33 責任の在り処1
エドワルドは生死の境を3日間さまよっていた。高熱が続いて意識が戻らず、フロリエとバセット、オルティスが交代で看病を続けていた。特にフロリエは、不安がるコリンシアの世話もしながら殆ど不眠不休で働いた。
「フロリエさん、あまり無理をしてはいけない。少し休んでくるといい」
バセットが薬を練りながらそんなフロリエに声をかける。
「ですが……」
「貴女まで倒れてしまったら、コリン姫が余計に心配なさる」
バセットは優しく諭す。
「分かりました。そろそろ薬を代える時間です。済みましたら少し休んできます」
「そうしなさい。手伝おう」
2人は薬の乾燥を防ぐために覆っていた紅薄荷入りの水で濡らした布をとると、薬を塗りつけた当て布を剥がしていく。エドワルドの腕は運び込まれた時に比べると、幾分毒が抜けたようでだいぶ色が薄くなり、腫れも引いてきている。バセットが特別に調合した軟膏薬と、一日に3回飲ませている金紋蔓の根を煎じた薬が良く効いているようだ。
「う……」
布を剥がす時に痛みが生じたのか、エドワルドが低く呻いて目を開ける。
「殿下……」
フロリエが真っ先に気づいて彼の顔を覗き込む。
「……フロ…リエ?」
状況を把握できないエドワルドは視線を宙に彷徨わせる。発熱と毒の影響により寝ていても眩暈がするのだろう。
「ここはグロリア様のお館です。グランシアードとマリーリア卿が殿下を運んでこられました」
混濁していた記憶が甦る。
「そう……か。マリーリアは……無事だった…の…だな?」
「はい。妖魔も巣も無事に除去できたそうです」
フロリエの言葉にエドワルドはほっと息をつく。彼女は安堵の涙をこらえながら、濡らした布で彼の額に浮かぶ汗を優しく拭っていく。
「腕が……重いな……」
フロリエの涙に気づき、いつものように腕を伸ばそうとしてそれがかなわず、エドワルドは呟く。
「紫尾の爪にやられましたからな。今はとにかく、傷を治すことに専念なさってください」
バセットが新しい薬を手際よく張り付けながら口を挟む。エドワルドは彼がいる事に驚く。
「バセッ……ト?」
「後々説明致すが、いろいろありましてな。わしがいた方が良かろうと判断したのじゃ。尤も、殿下が助かったのは、こちらのお嬢さんのおかげだが」
傷口を覆うように万遍なく貼れたところで、今度は乾燥防止の紅薄荷の水で濡らした布で覆っていく。
「そうか……礼を…言わねば」
フロリエは首を振り、金紋蔓の薬湯を小さな器に少量移す。
「いいえ……。殿下には言葉に尽くせぬ程の御恩がありますから……。こちらをお飲みになって下さい」
彼女はエドワルドの頭を少し起こし、薬の入った器をそっと彼の口に当てる。彼がそれを飲み干すと、頭を優しく枕に戻す。そして乾いた布でこぼれた薬を拭き、別の布を湿らせて彼の額にのせる。
「すまない」
「今はゆっくりお休みになって下さい」
そのフロリエの言葉に後押しされるように、エドワルドは再び目を閉じて眠りについた。世話をしてくれる彼女の手を心地よく感じながら……。
エドワルドの意識が戻ったというニュースは、館の中のみならず、総督府にもすぐ伝えられた。ちょうど討伐を終えて帰ってきたところにその知らせを聞き、竜騎士達は抱き合って喜び合ったのだった。
しかし、それから数日経ってもエドワルドの熱は下がらず、朦朧としている状態が続いていた。軍医でもあるバセットは討伐の疲れも出てきたためだろうと診立てていた。
この日マリーリアはグロリアの館を訪れた。午前中に西部での妖魔討伐に参加し、アスターの許しをもらってエドワルドに会いに来たのだ。
手には長剣を一本携えている。紫尾の女王と遭遇した時にエドワルドが落としていた長剣だった。アスターが回収していたその長剣をマリーリアが預かり、空いた時間に怪我で休養中のルークにコツを聞きながら手入れを施していたものだった。
「これはマリーリア卿。よくおいで下さいました」
カーマインから降りた彼女をオルティスが出迎え、すぐにティムが飛び出してきて飛竜を預かってくれる。マリーリアはグロリアへの挨拶もそこそこに済ませると、2階への案内を頼んだ。
「お怪我の方は徐々に良くなられておいでのようですが、お疲れからなかなか熱が下がらないご様子です」
部屋の前まで案内すると、オルティスは頭を下げて階下へ降りて行った。マリーリアは深呼吸するとドアを叩く。すると、疲労が色濃く滲み出ているフロリエが出てきた。
「マリーリア卿……」
「殿下のご様子は如何ですか?」
「今はお休みになられています。中へどうぞ」
フロリエはエドワルドの寝室へマリーリアを招き入れる。寝台にはあの日と同じようにエドワルドが横になっている。その寝顔にはあの時のような苦しげな様子は見られない。
熱が下がらないのは心配だが、それでも回復の兆しを確認出来てマリーリアはほっとする。そして携えてきた長剣を壁際の飾り棚の上に置いた。
「なかなかお熱が下がりません。バセット医師が手を尽くして下さっているのですが……」
「そうですか」
マリーリアとしては直接エドワルドに謝罪したかったため、話が出来ないのは非常に残念だった。エドワルドの命令に従って逃げた青銅狼を追うのを止めていれば……。あの時、カーマインをちゃんと制御できていれば……。そして何より我儘を言ってロベリアに来なければエドワルドが負傷する事は無かったのだ。
「よくお休みのようですから帰ります。ですが……その前にあなたにお礼を言いたい」
マリーリアはフロリエに向かって頭を下げるが、彼女は不思議そうに首を傾げる。
「私に……ですか?」
「はい。私の所為で殿下は負傷されました。あなたが……あなたが適切な処置をして下さったおかげで彼は助かったのです。私の失態で取り返しがつかなくところをあなたが救って下さったのです。本当に……お礼申し上げます」
マリーリアは深々と頭を下げた。
「頭を上げて下さい、マリーリア卿」
フロリエは慌てて彼女を止める。
「殿下は目覚められた時に、真っ先にマリーリア卿の事を気にかけられ、無事だと分かると安堵しておられました。先日もご自分を責めていないだろうかと仰せでした」
「殿下が?」
「はい」
マリーリアの目から涙が溢れる。それをフロリエがそっと拭ってくれる。
「ありがとう……でも、あなたは恩人です」
フロリエは首を振る。
「皆様が動いて下さったおかげです。それに……落ち着きのなかったルルーを制御して下さったのはマリーリア卿です。そのおかげで処置もできました」
「フロリエさん……」
「目が見えぬ身が、あの時ほど恨めしく思った事はありませんでした」
俯くフロリエにマリーリアは何と声をかけていいか分からず、言葉に詰まる。
「……マリーリア…来たのか?」
寝ているエドワルドに気を使って小声で話をしていたが起こしてしまったようだ。まだ体を起こせない彼は顔をこちらに向けている。
「起こしてしまい、申し訳ありません」
マリーリアは慌てて頭を下げる。フロリエはエドワルドの側に行き、彼の額に当てていた布を水に浸して絞り、汗を拭う。
「構わない……。水をくれるか?」
エドワルドの要望に、フロリエはさっと水差しから器に水を注ぎ、彼の頭を優しく起こして口に当てる。発熱の為に喉が渇くのだろう、彼はすぐにそれを飲み干した。
「マリーリアと話がしたい。少し外してもらえるか?」
優しく枕に頭を戻し、こぼれた水を拭いてくれるフロリエにエドワルドは頼む。
「かしこまりました」
フロリエは頭を下げると、静かに部屋を出て行った。
「……マリーリア…来たのか?」
寝ているエドワルドに気を使って小声で話をしていたが起こしてしまったようだ。まだ体を起こせない彼は顔をこちらに向けている。
「起こしてしまい、申し訳ありません」
マリーリアは慌てて頭を下げる。フロリエはエドワルドの側に行き、彼の額に当てていた布を水に浸して絞り、汗を拭う。
「構わない……。水をくれるか?」
エドワルドの要望に、フロリエはさっと水差しから器に水を注ぎ、彼の頭を優しく起こして口に当てる。発熱の為に喉が渇くのだろう、彼はすぐにそれを飲み干した。
「マリーリアと話がしたい。少し外してもらえるか?」
優しく枕に頭を戻し、こぼれた水を拭いてくれるフロリエにエドワルドは頼む。
「かしこまりました」
フロリエは頭を下げると、静かに部屋を出て行った。
「殿下、申し訳ありませんでした」
フロリエが出ていくと、マリーリアは寝台の脇に跪く。
「アスターに怒られたか?」
「はい」
左の頬は既に腫れは引いているが、あの痛みは忘れられない。
「あいつも案外短気だからな。容赦がなかっただろう?」
「……はい」
「手を上げたか?」
俯くマリーリアにエドワルドは一つため息をつく。
「……今回の件、根本的な問題は何かわかるか?」
寝台に横たわったまま、未だに自力で体を起こすこともできないエドワルドは天井を見上げている。
「……私が団長である殿下の命令を聞かなかった事です」
マリーリアは震える声で答え、俯く。あの時自制していれば、カーマインも怖い思いをさせずに済んだのだ。
「違うな」
「……え?」
「個人云々の話ではない。皇都を守る第1騎士団と違い、地方は竜騎士の比重が少ない。その分、騎馬兵団に頼らざるを得ないが、昔はここまで少なくなかった」
しゃべるだけでも疲れるのだろう。エドワルドは一度言葉を切ると、大きく息を吐いた。
「飛竜は国の財産故、わが国では本来、竜騎士は国に仕えるものだった。各貴族の所領も騎士団の分隊が駐留して妖魔に備え、領主が直に竜騎士を雇う事は無かった。
領内に竜騎士を駐留させる……それは領主の不正を抑える役割もあったからだ。だが、それを覆した者がいる。誰か分かるか?」
エドワルドに問われ、マリーリアはまさかと思いながらも、心当たりのある人物の名を上げる。
「父……ワールウェイド公ですね?」
「そうだ」
エドワルドははっきりと肯定する。
「叔母上が政治の表舞台から引いた後から、彼は少しずつ巧みに自分が思うように政を動かしてきた。竜騎士に関する事も最初は上限を設け、徐々にその数を増やしていった。当然、竜騎士も報酬が良ければそちらに移る。騎士団に所属する竜騎士が減っていくのは当然だろう」
口調が苦々しくなるのは当然で、そのとばっちりを一番受けているのが地方の騎士団を束ねる彼等だからだ。
「まだ、協力しあって討伐できるならいい。だが、領主達は自領で雇った竜騎士が領外の討伐に参加させるのを拒む。結局は自分達が良ければそれでいいのだ」
「……」
疲れたのだろう、エドワルドは言葉をきると目を閉じる。そのまま眠ってしまうのではないかと思い、もう帰ろうかと思い始めた頃に彼は再び目を開けた。
「今回の巣に関しても我等にもう少し余力があれば、あそこまで大きくなる前に除去できたはずだ。それに……討伐に不慣れな君等を前線に出すことも無かった」
「殿下……」
「マリーリア」
「はい」
改めて名前を呼ばれ、跪いたまま顔を上げると、エドワルドは首を巡らして彼女をじっと見つめる。
「カーマインは繁殖用だろう?」
「……どうして?」
マリーリアは血の気が引いていくのを感じた。
「竜騎士は飛竜の専門家でもある。気付くなと言う方が無理だろう」
「……」
「当然、兄上もご存知だ」
「そんな……」
マリーリアはパートナーを失うかもしれない事態にペタリとその場に座り込む。
「……心配するな。カーマインを取り上げるような真似はしない。前例もあるし、その辺はどうにかなるだろうと秋口に届いた兄上の手紙にも書いてあった」
「でも……」
父親とのあの賭けがある。カーマインが成熟するまでさほど時間は残されておらず、今の所、マリーリアが上級騎士になれる見込みは無い。むしろ今回の事でその望みは完全に断たれた。
背筋がゾッとしてくる。このままでは自分の意思とは無関係にカーマインと引き離され、歳の離れた相手に嫁がされてしまう。
「……いろいろ相談にのってやりたいが、今日はもうさすがに……」
長時間話をして疲れたのだろう、エドワルドは軽く咳をする。
「あ、すみません、気付かなくて……」
咳が収まると、先程のフロリエの見よう見まねで水差しの水を器に移し、エドワルドの頭を少し起こして水を飲ませる。慣れないせいか、零さないように飲ませるのが難しい。
「大丈夫ですか?」
「ああ。すまない」
まだ熱に苦しんでいるのが彼の体に触れると改めてわかる。できるだけ優しく枕に彼の頭を戻そうとするが、手慣れた人のようにはいかない。傷に響いたらしく、彼は少し苦しげに呻いた。
「すみません……」
「大丈夫だ」
マリーリアはエドワルドの額に浮かぶ汗をずり落ちていた布でふき、そして桶の水ですすぐと軽く絞って彼の額に当てた。
「……1人で抱え込むな。君がグスタフに何と言われたかまでは分からないが、アスターでもジーンにでも相談するといい」
「殿下……」
マリーリアは逡巡する。元々が公平な勝負で無い事は分かっていたが、本当にいいのだろうか?
「少し疲れた……。眠らせてもらう」
「はい……それでは失礼いたします」
エドワルドが目を閉じたので、マリーリアは頭を下げると静かに寝室を後にした。
カーマインの事をエドワルドだけでなくハルベルトまで気にかけてくれていた事実に、驚きながらも幾分気持ちが楽になった。いつかは抱えている全ての問題を曝け出すことが出来るだろうか?
「マリーリア卿」
物思いにふけりながら階段を降りようとしたところで、オリガに呼び止められた。
ちょうど、コリンシアの部屋から出て来たらしい。マリーリアはルークから手紙を預かっていたのを思い出す。
「オリガさん、ちょうど良かった。ルーク卿から預かりものです」
「彼は……大丈夫なのですか?」
マリーリアから手紙を受け取りながら、オリガは心配そうに尋ねる。
「ええ。昨日から討伐に復帰しています。あのハーブティーは出がらしになるまで飲んでいましたよ」
オリガはほんのりと頬を染めて手紙を胸に抱くと、遠慮がちに彼女が書いたものらしい手紙を取り出す。
「あの……これをお願いしていいですか?」
「いいですよ」
「体に気を付けてと……」
「分かりました」
マリーリアは快く応じると、手紙を受け取り、オリガに会釈してその場を離れる。そしてグロリアに一言挨拶をして館を後にした。
とにかく今は自分にできる事をしよう。マリーリアは改めてそう決意した
閑話 魔法の手
「ママ・フロリエの手は魔法の手なの。撫でてもらうとね、すぅーとするの」
コリンシアがそう言っていたのはまだ紅斑病で寝込んでいた頃だっただろうか。小さな姫君はこの時看病で付き添っていた父親にフロリエの素晴らしさを力説してくれたのだ。
子供の言う事だからと真に受けてはいなかったのだが、実際に看病される身になってみると、それはあながち間違いではなかったと気付かされた。
「今日のお加減は如何ですか?」
「お水をどうぞ」
「お薬をお持ちしました」
「痛みますか?」
優しい言葉と共に触れてくる手が心地いい。自分の方がずっと年上のはずなのについつい甘えてしまうが、彼女は嫌な顔一つせずに応じてくれた。
「おはようございます、殿下」
今朝は……バセットか。残念。
「殿下……」
「何だ?」
黙々と薬の交換をしていたバセットが不意に声をかけてくる。
「朝起きてすぐに声をかけたのがワシだと気づくとあからさまにがっかりするの止めてもらえませんかね?」
「……」
バセットは笑っていたので、苦情というよりも揶揄しているのだろう。だが……今朝の薬湯はいつもより心なしか苦かった。




