表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
群青の空の下で  作者: 花 影
第3章 ダナシアの祝福
136/156

9 皇都凱旋

 穏やかな川の流れに乗り、一家を乗せた船は滑る様に進んでいる。今朝、最後の寄港地を出た一行の目前には皇都が迫っていた。

「あれが……皇都……」

 甲板で夫と並び、ルルーの目を通じて初めて皇都を目の当たりにしたフレアは少し緊張した面持ちで呟いた。今までは公務と言っても見知った相手に挨拶をする程度の物だった。だが、慣れない場所で初対面の人達との付き合いをこなしていかなければならない。エドワルドの妻としての試練はこれからが本番である。

「ああ。休みが終わってしまうな」

 妻の気持ちを解そうと、エドワルドは少しおどけて応えた。悲壮な決意で皇都を出立したのは一月ほど前の事なのだが、色々ありすぎてもう随分と前のような錯覚すら覚えていた。

「父様、母様」

 コリンシアが2人の姿を見つけて駆け寄ってくる。1年前の逃避行で怖い思いをしたからか、船で帰還すると聞かされた姫君はあからさまに嫌がり、フレアは表情を少しだけ曇らせた。エルヴィンだけでなくフロックス家の3人の子供達も同行するので、安全を考慮しての選択だったのだが、姫君はなかなか頭を縦に振ろうとしなかった。

 そこでエドワルドは出立までの間に何度も停泊している船へコリンシアを連れて行き、怖い思いをした小舟とは全く別物なのだと納得させたのだ。天候にも恵まれ、思いの外に快適な船旅だったので、今では逆に旅の終わりを残念がっている様子である。

「どうした、コリン?」

「もうすぐ着くね」

「そうだな」

「お城に着いたら、こうやってずっと一緒にはいられなくなるの?」

 確かに本宮に帰還すれば長かった休暇も終わる。エドワルドは毎日、膨大な量の執務をこなさなければならなくなるし、フレアもフォルビア公としての仕事をしながら上流貴族の付き合いをこなしていかなければならなくなる。コリンシア自身にも家庭教師がつけられ、大母補になる為の本格的な勉強が始まるのだ。

 船の中で幾度となくこれからの事を教えて来たのだが、生活環境の変化は子供心にも大きな不安を抱かせてしまっている。

「確かに、私も母様も仕事をしなければならなくなり、今までの様に一日の大半を共に過ごす日は少なくなるだろう。だが、出来るだけ早く仕事を終わらせて、1日の内に少しだけでも家族で過ごせる時間を作ろうと思う」

「……本当?」

 不安げに見上げる娘の頭をエドワルドは優しく撫でながら大きくうなずく。その様子をフレアは微笑ましく見守る。

「一度、中に入ろう」

 皇家専用の桟橋に着く準備の為、船員達の動きが慌ただしくなる。そしてそれにつられたようにエルヴィンの元気な泣き声が聞こえてきた。船が桟橋に着くまであと少し。残されたほんのわずかな時間は家族で過ごそうと3人は船室に足を向けた。




 本宮南棟の正面入り口でアルメリアは緊張の面持ちで立っていた。彼女の背後にはセシーリアやユリウス、そしてサントリナ公ら国を支える重鎮を始めとした貴族達がズラリと勢ぞろいしていた。エドワルド一家を乗せた船が皇家専用の桟橋に到着しており、迎えの馬車に乗り換えた彼等がもうじきここに到着するのだ。

 この場でこれだけの顔ぶれがそろうのは、他国からの賓客を迎えた時以外では外遊から帰還した国主の出迎えと同等となる。国主代行をしていたハルベルトですらここまでの出迎えを受けたことはなく、同じ国主代行であっても既にエドワルドを国主として認めているようなものである。

 当の本人はやり過ぎだと怒るかもしれないが、被害をほとんど出さずに内乱を平定し、大陸でも有数の実力者から支援を取り付けるなどの成果を上げている。今回アルメリアはこの出迎えを彼等に強要した訳では無く、彼の帰還の日時を知った貴族達が自主的に集まっているのだ。

 もっとも彼等の興味は新たなフォルビア公となったエドワルドの奥方の方に向けられている。既に様々な噂が飛び交い、大陸で最も有名な夫婦の娘でもある彼女が一体どんな人物なのか見極めようとしているのだろう。

「お着きになられます」

 フレイムロードを経由して情報を得たユリウスが告げると、その場はしんと静まり返る。やがて規則的な馬の脚音と車輪の音が聞こえてきた。ファルクレインで一足先に皇都入りし、桟橋で一家を出迎えたアスターが馬に乗って先導し、3台の馬車が次々と到着する。殿しんがりはルークが勤めており、他の数名の竜騎士達と周囲への警戒を行っている。

 中央に止まった一際豪奢な馬車の扉をアスターが恭しく開けると、最初に出てきたのはコリンシアだった。出迎えのあまりの多さに驚いた様子だったが、アルメリアが近寄ると嬉しそうに駆け寄ってくる。

「お姉ちゃん!」

「コリン!」

 アルメリアはしっかりとコリンシアを抱きしめた。フォルビアで会ったばかりだが、逃避行の詳細を思い出すとこの小さな従妹が不憫でならない。今はまだ公の場なので、アルメリアは涙ぐみそうになるのをどうにかこらえた。

 周囲のざわめきに顔を上げると、コリンシアに続いて馬車から降りたエドワルドが中から差し出された赤子を受け取っていた。別の馬車から降りた乳母役の女性がすぐに受け取ろうとするが、エドワルドは息子を片腕に抱いたまま、続けて降りようとする相手に手を差し出した。

「足元に気を付けて」

 一同が固唾をのんで見守る中、エドワルドに手を取られて肩に小竜を乗せた黒髪の女性が馬車から降りる。たおやかで気品のある姿に誰もが釘付けになった。

「お帰りなさいませ、叔父上」

 アルメリアは前に進み出るとエドワルドに淑女の礼をとる。大げさな出迎えにエドワルドはほんの一瞬だけ顔をしかめるが、すぐに表情を改めて話しかけてくる。

「出迎えありがとう。長く留守にして済まない」

 エドワルドは苦笑気味に出迎えた一同を労う。1月ほど前に出立した時にはどこかピリピリとした雰囲気を纏っていたのだが、傍らの女性に優しいまなざしを向ける姿は今までに見た事が無い位柔和な印象を受ける。彼等からはいかにも満たされた幸せな雰囲気が溢れ出ていた。

「妻のフレアと息子のエルヴィンだ」

 エドワルドは妻と共に抱いていた息子も紹介すると、集まっていた一同は大きくどよめく。船の中でお世話され、お腹もいっぱいでエルヴィンは良く眠っていたのだが、そのどよめきに驚いてぐずりだした。慌てた貴族達がしまったとばかりに揃って己の口を塞ぐさまは思わず吹き出しそうになるほど滑稽だった。

「フレア、義姉のセシーリアだ」

 乳母役のユリアーナにあやされてエルヴィンが落ち着いたところで、初対面となるセシーリアは改めてフレアに紹介される。

「フォルビア公に就任致しましたフレア・ローザでございます。至らぬ点が多々あると思いますが、どうか、よろしくご指導下さいませ」

「セシーリアでございます。長旅でお疲れでしょう。子供達もおりますし、奥棟に移動しましょう」

 エルヴィンを始め、小さな子供達もいる。手短に挨拶を済ませると、手筈通り一家を北棟に案内する事となった。今頃は船から先回りしたオルティスが一家の為に整えた部屋を確認し、彼等の為にお茶の用意をしている筈である。

 コリンシアはアルメリアと仲良く手を繋ぎ、フレアは夫に手を引かれて本宮へ足を踏み入れる。そのまま、北棟へと向かう予定だったのだが、サントリナ公とグラナトが申し訳なさそうにエドワルドを引き留める。

「殿下、急ぎ御裁可を頂きたいものがあるのですが、少し宜しいでしょうか?」

「……わかった」

 早速来たかとエドワルドは内心溜息をつく。仕方ないとばかりに肩をすくめると、妻に向き直る。

「仕事をしてくる。北棟を案内してもらっていていくれ」

「はい」

 フレアが頷くと、エドワルドはその頬に口づける。

「すまないが、後を頼む」

 控えていたオリガと護衛のマリーリアに妻を託し、コリンシアには頭を撫で、寝ているエルヴィンのプニプニした頬を突いて名残を惜しむ。そしてその間にそっとアルメリアに苦情を漏らした。

「あの出迎えはやり過ぎだ」

「私は誰にも強要しておりません。皆が自主的に集まって下さったのです」

「……」

 澄まして答えればエドワルドはそれ以上何も言い返さなかった。諦めたように肩を竦める。

「できるだけ早く終わらせてくる」

 まだ離れていたくないのか、エドワルドはもう一度フレアの頬に口づける。いつまで経っても離れそうにないので、呆れたアスターが声をかけると、彼は渋々重鎮達と共に執務室へと足を向けた。





「まるで子供の様ですわね」

 セシーリアが苦笑すると、フレアもつられて笑みを浮かべる。

「では、参りましょう」

 セシーリアに促され、フレアはまた静々と北棟に向かって歩き始める。噂の奥方だけでなく、エドワルドが妻を溺愛する姿を目の当たりにした出迎えの参加者達は、少々唖然とした様子で華やかな一行を見送っていた。

 本人が言い張った為に代行という肩書に留まっているが、周囲はとっくにエドワルドの事を国主と認めている。北棟を取り仕切る責任者としてセシーリアは当初、エドワルドには国主の間、それに伴いフレアには皇妃の間を用意しようと考えていた。

 だが、フレアの目が不自由な点も配慮しなければならず、迷ったセシーリアはエドワルドに同行しているオルティスに手紙を送って知恵を借りた。各国の賓客との交渉を終えて一足先に皇都に帰って来たサントリナ公夫妻が持ち帰ってくれた返事には、とにかく段差が少ない事と、長く滞在していた屋敷と家具の配置を揃える事の2点を強調して書かれていた。

 国主の間も皇妃の間も北棟の3階にある。フォルビア公として、いずれは皇妃としてフレアは公務をこなしていかなければならないのだが、北棟から南棟へは一階に降りてからでないと渡れない。警護も兼ねた付き添いが常に控えているにしても、毎日の階段の上り下りは大変かもしれない。

 悩んだセシーリアがフレアの為に用意したのは、30年前、アロンが南国のエルニアから迎える若い皇妃……エドワルドの母親グリシナの為にしつらえられた部屋だった。冬の寒さを防ぐ工夫が随所に施され、テラスに面した庭のすぐ側には南国の花木を集めた温室もある。手入れはされていたものの長く使われていなかったこの部屋はちょうど1階にあった。そしてアロンが晩年過ごした部屋をエドワルドの部屋とし、この2部屋を含む北棟の1階のほとんどを一家の為の居室に当てる事に決めた。

 蜜月を兼ねた南部の視察を終えて皇都に一家が着くまで1ヶ月もない。セシーリアは侍官も侍女も総動員し、更にはサントリナ家とブランドル家からも人員を借りて大急ぎで部屋を整えたのだ。一昨日本宮入りしたオリガに手伝ってもらって家具の配置を微調整し、一家を出迎える盛大な儀式の間に船から先回りしたオルティスが最終確認をしてどうにか間に合ったのだった。

「細部まで気を使って頂いてお礼を申し上げます」

 北棟の主だった部屋を見て回り、最後に居室となる部屋に案内すると、フレアは嬉しそうに顔を綻ばせた。嬉しそうなその姿にセシーリアはようやく肩の荷が下りた気がしてホッと胸を撫で下ろす。この半月程の頑張りが報われたような気がした。

 エドワルドには仕事があるが、フレアにはゆっくりと旅の疲れをいやしてもらう為に、今日の来客は全て断ることになっていた。北棟を案内したセシーリアもアルメリアも、一家の居室で少しだけ一緒にお茶を楽しむと、後は気心の知れたオルティスやオリガ、そして護衛のマリーリアに任せて早々に辞去した。




「到着早々にこんなに遅くなるとは思わなかった。1人にして済まない、心細くなかったか?」

 仕事を終えたエドワルドが、我が家となった北棟に戻ってきたのは夜が更けてからだった。当然コリンシアもエルヴィンも眠っており、彼を出迎えたのは妻のフレアと改めて家令に任命されたオルティスだけだった。

「皆さまが気を使ってくださったので、コリンも寂しい思いをせずに済みました」

 エドワルドが仕事で戻れなくなり、夕食はコリンシアと2人だけで囲む予定だった。だが、エドワルドの補佐をしているアスターからも遅くなると伝言が届いたマリーリアと、更には様子を見に来たアルメリアやセシーリアも同席することになり、女性ばかりの華やかな晩餐となったのだ。

 コリンシアの就寝時間の直前まで彼女達は一緒に過ごしてくれたので、姫君も今日一日を楽しく終える事が出来たのだった。

 2人はイリスに付き添われて眠っているコリンシアの様子を確認すると、今度は子供部屋に移って揺籠の中で指を吸いながら眠っているエルヴィンを眺める。2人は順に我が子のポヤポヤの頭に口づけ、後はルルー共々夜の付き添いを引き受けてくれた乳母に任せて2人の寝室に移動する。

 既にオルティスがワインと酒肴を整えており、湯を使って汗を流したエドワルドはフレアにお酌をしてもらって1日の疲れを癒した。

「随分気を使ってくれたみたいだ。義姉上には感謝しないといけないな」

 全てを見て歩いたわけではないが、エドワルドも家具の配置があの館に似せてあるのにすぐに気付いた。特にこの寝室は彼にとっても数少ない母親との思い出の場所でもある。隅々にまで行き届いた配慮に頭が下がる思いだった。

「ええ。お義姉様に伺いましたが、オルティスにも随分と手を尽くして頂いたそうです」

「そうか、手間をかけて済まなかったな」

 控えている忠実な家令を労うとオルティスは静かに首を振った。

「当然の事でございます。国の主として相応しいお住まいというだけでなく、奥方様には少しでも居心地良く過ごして頂きたいとセシーリア様もアルメリア様も仰せでございました。」

「しかしなぁ……。今日のあの出迎えはやり過ぎだと思うぞ」

 国の主と言われたエドワルドは昼間の出迎えを思い出したらしく、顔を盛大に顰める。執務室に移った後にサントリナ公ら重鎮達にも釘を刺したのだが、加熱する一方の熱狂ぶりに果たして効果があったかどうかは怪しい。

「それだけ殿下に期待しておられるのです」

「だからと言って何でも許される訳がない」

 期待されているのは分かっている。そして間近に迫った選定会議が開かれれば間違いなく自分が国主に選ばれるのも仕方がない。もちろん選ばれたなら全力を尽くすつもりではいるが、決まってもないのに同等の待遇を受けるのは彼の主義に反するのだ。こだわっているのは自分だけだとも分かっているエドワルドは、ため息をつくと杯の中身をあおった。

「もう少し抑えて頂くようにもう一度お願いするしかないわね」

 正直、この熱狂ぶりはフレアも戸惑いを隠せない。だが、もう自分達でどうこう出来る話ではなくなってきている。彼女は苦笑して空になった夫の杯にワインを注ぐ。ここで愚痴っていてもどうにかできる事では無いので、夫婦は現実逃避をするかのように話題を子供達に代え、控えていたオルティスを下がらせた。

 今日は遅くまで仕事を頑張ったので、明朝は少々遅くなっても差し支えは無い。朝食は子供達と一緒に摂ろうと決め、先ずは夫婦2人だけの時間を楽しむことに決めた。エドワルドはそっと妻の体を抱き上げると、奥の寝室へ足を向けた。


ちなみに、夜間夫婦2人きりの時には、ルルーは夫婦の寝室に入室禁止。

小竜とはいえ、夫婦のコミュニケーションを見られるのは抵抗が……。

ちなみに、ルルーがいなくてもフレアはお酌ぐらいなら問題なくこなす事が可能。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ