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群青の空の下で  作者: 花 影
第1章 群青の騎士団と謎の佳人
15/156

13 華やかな宴のその陰で

 日が沈み、星が瞬きだす頃、夏至祭最後の行事、舞踏会が始まった。前日の晩餐会にも増して華やかな衣装のご婦人方が目立つ中、竜騎士礼装のルークは居心地悪そうにしていた。

「はぁ……」

「何、ため息ついてる?」

 隣に立つアスターは部下のやる気のない態度に眉をひそめる。

「なんだか場違いな気がしまして……」

「気持ちは分かるが、上級騎士になったからには、今後こういう機会は増えるぞ」

「……」

 実は、ルークはダンスが大の苦手だった。基本は習ってはいるが、こういった場で踊ったことがない。来るのを渋っていたのだが、欠席すれば不敬になるとアスターに脅されてやむなく大広間に足を向けたのだ。今夜は誰とも踊らなくて済むように、隅に隠れてやり過ごすつもりだった。




 ファンファーレが鳴って国主がハルベルトとエドワルドに介助されながら大広間に現れ、その後ろから着飾ったアルメリアとコリンシアが続く。アロンが玉座に座ると、息子2人はその左右に立ち、そしてそれぞれの娘がその隣に立つ。美形で知られる皇家が揃い、集まった一同はその光景に目を奪われる。

 そしてそこへ武術試合で上位入賞を果たした5人が広間に登場し、昨夜同様に1人1人に褒賞が与えられた。リーガスも初めて国主の前に立ち、ハルベルトから直々に褒賞を手渡されていつになく緊張しているのが見て取れる。少し離れたところで見守る恋人のジーンは、手を握りしめて彼の一挙手一投足に見入っていた。

 褒賞の授与が済み、竜騎士達が御前を辞した後にハルベルトが一歩前に進み出る。そして昼間のゲオルグの所業を陳謝し、彼には北の塔で無期の謹慎を命じた事を明らかにした。

 集まった人々はグスタフに遠慮してすぐには反応を示さなかったが、会場を見渡すと彼の姿は無い。欠席だとわかると、急にざわざわと広間がざわめき始める。

「アスター・ディ・バルトサス、マリーリア・ジョアン・ディア・ワールウェイド、ルーク・ディ・ビレア、これへ」

 ハルベルトが片手を上げて場内を鎮め、広間に静寂が戻ったところで3人の名を呼ぶ。急に呼ばれたアスターとルークは顔を見合わせ、マリーリアは戸惑いながら御前に進み出て跪く。

「お呼びでございますか?」

「これより、特別褒賞を行う」

「!」

 ハルベルトの言葉に3人は驚きながらもあわてて頭を下げる。

「本日の武術試合に於いて、ゲオルグの謀略を察知し、未然に防いだマリーリア卿とルーク卿には褒賞をもって報いるものである」

 先ずは2人にずしりと重い小袋が手渡される。中身は確かめるまでもなく金貨だろう。ルークは戸惑い、そっとエドワルドの様子をうかがう。彼は頷き返したので何も言わずに素直にそれを受け取り、同様に戸惑った様子のマリーリアもそれに習った。

「アスター・ディ・バルトサス、小細工を弄したゲオルグを堂々と迎え撃ち、そして披露した華麗なる武技は真に見事であった。その崇高な竜騎士の精神を称え、ここに特別に賞する」

 ハルベルトは脇に控えていた侍官から一振りの長剣を受け取ると、それをアスターに差し出した。使い込まれたものだが、シンプルでありながら細かい細工が施された鞘に納められている。

「これは私が亡きバナーグレイルと共に妖魔を討伐していた時に愛用していたものだ。そなたほどの使い手ならこの剣も喜ぶだろう。私の感謝の気持ちだ、受け取って欲しい」

 ハルベルトは2年前、妖魔討伐中に相棒の飛竜を失った。負傷した彼を庇い、妖魔の餌食となったのだ。その為、彼は竜騎士を引退し、国政に専念し始めたのだ。

「その様な品を……もったいのうございます」

 珍しいことに、アスターの頭の中は真っ白になっていた。素直に受け取る事ができない。

「アスター、私からも頼む。あれの相手を私がせねばならなかったのをそなたに任せたのだ。兄上の気持ちを受け取ってくれ」

 横からエドワルドも言い添える。

「は……はい。では、殿下のお気持ちをありがたく頂きます」

 アスターはようやく決心し、ハルベルトから長剣を受け取った。初めて手にした長剣だが、以外にもスッと手に馴染む。彼が剣を受け取り、頭を下げると、会場内からは大きな拍手が起こった。

 褒賞を受け取った3人が改めて礼をして御前を辞すると、ハルベルトは改めてこのような場を特別に設けさせてもらったことを一同に陳謝した。そして、ユリウスとアルメリアを呼び寄せると、2人の婚約をこの場で正式に発表し、広間の雰囲気がお祝いムードに戻ったところで改めて舞踏会が始まった。




「本当に、もらってしまってよかったのでしょうか?」

 アスターと共に広間の隅に戻り、ルークは困惑した表情で上司の顔をうかがう。彼としては単に護衛としての仕事を果たしたにすぎないのだが、高額の褒賞に戸惑っている。マリーリアも同様のようで、彼女も部屋の隅で困惑の表情を浮かべながら傍にいる文官らしき男性と話をしていた。

「もらっておけばいい。あの男が見付からずに放置されていれば、少なくとも私はここにこうして立っていられなかった。塗られていた薬が何かまだわからないが、物によっては命も危なかった。」

 そう諭しているアスター自身も、長剣をハルベルトから譲られて嬉しいのだが困惑している。輿に下げた長剣を確かめるように、何度となく触れている。

「アスター、ここにいたのかえ? おや、雷光の騎士もこんな所に。隅にいたのでは娘達と踊れないであろう?」

 急にかけられた声に2人は思わず肩を竦める。恐る恐る振り返ると、満面の笑みを浮かべたソフィアが立っている。

「これは、ソフィア様」

 アスターはすぐに畏まって挨拶し、少し遅れてルークも頭を下げる。

「せっかくの舞踏会じゃ。楽しまなくてどうする? このようなところで立っておらずに、娘達を誘ったらどうじゃ?」

 広間の中央では婚約を発表したばかりのユリウスとアルメリアが初々しいダンスを披露している。その向こう側に一際華やかな集団が集まっており、熱い視線が2人に送られてきている。どうやらソフィアがエドワルドの見合用に集めた令嬢方のようだが、今を時めく高名な竜騎士にもお近付きになりたいらしい。

「いや…その…私はこういった場は不慣れで、舞踏も全く……」

しどろもどろに言い訳しつつ、ルークは後ずさっていこうとするが、その腕をソフィアにがっちりとつかまれる。その傍らでアスターは困っている部下を苦笑しながら見守っている。

「おや、舞踏は苦手かえ? そなたも上級騎士になったのなら、こういった機会が増えてくる。今のうちに覚えておくといい。ほれ、娘達が待っておる。こちらへ来るのじゃ、アスターも」

 ソフィアは持ち前の強引さで、嫌がるルークを会場の最も華やかな場所へと連れていく。部下を生贄にしようと思っていたアスターも、釘を刺されてしまえば逃れることが出来なかった。

 着飾った令嬢達の黄色い歓声に2人は迎えられ、たちまち周囲を囲まれてしまう。

「早い者勝ちじゃ」

 ソフィアが実に楽しそうに令嬢方をけしかける。彼女達の間で既に話が決まっていたのか、アスターとルークの相手は大してもめることなく決まっていた。

 最初の曲が終わり、ルークは泣く泣く広間の中央に連れ出される。話題の2人がパートナーを伴って現れると、列席者から大きな拍手で迎えられる。苦手な舞踏を披露する羽目になったルークが緊張する中、新たな曲が流れ始めた。

「さすが、姉上。ルークを引っ張り出しましたか」

「彼は緊張しているな」

「初心者だからな」

「そうなのか?」

「ああ。ジーンが少し手ほどきした程度だ」

 高みの見物を決め込んでいるエドワルドは苦笑しながら部下の舞踏を眺めている。確かにルークは初心者で、確実に無難なステップで相手に合わせているが、少し危なっかしい。逆にアスターは慣れたもので、高度なステップを織り交ぜながら相手をリードしている。

「そなたは踊らないのか?」

「元はと言えばそなたの相手だろう?」

 父と兄に指摘され、エドワルドは肩を竦める。

「あの中から1人を誘うと、後が大変ですよ」

 会場には若い女性が多く、まるで花畑のようだ。一段高くなった場所から会場を眺めていると、隅の方に見覚えのある女性が所在無げに立っている。プラチナブロンドに竜騎士礼装。先程褒賞を受けた、ワールウェイド家の令嬢マリーリアだった。もし、昼間の一件の黒幕がゲオルグではなくグスタフだったならば、彼女は父親の策略を阻止したことになる。彼女は策謀を知っていたのだろうか?

「グスタフは関わっていたと思いますか? 兄上」

「おそらくな。だが、認める事は無いだろう。一族の誰かに罪をなすりつけて、トカゲのしっぽを切るように排除しておしまいにする気だろう」

「それで終わらせるつもりですか?」

「まさか。こちらにも手はある」

 ハルベルトは何か掴んでいるのだろう。この場は人目がありすぎるので、エドワルドはこれ以上聞かず、口をつぐんだ。




 気付けば隣でコリンシアがうとうとし始めている。今日は武術試合には出なかったが、午前中はアルメリアと過ごし、午後は昼寝もせずにあの小竜と遊んで疲れたのだろう。

 ちょうどアルメリアが退出の挨拶をしに来たので、一緒に連れて戻るように頼むと、彼女は笑顔で引き受けてくれた。アルメリアの代わりに婚約の正式発表があったユリウスがコリンシアを抱え上げ、2人の淑女を部屋まで送っていってくれることになった。国主とその息子たちは会場を後にする3人を微笑ましく思いながら見送ったのだった。

 そのうち曲が終わり、初心者のルークはどうにか転んだり、相手の足を踏んだりすることなく、ほっとした様子で相手の女性に最後の礼をしたのだった。

「さて、一曲踊ってきますか」

 エドワルドはそう一言つぶやくと玉座の傍を離れる。さっきは誰も誘わないと言っていたのにどういった風の吹き回しかとハルベルトが見守る中、真直ぐ会場の隅へと歩いていく。特に若い女性の視線を一身に受けながら、向かった先はマリーリアの所だった。

「一曲踊って頂けますか?」

「……またですか?」

「はい、またです」

 にこにこしてエドワルドが答えると、マリーリアは仕方なしに彼が差し出した手に自分の手を添えた。会場がざわめく中、2人は広間の中央に進み出る。曲が始まり、2人は流れるように優雅に踊り始めた。

「やはり、この格好なんですね」

「私は竜騎士ですから」

「着飾って欲しいのですが?」

「……」

 エドワルドはここで悪戯とばかりに、今まであまりしたこと無いような難しいステップを踏んでみる。だが、彼女はそれにこともなげについてくる。

「殿下にお願いがございます」

「なんだ?」

「私を討伐に参加させて下さい」

「色気のない話だな」

 マリーリアは第1騎士団に所属していたが、父親からの意向で前線に出たことは無かった。ワールウェイド家の内情を知らない者の間では、さすがのグスタフも娘には甘いのだろうと噂されている。

「だめでございますか?」

「君は私の部下ではないし、そもそも配属の決定権がない。私に頼む事が間違いだろう」

「……」

「それに今の君では討伐はまだ無理だ」

 難しいステップを踏みながら2人には会話を交わす余裕もある。内容はとても優雅とは言えない内容ではあるが……。

「どうしてこだわる?」

「私は竜騎士だからです」

 2人の高度なダンスに会場がどよめいている。ドレスの裾の代わりに2人の礼装用の長衣が翻り、人々の視線を集める。

「民を守る為に私は竜騎士になりました。それなのに一度も討伐に参加させていただけません。義務をおこたっているように感じます」

「惜しいな」

「何がですか?」

「その気持ちの半分でもゲオルグが持っていればな……」

「……」

その後、2人は黙ったままダンスを終えた。会場からは大きな拍手が2人は軽く挨拶をかわすと、それぞれ元いた場所に戻っていく。

 気付けば話題の竜騎士達が姿を消していた。周囲を固めていた令嬢方の意識が踊るエドワルドとマリーリアに集中している間に逃げ出していたらしい。それに気づいた彼女たちの間からは残念そうな声が上がった。




「はぁぁ……」

 会場を抜け出したアスターとルークは、外のテラスで一息ついた。

「どうにか踊れていたじゃないか」

 アスターは苦笑しながら手にしたグラスのワインで喉を潤す。

「討伐に行くより緊張しました。……副団長はすごいですね」

「……殿下に付き合って一通り習っているからな。だが、こういった場は苦手だ」

 ルークから尊敬のまなざしを向けられ、アスターは照れ隠しにワインの残りを飲み干した。会場から大きな拍手が起こっている。エドワルドとマリーリアのダンスが終わったのだろう。

「これで公式行事は終わりですよね?」

「そうだな」

「なんだか、ロベリアが妙に懐かしいです」

「同感だ」

 まだ向こうを離れて10日も経っていないのに、随分と長く皇都にいる気がする。ルークは無性に向こうの空をエアリアルと存分に飛びたくなっていた。

「ここへ逃げ込んでいたか?」

 急に割り込んできた声に驚いて振り向くと、そこにハルベルトが立っている。慌てて2人が跪こうとするのを彼は身振りで押し止め、重厚なテラスに寄りかかった。

「ハルベルト殿下、この度はアルメリア様のご婚約、おめでとうございます」

 先ずは代表してアスターが慶事を祝う。

「ふむ、そうだな。父親の心情としては複雑なのだが、彼なら安心して娘を託せる」

 まだ先の話とはいえ、大事な一人娘を嫁がせる心境はかなり複雑なのだろう。一つため息をつくと、今度はかしこまっている若い竜騎士に話を振る。

「それにしても舞踏の腕もなかなかのものではないか。今後もこういった場に招待するから、どんどん披露するといい」

「こ……転ばなかったのが不思議なくらいで、相手の方に申し訳なかったです」

 ルークは顔を真っ赤にして慌てて否定する。

「はっはっはっ。初めは誰でもそうだ。そうだろう? アスター」

「左様です」

 何やら心当たりがあるのかアスターは苦笑いしているが、その気まずさをごまかす様に話題を変えた。

「殿下、剣をありがとうございます」

「わ、私も、多額の褒賞をありがとうございます」

 アスターは改めて剣の礼を言い、ルークもあわてて頭を下げる。

「それだけの手柄を立てたのだ。気にせず受け取りなさい」

 畏まる若い竜騎士に鷹揚に笑って答え、アスターにはふと真顔になって話しかける。

「エドワルドに譲ることも考えたが、それは同じ風の資質を持つそなたの方が扱いやすいだろう。私の手元で眠らせておくよりも、相応の使い手に譲った方がいいと判断したのだ。エドワルドも同意しておる」

「そうでしたか」

 アスターは改めて腰の長剣に触れる。

「それにな、そなたたちを見込んで頼みがある」

「何なりと」

 打てば返すような答えにハルベルトは声を潜めて言葉を続け、アスターとルークは表情を引き締める。

「今回の一件、このままでは収まらないだろう。君もだが、恨みを買ったエドワルドに危険が及ぶ事になる。本人は大丈夫だと言い張るが、あれを守ってくれるか?」

「もちろんです」

「はい」

 2人は即答する。そんな彼らの反応にハルベルトは満足そうにうなずいた。

「ところで、雷光の騎士ルーク卿」

「あの……その呼び方はどうにかならないでしょうか?」

 ルークはいつの間にかつけられたその二つ名に戸惑いと気恥ずかしさを感じていた。

「無理だな。父がああ言ったものだから、すっかり定着してしまっている」

「え?」

 ルークは困った様な情けないような何とも言い難い表情をしている。

「そのルーク卿にいくつか養子の話が来ている」

「……」

「跡取りがいない貴族から養子に迎えたいという話と、自慢の娘の婿に迎えたいと言う話が昨日から何件も来ている。今日、君が踊ったお相手もその一人だったはずだ」

「え?」

 緊張して顔も良く覚えていないが、亜麻色の髪をした令嬢に終始うっとりと自分の顔を眺められていた気もする。

「そうなれば出世も思いのままだぞ。どうする?」

「……」

 ルークは驚きから立ち直ると、深呼吸してから慎重に言葉を選ぶ。

「そうなると、『ビレア』の姓を捨てる事になりますよね?」

「そうだな」

「両親は私が竜騎士になる事をとても喜び、見習いの間もずっと応援して支えてくれました。私はこの姓に誇りを持っており、捨てる事はできません。今のところは出世よりも、例え下端でも私を取り立ててくださるエドワルド殿下にお仕えしたいと思っています」

 ルークの返答にハルベルトは驚いたような表情を浮かべていたが、急に笑い始めた。

「まるで10年前のそなたの様だな、アスター」

「え?」

「8年前です、殿下」

 驚くルークを尻目に、アスターは冷静に訂正する。

「そうだったか。当時の飛竜レースで2着になった彼にも、養子の話がたくさん来たのだが、同様の理由ですべて断ったのだよ」

 笑いながら当時の話をするハルベルトの横でアスターはすましている。

「そなたがそう言うのならば、養子の話は無かったことにしてもらおう」

 ハルベルトの言葉にルークは安堵して頭を下げる。

「すみません」

「気に病むことはない。しかし、エドワルドも幸せ者だ。この様に慕ってくれる者がいるというのは、何よりの財産だな。うらやましいことだ」

 ハルベルトが満足げにうなずいていると、広間の方から彼を探す声が聞こえてくる。

「そろそろ戻らねばならない。そなたたちも男2人でこんな所にいないでもっと宴を楽しむといい」

 ハルベルトはそう言い残すと、かしこまる2人を残して大広間に戻っていく。残された2人はもう宴を楽しむ気分ではなかったので、ルークは早々に会場を抜けて宿舎に戻り、アスターはハルベルトの言葉が気になったこともあり、人に紛れてエドワルドの傍に控えて過ごした。



 真夜中になってようやく宴がお開きとなり、エドワルドはハルベルトと共に彼の居室へ向かった。今朝の約束通り、女官抜きで部屋を用意してもらい、何の気兼ねもなく汗を流して部屋着に着替えた。これでゆっくりと眠れると安心して寝台に横になるが、扉を叩く音がしてハルベルトがやってきた。

「エドワルド、ちょっと付き合いなさい」

「はい……」

 逆らえるはずもなく、エドワルドは部屋着姿のハルベルトに彼の私室へ連れて行かれる。そこには既に夏物の涼しげな敷物の上に座卓が置かれ、酒肴の準備が整えられていた。

「まあ、飲め。とっておきを出したから」

 ハルベルトが敷物の上に用意された夏物のクッションの上に座ると、エドワルドもそれに習ってその向かいに座る。

「じゃ、遠慮なく」

 ハルベルトがワインのボトルを差し出すので、エドワルドは玻璃の杯に注いでもらう。香りを楽しみ、口の中で転がすように含んでまろやかな味と香りを堪能する。

「そなたがもらったものには劣るが、これもブレシッド公国産だ。うまいだろう?」

「ああ、いいな。もっと手に入ればいいのだが」

 ボトルに張られたラベルを兄に見せてもらい、今度はハルベルトの杯にワインを注ぐ。

「現状では仕方ないな。かの国とは絶縁状態だ。直接の交易ができない」

「元々は何が原因だったかな?」

「古くは数十年前にどちらの国の出身の大母補が大母になるかでもめたというのがある。結局はどちらもなれなかったが、両国の間に深い溝だけができた。

 近年では3年ほど前か。ガウラ出身の大母補が礎の里で変死したのだ。その場にいた若い竜騎士が疑われて投獄されたが、証拠が不十分で結局は釈放された」

 ハルベルトは注がれたワインで喉を潤す。

「犯人は捕まったのか?」

「薬による中毒との説もあるが、結局はわかっていない。それではガウラも黙ってはいられず、エレーナを通じて我が国にも協力を仰いできた。あまり首を突っ込まない方がいいと私もサントリナ公も進言したのだが、父上はエレーナをかわいがっていたからな。グスタフに一任したのだ」

「そうだったのか」

 この一件は本来なら極秘事項なのだろう。ロベリア総督として必要最低限の国際情勢は把握しているものの、国政に関わっている兄に比べたらその知識量は雲泥の差がある。それを補う為にグロリアはわざわざビルケ商会の会頭を紹介してくれたのだ。

「結局、分からない真相を暴くよりも、若い竜騎士の責任の追及に時間は費やされた。その若者がブレシッド公国の大公の養子だったらしい」

「……」

「ブレシッド側も相当粘ったが、とにかく区切りをつけて早く終わらせたい礎の里の上層とグスタフが結託し、その若者の竜騎士資格の剥奪という形で決着したのだ」

 当然、決着に貢献したグスタフは礎の里に太いパイプを持つことに成功し、その頃から国政に一層の発言権を持つようになったのだ。ゲオルグの不祥事が噂され始めるのもその頃からである。この時の何かが歯車に狂いを生じさせたのではないかと、ハルベルトは思う。

「その若者はどうなったのだろうか?」

「その先までは聞いてないな。どのくらい優れた資質を持っていたかは知らないが、当代きっての竜騎士であるブレシッド公が養子に望むなら優秀な若者だったのだろう。残念だが故郷に帰されたのではないかな?」

 昔から優秀な竜騎士を得るために、資質の高い子供を養子にして引き取る貴族は珍しくない。一方で怪我や病気で竜騎士への道が絶たれた場合、平気で切り捨てられている。アスターやルークが養子に望まれたのも同様の理由だが、決して本人の為になる訳ではない事を彼らは良く知っているのだ。

「もったいないな」

「確かに。他に解決法が無かったのかと今でも思うよ」

 皇家に生まれながらも2人は能力主義者だった。だからこそ、エドワルドはアスターやルーク、傭兵上がりであるリーガスをも部下に迎え、ハルベルトはグスタフを敵に回してまでも国政の改革に着手し始めたのだ。

 会話を交わしながら、ハルベルトは次々とエドワルドに酒を勧める。勧められた彼も口当たりの良さについつい飲んでしまう。

「あの雷光の騎士はなかなか天晴あっぱれな若者だな」

「ルークがどうしましたか?」

 ハルベルトは笑いながらテラスでの一件を話して聞かせる。

「ははは。下端でもいい……か。それなら遠慮なくこき使ってやろう」

「いい部下を持ったな、エドワルド」

「そうですね、私は恵まれているのかもしれない」

 エドワルドはそういうと、もう一杯空にする。さすがの彼もだいぶ酔いが回ってきたようで、動きが緩慢になってきている。

「それも国主の資質の一つだぞ」

「やめてくださいよ……どうあがいても兄上には敵いません」

「その私がそなたを見込んでいるのだ」

 そう言ってハルベルトはまたエドワルドの杯を美酒で満たす。

「今のままがいいのです。ロベリアで気心の知れた者たちと共にいるのが……」

「我儘だな。兄の願いをきいてくれないのか?」

「……」

「今は1人でも味方が欲しいのだ。帰ってきてくれ、皇都に」

「……すぐには無理ですよ」

 改革を進めている兄の苦労を知っているので、エドワルドも無下には断れない。

「わかっている。今期は無理だろうが、来期には呼び寄せたい。出来れば結婚の問題も片づけて帰って来い」

「それですか……」

 しばらくエドワルドは満たされた杯を眺めていたが、それを手に取り中身を飲み干す。

「クラウディアが他界して5年…この秋で6年だ。コリンにはまだまだ母親が必要なのは分かっているだろう?」

「クラウディア……」

 エドワルドは亡き妻の名前を出され、少し動揺する。

「いい加減、けじめをつけたらどうだ?」

「けじめ……ですか?」

「墓参りにも行ってないのだろう? 自分の中で心の整理が出来ていないから一からやり直す勇気が出ない。いつまでも彼女に縛られる必要はないと思うのだが、どうだ?」

「彼女に縛られていたら、夜遊びなんてしませんよ」

 エドワルドは動揺を押し隠すように自分で杯を満たすともう一杯あおる。

「一夜限りの相手ならば後腐れないからな。ガレット夫人にしても、ただ他の相手よりも付き合いやすいからとしか考えていないのではないのか? それでは彼女に失礼だ。それでもなお、お前の我儘で関係を続けるのであれば、互いの未来を閉ざす事になる」

「……」

「コリンに母親を作ってやれ。それがお前の幸せにつながる」

「今はフロリエがいますよ。彼女がいれば、大丈夫……」

 エドワルドはコリンシアの母親と言われて何気なくフロリエを思い出す。グロリアの館で暖炉の前に2人で座って遊んでいる光景を思い出していた。

「いい娘みたいだな」

「ああ……」

「だがな、いつまでもいてもらえるとは限らないのだろう?」

 確かに、記憶が戻れば場合によってはグロリアの元に居られなくなる可能性もある。

「そう……だったな」

 緩慢な動きで杯を手にし、エドワルドはもう一杯ワインを飲み干す。杯を座卓に置くと、彼はゆっくりと床に置かれたクッションに倒れこむ。

「エドワルド?」

 返事はない。どうやら眠ってしまったようである。ハルベルトは己も覚束ない足取りで立ち上がると、彼に上掛けをかけてやる。そして自分も寝台に倒れこむようにして眠りについたのだった。




いいタイトルが思いつきませんでした。そのうち替えるかもしれません。


名前に迷うと植物の名前を付けていました。

ロベリアやアスター、アルメリアは良く花屋さんで見かける花です。

どんな花だったか忘れたけれど、コリンシアもそうだった。

サントリナやリネアリスもそうだし、フォルビアはユーフォルビアという花(正確にはがくの部分を楽しんでいる)からつけました。

後に出てくるルークの故郷のアジュガは可愛い紫の花をつけます。

色々あるので迷った時に重宝してます。

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