47 葬送の鐘1
グロリアの葬儀が行われる前日に皇都からの客が到着した。館は手狭で客を全員収容できないので、ハルベルトだけが館に滞在し、5大公家を代表して来たサントリナ公とブランドル公はロベリアの総督府に宿泊する事となった。本来ならフォルビアの城に案内するべきなのだが、他の親族が嫌がった事もあって総督府を利用する事になったのだ。
一行はグロリアの遺体が安置されている正神殿に立ち寄って花を手向け、それからそれぞれの宿泊地へと分かれていた。この日の予定をあらかじめ知っていたヒースとユリウスは神殿で一行を出迎え、ハルベルトを館へ送ってきたのだ。ちなみにアスターは神殿からロベリアに泊まる一行を案内していた。
「兄上。遠路、よくおいで下さりました」
玄関でエドワルドがハルベルトを迎える。彼の後ろにはコリンシアとオルティスが控えている。
「聞いたぞ、大変だったらしいな?」
「ええ」
ハルベルトは道中、ヒースとユリウスからフォルビアの親族達の所業を聞いていた。彼はそういったことを懸念して彼らを監視役として送り出したのだが、未然に防ぐ事が出来ず、ひどく残念でならなかった。
いつまでも外で話す訳にもいかないので、エドワルドは兄を促して館に入り、居間へ彼を案内する。そこにはフロリエがソファに座って待っていたが、ハルベルトが入ってくると立ち上がってお辞儀をする。
「無理するな。座っていなさい」
先日、突き飛ばされて打った背中がまだ痛む彼女を気遣い、エドワルドはすぐに彼女を座らせる。弟のその様子を見てハルベルトはすぐに2人の仲に気付くが、すぐにはその事に触れないでおいた。
「エドワルド、彼女がフロリエ嬢だな?」
「そうです。紹介が遅くなりましたが……」
「座ったままで大変失礼致します。フロリエと申します、殿下」
フロリエが頭を下げると、ハルベルトは彼女の手を取って軽く口付けて挨拶をする。
「一度お会いしたいと思っていたのだよ。コリンシアとエドワルドを助けてくれたそうだね。私からも改めて礼を言わせてもらうよ」
「私がしたことは微々たる物でございます」
恐縮する彼女にハルベルトは笑いかける。
「謙遜しなくて良い。エドワルドからも、冬に頂いた叔母上の手紙からもそなたのおかげだと明記されていた。そなたは皇家の恩人だ」
「受けております恩恵は私の方が多くございます」
頬を染めて答える彼女にハルベルトは好感を抱いた。そうしている間にオルティスがお茶の用意を整え、エドワルドは改めて兄に席を勧め、自分はフロリエの隣にコリンシアと座った。
「フロリエ、まだ痛むのだろう?楽にしているといい」
エドワルドはフロリエを気遣い、クッションに体を預けさせる。あの一件の翌日になっても痛みが治まらず、エドワルドは急遽バセットを呼んで彼女を診てもらったのだ。彼の見立てではしばらく安静が必要なのだが、彼女は葬儀が終わるまではと言って毎日グロリアの遺体が安置されている正神殿へ赴き、祈りを欠かさない。エドワルドも心配しつつ彼女が気の済む様にしてやりたいので、自らグランシアードを駆って付き添うようにしていた。
「今回、姉上はどうされたのですか?」
グロリアの葬儀なら彼女が一番に駆けつけて来そうだったのだが、来たのは夫のサントリナ公だった。ルークの報告でも今回は本宮内で姿を見かけなかったと聞いていた。
「実はだな、先日、玄関先で転ばれて足を痛められたのだよ。良くはなられているのだが、まだ長旅は無理と医師に止められたのだ」
「姉上が?」
「さよう。残念がっておられたが、元気になったら墓参りに必ず来ると言っておられた」
ハルベルトはお茶を口にしつつフロリエがコリンシアにかまう様子に目を細める。
「そうか……。姉上にも先にお耳に入れておこうと思っていたのだが、残念だな」
「お前達の仲を……かな?」
「……気付かれましたか?」
ハルベルトが笑いを含んだ口調で問いかけると、エドワルドの動きが止まる。フロリエは慌てて体をクッションから起こす。
「殿下、あの……」
「体が痛むのでしょう?楽にしなさい、フロリエ嬢。私はあなたの兄になるのですよ。気遣いは無用です」
「……」
フロリエは心配そうにエドワルドを振り仰ぐ。
「兄上は反対をなさらないのですか?」
「そなた達が決めたことだ、私に異存は無いよ。良き伴侶を見付けたな、エドワルド」
ハルベルトは2人に笑いかける。
「ありがとうございます、兄上。実は既に彼女は私の妻です。今際に叔母上が祝福して下さいました」
エドワルドはフロリエにも促して袖をめくり、それぞれ手首に巻いている組み紐をハルベルトに見せた。彼は少し驚いたように目を見張る。
「そうか、それはめでたい。このような時でなかったらもっと祝ってやれるのだが……」
「叔母上の喪が明けましたら、改めて式を挙げようと思っております。彼女も花嫁衣裳を着たいでしょうから」
エドワルは優しい眼差しを妻と娘に向ける。
「ですが、私はこのままでも……」
「いいや、是非とも君に花嫁衣裳を着せて、皆に見せびらかしたい。私の妻の美しさを」
「エド……」
力説するエドワルドにフロリエは頬を染める。そんな仲睦まじい2人の様子にハルベルトはつい笑ってしまう。
「その様子なら、近いうちにそなた達の子供が見られるな。そうなると、コリンはお姉さんだな」
「コリンね、妹が欲しいの」
ずっと口を挟むのを我慢していたコリンシアは伯父に勢い良く自分の希望を告げる。ハルベルトは少し困った顔をする。
「困ったな、伯父さんは是非とも男の子が見たいのだが?」
「女の子がいいの。一緒にお人形で遊ぶの」
当事者の2人を差し置いてそんな口論が始まってしまい、エドワルドもフロリエも苦笑するしかない。フロリエは優しくコリンシアの頭をなでる。
「コリン、こればかりはダナシア様のお恵みによるものですから、希望を言っても叶うとは限らないのですよ」
「はーい」
自分の母親となった女性の言葉に、コリンシアは素直に頷いた。
「お前の励みようによるな」
「……」
冷やかすように兄に言われ、エドワルドは返す言葉も無い。
その後しばらくして晩餐の支度が整い、食堂に席を移した。エドワルドは不調の妻を気遣い、彼女の体を支えて移動の手助けをした。晩餐にはヒースとユリウスも同席し、故人を悼みながら近況を語り合ったのだった。
夕食後、フロリエとコリンシアは早々に自室へ引き上げた。エドワルドはここでも妻を気遣い、彼女を抱き上げて部屋へ連れて行く。思った以上に彼女の調子は良くなさそうで、食事もほとんどとっていない。側仕えのオリガも彼女を気にかけながらエドワルドの後に続く。
「相当ひどく叩きつけられたようだな」
妻を抱き上げて階段を上っていく弟の後ろ姿を見送りながらハルベルトはつぶやく。
「はい」
近くに控えているヒースとユリウスが頷く。彼らはその光景を目撃していた。もう少し早くこの館に着いていれば、未然に防げたかもしれないと思うと、悔しさがこみ上げてくる。
「自分が道中の足を引っ張ったようなものです」
悔しそうにユリウスが言う。早くは飛べても彼は他の2人ほど持久力が無かった。ヒースは彼の様子を見ながら予定に無い小休止を2度ほど入れてくれたのだ。あれが無ければあの騒ぎも未然に防げただろうし、ルークの恋人も危険な目にあわずに済んだであろう。あの翌朝、ユリウスは友人に合わせる顔が無かったのだが、そんな事を全く気にしていないようで、彼もオリガも何事も無かったかの様に接してくれている。
「悪いのはユリウスではない。欲に凝り固まったフォルビアの親族達だ。君達だからこそ、あの時間に着き、最悪の事態は免れた。そう私は思うのだが?」
ハルベルトが近い将来に義理の息子になる若者にそう語りかける。ヒースも頷いて彼の肩を叩く。
「我々は出来うる限りの事をした。後悔ばかりしていても限が無いぞ」
「はい……」
ユリウスは素直に頷くものの、まだ完全には納得できていなかった。
ハルベルト達はオルティスの案内で居間に移り、エドワルドが来るのを待つ。その間に酒肴の準備が整えられ、ハルベルトはヒースと共にワインを満たした杯を傾ける。
「お待たせしてすみません」
しばらくしてエドワルドが居間へ入ってきた。兄の向かいに座り、自分にも杯をワインで満たし、一気にあおる。
「いや、かまわぬ。どうだ、奥方の具合は?」
「あまり良くは無いですね。葬儀が終わって一段落したらゆっくり休ませます」
「そうしてやってくれ。そういえば、オリガと言ったか、ルーク卿の恋人は。彼女はラグラスに襲われそうになったと聞いたが、もう大丈夫なのか?」
ハルベルトが空になったエドワルドの杯に新たにワインを注ぎながら尋ねる。
「ルークが一晩、付きっきりで慰めたから大丈夫でしょう。翌朝からいつも通り働いてくれています。何をしたか、聞くまでも無いですが」
エドワルドは苦笑いしながら杯を重ねる。
「近いうちに慶事が一つ増えそうだな」
ハルベルトの言葉に他の3人も頷いている。ハルベルトもヒースも噂のルーク卿の恋人に今回始めて会ったのだが、似合いのカップルと意見が一致していた。ちなみにルークは今夜、自ら名乗り出て神殿の警護に当たっている。フォルビアの兵と第3騎士団から互いに兵を出し合って警護してきたが、最後の夜は自分がしたいと彼は進んで申し出ていた。
「そういえば、本人から聞いたか?スカウトの話」
「ああ、ワールウェイドにこの夏から来る事を許すと言われたらしいな?」
エドワルドがルークからこの話を聞いたのは、館に戻った次の日だった。彼は断り方が悪かった事を未だに気に病み、エドワルドに相談していた。
「ああ。倍の俸給と部下を2人付けると言って来たが、見事にきっぱりと断った」
「あいつは頑固だからな」
エドワルドとハルベルトは苦笑するが、1人ユリウスは不安そうな表情となる。
「ワールウェイド公が逆恨みしないと良いのですが……」
「手出しはさせないさ」
「心配するな。優秀な竜騎士に勝手なまねはさせない」
ハルベルトとエドワルドが協力して守るのであれば彼の身は心配しなくて良いのだろう。おそらく彼らだけで無く自分の父であるブランドル公もソフィアの夫のサントリナ公も惜しまずに手を貸すはずだ。ひとえに彼の人柄が自分を含め、そういった上に立つ人々を惹きつけているのだ。
去年の今頃までは彼は全く無名の竜騎士だったが、あの夏至祭の活躍でタランテラの有力者がこぞって望み、皇都では知らないものはいないと言われるほどの有名人になっていた。それに浮かれることも無く、彼はいつも淡々と仕事をこなしている。
「ルークは今の境遇をどう思っているのでしょうか?」
ユリウスの呟きに他の3人は肩を竦める。
「さあ、どうだろうか?」
「欲が無いというか、未だに有力者達が己を欲しがっている事を理解していないからな」
ため息をついてハルベルトが言うと、エドワルドも苦笑しながら頷く。
「周囲がようやく彼の価値に気付いたと言うのに、当の本人は自分がそういった待遇に値するとは思っていないからな」
「ところで、お前は皇都に戻ってくる時にその優秀な騎士をどうするのか?このまま第3騎士団に置いて行くのか?」
ハルベルトの問いにエドワルドは不適な笑みを浮かべる。
「私が皇都へ移る時には妻も同行させます。必然的に彼女の侍女をしているオリガも連れて行くことになります。このままあいつを置いていけば、恋人と離れ離れになる。遠距離恋愛であいつが耐えられるかな?」
おかしそうに言いながらワインの杯を傾ける。
「皇都とロベリア間の飛翔時間が更に短縮されそうな気もしますが……」
ユリウスの呟きに3人は思わず吹きだす。
「ありうるな。だが、危険を伴いそうだ。あいつの希望は私の元で働く事だ。希望を聞いてやってはもらえませんか?兄上」
「アスター卿とルーク卿。2人を皇都へ移動させる事になるが仕方あるまい。近いうちにお前の替わりも含めてこちらへ寄越そう。それで良いな?」
「はい、ありがとうございます」
エドワルドは兄に感謝して頭を下げた。
「問題はフォルビアの後継者だな」
「選ばれなかったものをどう諌めるかが問題です」
当面の問題にハルベルトは頭を抱える。エドワルドは既に内容を知らされていたが、今それを言うわけにはいかない。
「明日の葬儀の後に遺言を公表すると言っていたが、早すぎないか?」
「オルティスが言うには、叔母上の希望だそうです。兄上や他の5公家いずれかの代表にも立ち会っていただくようにと何度も念を押されたそうです」
「そうか……。我らがいることで混乱を抑える事が出来ると思っておられるのだな」
「はい」
その後しばらくの間4人は静かに杯を傾け、最後に翌朝の確認をするとそれぞれの部屋へ戻っていった。
『今日から私があなた達の母親よ』
優しげな女性に子供の頃のフロリエと黒髪の男の子が抱きしめられていた。彼女の後ろには背の高い金髪の男の人も立っている。
『家には同じくらいの子供もいる。兄弟が出来たと思って仲良くしてくれ』
彼は男の子の頭を撫でながら2人に笑いかけてくるが、フロリエは不安げに2人を見上げるしか出来ない。
『お山を出て行くの?』
『そうよ。あなた達には世の中のものをたくさん見て、触れて、いろんな事を知って欲しいわ』
女性は2人を抱きしめて離さない。フロリエは遠巻きに見ているはずの長老の姿を探すが、見つける事が出来ない。
『剣の稽古も出来るの?』
男の子が尋ねると、金髪の男性は満足げに頷いて答える。
『もちろんだ。稽古をして強くなれば、君は竜騎士にもなれるだろう』
『本当に?』
『ああ』
男の子は嬉しそうにしているが、フロリエは不安でたまらなくなってくる。
『……いや! 私はどこにも行かない!』
フロリエは女性の手を振り切ると、逃げるようにその部屋を出て行く。
『あ、どこへ行くの?』
女性が呼び止めるのも聞かずに彼女はどんどん逃げ、そのまま日が落ちて真っ暗になった外へ出て行く。春まだ浅く、雪が残る道をどんどん走ってとうとう村の外まで逃げ出した。そのまま父母の眠る神殿の墓地まで行こうとするが、道に迷ってしまい、更には足を踏み外して山の斜面を転がり落ちてしまった。彼女は暗闇の中でどこまでも転がり落ちていく……。
「フロリエ、フロリエ」
先日と同様、エドワルドに肩をゆすられてフロリエは目を覚ました。以前、ラグラスに侵入されてフロリエの部屋は空いている客間に移されていたが、結婚を機にエドワルドは自分が使っていた部屋を夫婦の寝室に決めた。元々、この館の主寝室として作られていた為、2人で使っても充分な広さがある。エドワルドは総督府の仕事とグロリアの葬儀の準備に追われながらも、眠る前に彼女と一言二言話をする事によって、夫婦になった幸せをかみ締めていた。
「エド……」
「大丈夫か? 体が痛むのか?」
もうじき夜が明けようとする時間である。手探りで体を起こそうとするフロリエをエドワルドは優しく支える。
「ごめんなさい、起こしてしまって……。体は大丈夫です」
「無理をするな。随分うなされていたが、怖い夢を見たのか?」
「はい。良く思い出せないけど……」
恥ずかしげにうつむく彼女を彼は優しく抱きしめ、そのまま横になる。
「こうしていれば、夢の中まで守ってやれるかな?」
「貴方に甘えてばかりだわ」
「いいさ。存分に甘えてくれ。もう少し寝よう」
エドワルドは優しくフロリエの髪をなでると、目を閉じた。彼女は目がさえてしまって眠れそうに無かったが、彼の逞しい腕の中で眠る努力をする為に再び目を閉じたのだった。




