアはずっとしゃべりたいのを我慢していたらしい。父親に普段フロリエとどう過ごしているか話し始める。

「歌は何を教えてもらったのかな? 聞かせてくれるかい?」

「うん!」

 コリンシアは元気よく返事をすると、子供らしい元気な声で言葉遊び歌を歌い始める。今まで勉強の類が嫌いで、こういった事すら習おうともしなかった娘が自分から喜んで歌っていることにエドワルドは感激する。

「すごいぞ、コリン! 上手だったよ」

 感無量で彼は娘を抱きしめた。そしてそのままフロリエに向かって礼を言う。

「フロリエ、そなたに何と礼を言っていいか……」

「お礼だなんて……」

フロリエは困惑したように頬を染める。

「謙遜することはあるまい。コリンがこうして落ち着いたのはそなたのおかげじゃ」

 グロリアが笑いながらフロリエを褒める。珍しい光景にエドワルドは戸惑うが、コリンシアの変化が彼女によるものならば納得できる。

「コリン様が慕って下さいますので、お話したり、一緒に歌ったりして一日の大半を過ごさせて頂いております。それに……姫様がいらっしゃるおかげで私はお館の中を支障なく歩くことができます。コリン様にはとても感謝しております」

「そうなのか?コリン?」

 抱きかかえたままの娘の顔を覗き込み、エドワルドは尋ねる。

「うん。フロリエはね、目が見えなくてよく転ぶの。転ぶと痛いでしょ? だからコリンが手を引っ張って連れて行ってあげるの」

「うん、そうだな」

 コリンシアが持つ優しい気持ちに嬉しくなって、エドワルドは頭をなでる。

「それでね、ご本が読みたいけど読めないの。だからコリンがね、文字を覚えて読んであげるの。そう約束したの」

「そうか……そうか……」

 今までのコリンシアからは想像できないほどの進歩である。エドワルドは感無量で娘を抱きしめた。グロリアが言っていた、フロリエに感謝しろという言葉を彼はようやく理解したのだった。





 フロリエの影響によるコリンシアの変化はそれだけではなかった。日が沈む頃、夕食の支度が整ったとオルティスに告げられ、衣服を改めたエドワルドが食堂に行くと、コリンシアは既に席についていた。

 これは別に珍しいことではないが、先に食べ始めずに皆がそろうのを大人しく待っていたのだ。

 グロリアとエドワルドが席に着き、コリンシアの傍に控えていたフロリエが彼女の隣に着席する。そして大いなる母神ダナシアに祈りの言葉をささげてから食事を始めたのだ。

「コリン様、またお野菜を残しておいでですね?」

「どうしてわかるの?」

 図星だったコリンシアはぎくりとする。皿にのっている肉料理は半分ほど食べているが、付け合せの野菜には手をつけていない。

「先日お教えした方法で召し上がってください。お野菜はコリン様が大きくなるのに大切な役割があるのですよ」

 フロリエにうながされ、コリンシアは仕方なく野菜を一つとり、ナイフで細かく刻んだ。そしてその野菜と肉を一切れ、一緒に口の中に入れる。小さな姫君は頑張って口を動かし、涙目になりながらどうにか飲み込んだ。

「もう一つ頑張りましょう」

 微笑みながらフロリエに言われ、コリンシアは再び野菜と格闘する。その様子をグロリアは穏やかな笑みを浮かべて見守っている。

「殿下、食が進まないご様子ですが、お口に合いませんか?」

 一向に食べようとしないエドワルドを心配し、オルティスが声をかけてくる。見れば料理は全く手が付けられておらず、先ほどから黙り込んでワインばかり飲んでいる。

「いや、大丈夫だ」

 エドワルドは我に返り、あわててフォークを手に取って冷めかけた料理を口に運ぶ。ただ単に、コリンシアとフロリエのやり取りに目を奪われていたのだ。娘の変化に喜びと同時に戸惑いも感じ、それを成し遂げた女性に畏敬いけいの念を覚える。本当に頭が下がる思いだった。

 エドワルドは実に数年ぶりに、この館で落ち着いて夕食をとることができたのだった。

「コリン、明日はピクニックに行かないか?」

 食後の飲み物が運ばれてきたころ、ようやくおちついたエドワルドは娘に提案する。

「行きたい! フロリエも一緒でいいでしょ?」

 コリンシアは目を輝かせ、嬉しさのあまり身を乗り出して答える。

「もちろんだ」

 エドワルドは快諾かいだくするが、フロリエは困ったように眉をひそめる。

「せっかく親子で楽しまれますのに、私が行っては邪魔になってしまいます。それに……」

 その先をグロリアが言わせなかった。

「フロリエ、エドワルドはそなたを助けた場所へ連れて行きたいそうじゃ」

「え?」

「何でもいい。記憶が戻るきっかけになればいいと思ってな」

「私の?」

 穏やかに声を掛けられ、フロリエは言葉に詰まる。

「もちろん、ただ楽しんでいただけたらと思う。部下達も来るから遠慮はいらない」

「気分転換に行ってくるといい。ここにいると、なかなか外に出ることも無いだろうから」

 世話になっているグロリアと、助けてもらったエドワルドの2人に勧められると弱く、フロリエはようやく申し出を受ける。

「……はい、ありがとうございます」

「わーい! フロリエも一緒にお出かけ。楽しみだ!」

 コリンシアのはしゃぐ声に連れられて、フロリエもつい笑顔になる。

「それでは、今日は早くお休みにならないといけませんね」

「はーい」

 フロリエの言葉にコリンシアは素直に頷いた。




 春になったとはいえ、夜はまだまだ冷えるので暖炉に火が入れられる。持病を持つグロリアの体を気遣い、館の中を一定の温度で保つためでもあった。

 夕食後、居間に移ったコリンシアとフロリエは、その暖炉の前の敷物に座って楽しそうに手遊びで遊び始めた。グロリアはいつもの安楽椅子に座り、エドワルドはオルティスが用意してくれたワインを飲みながら、ぼんやりと楽しそうに遊ぶ2人をながめている。

「もう、酔ったのかえ?」

 心ここにあらずといった風情のエドワルドにグロリアが声をかける。

「いえ、コリンが楽しそうだと思いまして……」

「フロリエと共に過ごすようになって、あの子は変わりましたよ。フロリエはフロリエで誰に対しても、何にしても極端に遠慮する節があるが、小姫のおかげで打ち解けてくれるようになった。あの2人のおかげで、今はこの館は笑い声が絶えない」

 グロリアは目を細めて遊ぶ2人を眺めている。

「しかし……彼女は一体どこから来たのだろう……」

「不思議な娘ですよ。あれだけの素養を持った娘は皇都でもなかなかいませんよ」

「同感です」

 グロリアの言葉にエドワルドはうなずき、グラスに満たしたワインで喉を潤す。



 やがてコリンシアがお休みの時間になり、敷物からフロリエと仲良く手をつないで立ち上がると、エドワルドとグロリアにお休みの挨拶をする。

「父様、おばば様、お休みなさい」

「お休み、コリン」

 コリンシアは父親とグロリアにお休みなさいのキスをし、フロリエの手を引いて居間の戸口に向かう。退室前にはきちんとお辞儀をして部屋を出て行った。本当に一月前のコリンシアからは想像ができない行動だった。

「私はあの子が何者であれ、我が家に引き取りたいと思います」

 グロリアの言葉にエドワルドは驚く。

「随分……気に入っておられるようですね……」

「そなたは気に入りませんか?」

「いえ、珍しいことだと思いまして……」

 グロリアは人の好き嫌いがかなり激しい。例え身内でも気に入らない相手には会おうともしないし、使用人もよほど気に入らなければ身の回りに置かない。隠居して10年経つのに、後継者を置かないのが最たるものだろう。それをまだ、会って一月ほどの女性を引き取りたいと言う。本当に珍しい。

「なんとなく似ているのですよ、彼女に……」

「え? 誰にですか?」

 エドワルドの問いに答えようともせず、グロリアは自分も休むと言って席を立つ。

「そなたもほどほどで休みなさい」

 そう忠告すると、彼女は居間の奥にある自室へ行ってしまう。

「一体誰に……」

 フロリエの身元が分かる手がかりになるかもしれない。それなのに何も言わないグロリアに疑念を抱きつつ、先ほどまでそこで娘の相手をしてくれていた女性の姿を思い浮かべる。

 身内には似ている女性はいない。自分の知る限りの人物にも当てはまらない。そうなると、グロリアの昔の知り合いと言うことになる。言わないのには何か訳があるのだろうと思い込むことにして、彼はしばらくの間グラスを一人で傾けた。

 オルティスが用意してくれたワインはブレシッド公国産の最高級品だった。過去のいざこざで国交が絶えてしまい、大陸で最も美味で有名なワインが今では入手できなくなっていた。その貴重な逸品は味わい深く、ついつい飲みすぎてしまい、気付けばボトルを空にしていた。エドワルドは最後の一杯を飲み干すと、いい気分でいつもの部屋に向かう。

 この館の主であるグロリアが一階の客間を改装した部屋を使っているので、エドワルドはこの館の主寝室として作られた部屋を使わせてもらっていた。私室に入ると上着を脱いでソファにかけ、娘が寝ている奥の寝室の扉を静かに開ける。

 明かりを落とした部屋の中、コリンシアがぐっすりと眠っている寝台の脇にフロリエが座って編み物をしていた。見えないはずなのになかなかの手さばきである。すると、コリンシアが寝返りして上掛けを蹴飛ばす。フロリエは気配でそれを察知し、手探りで上掛けを元に戻し、再び編み物を続ける。

「ずっとついていたのか?」

 エドワルドが寝室に入り、小声で声をかけると、フロリエは立ち上がって頭を下げる。

「はい。すぐに布団を蹴られるので、直さないとお風邪を召されますから」

「悪かったな、遅くまで」

 美味しいワインを味わいながら飲んでいたので、すでに深夜と言っていい時刻である。

「いえ……お役に立てるのでしたら、嬉しく思います」

「もう遅い。私も休むから、そなたも部屋に戻って休みなさい」

「はい」

 フロリエは頭を下げると、編み途中の物を籠に片づけて持ち、慣れた足取りで戸口に向かおうとする。

「部屋まで送ろう」

「すぐそこでございますから……」

 フロリエは遠慮しようとしたが、エドワルドは彼女の手を取り、自分の腕につかまらせる。

「ほんの気持ちだ」

 そう言って彼は歩き始めたため、フロリエもそれ以上は何も言えずに従った。

 フロリエの部屋は、最初に彼女を休ませる為に用意してもらった客間をそのまま使っていた。エドワルドが使っている部屋のすぐ隣で、部屋を出ればすぐだった。

「ありがとうございました」

 フロリエが深々と頭を下げる。

「礼を言うのは私の方だな。コリンをかまってくれてありがとう。そなたのおかげで素直になった」

「恐れ多いことでございます。及ばずながら、身の回りのことを手伝わせていただきとうございます」

「そうか……すまないが、これからもよろしく頼む」

「かしこまりました」

 フロリエは品良くお辞儀をすると、「それでは失礼いたします」と言って自分の部屋に入っていった。

 夜も更けた上に度数が強めのワインを相当飲んだため、さすがのエドワルドも眠気を覚える。部屋に戻ると夜着に着替え、熟睡する娘の横に潜り込んで目を閉じたのだった。


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