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群青の空の下で  作者: 花 影
第1章 群青の騎士団と謎の佳人
17/156

15 追憶

 舞踏会の翌朝、二日酔いの父親2人はそれぞれの娘に起こされた。

「父様、お酒臭い」

 文句を言うコリンシアをなだめながら、エドワルドは痛む頭を押さえつつ体を起こした。ハルベルトも娘にせかされて寝台から体を起こしたところだった。

「今朝はお祖父様が朝食をご一緒したいと仰せだったのに、お忘れになったのですか?」

「……いや、忘れては…ない」

 飲みすぎた自覚がある2人は責める娘に反論する余地は無かった。

 起き抜けの水をもらってどうにか目を覚ますと、エドワルドはハルベルトに断わりをいれて、一旦用意されていた部屋に戻った。気分をすっきりさせるために湯浴みをし、服を着替える。部屋を出るとハルベルトも着替えを済ませていて、揃ってアロンの部屋へと向かった。

「お祖父様、おはようございます」

 部屋に着くと、真っ先にコリンシアが国主の元へ駆け寄る。彼は自由がきく左手で嬉しそうに孫娘を抱き寄せる。

「おお、おはよう。良く眠れたか?」

「はい。お祖父様は?」

「よく眠れたとも」

 その微笑ましい光景を見ながら他の3人は席に着き、コリンシアも父親に呼ばれて席に着いた。

「父上、お疲れは出ていませんか?」

 療養中にもかかわらず、2日続けて公務に出たのだ。体への影響を気にしてエドワルドが声をかける。

「そなた達よりは元気じゃ」

 息子2人が二日酔いで不調なのをお見通しである。

「ははは……」

 笑ってごまかしながらハルベルトとエドワルドは飲み物を口にする。定番の薄焼きのパンにハムやチーズを添えたものや細かく刻んだ野菜と卵のスープ、ハーブ入りの腸詰に季節の果物がテーブルに並べられているが、2人はほとんど口にしていない。小竜がヒョコヒョコやってきて、手をつけていない料理を前足を器用に使いながらついばみ始めた。

「あんなに脅えていたのが嘘のようだな」

 すっかり皇家に慣れてしまった彼は皆に可愛がられ、エドワルドが買った時のやつれた姿が嘘のようである。琥珀色の体は毎日姫様方と入浴して清潔に保たれ、湯上りには肌のお手入れに使われる香油を塗ってもらっているのでつやつやしてていい香りがする。おまけにコリンシアに日替わりでリボンを付けてもらい、おいしいごはんまでもらって健康そのものだった。

「今日のいつごろ起つ予定だ? エドワルド」

 ハルベルトもほとんど朝食には手をつけておらず、気を利かせた侍女が用意したお茶を口にしている。

「昼頃には発とうかと。寄りたい所もありますから」

「そうか」

 夏至祭も無事に終わり、今日からはハルベルトもアルメリアも通常の生活に戻る。ハルベルトはエドワルドと共に朝議に出た後、国主代行としての執務があり、夜中までスケジュールが詰まっていた。アルメリアは家庭教師を招いて帝王学の授業がある。優秀な彼女は特に財務関係に才能があると教師陣から絶賛されているらしい。




 朝食が終わる頃を見計らったかのように、補佐官のグラナトが来たと家令が知らせに来た。ハルベルトは渋い顔をするが、生真面目な補佐官殿は一刻の猶予も与えてはくれないらしい。仕方なく弟と連れだって席を立つ。

「では、行ってきます」

「コリン、お爺様の所で待っててくれ」

 家族に挨拶すると、2人は父親の居室を後にした。

 朝議の議題は当然のことながら昨日のゲオルグの乱入事件とそれに伴う数々の不祥事である。乱入したゲオルグと彼の取り巻き3人に夜を徹して行った尋問の結果報告を受け、正式に彼らへの処分が決められる。そしてその責任をグスタフにもとらせる形で1年間の登城資格停止及び謹慎を決定する運びとなっていた。

「うまくまとまりますかね?」

「その為にお前を呼んだんだ」

「あまり期待をしないで下さいよ」

「あてにさせてもらう」

 兄弟で緊張感のない会話を交わしながら、本宮にある会議室へ足を運ぶ。仰々しく衛兵が守る扉をグラナトが開けて皇家の2人が部屋に入ると、既に皆揃っていた。

「さて、大掃除を始めるか」

 ハルベルトがそうつぶやくのを聞いてエドワルドは苦笑した。




 国政の実務を取り仕切る官僚達にグスタフは多大な影響を持っていて、彼への処分は官僚達がなかなか首を縦に振らなかった。しかし、サントリナ公やブランドル公の賛同を得ていたので、大した混乱もなく当初の予定通りに処分は決定した。

 ちなみにミムラス家の子息は自分の判断で貴賓席に侵入したと言っている。探ればその陰に黒幕がいるのだろうが、その辺はすぐにはしっぽをつかませないだろう。明白な部分でとりあえずの処分は決定した。1年の期限はあるが、その間にじっくりと調査して決定的な証拠を得てから追加の措置を決めようと、ハルベルトは考えていた。

「悪かったな、付き合わせて」

「いえ、多少なりとも役に立てたて良かったです」

 官僚たちを説得出来たのはグロリア仕込みのエドワルドの話術が功を奏した部分が大きい。本人に自覚は無いが、皇家の兄弟の中で最も気に入られている彼は、子供の頃から直々にそういった指導を受けていた。それを知っているハルベルトは今回彼に手助けを求めていたのだ。

「殿下、執務の時間です」

 朝議は終わり、会議室に残っているのはハルベルトとエドワルドだけである。今日は夜中までスケジュールが詰まっているハルベルトを補佐官は容赦なく急かす。

「分かっている」

 ハルベルトはこの後、この2日間の公式行事で後回しになった書類に目を通すという大仕事が待っていた。執務室の机に山のように積まれた書類を思い出すだけで、気分の悪さは倍増しそうだった。

「この後の打ち合わせが済んだら、執務室へ顔を出してから帰りますよ」

「そうしてくれ。手伝ってくれてもいいぞ」

「ご冗談を。他人の分まで手伝う余裕はありませんよ」

 エドワルドもロベリアに帰れば仕事が待っている。留守中はクレストに全て任せてきてはいるが、総督である彼自身が決済しないといけない書類は少なからずある。留守にしている期間が長い分、ハルベルトよりも仕事は溜まっていそうだった。

「それは残念だ」

 ハルベルトは心底残念そうに呟くと、グラナトに追い立てられるようにして会議室を後にする。そんな兄を見送ると、エドワルドは自分の部屋に足を向けた。




「おはようございます、殿下。全員そろっております」

 部屋に戻るとアスター以下、同行してきた第3騎士団の4名が彼を待っていた。

「待たせてすまない」

 エドワルドが居間のソファに腰かけると、すかさず若い侍官がお茶を差し出す。なんだか妙に彼は機嫌がいい。

「何かあったのか?」

「い、いえ…」

 彼はそそくさと部屋を後にする。アスターがそっと『彼女が出来たらしい』と耳打ちする。何がどう転んだか分からないが、先日押しかけてきた美女の1人とお付き合いすることになったらしい。

「そうか」

 そんな、報告を受けながらエドワルドはそろった団員達の様子を見やる。アスターはいつも通り淡々とした表情で控え、ルークは昨日同様に少々顔色が悪い。昨夜の舞踏会は早々に退出したはずだが、部屋に戻ると同室の竜騎士が仲間と酒盛りをしており、それに強制的に参加させられたらしい。よって今日も二日酔いを引きずっていた。それに関してはエドワルドも他人の事は言えないが……。

 リーガスはいつも通り飄々としているがどことなく上機嫌で、一方のジーンは少々疲れた表情をしている。頬をわずかに赤らめ、よく見ると下ろした髪の毛の隙間から覗く首筋に赤い痕が見え隠れしている。そういえばこの2人も早々に舞踏会会場から姿を消していた。リーガスも士官用の宿舎があてがわれていたので、2人きりで後夜祭を楽しんだのだろう。

「夏至祭はご苦労だった。ルークもリーガスも良くやってくれた」

 エドワルドがまずは2人を労い、彼らは静かに頭を下げる。

「先ずはルーク、遅くなったが昇進祝いだ」

 エドワルドは懐から巾着を取り出すと、それごとルークに渡す。促されて中身を見ると、金貨が何枚も入っている。飛竜レースでの褒賞と昨日の褒賞、これも合わせるとかなりの額を彼は手にしたことになる。

「こ…こんなにたくさん……」

「先日は優勝したのに、怒ってばかりで渡しそびれた。本当はまだ言い足りないくらいだが、とにかく優勝おめでとう」

「ありがとう……ございます」

 呆然としていたルークはようやく礼を言った。

「君の故郷はアジュガだったな? 私達は当初の予定通り、明日まで郊外の離宮に滞在予定だ。君は先行して実家に顔を出すといい。皇都で土産でも買い、ご両親に昇進の報告をするといい」

 ルークは信じられずに自分の手元と上司の顔を交互に見ている。

「よろしいのですか?」

「ああ。明日の昼過ぎにあの辺りを通る予定だが、コリンの休憩も兼ねて立ち寄らせてもらう。ご両親に挨拶だけはしたいから、一言断わっておいてくれ」

「う、家にですか?」

 ルークは少し狼狽えた。

「不都合か?」

「いえ、大丈夫です。両親に伝えておきます」

 ルークは内心不安に思いながらも、上司の希望を了承する。家族は驚くだろうが、きっと大歓迎してくれるだろう。

「そうか、頼むぞ」

 エドワルドは頷くと、今度はリーガスに向き直る。

「惜しかったな、リーガス。だが、初出場で2位とは大したものだ。これは入賞の祝いだ」

 エドワルドはもう一つ巾着を取り出すとそれをリーガスに手渡す。彼は短く礼を言うと、中身を確かめずにそれを懐にしまった。

「団長、一つ報告が」

「なんだ?」

 今後の予定を軽く打ち合わせようとしたところで、急にリーガスに改まって声をかけられ、エドワルドは首をかしげる。

「結婚したので、よろしく」

「は?」

 突然の結婚報告にエドワルドだけでなくアスターもルークも目を丸くする。

「する……じゃなくてしたのか?」

「はい」

 確かに結婚は秒読みだと噂されていたが、一体いつの間に……。

「次の春までは第3騎士団で共に戦います。その後は彼女を後方支援に回して下さい」

「わ……わかった」

 どうやら綿密な家族計画まで練っているらしい。リーガスの隣でジーンは少し俯き、恥ずかしげにしている。いつになく漂っている色気に初心なルークは顔を赤らめ、リーガスに殺気のこもった眼で睨まれている。

「まあ、落ち着く気になったのならいいか……」

 エドワルドは内心そう思い、気を取り直して打ち合わせを始めた。

 ルークには打ち合わせ終了から明日の昼過ぎに合流するまで休暇が与えられ、他の4人はコリンシアを連れて行きにも泊まった郊外の離宮に宿泊することが決まった。

 帰りの行程はアジュガに寄るので行きとルートを少し変え、2日後の昼にはロベリアに着くように組まれた。行きでのコリンシアの様子を見て、もう少し飛行時間が長くても耐えられると判断しての事だった。ロベリアで昼食をとり、それからグロリアの館へコリンシアを送っていく事が決まり、アスターが休憩や宿泊に立ち寄る砦にその旨を伝える文書を作成し、使い竜を飛ばす手筈を整えた。




「失礼いたします。殿下にお客様でございます」

 打ち合わせも終了し、アロンの元へコリンシアを迎えに行こうとした所で、席を外していた若い侍官が来客を告げる。

「客? 誰だ?」

「マリーリア卿でございます」

「マリーリアが? 通せ」

 不思議に思いながらも了承し、座っていた団員たちは席を譲る為に立ち上がって壁際に控える。ほどなくして扉がノックされ、アスターが戸を開けてマリーリアを招き入れた。

「失礼いたします」

「どうぞ」

 エドワルドが正面の席を勧めると、彼女は一礼してソファに座った。長い髪を革紐で束ね、騎士服に身を包んだ彼女は思わず見とれるほど美しい。実のところ、城勤めの女官や侍女の間で彼女は密かに人気があった。

「今日はどうした?」

「お願いがございます」

「昨日の件ならお断りだぞ」

 エドワルドは昨夜の舞踏会でワルツを踊りながら頼まれたことを思い出し、少しぶっきらぼうな対応になってしまう。

「分かっております」

「ならば、何だ?」

「アスター卿にお手合わせ願いたいのです」

 マリーリアの申し出に、エドワルドとアスターは顔を見合す。壁際では他の3人も同様に顔を見合わせ、首をかしげている。

「どういう事かな?」

「殿下は私の腕ではまだ討伐に出るのは無理だと仰せになりました。鍛えたいと思うのですが、残念ながら私に指導をしてくださる方はおられません」

「ヒースならば相手にしてくれるだろう」

 彼女は形だけではあるが第1騎士団の所属である。所属の大隊は違うが、エドワルドの学友でもある彼ならば相手の身分など気にせずに指導するだろう。実際にブランドル家の子息であるユリウスへは、常日頃周囲が真っ青になるほど厳しい指導を行っている。

「出来ないと仰せになりました」

「は?」

 マリーリアの答えにエドワルドは首をかしげる。

「ユリウス卿は父親のブランドル公から厳しく鍛えよと命じられているのでそうしているだけであって、私の場合はその…やはり後が怖いと……」

「……」

「何故、アスターだ?」

 名指しされて複雑な表情を浮かべるアスターに代わり、エドワルドが尋ねる。

「殿下にお願いしようとも思いましたが、ヒース卿がアスター卿を推薦して下さりましたのと、昨日の武術試合ではゲオルグ殿下に加減せずに相手をされていましたから、私にも厳しく指導して下さると思いました」

 アスターは『あの野郎…』と内心で毒づきながらも、鍛えた精神力でその怒りを抑え込んだ。

「まあ、確かにアスターは適任かもしれないが……」

「今、父が気にしているのはゲオルグ殿下の事だけです。私の事はもう歯牙にもかけないと思います」

 俯く彼女は少し寂しげだ。元々妾腹の生まれで疎まれていたが、昨日貴賓席でゲオルグの企てを阻止した事が更に彼女の立場を悪くしたらしい。どんな些細な事でもゲオルグにとって不利に働けば、ワールウェイド公は容赦ない。昨日の一件でゲオルグだけでなく自身にも処分が下されたのは自業自得と言うしかないのに、彼の怒りを恐れて一族の間では全てがマリーリアの所為になっているらしい。

「アスター、相手をしてやってくれるか?」

 エドワルドはため息をつくと、複雑な心中を押し殺して控えているアスターを見上げる。おそらく昨日のゲオルグ以上にやりにくい相手かもしれない。

「かしこまりました」

 上官に頼まれれば断ることもできず、アスターはしぶしぶ了承した。

「ありがとうございます。アスター卿、よろしくお願いします」

 マリーリアは2人に深々と頭を下げた。

「明日の朝までに離宮に来い」

「わかりました」

 アスターはエドワルドに頭を下げると、後事をリーガスに任せてマリーリアと部屋を後にする。まるでさっさと終わらせたいと言わんばかりの態度で……。



 有能な侍官が既に荷物の手配を済ませてくれていたので、エドワルドは部下と共に父の元へ辞去の挨拶を兼ねて娘を迎えに行った。

「……こうそさまは、みんなと、えっと、またこの空を見ましょうと、お、おおせになりました。そして、それを忘れないようにと、きしの、しょ、しょうぞく?に、ぐんじょうの色をえらばれました」

 アロンの部屋に入ると、アロンと肩に小竜を乗せたコリンシアがソファに2人で仲良く座っている。分からないところをアロンに教えてもらいながら、皇家の祖である初代国主の物語を子供向けに脚色した絵本を読んでいた。

「……よぉ、読めたのぉ」

 アロンは目を細めてコリンシアの頭を撫でている。彼女もうれしそうに祖父を見上げていたが、父親の姿を見ると絵本を手に駆け寄ってくる。

「父様、これ、お祖父様に頂いたの!」

「そうか。随分読めるようになったな」

 駆け寄ってきた娘を抱き上げると、コリンシアは褒められて嬉しいのか首に抱きついてくる。

「父上、ありがとうございました」

「良いのじゃ」

 アロンは相貌を崩して孫娘に笑いかけている。昨年までは国主として政務に追われ、コリンシアと2人きりでこれほど長く居る事はなかった。今回こういった機会が得られ、末の孫娘と楽しい時間を過ごせたらしい。これも、フロリエが彼女を変えてくれて可能になった事だとも言える。

「これね、帰ったらフロリエにも読んであげるの。それでね、お祖父様に教えてもらって練習してたの」

「そうか」

 あの、勉強嫌いだった娘が嘘のようだとエドワルドは思いながら、フロリエの姿を思い浮かべて彼女に感謝した。娘の頬に口づけ、彼女を床に降ろした。

「アスター卿は?」

 背後に部下が3人控えているが、常に傍にいるはずの人物が見えず、アロンは不思議に思って息子に尋ねる。

「マリーリア卿のたっての願いで、武術の指導を行っております。おそらく明朝までこちらに滞在することになるでしょう」

「そうか……」

 皇家の髪色を持つ娘をやはり気にかけているらしいアロンは一つため息をついた。ほぼ同じ頃に生まれた2人だが、ゲオルグとあまりの出来の違いにうらやむ一方で、父親であるグスタフの仕打ちに哀れにも思えてくる。皇家の人間は誰もが彼女を気にかけていた。

 気を取り直したアロンは後ろに控える3人を手招きして呼ぶ。彼らは国主の前に進み出ると、その場に跪いた。

「よいよい、立ちなさい」

 彼はそう言って3人を立たせると、動く左手でそれぞれと握手を交わす。リーガスと握手を交わす時にエドワルドは彼がジーンと結婚したことを伝えると、2人に「おめでとう」と短く祝福した。

「今後も、エドワルドを支えてくれ。……頼みますぞ」

 アロンがゆっくりだがはっきりと3人に声をかけると、3人は畏まって頭を下げる。

「恐れ多いことでございます。陛下もどうか、一日も早くお体が良くなられますよう、お祈り申し上げます」

 代表してリーガスが返答すると、アロンは満足そうに頷いた。

「では父上、任地のロベリアへ帰ります。またしばらくこちらには来られませんが、次にお会いする時には健康を取り戻されている事を願います」

 部下の3人が下がると、エドワルドは父親の傍によって彼の体を抱きしめた。

「そなたも気を付けてな。それから、これを叔母上にお渡ししてくれ」

 控えていた家令から立派な封筒に入った手紙を預かると、それをエドワルドに渡す。宛名も差出人もフルネームで書かれ、皇家の紋章で封蝋を型押しされているが、やはり中身は一行なのだろうかと思いながら彼はそれを受け取った。

「かしこまりました」

「お祖父様、お元気でね」

 最後にコリンシアが泣きそうな表情で抱きつく。

「コリンもな。またお歌を聞かせておくれ。フロリエという女性にもよろしく伝えておくれ」

「……お祖父様も、フロリエも、おばば様もみんな、ずぅっと一緒ならいいのに……」

 とうとう泣き出したコリンシアの頭を国主は苦笑しながら撫でる。

「次に来るときは、フロリエも連れて来るといい」

「はい……」

 ぐずぐず言いながらアロンにしがみつき、肩に止まる小竜は心配げに姫君の顔を覗き込む。国主は可愛い孫娘の頭を名残惜しく撫でた後、小竜にも「しっかりお仕えするのだぞ」と声をかけて撫でてやる。

 長居しても分かれがつらくなるだけなので、エドワルドは離れようとしないコリンシアを抱き上げる。そして父親に短く挨拶をすると、部下を連れて部屋を辞去した。




 ハルベルトの執務室に挨拶に立ち寄ったのち、居合わせた他団の竜騎士と休暇に入るルークに見送られてエドワルドは皇都を出発した。ただ、真っすぐに離宮へ向かわず、少し進路を変える。

 彼が立ち寄ったのは郊外にある皇家の墓所を管理する神殿だった。コリンシアを連れて中に入ると、慌てた様子で神官長が出迎える。

「これは、エドワルド殿下……」

 神官長が驚くのも無理はない。この神殿にエドワルドが来たのは妻の葬儀以来である。しかも娘を連れて何の前触れもなく現れたものだから、神殿内はちょっとした騒ぎになっていた。

「久しいな。時間が空いたから寄ったのだ。案内してくれるか?」

 エドワルドは手に白い百合の花を持っていた。ここへ来る途中に咲いていたのを見つけ、リーガスとジーンを待たせて娘ととってきたのだ。これは亡き妻が好きな花だった。

「かしこまりました」

 神官長自らが案内して墓所へ向かう。共の2人には休むように言い残し、エドワルドは娘の手を引いてその後に続く。

 神殿を抜けて回廊を歩き、荘厳な門を抜けると墓所に着く。季節が異なるせいか、なんだか印象が異なる。彼女の葬儀が行われたのは秋の終わりで早くも雪がちらついていた。今は夏の日差しが墓標を照らし、下生えの草が青々としている。

「ここなあに?」

 どこへ行くとも知らされずに連れてこられたコリンシアが不安そうに尋ねる。

「そなたの母が眠っている場所だ」

 良く理解していないらしいコリンシアの手を引き、エドワルドは目的の墓標の前に立つ。神官達の手によって毎日手入れをされているので、大理石でできた墓標は5年以上の年月が経っている割にはきれいに保たれている。


『最愛の妻、クラウディア・リーズ・ディア・タランテイル、ここに眠る』


 あの頃、碑文に何を刻んでいいか分からず、短くこの文章だけを入れてもらっていた。エドワルドは持参した花を供え、跪いて祈るとコリンシアも隣でそれを真似た。神官長が祈りの言葉をそっと添えてくれる。

「娘を連れて先に戻ってもらえますか?」

 エドワルドは立ち上がるとそう神官長に頼む。コリンシアは不安気に振り仰ぐが、父親が頷くと大人しく神官長に手を引かれて墓所を後にした。

 エドワルドは1人になると、懐から白い布の包みを出した。包みを解くと金の腕輪が出てくる。『永久の愛をあなたに クラウディア』と内側に刻まれたその腕輪は、1年目の結婚記念日にお互いで交換したものだった。

 エドワルドが贈ったものは彼女と共にこの下で眠っている。エドワルドは再び跪くと、その腕輪を百合の花の隣に添えた。

「クラウディア」

 墓標に触る手にポタリと何かが落ちた。エドワルドはそれが自分の涙だとすぐには気付かなかった。そして自分が泣いている事に気づいた時に、彼の中で何かが音を立てて崩れた気がした。

「クラウディア……」

 次々と彼女との思い出が蘇る。

 初めて会ったのは夏至祭だった。まだ自分は竜騎士見習いで、グロリアがフォルビア家の遠縁の娘を紹介してくれたのだった。舞踏会では一緒にダンスを踊った。

 無断で城を抜け出して会いに行った事もあった。グランシアードや馬で遠出をしたこともあった。

 結婚式では花嫁衣装が本当に美しかった。子供が出来たと告げられた時の喜びも思い出した。彼女の大きくなったお腹の中で、子供が動く様子を確かめた時の感動も……。

 結婚1周年の腕輪を交換し、改めて愛を誓った。難産だったが子供は無事に産まれ、家族が増えたことを喜んだのもつかの間、産後しばらくして彼女は病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。

 彼女の最期の言葉が蘇る。


『愛しているわ……』


「クラウディア……」

 涙が次々とあふれ出てくる。エドワルドはその場でしばらく泣いていた。


最後はちょっと女々しいエドワルド。

愛妻家だったのです。

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