25 嵐の前
エドワルドとアスターの練習試合の光景が入ります。
夕刻、ロベリアの総督府に3人の新たな竜騎士が着任した。ルークにとっては待望の後輩である。彼等はまず、着任の挨拶の為にエドワルドの執務室へとやってきた。
「第3騎士団へ配属の3名、ただ今到着いたしました」
先輩の団員達が見守る中、屈強な若者と小柄な少年、細身の女性がエドワルドの前に整列する。
「第2騎士団に所属しておりました、トーマス・ディ・グロースです」
「第5騎士団に所属しておりました、ハンス・ディ・フリーゲンです」
「第1騎士団に所属しておりました、マリーリア・ジョアン・ディア・ワールウェイドです」
並んでいた順に3人は名乗るが、エドワルドは思わずマリーリアに声をかけた。
「やはり、来たのか?」
「ハルベルト殿下のご命令でございますから」
驚いたことに、彼女は腰近くまであった長い髪を肩の下あたりでバッサリと切り落としていた。彼女の並々ならぬ決意を感じ取れる。
「来てしまったものは仕方ないか……」
ついため息をついてしまうが、気を取り直して配属された3人に訓示する。
「予め言っておくが、ここは他の騎士団に比べて人員が少ない。それを補う為の訓練も他団に比べてきついと思う。ついていけないと思えば早々に皇都へ帰ってくれてもかまわない。余談だが、昨年も3人入れたが、残ったのはルーク1人だ。皆、春まで残ってくれることを願う」
「はい」
新入りの3人は声を揃えて返事をすると、エドワルドの脇に控えていたアスターが一歩前に出る。
「宿舎へ案内させる。荷物を解き、部屋を整えておくように。今日中に旅の疲れを取り、明日からは通常通り働いてもらう」
「はい」
「ジーンはマリーリアを、ルークは他の2人を宿舎に案内しろ」
「了解」
「以上だ。解散してくれ」
エドワルドが顔合わせの終了を告げると、全員頭を下げて執務室を出ていく。
「今年は何人残るかな」
「2人は残って欲しいですね」
部下を見送る上官2人は小声でこんな会話を交わしていた。
「しかし、どうされますか?」
「どう、とは?」
副官の質問にエドワルドは怪訝そうに尋ねる。
「マリーリア嬢です」
「特別扱いはしない方がいいだろう。訓練も同じ内容でかまわない。それで音を上げるようなら皇都へ帰ってもらえばいい」
エドワルドは書類が山積みになっている机にうんざりした目を向けながらも大人しく席に座って仕事を再開する。昨日の誘拐事件で丸一日仕事が滞った上に、皇都からも書類や手紙がたくさん届いている。逃げ出したい気持ちはあるが、後に回しても結局自分に返ってくるので、せっせと書類に目を通して署名をしていく。
「わかりました。他の団員で遠慮があるようでしたら、私が鍛えます」
「そうしてくれ。それにしても、彼女は変わったな」
「そうですか? 髪を切ったぐらいで印象は変わりませんが?」
アスターは首を傾げる。
「そうじゃない。何年か前に会った時はもっと喜怒哀楽がはっきりしていた。今の彼女はまるで人形の様だ」
「そういえば、そうでしたね」
ロベリアへ赴任する少し前、エドワルドが所属していた部隊にマリーリアは見習いとして入ってきた。アスター自身は自分の仕事に忙しく、殆ど接触する機会がなかったが、エドワルドの方はその見目が気になって随分構っていた記憶がある。
「あの髪だからか、妙に親近感が湧いてな、結構からかったりもした」
「……」
昔を懐かしがる上司にアスターはどう答えていいか分からなかった。ふと、ヒースから聞いた噂話を思い出す。あれを聞いたら彼はどう思うだろうか? いや、もしかしたらもう耳に入っているかもしれない。悩んだものの、不確かな情報を耳に入れる訳にはいかないと自分を納得させ、黙っていることにした。
「それでは、私も失礼します」
エドワルドの机の上はまだ未処理の書類で山積みになっている。アスターは仕事の妨げにならないように、一礼すると静かに執務室を後にした。
ルークは大きな荷物を背負った新人2人を宿舎に案内していた。昨年は彼もこうして先輩のキリアンに案内された部屋だった。
「雷光の騎士殿に案内して頂けるなんて光栄です」
どこかで見覚えがあると思っていたら、ハンスは今年の飛竜レースに出場していた。しかもスタート前、以前に所属していた部隊の先輩と睨んでいたのが彼だったらしい。「あの時はすみませんでした」と謝罪すると同時に、是非、弟子にしてほしいとハンスは頬を紅潮させてルークに頼み込んだ。
「同じように飛ぼうだなんて無茶でした」
ハンスは更にレース後、あの先輩が降格された経緯を暴露する。所属の上司に成績が振るわなかった理由を問われ、正直に彼が話したところ、第5騎士団の団長も知るところとなった。その後、2人して呼び出され、洗いざらい白状させられた先輩は降格し、今は再教育と称して見習いと同じことをさせられているらしい。ハンス自身も一からやり直す覚悟でロベリアへ移って来たとの事だった。
「俺に習うよりもアスター卿に付いた方がいい。俺はあの人から全てを教えてもらった」
「ですが……」
正直、あの先輩がどうなろうとどうでも良かった。思い出したくない事もつい思い出してしまい、ルークの表情が硬くなる。それに気づいてさり気なくハンスを制してくれたのは年長のトーマスだった。寡黙な彼にルークは小声で礼を言い、その後は部屋に着くまで無言で歩いた。
荷物を持っている2人の為に扉を開けると、中には簡素な家具が2組置かれた質素な部屋だった。
「しばらく試用期間になる。その間は2人で部屋を使ってもらう。相手が気に入らなくてもその間は部屋を変えないしきたりで、その間は我慢してもらうしかない。隣は俺の部屋だから、分からない事は何でも気軽に聞いてくれ。何か質問は?」
気を取り直して先輩らしく説明をすると、ハンスが手を上げる。
「ルーク卿、彼女がいるって本当ですか?」
「は?」
「……自分は、上官の飛竜の前で告白したと聞きました」
今度はハンスだけでなくトーマスまでもが話に乗ってきて、ルークは絶句する。
「誰から聞いた?」
殺気を込めた目で睨まれ、2人は狼狽する。
「あ…あの……」
「皇都では噂になっていまして……」
ルークは思わずバン!と壁を叩いた。
「今度会ったら、絶対にユリウスを締め上げてやる……」
彼は心の中でそう決意した。
「あ、あの……ルーク卿?」
2人はルークの殺気に脅え、逃げ出しそうだった。
その頃、マリーリアもジーンに案内されて自分の部屋に着いたところだった。女性竜騎士は少ないので、彼女には1人部屋が用意されていた。
「何も無いのですね」
マリーリアはガランとした部屋を見渡すと、一言呟いた。中にあるのは必要最低限の家具だけである。
「贅沢は言えませんよ、男性の場合は相部屋にされますから」
「そうだったのですか」
マリーリアは無表情で答えると、荷物を広げる。そう多くない荷物の大半は着替えで、装飾が少なく、実用的な物ばかりだった。女性の荷物にしては少ないと感じるのは、足りないものをこちらで揃えるつもりなのだろう。
「何だか意外です」
「何がですか?」
ジーンの言葉に片付ける手を休めたマリーリアは顔を上げる。
「ワールウェイド家のお嬢様だから、もっと華美な物を好まれるのかと勘違いしていました」
「……」
「気を悪くしたらごめんなさい」
黙り込んでしまったマリーリアに慌ててジーンは謝罪する。
「いえ、いいのです。私は愛妾の子だったので、母の故郷で育ちました。この髪が無ければ認知されることも無かった。父には正妻との間に5人も子供がいますし、孫も沢山いますから、私などに手をかけている暇は無いのでしょう」
淡々と答えながら彼女は片付けを再開する。
「ごめんなさい、本当に余計な事を聞いてしまいました」
「いえ、気にしないでください。皇都では有名な話ですから」
無表情のままマリーリアは手を動かし、少ない荷物はすぐに片付いてしまった。
「じゃあ、私はこれで……」
話題が見付からず、さすがのジーンも長居する気になれずに暇を告げる。
「はい」
「何かあったら聞いて下さい」
「わかりました」
ジーンが出ていくと、マリーリアは開け放たれている窓の外を眺める。やがて日暮れを知らせる鐘が鳴りだすが、それでも彼女は微動だにせずにそのまま外を眺め続けていた。
翌日は夜明けから全員そろっての訓練が始まった。軽く体をほぐした後は、基礎体力作りの遠駆けから始まり、100回単位の腹筋と腕立て等を彼らは黙々とこなしていく。他団で鍛えてきたトーマスは問題なく、ハンスとマリーリアもここまではなんとかついてくる。
「ここまでは問題なしか……。思ったよりやるな、彼女は」
朝の訓練に珍しく出ているエドワルドが隣にいるアスターに小声で話しかける。
「これで音を上げるようでは勤まりませんよ」
アスターはマリーリアを軽く一瞥すると、特に驚いた様子もなく答える。エドワルドもアスターも他の団員同様に汗だくだが、まだまだ余力がある。
「よし、少し休憩。水分補給忘れるなよ」
一区切りしたところでアスターが休憩を告げる。まだまだ余力がある者も、地面で力尽きていた者も体を起こして水を飲みに行く。
「午後からは使いに行かせてみるか」
「グロリア様の所ですか?」
「ああ」
「マリーリア卿だけですか?」
「3人共だ。いずれ行くこともあるだろうから、早めに顔を覚えてもらった方がいいだろう」
「そうですね。ルークを同行させます」
「そうしてくれ」
グロリアの館とは切っても切れない仲である。ロベリア内の砦同様に使いに出る頻度が高い場所でもあるので、彼女に挨拶するのは第3騎士団に配属されたばかりの竜騎士達の通過儀礼となっていた。ちなみに帰りは、それぞれが自分のペースで飛ぶ事を許されており、個々の力量を計る目安にしていた。
あの3人が桁違いのスピードを持つルークにどれだけ迫れるか? 口に出して言わないが、エドワルドもアスターもその結果を楽しみにしていた。
「この後朝議がある。ちょっと手合せしてくれ」
総督としての仕事も抱えるエドワルドにとって、訓練に参加できる時間は貴重だった。空いた時間でする1人での鍛錬も怠りはしないが、やはり相手がいないと出来ない事もある。エドワルドとアスターは手早く水分補給すると、長剣を手に構える。
「お、始まる」
リーガスが呟くと、全員が上司2人に注目する。
「3本勝負。いいな?」
「はい」
2人は呼吸を整えると、刃を交える。アスターの素早い攻撃に対し、エドワルドはどっしりと構えてゆるぎなくその攻撃を受け流す。やがてエドワルドが隙を見て鋭く繰り出した一撃でアスターは長剣を叩き落とされていた。
マリーリアは自分があれだけ挑んで敵わなかったアスターが、エドワルドにあっさり負けてしまった事が信じられなかった。
「参りました」
アスターが負けを認めると一旦休憩し、2人は汗を拭うと再び長剣を手にして構える。呼吸を整えると再びアスターから仕掛ける。アスターは縦横無尽に攻撃を繰り出し、エドワルドは防戦一方に追い込まれる。僅かな隙に乗じて攻撃を仕掛けるが、素早く体制を立て直したエドワルドに反撃されて長剣を叩き落とされていた。
「くっ…参りました」
「手を痛めたか?」
手をさすっているアスターを気にしてエドワルドは声をかける。
「いえ、大丈夫です。少し痺れた程度です」
「終わるか?」
「もう1本お願いします」
「わかった」
2人は汗を拭い、水を補給して息を整えると、また長剣を手にして構える。長引けば自分が不利になるのは分かっているアスターは、己に気合を入れてエドワルドに挑む。変幻自在に技を繰り出し、再びエドワルドを追い詰める。
ガキン
鈍い金属音がして、エドワルドの手から剣が落ちる。アスターの渾身の一撃はどうやら一矢報いる事が出来たようだ。
「参った」
エドワルドが両手を上げて降参する。2人は礼をして試合を終えた。息を殺して見物していた他の団員達もようやく大きく息を吐いた。
「すごい……」
ハンスもトーマスも初めて目の当たりにした、上司2人の真剣勝負に思わず力が入ったらしい。トーマスは皇都の練武場で行われたアスターとヒースの試合を見ていたが、今の試合は間近と言う事もあって伝わる気迫が違っていた。武に秀でる彼には十分な刺激となったようだ。
「殿下、朝議の時間が迫っております。お支度をお願いいたします」
手合せを終えたエドワルドとアスターが一息入れていると、文官の1人がエドワルドを呼びに来た。今朝の朝議は昨日の誘拐事件が主な議題となる。席を外す訳にはいかなかった。
「分かった、すぐ行く。アスター、後は任せる」
「はっ」
エドワルドは飲みかけていた水を飲み干すと、乾いた布で汗を拭きながら文官と共に建物の中に入っていった。残された他の団員達はアスターの指揮の下、ハードな武術訓練が続けられ、入ったばかりの3人は初日から厳しい洗礼を受けたのだった。
軽い昼食の後、ルークはアスターに呼び出された。他の団員達は近隣の町や村へ自警団の訓練に出かけており、ルークも出かけようとした折に呼び止められたのだ。
砦以外に正規の兵団を配備するにも限りがあり、駐留できない町や村では若者達を募って自警団を組織していた。火災や犯罪と言った非常時の対応だけでなく、妖魔襲来時には騎士団到着までの間時間稼ぎをする役目もあった。彼らは妖魔を霧散させるほどの力は無いが、武器に香油を塗り込めることによって十分な戦力になり得る。雪が降るまでの間に方々の町や村に立ち寄り、自警団を鍛え、対妖魔の防御設備を見て回るのも竜騎士の仕事に含まれていた。
ルークが副団長室に行くと、入隊したばかりの3人も呼ばれて待っていた。
「早速だが、彼等を連れてこれをグロリア様の館まで届けてくれ」
アスターは果物が入った籠と数通の書簡をルークに渡す。書簡はグロリア宛だけでなく、フロリエやコリンシアに宛てたものもある。籠の果物から想像すると、フロリエ宛てはどうやらエドワルドからの見舞いの内容なのだろう。以前に足を痛めた時にも同様の使いを良く頼まれた記憶があった。
「わかりました」
「マリーリア卿は警護としてそのままあちらに一泊するように。明日はジーン卿が交代する」
「……はい」
マリーリアは不本意らしく、返答に少し間があった。
「帰りは3人とも自分のペースで帰って来い。夕飯前の打ち合わせには間に合せるように」
「はい」
声を揃えて返答すると、彼らは副団長室を後にして飛竜達が待つ着場に向かった。係りによって既に装具は整えられ、一泊するマリーリアの飛竜カーマインには着替えと思しき荷物も括りつけられていた。
ルークは預かった籠を布で覆い、エアリアルの装具に付けてある特殊な金具を使ってそれを固定した。
「さ、行こうか」
準備が整うと、4騎の飛竜は次々に空へ飛び立った。ルークを先頭にそのすぐ後ろにはマリーリアとハンスが並び、しんがりはトーマスが勤めるという一般的な隊列を組む。
「今日は1人じゃないから我慢してくれ」
エアリアルが山越えの気流に乗りたくてうずうずしているが、行きは他の3人と一緒に飛ばなければならない。おそらく3人にはまだ無理だろうから、今日は無理な山越えの無い一般的な経路を使うことになっている。申し訳ないが飛竜には我慢してもらうしかない。慰めるように首筋を叩いた。
「1人だと違う経路を飛ぶのですか?」
すかさずハンスが尋ねて来るが、どうせ帰りには分かってしまうのだけれどルークは明確には答えなかった。彼はまだルークの弟子になる事を諦めてはいないらしい。
やがて林を背景に瀟洒な館が見えてきた。慣れた様子でルークは玄関先にエアリアルを降ろし、他の3人も次々と飛竜を着地させた。厩舎からはすぐにティムが現れ、騎手を降ろした4頭の飛竜を休ませる為に連れて行く。
「お疲れ様です、ルーク卿」
一行の到着を聞きつけてオルティスもすぐに玄関から姿を現す。
「こんにちは、オルティスさん。団長の使いと配属になったばかりの彼等を案内してきました。グロリア様にお目通り願えますか?」
「はい。お待ちでございますよ」
オルティスはそう答えると、4人を居間へと案内する。一礼をして部屋に入ると、グロリアは何時もの席で何かの報告書に目を通していた。
「失礼いたします」
「おお、来たのかえ? 今日はやけに人数が多いの」
迎えた彼女は報告書を閉じ、ルークの背後にいる3人を観察する。国政を引退して10年経つとはいえ、噂に名高い女大公を前にしてトーマスとハンスは固まってしまった。一方のマリーリアは何時もと変わらず淡々としている。
「これを団長から預かって参りました」
本来の目的が先である。ルークは預かった手紙と籠を差し出し、オルティスがそれを恭しく受け取った。特にグロリアに宛てた手紙は、昨日の事件に関してロベリア側の報告を書き連ねてあるらしく、封筒は分厚くてずしりと重かった。
「コリンシア様はただいまお昼寝中でございます。フロリエ様がお傍についておられますが、お呼び致しますか?」
オルティスが小声でグロリアに伺いを立てると、付き添いを誰かに代わり、彼女を呼ぶように命じた。忠実な家令が一礼して出ていくと、グロリアはルークの後ろに控えている3人に視線を向ける。
「我々は昨日付で第3騎士団に配属になりました。これからは使いとして来る事もあると思いますので、ご挨拶に参りました」
経験を積んでいるだけあってトーマスの立ち直りは早く、そう前置きをした後に簡潔に名乗った。続けて未だにガチガチのハンスはカミまくりながら名乗り、マリーリアは相変わらずの無表情で自己紹介の為に前に進み出た。
「おや、そなたはグスタフの娘ではないか」
グロリアは少し驚いたようにマリーリアを見上げる。
「お久しぶりでございます、グロリア様。昨日付で第3騎士団に配属となりましたマリーリアでございます」
丁寧に、そして淡々と彼女はグロリアに挨拶をする。
「まあ、よくそなたの父が許したものよ」
妾腹とはいえ、娘すら手駒として扱う彼としては、この度の彼女の移動は本意ではないはず。謹慎中で影響力が幾分か落ちている証拠だろう。
「あの方が大事なのはゲオルグ殿下でございますから」
グロリアのセリフをどう受け止めたのか、マリーリアは無表情でそう答えた。グロリアもそれ以上は何も言わず、使いで来た4人をソファに勧めた。
「どうぞ」
戻ってきたオルティスが人数分のお茶を用意する。マリーリアとこの雰囲気に慣れつつあるルークは躊躇う事無くお茶を口に付けるが、他の2人はやはりまだ余裕がない様子だった。
「失礼いたします」
しばらくしてフロリエが居間に姿を現した。昨日の憔悴した姿を見ていたルークは、生気を取り戻した彼女をみて、ホッとする。これなら上司にいい報告が出来そうだった。
「お呼びでございますか? 女大公様」
肩に小竜を乗せたまま、何の躊躇いもなくグロリアの元に歩み寄る。ルルーに意識は集中していないのか、ルーク達に気付いた様子はない。
「エドワルドがそなたとコリンに見舞いと手紙を寄越してきた。使いに来たルーク卿と昨日ロベリアに着任した竜騎士達が来ておる。挨拶せよ」
ここで初めて4人の存在に気付いたらしく、フロリエはルルーに意識を集中させて居間の中を見渡す。そして体の向きを変え、先ずはルークに形通りの挨拶をする。
「お疲れ様ですルーク卿」
「お加減は如何ですか? 今日は仕事で無理ですが、近日中に見舞いに伺うと団長からの言伝を頼まれております」
「ありがとうございます。殿下にお礼を伝えて頂けますか?」
「もちろんです」
ルークは笑顔で答えると、同行の竜騎士達を紹介する。相変わらずマリーリアは無表情だが、トーマスとハンスははかなげな彼女の姿に心奪われたようである。
「フロリエと申します」
グロリアの話し相手とコリンシアの養育係を務めていることをルークが言い添えて彼女を紹介すると、優雅な所作で腰をかがめた。
「フロリエ、返事を書くならしばらく待ってもらうが、如何する?」
グロリアの提案に少し彼女は迷った様子だったが、このまま言付けだけを頼むのも気が引けるのだろう。彼女はすぐに頷いた。
「わかりました。すぐにお礼の手紙をしたためます」
「ルーク卿、手間をかけるが、あの子を部屋まで送ってくれるかえ?」
グロリアの提案は彼にオリガと会わせる算段だとすぐに気付く。今日は同行者がいるから諦めていたが、彼女に会えるのは単純に嬉しいので素直に応じる事にする。
「わかりました。では、フロリエ様」
ルークはお茶を飲み干すと立ち上がり、フロリエに手を差し出す。ルルーがいるし、彼女は彼に頼らなくても自由に歩けるので不要なのだが、それでも手を貸さずにはいられない。彼が差し出した手を取るフロリエの姿をハンスとトーマスは複雑な気持ちで見ていた。
「オルティス、マリーリア卿を部屋に案内しておくれ」
エドワルドの手紙には明日まで護衛として彼女を置いておくことが明記されていた。グロリアは荷物を持った彼女に、オルティスについて行くように促した。彼女も一言「それでは失礼します」と言い残し、居間を後にしてしまう。
「……」
残された2人はやはり慣れないらしく、グロリアの前で何とも言えない表情をしている。その様子がおかしいらしく、グロリアは愉快そうに笑う。
「ほっほっほっ。誰も取って食べたりはせぬ。そんなに落ち着かないのであれば、己の飛竜を世話するといい。ティム1人では持て余しておろうからな」
「は、はい」
グロリアの提案に2人は一も二もなく従う。2人は頭を下げるとぎくしゃくした足取りで居間を出ていく。やはり一介の竜騎士にとって、女大公のインパクトは生半可ではないらしい。
ルークがオリガとのおしゃべりデートを楽しんだ後、グロリアとフロリエからのエドワルドへ宛てた手紙を預かって厩舎に行くと、ティムがトーマスから剣術の基本を習っていた。武術試合に出場できるほどの技量を既に持っている彼は、エドワルドやアスターに及ばないにしてもいい教師のようだ。ティムはルークの姿を見ると、兄貴分に嬉しそうに報告してくる。
「俺より強くなりそうだな」
ちょっとだけ危機感を覚えたが、用事は済んだので2人を促してそれぞれの飛竜を連れ出した。
「ルーク!」
ちょうどお昼寝から覚めたのか、玄関から姫君が駆け出してきた。後からはオリガとフロリエ、マリーリアもついてくる。
「コリン様。よく眠れましたか?」
「うん」
ルークは膝をついて目線を合わせ、彼女が何者かすぐに気付いた後ろの2人は恭しく頭を下げる。
「父様にありがとうって。それから、明日お返事を書きますって言ってね」
「わかりました」
真剣な姫君にルークは竜騎士の礼を持って答えた。
「さ、コリン様」
オリガがさりげなくコリンシアを飛竜の側から離してくれる。時間の制約もあるし、飛び立つ飛竜の側に人が……特に小さな子供がいるのは非常に危険だった。風圧で飛ばされる恐れがあるからだ。
「では、失礼します」
見送りのオルティスと女性陣に頭を下げると、ルークは身軽にエアリアルに跨り、他の2人もそれに習う。そして順に空へと飛び立っていった。
「俺は俺の経路で帰るが、2人は無理せずに来た経路で帰るのを勧める。くれぐれも打ち合わせに間に合うように帰ってきてくれ」
アスターの言葉を思い出し、トーマスとハンスに忠告する。トーマスは素直に頷いたが、ハンスは不服そうだ。
「では、あちらで」
ルークはそう言い残すと、エアリアルに速度を上げさせる。この時を待ちに待った飛竜は嬉々としてそれに従い、先ずは一つ目の山越えを目指す。
「あのくらいなら俺にも……」
「おい、待て」
向う見ずな性格の持ち主であるハンスは忠告を無視してルークの後を追う。トーマスは制止したが間に合わず、彼は仕方なく単騎来た経路を帰っていった。
結局、途中でルークの姿を見失ったハンスは、迷いに迷って暗くなってから総督府に戻ってきた。当然、打ち合わせにも間に合わず、忠告を無視した彼は厳しい副団長より腕立てと腹筋を100回ずつ命じられたのだった。
なかなか個性のある3人が新たに配属となりました。
ルークは当分苦労するかも。