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群青の空の下で  作者: 花 影
第1章 群青の騎士団と謎の佳人
22/156

20 慌ただしい帰還3

 翌朝、フロリエは出立する一行を見送る為に着替えを済ませて部屋を出た。今日は装飾を抑えた淡い黄色のドレスを身にまとっている。コリンシアに手を引かれ、オリガに肩を貸してもらいながらゆっくりと自分の足で廊下を歩き、階段は手すりに捕まって一段一段降りていく。

 昨日、何度もエドワルドに抱き上げられて移動したのが恥ずかしく、また、手を煩わせるのが申し訳なくもあった。それで今朝は早めに支度を済ませ、彼が迎えに来る前に部屋を出たのだ。聞けば今はルークと共にグランシアードの世話をしているらしい。今のうちに居間へ移動すれば彼の手を煩わせなくて済むだろう。

「あ、父様!」

 階段を半分ほど降りたところでコリンシアが玄関を指差す。飛竜達の世話を終えたエドワルドとルークがちょうど玄関に入って来たところだった。

「フロリエ、無理は……」

 そう言い終える前にコリンシアがフロリエの手を離して先に階段を駆け下り、父親の元へ駆け寄っていく。彼は娘を片腕で抱き上げると、足早に近寄ってくる。

「無理はしておりません。少しは歩きませんと……」

 フロリエは肩にとまるルルーに意識を集中させながら、手すりをつかむ手に力をこめて痛む足を庇いながら慎重に階段を下りる。ところが、あと数段というところで、手すりをつかんだ手が滑り、バランスを崩す。

「フロリエ!」

「フロリエ様!」

 とっさに踏ん張ろうとするが、痛めている右足では体を支える事も出来ない。足場が悪いこともあってそのまま倒れそうになるが、力強い腕に抱き留められていた。

「……」

 脅えたルルーがどこかに飛んで行ってしまい、視界が暗闇に戻る。それでもフロリエには抱き留めてくれた相手が誰かはすぐに分かった。昨日から幾度となく抱き上げられた折に触れたその鍛え上げられた体と、間近に感じた息遣いは間違えるはずもない。

「……すみません、手が滑りました」

 無理するなと言われていたのに、それを無視して起こした事故にフロリエは震えながら謝罪した。片腕で彼女を抱き抱えている相手からは怒りが伝わってくる。

「……確かに滑るだろう」

 何かを確認したのか、少し間があった彼の言葉に、今までにないほどの怒りを感じ取る。

「アスター! オルティス!」

 階段を落ちそうになったフロリエを見てあげたオリガの悲鳴を聞きつけて、飛竜の世話を終えた他の竜騎士や使用人達が姿を現す。その場にいたオリガはエドワルドが床に降ろしたコリンシアを抱きしめ、ルークは逃げ出したルルーを捕まえてなだめている。

 エドワルドに呼ばれた2人は急いで傍に寄ってくる。

「リューグナーを呼べ。それから、その手すりを調べろ」

 簡潔に命じるとフロリエを抱き上げてそのまま居間へと連れて行く。バタバタと人が慌ただしく動く気配がしているが、周囲の様子が読み取りにくい状態の彼女はただ震えているしかない。あの時、コリンシアが父親に駆け寄らなければ、自分の不注意で姫君を巻き込んでいたかもしれない。その事を思うと背筋がゾッとしてくる。彼女の父親が激怒するのも頷ける。

「何事じゃ?」

 居間ではいつもの席にグロリアが座って手紙に目を通していた。

「フロリエが階段から落ちかけました」

 エドワルドは怒りを抑え、簡潔に説明するとフロリエをソファに優しく降ろす。

「す、すみません……。もう少しで姫様を……」

 フロリエは震える声で謝罪するが、丁度リューグナーが居間に入って来たので、エドワルドは肩を軽くポンポンと叩いただけでその場を離れる。




「しばらく安静が必要です」

 先日も同じことを言ったはずだと不機嫌そうに呟き、リューグナーは診察を終えた。治りかけていた右足は再び痛々しいほどに腫れ上がり、リューグナーが作った湿布を張って包帯を巻かれていた。その作業の間中、彼はフロリエにしか聞こえないくらいの小声で不満を呟いた。

「自分は女大公の為にいるのであって、お前ごときを診るためにいるのではない」

 彼は診察を済ませると、グロリアとエドワルドに頭を下げて居間を退出する。彼女を診るのはいかにも時間の無駄だと言わんばかりに。

 リューグナーと入れ違いにアスターとオルティスが居間に入って来た。アスターの手にはルルーが抱かれており、彼は先に小竜をフロリエに手渡す。

「すみません……」

 今は謝罪の言葉しか口から出ない。フロリエはどうやら落ち着いたらしいルルーを腕に抱き、自分も落ち着かせようとする。だが、あの怒りを自分に向けられると思うと体が震えてくる。

「殿下のご指摘通り、手すりにはろうが塗られておりました。今、侍女頭が掃除を担当している者達に話を聞いております」

「そうか」

 オルティスの報告に短く返答すると、エドワルドはグロリアを一瞥し、彼女が頷くと席を立って居間を出ていく。その後ろにアスターとオルティスが続く。

「申し訳……ありません……」

 フロリエはグロリアにも謝罪する。

「そなたの所為ではあるまい」

「いえ、私が無理をしたばかりに……。姫様まで巻き込むところでした」

「手すりに蝋が塗ってあった。エドワルドが出立した後であればこの程度では済まなかったであろう」

 手短な報告でグロリアは何があったかは察したようだ。安心させるようにフロリエの手を握る。

「エドワルドはそなたを怒っているのではない。自分の目の前でこの様になった事を……それを防ぐことが出来なかった自分自身に腹を立てておるのじゃ。もちろん、そのような事を引き起こした人物にもな」

「女大公様……」

「その様な者を雇い、オリガの忠告も生かせなかったことを逆に謝らなければならぬ。すまぬ、フロリエ」

 グロリアは深々と頭を下げ、フロリエは恐縮して彼女の頭を上げさせた。

 やがてこの春から奉公に上がっていた年若い侍女達がその犯行を自供した。「何もできないのにちやほやされているから、ちょっと驚かせるつもりだった」と白状した途端、エドワルドに凍りつくような視線を向けられた。そして、一見穏やかな口調で、彼女だけでなく姫君まで巻き込み、下手をすれば命を落とす危険もあった事を告げられて彼女達は蒼白になって取り乱した。幼稚な動機と稚拙な犯行に呆れるしかない。

 結局彼女達は全員解雇となり、親元へ帰される事となった。事のあらましを伝えたうえで各家での謹慎処分となった。エドワルドとしてはもっと厳しい処分を言い渡したかったのだが、フロリエがそれ以上の処分を望まなかったので諦めた。館を解雇されたことで彼女達の名誉は十分すぎるほどの傷がついたからだ。

 それらの事後処理を慌ただしく済ませたエドワルドは、怖がらせたことをフロリエに謝罪し、竜騎士達を引き連れてロベリアへと帰っていった。




 ロベリアに帰った数日後、留守中にたまっていた仕事を含めて様々な事後処理を終えたエドワルドは久しぶりに梔子館を訪れた。開口一番にトロストの一件をエルデネートに詫び、フロリエを救ってくれた事に感謝した。

「間に合って良うございました」

「本当に手間をかけた」

「かわいらしいお方ですわね。丁重な礼状も頂きましたのよ」

 夕食の席に着く前に2人は食前酒で軽く喉を潤す。

「そうか。叔母上も君には感謝していた」

「それは何よりの褒め言葉ですわね」

 グロリアには嫌われている自覚があるエルデネートは、彼女が自分を評価してくれたことに驚いた。

「それだけ彼女をかわいがっているのだろう」

「その様でございますわね」

 そこへエルデネートに仕える老夫人が夕食の支度が整った事を告げ、2人は食堂に席を移す。

 夕食の席では話題を変えて、皇都での夏至祭の話となった。ルークが飛竜レースで一位帰着を果たしたことを彼女は喜び、リーガスも武術試合で2番手と健闘した上にいつの間にかジーンと結婚していた事に驚いた。彼らの慶事に改めて2人で乾杯し、楽しい夕餉のひと時を過ごした。

「いかがされましたか? ご加減でも……」

 寝室に移動してからというもの、急にエドワルドの口数が少なくなった気がしてエルデネートが尋ねる。

「いや、そうではない」

 エドワルドは我に返ると、ワインが注がれたグラスに手を伸ばす。以前はここに来れば心が満たされていたのに、実のところ、今は何かが物足りなく感じていたのだ。どうしてだろうかと考えていたところへグロリアの館で戯れるフロリエとコリンシアの姿を思い出していた。それはエルデネートに失礼だなと思い、振り払おうとしたところで彼女に声をかけられたのだ。

「君は今、幸せかい?」

「難しい質問でございますね」

 唐突な質問に彼女は笑って答える。

「難しい?」

「幸せの基準は人によって違いますから」

「なるほどねぇ」

 エルデネートはボトルを差し出し、エドワルドのグラスにワインを継ぎ足す。彼はそれを飲み干すと、空のグラスをテーブルに戻す。

「私としては、こうして貴方の腕の中にいる瞬間は幸せに感じますけど」

 エドワルドが差し出した腕の中に身を任せると、彼女は悪戯っぽく微笑む。

「ならば、ずっとこうしていられるようになろうか?」

 エドワルドは彼女の体を抱きしめる。

「そうなると微妙ですねぇ」

 暗に結婚を仄めかされても彼女は一向に動じない。

「どうして?」

「あなた様が正真正銘の独り身でしたらお受けしたかもしれませんが……」

「私は独身だぞ」

 心外そうにエドワルドはエルデネートの顔を覗き込む。

「ですが、忘れてはならないお方がおいでです」

「……コリンの事か?」

「左様でございます」

 すぐに思い至ったエドワルドに彼女は笑顔で答える。

「あなた様の奥方になるには、コリン様の母親にならなければなりません。私では無理でございます」

「どうして?」

「幾度かお会いしましたが、あの方にとって私は父親の愛情を競うライバルにすぎません。このまま結婚しても、あなたは決して幸福とは言えなくなるでしょう」

「……兄上と似たようなことを言うのだな」

 エドワルドはため息をつく。

「お気持ちは本当に嬉しく思います」

「君は本当に……」

 エドワルドは愛しい恋人を抱きしめた。そしてそのままそっと押し倒した。



 夜が明ける頃、エルデネートは半身を起して傍らで眠るエドワルドを見ていた。

「そろそろお暇を頂かなくてはなりませんね……」

 彼女がそう呟くと、上掛けを握りしめる手に涙が一滴落ちた。

 遠くで一番鶏が鳴いている。こうして一緒に朝を迎えられるのはあとわずかだと言う事が彼女には分かっていた。生活の為に始めた付き合いだったが、別れるのが辛いと感じる程に彼の事を愛していた。

 エルデネートは涙を拭うと、そっと寝台を抜け出して自分の部屋に戻っていった。




 突然の通達により温室の使用を礎の里に認めて3ヶ月。周囲は厳重に警備され、神官長であるロイスですら近づく事が出来なかった。そこまでされるとさすがに不安になり、ロイスは幾度か警備の責任者に温室内の確認を打診したのだが、かんばしい答えは返ってこなかった。

 そんな中、約3ヶ月ぶりにベルク準賢者の代理人であるオットー高神官がフォルビア正神殿に訪れた。準賢者の代理として夏至祭に出席するため、皇都に向かう途中に立ち寄ったらしい。

「どこかお加減でも?」

 驚いたことに、ロイスが挨拶もそこそこに思わずそう訊ねてしまうほど彼の顔色は悪かった。心配無用と返されたが、それでも一体何があったのか勘繰りたくなるほどのやつれようだ。

「実は貴公に頼みたい事がありましてな」

 オットーはすぐさま本題を切り出してきた。また、何か無理難題を言われるのではないかとロイスは身構えたが、頼まれたのはグロリアへの仲立ちだった。医師としてだけでなく、この近隣で最も腕の立つ薬師でもあるリューグナーに仕事を依頼したいらしい。その為に直接の雇い主であるグロリアに話を通しておきたいとのことだった。

「そのくらいでしたら可能ですが……」

 グロリアとは旧知の間柄である。礎の里からの依頼となれば断られることもないだろう。ロイスは想像と異なった依頼に幾分ホッとして了承した。彼の返答にオットーも満足したのか幾分、機嫌は良さそうだ。そこでロイスは春からの懸念を持ち出してみた。

「温室の中を確認させていただくことはできませんか?」

「それはできません」

「この神殿の責任者として何が行われているのか確認したいのです」

「先日もご説明申し上げた通り、希少な薬草の栽培を行っています。それとも、我々のひいては準賢者様をお疑いなのですか?」

 ロイスは断られても食い下がってみるが、オットーの機嫌を損ねただけだった。

「そうではありませんが……」

「でしたら余計な詮索はなさらない事です」

 オットーはそう言い残すと話を切り上げる。そしてもう用はないとばかりに席を立ち、案内を待たずに部屋を出て行ってしまった。

「余計な詮索って……」

 ロイスは唖然として呟く。結局、温室で何が作られているのかという疑問は払しょくされるどころか益々不安が募ってしまっていた。




 オットーの訪問から数日後、フォルビア正神殿に賓客が訪れた。最近ではめったに外出しないフォルビア女大公グロリアである。彼女からも頼み事があると春先から言われていたのだが、ロイス自身が多忙でなかなか時間が作れずにいたところ、時候が良くなったこともあって彼女の方から訪ねて来てくれたのだ。

「わざわざ足を運んでいただき、ありがとうございます」

 久しぶりに会う彼女は実に生き生きとしていた。つい先ごろまでは引き取った姫君に振り回されて随分とお疲れの御様子だったのだが、今の彼女はかつて国政を支えていたころを思い起こさせるほど気力に満ち溢れていた。

「急に済まぬの」

 詫びる女大公の傍らには2人の女性が付き添うように従っている。1人は服装からしてグロリアの侍女。もう1人は若草色の衣装を身に纏った品の良い若い女性だった。グロリアからフロリエと紹介されたこの女性がロベリアからも問い合わせがあった女性だろう。

 大母補候補と同等の竜力を秘めているとロイスは聞いていたが、それはいささか誇張が過ぎるのではないかと思っていた。しかし、たおやかな女性からは当代大母にも匹敵する力を感じ取れる。思わずその場で跪いてしまいそうになるほど圧倒的な力だった。

 晩餐の場でも頼まれていたが、翌日の会談でも改めて協力を求められた。これほどの力を持つ女性がいれば神殿に情報が入らない方がおかしいのだが、ロイスには全く心当たりがない。どのようにしてあの場にいたのかは不明だが、この近隣の出身ではない事は明らかだ。グロリアとは時間はかかるが範囲を限らずに情報を集めることで合意した。

 フロリエの身元調査を合意したおかげで、礎の里から要請されたリューグナーへの仕事の依頼は快諾してもらえた。これで懸念が1つ解消された。神官長の立場である彼にしては珍しく、ホッとしたのが顔に出ていたらしい。

「そなたも難儀な事よの」

 神殿も一枚岩ではない事を良く知っているグロリアに気の毒そうな視線を向けられた。


 しかし、安堵したのもつかの間、神殿内であり得ない騒動が起こってしまった。一般人は立ち入ることが出来ない中庭を散策していたフロリエが侵入者に襲われて怪我をしたのだ。

 侵入してきたのはロベリアの副総督トロスト。調べて分かった事だが、彼は警護の担当者に金を握らせて中庭まで侵入していた。もう平身低頭で謝るしかない。怪我は軽く済んだこともあり、当のフロリエもグロリアも謝罪を受け入れてくれた。

 しかし、神殿の最高責任者としてこの問題をこのまま放置するわけにはいかない。警護のみならず神殿に勤める下働きまで精査することとなった。



 苦労性の神官長の受難はまだまだ続く……。




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