16 エヴィルの姫提督
ロベリアの港にエヴィルの旗を掲げた軍船が入港してくる。経験豊富な船員達が機敏に動き、寸分の狂いもなく係留する。本来であればエヴィルから来た一行を総督府で歓待し、最低でも1泊してから皇都へ案内するのだが、この後一行はすぐにワールウェイド領を経由してから皇都へ向かう手はずとなっている。ただ、軍船のままでは河を遡れないので、川船が用意されていた。
「隊長!」
移乗の作業の邪魔にならないよう少し離れた場所でその様子を眺めていたエルフレートに下船した2人の男性が駆け寄って来る。彼等はエルフレートの元部下の小隊長達だった。昨年、国主会議に向かうハルベルトの護衛として礎の里に向かう途中、ベルクやグスタフの謀略によって共に海賊に捕われた。思考を奪う薬を使用されて中毒に陥っていたのだが、1年前に比べると随分と良くなっている様子だ。
「2人とも、良く帰ってきてくれた」
1年ぶりの再会に少し緊張の面持ちだったエルフレートの顔が綻ぶ。彼等の話だと、他の部下達も一緒に帰国できたらしい。ワールウェイド領に立ち寄るのは、彼等の新たな療養先がワールウェイド領にある薬草園と決まったからだ。
「結局、我々の他に帰国できたのは4名です」
エルフレートがエヴィルを出立したのちに、一番経過の思わしくなかった部下が命を落としたのは聞いていた。改めてその場で瞑目し、短く祈りの言葉をつぶやいた。
そこへリーガスとロベリアの総督がエヴィルの関係者を出迎えるために姿を現す。帰国した2人は慌てて彼等の元に挨拶に行く。
作業の邪魔にならないよう、遠目に見ていたエルフレートも彼等と合流しようと歩を進めるが、軍船から姿を現した銀髪の人物を目にとめると足が止まる。
「くっ……」
激しい動悸に思わずその場で膝をついていた。
「どうした? 発作か?」
リーガスが異変に気付き声をかけると元部下達が駆け寄ってくる。
「薬は? 少し休んでいろ」
リーガスは近くにいた騎士団員達にエルフレートを休ませるように指示を出す。みっともない姿を彼女に見られたくなかった彼は安堵して促されるままにその場を後にした。
ブランカはやせ細った若者の体を抱きしめて泣く年配の女性の姿を見て苦い吐息を零した。昨夏に海賊船から保護したタランテラの竜騎士達を送り届けたわけだが、悪質な薬の中毒により、彼等は皆後遺症を抱えていた。
目の前にいる若者は最も重篤な患者で、後遺症により己の意思を喪失してしまっていた。母親らしい女性に抱きしめられていてもただ虚空を見つめ、意味を成さない言葉をつぶやいている。傍らにいる父親らしい人物はまだ現実を受け入れられないらしく俯いていた。
「どうして……どうして……」
近衛の役割もあるという第1騎士団の有望な若者は自慢の息子だったに違いない。話には聞いてはいたのだろうが、想像以上に惨い現実はなかなか受け入れがたいのだろう。
彼の他に3名、重篤な後遺症が残ってしまった元竜騎士達は、新たに整備されたこのワールウェイド領の薬草園に併設された療養所で治療が行われることになっていた。聖域から薬学の権威と言われる賢者の弟子が招かれている。治療によってせめて家族の顔が分かるようになってくれればと願うばかりだ。
「どうして、うちの子が!」
再会に立ち会った部屋から出ると、別の女性が2人の若者に詰め寄っていた。彼等も海賊に捕われていた元竜騎士達だ。奇跡的に日常生活に支障が出ない程度に快復したが、それでも時折起こる発作に悩まされ、継続した治療が必要だった。
彼等も被害者で、責められる筋合いはないのだが、それでも女性の非難を項垂れて受けている。しかし、彼等の顔からだんだん血の気が失せてきている。このままでは発作を起こす可能性がある。ブランカは間に割って入ろうとするが、それよりも先に別の部屋から出て来たエルフレートが女性を止める。
「彼等の責ではありません」
「だけど、だけど、うちの子は……」
今度はエルフレートに詰め寄っている。ブランカがロベリアに着いた時にも体調を崩していたのを思い出し、黙っていられなくなったブランカは間に割って入った。
「失礼。お嘆きなのは分かりますが、彼等を責めないで下さい」
「でも、でも」
「息子さんに付いて差し上げてください。今はご家族の支えが一番の薬だと伺っております」
ここで改めてブランカの顔を見たらしく、いつも通りエヴィルの軍服姿の彼女をどこか陶然とした様子で見上げている。
「きっと、ご子息は寂しがっておられますよ」
女性の肩を抱いで部屋に戻るように促すと、彼女は先ほどまでの激昂ぶりからは信じられないほど素直に従って部屋に戻った。その姿が見えなくなると、竜騎士3人は明らかにほっとした様子で大きく息を吐いた。特にエルフレートの顔色は他の2人以上に良くなかった。
「済まない、ブランカ」
「無理をしない方がいい」
「だが、全員を家族の元に返すまでが私の仕事だ」
昨年の国主会議に出席するハルベルトの護衛の責任者はエルフレートだった。その責任を負うのは当然かもしれないが、ブランカとしてはあまり無理をしてほしくなかった。
「気を張りすぎだよ。少し休んだ方がいい」
「……そうだな。ちょっと休んでこよう」
調子が悪い自覚があったらしいエルフレートは素直にうなずいた。皇都に移動後はまた部下の遺品を家族に返す場に立ち会うつもりなのだろう。その場でも今回の様な事は起こらないとは限らない。根を詰めすぎては彼の体の方がもたない。
エルフレートは他の2人にも休むように言うと、ブランカに頭を下げて足早にその場を去っていった。
ワールウェイド領を出て3日後に皇都へ到着した。ロベリアには幾度か来たことがあったが、皇都に来たのは初めてだったブランカは生まれ故郷と異なる街並みに目を奪われた。特に今は半月後に迫った即位式の為、街はいつにもまして花や緑で彩られている。
今回はエヴィルの代表として即位式に参加することになっているが、他国の使者がタランテラ入りするのはもう数日経ってからだろう。療養していた竜騎士達の帰還と遺品の返還、更にはカルネイロ商会解体後の流通をどう補うかタランテラ側との協議があるので早めに入国したのだ。
「遠路よくお越し下さいました」
本宮南棟の正面入り口で半月後には国主となるエドワルドや国の重鎮達がそれぞれの夫人を伴って出迎えてくれる。軍の正装姿でブランカが馬車から降り立つと、感嘆のため息が随所で起こっていた。
「盛大なお出迎え、痛み入ります」
作法に則って頭を下げる。その間にも素早く視線を巡らせるが、薬草園からは飛竜で先に皇都に向かったはずの友人の姿は見当たらなかった。調子がまだよくないのだろうか?心配ではあるが、先ずは国の代表としてする事がある。気を引き締め直すと、一同に促されて本宮に足を踏みいれた。
遺品の引き渡しはワールウェイド領での再会の時の様な混乱もなく、滞りなく済んだ。遺族の中には幼い子供を連れた未亡人もいて、ブランカは心が痛んだ。護衛は若い竜騎士に経験を積ませようとしたハルベルトの人選が裏目に出た結果となってしまったようだ。
せめてもの救いは国からだけでなく、神殿からも十分な援助が受けられることが決まっている事だろうか。遺品を手にした遺族達が、立ち会ったエルフレート達に頭を下げて帰っていく後ろ姿にブランカはダナシアの祝福を願った。
その後、一仕事終えた友人に話をしようと試みたが、仕事がまだあると言って足早に去ってしまった。心なしか避けられている気がしないでもない。一抹の寂しさを感じながら侍官の案内で本宮の庭を散策していると、華やかな一団に呼び止められる。
「ブランカ様、お1人ですか?」
声をかけて来たのは友人の母親でもあるブランドル公夫人だった。背後に数名の侍女を従えていることから、実質的な皇妃であるフレアのご機嫌伺いに来ていたのかもしれない。
「ええ。時間が空きましたので、庭を案内していただいておりました」
「かしこまらないで下さいませ。それにしてもエルフレートは客人を放ってどこに行ったのでしょう?」
かしこまって頭を下げると、ブランドル公夫人は笑いながらそれを制する。だが、ブランカが1人だと知って彼女は眉を顰めた。
「お仕事がおありだと聞きました」
「せっかく恩人がいらしているのだから他に任せればよろしいでしょうに」
本音を言えば、彼の責務は済んだのだからゆっくりしてほしい。そして少しでいいから話しがしたかった。だが、彼女がタランテラに着いてからの彼の行動を思い浮かべると、自分との接触を最小限にとどめている様にも感じていた。
「私は避けられているのでしょうか……」
ふと、漏れ出た言葉にブランドル公夫人はますます眉を顰める。そして出てきた言葉にブランカは目を丸くする。
「あの、ヘタレが」
首を傾げていると、今度は急にブランカに笑いかけてくる。
「明日、フレア様主催のお茶会がありますの。ブランカ様も良かったら参加なさりませんか?」
実質の皇妃主宰のお茶会と聞いて二の足を踏む。返答に迷っていると、夫人は柔らかな笑みを浮かべて誘いかける。
「フレア様と親しい方々だけが集まる気楽なお茶会ですから、気兼ねはいりませんのよ」
「私などがお邪魔しても迷惑ではないでしょうか?」
その様なお茶会ならなおの事迷惑にならないだろうか? ブランカの迷いを見透かしたように、更に言葉が重ねられる。
「ブランカ様がお見えになれば、フレア様もきっとお喜びになりますわ」
参加するのは夫人の他にワールウェイド公マリーリアやサントリナ公夫人やセシーリア等、フレアとごく親しい女性達らしい。皇都到着の日に行われた晩餐会の和やかな雰囲気と彼女のたおやかな姿を思い出す。彼女なら快く迎えてもらえそうな気がする。
「では、お言葉に甘えて……」
ブランカが承諾すると夫人は満足そうに頷いた。そしてその場で侍女の1人にフレアへの伝言を命じる。程なくして戻って来たその侍女はフレア直筆の招待状をブランカに差し出した。翌日のお茶会に参加することが正式に決まり、夫人がブランカの部屋へ迎えを送ると約束してその場は別れた。
翌日、指定された時間にいつも通りの軍の正装を整えて待っていると、約束通り前日も顔を合わせた夫人の侍女が迎えに来てくれた。ブランカの姿に頬を染める姿は故郷のエヴィルでもおなじみの光景で、彼女の案内で北棟に向かう間中、特に女性の視線を感じるのもいつもの事。特に気にすることなく案内に従った。
「ようこそおいで下さいました」
やがてお茶会が開かれる北棟に到着すると、主催者であるフレアが出迎えてくれた。
「お招きいただきありがとうございます」
私的なものだと聞いていたので、ブランカは手土産として南国の果物を使ったジャムを持参していた。それを手渡すと彼女は嬉しそうに顔をほころばす。ブレシッドで育った彼女には何よりのお土産だったのかもしれない。
「どうぞこちらに」
目が見えないとは聞いていたが、それを感じさせない滑らかな動きで客人を部屋に案内する。そこには既に他の客が来ており、ブランカを温かく迎えてくれた。
前日に夫人から聞いていた通り、お茶会にはフレアのごく親しい女性達だけが出席していた。目が不自由だという彼女の為、身辺には信頼のおける人物しか近づけたくないというエドワルドの方針が徹底されているかららしい。
そんな中に招き入れられて最初は恐縮していたのだが、家庭的な雰囲気にいつの間にか馴染んでいた。特に武術を嗜むという共通点からマリーリアとは一番長く話をしていたかもしれない。
「フレア、私にもお茶を淹れてくれないか?」
お茶会は意外な形で終焉を迎えた。仕事を終えたのか、女性ばかりの会場にエドワルドが突然入ってきた。そして一同がいるのもかまわずに堂々と妻に口づけている。フレアは恥ずかしそうに抗議しているが、エドワルドは気にした様子もない。
「あらあら、それではお開きに致しましょう」
セシーリアが苦笑しながら宣言すると、他の参加者も呆れた様子で席を立つ。最早おなじみの光景らしく、会場を後にしていく。
「では、私達も帰りましょう」
呆気に取られていたブランカもブランドル公夫人に促されて席を立つ。そのまま家令に見送られて北棟を出ると、そこには1人の若者が所在なく立っていた。
「えらい、えらい。約束通り来てくれたわね」
夫人に声をかけられて振り向いたその若者はエルフレートだった。母親の傍らにいるブランカに気付き、驚いた様子で目を見開いている。
「え? 何で?」
「貴方が逃げてばかりでちゃんと向き合おうとはしないからでしょう?」
「母上?」
「とにかく、今日は彼女をちゃんともてなしなさい」
「ですが……」
「今日はもう仕事は無いのは分かっていますからね」
逃げ腰のエルフレートにそう宣告すると、夫人は侍女を伴いさっさとその場を後にする。その狼狽した様子からやはり自分と居るのは本意ではないのかと、ブランカは悲しい気持ちでそっとため息をついた。
「……」
沈黙が余計に気まずい雰囲気となる。いたたまれなくなったブランカがその場を離れようとすると、腕を掴まれる。
「離してくれないか」
「あ、いや、その……待ってくれ」
「無理をしなくていいぞ」
腕を振り切ろうとしたが、力の差は歴然としており、悔しくなった彼女はキッと相手を睨みつける。
「頼む、ちょっと付き合ってくれ」
エルフレートはそう言うと、彼女の腕を掴んだままずんずん歩いていく。すれ違った侍官や侍女は何事かと振り向くほどの勢いで進んでいくので、腕を掴まれたままのブランカは転びそうになりながらついていくしかない。やがて連れて来られたのは南棟と北棟の間にある中庭の1つ。そこでようやく彼は腕を離してくれた。
「強引だな、君は」
「済まない」
掴まれていた箇所を撫でながら文句を言うと、彼は律儀に謝ってくれる。そんな所は相変わらずだが、やはりエヴィルにいた頃に比べると距離を感じる。
「で、こんなところまで連れて来て君は何がしたいんだ?」
「いや、その……」
ここへ強引に連れて来た割には煮え切らない態度をとるエルフレートに呆れるしかない。腰に手をあて、仁王立ちをして相手を見上げると、彼は手近にあった椅子に力なく座り込んだ。
「ごめん、その……自分でどうしていいか分からないんだ」
「呆れた奴だな。分からなくて私をこんなところまで連れて来たのか?」
「いや……いや、合っているのか? でも……」
見たところ、考えがまとまっていないらしい。世話の焼ける奴だと内心呆れながら、一度落ち着くように言うと、深呼吸をしている。ここで急かすとまた同じことになりそうなので、エルフレートが再び口を開くのを大人しく待った。
「最初に謝る。ゴメン、エヴィルにいた頃、男と勘違いしていた」
エルフレートが何を謝っているのか理解できずにブランカは首を傾げる。そしてよく話を聞きなおしてみると、彼が自分を女性だと気付かなかったことに対して気分を害したのではなかと思っていたらしい。
「気にはしてないよ。それよりもこの国に来てからまともに話をしてくれない事の方が寂しかった」
「それに関しても、ゴメン」
エルフレートはまたもや深々と頭を下げる。
「君が女性と分かってどう接していいか分からなくなったんだ。エヴィルにいた時の様に接すると、誤解したままだと思うだろうし、急に変えても変に思われる。き、嫌われたくなかったんだ」
律儀な彼らしい悩みだ。本国でもあまり女性らしい扱いはされていないので気にはしていない。逆に素のままで接してくれる方が嬉しかったのだ。
「なんだ、そんな事で悩んでいたのか? 今まで通りで構わないぞ。本国でも女性として見てくれる奴はいないからな」
「そんな事ないだろう?」
「いや、本当だ。現に未だに婚約者がいないのも、そんなもの好きが居ないからだ。父が幾人かに打診したようだが、全て断られているからな」
自分で言っていて悲しくなってくるがこれは事実だった。最年少で提督となったが、海賊も妖魔もなぎ倒す彼女の事を尊敬はされても伴侶としては望まれていないのだ。本国ではどちらかというと、男性にではなく女性にもてている。
「……私ではダメか?」
意図せずに言ってしまったらしく、エルフレートは慌てて口を押える。そんな姿が何だかおかしい。
「君は物好きだな。私を男だと思っていたのだろう?」
呆れて言い返すと彼の顔はみるみる赤く染まっていく。
「……だから向こうでは悩んでいたんだ」
「そうなのか?」
「ああ」
顔を覗き込むと恥ずかしいのかそっぽを向かれる。だが、耳まで赤くなっているのが丸わかりだった。
「そうだなぁ。簡単には話はまとまらないだろうけど、それでも両親は喜んでくれそうだ。何せ、嫁き遅れが確定しているし」
「……いいのか?」
「問題は山積みだよ? それでも君が本気なら考えてみようかな」
ブランカにとって身近にいる男性でエルフレートほど心を許して話ができる相手はいない。貴族間の婚姻には政治的なしがらみが付き物だが、タランテラの5大公家の出身ならその点でも文句のない相手だ。
だが、5人しかいない提督を国元が易々と他国に嫁がせることは認めないだろう。竜騎士不足が現状のタランテラにおいても、優秀な竜騎士であるエルフレートを現段階で手放す事は出来ない。そこら辺をどう解決するかが問題になってくる。
「では、ブランカ。一緒にその問題を解決してくれないか?」
エルフレートは一度立ち上がるとブランカの前に跪いた。ブランカは頷くとその差し出された手を取った。
「本当に君は物好きだな」
嬉しいのだが出てきたのは天邪鬼な答えだった。
「そうでもないさ」
エルフレートはようやく自分を取り戻せたらしく、立ち上がるとブランカを抱きしめた。こうして男の人の腕の中にいるのは不思議な気分だったが、案外安心できるものなのだとこの時初めて知った。




