43 宴の夜に2
身障者(フロリエの目が見えない事)に対して、ちょっと不適切な表現があります。予めご了承下さい。
その頃、オリガはとても焦っていた。フロリエを送り出した後、預かったルルーを寝台に降ろし、彼女は部屋と浴室の片づけをした。フロリエが戻ってきたら化粧を落とし、湯浴みも必要になるので、その準備も整えておかねばならない。浴室でその準備を済ませて出てくると、寝台の上にルルーの姿が見えない。
「ルルー?」
呼んでも返事が無く、寝台の下、調度品やカーテンの陰なども探してみたが姿が見えない。気づけば次の間へ続く扉と廊下に出る扉が少し開いている。器用な小竜は自分で扉を開けてフロリエを探しに行ってしまったのだ。
「どうしよう……」
あの臆病な小竜が多くの人でにぎわう広間に紛れ込んでしまったら、パニックを起こして絶対に大きな騒ぎになってしまう。オリガは急いでルルーを探しに部屋を出た。途中ですれ違った人たちに聞いてみても、誰も小竜を見かけていない。泣きたい気持ちをこらえながら総督府内を探し回っていると、とうとう広間の近くまで来てしまった。
「オリガ?」
声をかけられ振り向いてみると、広間への戸口の側に竜騎士礼装姿のルークが立っている。立ち話をしていたのか、隣には先輩のキリアンがいる。
「ルーク……」
ルークが近づいてくると、オリガはとうとう我慢できずに彼にすがりついて泣き出してしまった。
「お……おい?」
焦ったのはルークだった。とにかくここは人の目に付く。慌てて陰の方へ彼女を連れて行く。事情を察したキリアンは何事も無かったかのように持ち場に戻っていった。
「オリガ、何があった?」
オリガを抱きしめたまま、落ち着くのを待ってルークは尋ねた。
「ど……どうしよう、ルルーが居ないの」
「ルルーが?」
「私が目を放した隙に……あの子フロリエ様を探しに行ったのだわ」
「分かった、ここでちょっと待っていてくれ。」
ルークはそう言うと、警備をしている先輩の元へ急ぐ。
「なんだ、逢引きはおしまいか?」
1人で戻ってきたルークをキリアンが冷やかす。
「ルルーが逃げ出したらしい。騒ぎが起きないうちに見つけないと……」
「確かにそれはまずいな。団長かアスター卿に私が伝えるから、お前は彼女と一緒に探して来い」
「ありがとうございます」
先輩の計らいに感謝して、ルークは急いでオリガの元に戻る。心細げにしていたが、彼の姿を見て彼女は安堵する。
「とにかく探そう」
「はい」
2人は連れ立って広間の周辺を探し始めた。柱や調度品の陰、壁に施されている彫刻の隙間や植え込みの間など、小竜が潜り込みそうな所を片端から覗いていった。
楽しさのあまり続けて3曲も踊ってしまい、一息つくためにエドワルドはフロリエを連れて中庭に面したバルコニーに出た。まだこの時期の夜風は寒いくらいなのだが、汗をかくほど踊ってきた2人にはそれが心地よかった。
「寒くはないか?」
「大丈夫です、殿下」
大事なゲストに風邪を引かせるわけにはいかない。エドワルドは長衣を外して彼女の肩にかける。
「ありがとうございます」
「とにかく喉を潤そう」
エドワルドは給仕を捕まえて、自分にはワインをフロリエにはワインよりも飲みやすい甘めの果実酒を用意させる。
「先ずは乾杯」
2人でグラスを合わせると、喉が渇いていたこともあってすぐに飲み干してしまう。
「こんなに楽しい舞踏会は久しぶりだ。君のおかげだ、フロリエ」
「そんなこと……」
フロリエは頬を染める。彼に見つめられているのが気恥ずかしくなってくる。
「君となら本宮の舞踏会でも楽しめそうだ」
「殿下……」
誰も見咎めるものは居ない、2人きりの空間である。早くも酔ったわけではないが、エドワルドはフロリエを引き寄せて唇を重ねた。彼女は拒まなかったが、少し恥ずかしそうにしている。もう一度引き寄せようとした所で、一段低くなった中庭の方でガサガサという音がする。エドワルドはとっさに彼女をかばう様にして身構えた。
クックックワァ
バサッという羽音と共に一匹の小竜が庭に面した木から飛び出してきた。首に薄紅色のリボンを巻いた、琥珀色の小竜は紛れも無くルルーだった。
「ルルー?」
エドワルドは飛んで来た小竜を急いで捕まえるとフロリエに渡す。怯えている様子だったが、彼女に体をなでてもらっているうちにだんだんと落ち着いてくる。
「一体どうしたのでしょう……」
「オリガに何かあったのか?」
「そうではなさそうですが……」
そのうちに中庭を移動する2つの人の影を見つける。彼らは茂みや木の枝をしきりに覗き込むようにしながら何かを探している様子である。
「ルーク、オリガ、探し物はこれか?」
エドワルドは無造作にルルーをつかむと2人に見せる。
「団長、すみません。そうです」
「申し訳ありません、殿下、フロリエ様」
オリガはほとんど涙声で2人の前にひざまずく。
「私の不安と緊張がルルーにうつった様です。オリガの姿も見えなくなって、それで私を探しに来たようです。殿下」
フロリエはエドワルドに首をつかまれて怯えたようにクウクウ鳴いているルルーをもう一度受け取ってなだめる。ようやく落ち着きを取り戻した彼はクルクルと機嫌よく喉を鳴らし始めたので、彼女は意識を集中して辺りを見てみる。先ず飛び込んできたのは、文官服に身を包んだエドワルドの姿だった。威風堂々とした姿に思わずため息が出てしまう。
続いて薄暗い中庭にたたずむルークとオリガの姿が見えた。2人供服にほころびまで作っていて、ルルーを探しまわったのが良く分かる。最後ににぎやかな舞踏会の会場の様子が見える。全ての燭台に火が灯された明るい室内に着飾った紳士淑女が笑いさざめき合っている。さっきまで自分もその中に居たと思うと、ちょっと信じられない気がしてくる。
「失礼します、殿下」
そこへアスターとマリーリアがバルコニーへ出てきた。
「こいつの事か?」
何を報告しに来たかエドワルドは察すると、フロリエの腕の中にいる小竜を指す。アスターは驚くよりも安堵したように頷いた。
「そうです」
「見つかって良かった。きっとルルーも不安だったのですね?」
「ええ」
マリーリアの問いにフロリエはうなずく。
「さ、そろそろルルーには部屋へ戻ってもらおうか」
エドワルドはそう言うとフロリエから小竜を受け取ろうとするが、彼はしっかりと彼女の腕に尾を巻きつけて離れようとしない。
「離れたくなさそうですね」
「このまま連れて帰ってもまた逃げ出してしまうのでは?」
フロリエは一生懸命宥めているのだが、一向にルルーは言う事を聞かない。アスターとマリーリアはその様子を見て口々に言う。
「皆様に……特に殿下にご迷惑がかかります。ルルー、オリガと部屋で待っていて」
小竜の背中をさすりながらフロリエは説得を試みるが、彼は知らん顔である。腕に巻きついた尾を緩めようとはしない。
「仕方ない。私が責任を負おう。大人しくしていられるな?」
クワッ
現金なもので、エドワルドがそう言ったとたんに小竜は羽を広げて喜ぶ。
「ですが……」
「舞踏会の光景が見えたほうが、あなたも楽しめるでしょう。心配いりません」
「及ばずながら私もお手伝いさせていただきます」
不安がるフロリエにエドワルドは笑いかけ、アスターもマリーリアも頷く。そこでようやく彼女も納得した。
「わかりました」
「ルーク、オリガを部屋まで送ってやれ」
「はい」
そう決まると、ルークもオリガもここへ長居するのは良くない。2人は頭を下げて来た道を引き返して行こうとする。
「その辺の陰で押し倒すなよ」
エドワルドが投げかけた言葉に、ルークはもう少しでつんのめりそうになっていた。
「冷えてきたな。中に入ろう」
2人の姿が見えなくなると、エドワルドはフロリエを促す。まだ不安は残っているが、エドワルドに手を取られていると不思議な安心感があった。フロリエは腕に止まるルルーに意識を集中させると、促されるまま煌びやかな会場に戻った。
トロスト元副総督令嬢カサンドラは苛立っていた。今回の舞踏会は今まで以上に気合いを入れて着飾ったというのに、意中の人が少しも振り向いてくれないからだ。
裕福な家に生まれた彼女は、蝶よ、花よと言われて育ち、物心ついたころには己の容姿に絶大な自信を持つようになっていた。そんな彼女は2年前、成人して初めて参加した舞踏会で運命の出会いを果たした。お相手はタランテラの皇子でロベリア総督のエドワルド。その麗しい姿に一目で恋したのだ。
彼の妻に相応しいのはロベリア一……いや、タランテラ一美しい自分しかいない。そう確信していても、邪魔をしてくる輩はたくさんいる。ロベリア総督の地位を狙っている父親にも協力してもらい、邪魔者を次々と排除していった。
最大の強敵はリリー・シラー。彼の大叔母グロリアの館への奉公が決まり、彼とお近付になれると自慢していたのを悔しい気持ちで聞いていた。だが、たった数ヶ月で奉公に向かいないと家に帰されたと聞き、内心ほくそ笑んだ。
悔しがる彼女の相談に乗るふりをして、姫様を懐柔すれば殿下に振り向いてもらえるなどといい加減な助言をしたところ、リリーは本当に姫様を誘拐しようとして牢に入れられた。秋には彼が長く付き合っていた愛人と別れたという朗報まで飛び込んできて期待は膨らむ一方だった。
夏に父の失態があって舞踏会への参加も危ぶまれたが、招待状が届いたのでその件はもう気にしなくていい証拠だ。意気揚々と会場に足を踏みいれたのだが、肝心の想い人は別の相手と踊り始めた。
「どういう事かしら」
「最初は仕方あるまい。ワールウェイド家の令嬢となれば殿下もそれなりに気を使うのだろう」
父親の言葉に釈然としないながらも同意する。やがて曲は終わり、2曲目が流れ始め、慣例通りにエドワルドを支えるロベリアの重鎮達がそれぞれのパートナーと踊りだす。
ワールウェイド家の令嬢を伴い、招待客に挨拶をしているエドワルドの姿を見つめながら、次こそはと期待に胸を膨らませる。そしてようやく2曲目が終わり、3曲目が始まろうとした時に新たな客が紹介される。
「フォルビア公グロリア様御息女、フロリエ・ディア・フォルビア様」
その肩書に会場がざわめく。女大公に娘がいるとは皆初耳だったからだ。会場中が注目する中、艶やかな黒髪を結い上げ、薄紅色の衣装を纏った女性はアスターに手を引かれて階段を下りてくる。ドレスも宝飾品も肩書に恥じない一級品を身に付けており、会場の女性達からため息が漏れていた。
確かに造作は悪くないが、地味で大人しい印象を受ける。カサンドラは相手にもならないと鼻で笑おうとしたが、傍らにいた父親のつぶやきに危機感を覚える。
「あの女だ。昨夏、女大公のお供をしていた女だ」
トロストにとって因縁のある相手である。あの時、彼女が大人しく彼の言う事を聞きさえすれば、彼等は不遇を被る事が無かったのだ。エドワルドの命で、怪我をさせたことを仕方なく謝罪したが、理不尽さはぬぐえない。
「どういう事ですの?」
「分からぬ」
トロスト親子をのみならず、周囲の理解が追い付かないうちに3曲目が流れ始める。エドワルドはとろけるような笑顔でフロリエにダンスを申し込み、ゆったりと周囲に見せつける様に広間の中央へ歩みだす。そして2人は一礼をすると軽やかなステップを踏みはじめた。
「きっと、殿下は騙されていらっしゃるのよ」
そう言って自分を納得させようとするが、ロベリアで最も格式の高い舞踏会で身分詐称はあり得ない。ならば、グロリアに頭が上がらないから、無理に付き合っているのだと思いたい。それはカサンドラのみならず、この会場にいた若い女性全員の願望だった。
少しでも粗を探そうと彼女が踊る様子を凝視していたが、相手をしているエドワルドが完璧なリードをしているのでそれも見つからない。歯がゆい思いをしている間に曲は終わり、2人は優雅に礼をした。どうやらトロスト父娘以外の参加者は2人のダンスに完全に魅了されてしまったらしく、大きな拍手が沸き起こっていた。
「このままじゃ、あの女の思うつぼだわ」
カサンドラは思い切って自分から行動しようと思い立ったのだが、4曲目は今までダンスをしたことが無かったアスターがマリーリアを誘って踊るという珍事にその機会を逃し、その後はまた3曲も続けてフロリエがエドワルドと踊ったのだ。
曲が終われば今度こそと様子をうかがっていると、さすがに疲れたのか休憩を取るらしく給仕係から飲み物を受け取っていた。
この好機を逃してはいけない。エドワルドに近寄ろうとするが、彼はフロリエの肩を抱いてバルコニーへと出て行ってしまう。ならばと後を追おうとするのだが、バルコニーに続く窓の前ではさりげない様子でアスターとマリーリアが立っている。うかつに近づくこともできなかった。
歯がゆい思いで2人が出てくるのを待っていると、若い竜騎士がアスターに何かを報告している。不測の事態が起きたのなら、その場から離れてくれるだろう。期待していると、アスターとマリーリアもバルコニーに出て行ってしまい、結局カサンドラはその場で待つしかなかった。
やがて4人が連れ立って広間に戻ってきた。驚いたことにフロリエは腕に小竜を抱いている。愛玩用の生き物をこの格式高い舞踏会に連れてくるなど言語道断の振る舞い。トロスト父娘はつけ入る隙を見つけてニヤリとする。
だが、すぐに指摘しに行くのも体裁が悪い。しばらく様子を伺っていると、複数の人物がルルーの存在に気づき、ざわざわと陰で話を始める。おそらく話の内容は、見るからに愛玩用の生き物を持ち込んでいる事への不信感と嫌悪感。なかなか面と向かって言いに行かないのは、側にいるエドワルドに遠慮しているからだろう。
頃合いを見計らってトロストが動く。カサンドラも慎ましくその後に続いた。
「エドワルド殿下、一つ苦言を申し上げてよろしいか?」
「いかが致しましたかな?トロスト殿」
ある程度予見していたのか、トロストが話しかけてもエドワルドはにこやかに応対する。その整った顔立ちにカサンドラは思わず見惚れそうになるが、今は不届き物の糾弾が先である。気持ちを奮い立たせ、厚顔無恥な相手を見据えた。
「このような場に何故あのような小動物を持ち込まれておられるかお聞きしたい」
トロストはフロリエの腕の中で怯えたようにしているルルーを指差す。
「ただの愛玩用では無いのですよ、トロスト殿。彼には重要な役割がございます」
「ほお。それは是非ともご当人の口からお伺いしとうございますな」
エドワルドの隣で立ち竦んでいる様子のフロリエを彼はジロリと睨む。彼女は不安そうにしながらも上品にその場で腰をかがめた。
「皆様にはご不快な思いをさせて申し訳ございません。この小竜は私の目の代わりをしてくれているのでございます」
「目の代わり?」
答えの意味が分からずに、トロストは首をかしげる。
「やはりこの子を連れてここに留まるのは無理がございます。これ以上ご迷惑をおかけする前に退出させて頂こうかと思います」
フロリエがエドワルドに申し出るのを聞いてカサンドラはほくそ笑む。これで邪魔者は消える。
「やはりこの子を連れてここに留まるのは無理がございます。これ以上ご迷惑をおかけする前に退出させて頂こうかと思います」
広間に戻ったとたんにルルーの存在を咎められ、いたたまれなくなったフロリエはすぐさまエドワルドに申し出た。
「宴はまだまだ続くのだぞ。その様な寂しい事を言わないでくれ」
しかし彼は手で彼女を制するとトロストに向き直る。
「彼女は目が見えぬ。しかしながら特別に調教したこの小竜に、意識を集中させる事によって彼の見ているものを見る事が出来るのだ」
「なかなか高等な技術です。我々竜騎士でも常に鮮明な映像を引き出す事は難しいです」
エドワルドの答えにアスターが補足すると、会場はざわめいている。
「目が見えない? ならば、そこまでして無理にこのような晴れがましい席に出られなくとも良かったのではありませんかな? 殿下のお手を煩わせるだけの様ですからな。殿下にはもっと……そうですな、健常の娘が似つかわしい」
トロストはちらりとカサンドラに視線を移す。彼女は父親がフロリエの欠点をここぞとばかりに攻め立て、いたたまれない様子で震えている事に満足する。しかし、それはエドワルドの怒りを買う結果となる。
「ほお……。貴公がその様な狭量の持ち主とは思わなかったな」
「問題発言でございますな」
エドワルドの言葉にアスターが同調する。更にはいつの間にか会場の警備をしていた竜騎士達が彼女を守るかのように集まってきていた。
同伴していた夫人と共にその場に駆けつけたクレストは、その柔和な笑みとは裏腹に冷たいまなざしを彼に向け、巨漢のリーガスは彼の前に立ちはだかって視覚的にも威圧感を与えている。広間の外にいた若手の竜騎士達も集まってきており、その威圧感にさすがのトロストもたじろぐ。
「彼女が来場した折に紹介したが、フォルビア公である我が叔母上が是非にと彼女を養女に迎えたのだ。更には紫尾の爪で負傷した私の命を救ってくれた恩人でもある。つまり、彼女が居なければ私はこうして新年を迎える事が出来なかったであろう。だからこそ今日の宴は彼女を最上級のもてなしで迎えようと決めていたのだ。
それに何かご不満がおありか?」
言葉遣いはあくまで丁寧だが、彼に向けるエドワルドの視線は冷ややかだった。
「良識ある方がお揃いでございますから、殿下のご意向を皆様はきっとお分かり頂いていると思います」
宴の席である。これ以上騒ぎを大きくするのは望ましくないと判断したらしいアスターが、やんわりと言葉をかける。それでも尚、エドワルドの怒りは収まらず、その気迫にトロストは冷や汗をかき、カサンドラも血の気が引いてくる。2人は遅ればせながら自分達がエドワルドの逆鱗に触れてしまったことにようやく気づいたのだ。その2人にマリーリアが声をかける。
「お顔の色が優れませんが、いかがされましたか?」
「ちょ……ちょっと飲みすぎたようでして、気分がその……」
「それはいけませんな。お休みになられた方がよろしいのでは?」
しどろもどろに答える彼にアスターがここぞとばかりに声をかける。
「は、はい。今日は、こ、これで失礼をさせて頂きます……」
「良かろう」
既に顔すら上げられない状態のトロストは、エドワルドの許しが出ると、逃げるように会場を後にする。脅えて立ちすくんでいたカサンドラも我に返ると、慌ててその後に続いた。
静まり返った会場内では他の招待客が困ったように立ちすくんでいる。そんな中、アスターの合図で集まっていた警備の竜騎士たちは静かに自分の持ち場に戻っていく。
「とんだ事でお騒がせして申し訳ありません。宴はまだ始まったばかりでございます。最後まで御ゆるりとお楽しみ下さい」
エドワルドは見事に口調を切り替えると、招待客に深々と頭を下げる。その間にアスターは楽団に合図して音楽を奏でさせ、給仕に酒を配らせる。そのおかげでどうにかその場は収まったようである。
「申し訳ございません、殿下……」
フロリエはエドワルドに深々と頭を下げる。
「あなたが謝る事はありません。無理にお誘いしたばかりにあなたをいたずらに傷つけてしまった。私の方こそ謝らねばならない」
「いえ……」
フロリエはショックを隠しきれないでいた。他人にこのような場所へ来るべきでないと面と向かって言われたのだ。無理も無かった。
「これを飲んで。落ち着くから」
ジーンがそっと果実酒のグラスを差し出してくる。
「すみません……」
フロリエはグラスを受け取ると一口飲むが、涙がこぼれてきそうだった。
「気分転換に踊ろう。あのような言葉をいつまでも真に受けていてはいけない」
エドワルドがフロリエの手を引いて、広間の中央に誘おうとする。
「ですが、ルルーを抱いたままでは……」
「私がお預かりしましょう。いらっしゃいな」
小竜の心配をするフロリエにマリーリアが申し出て、腕を差し出す。ルルーは大人しくマリーリアの腕に収まった。
「さあ、音楽が変わる。行こう」
エドワルドは上機嫌でフロリエを広間の中央へと連れて行く。先ほどの騒ぎが何も無かったかのように、新たに流れ出した曲にあわせて、エドワルドは彼女と踊り続けた。
その様子をほっとした様子でオリガは会場の外から眺めていた。隣にはルークが付き添うようにして立っている。
「本当に、どうなるかと……」
「うん。でも、もう大丈夫だね」
オリガは自分が小竜から目を放した為に、こんな騒ぎになってしまった事を後悔して泣いてしまい、ルークはそれをずっとなだめていたのだ。エドワルドとフロリエが広間の中央で優雅に踊り、マリーリアの腕の中にいる小竜は他の客からもかわいがってもらって機嫌よくしている姿を見て、ようやく彼女も落ち着いたのだった。
「さ、そろそろ行こうか?」
ルークはエドワルドの命令もあって、オリガを部屋へ送っていかなければならない。しかし、彼女は広間の光景が良く見えるこの場所から離れがたそうであった。動こうとしない彼女にルークは声をかける。
「オリガ?」
「ごめんなさい、フロリエ様が楽しそうで……」
「そうだね」
グロリアが倒れてからと言うもの、皆がその看病に追われていた。コリンシアですら遠慮してはしゃいだりわがまま言ったりせず、館の中は重苦しい空気が常に流れている状態である。そんな状況ではフロリエも微笑む事が無くなり、今日のこの笑顔は本当に久しぶりだった。
「さあ、行こう」
ルークが再び促すと、オリガはようやく彼の差し出された手を取って歩き出した。
「ねえ、オリガ」
「どうしたの、ルーク?」
「俺、今度の夏にまとまった休みがもらえることになった。もし良かったら、一緒に俺の故郷の町に行かないか?山間の小さい町で何も無いけど……」
広間から離れ、人気の無い客間へと続く廊下を歩きながらルークはオリガに尋ねた。
「ルーク……。せっかくのお休みなのでしょう?」
「うん。君を家族にも紹介したい」
「……」
突然の誘いにオリガは驚いて言葉にならない。
「いやかい?」
「そうじゃないの、うれしいわ。行けるかどうかはグロリア様のご容態にもよると思うけど……」
「そうか……そうだよね」
ルークはそれ以上、強く誘おうとはせず、その後は黙って彼女の手を引いて部屋の前まで送った。
「ありがとう、ルーク」
「どう致しまして」
「さっきの話、フロリエ様に相談してみるね。まだ、どうなるか分からないけど……」
「うん」
2人はしばらくの間、そのまま見つめあっていた。ルークはオリガの顔に残る涙の跡を指で落とし、そのまま手を彼女の顎に添えて少しぎこちなく唇を重ねた。
「……」
「嫌だった?」
反応が無い彼女にこんな事を聞くのがルークらしい。オリガは驚いたものの、慌てて首を振る。
「そ……そうじゃないの。ちょっと、驚いただけ」
「そうかい?」
自分からキスをしておいてルークのほうが真っ赤になっている。その後の対応に困ってしまい、彼は咳払いを一つすると、軽く彼女を抱擁する。
「そろそろ戻らないといけない。また明日だね、おやすみ」
「うん……」
今度はお互いに軽くついばむようにして唇を重ね、ルークはオリガから離れた。
「じゃあ」
ルークは幸せをかみ締めながら、彼女に手を振って広間に戻っていった。
やはり問題を起こすルルー……。




