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群青の空の下で  作者: 花 影
第1章 群青の騎士団と謎の佳人
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27 未来への決断

 フロリエの提案でコリンシアの為に山葡萄のゼリーが作られていた頃、マリーリアは一通の招待状を手にロベリアの外れにある屋敷を訪ねていた。その招待状は謹慎が解けた今朝、行かなければもう10日ほど謹慎させると脅されてアスターから手渡されていた。

 差出人の『エルデネート・ディア・ガレット』という人物に心当たりはなかったが、ジーンによるとエドワルドの恋人の1人だと教えてくれた。何故自分にと疑問に思いながらも、これ以上謹慎によって無駄に時間を費やしている暇は無いので、馬を借りて街に出たのだ。

「ごめん下さい」

 屋敷の扉を叩くと、初老の家令らしき人物が出てきた。

「どちら様で?」

「ガレット夫人にお招き頂いたのですが……」

 マリーリアが招待状を見せると、彼は丁寧にお辞儀をすると彼女を中へ招き入れた。

「こちらで少しお待ちください」

 家令はホールの脇にある応接間に彼女を通すと、すぐに部屋を出て行った。しばらくそこで何をすることも無く1人で待っていると、やがて30前後と思しき女性が姿を現した。

「お待たせしてすみません。今日はよくお越しくださいました、マリーリア卿」

 柔らかな笑みを向けられ、マリーリアは耐え切れずに僅かに目をそらす。

「貴女がガレット夫人ですか?」

「ええ。さあ、こちらへどうぞ」

 戸惑うマリーリアを促し、エルデネートは彼女を奥の部屋へと案内する。

「あの方が仰せられたとおり、綺麗な髪をしていらっしゃる」

「……私はこの髪が嫌いです」

 目を細めるエルデネートに対し、マリーリアは冷ややかに答える。

「お嫌いなのですか、ご自身を?」

「……好きではありません」

 この髪の所為で自分の人生は変えられてしまった。この髪さえなければ、あの穏やかな村で生涯を過ごすことができたはずだった。

「それは困りましたね……さあ、お座りになって」

 何がどう困るのか、エルデネートは笑みを崩さず、マリーリアを応接間に案内すると席を勧める。テーブルには数種類の焼き菓子やプディングが並べられ、季節の果物も籠に盛られている。促されるままにマリーリアがクッションのきいた椅子に座ると、エルデネートは上品な茶器にお茶を淹れて差し出す。

「さあ、どうぞ」

「あ、どうも……」

 マリーリアはおずおずと礼を言うと茶器を手に取って口をつける。そして茶器を元に戻すと、意を決したように口を開く。

「あの……どうして私を招待して下さったのですか?」

「あの方からお話を伺って興味がわきましたので」

 エルデネートは自分にもお茶を淹れると、マリーリアの向かいに座ってにっこりとほほ笑む。

「あの方ってエドワルド殿下ですか?」

「ええ」

 マリーリアは無表情のまま首を傾げるが、エルデネートはそんな彼女に構う事無く微笑みながらお菓子を勧める。

「さあさ、どうぞ召し上がって下さいな。腕を振るってみたのだけれど、お口に合うかしら」

 促されてマリーリアは、仕方なく干し果物が入った焼き菓子を1つだけ自分の皿にとって口に運ぶ。そして「美味しいです」と一言だけ感想言ってお茶を飲む姿をエルデネートはニコニコして見守っている。

「こうして見ておりますと、本当にあの方に良く似ておいでですね」

「……失礼ではありませんか? 私はワールウェイド家の娘です」

 マリーリアは少しむきになって抗議する。

「申し訳ございません。あの方が望まれるので思った事をすぐに口にしてしまう癖がついております。失礼いたしました」

 悪びれることも無く、エルデネートは澄ましてお茶を一口飲む。

「3年前のあの方も、今の貴女のようでしたわ」

「何がですか?」

 エルデネートの意図が分からず、マリーリアはますます首を傾げる。

「愛想笑いをなさることはあっても、本当にお笑いになる事はありませんでした。喜怒哀楽の全てを忘れられたようでした」

「……」

 マリーリアはそれが自分と何に関係があるか分からずに黙り込む。エルデネートはそんな彼女に構わず昔話を続ける。

「奥方様を亡くされた悲しみを癒すつもりでロベリアへいらしたのに、周囲の方は自分の身内をあの方に娶らせようと競っておいででした。それですっかりあの方は人間不信に陥られたのです。そんな時に私はあの方にお会いしました」

「……」

「ご自身も経験がおありだから、今の貴女を気にかけておいでです。ご自分の部下になられたのだから、もっと頼って欲しいと思われておいでのようです」

「私にどうしろと?」

 エルデネートの真意がつかめず、マリーリアは困惑する。一体自分の上司は何をこの人に頼んだのだろうか?

「困らせるつもりはありませんのよ。今日は楽しんで頂けたらそれで充分でございます」

 ますます訳が分からなくなってくる。

「……しなければならない事があります。特に御用が無いのでしたら、私はこれで失礼します」

「お1人で何をなさるのですか?」

 立ち上がりかけたマリーリアにエルデネートは声をかける。

「……鍛錬です。私は強くならなければなりません」

「何と闘う為にですか?」

「……竜騎士が闘うのは妖魔です」

 マリーリアは唇をかみ、ギュッと強く拳を握る。

「私にはあなたが他の存在と闘って……抗っているようにも見えます」

「……」

 エルデネートの言葉にマリーリアは言葉が詰まる。

「私が気付くのですから、あの方も気付いておられます」

「……」

 マリーリアは答えない。黙ったままの彼女にエルデネートが緊張を解くようにふわりと微笑みかける。

「お茶が冷めてしまいましたわ。淹れ直しましょう」

 エルデネートはマリーリアの茶器を下げると、新たにお茶を淹れ直した。お茶のいい香りが辺りに漂い、高揚した心が落ち着いてくる。結局、マリーリアは再び椅子に座り、エルデネートに促されるままに新しいお茶に口をつけていた。

「お菓子もたくさんありますからどうぞ」

 勧め上手なエルデネートにのせられて、マリーリアは木の実が入った焼き菓子を手に取っていた。素朴なお菓子はどこか懐かしい味がする。

 最初に食べた干し果物が入った物も、今食べた木の実が入った物も、早世した母に代わって彼女を育ててくれた伯母が作ってくれたお菓子に良く似ていた。昔、故郷の村にいた頃、従兄達と一緒に食べていた記憶が甦ると同時に、自分が守りたかった懐かしい光景が目に浮かぶ。

「マリーリア卿?」

 気付けば涙がポタリと落ちていた。エルデネートが心配そうに声をかける。

「いえ……」

 困った事に涙が止まらない。エルデネートはマリーリアの隣に腰かけると、そっと彼女を抱きしめる。彼女が使うバラの香水がふわりと香ってくる。

「貴女は1人ではないのですよ」

 頭を撫でられ、かけられた言葉は遠い昔に伯母にかけられたものと同じセリフだった。マリーリアはいつの間にか子供の様に泣きじゃくり、そんな彼女をエルデネートはいつまでも優しく抱きしめていた。



「お邪魔しました。また伺ってもいいですか?」

「……ええ」

 結局、散々泣いて落ち着いた後は、当たり障りのない話をしただけだった。まだ笑顔には程遠いが、それでも今までの無表情とは異なり、口元がやや綻んでいる。

「お気を付けて」

 エルデネートに見送られ、マリーリアは晴れ晴れとした気持ちで総督府へと帰っていった。





 エドワルドがコリンシアの病をきっかけにグロリアの館に住むようになって半月ほど経った頃にはコリンシアの熱も下がり、体中に浮き出ていた紅斑も薄くなった物が幾つか残るだけとなっていた。これらもあと数日で完全に消えてなくなるだろう。

「さっぱりした」

 コリンシアは乾いた布に包まって、フロリエとオリガに髪や体を拭いてもらっている。ここ数日、元気が出てきたコリンシアは、ずっとリューグナーにお風呂の許可をねだっていて、それが今日、やっとかなったのだった。

「髪はしっかり乾かさないと、またお熱が出ますよ」

 フロリエは手探りでコリンシアのふわふわの髪を拭いている。

「ルルー、フロリエさんが困るから出ていらっしゃい」

 今日は秋にしては肌寒く、湯殿で入浴すると湯冷めの恐れがあったので、部屋に簡易の浴槽を持ち込んでの入浴となった。一緒に入ったルルーもお風呂が楽しいらしく、まだ湯の中で遊んでいる。オリガが手を差し出すが、まだ遊んでいたい小竜はバシャバシャとお湯を散らしながら逃げていく。

「さあ、拭きましょう。あ、どこ行くの?」

 ずぶ濡れのルルーはオリガの手から逃げ出す。そこへ部屋の扉を叩く音がして外出着姿のエドワルドが入ってきた。

「あっ、殿下! すみません」

 逃げ出したルルーはそのままエドワルドの頭にとまってしまい、彼の髪も濡れてしまう。オリガが慌てて乾いた布を持って近寄ると、エドワルドは頭からルルーの首元を掴んでむしりとる。

「お前なぁ」

 エドワルドがルルーを睨むと、反省したのか小竜はシュンとして目をそらす。そのままオリガにルルーを渡すと着替えている娘の側に近寄る。

「すみません、殿下。どうぞお使いください」

 状況を理解したフロリエは慌てて乾いた布を差し出す。

「少し濡れただけだ」

 エドワルドはフロリエから布を受け取り、濡れた髪を拭きながら娘の側に座る。

「久しぶりにお風呂に入れてよかったな」

「うん。凄く気持ちよかった」

 コリンシアは自分で寝巻に袖を通しながら答える。まだ昼なのだが、完治していないし湯冷めしないようにまた横になっておかなければならない。寝台の上掛けもシーツも既に取り換えられており、後は髪を乾かすのみである。

「父様、お出かけするの?」

 エドワルドの服装を見て、コリンシアが少し寂しそうに尋ねる。

「ああ。仕事をしてくる。今夜は無理だが、明日には帰ってくる。フロリエや皆の言うことをきいて、大人しくしていなさい」

「はい」

 フロリエはコリンシアが寒くないように綿の入ったガウンを着せ掛け、再び髪を丁寧に拭きはじめる。昨日から冷たい風が吹き付けており、今から飛竜に乗るエドワルドも急いで髪を乾かす。真冬の極寒の最中に討伐に出る事に比べれば何ともないが、今から風邪をひいていたのではシャレにもならない。

「さ、そろそろ横になりましょうね」

 オリガに体を拭いてもらったルルーがいつも通りフロリエの肩にとまると、彼女は手際よく手を動かして姫君の髪を乾かしていく。最後にきちんと髪を梳いて軽く束ねると、フロリエはコリンシアを寝台に促した。

「まだ眠くない」

「それでは、フロリエがお話を致しましょう」

「うん、聞きたい」

 フロリエの申し出にコリンシアは喜んで寝台に横になる。彼女が綿入りのガウンを肩にかけたまま枕を背にあてて寄りかかると、フロリエが温かな上掛けをかける。そして寝台の脇に置いてある椅子に腰かけ、コリンシアの手を握りながら話し始める。

 オリガはコリンシアが脱いだ寝巻や入浴に使用した布といった汚れ物を纏めて籠に片付け、静かに部屋を退出していく。エドワルドは暖炉の側で2人の様子を見守る。

「ダナシア様のお話はどこまでしたかしら?」

「始祖の竜騎士に力をお授けになったところ」

「そうでしたね。

 全ての母なるダナシア様が始祖の竜騎士に力をお授け下さって、人の子は妖魔を討伐できるようになりました。おかげで人の子は数を増やし、大陸の各地に住む場所を広げていったのです。

 けれども、他の神々はダナシア様が勝手に人の子に力を与え、更には一身に尊敬を集めていることが許せませんでした。

 怒った神々は、秩序を乱したという理由でダナシア様を高い、高い山の上に閉じ込めてしまいます」

「ダナシア様かわいそう」

 コリンシアがポツリと言う。

 そこへ扉を叩く音がしてオルティスが入ってくる。入浴が済んだことをオリガが知らせたのか、後ろから使用人達が続いて速やかに簡易の浴槽を片付け、それを置くために移動した家具を元の位置に戻して退出していく。

「殿下、飛竜のお支度が整ってございます」

「そうか。」

 エドワルドは髪を拭くのに使った布をオルティスに預け、戸口に向かう。

「見送りはいい。フロリエは話の続きをしてやってくれ」

 立ち上がりかけたフロリエを手で制する。

「かしこまりました。お気を付けて」

「父様、いってらっしゃい」

 寝台の中から手を振る娘に彼も手を振り返し、オルティスを従えてコリンシアの部屋を後にする。

 いつものように居間にいるグロリアに出かける旨を伝え、玄関でオルティスから外套を受け取って表に出る。今日は雲が多く、風も強い事から肌寒く感じる。

 外には装具を整えた2頭の飛竜が待っており、エアリアルの側には先に部屋を出たオリガがルークに手を取られて話をしている。エドワルドがこちらに住むようになり、頻繁に会える事もあって2人の交際は順調に進んでいるようだ。エドワルドの姿に気づくと、2人は慌てて手を離し、オリガは頭を下げると飛竜の側から離れる。

「邪魔して悪かったな」

「い、いえ……」

 バツが悪そうに顔を赤らめるルークは、それをごまかすように騎竜帽を目深にかぶって外套の襟元をしっかりととめる。エドワルドは苦笑しながらも彼に習い、外套の前をしっかりと合わせて騎竜帽をかぶった。

「では、行こうか?」

「はい」

 2人は互いのパートナーに軽く挨拶をしてその背に跨り、見送りに出ているオルティスとオリガに手を上げる。そして騎手の合図を受けた2頭の飛竜は軽く助走して空に飛び立った。

 雲の流れるスピードは速い。今夜はおそらく雨が降る。そうすればまた一層肌寒さが増すだろう。

 妖魔が現れるまであと僅か。エドワルドはある決心を胸にロベリアへと向かっていた。




 翌日の午後、エドワルドは梔子くちなし館に向かっていた。馬の背に揺られ、昨夜の雨が乾ききっていない石畳の道をゆっくりと進む。

 予想通り今日も随分と肌寒い。行き交う街の人々も外套を着込んでいる人が目立つ。

「まあ、エドワルド殿下」

 いつもと違い、日の高いうちに現れた彼の姿を見てエルデネートは驚く。

「急に来てすまない。どうしても顔が見たくなった」

「嬉しい事を仰られる」

 エルデネートはエドワルドから外套と帽子を受け取り、1階の居間へ通す。暖炉に火がくべられており、彼女は今までここで編み物をしていたようだ。彼女は現れた家令に帽子と外套を預けると、エドワルドに席を勧める。

「これがやっと来た。一緒に飲もう」

 エドワルドはワインの瓶を彼女に見せる。皇都で酒屋のマルクに貰ったブレシッド産のワインを詰めてきたのだ。

 彼はこのワインの輸送には気を使っていた。夏の間は城の貯蔵庫で保管させ、涼しくなってから船で輸送するように手配していた。それがつい先日、ロベリアに到着したのだ。

「かしこまりました」

 エルデネートは家令に命じてすぐに酒肴を整えさせる。贈り物の類は一切受け付けてこなかった彼女だが、酒豪のエドワルドが自分で気に入ったワインを持って来て一緒に飲むことは幾度となくあり、このワインも届いたら一緒に飲む約束をしていた。

「では、乾杯」

 テーブルには酒肴が並べられ、用意された杯にワインを注ぐ。軽く杯を合わせ、先ずは香りを楽しむ。

「いい香りだ」

「ええ」

 そして口に含むと舌で転がすようにして味わう。幾度かブレシッド産のワインを味わってきたが、それらとは比べ物にならないくらい美味である。

「言葉にできないな、これは」

「本当に、こんなにおいしいワインは初めて頂きました」

「まだある。さあ、飲もう」

 エドワルドは手ずからエルデネートにワインを注ぎ、自分にも美酒を満たす。そしてしばらくの間はとりとめのない話をしながら2人で杯を傾けた。

「マリーリアの事、ありがとう。助かった」

「お役に立てたのなら良うございました」

 エルデネートを尋ねた後、目に見えて上司への反発も少なくなり、護衛を渋る事は無くなった。まだまだ表情に乏しく、彼女の中に蟠る問題も打ち明けられてはいないが、頑なだった心に何らかの変化が訪れたのは明白だった。全てを打ち明けられるにはもう少し時間はかかるかもしれないが、一歩を踏み出せたのは確かだった。

「君には本当に世話になりっぱなしだ」

「好きでしていることでございます」

 エドワルドは最後の1杯を飲み干した。

「エルデネート」

 急に改まった口調で名前を呼び、彼女を見つめる。

「今日は、今までの礼と詫びに来た」

「はい」

 今日姿を現した時から、それとなく彼女も分かっていた様子である。彼女も姿勢を正してエドワルドを見つめる。

「そなたに会うのも本日をもって最後とする」

「かしこまりました」

 エドワルドは一度立ち上がると、エルデネートの側に跪いて頭を下げる。

「エルデネート・ディア・ガレット、今までの献身的な愛情に対して礼を述べると共に、私個人の我儘により、契約後もこの地に引き留めたことをお詫びする。エドワルド・クラウス・ディ・タランテイル、この御恩は生涯忘れないであろう」

「エドワルド殿下、どうぞお立ち下さいませ」

 エルデネートは跪く彼の側に膝をつく。

「私の方こそ、楽しい夢のようなひと時をありがとうございました。この思い出は私の宝となりましょう。ですが、殿下はどうぞ私の事はお忘れくださいませ。お嬢様の為にも、奥方様になられる方の為にもその方がよろしゅうございます」

 そうきっぱりと言い切る彼女にエドワルドは顔を上げて見つめる。

「本当に君という女性は……。だから別れ辛くなる」

 エドワルドは立ち上がると、彼女にも手を貸して立たせる。

「もうクラウディアの時の様に引きずる事は無い。忘れるなどとんでもない。そなたと過ごした日々は良き思い出として残しておく」

 そう笑いながらエドワルドは彼女の顔を覗き込み、最後の口付けを交わした

「これは少ないが今までのお礼だ。受け取って欲しい」

 エドワルドは懐から巾着を取り出すと、エルデネートに渡す。普段使う物と違い、金糸を使った豪華な巾着はずしりと重みがある。

「殿下、それはいただけません」

 エルデネートは巾着をエドワルドに返そうとする。

「それこそこれが最後だ。頼む、受け取ってくれ。あって困るものではない」

 エドワルドはそれを押し止め、エルデネートに巾着を握らせる。

「……分かりました。殿下、ありがとうございます」

 彼女はようやく頭を下げて巾着を受け取った。

「では、これで失礼する」

 エドワルドは丁寧に頭を下げる。エルデネートは家令を呼んでエドワルドの外套と帽子を持ってこさせると、それを手に玄関までついていく。そして彼に外套を着せ掛け、帽子を手渡す。

「ありがとう」

「お気を付けてお帰り下さいませ」

 エドワルドは帽子を被ると、家令が開けた扉を潜ってゆっくりと外に出る。

「お元気で」

「殿下もどうかご健勝で」

 エルデネートは深々と頭を下げる。エドワルドは既に用意されていた馬の背に跨り、彼女に手を上げるとそのまま馬を歩かせ始める。

「エドワルド様……」

 やがて通りを行く姿は角を曲がって見えなくなる。エルデネートはとうとう涙をこらえきれなくなり、自分の部屋に駆け込んで寝台に伏して泣き始める。こうなる事を望んでいたはずなのに涙が止まらない。最初は生活の為に断われず、仕方なしに始めた関係だったが、いつの間にか彼女は彼を愛していた。




 エルデネートはこの日、部屋から出て来る事は無かった。




前話で書き忘れたのですが、紅斑病は麻疹を参考にした架空の病気です。

姫様も無事に回復して元気になりつつあります。


それにしてもエドワルド、一体いくつ巾着をもってんだろう?


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