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群青の空の下で  作者: 花 影
第2章 タランテラの悪夢
127/156

76 群青の空の下で

 ラグラスに引導を渡した翌日、タランテラだけでなく各国間で多角的な協力を約束した条約が正式に締結された。特に幅を利かせていたカルネイロ商会を排除した後の流通や、礎の里の再構築に関して活発に意見が交わされ、今後も協力関係を続けていくことで各国の意見は一致した。

 今までの様にバラバラに対処していたのでは解決できなかっただろう。シュザンナの下、驚きの結束力でかつてない成果を上げた臨時の国主会議は幕を下ろした。

「後は明日の認証式ですね」

 フレアが淹れてくれたお茶を飲みながらくつろいでいると、アルメリアが嬉しそうに話しかけて来る。

 アルメリアがフォルビアに到着したその日、出迎えたフレアとコリンシアの姿を見て安堵のあまり彼女は思わず泣いてしまった。コリンシアとフレアはもちろん、その場にいたソフィアもブランドル公夫人も、そしてちょうど正神殿から到着したシュザンナとアルメリアももらい泣きしてしまっていた。その為、ご婦人方の化粧直しの為に会議の開始が遅れる事態となってしまった。

 ちなみにその待ち時間でエルフレートはエドワルドにブランカとの仲を散々追及された。更には彼女を男だと思い込んでいた事をヒースがバラしたことでダメだしされ、エルフレートは会議が始まる前に気力を根こそぎ奪われていた。

 こんなことが出来るのも全ての懸念が払しょくされ、タランテラ側も他国の賓客達も心に余裕が出来たからかもしれない。

「そうだな」

 お茶を飲み干したエドワルドは妻から息子を預かって腕に抱く。今は眠っておらず、あーとかうーとか声を出してご機嫌な様子だ。この場には他にコリンシアが居て、赤子のプニプニの頬をつついて遊んでいた。

「それでね、先方から打診されている未解決の案件が一つあるのだけど」

「え?」

 アルメリアの言葉に、さて、何の事だろうか? とエドワルドは真剣に考えを巡らせる。片端から思い浮かべてみるが、心当たりがない。真剣に悩んでいると、お茶を淹れなおしてくれたフレアが横からエルヴィンを抱き上げた。

「何か、あったか?」

 降参してアルメリアに尋ねると、彼女は少し悪戯っぽい笑みを浮かべている。

「叔父上と叔母上の婚礼です」

「は?」

「え?」

 思わぬ答えにエドワルドもフレアも驚いて固まる。

「いや、まずいだろう」

 エドワルドは慌てて否定する。何しろ国の状態をかんがみれば、そんな事をしている場合ではないのだ。しかもまだ、アロンの喪は開けていない。アスターとマリーリアは政治的な背景もあって特例で認めてもらったが、さすがに続けては出来ない。

「これは先方から申し出られたものです。既に大母補シュザンナ様から認証を頂いております。そして何より、先代女大公グロリア様の御遺言では叔母上は婚姻なさらないとその地位を継ぐことが出来ません」

 それはエドワルドも分かっている。だからこそ昨年、正式なフレアの大公位の認証式は秋の婚礼と一緒に行うつもりでいたのだ。

「ミハイル陛下もアリシア妃の御心情を慮れば、ここはお受けするべきと考えます」

「……準備はどうする?」

「皆様にご協力いただいて進めております」

 アルメリアがキッパリと言い切ると、エドワルドは反論できなかった。傍らに立ち尽くすフレアと顔を見合わせていたが、やがて降参とばかりに大きく息を吐く。

「分かった」

 エドワルドの答えにアルメリアは満面の笑みを浮かべ、呼び鈴を鳴らした。すると、何かを乗せた銀の盆を手にしたオルティスが部屋に入ってきた。その後にはユリアーナ続き、フレアからエルヴィンを預かる。

「殿下、僭越せんえつではございますが、こちらをご用意させて頂きました」

 盆の上にあったのは見覚えのあるビロード張りの箱だった。北棟の自室に保管していたはずのものが目の前に現れ、2人の婚礼が随分と早い段階で計画されていた事に気付いた。エドワルドはもう一度ため息をつくと立ち上がってそれを手に取る。そしてそれをフレアに手渡した。

「フレア、これを」

 フレアはそれを受け取ると、肩に止まるルルーに意識を集中してその蓋を開ける。中に入っていたのは、エドワルドから結納として受け取ったあの大きな真珠をあしらったティアラだった。

「まあ……」

 その美しさにフレアだけでなくその場にいた女性陣が感嘆の声を上げる。

「ここまで整えて頂いたんだ。明日の晴れの日に身に付けて欲しい」

「はい……」

 フレアは感極まって涙を流し、小さく頷いた。

「では、叔母上、準備があるから行きましょう」

 フレアが頷いたのを見届けると、アルメリアは彼女をうながして部屋を出て行く。エルヴィンを抱いたユリアーナもコリンシアを連れて出て行ってしまい、エドワルドは部屋にとり残された。

「認証式の前に婚礼が行われます。その為の御準備があるので、今宵女性陣は神殿で過ごされるそうです」

 オルティスが恭しく頭を下げる。

「そうか……」

 エドワルドは呆然として立ち尽くした。




「お邪魔していいかな?」

 その夜、エドワルドが部屋でくつろいでいると、ミハイルが部屋を訪れた。急きょ行われることになった婚礼の準備で妻も子供も正神殿にいってしまった。少しゆっくり出来ると思い、寝る前にもう少しだけ書類に目を通しておこうかと思っていた所への来訪だった。

「どうぞ」

 少し緊張した面持ちで彼はミハイルを部屋に通した。オルティスを呼んで酒肴を用意させるが、ミハイルはいくつかの銘柄のワインを持参していた。

「今宵は男子禁制と言われてね、アリシアに神殿を追い出されてしまった。いいワインを持ってきたから一緒に飲もうと思ったのだよ」

 彼はワインのラベルを見せると慣れた手つきで栓を開け、そしてエドワルドの杯に手ずから注いだ。杯を揺らすと中で美しい深紅の液体が揺れ、芳香が鼻孔をくすぐる。

「随分といける口だときいたのだが、お気に召さなかったかな?」

 一向に口をつけようとしないエドワルドにミハイルは不思議そうに尋ねる。

「いえ、ワインを頂くのが随分と久しぶりで……」

 実はこの1年近く、彼は大好物のワインを口にしていなかった。冬の間、暖を取るために蒸留酒を飲む事はあったが、好きなワインは妻子との再会と国の復興を願かけて断っていたのだ。再会後も各国の賓客との晩餐などで飲む機会はいくらでもあったのだが、現状では何となく飲むのが躊躇ためらわれた。

 だが、折角用意してもらったのに断るのも申し訳ない。妻子は無事に帰って来た。再興への道筋も出来たし、もう頃合いかもしれない。自分でそう納得させると、もう一度杯を揺らして香りを確かめ、その芳香を放つ酒を口に含む。

 さすがに彼が用意しただけあって最高級の名に恥じない味わいである。だが、少々酸味が強い。

「見た事のない銘柄ですが、素晴らしい味わいです。もう少し熟成させるともっとまろやかになりそうですね」

「分かるかい? 本来ならばもう数年寝かせておくのだが、ちょっと飲んでもらおうと思って持って来たのだ」

 エドワルドの答えに杯を傾けていたミハイルは満足そうな笑みを浮かべ、そしてにこやかに続ける。

「このワインの醸造元は、10年ほど前に当主が急逝して継ぐ者がいなくて荒廃する一方だったところを私が買い取ったのだ。土壌改良をして土地に合う葡萄の品種を探し、試行錯誤してようやく満足のいく物が出来る様になったのはこの2~3年だな。これは昨年のものだ」

「そうですか……」

「ま、君の言うとおり、これはもうしばらく寝かさないと外には出せないがね」

 今回は特別なのだとミハイルは言い、杯の残りを飲み干した。そして2本目に開けたのはタランテラでも名の知られた銘柄の年代物。その絶妙な味わいに、エドワルドは今まで飲んでいたものが飲めなくなりそうだと思いながらもついついおかわりまでしてしまう。そして程よく酔いが回ったエドワルドはつい思っていたことを口にする。

「どうして……タランテラにここまで尽くして下さるのですか?」

 フレアから聞いた話では、昨年の秋ごろからずっと援助をしてもらっている。娘の為でもあるのだろうが、それにしても採算を度外視しているのは間違いないだろう。

「そうだなぁ……。あの、悲惨な光景を2度と見たくないと思ったからかな」

 ミハイルは一瞬、どこか遠い目をして答えた。そしてゆっくりと杯の中身を飲み干すと再び口を開く。

「私の一番古い記憶は、荒涼とした大地を養父に抱えられて見た記憶だ。プルメリアで起こった内乱末期の光景だと思う」

 およそ50年前におきたプルメリアの内乱は10年に及び、その10年間に多くの人命が奪われ、今では想像も出来ないくらい荒廃したと伝えられている。礎の里の介入を両陣営ともこばんだとか、悪徳な商人が武器の売買で儲ける為に長引かせたとか様々な憶測が当時から……そして今でも飛び交っていた。

「抗争に明け暮れた結果、冬への防備がおろそかになり、地方は妖魔に蹂躙され続けた。それが10年も続けば、大地が荒れ果てるのも当然だろう。

 あんな悲惨な光景は2度と目にしたくはないし、自分の子や孫にも見せたくなかった。タランテラをプルメリアの二の舞にするべきではない。だが、里を動かすには時間がかかる。だから陰ながらでも何かしら手助けしようと考えたのだ。私よりも上の年代の者達はあの光景が目に焼き付いている。おかげで国内には反対する者はいなかったから、兵や諜報員を動員するのも楽だった。」

 自嘲気味に付け加えると、空になった瓶を脇に置いて3本目の栓を開ける。エドワルドもその銘柄の存在は知っていたが、目にするのは初めてのワインだった。もちろん年代物で、ミハイルの解説によると、生産量が少ない為に国外には出していない秘蔵品らしい。

「宜しいのですか?」

 ギョッとして思わず尋ねるが、ミハイルは気にせず新たな杯にそれを注ぐ。恐る恐る口をつけると、先程のワインも最高級の部類に入るはずなのだが、それすら霞んでしまうほどの味わいだった。

「私は君に感謝しているのだよ」

「感謝、ですか?」

 唐突に言われてエドワルドは目をしばたかせる。するとおもむろにミハイルは昔話を始めた。

「私には歳の離れた弟がいた。頭が良く、神童とも称えられて周囲は次代の王として随分期待していた。だが、体が弱く、更には竜騎士の能力が脆弱だったため、内乱後の国を立て直すには向かないと判断した養母ははは実の子の彼では無く私を後継者と定めた。

 だが、養父ちちの命と引き換えにようやく内乱が治まったと言うのに、その決定に不満を抱く一部の者達が弟を拉致して政変を企てる計画をたてた。それを知った弟は、母にも私にも相談せずに1人で悩み、結局、その計画が実行される前にブレシッドの名を捨てて家を出て行ってしまった。その後は礎の里におもむき、学問の道を選んだ。この時、あの子はまだ10歳だった」

 ミハイルの昔話にエドワルドは口を挟まずじっと耳を傾ける。

「幸い、里で師匠となる賢者に出会い、彼の下で薬学を学んだ。彼が成人して独り立ちした後、師匠であるその賢者が他の賢者にうとまれて聖域へ移動させられた。彼の身を案じた弟は師匠の後を追い、自ら進んで聖域に移った。そしてあちらで彼の娘と恋をして2人は結ばれた。

 しばらくは穏やかに生活していた様だ。密かにやり取りしていた手紙でも文面から幸せを感じられて安堵していた。だが、ある年、流行病で弟夫婦はあっけなく……」

 ミハイルはそこで言葉をきると、杯の中身を口にする。そして一つ息をはくと言葉をつづけた。

「知らせを聞き、どうにか仕事の折り合いをつけて駆けつけた時には既に葬儀は終わっていた。2人の墓に参り、その後、弟の師匠である賢者に子供達と引きあわせてもらって驚いた。女の子は養母に、男の子は弟によく似ていた。だが、その内包する力は養父が備えていた力と酷似こくじしている。その子達がフレアとアレスだ」

「……」

 話の流れから予期していたが、それでもエドワルドは思わず息を飲んだ。

「私は幼かったのでうろ覚えだったが、私の武術の指南役の竜騎士は養父に心酔していた1人で、よく彼の素晴らしさを語っていた。特にパートナーを決めてはいなかったが、炎、風、水、大地、いずれの資質の飛竜とも意思の疎通を難なくこなし、馬も1人で数百頭を余裕で操っていたと言う。本人は先祖返りなのだと言っていたらしい」

「先祖返り?」

 エドワルドが聞き返すと、ミハイルは頷く。

「太古の昔、大いなる母神ダナシアが始祖の竜騎士に与えた力は、4つの資質を全て兼ね備えていたと聞いた事がある。ダナシアが与えた力故、当時は光の力とも呼ばれていたらしい。代を経るごとにその力は徐々に弱まっていき、更にそれぞれの力が特化して現在の形となり、光の力という呼び方はされなくなったと聞く」

「光の力……」

 エドワルドは昔、教師役にしつこく聞いてみた事があった。飛竜レースで使われる力を象徴する5つの印章の内、炎、風、水、大地の力はあるのにどうして光の力はないのかと。教師役は光の力はすたれたのだと言っていたがここに実在しているとは……。

「あの子達の力を目の当たりにしてどう思った?」

 ミハイルの問いに、エドワルドが思い浮かべたのは2年前に助けた折に見たフレアの力だった。その強さに衝撃を受け、その美しさに釘付けとなった。小竜との約束もそうだが、あの力を見なければ彼女をそこまで気にかけなかったかもしれない。

「何か惹かれるものを感じます。そして……彼等が竜騎士でないのが惜しいと思いました」

 エドワルドの答えにミハイルはフッと笑みをこぼす。

「大抵の者は、その強すぎる力を気味悪がるのだよ。もしくは彼等を手に入れて利用しようとするか、そのどちらかだ。その悪意から守るために幼かった2人を手元に引き取ったのだが、かえって逆効果になってしまった。

 アレスはその力を恐れた連中におとしめられ、フレアはその力を欲する者達から強引に結婚を迫られた。私達に害が及ぶのを恐れたあの子は自らの幸せを諦め、生涯をダナシアに捧げる決意を固めていたようだ」

 ミハイルはここで一旦言葉をきると、空になったエドワルドの杯にワインを注ぎ、ついでに自分の杯も満たした。

「生まれ故郷に帰ると言うあの子を止める事が私達にはできなかった。それでも、あちらで生きがいを見つけた様子だったので、しばらくはそっとしておくつもりだった。

 だが、ベルクがあの子の噂を聞きつけ、その姿を垣間見て固執しだした。終いには自分達は思いあっているのに周囲にいる賢者ペドロや私達が反対して邪魔をしていると言い出す始末。しかもそれをまるで事実の様に広められてしまった」

 道理で自分への風当たりが強かったわけだ。エドワルドは妙に納得して注がれた杯の中身を飲み干した。

「そんな時にあの事件は起きた」

 フレアが行方不明となったあの事件である。

「私は君に感謝している」

 ミハイルは一度立ち上がるとひざまずいて竜騎士の最敬礼をエドワルドに送る

「え? や、止めてください……」

 エドワルドにとってミハイルは憧れの人物であり、雲の上の存在だった。そんな彼に敬礼されてひどく狼狽ろうばいする。

「娘を助けてくれてありがとう。そして手厚く遇してくれたことに感謝する。私、ミハイル・シオンはエドワルド・クラウス殿下の崇高なる竜騎士の精神に敬意を表する」

「本当に……やめて下さい。当然の事をしたまでで……」

 狼狽するエドワルドをよそにミハイルはもう一度深々と頭を下げる。そして再び顔を上げると、ようやく彼が知りたかった答えを告げる。

「その、当然の事が嬉しいのだよ。普通ならば目も見えず、記憶も無い得体のしれない人物は適当に厄介払いされるのがオチだ。それを貴公は客として扱い、そのおかげで私達は娘に再び会うことが出来た。

 そして他人と違う事で人並みの幸せを諦めていたあの子が本当の恋をしたおかげでようやく自らの幸せを求めるようになった。だからこそアレスやルイスも手を貸す気になったようだ。それにな、君はもう我々の家族だ。困っている家族に手を貸すのは当然だろう?」

「家族……ですか?」

「そうだろう? 君は私の娘をめとった。父親というにはあまりにも頼り無いとは思うが、そう思ってもらえると嬉しい」

 思ってもいなかった答えにエドワルドは答えに詰まる。だが、ミハイルに家族の一員と認めてもらえるのは素直に嬉しいと思えた。

「ありがとう……ございます」

「国の立て直しはこれからだが、1つ忠告をしておこう。全てを自分の責任と思い、背負い込みすぎない事だ。養母はプルメリアの内乱の全てが自分の所為だと口癖のように言っていた。終結した後は誹謗中傷も一身に受けて1人で奔走していたよ。結果、その無理が祟って早世してしまった。

 時には部下を頼るといい。君を信じて付いて来てくれる有能な部下が付いている。これは得難い財産だと思う」

 ミハイルの言葉はいつだか兄に言われた言葉を思い起こさせた。

「……兄にも同じような事を言われた事があります」

「そうかね? ならば忠告するまでも無かったな」

 ミハイルは人懐っこい笑みを浮かべるとようやく立ち上がる。

「さて、明日に差し支えるとまずいからこの辺でお開きとしようか」

「はい……」

 明日は大事な儀式がある。彼女の晴れ舞台なのに、父親と夫が揃って二日酔いでは台無しになってしまう。

「あ、そうそう。言い忘れていたが、最初に飲んだワインの製造元の現在の所有者はフレアになっている。今年の新酒からそちらに送る故、楽しみにしていてくれ」

「はい?」

「細かい管理は今まで通り雇っていた責任者が全て行う。フレアにさせてもいいが、報告書にだけ目を通せばいい」

 どうやらフレアの持参金の一部らしい。何から何まで至れり尽くせりでしかもこちらに手間がかからない様にもなっている。

「それから、その残りは置いていく。好きにしてくれて構わない」

 テーブルにはまだ未開封のワインが数本残っている。どれも年代物で普通ではなかなか手に入らない物ばかりだ。どうやら輸送に神経を使うので、持って帰るのが面倒らしい。

「は、はい、ありがとうございます」

 辛うじて礼を言えたが、ミハイルはさっさと部屋を出て行ってしまったので聞こえたかどうかも怪しい。

「……ありがたいことだ」

 ワインの事ばかりでは無い。大陸を代表するような人物が自分を信用してくれている。そうで無ければ公にしていない事実までは話してくれなかっただろう。1人になったエドワルドは、ミハイルが出て行った戸口に向けて改めて騎士の礼をとった。




 正神殿に祝福の鐘の音が響き渡る。その祭壇の前に礼装を身に纏ったエドワルドが立っているのだが、これから行われる晴れやかな儀式とは裏腹に彼は少々不機嫌だった。

 昨夜はミハイルと杯を酌み交わし、滅多に飲めない極上のワインを口にして上機嫌で眠りについたのだが、今朝はオルティスによって早々に叩き起こされた。起き抜けに湯あみを勧められ、その間に用意されていたのがこの礼装である。

 正神殿についてみると、生花で彩られた祭壇には主宰となる賢者とシュザンナ、そしてその補助として何故か皇都から大神殿の神官長が来ていた。会場には皇都から来ていた面々や各国の賓客、そして近隣の貴族や各騎士団長までもが揃っていた。加えて神殿の外には今日の婚礼を聞きつけた近隣の住民が祝福に押し寄せていたのだ。

 確かに婚礼を了承した。だが、自分が知らない間に準備が進められ、ここまで大掛かりに行われるとは思ってはいなかったのだ。有り難いが、自分達の意志を無視されたようで少し拗ねていたのだ。

「殿下、あまり嫌そうな顔をしておられますと、フレア様との婚姻事態が本意ではないと思われますよ」

 もうじき花嫁が入場する。エドワルドの傍らに立つ介添え役のアスターが苦笑して忠告する。無論、計画してくれた賓客の手前、嫌そうにはしていないのだが、長年付き従って来た副官にはお見通しの様だ。

「……」

「いらっしゃいますよ」

 やがてダナシアを称える音楽が流れてくる。正面の扉が開け放たれ、父親に手を引かれた花嫁が入場してきた。レースと真珠をふんだんに使い、清楚な印象の花嫁衣装はフレアに良く似合っていた。見事な刺繍が施された引き裾が広がる様は息をのむほど美しい。

 実はこの衣装はロベリアの仕立屋が用意したものだった。1年前に婚礼衣装を依頼された直後に内乱が起こっても、彼女は一家の無事を願って衣装を作り続けた。引き裾の刺繍はフレアが無事に帰ってくると信じ、一冬かけて施したものだった。その結果、彼女の最高傑作ともいえる婚礼衣装が出来上がっていた。この出来栄えに誰もが感嘆し、今日の佳き日に身に纏う事になったのだ。

 あの大粒の真珠をあしらったティアラを身に付けたフレアの肩には白い絹のリボンを首に巻いたルルーが大人しく乗っている。そして静々と歩くその後ろには白いドレスに身を包んだコリンシアとエルヴィンを抱いたオリガが続く。

 ゆっくりと花嫁がエドワルドの元へ近づいてくる。目の前まで来ると、ヴェール越しでもその顔が晴れやかなのが見て取れる。それを見てしまえばエドワルドの先程までくすぶっていた不満もどこかに吹き飛んでいく。

「エドワルド殿、これからも娘を頼むよ」

「フレア様、殿下とどうか末永くお幸せに」

 型通りの言葉だが、だからこそ、その思いが強く伝わる。エドワルドもフレアもうなずくと、ミハイルはフレアの手をエドワルドに委ねた。2人はそっと手を重ねると、進行役の賢者が待つ祭壇へと進み出た。

「幾多の苦難を超えて結ばれる2人にダナシア様の限りない祝福を賜らんことを願わん」

 礎の里から来た賢者によって取り仕切られ、大母補によって祝福される。組紐の代わりにお揃いの腕輪を互いの腕に着ければ感慨も一層深くなる。

「誓いの口づけを」

賢者に促され、ヴェールをめくると早くも彼女の目が潤んでいる。その頬に手を添えてそっと誓いの口づけを交わせば参列者からは惜しみない拍手が沸き起こった。

 最後は子供達も呼ばれ、コリンシアは両親と抱擁を交わし、エルヴィンは両親からその額に口づけられて家族となった喜びを分かち合う。格調高いだけでなく、心のこもった儀式は参列した誰もが記憶に残るものとなった。

 婚儀を終えたばかりの2人が神殿を出ると集まった領民に大歓声で迎えられた。祝福の花びらが舞い、一同が見守る中、儀礼用の装具を付けて待機しているグランシアードのもとへ歩んでいく。2人が飛竜に騎乗して飛び立つと、子供達を乗せたファルクレインとエアリアルもそれに続く。その後からはオニキスやジーンクレイ、更にはフィルカンサスやパラクインスも続く。

「見てごらん」

 エドワルドはフレアの手を取ってグランシアードのこぶに触れさせる。眼下には2人を一目見ようと集まった人々。彼方にはフォルビアの街を従えた城の姿が見え、その背景は雲一つない青空だった。その空の色は深さを増していき、稀有けうな色へと変化していく。

「まあ……なんて綺麗」

 出会った年はルルーがおらず、稀有な空が顕現しても見る事が叶わなかった。昨年は晴れてもこの色が現れる事は無く、フレアはようやくこの空の色を目にする事が叶ったのだ。

「君に誓おう。来年も再来年もずっとこの空を皆と笑って見上げられるようにしていくと」

「エド……」

 エドワルドの宣誓にフレアが振り向くと、彼は彼女の顎に手を添えて口づけた。



 2人の門出を祝福するかのような群青の空の下、壮麗な飛竜が舞う光景は人々に長く語り継がれた。


首座様はフィルカンサスに括り付けて年代物のワインを10本ほど持ち込んでいます。エドワルドと飲むのを密かに楽しみにしていた模様。


何か企んでいた気はしていたが、ここまで本格的に婚礼を上げる事になるとは思っておらず、してやられた感満載で不機嫌だったエドワルド。しかし、婚礼衣装に身に包んだフレアの美しさにそれもどこかに消し去った模様。もう新妻にメロメロです。

ちなみにエルヴィンは白いレースのベビードレスを着用。ポヤポヤの髪は帽子で隠れていました。



これにて第2章完結です。



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