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群青の空の下で  作者: 花 影
第1章 群青の騎士団と謎の佳人
38/156

36 その想いの行方1

 エドワルドが負傷して1月余り経った。フロリエによる献身的な看護により、受けた傷もだいぶ回復して動き回れるようになっていた。彼は復帰を目指して落ちた体力を回復すため、雪の積もった庭を娘と共に散策するのを日課にしていた。

「父様見て!」

 コリンシアが指した先を見ると、曇った空を背にして黒い飛竜が飛んでくるのが見えた。グランシアードも毎日、運動不足解消のために総督府と館を往復している。アスターからの報告書によると、討伐に行き会った時には、飛竜は率先して戦闘に参加し、そして時には番に会いにフォルビア正神殿にまで足を延ばしているらしい。

「帰って来たな。表に回るか?」

「うん!」

 コリンシアが返事をすると、2人は手を繋いで庭を横切っていく。積もった雪が所々凍っていて、滑り止めがついたブーツを履いていても滑りそうになる。コリンシアはそのすべる感覚が楽しいらしく、ワザと凍ったところを選んで歩く。

「面白いー」

「ほら、転ぶぞ」

 エドワルドは左手で娘の手を握っていたが、娘がバランスを崩しそうになるたびにつられて転びそうになる。それでもどうにか転ばずに玄関前に出ると、ちょうどグランシアードが降りてきたところだった。

「おかえり、グランシアード」

 エドワルドの姿を見て、黒い飛竜は嬉しそうに近寄ってくる。

「楽しかったか?」

 グランシアードは嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らす。エドワルドが長く寝込んでいたので、こうして会えるようになったのが嬉しいらしい。手袋を外してひとしきり頭を撫でてやってから、娘と共に厩舎へ連れて行く。

「あ、すみません、殿下」

 厩舎ではティムがグランシアードの寝藁ねわらを取り換えたところだった。

「いや、礼を言うのはこっちだ」

「これが仕事ですから」

 少年はニコニコしながらグランシアードの防寒具を手慣れた様子で外していく。エドワルドは右腕がまだ思うように動かせない為、総督府から送ってきた書類の束が入った荷物を受け取ると、後はティムに任せた。その間、コリンシアは敷いたばかりの寝藁に寝ころんで遊んでいる。

「グランシアードが寝る前に汚れてしまうぞ」

「グランシアード、いいでしょ?」

 父親に注意されると、コリンシアは飛竜に尋ねる。彼はずっと機嫌よくゴロゴロと喉を鳴らしていた。

「こちらにおられましたか」

 そこへフロリエが厩舎に姿を現す。彼女が付きっきりで看病してくれることは無くなったので、エドワルドはこうして姿を見かけるのが嬉しくて仕方がない。

「ママ・フロリエ、楽しいよ」

 藁の中で寝転がっているコリンシアがフロリエも誘う。

「藁が少なくなって、グランシアードがゆっくり眠れませんよ」

「そうかな?」

 コリンシアが暴れたおかげで藁が辺りに飛び散っている。

「困るのはグランシアードだけではありません。折角ティムが綺麗にしたのに、またお掃除をしないといけません」

「あ……」

 コリンシアはフロリエに指摘され、外套がいとうに藁屑をたくさんつけたまま飛竜の寝床から出てきた。

「大丈夫ですよ、姫様。掃除をしておきますから」

 ティムがグランシアードの防寒具を片付け、ほうきを手にして戻ってきた。フロリエはコリンシアの外套についた藁屑を手で払い落す。

「コリンも少し手伝いなさい」

「はーい」

 父親に言われ、姫君はティムと一緒に散らかった藁を片付け始める。今度はその様子を楽しそうに見ているエドワルドにフロリエが注意する。

「殿下、あまり薄着でおられますと、今度はお風邪を召されます」

「この程度の寒さは気にならない。今日はまだ暖かい方だ」

 困った様に表情を浮かべるフロリエにエドワルドは笑みを浮かべそうになる。とにかくかまってもらえるのが嬉しいのだ。

「お体はまだ弱っておられます」

「心配性だな」

 フロリエは自分の肩にかけていたストールを外すと、細長くたたんでエドワルドの首に巻き付ける。彼女が身にまとう香りがわずかに鼻孔をくすぐる。彼は笑って彼女の好きにさせた。

「終わった」

 そうしている間に散らかった藁の掃除が終了していた。

「はい、お疲れ様。それではおやつにしましょう」

「はーい」

 フロリエの言葉にコリンシアは喜んで彼女の手を取り厩舎を出て行く。

「走ると転びますよ」

 コリンシアに手を引かれながらフロリエは苦笑する。その後ろ姿をエドワルドはグランシアードの頭を撫でながらぼんやりと見送った。

「殿下?」

 動こうとしないエドワルドをティムは不思議に思って声をかける。彼は驚いたように振り向く。

「ああ、何だ?」

「いえ、行かれないのですか?」

「そうだな、お茶でも飲んでこよう」

 最後にグランシアードの頭をポンポン叩くと、エドワルドも厩舎を出ていく。服についた藁屑を払い、脱いだ外套と書類をオルティスに頼んで部屋に運ばせ、手を洗ってから居間に行くと、コリンシアは既におやつの焼き菓子にかぶりついていた。今日の焼き菓子もオリガのお手製である。

「おや、遅かったね」

 エドワルドが入っていくと、茶器をテーブルに戻したグロリアが声をかける。

「いえ、グランシアードをかまっていましたので」

 エドワルドもいつもの席に座り、フロリエがれてくれたお茶を口にする。向かいに座る彼女は、隣に座るコリンシアに何かと世話をやいており、その光景はいつ見ても微笑ましく感じる。

「父様、これ、凄くおいしい」

 口の周りに食べかすをつけたまま、コリンシアがおかわりをしている。その傍らではルルーが干し果物に夢中でかぶりついていた。エドワルドも焼き菓子を1つ取り分けてもらい、お茶と共に味わう。

「そう言えばエドワルド、皇都より見舞いの文が届いておったが、目は通したのかえ?」

 グロリアがふと思い出したように話を振る。エドワルドの負傷は使い竜に運ばれた伝文によって伝えられていた。国主アロンやハルベルト、ソフィアといった身内からだけでなく、彼自身も顔を知らないような貴族や竜騎士からもたくさんの見舞いの文が届いていた。もちろん、ロベリアやフォルビア、そしてその近郊からも多数届き、彼の部屋の隅にはそういった文を入れるかごを用意してあるのだが既に山盛りとなっている。

「半分は目を通しました」

「おや、まだ半分かえ?」

「半分は見舞いではなく見合いですね」

 エドワルドは少しうんざりした様子で答える。長く付き合っていたエルデネートと別れたことが知れ渡っており、本気で彼が結婚相手を探していると噂されているらしい。近しい縁者に若い娘を持つ有力者はこぞって娘の名を書き連ねた文……時には絵姿も入れて送ってきているのだ。

「おやおや……ご苦労な事じゃの」

 グロリアには他人事なので面白がっているが、エドワルドは大きくため息をついた。

「ねぇ、ママ・フロリエ、見合いって何?」

 コリンシアが不思議そうに傍らにいる彼女を見上げる。

「コリンに新しい母親を作ってはどうかと皆が勧めているのだよ」

 フロリエが答えに詰まっていると、横からエドワルドが説明する。どうやらそれで納得できたらしく、小さな姫君は大きく頷く。

「だったらコリンは、ママ・フロリエがお母さんになってほしい」

 お茶を飲みかけていたエドワルドは思いっきりむせ返り、フロリエは真っ赤になって慌てる。

「コリン様、それは……。殿下、大丈夫ですか?」

 フロリエは内心の動揺を隠すために立ち上がると、咳き込んでいるエドワルドの側に行って背中をさする。そしてオルティスが乾いた布を持って来てくれたので、それで零したお茶を拭くが、エドワルドの服には染みが出来てしまった。

「大丈夫か? エドワルド」

「はい……どうにか……」

 グロリアが心配そうに声をかける。エドワルドはようやく咳が治まり、オルティスが差し出してくれた水でどうにか喉を潤す。

「コリン、いけないこと言ったの?」

「そうじゃないよ」

 安心させるために笑いかけるが、少しひきつっている。

「いいですか、コリン様。コリン様のお母様、つまりお父上の奥方になられるお方はしっかりとした後ろ盾のある、皇家の一員に相応しい方でないと勤まりません。もちろん、お父上のお気持ちも大事です」

 フロリエがコリンシアの側に戻って諭すように話しかける。

「父様はママ・フロリエといると楽しそうだよ。それではダメなの?」

 エドワルドはまたむせそうになるが、どうにかこらえる。

「私では無理でございます」

 フロリエは少し寂しげに微笑む。

「コリンや、フロリエを困らせてはならぬ」

 更に何かコリンシアが言おうとするのをグロリアが窘める。

「はーい」

 姫君は少し不服そうだが、これ以上質問攻めにするのをあきらめた。

「ちょっと、着替えてまいります」

 会話が落ち着いたところでエドワルドは席を立つ。コリンシアの言葉が引き金になり、フロリエを意識しすぎて気まずくなりそうだった。とにかく頭を冷やそうと、逃げるように居間を後にしたのだった。




 翌日はバセットが往診に来た。冬至を過ぎると討伐要請も減り、比較的余裕があるのか、今日彼を連れて来たのはルークだった。妖魔の巣を破壊できたのも一つの要因かもしれない。

 久しぶりにルークと会えたオリガは、嬉しさのあまりその場で泣き出してしまい、それを困った様に彼はなだめていた。

「オリガは本当に心配していたからなぁ……」

 エドワルドの寝室で、右肩の包帯を解いてもらいながらエドワルドは苦笑する。

「日頃から鍛えておりますし、若いですからな。西の砦からケビンが応援に来ておりましたし、彼もゆっくりと休めたおかげで怪我の治りも早かったようです」

 バセットが薬を用意しながら答える。グランシアードを散歩がてらに総督府と往復させているので、討伐の状況はアスターからマメに手紙を貰って把握している。ルークからも短いながらも手紙が来る事があるので、オリガに渡してやっていたのだが、彼女としては本人に会えてやっと安心できたのだろう。

「さて、殿下の方はどうでしょうかな?」

 フロリエによって包帯と当て布が外されて患部が露わになる。傷口は塞がったものの、まだ再生した皮膚は薄く、無理に動かしたり強く押したりすると痛みがある。右手にしびれも若干残っていて、細かいものをつかむのが難しい。

「まだ無理は禁物ですな。ただ、指先を動かす努力はなさってください。何か小さなまりのようなものをにぎる事から始めてみてはいかがですかな?」

「分かった」

「飲酒も控えて下さいよ」

「う……」

 時折、我慢できなくなってこっそり部屋で飲んでいるのがばれているらしい。バセットは笑いながら患部を消毒して軟膏なんこうを塗り込み、当て布をして包帯を巻き始める。フロリエは一安心といった様子で2人のやり取りをながめている。

「あと、女大公様ですが、少しお疲れが出ているようです。用心なさってください」

「叔母上が?」

「さよう。心労が重なっておられる故、持病が悪化しておられます。ご存知とは思いますが、次に大きな発作が起きれば命に係わります。気丈な方でございますから、ご自分から弱みを見せるような真似はしないでしょう。ですから、それとなく気を付けて下さい」

 エドワルドを診察する前に、グロリアの診察を済ませていたバセットが声を潜めて言う。彼女がここまで来る事は無いが、念を入れての事だろう。

「そんなに良くないのですか?」

 今まで黙って話を聞いていたフロリエが口を挟む。

「正直、楽観はできないかと。色々とございました故、かなりご負担がかかっておられるようです。オルティスにも伝えて無理をなさらないよう協力なさってください」

 包帯を巻き終えたバセットは道具を片付け始める。フロリエはエドワルドの着替えを手伝い、それが済むと2人にお茶を用意する。

「女大公様にもご提案申し上げたのですが、弟子の1人をこちらへ呼ぼうと思っております。やはりお側に医師が控えておった方がよろしいかと思いまして、ロベリア北砦に駐留している女性医師を呼んでおります。情にあつい性格ゆえ、リューグナーの二の舞にはならないと思います」

 その後の調べでリューグナーは、薬の横流しだけでなく、情報料と引き換えにラグラス達フォルビアの有力者へグロリアの動向を流していたらしい。夏の誘拐騒ぎの折も彼が情報提供していたという見方が強まっている。

「そうだな。その方が助かる」

 エドワルドは頷くと、フロリエの入れたお茶を飲む。この後はルークがもってきた書類に目を通す予定なので、バセットも長居はせずに席を立った。

「まあ、顔を揃えられた時にはなるべく明るい話題を出すようにしてください。病は気からとも申しますからの。では、失礼いたします」

 バセットはお茶を飲み干すと早々に部屋を出ていく。一時期よりは余裕があるとはいえ、まだまだ油断できない状態なので竜騎士を長時間引き留めておくわけにはいかない。恋人と語らっているルークには悪いが、すぐに総督府へ戻らなければならない。

 フロリエも汚れ物をまとめて入れた籠を持つと、エドワルドの頭を下げて後に続いた。彼は残りのお茶を飲み干すと、窓際の机に向かって書類に目を通し始めた。




 書類の大半に目を通して署名を済ませたエドワルドは、一息入れるためにお茶の用意を頼んだ。ふと、窓の外を見ると、また雪が静かに降り積もっている。伸びをして新鮮な空気を吸う為に窓からバルコニーに出てみた。少し寒いが気持ちよく、しばらくその場で暮れゆく外の景色を眺めていた。

「殿下、お風邪を召されます」

 慌てたような声に振り向くと、フロリエが立っていた。どうやらお茶を用意してきたものの、エドワルドの姿が見当たらずに探していたようだ。慌てて中から綿の入った上着を持って出てくる。

「昨日もご注意申し上げたのに……」

 彼女は心配そうに近寄ると、頭一つは優に違う彼の肩に上着を着せ掛ける。彼女の必死な姿に思わず笑みがこぼれる。

「わかった、わかった」

 上着のボタンを彼女は留めようとしているが、かじかんでうまく指が動かせないでいる。エドワルドはその手を左手で掴んでみると、氷のように冷えていた。

「殿下?」

「随分冷えている」

 エドワルドはその手を自分の口元に近づけてキスをする。触って気付いたが、その手は荒れていて、あかぎれとなっているところもある。自分の看病をするのにも随分と水を使っていた。それで手が荒れたかと思うと、一層彼女が愛おしく感じる。

「あ……」

「君には感謝している」

「いえ……私の方こそ……」

 エドワルドに見つめられ、フロリエは恥ずかしくなってうつむく。

「何にでも一生懸命な君が好きだ」

「殿下?」

 フロリエは驚いて顔を上げる。するとエドワルドは彼女のあごに左手をえてそっと唇を重ねる。

「!」

 フロリエはエドワルドの手を振り払い、彼の側から離れた。

「……お許しください」

「フロリエ」

「お気持ちを混同なさってはいけません」

 エドワルドをいさめる声は震えている。

「本気だ。コリンも望んでいる事だ」

「それ以上は仰らないでください」

「何故?」

「私は……私は……」

 彼が近づこうとすると、彼女は首を振って後ずさりする。

「私は君の事が好きだ。気持ちを聞かせてくれないか?」

「だめです」

 彼女はそれだけ言うと、逃げるようにバルコニーから部屋へ戻っていった。

「フロリエ!」

 彼は後を追ったが、既に彼女は部屋からも出て行った後だった。確かに性急すぎたかもしれないが、気付いてしまった自分の気持ちをこれ以上抑える事が出来なかった。エドワルドは大きくため息をついた。




 その夜の夕食はなんだか寂しいものとなってしまった。まずは夕食の時間になってもフロリエが姿を現さなかった。

「ママ・フロリエは?」

 様子を見に行ったオリガが腕にルルーをのせて戻ってくると、心配そうにコリンシアが尋ねる。

「少し気分が優れないそうで、夕食は欲しくないそうです。ルルーだけでも何か食べさせてほしいと仰せでございました」

 オリガは困惑した表情を浮かべながら、小竜をフロリエの席に降ろす。

「風邪ひいたのかな?」

「疲れが出たのかも。のう、エドワルド?」

 グロリアが問うが、彼は心ここに有らずといった状態である。先ほどから何度目かのため息をついた。

「はい?」

 遅れて自分に話しかけられたことに気付いて間の抜けた返事をする。

「まあ、良い。食事にしよう」

 グロリアは苦笑すると食前の祈りの言葉を口にする。エドワルドもコリンシアもそれに習い、祈りを捧げて食事を始めた。

 しかし、エドワルドも食欲が無いようで、フォークで料理を突くものの口まで運ぶのはわずかだった。加えてため息ばかりするものだから、グロリアもコリンシアも話しかけるのを躊躇ためらう。

「おばば様、父様どうしたのかな?」

「あれにしては珍しい病にかかっておるの」

 心配そうなコリンシアに対し、グロリアは至って楽しそうである。

「父様病気なの?」

恋煩こいわずらいじゃ。しばらくそっとしておあげ」

「おねんねしなくていいの?」

「どうかしらねぇ」

 グロリアの答えにコリンシアはますます心配になる。しかし、食後はグロリアの助言に従い、すぐにオリガに手を引かれて自室に戻っていった。

 エドワルドは居間に移ると、すぐにオルティスにワインを頼む。

「おや、酒は控えよと言われたのではなかったか?」

 グロリアは可笑しそうに声をかけるが、エドワルドは杯に注がれたワインを一気にあおる。

「今日は飲ませて下さい」

「失恋のやけ酒かえ?」

「ぐ……」

 どこまでも鋭いグロリアにエドワルドは返す言葉も無い。

「普通に口説いたところであの娘はなびかぬ。性急すぎたのじゃ」

「……」

 当たっているだけに言い返す言葉もない。出るのはため息ばかりで、手酌で杯を満たすとそれを飲み干した。逆にグロリアは、実に楽しそうにエドワルドを眺めている。

「今まで散々遊んできたのじゃ。お手並み拝見といこうかの」

「……楽しそうですね」

「当たり前じゃ。他人事じゃからの」

「……」

 エドワルドはまた自分で杯を満たし、それを流し込むようにして飲み干した。

「そんなにあの娘に惚れたのかえ?」

「……はい」

「同情や感謝の気持ちではなく?」

「違いますよ」

 それだけははっきりと断言できた。

「ま、せいぜいお気張りなさい。2人とも妾が口出しするほど子供ではないからの。成り行きを楽しませてもらおうかの」

 グロリアはそう言い置くと席を立ち、自分の部屋へ向かおうとする。

「叔母上、明日ロベリアに帰ります」

「おや、あの娘をあきらめるのかえ?」

「頭を冷やしてきます」

「それも良かろう……」

 グロリアは頷くと居間を出て行った。1人残ったエドワルドはその後もしばらく間、1人で杯を傾けた。




 翌早朝、エドワルドは身支度を済ませて部屋を出た。そして新しいフロリエの部屋の前に来ると、昨夜のうちに書いた手紙を扉の隙間に滑り込ませる。左手で書く上に、ルルーを通して読みやすいように大きめの文字で簡潔に、無理に唇を奪った詫びと己の本心をつづってあった。彼は一度部屋の扉の前で頭を下げると、グランシアードが待つ玄関先へと向かった。




 総督府に着くと、何の前触れも無く1人で現れたエドワルドに皆驚いた。そんな事は気にせず、まず向かったのは竜騎士達が待機している休憩室だった。

 着場で聞いた話では、一時ほど前に討伐を終えて帰ってきたところらしい。疲れて休んでいるかもしれないが、様子を見ようと向かっていると、なんだかものすごく賑やかである。

 そっと扉を開けて入ってみると、中央に置かれたテーブルの向こう側でアスターとマリーリアが口論している。他の竜騎士達はテーブルの周りの椅子に腰かけ、呆れたように2人を眺めている。心境としては「早く終わらないかなぁ」といったところだろう。

「!」

 最初に気付いたのはルークだった。慌てて立ち上がろうとするのをエドワルドは身振りで抑える。他の竜騎士達も次々気付くが、同様に身振りでそのまま座っているように指示した。

「だから、出るのが早すぎたのだ」

「この間は遅いと怒るから早く出たの!」

 アスターとマリーリアはまだ気づかずに口論している。

「何が原因だ?」

「いつもの事です」

 エドワルドは空いている席にそっと座ると、隣のジーンに小声で話しかける。呆れた様子からあの2人が一緒に出撃すると、毎回同様の事で言い争いをしているのだろうと容易に想像できた。

 いつもは冷静なアスターにしては珍しく、感情的な言葉の応酬おうしゅうになっている。相手がマリーリアだからそうなるのだろうか?

「指示を出しているだろう?」

「あんな指示じゃ分からない!」

「いい加減、慣れろよ」

「無理言わないで!」

「だったらついて来るな」

「それじゃいつまでたっても分からないでしょ!」

 どうやら堂々巡りのようだ。聞いているうちにエドワルドは段々おかしくなってくる。そのうちにこらえきれなくなってつい笑いだしてしまう。

「!」

「殿下!」

 やっと2人はエドワルドの存在に気付く。

「もうよろしいのですか?」

「もしかして、1人でお戻りに?」

 エドワルドの側に2人は駆け寄る。

「もうお終いか? なかなか見ものであったが……」

「え?」

 2人は固まってしまう。

「寝ているのも飽きた。こちらにいた方がが多少なりとも出来る事があるだろうと思って戻ってきた」

 そこへ休憩室の扉が乱暴に開き、バセットが入ってきた。おそらく侍官から聞いて慌ててやってきたのだろう。

「殿下、無理はなさるなと申し上げたはずですが?」

 彼は少しとがめるように尋ねてくる。

「大丈夫だ。気になるならまた後で診てくれ。執務室にいる」

 エドワルドは立ち上がると、バセット共に部屋を出ていく。竜騎士達は立ち上がって彼を見送る。

「団長、なんだか元気ないわね」

 ジーンが呟く。

「まだ完全に回復されたわけでないから当然だろう」

 アスターはそう答えると自分の席に座り、すっかり冷めてしまったお茶で喉を潤す。

「昨日会った時と感じが違う気がするのですが……」

 前日にグロリアの館へ行ったルークは自信なさ気に呟くが、館に滞在中はずっとオリガといたのであまりエドワルドの印象が残っていない。ただ、なんとなく覇気はきが感じられないのは確かだ。

「あれから何かあったのかな……」

 近いうちに館へ行く機会があれば、オリガに聞いてみようとルークは思ったのだった。




 一方、グロリアの館では、エドワルドが総督府へ戻った事を知ったコリンシアが泣いていた。

「父様……何も言ってくれなかった」

 父親が彼女に何も言わずに帰ってしまった事にショックを受け、朝ごはんも食べようとしない。

「コリン様……」

 彼が館を出て行った原因が自分だと分かっているフロリエは、後ろめたい気持ちを抱えながら小さな姫君を抱きしめていた。

 今朝、扉の隙間から入れられた彼からの手紙に彼女は胸を打たれたが、だからと言ってその気持ちに応える勇気はなかった。

 エドワルドが次代の国主に望まれている事を彼女はグロリアから聞いて知っていた。好きなだけではどうにも出来ない事がある。身元も分からない上に目も見えない自分がその相手に相応しいとは思えなかったのだ。

「父様、ひどいよぉ」

 コリンシアはまだ泣いている。フロリエは何も知らない姫君を抱きしめてやる事しかできなかった。

あーあ、折角告白してもがっつくから逃げられちゃったじゃない。

前回上げた株が台無しだよ、エドワルド。

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