40 想いはいつしか1
グロリアが倒れて数日経ったが、かろうじて命は取り留めたものの予断を許さない状況が続いていた。2人の医師だけでなく、フロリエもオルティスもオリガを始めとする侍女達も交代でグロリアの看病をしていた。特にフロリエはエドワルドからの求愛という現実から逃避するように、グロリアの看病やコリンシアの世話をして体を動かし続けた。
「ねえ、ママ・フロリエ」
お休み前にフロリエに着替えを手伝ってもらっていたコリンシアが真剣な表情で彼女を見上げる。
「いかがされましたか?」
「父様の事嫌いになっちゃったの?」
「……どうしてそう思われるのですか?」
「だって……」
フロリエは内心ドキリとした。子供は敏感である。この数日の間に2度、仕事の合間のほんのわずかな時間を使ってエドワルドはこの館を訪れていた。そう長い時間は滞在しないが、フロリエは勤めて彼と顔を合わさないようにしていた。今の状況を考慮して彼のほうも無理に話しかけてくることも無い。今までとは異なる微妙な違和感をコリンシアは敏感に感じ取っていたのだ。
「あの方を嫌う理由はございません。考えすぎでございます」
フロリエはそう言うと、コリンシアの支度を終える。
「さあ、出来ましたよ。お休みしましょう」
フロリエがコリンシアを寝台へうながすと、彼女はしぶしぶ横になる。エドワルドが娘の為に新しく買って来てくれた本を広げ、読み始めようとしたところで扉を叩く音がする。
「はい?」
フロリエが出てみると、オリガが立っている。
「フロリエさん、グロリア様がお呼びでございます」
「女大公様が?」
「はい。代わりますので行って下さい」
「分かりました」
フロリエはコリンシアに断ると、後をオリガに任せてグロリアの部屋へ向かう。静かに扉を叩き、返事を待ってから中に入ると、寝台の上で半身を起こしたグロリアが待っていた。他にはバセットとオルティスも控えている。
「お呼びと伺いましたが?」
「ここへお座り」
グロリアはフロリエを寝台脇の椅子へ座るようにうながした。彼女はすぐには座ろうとはせず、心配そうに尋ねる。
「起きられて大丈夫ですか?」
「そなたは優しいな。大丈夫じゃ」
グロリアはフロリエに微笑みかけ、彼女が椅子に座ると手を伸ばして頭を優しくなでた。
「そなたに話があるのじゃ」
「話……ですか?」
不思議そうにしている彼女の手をグロリアは握り、傍らに控えるオルティスに声をかける。
「オルティス、あれを」
うながされてオルティスは何やら大事そうに布に包まれたものをグロリアに渡す。
「これは我が家に代々伝わるものじゃ。これをそなたに預かって欲しいのじゃ」
そう言って包みの中からフォルビア家の紋章の入った金のペンダントを取り出す。色とりどりの宝石がちりばめられ、眩いばかりの輝きを放っている。
「大事なものではありませんか? 私が預かっていいものでは……」
「本当は、コリンに譲ろうと思っておったのじゃ。だが、私の体もいつまで持つか分からぬ。あの子が成人するまでそなたが預かってくれぬか?」
「それでしたら、エドワルド殿下に預かっていただくのが筋ではないかと……」
フロリエの言葉にグロリアは笑う。
「あれは案外そそっかしくてのう、信用できぬ。じゃが、そなたなら安心して預けられる」
「……」
「少し早いが、妾の形見と思うて受け取っておくれ」
「形見などいりません。弱気な事を仰せにならないで下さいませ」
フロリエは涙を流して訴える。
「ほんに、そなたは優しいのぉ」
泣き伏すフロリエの頭をグロリアが優しくなでる。
「じゃが、本当にわが身がいつまで持つか分からぬ。そうなればそなたの行く末が気がかりじゃ」
「女大公様……」
フロリエは少し顔を上げる。
「先日、エドワルドに頼んで陛下に書状を届けてもらった」
ここでグロリアは一度言葉を切った。オルティスがそっとほんのりと暖かい湯冷ましを差し出すと、それで彼女は喉を潤した。
「そなたを我が養女にしたいと申し出たのじゃ」
「!」
「陛下は快く承諾して下された。そなたに断り無く話を進めてしまったのは申し訳ないが、今日より、そなたは妾の娘じゃ」
「……」
フロリエは突然の事に言葉も無かった。
「エドワルドのことは好きかえ?」
突然訊かれて戸惑ったが、彼女はためらいながら小さく頷いた。
「……はい。」
「そなたの身元は妾が保証する。あれの気持ちに応えてはくれぬか?今までいろいろ遊び歩いておったが、今度ばかりは本気のようじゃ」
「女大公様……」
グロリアはホホホと笑う。
「これこれ……母とお呼び」
「……お母…様」
ためらいながらフロリエがそう呼ぶと、グロリアは満足そうに頷く。
「そうじゃ、フロリエ。そなたは妾のかわいい娘じゃ」
「お母様」
グロリアはいとおしそうにフロリエの頭をなで、忠実な執事に命じる。
「オルティス、明朝、フロリエが我が娘になった事を館の者達に公表せよ」
「かしこまりました」
オルティスは頭を下げる。
「ご親族方はどう思われるでしょうか……」
フロリエはふと心配になってつぶやく。
「放っておけばよろしい。文句は言わさぬ」
グロリアはいつもの口調で言い放つ。その様子に思わずフロリエも笑みがこぼれる。その様子にグロリアもオルティスも無言で控えていたバセットもうなずく。そして長く話をして疲れた様子のグロリアを横にさせると、その夜はフロリエが彼女に付き添った。
翌朝、オルティスの口から使用人達にフロリエが正式にグロリアの養女となった事が公表された。館の中で一目置かれる存在になっていた彼女は、皆から口々に祝福される。
特にオリガは彼女の事を尊敬していたので我が事のように喜んでいた。今まで彼女に仕えてきたが、どんなに尊敬していても決して様をつけて呼ばせてくれなかったのだ。これからはその違和感がなくなるのが嬉しかった。
ちなみにコリンシアはよく分からないながらも自分が母親のように慕うフロリエにいい事があったのだと理解し、一緒になって喜んでいた。
数日後、エドワルドがグロリアの見舞いにやってきた。今日は仕事の延長らしく、服装も竜騎士正装を身に纏っている。この日のお供はゴルトが勤めており、無口な彼はティムに手伝ってもらって飛竜を休ませる為に厩舎へ向かう。
「父様」
真っ先にコリンシアがエドワルドに駆け寄る。彼は娘の頬にキスをすると、軽々と抱き上げて玄関へと歩いてくる。彼の右腕は随分と良くなった様で、もう普通に動かせるようになっていた。
「ようこそおいで下さいました」
グロリアの養女となったからには、客であるエドワルドにもきちんと応対しなければならないと思ったらしく、フロリエは玄関先でオルティスと共に彼を出迎えた。
「叔母上の養女になられたこと聞きました。おめでとうございます」
エドワルドは娘を降ろすと、フロリエの手をとってキスをした。
「ありがとう……ございます」
フロリエは少し顔を赤らめ、戸惑いながら礼を言う。そして彼をグロリアの部屋へと案内する。
「お母様、エドワルド殿下がお見えになりました」
静かに寝室の扉を叩いてグロリアに客が来た事を知らせる。
「お入り」
グロリアの返事を聞いてから扉を開けると、エドワルドが中へ入る。フロリエは邪魔にならないようにコリンシアと共に居間で待つことにした。コリンシアに本を読んであげながら待っていると、病人を気遣ったらしく、エドワルドは以外に早く寝室から出てくる。小さな姫君が嬉しそうに父親にまとわりついている間、フロリエは立ち上がってお茶の用意を始める。
「みんながね、ママ・フロリエの事をフロリエ様って呼ぶようになったよ」
コリンシアが一生懸命、父親が館にいない間のことを報告する。
「そうだな」
「どうして?」
「フロリエは、おばば様と親子になったからだ」
「おばば様と?」
「そうだ。だから皆、そう呼ぶようになったのだ」
「ふうん……」
コリンシアにはまだ良く分からない様子である。フロリエが淹れたお茶をお菓子と共にエドワルドの前に置くと、彼は早速そのお茶を口へ運ぶ。コリンシアは父親の隣でお菓子を食べながらおしゃべりに夢中になっている。その向かいに座っているフロリエは彼を意識しないようにしていたが、エドワルドは娘の話を聞きながらも、その眼差しは終始彼女を追っていた。
「コリン、父様はフロリエに話がある。オリガと共に上で遊んでいてくれないか?」
コリンシアがお菓子を食べ終わる頃、エドワルドがそう娘に頼む。
「分かった」
コリンシアは素直に頷くと、ソファから降りて居間の入り口に控えていたオリガと共に居間を出て行く。エドワルドに目配せをされたオルティスもその後に続き、部屋には2人だけとなった。フロリエは少し心細くなる。
「そんな顔をしないでくれ。私が悪い事をしているみたいではないか」
不安そうな表情の彼女に対し、エドワルドは苦笑している。
「まずはこれを受け取って欲しい」
エドワルドは懐から豪華な装飾が施された封筒を取り出してフロリエに渡す。
「これは……」
「私が主催する新年の舞踏会の招待状です」
フロリエが淹れてくれた2杯目のお茶を飲みながら彼は答える。
「舞踏会……ですか?」
「ああ。いつも叔母上には形だけお渡しするのだが、今年は君を誘うように言われた。是非来て頂けないだろうか?」
「……」
突然の事に返答に詰まる。さすがに公式の場へルルーを連れて行くわけにはいかない。当然、何も見えない状態で出席することになる。自分が恥を書くだけなら良いが、グロリアや招待してくれたエドワルドの顔にドロを塗る羽目になりそうだった。
「フロリエ、難く考えなくていい。看病してもらった礼だ。楽しんで頂けたらいい」
「は、はい……。でも……大丈夫でしょうか……」
そうは言われても、ロベリアの総督が主催する舞踏会である。この地方では最も格式が高いことは明白だった。夏に出席したドレスラー家の祝いの席の時も大変だったのに、それ以上となると想像するだけで足がすくんでしまう。
「ずっと、私の側にいるといい」
「殿下?」
「移動する時は私の腕につかまり、ダンスは私とだけ踊ればいい。そうすれば転ぶ心配も無い。安心して来て頂けませんか?」
エドワルドに微笑みかけられ、フロリエは戸惑いながらも小さく頷いた。
「良かった」
エドワルドも嬉しそうに頷くと、残りのお茶を飲み干した。
「そろそろ行かなければ」
エドワルドがソファから立ち上がると、フロリエも見送りの為に慌てて立ち上がって戸口までついていく。
「フロリエ、そういえば君の気持ちをまだ聞かせてもらってないな」
エドワルドは足を止めると彼女に向き直る。彼女は顔を赤らめてうつむいてしまう。
「申し上げる事は出来ません……」
「どうして?」
「それは……」
どう答えていいか分からず、彼女は言葉に詰まる。すると彼はグイッと彼女を引き寄せ、抱きしめた。
「好きか嫌いかだけでいい」
「……嫌いでしたら……ルルーが暴れております」
やっとの事でそれだけ答える。当の小竜はフロリエの肩の上で機嫌よく喉をクルクルと鳴らしている。エドワルドは微笑むと、軽く彼女の額にキスをして再び抱きしめる。
「愛している」
そのまましばらく抱きしめていると、扉の向こうでオルティスが軽く咳払いする。
「そろそろお戻りになる時間だそうでございます」
「分かった」
エドワルドは残念そうにため息をつくと、フロリエから手を離した。そして彼女の顎に手を添えてそっと唇を重ねる。
「着飾った姿を楽しみにしています」
エドワルドはそう言うと、居間を出て行く。1人居間に残ったフロリエは放心して見送りにいくこともせずにその場に立ち尽くしていた。
その夜、フロリエは再び夢を見た。
『どうして君まで帰ってしまうのだ?』
若者に強く肩をつかまれていたが、彼女は答えない。
『残る理由はある。俺の伴侶になってくれ!』
それは出来ないと彼女は首を振った。
『どうして?』
私はあなたをそういった気持ちでみていないから……。
『!』
彼は荒々しく彼女を抱きしめた。そして無理にでも引きとめようと自室に閉じ込めようとした。だが、それは失敗に終わった。
『行くな!』
別れ際の彼の叫び声がいつまでも耳に残っていた。
マリーリアはテーブルの上に置いた招待状を眺めながら戸惑っていた。先ほど、エドワルドに呼び出されて手渡されたものだ。
「マリーリア・ジョアン・ディア・ワールウェイド嬢、私が主催する新年の舞踏会に是非、出席して下さい」
彼はそう言って笑顔で彼女にこの封筒を手渡したのだ。
「ですが、私は……」
「君は私の花嫁候補らしいからな。誘っておかないと後で姉上になんて言われるか……」
「私にはそのつもりはありません」
「君にその気が無いのは承知している。私にもない」
あっさりとエドワルドは答え、更に続ける。
「竜騎士礼装は禁止だ。是非着飾って出てほしい」
「……」
「実はフロリエにも招待状を渡してきた。衣装をあつらえる為に明日、仕立屋を叔母上の館へ派遣する。費用は私が持つから君も同行し、一緒にあつらえてくるといい」
言いたいことだけ言うと、エドワルドは彼女に戻るよう命じたのだった。
「先ほどからため息をついてどうした?」
見回りから戻ってきたアスターが彼女に話しかけてくる。やはりまだ外回りをしてくると体が冷えるらしく、彼は防寒具を外すと暖炉の前に手をかざす。
「アスター卿……」
マリーリアは立ち上がると彼の為に温かいお茶を淹れて差し出した。テーブルに置かれたままの招待状が彼の目に留まる。
「ああ、ありがとう。舞踏会の招待状、受け取ったのか?」
「はい。竜騎士礼装はだめだと言われて、どうしようかと思いまして……」
彼女はため息をつくと、エドワルドとのやり取りを話した。
「君の肩書を考慮して、他の団員と区別する為に殿下はそう言われたのだと思う。ま、個人的な興味もおありなのだとは思うのだが……」
温かいお茶を味わうようにして一口飲むと、アスターは移動してマリーリアの向かいに座った。マリーリアも自分用にお茶を淹れると元の席に座る。
「今まで自分で選んだ事が無いからどうしていいか……」
「フロリエ嬢の物と一緒に頼むのだろう? ジーンが同行するし、あちらの侍女方から色々聞いてみるといい」
ジーンは上流騎士の家庭に育っていて、そういった事も詳しいはずだった。それを言うならマリーリアも大貴族の生まれだが、彼女はずっと田舎で育った上に、そう言った物に頓着しなかった。なんだかんだ言って竜騎士礼装で済ませて来たのもある。
「……」
「貴女はきっと赤が似合う」
ちょうどルークに呼ばれた彼はそう言い残して席を立った。
「赤か……」
1人残ったマリーリアは招待状をながめながらそうつぶやいた。
押しの強いエドワルドに逆らえず、つい舞踏会出席を承諾してしまったフロリエ。
勢いに乗った彼に口づけまでされてしばらく放心状態が続きます。