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群青の空の下で  作者: 花 影
第1章 群青の騎士団と謎の佳人
13/156

11 飛竜レース 2

 ハルベルトに挨拶を済ませたエドワルドは、すぐに部屋へ戻らずにグランシアードのむろに立ち寄った。前日は街へ降りる前に世話をしてやり、帰ってきた時にも様子を見に来ていたのだが、やはり相棒の様子は気になる。皇都に来てからは気難しい相棒が世話係をあまり寄せ付けず、ルークがその世話をしてくれていたのだが、今朝はそんな暇など無かったはずだからだ。

「団長、おはようございます」

 甘えてくるグランシアードの頭を撫でながらジーンが声をかけてきた。放っておいたらルークは自分の事よりもグランシアードの世話を優先しそうだったので、今朝は彼女が引き受けてくれたようだ。

「来てくれていたか。すまないな」

「いえ」

 既に済んでいたようで、彼女は後片付けを始めていた。エドワルドは彼女の邪魔にならないよう、まとわりつくグランシアードの頭を撫でながら欠伸をかみ殺す。

「リーガスは?」

「アスター卿とレースの警備にかり出されています。場所は違うみたいですけど。私もここが済んだら貴賓席の警護を頼まれています」

 今日は皇女であるアルメリアを筆頭に多くの貴婦人が集まる。厳つい男達ばかりで警護するよりも女性が加わった方が彼女達も安心だろうし、細やかな気遣いができる。加えて竜騎士の彼女ならば、一般の兵士よりも腕が立ち、正に適材適所と言ったところだろう。

「そうか。あいつの調子はどうだ?」

「いいみたいです。昨日は他団の方と手合せをして、いい肩慣らしができたと言ってました」

 ジーンは頬を染め、うっとりと恋人の姿を思い描く。……厳つい大男のリーガスには頬に傷跡があり、見た目は大層怖い。逆にジーンは童顔でなかなかの美人だった。そろそろ結婚するとささやかれている美女と野獣のカップルは他団にも知れ渡っていて、中でも逃げ腰のリーガス相手にジーンの方が積極的に迫って付き合い始めた逸話はあまりにも有名だった。

「そうか……」

 恋する乙女全開のジーンに圧倒され、エドワルドは返す言葉が見つからなかった。

「それでは、これで失礼します」

 ジーンは固まったままの上司に頭を下げると、身支度を整えるために与えられた宿舎に戻っていった。警護するのは貴賓席である。正装するのは当然だった。

 ジーンを見送り、グランシアードの頭をひとしきり撫でたエドワルドは、自分も一旦部屋に戻った。

 コリンシアと小竜は寝台の真ん中でまだ気持ちよさそうに眠っている。その傍らで昨夜の女官がエドワルドを待っていた。

「ご苦労だった。下がってくれていい」

 女官にそう言って下がるように命じると、彼女はしぶしぶ頭を下げて部屋を退出していった。どうやら彼女は初日の初心な女官と違い、本当にしとねを共にしたかったのだろう。落胆の色がありありと見える。

 女官が出て行き、ようやくエドワルドはホッとして上着を脱いだ。上着をソファにかけ、寝台に上がるとコリンシアの隣に体を横たえる。中途半端な徹夜が2日も続き、頭痛がしてきた彼は娘が起きるまで少し仮眠をとることにした。




「父様、起きて」

 娘に体をゆすられてエドワルドは目を覚ました。寝たのは夜明け間もない時間だったが、今は日が随分と高くなっている。

「……おはよう、コリン」

「おはよう、父様」

 既に青いドレスに着替えて誰かに髪をリボンで束ねてもらった娘が顔を覗き込んでいる。その肩にはすっかり仲良しになった小竜が止まっていた。

「そろそろお支度してくださいって、お姉ちゃんが言ってたよ」

「…アルメリアが来たのか?」

 熟睡していたエドワルドは寝過ごしてしまっていたらしい。あわてて起き上がると、目覚ましも兼ねて浴室に足を向ける。

「うん。コリンが起きた時にもね、父様を起こしたけど、全然起きなかったの。それでね、おじちゃんに頼んでお姉ちゃんの所に連れて行ってもらったの」

 エドワルドが頭からぬるめの湯をかぶっていると、小竜がパタパタ飛んできて湯船に飛び込んできて気持ちよさそうに泳いでいる。

「それでね、お姉ちゃんの所でご飯食べさせてもらったの」

「そうか」

 コリンシアが一生懸命扉の外で話しかけてくるが、適当に相槌をうちながらおじちゃんとは誰だろうと考える。そこで兄が皇都滞在中につけてくれた、身の回りの世話をしてくれる若い侍官を思い出す。確かルークと変わらない歳だったはずだが、彼におじちゃんは何だか気の毒になってくる。

 ざっと汗を流し、伸びていたひげをそる。最後にもう一度頭から湯をかぶり、水気をきると乾いた布で体をふきながら浴室を出た。そこへ寝室の戸を叩く音がする。

「どうぞ」

 例の侍官だと思い、素肌にシャツを羽織った状態で返事をする。髪をふきながら振り向くと、顔を真っ赤にしたアルメリアが立っていた。

「キャッ」

「アルメリア?」

 彼女はあわてて居間に駆け戻り、寝室の扉を閉めた。下履きは身に付けているものの、肌蹴たシャツからは鍛え上げられた肉体が覗いている。初心な彼女にはたとえ身内でも成人男性の体は直視できないほど艶めかしかったに違いない。部屋に入ってきたのがアルメリアだったことに驚いたものの、エドワルドはいたって冷静だった。

「すぐに支度する」

「は……はい」

 髪を乾かして整え、侍官が整えてくれていた竜騎士正装に袖を通す。上着に付けられている記章を全て確認し、まだ身に付けるには暑い長衣と愛用の長剣を手に立ち上がる。

 傍らではコリンシアが、ずぶ濡れで出てきた小竜の体を拭いて首にお揃いの青いリボンを結んでやっていた。小さな姫君は彼のお世話をして、気分はすっかりお姉さんだ。

「朝食の用意をさせましたが、お召し上がりになりますか?」

 居間に行くと、テーブルの上に簡単な朝食が用意されていた。アルメリアは先ほどの動揺からまだ立ち直れないらしく、顔を赤らめ、エドワルドの顔を直視できないでいる。

「ああ、ありがとう。もらおう」

 エドワルドは何事もなかったかのように、席に着いて食事を始める。

 裏ごしした豆の冷たいスープに蜂蜜を塗った薄焼きパン、香草入りの焼いた腸詰に生野菜が添えられている。そしてデザートに付けられた甘瓜を横から小竜がつまみ食いしている。

「お前、それがすっかり好物になったな」

 叱られたと思ったらしく、小竜はシュンとして大人しくなる。エドワルドが苦笑しながら甘瓜を差し出すと、彼は大喜びでそれにかぶりつく。

「リボンが汚れるー」

 コリンシアが注意するものの、小竜は好物に夢中でリボンの事など気にもしていない。そんな和やかな光景にアルメリアも顔がほころび、先程の動揺もすっかりおさまったようだ。

「お爺様もお出ましになられます。今、お支度をなさっていると知らせがありまし

た」

「父上が?」

 手早く食事を済ませ、最後にアルメリアが淹れたお茶で喉を潤す。花嫁修行の成果が存分に発揮されたお茶はエドワルドを唸らせ、それを伝えると彼女は嬉しそうに頬を染めた。

 既に身支度を整えている彼女はラベンダーを思わせるドレスを身にまとっていて、幸せそうな彼女はまるで花のようだった。

 食事を終えたエドワルドは、脱いでいた上着を着ると、上から長衣を羽織る。背中に刺しゅうされているのは飛竜が抱えた盾に星が3個描かれた文様。第3騎士団を示す紋章だった。そして長剣を腰にき、鏡の前で身だしなみを確認する。

「では、行こうか」

 子供たちも連れて部屋を出ると、ちょうど国主アロンの乗った輿が通りかかる。まだ長い時間歩けない彼は、めったに部屋から出ないのだが、必要なときには城の中でもこうして移動していた。エドワルドは父親に朝の挨拶を済ませると、それに付き従いながら本宮2階のテラスに向かう。

 本宮前広場では、レースに参加した竜騎士が戻るまでの余興として大道芸人による曲芸が行われていた。それに気づいたコリンシアが目を輝かせてテラスに駆け寄るが、父親に抱き上げられる。すると、彼に気づいた市民から大きな歓声が沸き起こる。前日の一件で、彼の人気は更に上がったようだ。彼が片手を上げて応えると、コリンシアもそれを真似、見物人から笑いが起こる。

 続けてアルメリアが姿を現し、美しい姿に感嘆の声があがる。ハルベルトに手招きされて彼女はその隣に座る。

 最後にアロンが輿に乗って登場し、大きなどよめきが沸き起こる。輿が降ろされ、アロンが席に移動しようとすると、ハルベルトとエドワルドがその体を支える。兄弟で父に手を貸す姿に大きな拍手が沸き起こった。




 太陽はそろそろ真上に差し掛かる。一番手の竜騎士がもうそろそろ帰ってくる時刻だった。既に大道芸人は広場から退出しており、会場はいつの間にか緊張感に包まれていた。

 実はこのレース、当然のことながら公然と賭けが行われている。今回も当然のことながら第1騎士団に所属する竜騎士が上位をしめていて、速いと言われていてもルークは5番人気だった。立場上、賭けに参加できないのだが、それでもエドワルドは密かにリーガスを通じてルークに賭けていた。もちろん彼だけでない。アスターもジーンも当然リーガスもルークに賭けている。

 まだ療養中の国主には暑さは大敵だった。少しの間とはいえ体に負担がかからないよう、ハルベルトもエドワルドも父親に冷たい飲み物を用意させ、少しでも風を通るように配慮した。それに案外貢献したのが小竜で、羽ばたいて風をおこし、国主から直々にお褒めの言葉を頂戴していた。

「あそこ……」

 貴賓席の正面から最初の騎影が見えた。高度を落としてこちらを目指している。会場から大きな歓声が沸き起こる。

「あの方だわ」

 姿がはっきりしてくると、アルメリアは弾んだ声を上げる。どうやら今回の一番人気、ブランドル家の子息のようだ。

「ユリウスか? この距離でわかるか?」

 エドワルドが冷やかすと、アルメリアは頬を染めた。

「あ……」

 誰かが上空を指す。つられて見上げると、もう1騎が錐揉みする程の勢いで急降下してくる。

「あれは…エアリアル! 無茶しやがって……」

 会場からは悲鳴に似た叫びが聞こえる。周囲の心配をよそに、エアリアルは地面すれすれで翼を広げて制動をかけ、ルークがその背から飛び降りた。その左側にブランドル家のユリウスもちょうど同じタイミングで飛竜の背中から飛び降りている。2人は鐘を目指して駆け出し、滑り込むようにして鐘の紐に手を伸ばす。エドワルドは思わず腰を浮かせていた。


 カラーン……


 一同が固唾を飲んで見守り、シーンと静まり返った広場に鐘の音が響く。紐を握っていたのはルークだった。彼は自分でも信じられず、自分の手元を見ていた。そして2度3度と紐を引いて鐘を鳴らすと、会場がドッと揺れるほどの大声援が沸き起こる。

「そろそろ私も鳴らしていいかな?」

「あ、すみません」

 ユリウスに言われてルークはやっと握っていた鐘の紐を彼に渡した。今度はユリウスが鐘を鳴らし、2番手で帰着した。

「素晴らしい追込みだった。私は第1騎士団のユリウス」

「ありがとう。俺…私は第3騎士団のルークと言います」

 ユリウスが差し出した手をルークは握り、がっちりと握手する。すると会場からは大きな拍手が起こった。

「2人ともこちらへ」

 係りの案内に従い、2人は2階のテラスに続く特設の階段を上ってハルベルトの前に跪く。慣例に従って襷をハルベルトに差し出し、5つの印章がきちんと押されていることを確認されて2人とも帰着が認められた。

「無事に帰着出来たはいいが、無茶をしたな」

 エドワルドが小声で部下に苦言する。

「最後まで諦めたくなかったので。すみません」

「失敗は考えなかったのか?」

「はい。できると思ったからやりました」

 更にエドワルドが何か言おうとすると、国主が片手を上げてそれを止める」

「良き、心構えじゃ」

「父上?」

「先ほどの……彼は雷光の様であった」

 国主が目を細めてルークに頷くと、「恐れ入ります」と恐縮して頭を下げた。

「まあいい。エアリアルを休ませてやれ」

「はい」

 ルークは貴賓席の一同に頭を下げると、階段を下りて地面に座り込んでいるエアリアルに駆け寄る。労うように頭をなでてから再びその背に乗り、西棟の着場へと飛んでいく。ユリウスも同様に自分の愛竜を休ませる為に後に続き、そんな2人は再び起こった会場からの大きな拍手で送られた。

 その後、次々と若い竜騎士達が帰ってきて、今年は誰も棄権することなく、10人とも帰着することができた。レース後の式典でゴールした若い竜騎士達を称え、順位に関係なく全員に飛竜を象った記章が与えられた。

 ちなみに、ルークに敵意を向けていた上司を持つ竜騎士は最下位こそ免れたが9番目に帰着した。ルークの後ろをついて飛び、最後に追い抜かすという作戦を押し付けられ、ついていくどころか自分のペースを乱してしまい、その着順となってしまった。彼が上司を恨んだのは言うまでもない。




 夜になり、国主主催の晩餐会が始まった。竜騎士礼装に身を包んだルークは侍官に案内され、ユリウスや3位に入った彼の同僚と共に城の大広間に向かった。大広間に入ると、大きな拍手で迎えられ、教えられた作法通りに国主の前に進み出て跪いた。

「ルーク・ディ・ビレア、本日の飛竜レースに於いて、飛竜エアリアルと共にその持てる技を駆使し、見事一位で帰着した事を称えるものである。ここに褒賞を与え、本日この時より上級騎士に任ずる」

 玉座に座る国主の脇に立つハルベルトが、重々しく口上を述べて褒賞の金貨と上級騎士の記章を渡そうとするが、ルークはその場に跪いたままである。

「すみません、ハルベルト殿下」

「どうした?」

 彼は少し躊躇ったが、意を決して口を開く。

「私は平民の出で、父は職人をしております。申し訳ありませんが、私の名には敬称である『ディ』がつかないのです」

 ルークの言葉に会場がざわめく。あからさまにルークを批判する声も出るが、ハルベルトはそれを片手で制した。

「そなたは正直者だな。だがなルーク、先程も述べたとおり、今日のそなたは己の技で飛竜レースに勝ち、上級騎士の称号を得たのだ。敬称を付けて呼ぶにふさわしい活躍だったのだぞ? 堂々と名乗るがよい、ルーク・ディ・ビレアと」

 ハルベルトが言い含めるように諭す。

「は……はい」

 返事は震えていた。

「雷光の騎士よ……」

 横からアロンが声をかける。ルークはすぐに自分の事だとは思わなかったが、国主は自分を見つめている。彼はあわてて頭を下げた。

「今日のそなたは…見事であった。……敬称を持つ身に相応しい。これからも国民の為に……尽くすのだぞ」

 国主は不自由ながらもゆっくりと、そしてはっきりとルークに声をかける。彼の総身が震える。

「はい。……もったいないお言葉、ありがとうございます」

 ルークは震える声で返事をした。

「さあ、受け取れ。ルーク・ディ・ビレア、そなたへの褒賞だ」

 ハルベルトが褒賞を差し出すと、ルークは震える手でそれを受け取った。最初は冷ややかだった会場も割れんばかりの拍手が起こる。彼はもう一度深々と頭を下げてそのまま下がり、居並ぶ列席者にも頭を下げた。続けてユリウスと3位の竜騎士にも同様に褒賞が手渡され、宴が始まった。




「あの場であのような事を言う奴があるか? この愚か者が」

 まずはアスターに小突かれる。後ろでは仁王立ちしたリーガスがうなずき、ジーンは苦笑している。

 ぜいを凝らした晩餐が終わり、列席者は思い思いに宴を楽しんでいる。ルークは上司に呼び出され、先程の対応を責められていた。

「もっと怒っていいぞ。こいつはゴール直前に急降下してきた」

 エドワルドも腕を組んでルークを睨み付けている。上司に怒られ、ルークは小さくなっている。

「アレをしたのか? 無事にゴールできたから良かったものの、失敗したら大事だぞ」

「ですが……」

「なんだ?」

 ルークのささやかな反論に重なった上司の声は冷たい。

「もし、やらずにいたら一生の悔いが残りました」

 ルークは勇気を振り絞って反論し、顔を上げる。上司2人の顔を見ると、難しい表情をしている割に目は笑っている。

「ほぉ……」

「なるほどねぇ」

 なおも2人は腕組みをしてルークを見ている。

「叔父上、アスター卿」

 声をかけられて振り向くと、アルメリアが小さな花束を抱えたコリンシアを伴ってやってくる。2人のレディをユリウスがエスコートしていた。

「もう許して差し上げてくださいませ。ルーク卿のお祝いの席でございますから」

 エドワルドとアスターはため息をつくと、ゴツン、ゴツン、とそれぞれ1発ずつルークの頭に拳骨を入れる。

「仕方ない、今日はこれで許してやろう」

 エドワルドがそう締めくくると、ようやくルークも緊張を解いた。

「ルーク、おめでとう」

 コリンシアがルークに駆け寄って小さな花束を渡す。

「ありがとうございます、コリンシア姫」

 ようやく余裕ができた彼は、笑顔で小さな姫君から花束をもらう。

「また早い飛竜に乗せてね」

「ご要望とあれば、いつでもどうぞ」

「約束よ」

 コリンシアと目線を合わせるためにかがんでいたルークの頬に彼女は軽くキスをする。

「恐れ入ります、姫君」

 ルークは礼儀正しく頭を下げた。

 話が一段落した所でユリウスが前に進み出る。エドワルドに用があると思い込んだルークは立ち上がって一歩下がろうとするが、ユリウスはルークに用があるらしい。

「雷光の騎士殿、父と母が是非ご挨拶をしたいと申しております。ご予定が無ければお付き合いいただけますか?」

 ユリウスが丁寧に頭を下げる。ルークは先ほどの褒賞の授与式で、彼がブランドル家の子息であることを初めて知った。

「わ……私にですか?」

 大公家の当主が会いたがっていることを知り、ルークは狼狽うろたえる。そんな彼を優しい上司は肩を叩いて送り出す。

「行って来い。顔を売っておくのも悪いことではないぞ」

「は……はい」

 先ほどの失態もあるので彼はためらうが、アスターにもリーガスにも背中を押されて思わずよろめく。

仕方なくユリウスの後に続き、一際多くの人だかりができている一角に重い足を向ける。

「アルメリア、そなたはいいのか?」

 コリンシアと共に残った彼女にエドワルドは尋ねる。まだ成人していない彼女達があまり遅くまで居るのは良くないが、内々に決まった婚約者ともう少し一緒に居たいのではないかと気を使う。

「はい。ブランドル公夫妻には挨拶を済ませましたし、彼はルーク卿と話がしたいと言ってましたので、私はそろそろお暇します」

「そうか」

 ブランドル家の3兄弟の末っ子は、自分を負かした相手が気になるらしい。それ程懇意にしてはいないが、彼は相手の身分だけで判断する輩ではなさそうなので、目をかけている部下といい友人になれるだろうとエドワルドは思った。

「それでは、失礼いたします。行きましょう、コリン」

 アルメリアは優雅に頭を下げるが、コリンシアは不服そうに父親の上着を握りしめる。

「コリンも帰らなきゃダメなの?」

「ええ。あの小竜がお部屋で待っていますよ」

「…そうだった。じゃあ、帰る」

 晩餐会にあの小竜を連れて来る事が出来ないので、今は女官の1人に世話をまかせて部屋に残してきたのだ。それをコリンシアは思い出し、父親や彼の部下たちに「おやすみなさい」と言ってアルメリアに手を引かれて広間を出ていく。

 エドワルドはジーンに視線を移すと、彼女は心得たとばかりに2人の姫君に付き添い、当然のようにリーガスも後に続く。このような場所で皇家の姫君に手を出す不届き物はいないはずだが、念のためである。

「さて、私も用事を済ませておこうか」

 エドワルドは伸びをすると、給仕係からワインのグラスを受け取り一杯あおる。ちらりとルークの様子を見ると、たくさんの人に囲まれて次々とお酒を勧められている。国主が褒め称えた竜騎士に、皆、お近づきになりたいらしい。

「適当なところで助けてやってくれ」

 人がいいルークはなかなか相手に断わりを入れる事が出来ない。優秀な副官はそれを心得ているので静かに頭を下げた。

「どちらへ?」

「文句を言ってくる」

 エドワルドの視線の先には、数人の貴族と楽しそうに会話をしているソフィアの姿があった。それだけで彼には通じたようだ。

「かしこまりました」

 歩き始めた上司の後ろ姿にアスターは頭を下げた。




 華やかな宴もお開きとなり、酔い潰れる一歩手前のルークを宿舎に送り届けたアスターは自分に与えられた部屋でくつろいでいた。ルーク達一般の竜騎士の宿舎は数人での相部屋となっているが、アスターに用意された士官用の宿舎は個室となっている。礼装を解き、楽な衣服に着替えて良く冷えた果実水で酔いを醒ます。

 ルークには無茶をしたと怒ったが、アスターは内心彼の優勝をとても喜んでいた。「悔いを残したくなかった」と言う彼を褒めてやりたいとも思っていたが、やはり危険な行為だったのは明白なのであの場では叱らざるを得なかった。

 ほどほどに酔っていることもあって自然と鼻歌が出てくる。さて、寝ようかと思ったところで扉を叩く音がする。

「はい」

 出てみると、そこには礼装を解いていない彼の上司が立っていた。

「殿下?」

「アスター、泊めてくれ」

「はい?」

 切羽詰まった様子のエドワルドは返事を待たずに中に入り込むと、寝台に倒れこむ。

「仕方ないですねぇ」

 ここ2晩ほどエドワルドがろくに寝ていないのを聞いていたので、アスターは渋々寝台を明け渡すことにした。驚いたことにすでに彼は完全に寝入っている。アスターはため息をつくと、上司の上着と靴を脱がして夜具をかけた。そして自分は予備の夜具にくるまって長椅子に体を横たえた。




男性は『ディ』、女性は『ディア』と名前と家名の間に付けられる敬称は、貴族や高位の神官、上級の竜騎士に許されています。

だからルークもいきなりつけて呼ばれて戸惑ったようです。だけど、褒賞の授与式で口をはさむなんて無鉄砲すぎます。場合によっては不敬罪に問われますが、国主もハルベルトも心が広く、彼の潔さを好ましく思ったようです。エドワルドの部下と言う事もあるかもしれません。


名前がらみでもう一件。

セカンドネームが許されているのは皇家と5大公家。身近な親族か、高名な先祖から7歳のお祝いの席で与えられます。だから、5歳のコリンシアにはまだセカンドネームが無いのです。

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