11 罪と罰2
「国主代行となられたエドワルド殿下の命により、ワールウェイド領は当面国が管理する事となりました。私が総督に任命されましたので、速やかに引き渡し願いたい」
リカルドが手勢をもってワールウェイド城を制圧したのは昨年の秋だった。それまでワールウェイド家の婿として有していた全ての権限をはく奪され、ニクラスはその身の自由を奪われた。
グスタフの死亡と同時に判明したその所業は悪辣極まりなく、ニクラスは保身を図るためにリカルドに協力し、どうにか極刑だけは免れた。グスタフの娘婿となっていた2人の義弟同様、妻とは離縁してワールウェイドの名を捨て、子供達は引き取るのが条件となっていた。
「この子まで連れて行かないでおくれ!」
皇都郊外の別荘で謹慎を免じられていた姑は、一番かわいがっているマルグレーテを手放そうとはしなかった。妻と義妹達にも懇願され、仕方なしに娘は置いていくことにした。
他家から来た義弟達と違い、ニクラスはワールウェイド家の分家の出身だった。グスタフと深く結びついていた為に、実家は取り潰しとなってしまったため、彼は僅かに与えられた土地を耕して生活していくことになる。贅沢な暮らしになれている娘に田舎暮らしは酷かもしれない。それならば幽閉されていた方がまだましだろうと考えたのだ。
そして新生活が始まってすぐに冬となった。蓄えなどない彼は近くの神殿に身を寄せ、同じく避難してきた領民の子供達に簡単な読み書きや計算を教えて過ごしていた。
巷ではラグラスがエドワルドに反旗を翻して古い砦に立てこもっているとか聞いていたが、もうどうでも良かった。元舅の無理難題に元姑や元妻の我儘に振り回されることもなく生活できるのが案外楽しかったのだ。
やがて春分節が過ぎ、畑仕事に精を出しているところへベルク準賢者の使いがきた。
「城代を勤めておられた貴方様を貶めるとは許されぬことです。ご協力いただければ、相応の地位をお約束致しますし、引き離されたご家族とまた一緒に過ごせるように手配いたしましょう」
にこやかに話しかけて来るが、胡散臭さしか感じない。気乗りしないでいると、今度は泣き落としにかかってくる。なんでも現在、元姑は彼女の従兄でもあるマルモア正神殿の神官長と共に無実の罪で捕らわれているらしい。更にはマリーリア卿がワールウェイド大公位に就いたことを知った元姑は、憤りのあまり卒倒して寝たきりとなり、その為、元妻やその妹達は交代で元姑の看病をしている状態だと言う。
「それで、わたしにどうしろと?」
「私共はゲオルグ殿下が国主に相応しいと考えております。ニクラス様には亡きグスタフ様に代わって宰相として補佐して頂きたいと思っております」
「無理だろう」
ニクラスは端的に答える。田舎にいるために伝わってくる情報は限られているが、それでもベルクの使いが言っているほど甘い状況ではないのは知っている。何しろこのワールウェイド領の田舎でも、領民のエドワルドに対する信頼は絶大だった。
「ここだけの話ですが、奴はラグラスに訴えられていて、もうじき審理を受けることになっている。ベルク準賢者様が仕切ることとなっているので、奴の有罪は確定している」
使いが得意げに教えてくれたが、それでもニクラスの心が動くことは無かった。城代として準賢者に会ったことはあるが、彼から受ける印象は神官とは程遠いものだった。言っては悪いが、まるで自分の利益しか考えていないようなのだ。元舅は対等に付き合えていたようだが、彼ほど政治的手腕に優れていない自分では、ゲオルグ共々、傀儡とされるのが目に見えていた。
「今の生活が気に入っている。放っておいてもらえないだろうか?」
「ですが、奥様やお嬢様が……」
ニクラスの返答が意外だったのか、使いは慌てて思い止まらせようとする。
「今は何とも思っていない。かえって清々している。悪いが他を当たってくれ」
畑仕事をしているおかげで腕っ節も鍛えられている。居座ろうとする使いを強引に追い出してお帰り願った。
ベルクの使いを強引に追い返してから数日後、内乱の終結やエドワルドの成婚に皇子の誕生といった数々の慶事と共にベルクの失脚も伝えられた。ああ、誘いに乗らなくて良かったと安堵していたところへ、今度はワールウェイド城から使いが来た。用向きをはっきりとは言わなかったが有無を言わせぬ雰囲気に、仕方なく畑仕事を途中で放り出して同行した。
「呼びつけて申し訳ありません」
一介の農夫となった自分に城代となったリカルドは頭を下げた。1年前とはまるっきり立場が逆になっていると思うと何だか感慨深いものもある。
何しろ、あの当時は相手を凡庸な男だと決めつけていた。だが、今ではその隠されていた才覚はエドワルドにも認められ、指名されて着任したワールウェイドの城代をそつなくこなしているのだ。警戒されるのを恐れて隠していたらしいのだが、自分達の目は節穴だったと認めざるを得ない。
「火急な用と伺いましたが?」
「これから皇都へ行って頂きます。理由は道中説明いたします」
「え?」
あまりにも急すぎて思わず相手の顔を二度見した。何しろこちらに連れて来られたのも急だったので、野良着のままだ。着替えたいが、今の自分にはその着替えすら持っていない。
「そちらに着替えを用意しております。飛竜を待たせておりますので、済みましたら着場へ移動してください」
「は、畑は……」
「手配しますのでご心配なく」
「……」
理由を付けて拒否しようにもそのことごとくを先回りして潰される。結局、あれよあれよという間に、ニクラスは飛竜の背に押し上げられていた。
失脚する前には当たり前の様に飛竜の背に乗せてもらっていたので平気だと思っていたのだが、久しぶりに乗ると妙に早く感じる。しかも今まで通ったこともない渓谷を恐ろしい速さですり抜けていく。本当に急いでいるらしく、ここを通るのが皇都への近道らしい。
よくよく聞いてみると、ニクラスを迎えに来てくれた竜騎士はシュテファン卿とラウル卿といい、2人ともあの雷光の騎士の部下だった。それを聞けばこの速さも納得できるのだが、農作業をようやくこなせるようになった程度の体にかかる負担は大きかった。ヘロヘロになっているのを見かねて合間に入れてくれた休憩でようやく今回の用向きを教えてもらった。
「元の奥方とご一家がどのような状況でおられるかはお聞き及びですか?」
「多少は」
一応、ベルクの使者が来たことは村の役人を通じてリカルドに伝えてある。その相手から聞いた話だと注釈して竜騎士2人に伝えると、彼等は呆れたようにため息をついた。
「全く、あの似非神官め」
悪態は聞かなかったことにして、彼等は詳しい事情を説明してくれた。どうやら元姑は従兄と結託してカーマインに毒を盛ろうと企てたらしい。国の財産ともいうべき飛竜に危害を加えようとしたのだ。それならば捕らえられて当然の結果だと納得する。そしてマリーリアの大公就任に憤りすぎて倒れ、その看病を元妻等3人の娘がしているのは本当だったらしい。
「問題はここからです。先日マルグレーテ嬢を捕縛しました」
「……何をしたんですか?」
娘の名が出て来てニクラスは動揺する。
「未遂に終わりましたが、フレア妃に危害を加える計略をリネアリス公の末の御息女、イヴォンヌ嬢と図った罪によるものです」
「な、何だって!」
告げられた内容が信じられず、ニクラスは叫んでいた。とにかく耐えられないなどと弱音を吐いている場合ではない。事件のあらましを聞き終えると、一刻も早く皇都に行かなければと決意し、休憩を切り上げて飛竜の背に乗った。
一刻も早く皇都へ行こうと決意したはいいが、竜騎士達が飛竜の能力全開で飛んでくれたおかげで着場に降り立ったニクラスは膝が笑って支えが無ければ1人で立てない状態だった。上司からやりすぎだと注意を受けた竜騎士達に支えられ、一先ず西棟の一室へ案内された。
「急に呼びつけて済まない」
そこで待っていたのは、夫婦でワールウェイド公の肩書を与えられているアスターだった。
「いえ、この度は本当に申し訳ありませんでした」
ニクラスは体を支えてもらいながらアスターに頭を下げる。傍から見ると少し滑稽かもしれないが、本人は至って大まじめだ。
「とにかくお座りください」
見るに見かねてアスターが席を勧める。ニクラスとしてはすぐに娘の所へ行きたいのだが、高速移動のおかげで如何せん体が言う事を聞かない。焦る気持ちを抑えて素直に応じた。
「大体の事情は聞いていると思いますが、新たに判明した事実がございますので、御報告致します」
アスターはそう言うと、ニクラスに書類を手渡した。その書類を読み進めていくうちにニクラスは顔が強張ってくる。
「使われた薬品はマルグレーテが用意していました。強力な殺鼠剤でしたが、その入れ知恵をしたのが彼女の祖母だと証言しております」
「……」
拘留中に倒れた元姑は元々幽閉されていた別荘に移されて療養中だった。体だけでなく言葉も不自由になっているのだが、意思の疎通はどうにかできる。イヴォンヌと立てた計略をマルグレーテから聞いた彼女は、往診に来る医師に殺鼠剤を作ってもらう様に助言したらしい。
その助言に従い、マルグレーテは台所にネズミが出て怖いと言って強力な殺鼠剤を手に入れたのだ。そしてそれがどれくらい効果があるのか確かめるために、イヴォンヌの乳姉妹が被害にあったのだ。
「本当に、どうお詫びしていいのか……」
稚拙な企みに恥じ入るばかりである。深々と頭を下げるが、アスターはそれを制する。
「フレア様は両名より心からの謝罪を望んでおられます。イヴォンヌはリネアリス公ご夫妻がその身柄を預かって更生させる事が決まっておりますが、マルグレーテをあの幽閉先に戻すのは得策ではありません」
「確かに……」
マルグレーテはまだ15歳。成人間近とは言えまだ周囲の大人に左右されやすい年頃でもある。彼女を更生させようにもあの元姑がいる限り、今の幽閉先となっている別荘では難しいだろう。
「本来、ご令嬢はニクラス殿に引き取って頂く予定でした。そこでマルグレーテの怪我が回復次第、ワールウェイドに連れて帰って頂きたいのです」
「……」
ニクラスはすぐに返答できなかった。確かにそうするべきなのだが、現状では無理だろう。それに、今まで娘とまともに接したことが無いので、どうすればいいのか分からない。
「神殿にお預けになるのもやむを得ないと思われますが、フレア様のお話では、預けたきりになさらずに対話を続けていただきたいとのことでした」
「対話……ですか?」
ニクラスが聞き返すとアスターは困ったようにうなずくが、彼もフレアの言葉を全て理解しているとは言い難いのだろう。
「別荘には明朝お送りする手筈を整えております。部屋を用意させておりますので、今日はこちらでお休みください」
竜騎士達が頑張ってくれたおかげで日が高いうちに皇都に着いたが、窓の外を見てみると今はもう薄暗くなっている。今から別荘に向かっても着くのは遅い時間になってしまうだろう。
「分かりました。そうさせて頂きます」
少し休んだおかげで支えがなくても歩けるほど回復していた。ニクラスはアスターに礼を言って立ち上がると、ここへ来るまで体を支えてくれていたラウルとシュテファンに案内されて宿泊する部屋に向かった。
「はぁ……」
通されたのは上級騎士用の個室。浴室も備え付けられていたので、ニクラスは本当に久しぶりに贅沢に湯を使って体を清め、柔らかい寝台に体を横たえた。考えなければならない事はたくさんあるのだが、移動の疲れからそのまま朝まで寝入っていた。
翌朝、ニクラスは馬車で別荘に向かっていた。馬車に乗ったのは実に1年ぶりの上、娘がしでかした事件も相まって、別荘に着くまで落ち着かずに幾度も座り直した。
やがて馬車は市街地を抜け、郊外の並木道に差し掛かる。この先にあるのは元々グスタフが所有していた中でも比較的小さな別荘だった。現在そこには元姑と元妻、そしてその姉妹と娘が暮らしている。以前の暮らしぶりから比較すると、随分と詰め込まれた感があるのだが、ニクラスの現在の住処に比べると何倍も広くて豪華だ。
固く閉ざされた門の前には見張りが2名立っている。馬車から降りたニクラスが持参した書類を見せると中へ招き入れられた。
もう長く手入れをされていない庭は荒れ放題になっていた。グスタフが失脚し、敬称すらはく奪された今の彼女達に贅沢は許されておらず、全て自分達で身の回りのことはするように言い渡された。当初は家政婦が居たらしいのだが、あくまで家事の指導役として派遣されていたので、彼女達が自分達で身の回りの事が出来る様になった現在ではその家政婦もいない。その為、なかなか庭へは手が回っていないのだろう。
玄関の呼び鈴を鳴らすと、程なくして返事が返ってきた。聞き覚えのあるその声は別れた妻のヘルミーナのものだった。
「……久しぶりだな」
1年ぶりの再会だった。1年前に別れた時にはまだ己の境遇に納得できておらず、失脚前と変わらず豪奢なドレスに高価な宝飾品を身に付けていたのだが、今は飾り気のない簡素なドレスを身に付け、髪は束ねただけで化粧もしていない。その変わりようにすぐに言葉が出てこなかった。
「ニクラス……」
どうやらそれはお互い様の様で、ヘルミーナもニクラスの姿を見て言葉に詰まっている。確かに、髪は短くしているし、野良仕事のおかげで日に焼けて体も少し引き締まっている。以前の文官然とした姿から想像できなかったのだろう。
「どうぞ、入って」
我に返ったらしいヘルミーナは慌ててニクラスを中へ招き入れる。昨年までは豪華な調度品が所狭しと置いてあったのだが、今は必要最小限の古びた家具が置いてあるだけだった。帳も絨毯も心なしか擦り切れている様にも見える。
「何もないでしょう?」
物珍し気に見ているのに気づいたらしく、ヘルミーナは恥ずかし気に俯く。慌てて謝罪するが、彼女はゆるゆると首を振る。どうやら元姑の治療費を捻出するために売ったらしい。ただそれだけでなく、幽閉前に買った贅沢品の付けに持っていかれたものもあるらしい。
そんな話を聞きながら着いた部屋は元姑の病室。マルグレーテの怪我の具合がある程度良くなるまで滞在する予定となっている。本当は顔を合わせたくないのだが、挨拶だけはしておいた方がいいだろう。覚悟を決めて扉を叩くと中に入った。
寝台には白髪の女性が横になっていた。記憶に残る姿よりも随分と老けこんでいて、話を聞いてなければその女性が元姑と分からなかっただろう。
「誰じゃ」
「ニクラスでございます。お久しぶりでございます、奥様」
長年身に沁みついた癖で、元姑の前では自然と背筋が伸びる。そして深々と頭を下げた。
「今更……」
ニクラスと分かったとたんに彼女は激昂する。言葉が少し不自由なのではっきりとは聞き取れない。更には体を半ば起こして自由がきく右手を激しく振り回している。
「お母様、お体に触ります」
寝台の傍に立っていたヘルミーナのすぐ下の妹がやんわりと押しとどめ、再び彼女を寝台に横たえる。その間にヘルミーナがニクラスを部屋の外へと連れ出した。
「ごめんなさい、誰に対してもあんな感じで……」
「いや……」
彼女からしてみれば、今頃のこのこ姿を現して何をしに来たのかといったところなのだろう。色々反論したいところだが、彼女の性格なら何を言っても聞き入れてくれることは無いだろう。とりあえず挨拶は済ませた。後は帰るときに顔を合わせればいいだろう。
気を取り直し、今度は娘の部屋に向かう。扉を叩いて部屋に入ると、一番下の義妹が寝台脇で苦笑している。マルグレーテは隠れているつもりらしく、寝台の上には上掛けがこんもりと盛り上がっている。
「マルグレーテ、お父様が来てくださったわ。ご挨拶なさい」
「……」
返事はない。ヘルミーナはもう一度声をかけるが、マルグレーテは頑なに口を閉ざす。ニクラスはため息をつくと、寝台の傍によって盛り上がった上掛けに声をかけた。
「マルグレーテ、起きたことはもう変えられない。こうして逃げていても事態は悪くなる一方だぞ」
怒るでもなく、淡々とした口調で語り掛ける。だが、頑なな態度は変わることなく、この日に娘の姿を見ることは出来なかった。




