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群青の空の下で  作者: 花 影
第1章 群青の騎士団と謎の佳人
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24 踏みにじられた温情2

 アスターは不機嫌な上司を前にしていつになく緊張していた。

 誘拐事件から一夜明け、犯人たちの供述を纏めた報告書を手渡したのだが、それに目を通していくうちにエドワルドから一切の表情が消えた。彼が内包する怒りを抑え込んでいる時の顔だった。長い付き合いで、幾度かそういった場面に遭遇したことがあるアスターですら背筋が冷たくなる。

「首謀者はリリー・シラー。ロベリア西部の地主の娘で先日までグロリア様の館に奉公していた1人です。先日の一件により自宅謹慎となっていたのですが、更生する気配がない事を危惧した両親により修道院に送られていました。しかし、規律の厳しさに耐えられず逃げ出していたようです。

 その後は彼女に甘い祖母によってかくまわれ、遊び歩いていたのが実情です。知人の伝手でドレスラー家の祝いの席にも出席しており、その時目撃した殿下とフロリエさんの仲を邪推したようです。そしてフロリエさんの事を先日まで行方不明と噂のあった娼妓だと未だに思い込んでいます」

「……それで?」

「彼女が神殿での慰問を終えたフロリエさんを訪問し、殿下を騙していると追及したところ、フロリエさんが姫様をさらって逃げたのだと主張しています。親切な男達に協力してもらって自分はそれを追跡し、あの猟師小屋で追い詰めて姫様を奪い返したところまでは良かったが、そこで男達に裏切られて襲われそうになったと供述しています。

 男達はフロリエさんの仲間で、姫様を人質にして身代金を得ようと計画していたと訴え、そして自分が犯人として扱われることに納得できないと言っております」

 あまりにも勝手な主張にエドワルドのこめかみに青筋が浮かび上がっている。激昂しないのはまだ報告がすべて終わっていないからで、理性だけで辛うじて抑え込んでいる状態だった。

「男達は近隣を荒らしていた盗賊でした。あの猟師小屋は地下に小部屋があり、一時的に盗品を隠すのに利用していたそうです。今回も身代金が手に入るか女性達の買い手がつくまでそこで監禁する予定だったらしいのですが、予想以上に早く見付かってしまったと供述しています。

 リリーとは仲間の1人が酒場で知り合ったと言っています。女大公様の元侍女と聞いて利用できると思い、彼女に協力を申し出たそうです。そしてあの小神殿にフロリエさんが慰問に訪れると聞き、今回の事を計画したそうです」

「忌々しい……」

 アスターはエドワルドの放つ殺気を意識しないように淡々と報告書を読み上げる。リリー以外の6人の男達は捕えられて観念したのか、比較的大人しく取り調べに応じていた。いや……正しくは5人だった。突入した時、フロリエに伸し掛かっていた1人はエドワルドに顎の骨を砕かれてしゃべる事が出来なくなっていた。怒りに任せた一撃は思った以上に力が入っていたらしい。今は治療して休ませているが、簡単な質問ならば答えられるので、今朝から医師の立会いの下で尋問が行われる予定だった。

「リリーは特別なお茶だと言って神殿に睡眠薬入りのお茶を持ち込んでいました。自分が姿を見せると警戒されると思ったのか、お茶は接待役の女神官に淹れさせています。

 一方、顏が知られていない護衛達には、フロリエさんからだと言って自ら眠り薬の入ったお茶を差し入れてます。それを彼等が口にして寝入ったところで盗賊達が入れ替わったそうです。縛り上げた彼等を馬車の中に入れたので、オリガさんまでは乗せる余裕がなくなり、彼女は神殿に残していったそうです」

 フロリエが階段から落ちた時に彼女が温情をかけたおかげで厳しい罰を免れたというのに、リリーは恩を仇で返したのだ。あの事件の後、彼女を殺すことになったかもしれない事実に蒼白となっていたのだが、あれも演技だったのだろうか? 

「護衛達の話では、今回の慰問の相手が神殿に身を寄せている女性達だったために、彼らは中までついていくことが出来なかったそうです。この反省を踏まえ、今後は護衛には女性を付けることを検討した方がよろしいかと思われます」

「わかった」

 手元の資料に目を向けながら、最後に付け加えられたアスターの私見に短く答える。そして退出していいと身振りで伝えると、アスターは頭を下げて部屋を下げて部屋を出て行った。

 アスターの指摘は当然の事なのだが、現在フォルビアの竜騎士に女性はいなかった。彼等をまとめる立場だった親族が女性にだらしがないために、フォルビアに女性竜騎士は寄り付かないのだ。今回の不正の発覚により彼も失脚しているのだが、信用できる人物か調査も必要な上に、人員交代の時期は過ぎているのですぐに集めるのは無理があった。

「新婚夫婦には悪いが協力してもらうか……」

 こんな時に頼りになるのは配下の女性竜騎士ジーンである。リーガスと結婚したばかりで申し訳ないが、仕事の一環だと思って協力してもらうしかない。

 それに……事件で忘れそうになっているが、今日の夕刻には新人達が到着する。その中には2人目となる女性竜騎士も混ざっているので、彼女にも両力してもらおう。何やら屈託もある様子だし、自分やアスターには言えなくてもここの女性陣ならば心を開いてくれるかもしれない。

 そう自分の中で結論が出ると、荒れていた気持ちも幾分落ち着いてくる。感情に飲まれていては大事なことも見逃してしまう。1つ深呼吸して気持ちを落ち着けると、見落としはないかもう一度確認しようと報告書を手に取った。




 1人部屋に残ったエドワルドが改めて報告書に目を通していると、戸を叩く音がする。アスターだと思って返事をすると、入ってきたのはコリンシアの世話を任せた年配の侍女だった。

「殿下、姫様が殿下かフロリエ様にいてほしいとぐずっておられるのですが、ご都合は如何でしょうか?」

 薬で眠らされていたコリンシアは、明け方になって目を覚ました。フロリエが懸念した副作用はそれほどひどくなさそうだったが、どんな悪影響があるか分からない為に今日は一日寝台の上で過ごすことになっていた。

 当のフロリエも攫われて襲われそうになったショックからまだ十分に立ち直ってはいない。助け出してから館へ帰還するまでにどうにか落ち着いたものの、治療を受けて休んでから一時もしないうちに悲鳴を上げて飛び起きた。うとうとすることはできても、寝付くと悪夢にうなされる。朝まで眠る事が出来なかった彼女は軽い鎮静剤を投与され、今はどうにか眠りについていた。

 ちなみにオリガが起きたのは夜中で、自分の知らない間にこんな大事となっていた事実に彼女は真っ青になった。またもやフロリエを守れなかったと嘆き、彼女や姫君の側にいると言い張ったが、コリンシアと同様の理由で一日休みとなっていた。今はルークが付き添っている。

「分かった」

 エドワルドは短く答えると、手にした報告書を机に残し、部屋を出ていった。




『お逃げ下さい、嬢様!』

 フロリエは暗闇の中を必死で逃げていた。

 あの時も自分は全く役に立たず、目が見えぬ己の身を悔やんでいた。

 1人で逃げて、逃げて……あの後、あの人はどうなったのだろう?

 そして何か大事な事があったのにそれが思い出せない……。




「フロリエ」

「フロリエ?」

 声をかけられてフロリエはゆっくりと目を開けた。視界は相変わらずの闇。走ったのは夢の中だったのに、呼吸が乱れ、喉はカラカラですぐに声が出ない。

「大丈夫?」

 小さな手が額に触れてくる。ひどく寝汗をかいていて、触れるのも気持ち悪いだろうに小さな姫君は彼女を心配して熱を確かめている。

「大丈夫ですよ、コリン様」

 息が整い、フロリエがようやく体を起こすと、誰かが肩にショールをかけてくれる。

「すみません……」

 どこからかルルーが飛んできたので、膝にのせて気持ちを落ち着けてから意識を集中させる。

「大丈夫か?」

 側にいるのがエドワルドだと気付き、フロリエは飛び上がるほど驚くと同時に、身に付けているのが薄手の夜着だったことを思い出して慌てて夜具を体に巻きつける。

「で、殿下?」

 ショールをかけてくれたのは気遣ってくれたのか、目のやり場に困ったからなのか。フロリエは羞恥で真っ赤になる。

「気分が優れないのなら、リューグナーを呼ぼう」

「だ、大丈夫です」

 鎮静剤のおかげで少し休めたからか、あの頭重感は無くなっている。今、気分が優れない原因は夢での焦燥感が大きく、肉体的な苦痛ではないから彼が来たところでどうにもできないかもしれない。

「そうか。無理はしない方がいいが、とにかく誰か呼んでくる。コリン、ここにいなさい」

 エドワルドはそう言い残すとすぐに部屋を出て行った。

「フロリエ、大丈夫?」

 ようやく緊張を解いた彼女をコリンシアは心配そうに見上げている。フロリエは姫君の頭を撫でながら彼女の状態を観察する。

「コリン様はもう大丈夫ですか?」

「うん」

 元気な返事が返ってくる。

「頭が痛かったり、気持ちが悪かったりしませんか?」

「大丈夫」

 フロリエはほっとしてコリンシアの頭を撫で続ける。使われたのは強い薬だったが、思ったよりも姫君が摂取した量は多くなかったのだろう。

「父様がね、フロリエの事すごく心配していた」

「え?」

「何も見えなくて怖かっただろうって。それで、助けた時には最初にコリンの事心配してくれたって、本当?」

「コリン様の事が心配で、心配で……。でも、本当に無事で良かった」

 囚われていた時の事を思い出せば背筋が寒くなるが、それでもコリンシアの頭と、膝にいるルルーを撫でていると気持ちが落ち着いてくる。更にニャーンと鳴き声と共にブルーメもやってきたので、子猫も膝にのせてその手触りを楽しむ。子供や小動物には心を癒す作用があると聞いた気がしたが、身をもって体験できるとは思わなかった。休んでいるのが飽きたオリガが、身の回りの世話に来てくれるまでフロリエはコリンシアとその癒しを満喫していた。




 フロリエの部屋を後にしたエドワルドは、オルティスに侍女の手配を頼むと居間に顔を出した。

「コリンはどんな様子じゃ?」

 いつもの席に幾分か憔悴したグロリアが座って書類に目を通している。かわいがっているコリンシアとフロリエが攫われた一件は彼女にも精神的なショックを与えていた。彼女達が無事に保護され、そして助かったコリンシアが目を覚ますまでは、自分の体調を顧みずにエドワルドと共に次々入ってくる報告を受けたのだ。

「あの子はもう大丈夫です。痛いところも気分が悪くもないと言っています」

「そうか……」

「心配なのはフロリエです。1人で犯人達と相対し、更には襲われかけたのですから……。先ほども悪い夢でも見たのか、悲鳴を上げていました」

 沈痛な面持ちのエドワルドはどうにか助けてやりたいと付け加える。

「今はどうしておるのじゃ?」

「誰か手が空いている者を手配してもらいました。コリンシアが側についています」

 自分の無力さを思い知ったようで、エドワルドは大きなため息をつく。

「……あの娘を養女に迎えるために、事を急ぎすぎたのかもしれんの」

 自嘲気味にグロリアが呟く。他の親族達に認めてもらう為にも、近隣の有力者達に知己を作った方が楽と考えたグロリアは、先日のドレスラー家の夜会のようにフロリエを彼女の名代として様々な集まりに出席させていた。

 昨日も腕の立つ竜騎士を護衛に付けていたから滅多なことは起らないだろうと思って送り出したのだが、護衛が神殿の建物の中に入れてもらえないとは想定外だった。

「これからも彼女を名代として外へ出すのでしたら、やはり信頼できる専属の護衛を決めるべきです。アスターからも助言がありましたが、今回の事からしても女性が望ましいかと」

「そうか……」

「専属の護衛が決まるまでの間、2人の外出は極力控えるのは当然として、念の為に竜騎士を1名常駐させましょう」

「フォルビアのかえ?」

「第3騎士団のですよ。やはり女性が好ましいですから、ジーンをしばらく寄越します。あと、新人が来ますから、彼女にも来てもらいましょう」

 何やら企んでいるような表情に頼もしく思う反面、うまくいくだろうかと一抹の不安がよぎる。

 だが、今回の事件はフォルビア側の兵士の失態もあるので断る理由がない。皇家の姫君を護衛する名目で騎士団から護衛を派遣するのは不自然ではないので、フォルビアの騎士団も異論はないだろう。否、異論を唱えさせるつもりはない。

「これをきっかけにフォルビア騎士団を掌握できれば、親族達の暴走を完全に抑えられますよ」

「なるほどの」

「そうと決まればこちらの計画も練り直しが必要ですし、とりあえず今日はロベリアに戻ります。夕刻には先ほど言った新人達が到着する予定になっていますので」

「そうか……」

「あと、向こうの軍医に精神的な疾患に詳しい医者を紹介してもらってきます」

「そうしてもらっておくれ。リューグナーも不得手だからと突っぱねることも無かろうに……」

 専属医の態度にグロリアはため息をつく。だが、専門の医者に診てもらえた方がフロリエも良くなるだろうとすぐに思い直した。

 そこへ戸を叩く音がして恋人の看病に勤しんでいるはずのルークが居間に顔を出した。

「失礼します」

「オリガはどうした?」

「大人しくしているのが飽きたそうです」

「それで?」

「コリン様とフロリエ様の部屋におられます。動き回らないという条件でお2人に付くことを許していただきました」

 今、3人はブルーメとルルーを弄り倒して遊んでいる。それで案外心が安らぐらしい。

「そうか……」

「私も十分休めましたし、する事がありましたらと思いまして……」

 大人しくしていると落ち着かないとは、似た者同士のカップルである。

「ロベリアに戻る。共をしてくれ」

 後に報告書をロベリアにも送る条件で、事件の後始末はフォオルビアの竜騎士団が行っている。アスター以外の捜索に参加した第3騎士団のメンバーは既にロベリアに戻っていて、アスターも犯人達の尋問に時間が許す限り立ち会い、新人が到着する夕刻までには帰還する手はずとなっている。

「わかりました。すぐに準備します」

 ルークは頭を下げるとすぐに居間を飛び出して行った。




 フロリエの部屋に寄ると、3人はまだブルーメやルルーを触っていた。先ほどよりも幾分顔色が良くなったフロリエの姿を見て安堵し、エドワルドは仕事でロベリアに戻る旨を伝えた。そして準備を整え、改めてグロリアに暇を告げて外に出る頃には、グランシアードとエアリアルの装具を整えたルークが表で待っていた。

 館の警護にあたるフォルビアの兵達に労いの言葉をかけると、エドワルドはルークを伴って一旦ロベリアに戻ったのだった。

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