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群青の空の下で  作者: 花 影
第3章 ダナシアの祝福
132/156

5 グルースの受難

 色とりどりの花をつけた薬草畑の世話をしていたグルースは、かがんだままで凝り固まった腰を伸ばして一息ついた。

 綺麗に見えるが、ここに植えられている薬草は有用な薬効を持つ反面、強力な毒を含んだものばかり。栽培にも細心の注意が必要で、たずさわれるのはペドロの一番弟子を自称する彼を含むわずか数人。その為に畑の周囲には厳重な柵がめぐらされている。

 唯一の師として敬愛するペドロの研究用の薬草なので、グルースとしては他の誰にも触らせたくは無かったのだが、この半年余りは時間が取れずにここの世話も他人任せになってしまっていた。

 だが、原因となっていたタランテラのお家騒動もどうにか治まり、村に滞在していたプルメリアの竜騎士達も帰還して日常が戻ってきた。グルースは誰にも邪魔されない師の為に尽くせる至福の時をかみしめるように過ごしていた所だった。

「おーい、グルース。若が呼んでいるぞ」

 グルースの姿を見つけてレイドが柵の外から声をかけてくる。レイド自身も栽培に携われる数少ない1人ではあるが、グルースの性格を良く知り得ている彼は律儀に外から声を張り上げていた。

「終わってから行く」

 ペドロへの奉仕の時間は、一番弟子を自称する彼にとって何物にも代えられないかけがえのない崇高な時間である。余程の事がおこらない限り動くつもりのない彼の答えはそっけなかった。

「その賢者様も呼んでおられる」

「それを早く言え」

 師の呼び出しと知ったグルースは、急いで農機具をまとめて畑から出ると、入り口に厳重に鍵をかける。そして倉庫へ放り込むように農機具を片付けると急いで部屋に戻って作業用の衣服からいつもの神官服に着替えた。

「グルースでございます。お呼びでございますか?」

 待っていたレイドと共にペドロの部屋におもむくと、彼は神妙な面持ちで声をかけた。

「お入り」

 返事を待って中に入ると、そこには既にアレスとスパークが待っていた。今朝がた帰還した彼等は、先程までタランテラでの顛末をペドロに報告していたのだろう。聖域外の事に興味のないグルースは、いつも通り畑仕事に精を出していたのだ。

「こちらに」

 いつも通り師の後に立とうとすると、ペドロは彼の正面に来るように促す。嫌な予感がするが、おくびにも出さずに言われるまま師の向かいに移動する。

「グルース、タランテラの事は聞き及んでいるな?」

「嬢様がご夫君と無事に再会されたんですよね?」

 確認するようにアレスに視線を移すと、彼は無言で頷いた。

「あと……何かあったかな」

 グルースの行動基準は基本的にペドロの役に立つか否かである。仕事なので負傷したティムの治療に当たったが、その他の事は適任者に任せればいいと考え、ペドロも何も言わなかったのでわざわざ自分から関わるような真似はしなかった。その為、正直タランテラで何が起こっていたかを彼は全く知らなかった。

「ベルクがワールウェイド領に広大な薬草園を作っていたのは聞いてないか?」

 呆れた様子のアレスに言われ、ようやくグルースはその薬草園で新たに育てる薬草の選定を手伝ったのを思い出した。

「そう言えば、そんな事も聞いたな……」

 呑気な答えにその場にいた3人は深いため息をつく。

「……その薬草園だが、今後はタランテラと礎の里が共同で運営する事になった。こちらからも薬師を派遣する事になり、グルース、お前が適任ではないかと話がまとまった」

 アレスの話を聞いたとたん、グルースの眉間に皺が寄る。

「俺よりも高位の神官はいくらでもいるだろう?」

 タランテラに派遣されれば、彼が最も神聖とする賢者ペドロの世話が出来なくなる。とたんに不機嫌となる彼の反応は、当然、アレスも予測しており、淡々と話を続ける。

「賢者ベルクとその一派は失脚し、大がかりな人事の異動が行われる。里の立て直しには1人でも多くの人材が必要となるから、高位の神官の移動が難しくなるのは分かるだろう? 里への召還対象外となる下位の神官でありながら大規模な薬草園を取り仕切れるほど薬学に精通しているのはお前ぐらいしかいないんだよ」

「……俺はそんな事望んでいませんが?」

 アレスの説明は理解したが、それでもグルースには納得できない。敬愛する師の前なのでどうにか怒りを抑えている状態だった。

「グルース、尽くしてくれるのは本当に感謝している。だがな、そろそろ独り立ちしてはどうか?」

 黙って聞いていたペドロが口を開き、怒りに支配されていたグルースは少し冷静さを取り戻す。

「独り立ち……ですか?」

「左様。この聖域に籠り、研究ばかりしていると真に人々の役に立っているのか分からなくなることがある。新たな修行と思い、それをそなたの目で確かめて欲しい」

「……わかりました」

 師匠に弱いグルースは不承不承頷くしかなかった。




 話がまとまれば行動は早かった。5日後には身の回りの品をまとめ、案内役のスパークとレイドと共にタランテラへと向かっていた。ただ、すぐにワールウェイド領には向かわず、タランテラ側から責任者として赴くことになっている医者と顔合わせをする事になっており、一行はロベリアへ立ち寄った。

「帰りてぇ……」

 視察の為にロベリアに滞在中のエドワルドとフレアも顔合わせに同席する事になり、一行は総督府の応接間に通された。元々権力とか権威といった類のものを毛嫌いし、更には普段ラトリ村での質素な生活に慣れている為、こういった場所にいると正直言って落ち着かない。グルースは早くも引き受けたことを後悔していた。

「嬢様の伴侶だ。そう嫌な顔をするな」

「案外気さくな方だ。そう身構えなくても大丈夫だ」

 見るからに仏頂面のグルースをレイドとスパークがなだめる。本人は最大限に努力しているのだが、どうやらその努力は実を結んではいないらしい。

「お待たせいたしました」

 片目を眼帯で隠した男が声をかけ、続けて他に4人の男性と2人の女性が入って来た。レイドとスパークが立ち上がるので、グルースも仕方なく立って彼等を迎える。

「グルース、来てくれて嬉しいわ」

 夫に手を取られて入って来たフレアは、肩に止まる小竜を通じて彼の姿を見つけると、嬉しそうに顔をほころばせる。そしておそらくはグルースの性格を考慮したのだろう、彼女がタランテラ側の同席者を紹介してくれた。

「賢者ペドロの弟子、グルースと申します」

 国主代行のエドワルドを始め、春に就任したばかりのワールウェイド公夫妻とロベリア総督に第3騎士団長、そして薬草園の統括責任者に任命される年配の軍医が順に紹介されるが、グルースは端的に名乗って頭を下げるにとどめた。

 顔合わせも済んだし、もう用は無いと思ったのだが、どうやらこれだけでは済まないらしい。振舞われたお茶を飲みながらの世間話が始まってしまった。

 紆余曲折を経て結ばれたからか、エドワルドとフレアの2人が醸し出す空気が異常に甘い。更には一足先に婚礼を挙げたワールウェイド公夫妻の間にも甘い空気が漂っており、独り身のグルースにとっては苦行以外何物でもなかった。正直、居心地が非常に悪いのだが、同じ独り身の筈のレイドもスパークも慣れてしまっているのか平気な顔でお茶をすすっていた。




 和やかでいて終始甘い空気が漂っていたお茶会という名の苦行をどうにか乗り切り、ホッとしたのも束の間、グルースはフレアに呼び止められた。

「グルース、ちょっと診て貰いたい子がいるの」

「それは……構いませんが……」

 フレアに懇願されればグルースに断る理由は無い。城下に出かけるスパークとレイドと別れ、彼はフレアと彼女の護衛も兼ねていると言うワールウェイド女大公、年配の軍医に何故か隊長の記章を付けた竜騎士を伴って別室に案内される。

 そこには大きめのゆり籠が2つ並べられ、中にはそれぞれ赤子が眠っていた。1人は相変わらずポヤポヤの髪をしたエルヴィンでもう1人はエルヴィンよりも小さいながらもふさふさとした赤毛が生えそろっている赤子だった。室内には他につい先日までラトリ村にいたオリガと見知らぬ女性が2人、そしてソファには5歳くらいの男の子が横になっていた。

「お待たせいたしました」

 フレアの話では1人は第3騎士団長の奥方で、眠っている赤毛の赤子は生後1か月になる彼等の息子だった。もう1人の女性はディアナと名乗り、彼女とソファで横になっている子供は親子で、団長夫妻とは懇意にしていると説明される。同行した隊長は彼女と親しいらしく、側に寄ると元気づけるように肩を抱き、横になっている子供の顔を覗き込んで声をかけていた。

「診て貰いたいのはこの子なの」

 フレアが指したのは赤子では無く、ソファで横になっている男の子だった。見ると顔や手に赤い発疹が出来ており、膿んでいる箇所もある。着ているシャツをはだけると、体のあちこちに同じような発疹が出来ている。かゆみを緩和させる為か、水の入った皮袋が用意されているが、そんなものでは気休めぐらいにしかならないだろう。

「ひどいな」

 子供は余程痒いらしく、ズボンの上から掻こうとしている。グルースはその手を軽く掴んで止めさせると、フレアや心配そうに覗き込んでいる母親に断ってから子供のズボンを脱がせた。

「これはいつから?」

「10日程前です。最初はちょっとだけだったから手持ちの薬を塗っていたのですけど、治るどころかひどくなってきて、4日前に町のお医者様に診て頂きました」

 団長夫妻や隊長がエドワルドとフレアの婚礼の前日に会った時にはここまでひどくなかったらしい。この数日でどんどんかぶれの範囲が広がり、慌てて診て貰った町医者から処方された薬を塗ったのだが、見ての通り一向に良くなる気配はない。

 子供の状態に驚き、ディアナの憔悴しょうすいぶりを気の毒に思った夫人や隊長の口添えでバセットが診察したのだが、それでもかんばしい結果が得られなかったようである。

「昨日ワシが診るとこのような状態だった。町医者の処方したものと別の薬を用意したが、大して効いてはいない様じゃ」

 バセットと名乗った老医師は高名な医師ではあるが、彼の専門は妖魔の傷病。普段診ているガタイのいい竜騎士と目の前にいる幼児とでは勝手が異なり加減が難しいらしい。困っていた所へフレアが話を聞きつけ、今日来るグルースに見て貰おうと提案したのだと言う。

 勝手な事を……と思わなくはないが、目の前には苦しんでいる患者がいる。幸いにもこの症例を治療した経験もあり、自分達の技で救える人がいるのなら、その技を惜しむべきではないと敬愛する師に教え込まれているグルースに迷いは無かった。

「俺の荷物を」

「すぐお持ちします」

 部下に命じれば済むところを隊長自ら動いて部屋から出て行く。グルースは他に綺麗な水の入った桶と清潔な布を頼み、子供には大丈夫だと安心させる。そして自分は顔合わせの為に着ていた一張羅の上着を脱いでシャツの袖をまくった。

「失礼します」

 バセットから軟膏の成分を聞き出していると、隊長がグルースの荷物を持って戻ってきた。手伝いに駆り出されたのか、竜騎士見習いの服装をしたティムを伴っている。

「おう、坊主じゃねぇか」

「お久しぶりです、グルースさん。念願がかないました」

「良かったじゃねぇか」

 見知った顔がいるおかげでどうやらいつもの調子が戻ってきた。軽口をたたきながらも、運ばれてきた荷物の中から手慣れた様子で中の物を取り出していき、手近にあったテーブルにそれらを広げた。そしてオリガが持ってきた桶の水で手を清めると、早速その場で調合を始める。その真剣なまなざしにその場にいた一同は固唾かたずをのんで見守る。

「さっきの軟膏をこまめに塗り、これを煎じて薬湯にしたものを朝晩飲ませれば大丈夫だろう。今は効きが悪いように見えるが、数日たてば良くなってくるはずだ」

 調合を終えたグルースは薬をオリガに手渡した。ラトリでペドロ直々に教えを受けた彼女なら、薬効を無駄なく抽出できると思ったからだ。受け取った彼女は早速薬湯を作るために席を外した。

「良かった……」

 安堵した様子のディアナの肩を隊長はさりげなく抱いている。その様子を他の女性陣は暖かく見守る。ティムがこっそり耳打ちしてくれた話によると、隊長の方がディアナに思いを寄せているらしい。彼女の方もまんざらではないらしいのだが、何やら屈託があってその思いに応えられずにいるという。

 まあ、グルースにしてみれば、誰が誰と付き合おうとも関係ない話なのだが……。




 予定では翌日に薬草園へ行き、作業員達を束ねていたスパークから彼等を紹介してもらうつもりでいたのだが、患者の経過が気になったグルースはもう数日ロベリアに逗留とうりゅうする事に決めた。薬草園へはタランテラ側が送ってくれることになり、事情を聞いたスパークとレイドは聖域に引き返していった。

「なんだかなぁ……」

 ロベリアに留まると決めたはいいが、グルースはまたもや後悔していた。始終側に付いていなければならないような重篤な患者では無いので、朝と晩に子供の様子を見に行く程度しかする事が無い。しかもたいていの場合あの隊長が同席しており、常に母親に熱い視線を送っているので見ているこっちが胸やけを起こしそうである。

 幸いにも回復の兆しが見えており、今日は早々に切り上げてきた。今はエルヴィンと一緒にいた団長夫妻の長男の検診を行っている。手厚いお世話を受けているおかげで、2人共発育は順調そのもの。特に問題点も見当たらない。

「健康そのもの。問題なし」

 グルースのお墨付きをもらい、母親2人は顔を綻ばせた。そして一仕事終えたグルースは彼女達に勧められて濃い目に淹れてもらったお茶を飲んでいた。そこへ午前中の仕事を終えたエドワルドがひょっこりと姿を現す。

「お仕事終わりましたの?」

「ああ。ロベリアでの仕事はこれで済んだ。後はしばらくゆっくりできる」

 当然のようにフレアの隣に腰かけたエドワルドは、ホッとした様子で着ている竜騎士正装の襟元を緩めた。彼女は夫にねぎらいの言葉をかけると、彼の好きなお茶を淹れて差し出した。

 ロベリアの視察は当初から予定に組まれていたものだが、フレアが帰還し、そしてその素性が明らかになった事で大幅な見直しが必要になった。一行がロベリアに到着する前日から面会の申し込みが殺到したのだ。単に祝いに来てくれるなら構わないが、明らかに取り入ろうとする下心が丸わかりなのだ。特にフロリエとしての彼女を見下していた者達は、取り繕おうと躍起になっている。

 結局、元々親しくしていた者達とはフレアを同伴して個別に会い、それ以外の者達は妻子の安全を考慮してエドワルドが1人で応対していた。それもようやく終わったらしい。




「コリンはどうした?」

「ティムの訓練を見学に行っているわ」

「そうか」

 ロベリアでの全ての予定が終了し、明日にはフォルビアに戻る。婚礼を挙げたばかりの彼等はそこで10日程蜜月を過ごし、その後ワールウェイド領の視察を済ませて皇都へ凱旋する予定だった。

 正式に竜騎士見習いとなったので、皇女であるコリンシアは気軽にティムと会えなくなる。そこで彼女の淡い恋心を知っている両親は、訓練を邪魔しないと言う条件を付けて今日までは見学を許していた。

「ルークが見込んだだけあって、あの子は高い素質を持っている。リーガスも鍛えるのが楽しみだと言っていたわ」

 ほんわかとした見かけからは到底信じられないが、自身も上級竜騎士である団長夫人がお茶を飲みながらのんびりとした口調で口を挟む。夫の名を口にした時に甘さを感じたのは気のせいではない。

「上級に上がるのも直ぐだろう。優秀な竜騎士が増えるのは良い事だ」

 息子を腕に抱き、エドワルドは妻が淹れたお茶を幸せそうに飲んでいる。何だか、室内の糖度が一気に増した気がする。

「我々は明日ここを出立するが、グルース殿は如何される?」

「はぁ……患者も回復の兆しが見えてきたし、俺がここを離れても問題ない。そろそろ薬草園の方へ送ってもらおうかと……」

 急に話を振られ、グルースは少し戸惑いながら答える。正直、この砦に漂う甘い雰囲気に当てられ、糖分過多で胸やけがしそうである。内乱から解放され、更にはエドワルドの成婚によって今のタランテラ国内には幸せオーラが充満している。山の中にあると言う薬草園まではその影響は届かず、静かに過ごせるだろうと考えたのだ。

「ならばフォルビアまで同行されるといい。その後は誰かに送らせよう」

「はあ、ありがとうございます」

 本来ならばグルースのこの物言いは不敬にとられてとがめられるものなのだが、当のエドワルドが気にしていないので不問にされている。どうやら媚びない彼の態度に潔さを感じたらしい。その後、訓練の見学を終えたコリンシアとその護衛に付いていたワールウェイド公夫妻に騎士団長まで揃い、極限にまで部屋の糖度が上がってしまった。身の置き場が無くなり、いたたまれなくなったグルースは辞去の挨拶もそこそこに部屋から逃げるように退散したのだった。




「嬢様、無理しすぎですよ」

 グルースに呆れた様な視線を向けられ、寝台で横になるフレアは体を縮こまらせた。

「ごめんなさい……」

 前日にロベリアからフォルビアに戻り、今朝、薬草園に送ってもらおうと準備を整えていたところへ、フレアが熱を出したから診てくれとエドワルドに呼び止められたのだ。普段の冷静な彼からは信じられない事に、随分と狼狽した様子の彼は夜着に上着を羽織っただけという出で立ちだった。

「疲れから来る熱ですな。ラトリからの長旅に加えて慣れない公務をこなし、加えてコイツに頼りきりの生活をしていれば、いくら嬢様でも疲れはたまる一方です。一区切りついて気が緩めば熱が出るのも当然」

 眉間に皺を寄せたグルースは、枕元で心配げにフレアを覗き込んでいた小竜の首元を掴んで引き剥がす。切なげにクウクウ鳴く小竜を彼は側に居たオリガに手渡すと外へ連れて出るように命じる。いくらフレアの力が強くても、体が弱っている状態で使い続ければ体にかかる負担は大きくなる。過去にこれが原因で倒れた事があり、以来ペドロやアレスに気を付けるように口を酸っぱくして言われていた事だった。

「だって……」

「だってではありません。乳母を雇われたのなら、坊主の世話は彼女達に任せて当面は安静を心がけてください。当然、アイツの使用も禁止です」

「……はい」

 本気でキレたらしいグルースの小言にフレアはしゅんと項垂れて小さな声で返事するしかなかった。

「フレア、大丈夫か?」

 そこへまだ夜着のままのエドワルドが部屋に入って来た。余程心配だったのか、着替えをしていないだけでなく、髪はまだボサボサで顔には無精ひげが生えたまま。折角のいい男が台無しである。

「エド……」

 自分が呼んだくせにグルースも目に入らない様子でエドワルドは寝台に横になったままのフレアを抱きしめる。診察を始める前はただおろおろして邪魔だったので寝室の外に追い出されたのだが、ルルーを連れ出したオリガから診察が終わったと聞いて入って来たらしい。

 色々と注意事項を言っておきたいところだが、この様子だと耳にも入らないだろう。グルースは深くため息をつくと、診察道具を片付けて寝室を後にした。

 部屋の外には心配げに寄り添う2組の夫婦の姿があった。フォルビア総督夫妻とワールウェイド公夫妻である。今のエドワルドよりも彼等の方に病状と注意事項を話した方が確実だろう。グルースは病状と先程フレア自身にも話した注意事項を簡単に説明する。そして最後に数日休めばすぐに良くなると伝えると、彼等はホッとした様子で互いの伴侶と抱き合っていた。心なしかこの場でも甘い空気が漂って来る。

「私としてはもう薬草園の方へ移りたいのですが、送って頂いても宜しいでしょうか?」

「勿論です。すぐに手配いたします」

 当初の予定ではワールウェイド公夫妻に送ってもらい、一緒に視察を済ませる予定だったが、フレアが寝込んだことによって彼等は今しばらくフォルビアに待機する事となった。代わりに雷光の騎士に送ってもらう事になり、もう一度荷物をまとめた彼は若い竜騎士に案内されて着場に向かう。

 そこには既に見送りの為にオリガが来ており、恋人と手を繋いで何やら話し込んでいる。互いに交わす視線は甘く、グルースも案内してくれた若い竜騎士もその甘さに耐え切れずに思わず天を仰いだ。

「そろいもそろって浮かれやがって、全くこの国はどうなっているんだ」

 これがこの国に赴任した彼の率直な感想だった。




 その後無事に薬草園の管理人に就任して10年の歳月が流れた。今頃皇都ではエドワルドの即位10周年を記念した宴が開かれている事だろう。本当はグルースもその宴に招待されていたのだが丁重に断り、いつも通り畑に出て薬草の世話をしていた。

「グルース先生!」

 呼ばれて顔を上げた彼は、とたんに不機嫌なものとなる。そこには10代半ばの少年が目を輝かせて彼を見ていた。

「何だ、また来たのか? 未成年は受け入れないと何度言ったらわかる?」

「ついこの間、成人を迎えました。夏には学校も卒業しました。お願いです、弟子にしてください!」

「お前なぁ……」

 バートと名乗る少年は2年くらい前から彼に弟子入り志願してこの薬草園に通って来ていた。明らかに未成年で学校も出ていない様子なので突っぱねているのだが、それでも彼は学校が休みになるたびにここへ足繁く通っていた。少しずつここの作業を覚え、今ではグルース以外の人間には仲間として認められてしまっている。

「僕は先生のおかげで助かったんです。幼かったのでおぼろげにしか覚えていませんが、それでも先生が励ましてくれて安心したのは良く覚えています」

 少年は10年前、グルースがここへ赴任する前に診たかぶれが全身に広がって苦しんでいた幼児だった。あの時、治療してもらったのを記憶していた彼は、ただ一図にグルースの弟子にしてもらうのを夢見ていた。

 あの後父親になった隊長も母親も彼を応援してくれてその為の学校に通わせてくれたのだ。実はかなりの好成績で皇都での仕事も勧められていたのだが、グルースの弟子になりたい彼はそれを蹴ってここへ来たのだ。

「お願いします」

「……弟子はいらん」

「給料は無くても構いません」

「……」

 その姿は遠い昔に彼がペドロに弟子入り志願した時と重なる。最初に断られた彼は毎日のように師匠の元へ押しかけ、無理に雑用をやらしてもらい、遂にはペドロの方が根負けして弟子と認めてもらったのだ。

「薬師殿、諦めて弟子にしてやりなせぇ」

 この分だと野宿してでもここに居座るつもりだろう。元よりバートに好印象を持つ古株の作業員に口添えされてはグルースも意地をはれなくなってくる。

「……技は見て覚えろ」

 グルースが出した答えに少年は満面の笑みを浮かべて喜んだ。

「ありがとうございます!」

 その後……技を見て覚えようとする少年に始終張り付かれる事になり、この決断を彼は大いに後悔した。そして今になってようやく、あの当時の師匠の気持ちが痛いほどわかったグルースだった。


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