23 踏みにじられた温情1
祝いの席の数日後、エドワルドはルークを伴いグロリアの館を訪れていた。いつもなら元気よく出迎えてくれる姫君がいないのは、フロリエやオリガと共に近くの小神殿へ慰問に出かけているからだ。フォルビア所属の竜騎士を護衛に付けて昼頃に送り出したので、もう戻ってくる頃合いだった。
「その後の様子は如何ですか?」
オルティスに差し出されたお茶を飲みながら、どうしても聞いておきたいことを切り出す。
先日の祝いの席の翌日にグロリアは代理人をしている親族を呼び出して、エドワルドの調査結果を突き付けていた。エドワルドは同席したが、コリンシアには聞かせたくなくてフロリエやオリガと共にロベリア見物に行かせていたのだ。
「とりあえず大人しく従っておるの」
「しばらく様子を見る必要はありますね」
「そうじゃの」
あらゆる証拠を突きつけられ、彼らは渋々ながら非を認めた。その権限をグロリアに返上し、着服した金を返納する旨の覚書が作られ、エドワルドが証人となって署名した。そして親族達は来春まで謹慎となり、後任にはエドワルドが推薦した文官が付く事となった。
「何から何まで世話になった」
「出来る事をしたまでです。礼には及びません」
エドワルドは頭を下げようとするグロリアを制し、照れくささをごまかすようにお茶を口にする。
しばらくの間、2人は無言でお茶を飲んでいたが、バタバタと慌ただしい足音が廊下から聞こえてくる。フロリエとコリンシアが帰ってくる頃合いなのだが、それにしても騒々しい。
「何事じゃ?」
「た、大変です!」
血相をかえてルークが居間に飛び込んでくる。腕には意識がないらしいオリガを抱きかかえ、その後ろからはワタワタと暴れるルルーを掴んだティムが続く。
「ルーク?」
「姫様とフロリエさんが攫われました!」
「何だと?」
心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けたエドワルドは、手にした茶器を床に落とした。
「オリガを部屋へ……。いや、客間に休ませるのじゃ」
エドワルドが凍り付いている間に、グロリアは意識の無いオリガを抱いたままのルークに的確な指示を与え、彼はすぐに2階に駆け上がっていく。それに習ったオルティスもすぐに使用人を呼び出して細かい指示を与えていく。
ほどなくして恋人を休ませたルークが戻ってきたところでようやく事の経緯が説明される。
「ルーク兄さんに誘われて馬で迎えに行ったんですが、神殿に着くと既に帰ったと言われました。ただ、侍女が1人、具合が悪くなって休んでいると言われ、案内された客間には姉さんが休まされていました」
「いくらゆすっても起きないし、不審に思って神殿の関係者に話を聞いたところ、慰問の後応接間で休憩中に具合が悪くなったと……。
フロリエさんは遅くなるからと言って、彼女を神官達に託して姫様を連れて先にお帰りになったそうです」
ティムとルークの報告にグロリアもエドワルドも眉を顰める。2人が知るフロリエの性格からすると、その行動に違和感を覚えたからだ。それはルークもティムも同じだったらしい。
「神殿に向かう途中に大公家の馬車ともすれ違わなかったし、どうにも納得できなかったので神官を始め神殿にいた人に片端から話を聞きました。その言伝はフロリエさんが直接言ったのではなく、侍女からの伝言だったそうです」
「今日付き添ったのはオリガだけだった筈じゃが?」
グロリアは首を傾げる。
「下働きの1人から聞いた話ですが、お館の元侍女だと言う女性が彼女達を訪ねて来たそうです。フロリエさんは帰る時、その侍女と護衛に支えられて馬車に乗り込んだと聞いています。姫様もお休みになっていたらしく、別の護衛に抱き上げられていたそうです。後から気づいたのですが、神殿の敷地を出たところでこいつが麻袋に入れられて放置されていました」
ルークがティムに掴まれてワタワタと暴れているルルーを指さす。その小竜に頼っている生活をしているフロリエからすれば、それこそあり得ない事だった。エドワルドは言いようのない怒りが沸々と沸き起こってくる。
「そいつを貸せ」
「はい」
ティムはっその要求に素直に応じ、怒りに震えるエドワルドにルルーを差し出した。
「ルルー、覚えている限りの記憶を寄越せ」
無造作に小竜を受け取ると、その顔を覗き込んだ。小竜は目を白黒させながらも、彼の要求に応じる。しかし、はっきりと見えてくるのは椅子に力なく座っているフロリエ達の姿と、袋の中らしい心像のみだった。後の肝心な場所はおぼろげで、結局は大して役に立っていない。
「使えん」
ようやく解放された小竜はヨタヨタといった風情でソファに着地しようとしたが、そこはグロリアの膝の上だった。彼女は目を回しているルルーを落ち着かせようと優しく撫でる。
「小神殿の神官長にこの事を伝え、フォルビア騎士団へ連絡を頼みました。殿下にいち早くお知らせしようと思い、俺達は戻ってきました」
報告を終えたルークにエドワルドは迷うことなく指示を出す。
「ルーク、大至急ロベリアに戻ってアスターに事の次第を知らせろ。向こうではアイツの指示に従え」
「はい!」
ルークはすぐに外へと駆け出し、ティムもオルティスに呼ばれて部屋を出ていく。本当は自分も駆け出していきたい衝動に駆られたが、1人で飛び出すのは得策ではない。エドワルドはソファに座り直すと、腕組みをして考えをめぐらす。
この時間になっても帰ってこない上に神殿まで往復してきたルーク達が見かけていない事からして2人が連れ去られたのは間違いない。それはいったい何者か? ここを解雇させた侍女が絡んでいるのは疑いようもないが、彼女達だけで行われた犯行だとは到底思えない。
裏で協力したのは副総督を解任したトロストか、不正を暴き立てたフォルビアの親族達か、心当たりが次々出てくる。自分の不始末に巻き込んでしまった2人に申し訳なくなると同時に自分が情けなくなってくる。
1人で悶々としていると、やがて慌ただしい足音が近づいてくる。オルティスに案内されて居間に姿を現したのは、フォルビア騎士団に所属する竜騎士で、この地域を任されている隊長だった。今日の外出についていた護衛2人と御者を務めた男は、彼の部下から選出されていた。
「で、殿下、この度は本当に申し訳なく……」
土下座しそうな勢いの彼の顔は蒼白だった。エドワルドは片手を上げて彼を制し、謝罪の言葉を遮った。
「謝罪は後だ。攫われた2人の行方を追うのが先だ」
「は、はい」
「一先ず、2人の救出までは私が指揮を執る。異存はないな?」
「もちろんでございます」
隊長に異論があるはずも無く、一も二もなく同意する。そして彼が持参した周囲の地図を元に、エドワルドは必要な指示を与える。既に検問の設置は完了しており、その外苑から徐々に範囲を狭めて捜索に当たる事となった。
フォルビア~ロベリア間の最短記録を更新したルークやロベリアでの調査をクレストに一任したアスターが率いる第3騎士団の団員達も加わって大々的な捜索が行われた結果、先ずは大公家の紋章入りの馬車が見つかった。
馬は放されて姿が見えなかったが、中には薬を盛られて眠らされた護衛の2人と御者が縛り上げられて放り込まれていた。駆けつけた上司によって手荒に叩き起こされた3人は、現状を把握して蒼白となっていた。あわてて捜索に加わると言ったが、薬の副作用が顕著に表れており、休養という名の謹慎がその場で言い渡された。
そして日が沈んで辺りが暗くなった頃になってようやく待ちわびた報告が館にもたらされた。
「お2人の居場所が分かりました!」
「本当か?」
知らせをもってきたのはルークだった。エドワルドの前に広げられた地図でその位置を指し示すと、馬車を発見した場所とは反対側の森の奥にある猟師小屋だと分かった。エドワルドは腰を浮かせる。今は数名の竜騎士が見張っており、突入するのに十分な兵力が集まるまでに状況の把握に努めているらしい。
「2人がいるのは確実なのか?」
「はい。エアリアルだけでなく、ファルクレインもジーンクレイもお2人の気配を感じ取っています。ただ、意識が無いらしく、その気配は微弱ですが」
「!」
エドワルドは立ち上がると迷わず戸口に向かう。その姿を目で追っていたグロリアが眉をしかめて咎める。
「どこへ行くのじゃ?」
「2人を助けに行きます」
きっぱりと言い切ると、エドワルドはルークを従えて居間を出ていく。その姿を見送ると、グロリアは膝に乗ったままのルルーの背中を撫でながら呟く。
「本気じゃの」
優しいご主人様の手が恋しくて、ルルーは切なげに一声鳴いた。
「……この女は……」
「子供は……」
「……後は手筈通りに」
重く感じる頭を抱えてフロリエが目を覚ますと、複数の男女が交わす会話が聞こえた。ルルーの気配はしないが、傍らにはコリンシアの温もりを感じる。しかし、ぐっすりと眠っている様子で身動きがない。手で触れて辺りの様子を確認すると、固い寝床に寝かされていて一応毛布らしきものがかけられている。彼女は肌寒さに思わず身震いをする。
「ここは……どこ?」
霞がかかったような記憶をたどろうとするのだが、ズゥンという頭の痛みが邪魔をする。この頭の重さに何故か心当たりがあった。少量でも良く効く睡眠薬の一種で、この頭重感が副作用だった記憶がある。それを自分達に使われたのだとはっきり自覚すると、フロリエは肝が冷えた。
「女がもう起きたぞ」
「何?」
「朝まで効くはずじゃないの?」
フロリエが起きた事に気付いて彼らは慌てた様子だった。何も見えず、状況が把握できない彼女は不安で押しつぶされそうだったが、確かめなければならない。傍らのコリンシアを手探りで抱き寄せ、必死に呼びかけて揺り起こそうとする。
「コリン様、コリン様」
ぐっすりと眠っていてコリンシアは起きる気配もない。そんな姫君を抱きしめ、フロリエは人の気配がする方向に顔を向ける。
「何が目的かはわかりませんが、まさか子供のコリンシア様にも薬を使ったのですか? 幼い子供への薬の使用は、一歩間違うと重篤な障害が残る恐れがあります!」
怒る論点は違う気がするが、それでも彼女はコリンシアの為に語気を荒くする。そんな彼女に彼らは一瞬怯んだ様子だったが、男の1人が彼女の乱れた髪を乱暴に引っ張る。
「随分と強気だが、自分の立場がわかってねぇのか?」
「嘘か本当か知らないけど、目が見えないという話よ」
女性の声を聞いて何があったのか思い出した。小神殿での慰問が終わり、応接間で休憩しているところへグロリアの館に侍女奉公に上がっていたリリーという名前の女性が謝罪をしたいと言って入ってきたのだ。
オリガは随分と警戒していたが、彼女にも同席してもらって話を聞くことにしたのだ。だが、その話の途中で記憶が途切れている。
「何が、目的なの?」
「貴女、殿下と婚約したんですって?」
リリーはフロリエの質問には答えず、逆に高飛車に訊ねてくる。しかし、婚約など全く身に覚えのないフロリエは首を傾げる事しかできない。
「何の事でしょうか?」
「とぼけないで。先日の夜会では殿下との仲を見せびらかして随分と楽しそうだったじゃない」
先日の祝いの席の事だと気付いたフロリエは、密やかに交わされる会話の中に自分がエドワルドの恋人だと噂されていた事を思い出した。心配になってエドワルドに尋ねたが、いつもの事だから気にしなくてもいいと言われ、そのまま特に気にかけていなかった。
「私は女大公様の名代で参ったのでございます。グロリア様に頼まれて殿下は私に付き添って下さっていたのです」
彼女はあの時の噂を信じてこんな事をしたのだろうか? コリンシアはただ巻き込まれただけなのだろうか? 一緒にいたオリガや護衛達はどうしたのだろうか? グルグルとフロリエの頭の中で疑問符が飛び交っている。
「事故を装って同情を誘い、子供を出しに殿下に近づくなんて随分とやり手なのね。もしかして、今までにもこうやって同情を誘って稼いでいたの?」
「何を……」
相手の言っている言葉が理解できず、フロリエは昏々と眠り続けるコリンシアを抱きしめた。
「知っているのよ、私。貴女娼妓なんですって? あのお館は貴女みたいな人がいていい場所じゃないの。ましてやこの国で最も高貴な血に連なる殿下のお傍に近寄ることも許されないのよ。さっさと元居た場所に帰りなさいよ」
「な……」
投げかけられた言葉が理解できないでいると、彼女はフロリエからコリンシアを奪い取ろうとする。必死に抵抗するが、目の見えない彼女はなすすべもなく小さな姫君を奪い取られ、なおもすがろうとすると硬い床に突き飛ばされてしまう。
「あ……」
「扱いにくいけど、姫様は私が預かるわ。甘やかしさえすればいいんだし、楽なものよね。そうすれば殿下の寵愛も得られるし、陰気臭い修道院からも出られる」
リリーは己の行動が正しいと信じている様子だが、これはれっきとした犯罪だ。皇家の姫君を拉致しているのだから、通常よりも罪は重くなる。彼女はそれが分かっているのだろうか?
自分はともかくコリンシアを助けるために、エドワルドは躊躇せずに部下を集めて全力でその行方を追うだろう。飛竜の力も加われば居場所はすぐに判明し、いくら護衛がいても精鋭の竜騎士が突入してくれば抵抗する間もなく制圧されるだろう。
「この様な手段を用いた時点であなた方は既に罪を犯しています。ましてや、皇家に連なる姫君を攫ったのです。それこそ一生牢に入る事になりかねません」
フロリエは半身を起こし、毅然として顔を上げる。そして挫けそうになる心を叱咤して見えない目で相手を見返す。彼女は幼い姫君を守る為に必死だった。それでも語調を荒げず、冷静に淡々とした口調で相手の説得を試みる。
「あんたに惑わされた殿下が真実に気付かれればそれで済む話だわ」
「貴女の仰る真実が何であろうと、これは許される事ではありません」
「うるさいわね!」
リリーに突き放され、側に居たガラの悪い男がフロリエの髪を強く引っ張った。
「後は好きにしていいんだよな?」
髪を掴んでいた男はフロリエの腕を掴んで固い寝台へ引きずり戻す。そして固い寝台に押し倒されて伸し掛かってくる。男の気配は1人ではない。もがいて必死に抵抗を試みるが、手も足も押さえつけられている。
「なかなかの上玉じゃないか」
舌なめずりをしていそうな野卑な言葉にフロリエは改めて恐怖を感じた。
「後は好きにして」
リリーはそう言い残して立ち去ろうとするが、別の男にその行く手を遮られる。
「ちょっと、どけてよ」
「待ちねぇ、嬢ちゃん。あんたもその姫さんも一緒に来てもらうぜ」
「冗談でしょ?」
「いい金蔓を手に入れてくれて感謝するぜ、嬢ちゃん」
言い争う声が聞こえる。リリーは手を組んだ相手に裏切られたらしく、事態は余計に悪化していた。
「離して!」
とにかくコリンシアを助けなければ。フロリエは懸命に抵抗するが、のしかかってきている男には敵わない。
「大人しくしろ」
バシッと頬をはたかれる。抵抗が弱まったところで伸し掛かった男は嬉々としてフロリエの衣服に手をかけた。
「いやー!」
フロリエは力の限り叫んだ。
エドワルドが問題の猟師小屋がある森に着くと、捜索に加わっていた全ての竜騎士と多くの騎獣兵が集まっていた。気配を殺し、突入の指示を今か今かと待っている。ただ、それだけの人数が集まっていても、小屋への入口は限られている。
「外の見張りは3人。中には男女合わせて4人確認されています」
現場で指揮を執っていたアスターの説明を聞きながら、エドワルドが離れた上空で現場を確認する。そして仮の陣に戻ってくるととんでもない指示を与える。
「まずは外の見張りを中にいる仲間に気付かれない様に確保しろ。その後、屋根を飛竜で一気にはがし、竜騎士は上から突入する。残りの兵士たちは周囲を固め、逃れた犯人を捕えよ」
壁は石造りで頑丈にできているが、屋根は木で組んだ枠に板が打ち付けられたものを上にのせて留めてあるだけの簡素な造りとなっていた。飛竜の力ならば簡単に剥がせるだろう。無茶だと思われるが、誰も反対はしなかった。
簡単な打ち合わせが済むと、すぐに全員配置につき、エドワルドの号令の下、作戦が決行される。
「かかれ!」
先ずは、音もなく忍び寄っていた精鋭が表にいた3名の見張りを昏倒させる。そしてフォルビア騎士団の飛竜達が強引に屋根が引きはがす。
バキッ!メリメリメリ……
屋根の破壊音に混ざってフロリエの悲鳴を聞きつけたエドワルドは、グランシアードの背から飛び降り、埃が立ち込める小屋の中へ真っ先に突入した。目の前にあるのは猟師が仮眠用に使っていたと思われる固い寝台。そしてそこには男に組み敷かれたフロリエの姿があった。
「!」
それを目にしたエドワルドは瞬時に頭に血が上った。あっけにとられている男の顎に渾身の一撃を見舞うと、すぐにフロリエを抱きしめる。
「フロリエ」
衣服は乱れているが、辛うじて間に合ったらしい。抱きしめる腕が自分でも気づかないうちに震えていた。
「……殿下?」
安堵したのか、彼女の目からは涙が溢れている。
「遅くなって済まない」
「いえ……。コリン様は?」
だが、気丈な彼女は自分が助かり安心する間もなく、コリンシアの安否を気にする。驚きながらも彼女を抱き上げて振り向くと、リリーも男達も竜騎士達によって全員取り押えられていた。最大の懸念であった姫君もルークの腕の中で場違いなほど健やかな寝息を立てている。右腕一本でフロリエの体を支え、左手で娘の頭を撫でる。何も知らない無邪気な寝顔は埃で少し汚れていた。
「でも、強い薬を飲まされています。何かあったら……」
無事だと分かってなお、フロリエはコリンシアの体を気遣う。そんな彼女が痛々しくもあり、エドワルドは胸が熱くなった。
視線をルークに送ると、心得た彼はすぐさま館に向かった。エドワルドもその後に続いて埃っぽい現場を離れ、後をアスターに任せると彼女を抱えたままグランシアードの背に跨った。
月明かりの下、フロリエの顔を見れば痛々しいほどに腫れている。それでも彼女は気丈に振る舞おうとするが、恐怖感がわいてきたのか彼の胸に縋って泣き始めた。その姿に彼は改めて彼女を守りたいと切に思うのだった。