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群青の空の下で  作者: 花 影
第1章 群青の騎士団と謎の佳人
34/156

32 果たすべき役割

 エドワルドを抱えたグランシアードがグロリアの館に着くと、当然のことながら館の中は大騒ぎになった。先ずは意識の無いエドワルドをオルティスら男性の使用人3人がかりで彼の寝室になっている部屋へ運び込み、グロリアは離れに住んでいるリューグナーを侍女の1人に呼びに行かせた。

「私を庇って紫尾の爪を受けられました。総督府へ運ぶつもりでしたが、グランシアードがこちらへ運ぶと言うのでお連れしました。すみません……」

 マリーリアは泣きたいのを堪えながらグロリアに説明する。アスターに叩かれた彼女の左の頬は赤く腫れ上がり、それを見た古参の侍女が慌てて濡れた布を用意してくれた。彼女は今、頬にそれを当てて冷やしている。

 エドワルドは寝台に横たえられ、包んできた外套をオルティスが外す。処置を施す邪魔となる皮の鎧は繋ぎ目を切って外し、その下に着ていた衣服も切って右腕をあらわにすると、一同は思わず息を飲んだ。毒の爪を受けた彼の二の腕は紫色に変色して腫れ上がっていた。

「女大公様、リューグナー医師がおられません!」

 そこへリューグナーを呼びに行かせた侍女が慌てた様子で駆け込んでくる。

「何じゃと? このような時に……役に立たぬ!」

「そんな……」

 マリーリアは全身の力が抜けてその場に座り込んでしまいそうだった。このままではエドワルドが助からない。

「紫尾……殿下は紫尾の爪を受けられたのですか?」

 その場にいた全員の脳裏に最悪の事態が過ぎった時、意外なところから声がかかる。コリンシアを連れたフロリエが戸口に立っていた。後ろには蒼白な顔をしているオリガも立っている。

「はい」

「処置は?」

「香油を振りかけ、止血をしただけです」

 戸惑いながらマリーリアが答えると、フロリエは泣き出しそうなコリンシアをそこに残し、エドワルドが寝かされている寝台に近づく。そしてきっぱりとした口調で的確な指示を出す。

「先に傷口を洗って毒を出します。水をたくさん汲んできてください」

 エドワルドをここへ運ぶ手伝いをした下働きの男達が慌てて水を汲みに行った。

「当て布に使う清潔で柔らかい布がたくさんいります。用意して下さい」

「分かりました」

 オリガとリューグナーを呼びに行った侍女が応えて出ていく。

「オルティスさん、薬はどんなものがあるか分かりますか?」

「管理はリューグナー医師に任せて居りますが、私にも多少の知識はありますから、薬草庫を覗いてみましょう。どういったものをご入り用ですか?」

「解毒作用のあるもので、薬湯にして飲み薬に出来るものと、消毒用の紅薄荷が必要です。それから貴竜膏きりゅうこうも……応急処置として香油を多目に加えて練り直したもので手当てします。それから……小型のよく切れるナイフもお願いします」

「かしこまりました」

 オルティスも頭を下げると部屋を出ていく。てきぱきと指示を与えるフロリエの姿に、グロリアもマリーリアも唖然として見ているしかない。泣き出してしまったコリンシアに気づき、グロリアは小さな姫君を抱きしめた。

「きっと、エドワルドは助かりますよ」

「父様……」

 この先はあまり子供に見せていい光景ではない。自分にできる事は無いと分かっているグロリアは、そっとコリンシアを促して部屋の外へ出た。姫君は寝台に横たわる父親の姿を振り返りながらグロリアに手を引かれて部屋の外へ出て行った。




 ほどなくして使用人達が水を張った桶を手に部屋に戻ってきた。フロリエはエドワルドの腕に巻かれたままの布を解こうとするが、なかなかうまくいかない。

「ルルー、お願い、落ち着いて。良く見えないわ」

 興奮している小竜はしきりに体を揺らしている。おかげでフロリエは彼の目を借りようとしても焦点が合わせられない。

「貸して下さい」

 どう手助けしていいか分からず、壁際で傍観していたマリーリアが声をかけ、ルルーを抱き上げた。そして小竜の顔を自分に向け、その目を覗き込んで竜気を送る。ちょっと強制的に従わせることになるが、この際、非常事態なのでやむを得ないだろう。ルルーは興奮状態から抜けてようやく落ち着いた。

「ありがとうございます」

 フロリエは礼を言ってルルーを受け取ると、再び肩にとまらせる。小竜は大人しくフロリエに従い、彼女が望む方向に顔を向けている。

 マリーリアも手を貸して自分が巻き付けた布を外していく。エドワルドの血を吸ったそれは赤黒く変色していた。

 そこへオリガが布の束を抱えて戻ってきた。フロリエはその内の一枚を取ると、綺麗な水に浸して絞り、エドワルドの額に浮かんだ汗を拭く。毒を受けた為か、かなり熱があがっているようだ。

「傷口を洗えばいいのですか?」

「腫れた部分を切開して、中の毒を出す必要があります。消毒薬と小型のナイフが必要です」

 フロリエはエドワルドの腕の状態を見て眉をしかめる。とにかく一時も早い処置が必要だった。

「お待たせしました」

 オルティスが薬をのせた盆を手に戻ってきた。フロリエの要望通り、小型のナイフも持って来てくれている。早速フロリエは綺麗な水が入った桶の1つに紅薄荷の消毒薬を入れた。薄いピンクに染まった水に早速手を浸して消毒する。促されてマリーリアもそれに習い、水を汲んできた男達もフロリエに言われて手を消毒した。

「私もお手伝いいたします」

 オルティスも上着を脱ぐと袖をまくり、消毒薬で手を清めた。フロリエは用意してもらったナイフを火にかざし、刃を焼いて消毒した。

「殿下の体を押さえて下さい」

 使用人達に指示を与え、フロリエは念の為に意識の無いエドワルドの口に布をかませる。準備が整うと一同が見守る中、彼女は祈りの言葉を口にすると、慎重に患部へ刃を入れる。途端に血とは思えないどす黒い液体が流れ出し、無意識にエドワルドの体が動く。マリーリアも加わって使用人達は彼の体を押さえ、フロリエは毒を絞り出すようにして傷口を洗った。

 手を洗ったフロリエは、休む間もなく再び手を消毒すると、オルティスが用意した貴竜膏に香油を加えて練り、用意された当て布に塗り付けて患部を覆う。

「血が付いたものは全て燃やして下さい。あと、この水は決して川に流さないように。不要な布に染み込ませ、香油をかけて他の物と一緒に燃やして下さい。桶も全部です。紫尾の毒は厄介ですが、燃やせば害は無くなります」

 薬を塗りながら使用人達に指示も忘れない。彼等は頷くと言われたように汚れたものを片付けて部屋を出ていく。汚れた寝台の敷布も新しいものに取り換え、ようやく一通りの処置が終わる。

 フロリエは苦しそうなエドワルドの頭をそっと起こして水を飲ませる。熱で額にのせていた布は随分ぬるくなっており、桶の中の綺麗な水ですすいで軽く絞り、再び彼の額にのせた。

「薬湯はどれを使いましょうか?」

 オルティスは薬草庫から持ってきた薬の見本も持って来ていた。フロリエは見本を受け取ると、一つ一つ手に取り、匂いを嗅いで確かめる。

金紋蔓きんもんづたの根だわ……。貴重なものですが、使っても宜しいですか?」

 彼女真っ先に目にとめたのは白っぽい根を乾燥させたものだった。煎じれば解毒効果の高い薬湯が出来るが、温かい地域でしか採れないため、タランテラでは入手が困難な薬の1つだった。質の高いものは同じ重さの金と取引される事もある。

「もちろんです」

 エドワルドを助けるためには金も物も惜しまないと、既にグロリアから了承を得ていた。

「ありがとうございます。小鍋に水を張って、これを少量刻んだものと甘草あまくさを一緒に弱火で煮出して下さい」

「それでしたらこちらに炉と鍋を用意させましょう。オリガ、用意を頼みます」

 慎ましく控えていたオリガは頭を下げるとすぐに部屋を出ていく。部屋に残ったのはフロリエとオルティス、マリーリアの3人だけになる。

「フロリエさん、お礼を申し上げます」

 マリーリアが頭を下げると、フロリエは首を傾げる。

「貴女がいて下さって本当に助かりました」

「……まだ……安心するのは早いです」

 フロリエは寝台で苦し気に横たわるエドワルドに視線を移す。

「今、ほどこしたのは応急処置に過ぎません。妖魔の傷病は……特に紫尾の毒は慣れたお医者様にきちんと診ていただく必要があります。薬も専用の調合が必要なはずです」

「……総督府へ行ってきます。軍医のバセット先生なら詳しいはずです。殿下の命がかかっていますから、ご自身が無理でも何人かいらっしゃる弟子の1人を派遣して下さると思います」

 マリーリアが決意を込めて顔を上げる。自分の失態が元でこんな事態におちいってしまっている。その責任を放棄するわけにはいかなかった。

「ですが、お疲れなのでは?」

 昼間から討伐に出て働きづめで彼女は疲れ切っているはずだった。手紙をグランシアードに託すだけでも充分に用は伝わるはずである。

「これは私の仕事……そして責務でもあります。大丈夫です。グランシアードも乗せてくれると思います」

「そうですか……」

 フロリエは仕方なく引き下がり、マリーリアはすぐに部屋を出て行こうとすると、オルティスが引き留めた。

「それでしたらお願いがございます。実のところ、薬草庫の備蓄が心許こころもとないのです。先日、定例の監査をした折には十分にあったはずですが、先程確認したところ、その量が著しく減っているのです。申し訳ありませんが、薬も準備して頂けると助かります」

「分かりました、伝えます。それまで殿下をお願いします」

 マリーリアは2人に頭を下げると外へ飛び出して行った。厩舎に行くと、ティムが落ち着かない様子のグランシアードを宥めながら世話をしてくれていた。

「ありがとう、ティム。グランシアード、殿下の為に私を総督府まで連れて行って」

 少年を労うと、マリーリアは黒い飛竜の大きな頭を抱えこむ。グランシアードはすぐに応じてくれ、彼女は急いで装具を用意する。

「大丈夫。殿下はきっと助かる。あの方のおかげです」

 まだ不安気なグランシアードの首をマリーリアは宥めるように叩く。フロリエは応急処置に過ぎないと言ったが、それでも総督府に帰ってからするよりも短時間で済んだのだ。リューグナー不在で一時はどうなるかと思ったが、グランシアードの選択は間違っていないと胸を張って言える。

「マリーリア卿、できました」

 手伝ってくれていたティムが声をかけてくれる。

「ありがとう、行ってきます」

 グランシアードを連れて厩舎の外に出る。外は既に真っ暗で、昼間よりも舞う雪の量が増えている。一抹の不安が胸をよぎるが、マリーリアは自分に気合を入れるとグランシアードを飛び立たせ、総督府を目指した。




 一方、紫尾の女王を討伐し、妖魔の巣の除去を済ませたアスター達も総督府へ戻ろうとしていた。

 香油を頭から浴びて少し弱っていたとはいえ、女王相手では竜騎士が7人いても楽勝とは言えなかった。傷を受けたことで更に狂暴になった女王やしもべの青銅狼の攻撃をかわしながら、少しずつ傷を増やして弱らせていき、動きが止まったところで止めを刺した。その合間に青銅狼も霧散させていたので、紫尾が霧散すると、全員その場に座り込んでしばらく動けなかった。

 そこへようやく総督府と西の砦から派遣された騎馬兵団が到着し、一息ついてから巣の除去が始まった。これにはとにかく頭数が必要である。竜騎士達の指示のもと、まずは飛竜達にも手伝ってもらいながら用意した大量の香油をまんべんなく妖魔の卵にかけていく。そして寄生されていた大木を切り倒し、地に落ちた卵を片端から徹底的につぶしていくのだ。仕上げにもう一度香油をかけて清めれば終了となる。寄生されていた大木の方は養分を吸い取られて既にボロボロとなっており、香油と共に地に帰っていった。

「殿下は大丈夫だろうか……」

 後始末は騎馬兵団に任せ、彼らは一足早く帰路についていた。紫尾との戦いでルークは脇腹を痛めていたし、皆、連日のように出撃していたので疲れ果てている。そして何よりもエドワルドの事が気がかりだった。

「マリーリアは立ち寄ってないのか?」

 西に駐留する3名と別れ、総督府に戻る道すがら南の砦に立ち寄ると、脅えたカーマインが竜舎で震えて手が付けられないと係員から連絡があった。加えて彼等はエドワルドが負傷したこともまだ知らなかった。

 カーマインを放置できず、仕方なしに引き取り、一行が砦を出発しようとしたところで、飛竜達が一斉に空に向かって挨拶する。現れたのはマリーリアを背にのせたグランシアードだった。一同に気づき、砦に降下してくる。

「マリーリア卿! 今頃こんな所で何をしている? それに……殿下はどうされた?」

 彼女が降りて来るより早く、アスターが詰め寄る。

「グロリア様のお館にお連れしました」

 マリーリアの出現に大喜びしてすり寄ってくるカーマインを宥めながら彼女は端的に答える。

「女大公様の?」

「はい。グランシアードがそちらに向かいましたので……」

 アスターは怪訝けげんそうに黒い飛竜を見上げると、ファルクレインを通じて肯定の意思を伝える。ようやく彼もそれで納得してくれたようだが、つくづく自分は信用されていないのだとマリーリアは実感した。

「リューグナー医師が見て下さったのか?」

「いえ、彼は留守でした」

「何?」

 正直、アスターは腹が立っていた。疲れがピークに達している上に命令を無視され、負傷したエドワルドを放置してここへ来ている彼女にどうしようもない怒りを覚えた。思わず掴みかかりそうになったところをジーンが止める。

「はい、ストップ。それは彼女の所為じゃないのに一方的に怒っちゃダメでしょ。とにかく帰りながら話を聞こうよ」

「……わかった」

 アスターは渋々了承するとファルクレインの背に乗り、他の竜騎士達もそれぞれの相棒に跨る。マリーリアはジーンに頭を下げると、彼女はウインクしてリリアナの背に跨った。

「リューグナー医師が留守なのをグロリア様もご存知なくて、本当に途方にくれました」

「無断で外出されたのか? 専属の医師なのに?」

「はい。ティムが朝早くにそれらしい人が出かける姿を見たと言ってました」

「役に立たんな」

「……」

 グロリアの感想と同じことをアスターもつぶやいた。

「で、殿下の処置はどうした?」

 手当てをしようにも肝心の医者がいないのでは助かる者も助からない。イライラが募るばかりのアスターの語調は荒くなる一方だった。

「フロリエさんが処置をよくご存知で、彼女が応急の処置をしてくださいました。ただ、薬が不足していると……。それにきちんと医者に診ていただいた方がいいと言われたので、バセット医師に相談しようと思い、総督府に戻る途中でした」

「フロリエさんが?」

 一同は驚いた。本当に彼女は一体何者なのだろう。

「はい。薬草の知識も豊富で、珍しい薬もご存知のようでした」

「分かった。急いで戻ろう」

「はい」

 アスターもようやく怒りを収め、一行は速度を速めて総督府を目指した。




「寝そうだ……」

 アスターはそう呟きながらとっぷりと湯船に浸かっていた。彼がいるのは宿舎にある共同の浴場で、殆ど寝ている状態のルークも一緒に入浴していた。

 緊急時にも拘わらず、何故彼等がのんびりと入浴しているかというと、軍医のバセットに指摘されたからである。

「そのなりでグロリア様の館に向かうのか? 門前払いされるぞ」

 大げさに鼻をつまんで言われたのだ。ここの所毎日の様に出撃し、空いた時間は睡眠と食事を優先していたため、身の回りのことまでかまっていなかった。マリーリアはそれほどではないが、アスターもルークもさすがに自分が臭い。

 エドワルドの様子が気になり、グロリアの館へ行くつもりでいたアスターは渋々浴室へ足を向けた。ちなみにルークは、入浴しないと痛めた脇腹を診察しないと言われた。今頃はマリーリアも女性用の浴室で身だしなみを整えているはずである。バセットはこうしている間に薬の調合と、往診の準備をしてくれると請け負ってくれた。

おぼれるぞ、ルーク」

 湯船の中に沈んでいきそうなルークを助け起こし、アスターもどうにか湯船からい出す。襲ってくる眠気で倒れそうになりながら、乾いた布で体を拭き、清潔な衣服をどうにか身に付ける。ルークも半分寝ながら着替えを済ませたので、そのまま部屋で休むように言うと、フラフラとした足取りで自室へ戻っていった。

「ゴルト、お前も休んでいいぞ」

 休憩室に行くと、先に入浴を済ませたゴルトが机に突っ伏して眠っていた。肩をゆすって起こすと彼はぼそぼそと返事をして立ち上がり、自室に戻っていった。

 マリーリアやバセットとここで落ち合う事になっているが、2人はまだ来ていない。アスターは暖炉の前に座ると髪を乾かし始めた。装備も外套も予備の物に替えて準備を整える。明朝までは全ての出撃要請を東の砦が請け負ってくれているので、留守にしても問題ないだろう。

「お待たせしました。バセット医師は?」

 着替えを済ませたマリーリアが休憩室に姿を現した。まだ髪は湿り気を帯びており、彼女も暖炉の側に座る。

「まだだ」

 椅子に座っていると、そのまま眠ってしまいそうだった。眠気を振り払おうとして頭を上げると、彼女の頬がまだ赤くなっているのに気付く。

「……痛かったか?」

「大丈夫です。おかげで目が覚めましたから」

「怖くなったか?」

 マリーリアは躊躇ちゅうちょしたが頷いた。

「でも、逃げたくありません。あなた方のようにはできませんが、自分が出来る事をしたいと思います」

 アスターは頷いた。

「今はそれでいい。初めはみんなそうだ」

 しばらく無言でいるうちに疲れきっていた2人ともその場でうとうとし始め、バセットが弟子に荷物を持たせて入ってきてもすぐには気付かなかった。

「相当疲れているようだな、お2人さん」

「あ、すみません。では、行きましょうか?」

 声をかけられ、慌てて2人は立ち上がる。

「まあ、待て。まずはこれを飲んでおけ」

 初老の医師は人の好い笑みを浮かべ、2人に小さな器に入った薬を勧める。

「何ですか?」

 アスターは受け取った薬をすぐには飲もうとせず、匂いをいでみる。薬湯特有の匂いではなく、なんだか香ばしい香りがするので、思い切って一気に飲み干す。

「強壮剤の一種だ。疲れが和らぐ」

 バセットの答えにマリーリアも器の中身を飲み干した。苦くは無いが、あまりおいしいとは言えない。

「ルークはどうしたね?」

「部屋で休ませました。風呂で溺れかけていたので」

「まあいい。ヘイル、彼の傷を寝ててもいいから診ておけ。あと、強壮剤を朝一番で皆に飲ませておくように」

「はい、先生」

 荷物を持ってきた弟子にそう指示をすると、その荷物の中から何やら布に包まれたものを出して2人に渡す。

「湯冷めすると風邪をひくからの。ほれ、温石おんじゃくだ」

「ありがとうございます」

 さすがに何から何まで準備がいい。2人は礼を言って受け取り、ホカホカと温かい包みを懐に入れて外套を着込む。防寒具を用意し、バセットが弟子に持たせていた荷物を手分けして持つ。

「行きましょう」

 一行は急いで着場に向かい、ファルクレインにバセットが乗り、荷物をカーマインとグランシアードに分けて積んだ。そして3頭の飛竜は真っ暗な空に向かって飛び立った。

 道すがら、眠気覚ましにマリーリアはエドワルドに施された処置をバセットに説明する。

「実際に見ないと判断しかねるが、話を聞く限り応急処置としては完璧じゃの。知識としてだけでなく、実際に経験を積んでいないとなかなかできん。不思議なお人じゃの」

 バセットの感想は他の2人も同意見だった。だが、彼女が何者であれ、そのおかげでエドワルドが助かったのだ。

 やがて明かりが煌々と灯されているグロリアの館に着く。荷物を慎重に降ろしていると、オルティスとティムが玄関から出てきた。ティムがすかさず飛竜を預かってくれたので、一行はオルティスの案内でそのまま荷物を持って屋内へ入っていく。

「殿下のご容体は?」

かんばしいとはいえません。今はフロリエさんがついて下さっています」

 足早に一行は2階の部屋に向かう。ドアをノックして寝室に入ると、寝台の上で苦しそうに横たわるエドワルドの姿が見えた。寝台の脇にある椅子に座り、エドワルドの汗を拭っていたフロリエは一行が部屋に入ってくると、頭を下げて寝台の側から離れる。

「ここからはわしの仕事じゃ。お主等は下で休んでおれ」

 バセットは早速荷物を広げると、アスターとマリーリアに部屋を出ていくように勧める。確かにここにいても出来る事は無いので、2人は大人しく部屋を出てグロリアがいる居間に降りた。




 待っている間に食事を勧められ、出されたパンとシチューを平らげると、やはり眠気が襲ってくる。バセットが一通りの診察を終えて居間に来ると、2人とも眠っていた。座ったまま眠るアスターにマリーリアがもたれかかっている姿は何だか微笑ましい。オルティスが2人にそっと毛布をかけてやっている。

「相当疲れておるの」

 グロリアがバセットに小声で話しかける。

「女王を討伐したから尚更じゃな」

「地方に竜騎士をもう少し回せばよいものを……」

「反対する者がおるからの。どいつもこいつも自分の事しか考えておらん」

 オルティスが淹れてくれたお茶を飲みながら、昔馴染みの2人はぼそぼそと会話を交わす。どうしても皇都を中心に竜騎士は配備され、地方の守りは領地を持つ貴族に協力を求めざるを得ない。だが彼等は自分の領地を守る事を優先させてしまう事が多く、連携がとれない上に負担が増す事の方が多かった。

 今回も近隣の領主に協力を求めたのだが、あやしい言い訳を理由に応じてくれるところは無かった。ハルベルトが1人で改善を進めているのだが、なかなかはかどっていないのが現状である。

「エドワルドはどうじゃ?」

「処置が比較的早い段階で的確に行われたようなのでどうにか。後はご本人様の体力勝負ですな」

「さようか……」

 グロリアも心配でたまらず、持病を抱えた体には悪いと分かっていながらもこうして眠らずに医者が来るのを待っていた。コリンシアも起きて父親の回復を祈りたいと言っていたが、どうにかなだめて休ませた。今はオリガがついてくれている。

「しかし、あのお嬢さんは大したものだ」

「ええ。コリンシアの病気の時も本当によくやってくれました。それに比べてリューグナーはどこでどうしているのか」

 フロリエを褒められるとグロリアは相貌そうぼうを崩して喜ぶが、未だ外出先から戻らない自分の専属の医者の事を思い出すと語調が強くなる。

「まだお帰りになっていないのですか?」

「その様じゃの」

 グロリアは相当怒っていた。薬を作る腕は確かなので、今までは多少の問題には目を瞑ってきた。しかし今回ばかりはどうにも許せそうにない。

「そういえば、薬草倉の備蓄が減っているとか?」

「その様です」

「差し障り無ければ見せていただいても宜しいですか?」

「ええ、どうぞ」

 バセットはお茶を飲み終えると、オルティスに案内されて薬草庫へ向かう。そして備蓄の残りと帳簿を照らし合わせ、リューグナーが不正に薬草を持ち出している事が発覚した。




 朝方、リューグナーはいい気分で帰ってきた。持ち出した薬がいい値段で売れ、なじみの酒場で飲んでいたのだ。

 いつもの年なら近隣の村人相手に風邪の薬や手荒れに効く軟膏なんこうなどを処方し、高い料金をとって小遣い稼ぎをしていたのだが、今年は殆ど需要が無かった。フロリエが風邪の予防法や手を保護する簡単に作れるハーブ水の作り方を無償で教えて回った事を後から知った。余計な事をといきどおりを感じたが、薬草庫の薬での小遣い稼ぎがばれるほうがまずいので文句を言うに言えない。

 そこで昨日は思い切って薬を持ち出し、町にいる知り合いの商人に売ったのだ。オルティスによる監査も済んだばかりだし、どうせいつも古くなったものから領民に格安で払い下げられるのだ。管理は自分が任かされているから、その辺りをごまかすのも手慣れたものだった。持ちだした薬は予想以上に高い値段で売れ、景気づけに一杯やるつもりがこの時間になってしまった。

「リューグナー殿、グロリア様がお呼びでございます」

 与えられている離れに戻るなり、オルティスが彼を呼びに来た。まだ早い時間に何の用だろうと思ったが、酔いが回った頭では何も思い当たらない。ふらつく足でグロリアが待つ居間に向かう。

「失礼……いたします」

 形通り頭を下げて入室すると、そこにはグロリアの他にアスターとマリーリア、そしてバセットが渋い表情で待っていた。

「リューグナー、今までどこにおったのじゃ?」

「所用で町に……出ておりました」

 明らかにグロリアは怒っている。きちんと答えるつもりが困った事にしゃっくりが止まらない。

「そなたの仕事は何ぞ?」

「貴女様の……専属の医者でございます」

 リューグナーは恭しく頭を下げる。

「そのそなたが妾に無断で出かけるとはどういう事じゃ?」

「それは、その……」

「昨夜、負傷したエドワルドがここへ運ばれてきた。総督府よりも近く、そなたがいるからと思って頼ってきたのじゃ。フロリエがいなかったら今頃はどうなっていたか……」

 グロリアが珍しく涙を流している。

「……」

「リューグナー殿、薬草庫を見させていただいた」

「!」

 バセットの言葉にリューグナーはギョッとして一気に酔いがめた。

「薬は良き値で売れたようですな。ですが、それは貴方個人の物ではないですよね?」

 リューグナーはがっくりと膝をつく。

「……そなたはクビじゃ。荷物をまとめて、この館より出て行け」

 グロリアが冷たく言い放つ。何か言おうにも、オルティスが彼の腕を捕まえてさっさと居間の外へ連れ出してしまう。そして、半時もしないうちに彼は館を追い出された。




「殿下のご容体が安定するまで、わしはしばらくここにおる。総督府の方はヘイルがおれば何とかなるであろう」

 リューグナーが追い出された後、バセットは竜騎士2人にそう告げる。食事もしてぐっすり眠った2人は疲れも取れて随分すっきりした表情をしている。

「分かりました。では我々は総督府へ帰ります。殿下の事、よろしくお願いします」

 アスターとマリーリアは席を立つとグロリアに頭を下げた。

「分かった。そなた達も十分気をつけなさい」

「はい。ありがとうございます」

 2人はもう一度頭を下げると、外套を手にして居間を出ていく。玄関前には2頭の飛竜が装具を整えてティムとオリガと共に待っていた。

「あの、アスター卿、ルークが怪我をしたって本当ですか?」

 バセットから聞いたのだろう、オリガは不安気に恋人の上司を見上げる。

「ああ。だが、自分で動けていたからひどい怪我ではない」

「そうですか……。あの、これを彼に渡して頂けますか? ハーブティーなんですが、疲れがとれる配合をフロリエさんから教えていただいたんです」

「分かった。渡しておこう」

 アスターはオリガが差し出した包みを受け取って懐にしまい、防寒具を直して飛竜に跨った。そしてまだ暗い空へと舞いあがり、総督府を目指した。

 しばらく飛んでいると、ケビンと遭遇した。

「何かあったのか?」

 不安に思い、訊ねてみると、彼は首を振る。

「せめてルークが良くなるまで総督府にいるようにとリーガスに頼まれた。お2人は揃ってどちらに?」

 ケビンが不思議がるのも当然の事だった。アスターとマリーリアは道すがらエドワルドをグロリアの館に預けた顛末てんまつを説明した。

 彼の事は心配ではあるが、後は医者に任せるしかない。一行は明るくなり始めた空を、自分達の役割を果たすために総督府へと急いだのだった。


リーガスとジーン、愛の劇場? 3


妖魔の巣を発見。

その知らせを受けて我々は出撃し、どうにかそれを守護する女王を倒した。

負傷された殿下は気がかりだが、まだまだする事は残っている。

一先ず騎馬兵団の到着まで、我々は一息つく事となった。

「……」

久しぶりに会う妻は、リリアナの足に腰かけたまま何か言いたげにこちらを見つめている。みんなの目を気にして近くに来るのを我慢しているのか、それとも疲れ切って動けないのか、とにかく私も癒しが欲しいので疲れた体に喝を入れて妻の側まで行くとその隣に腰かけた。

「大丈夫か?」

「……」

「疲れたのか?」

「……」

何だか、妻は怒っている?

「何を……怒ってる?」

「……防寒具」

ポツリと返ってきた言葉に私は思わず後ずさった。

「どうして……どうしてつけてないの?」

西の砦に赴任する前、彼女は手編みの防寒具をプレゼントしてくれた。今までしたことも無い編み物をフロリエ嬢やオリガ嬢に習いながら習得し、お揃いで防寒具を編み上げてプレゼントしてくれたのだ。真っ赤なハートをあしらった、ショッキングピンクの防寒具を……。

「使ってくれると言ったのに……」

確かに言ったが、さすがにあれは恥ずかしい……。誰にも見られないように箪笥の奥にしまいこんでいる。

「その、あの、も、もったいないからだ。君が折角編んでくれたのに、汚してしまうのが忍びなくて使えないんだ」

「……本当に?」

「ああ」

嘘ではない。確かに妻の手作りの防寒具は非常に嬉しかったし、汚したくないと言うのも本音だ。だが、それ以上に……恥ずかしすぎる。

「あれは宝物だからな」

「嬉しい……」

妻は唇を震わせ、うるんだ瞳で私を見上げる。思わずその柔らかな唇を味わいたくなる衝動に駆られるが、辛うじて理性で抑え込んだ。

「リーガス……好き」

妻はいつものように手を伸ばすと私の腕に触れてくる。力を込めるとうっとりとその感触を楽しむ。

どうにかごまかせた。安堵した私は彼女の頭を優しく撫でた。

そして妻との甘いひと時をしばし楽しんだ。


「余所でやれ」byアスター



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