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群青の空の下で  作者: 花 影
第3章 ダナシアの祝福
131/156

4 もたらされた恩恵2

ルバーブ村の場合


「エルダ先生も一緒ならいいのに……」

 幼い姉妹がエルデネートの手を握って離さない。彼女達の後では母親と竜騎士が微笑ましい光景を見守り、着場にしている広場には荷物を積み終わった飛竜が3頭、暇そうに待機していた。

 ルバーブ村の村長の屋敷前。今日これから幼い姉妹は母親と共にワールウェイド城の城代として働いている父親に会いに行くのだ。

 隣領のフォルビアで起こった内乱も首謀者であるラグラスを捕えたことで終結し、タランテラに降りかかった災厄は終焉を迎えた。厳戒態勢も解かれ、ようやく平穏が戻って来たのだが、城代を拝命したリカルドはまだまだ手が離せず村に戻ることが出来ない。そこで、家族の方が彼に会いに城へ赴くことになったのだ。

「我儘言って先生を困らせてはいけませんよ。いつも先生に甘えてばかりだから、ゆっくりお休みしてもらいましょうってお話したでしょう?」

 苦笑しながら母親が娘達を諭すと、子供達は渋々手を放した。

「お父上があちらで待っていらっしゃいますよ」

 エルデネートは子供達をもう一度抱擁すると、子供達の手を母親にゆだねた。母親に手を引かれた2人は後ろを何度も振り返りながら飛竜の元へ向かっていく。

 ただ、父親に会いに行くだけならばエルデネートも同行したかもしれないが、数日後には皇都へ帰還するエドワルド一家が城に立ち寄る。色々あったが、今は幸せな家庭を築いているのに元恋人の自分がいてはお互いに気まずい思いをするのは明白だった。だが、さすがにその大人の事情を子供に説明する訳にはいかないので、その間彼女は休暇を取るのだと子供達には説明したのだ。

 やがて準備を整えた飛竜は城に向かって飛び立っていく。エルデネートは飛竜の背に乗る子供達に何時までも手を振り続けた。



 夫人と子供達の留守中、エルデネートだけでなく他の使用人も交代で休みを貰っていて、館の中はいつになく静まり返っている。特に出かける予定のなかったエルデネートは夕食を早めに済ませて部屋で1人本を読んでいた。

 実の所、最近あまりよく眠れていない。どこから聞きつけたのか、他界した夫の家族から元恋人のエドワルドに取り成して欲しいと手紙が来た。現在は亡夫の姉夫婦が家を継いでいるのだが、先の内乱でグスタフ側に付いていた。多額の賄賂を積んで本宮の官吏となったのだが、グスタフの失脚とともに解雇され、今は不遇をこうむっているらしい。そんな事は出来ないと突っぱねたのだが、恨み辛みに呪詛まで書き連ねた手紙が送られてきて、忘れたはずの辛い過去まで思い出してしまった。

 自分が悪く言われるのならまだ問題ないが、エドワルドまでおとしめられればロベリアにいた頃の良き思い出までもが壊される様で言いようのない焦燥感すら感じてしまう。

「もうここにいない方がいいのかしら……」

 読みかけの本を閉じ、気分を変えようと今度は編みかけのショールを手に取る。だが、1人でいると色々と考え込んでしまい、これも途中で手が止まる。

 有り得ない話なのだが、彼等は必ず報復してやると脅して来ていた。自分がここにいる事で、リカルドの家族だけでなく村の人達にも迷惑がかかるのなら出て行った方が良いのかもしれない。エドワルドと別れた後、マリーリアに誘われなければどこかの神殿でダナシアに仕えて生涯を終えるつもりだった。当てがある訳ではないが、どこでも受け入れてもらえる筈だ。

「出て行くなら早い方が良いわね」

 ここへ来たのはリカルドの2人の娘の教育係としてだが、そもそもマリーリアに紹介されてここへ来た折と現在では状況が大きく変わっている。

 当時リカルドに頼まれたのは、少し体の弱い妻に代わって幼い2人の娘に一通りの読み書きや針仕事等を教える事だった。本を読み聞かせ、基本的な縫い取りの仕方を教え、時には料理番と一緒におやつを作ったりした。地方の村長の娘として近隣の有力者に嫁いでいき、その生を全うするのであればこのままでも充分に通用する。

 だが、昨年の内乱とその終結により状況が大きく変わって来てしまった。父親であるリカルドがその才覚を認められてワールウェイドの城代に抜擢されたのだ。新大公の身内でもあり、現在国主代行を務めているエドワルドの覚えもめでたい。そんな彼を周囲が放っておく筈も無く、更には娘がいるともなれば気の速い輩からは既に縁談も舞い込んでいて、中には上位の貴族からの申し込みもあるらしい。

 縁談を受けるかどうかは別にしても、今後はそういった付き合いが増えて来るのは確実だった。それに伴い、教育方針は大きく変わってくる。そうなれば素人の自分に出る幕は無く、きちんとした教育を受けた上級の家庭教師に任せなければならない。

 折角懐いてくれた子供達を悲しませることになるかもしれないが、早いうちにリカルドに相談して後任を決めてもらおうと、エルデネートは自分で結論を出していた。




 気付けば既に夜が更けていた。エルデネートはそろそろ休もうかと寝支度を始めるが、ふと喉の渇きを覚え、手燭を頼りに台所へ足を向ける。だが、人気のない館の中はいつになく気味悪い。喉の渇きぐらい我慢すればよかったかと後悔するが、そう思えば思うほど水が欲しくなってくる。

「誰か……いるの?」

 階下に降りたところでエルデネートは違和感を覚える。いつも閉めてあるはずの台所への扉が開いており、僅かに光が漏れていた。更にはゴソゴソという物音まで聞こえる。

 近隣では一番の名家であり、昔は盗賊の襲撃も受けたことがあると聞く。エルデネートは手近にあった飾り壺を手に恐る恐る台所に近づき、そっと中の様子を伺った。

 居たのは大柄な男だった。こちらに背を向けて何かを物色している。不意打ちした所でとても自分1人では叶うような相手では無い。

 だが、助けを求めようにも母屋に住み込んでいる料理番の老夫婦は孫の顔を見に隣村に出かけていて今日は留守にしていた。後、頼れるとすれば離れに住む下働きだけだ。気付かれない様に表に出るには随分と遠回りをしなくてはならない。

 やるべきことは分かっているのだが、恐怖が勝って足が震える。出来るだけそっとその場を離れるつもりだったのに、ぎこちなく動いた足はカツンと足音を立ててしまっていた。案外大きく響いたその音に男は振り向いた。

「エ、エルデネートさん?」

「……ベルントさん」

 そこにいたのはリカルドの末弟ベルントだった。足音よりもエルデネートが飾り壺を握りしめて立っていた方に驚いた様で、その場で固まっている。一方のエルデネートは見知った顔に安堵し、力が抜けてその場に座り込む。

「だ、大丈夫ですかい?」

 慌てたベルントは彼女を助け起こすと手近な椅子に座らせる。そして物騒な(?)飾り壺を受け取ると卓に置いた。

「すみません……」

「どうしたんですか、一体」

「その……物音がしてたから、その……泥棒かと……」

「ひでぇなぁ」

 エルデネートの答えにベルントは傷ついた様にぼやく。それでもすぐに気を取り直して杯に何かを注いで彼女に手渡した。

「あまりお上品な酒ではないが、飲んでください」

「ありがとう」

 武骨ながらもどうやら気遣ってくれているらしい。エルデネートは礼を言って受け取り、中身を口に含む。中身はこの地方で良く飲まれている強めの酒だった。

「何をなさっていたんですか?」

「いやぁ……酒を飲むのに肴が欲しいなぁと思ったんですが……」

 実家なのでいてもおかしくは無いのだが、所帯を持った兄に遠慮して自警団の本部に住み着いているベルントがこの時間にいるのは珍しい。エルデネートに問われて彼はバツが悪そうに頭をかきながら、皆が留守にする時はこちらに居てくれるようにリカルドに頼まれたのだと白状する。

「リカルド様が?」

「エルデネートさん1人では心細いだろうからと兄貴に頼まれた。但し、不埒な真似は許さないと姉貴にきつく言われましたが」

 ベルントが自分に好意を寄せているのは分かっているが、10歳も歳の離れたおばさん相手に本気になる筈が無い。何かの冗談なのだと理解したエルデネートは曖昧に受け流しておいた。

「肴ですか……少しお待ちくださいね」

 お酒のおかげで幾分落ち着いてきた。実際、当人は気づいていないが、青ざめていた顔色が幾分よくなってきている。手が空いているときは料理番の手伝いをする事もあり、どこに何があるかをよく心得ているエルデネートは、椅子から立ち上がると酒肴の用意を始める。

 チーズにハム、数種類の野菜の酢漬けと夕食の残りでもあるあぶり肉を出すと、ベルントは嬉しそうに顔をほころばせる。

「エルデネートさんも少し如何ですか?」

 ベルントが先程の酒瓶を見せる。明日も特に予定は無いので、少々夜更かししても問題ない。エルデネートは少しだけと思ってベルントの向かいに腰を下ろした。




「私……もうここに居ない方がいいのかしら……」

 チビリチビリと飲んでいても元が強い酒なので程なくして酔いが回ってくる。その酔いも手伝ってか、エルデネートは胸中を占める迷いを口に出していた。

「俺、そんなに頼りないですか?」

「そんなつもりじゃ……」

「兄貴達みたいに頭は良くないけど、この村を守るのが俺の仕事ですよ。でも、仕事を抜きにしても俺はエルデネートさんを絶対に守りますよ。もっと頼って下さいよ」

 ベルントはそう言うが、世の中に絶対と言うものは存在しないとエルデネートは身を以て経験している。絶対に幸せにするからとプロポーズされ、亡き夫とは身分の差を乗り越えて結婚した。しかし、彼女の実家は領地すらない下級貴族だった為、身分の差だけでなく、子供が出来ない事でも随分と周囲に責められた。事故に巻き込まれて夫が死ぬと、早々に婚家も追い出されてしまい、既に両親も他界して帰るところも無かった彼女は途方に暮れていた所をソフィアに声をかけられたのだ。

「絶対って言ったけど……あの人は約束を守ってくれなかった」

「エルデネートさん?」

 ポツリと漏らした言葉にベルントは首を傾げる。

「絶対幸せにしてくれるって言ったのに……あの人は何も……。私の身分が低いから……子供が出来ないから……周囲が辛く当たるのにも気づかなかった」

 ポロポロと涙を流しながら、今までエドワルドにすら言わなかった過去のつらい経験を吐露していた。ベルントは突然泣き出した彼女に慌てながらも、その隣に移動して彼女を抱きしめた。

「俺は……無粋で機智きちなんてものはもちあわせてないから、こんな時にかける言葉が思いつかない。だけど、これだけは言わせてください。俺は、エルデネートさんが好きです。だから、絶対に守ってみせる」

「……ベルントさん」

「そもそも、この村は現ワールウェイド公夫妻にとっても大切な場所です。喚くだけの連中にこの村に危害を加える真似は出来ませんよ」

 ベルントは泣いているエルデネートを安心させる様に背中をポンポンと優しく叩いた。すがりついたたくましい体は元恋人のエドワルドを思い起こさせるが、彼以上にその腕の中は落ち着いた。そのぬくもりに包まれていると、次第にエルデネートの涙も治まってくる。

「心配はいりません。だから、エルデネートさんの本音を教えてください。この村を本当に出て行きたいんですか?」

「……本当はどこにも行きたくないの」

「それを聞いて安心した。じゃあ、任せて下さい」

 ベルントがおどけて胸を張ってみせると、エルデネートもつられて笑みを浮かべた。



 エルデネートは何か暖かい物に縋っていた。何故かとても安心感があり、離れるのが嫌で縋る手に力を込めた。すると背中に回った大きな暖かい手が頭を撫で、乱れていたらしい髪を梳いてくれるのが心地いい。エルデネートは安堵の息を漏らして更に擦り寄った……。

 ガンガンと痛む頭に顔を顰めながら目を開けると、飛び込んで来たのは男性の裸体だった。驚きのあまり頭痛も忘れて慌てて体を起こした。傍らにいたのはベルントで、どうやらここは客間の1つの様だ。

「え……」

 結婚の経験もあるし、エドワルドとは体を交えるほど深い仲だったこともあって男性の体に羞恥を覚えるほど初心でもない。だが、さすがに前夜の記憶が無い状態でいきなりこの場面は心臓に悪かった。必死に記憶を辿たどるが、一緒にお酒を飲んで、話を聞いてもらった事までしか覚えていない。それ以上はどうやっても思い出せなかった。幸いにも自分は着衣のままだったので、間違いは無かったのだろう。

「……エルデネートさん、おはようございます」

 体は起こしたものの、再び襲ってくる頭痛に身動きできないでいると、ベルントが体を起こした。慌てて目を逸らすが、裸だったのは上半身だけだった。

「あの……その……」

「顔色、良くないですけど、大丈夫ですか?」

「は、はい……」

 エルデネートはそう返事をするが、襲ってくる頭痛に顔を顰める。

「休んでてください。何か持ってきますんで」

 彼女に横になる様に言うとベルントは寝台から降りて床に放り投げてあった上衣を羽織る。だが、戸口に向かおうとしたところで勢いよく扉が開いた。

「ベルント!この大ばか者が!」

 入って来たのはベルントの姉、テルマだった。部屋の状況を見るなり問答無用でベルントを張り倒し、ものすごい形相で恩知らずだの考えなしだの盛大に弟をののしっている。自分が叱られている訳ではないのだが、正直、その怒鳴り声が今のエルデネートにはこたえた。

「姉さん、あのですね……」

「お黙り!」

 テルマは容赦がない。仁王立ちしている彼女の前でその巨体を縮こまらせて床に座り込んでいるベルントの姿は何だか可哀想になってくる。なんとか誤解は解きたいのだが、青筋を浮かべて弟を見下ろす彼女に鬼気迫るものを感じて声をかけるのもはばかられた。結局、一時ほどして様子を見に来た次兄のラウルに止められるまでテルマの小言は続いた。

 その後、ようやくベルントによって昨夜の釈明がなされた。悩んでいた事をベルントに打ち明けて聞いてもらったのは覚えている。泣きだした自分を慰めてくれたのもおぼろげながらに思い出した。だが、その後も2人で杯を重ね、酔った自分がベルントに絡み、上衣まで脱がせてしまった事実を知ってエルデネートは蒼白になる。

「私、とんでもないことを……」

「俺は役得でしたけど」

「……」

 自分の失態に赤くなっていいのか、青くなっていいのか……。エルデネートは頭を抱えた。




 その後、しばらくの間は顔を合わせるのも気恥ずかしくて逃げ回っていたが、年下のベルントの方が冷静で態度を変えるような真似はしなかった。彼女が曝け出した過去にも動じず、姿を見つけるといつも通り駆け寄って来ては今まで以上に熱心に口説いてくる。

「一緒になる事を本気で考えてくれませんか?」

 その真摯な態度と持ち前の彼の明るさのおかげで、やがて彼女も未亡人なのも10も年上なのもぐだぐだ悩むのがばからしくなっていた。そして何よりもエドワルドと付き合っていた頃よりも彼の方が一緒に居て心地良いと感じているのに気付いた。

「本当に私でいいの?」

「受けてもらえるんですか?」

「……はい」

 ようやく得た答えにベルントは涙を流して喜んだ。




 5年後……。

 小さな女の子が母親の手を離れてよちよちと父親に向かって歩く。途中、尻餅をついて泣きそうになるが、父親がおどけた表情をすると女の子はその小さな手を叩いて喜んだ。そしてまた立ち上がると大好きな父親に向かってよちよちと歩き出した。

 国主夫妻からも祝福されて生まれてきた女の子の家族は、ルバーブ村だけでなくタランテラで最も幸せな家族となった。



 ちなみに、元夫の親族達の所業はベルントからすぐにアスターに伝えられ、当然エドワルドの耳にも入る事となった。当然、処分の撤回は認められず、更にはエルデネートを脅迫したとして高額の慰謝料の支払いを命じられたのだった。


実はエルデネートと付き合っていた時(夜遊びをしていた時もだけど)エドワルドは男性用の避妊薬を使用。好きだけど結婚を承諾してもらうまでは……と彼なりの気遣いだった。

ちなみにもう会わないと言ったもののエルデネートの事を気にかけていたエドワルドは、彼女がルバーブにいる事を知っていた。

アスターから報告を受け、結婚祝いも出産祝いも自ら吟味したものを贈っていた。

ベルントと結ばれたエルデネートの幸せを一番喜んだのはエドワルドかもしれない。


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