37 その想いの行方2
エドワルドが総督府へ戻った2日後、バセットの計らいで女医のクララがグロリアの新たな専属医として館に常駐することになった。彼女を送っていったルークからコリンシアがかなり怒っていた事を知ったエドワルドは、慌てて謝罪の手紙と彼女が好きな砂糖菓子をグランシアードに託して届けさせた。
彼自身が行かなかったのは、バセットに止められただけでなく、フロリエにどう接していいかまだ分からなかったのもある。コリンシアからは“もうしないでね、こりん”という返事をもらい、どうにか許してもらえたらしい。
そして更に半月あまり経ち、エドワルドも右手をどうにか動かせるようになっていた。妖魔の討伐要請が来たこの日、バセットからグランシアードに乗る許可が出ていたエドワルドは、久しぶりに同行する事にした。
「しかし、まだ……」
「指揮するだけだ。急ぐぞ」
止めようとするアスターを尻目に、彼はさっさと準備を整えてしまう。仕方なくアスターも準備を整えると、着場で待っていたファルクレインに跨る。今日は他にマリーリアとゴルトが従う。万が一他の場所に妖魔が襲来しても対応できるように、今日はルークとジーンが留守を預かる事になった。
「行くぞ」
久しぶりの討伐にエドワルドも実は緊張していた。もう痛まないはずの右肩が僅かに疼いている。それを克服するためにも今日は同行しておきたかった。小雪のちらつく夜明けの空を4頭の飛竜が飛び立っていく。
北東へしばらく進むと、城壁に隣接した村が20匹程の黒曜ムカデに襲われているのが見えた。まだ騎馬兵団は到着しておらず、自警団が必死に応戦している。
「アスター、マリーリア、先に行け」
エドワルドは飛行速度が速い2騎に先行させる。
「はい」
ファルクレインとカーマインは速度を上げ、村に突っ込むくらいの勢いで妖魔に迫る。2人は群れの背後から矢を射掛け、妖魔たちの勢いを弱める。そこからいつももめているとは思えないくらいに息の合った動きで、周囲を旋回しながら彼らを翻弄する。そこへ追いついたゴルトと上空で旋回していたアスターが武器を手に飛竜から飛び降り、妖魔達を次々と霧散させていく。その間マリーリアはカーマインに跨がったまま、2頭の飛竜と共に低空で旋回しながら2人の竜騎士のフォローしていた。
「なかなかやるじゃないか」
エドワルドはグランシアードを上空で旋回させながら、竜騎士のフォローに回っているマリーリアと2頭の飛竜に指示を与える。やがて北の方から近づいてくる騎馬兵団の姿が見えた。
「騎馬兵団が到着するぞ」
エドワルドはすかさず3人に注意を促す。やがて到着した騎馬兵団と共に、速やかに妖魔は霧散されていき、この日の討伐は終了した。襲ってきた妖魔の数が少なかったこともあり、被害も少なくて済んだ。エドワルドも討伐が終了するとグランシアードを地上に降ろし、アスターや騎馬兵団の長、自警団の責任者と共に被害の状況を見て回っていた。
「殿下、ジーン卿が来ます」
マリーリアに促されて南の空を見上げると、ジーンの飛竜リリアナの姿が見える。彼女が来るという事は、何か火急な事でも起きたのだろうか?エドワルドの胸に不安がよぎる。
「殿下、今お館から連絡が届きまして、グロリア様がお倒れになられたと……」
「何?」
嫌な予感は的中してしまった。
「ルーク卿がバセット医師を連れて既に館へ向かいました」
「分かった」
エドワルドはすぐにグランシアードに飛び乗った。
「供はしなくていい。そなた達は総督府へ帰れ」
そう言い残すと、彼はすぐにグランシアードを飛び立たせ、グロリアの館へ向かったのだった。
焦燥感と戦いながらエドワルドはグランシアードを急かしてグロリアの館へ向かい、昼過ぎに館に着いた。飛竜を着地させると同時に、オルティスとルークが玄関から飛び出してくる。
「叔母上は?」
「今、バセット医師がついておられます」
騎竜帽も外套も脱ぎ捨てていきながら居間へ向かう。そこにはコリンシアとフロリエ、オリガの姿があった。皆、青ざめた顔をしており、エドワルドの姿を見ると、コリンシアが抱きついてくる。
「父様、おばば様が……」
「バセットがついている。きっと大丈夫だ」
コリンシアを抱きしめ、エドワルドが言う。ふと顔を上げると、フロリエと目が合う。彼女は慌てて目を逸らすと、頭を下げて静かに居間を出て行く。後を追いたかったが、さすがに今は不謹慎な気がするので止めた。今はそっとしておいた方が良いかもしれない。
「ルーク、先に総督府へ帰れ。私はしばらくここにいる」
「かしこまりました」
ルークが頭を下げて居間を出て行くと、彼を見送るためにオリガも後を追う。居間にはエドワルドとコリンシア、オルティスだけとなる。皆、グロリアの寝室につながる奥の扉を見つめ無言で時を過ごした。
日が傾きかけた頃、急に外が騒がしくなった。見てみると、数頭の見慣れない飛竜がゴテゴテとした衣服を身に纏った客を連れてやってきた。皆フォルビアの親族達で、驚いたことに謹慎を言い渡されているはずのラグラスの姿もある。
「やっとこの時が来ましたな」
「いよいよですわね」
「誰が選ばれても……」
「文句無しということで……」
皆、口々に勝手な事を言っている。おそらくこの中に本気でグロリアを心配しているものはいないだろう。オルティスが「お静かに願います」と制しているのが聞こえる。それにもかかわらずガヤガヤと騒がしい一団は近づいてきて、居間の扉を開けた。
「!」
彼らは扉を開けたところで固まってしまう。ソファに座って腕組みをしているエドワルドが一同を睨みつけているのだ。
「叔母上が病と闘っておられる。静かにして頂こうか」
静かだが、威圧感のあるエドワルドの言葉に、彼の倍は生きている親族達も黙り込む。
「こ……これはエドワルド殿下。お怪我をされたと伺いましたが、もうお体の方は……」
ラグラスの姉ヘザーが愛想笑いを浮かべて話しかけてくる。
「見ての通りだ。機嫌以外はすこぶるいい」
不機嫌そのものでエドワルドが返す。コリンシアは少し前に食事をさせて早めに部屋へ戻らせていた。今はフロリエが側についているはずである。正直、子供に彼らの会話を聞かせたくは無かったので、その点においては助かったとエドワルドは思った。
「さ……左様でございますか」
彼等は冷や汗を流しながら、皆居間に入ってきて思い思いの場所に座る。さすがにラグラスだけはエドワルドに顔を合わすのが気まずいのか、部屋の隅に立っていた。オルティスが静かに入ってきて皆にお茶を淹れる。
「酒は無いのかね?」
「そういえばお腹がすきましたわね。何か持ってきてくれないかしら」
親族達はオルティスに我儘を言い始める。お茶を飲んでいたエドワルドは静かに茶器をテーブルに戻し、一同を見渡す。
「食事をなさりたいのでしたら食堂でどうぞ」
静かな口調とは裏腹に、彼はこめかみに青筋を浮かべている。
「そ……そうさせていただきましょうか」
親族達はいそいそと揃って食堂へ移動していった。
一人になったエドワルドはほっと一息つくと再びお茶を口にする。だが、その静けさもほんのひと時であった。やがて食堂の方から賑やかな話し声と、物音、更には笑い声まで聞こえてくる。いい加減に腹のたったエドワルドが腰を浮かしかけたところで、それを注意する声が聞こえる。
「お静かに願います」
フロリエの声だった。
「見かけない顔だが何者か?」
「新しい侍女じゃないか?」
「我々に意見するとは生意気な」
親族達が口々に言う。
「女大公様が病に苦しんでいらっしゃいます。更には上でコリンシア様がお休みでございます。どうぞお静かに願います」
あくまで丁寧に彼女は一同に対して頭を下げる。
「誰かと思ったらフロリエじゃねぇか」
既に酔っているらしいラグラスが彼女に近寄ってくる。
「ラグラス、知っているのか?」
「エドワルドの客だと。ちょうどいい、相手しろ」
ラグラスは強引に彼女を引き寄せようとする。
「お止め下さい」
フロリエが彼の手を振り払い、更には彼女の肩に乗っているルルーが威嚇の声を上げる。ラグラスは小竜に顔を傷つけられた事を思い出し、思わず手を引いてしまう。
「いずれにせよ、そなたは部外者だ。我らのすることに口を挟むな」
「そうじゃ。そうじゃ」
親族達から攻められ、フロリエは思わず涙があふれてくる。
「どうして……。女大公様があまりにもお気の毒でございます」
「あーあ、泣いちゃった。仕方ないあちらで慰めてあげよう」
懲りずにラグラスがフロリエの肩を抱こうとするが、その腕を途中でガシリとつかまれる。
「汚い手で彼女に触るな」
フロリエの背後にエドワルドが立っていた。つかんだラグラスの腕を荒々しく払いのけ、泣いている彼女を抱き寄せる。
「恥ずかしいとは思わぬか?叔母上の心配をしているのが、そなた達が部外者というフロリエだけだぞ」
彼が一同をジロリと見渡すと、親族達は黙り込んでしまう。
「殿下の言う通りでございますな」
気づくと疲れた様子のバセットが立っている。
「バセット、叔母上は?」
ずっとグロリアに付きっきりだった彼がこの場にいるという事は、容態に変化があったという事である。この場にいた一同の熱い視線を感じながら彼は飄々《ひょうひょう》と答える。
「グロリア様の意識が戻られました。殿下にお会いしたいと仰せでございます」
エドワルドとフロリエの表情が和らぐ。一方で親族達は落胆の色を隠せない。
「分かった。行こう、フロリエ」
彼は彼女を伴って居間へ向かった。その後ろ姿を見送った後、バセットは落胆する一同に止めを刺す。
「女大公様はあなた方には用が無いそうです。騒がしいだけですから帰って欲しいと仰せになられました」
「我々はただ……」
「心配して来ているのにそれは無いじゃないですか」
彼らは口々に不満を漏らすが、老医師は食堂のテーブルに散乱する酒瓶と空いた皿に目をやる。
「ほお……。心配してこられた? それでですかな? 飲み食いしては騒いで、随分と楽しそうですなぁ。何を期待されているか分かりませんが、それでは信じられませんな。とりあえず、何もしないものが大勢居られても迷惑ですからな。お引取り下さい。オルティス、お見送りして差し上げてくれ」
バセットはそれ以上親族達に有無を言わさない。オルティスに追い立てられるようにして彼らはしぶしぶ館から引き上げていった。
フロリエを居間に残し、エドワルドはグロリアの寝室に入った。寝台にはグロリアが横たわり、その脇にクララが控えている。エドワルドが部屋に入ると、彼女は頭を下げて静かに退出する。
「叔母上、エドワルドでございます」
寝台の側に跪くと、彼は静かに語りかける。グロリアはゆっくりと目を開け、彼の姿を見て微笑む。
「エドワルド……心配…かけたね」
いつもの彼女と違い、弱々しい声で語りかけてくる。
「ご回復されるのを信じておりました」
「そなたに……頼みが……あるのじゃ……」
「何でございましょう?」
グロリアは寝台脇の棚を見る。
「2段目……じゃ」
彼女の指示に従い、エドワルドが2段目の引き出しを開けると、中にフォルビア家の紋章の入った封筒が入っていた。彼はそれを取り出して彼女に見せる。
「それを、皇都へ……。陛下へ、お渡し…しておくれ……」
「急がれるのですね?」
「妾の…命があるうちに」
エドワルドは言葉に詰まった。
「そなた達の、幸せの為じゃ」
「叔母上?」
「あの娘を……妾の、娘とする。これで……」
グロリアはそこで咳き込んでしまう。慌ててエドワルドは彼女の背中をさする。
「これで……あの娘の懸念も……」
「叔母上……」
エドワルドは思わず涙を流していた。グロリアはフロリエを養女とし、彼女の身元を保証するというのだ。これで安心して彼女を娶れと……。
「これ、泣くでない」
グロリアは精一杯笑おうとしている。エドワルドは彼女の心遣いに胸が一杯になった。
「分かりました。一番早い奴に頼みます」
彼女は満足そうにうなずいた。エドワルドは涙を拭くと、グロリアの寝室を後にした。居間に出ると、バセットとクララ、そしてフロリエとオルティスが待っていた。
「バセット、疲れているところをすまないが、もう少し叔母上についていてくれるか?」
「もちろんでございます」
彼はそう答えると、クララと共にグロリアの寝室へ入っていった。
「オルティス、ロベリアに戻らねばならない。準備を頼む」
「かしこまりました」
オルティスは頭を下げると居間を出て行く。これで2人きりになってしまった。フロリエは少し落ち着かない気持ちで立ち上がる。
「フロリエ、このような時だが、君の気持ちを聞かせて欲しい」
「殿下、それは……出来ません」
俯いてしまった彼女をエドワルドは抱きしめた。
「私は貴女の事が好きだ。愛している」
「……」
「私は本気だよ」
フロリエは答えない。彼の腕の中で少し震えている。するとドアの外でオルティスがグランシアードの準備が整った事を告げに来た。彼はため息をつくと彼女を離した。
「ロベリアに戻らねばならない。叔母上の事、頼みます」
エドワルドはそう言うと、彼女の頬にキスをして居間を出て行った。1人残ったフロリエは力が抜けたようにソファに座り込む。彼に抱きしめられた上に頬に口づけたれた感触がまだ残っていて心臓が高鳴っている。
春に始めて会った時からずっとあこがれていた。それで終わらせるつもりでいたが、どんどん異性として意識してしまう。立場を自覚しているだけに彼から告白されてもうれしいどころか苦しいだけだった。彼女はその場でしばらく泣いていた。
フォルビア所属竜騎士のボヤキ
何ぃ、今から女大公様の所へ連れて行けだって!?
こっちは討伐から帰ったばかりなんだぞ!
何考えてんだ、あのお気楽上司達は!