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群青の空の下で  作者: 花 影
第2章 タランテラの悪夢
126/156

75 動き出した時間2

「私も同行させてください」

 そう無理を言ってフォルビアに来たエルフレートだったが、エヴィルの国主が来てすぐにベルク糾弾の会議が始まってしまい彼の個人的な用件は果たせずにいた。それでも護衛という名目で部屋の隅に控えて立っていた。

 会議の中で明るみになっていくベルクを筆頭にしたカルネイロ商会の行状に怒りが沸々と沸き起こってくる。それは護衛として立っている他の竜騎士達も同様の様で、怒りをこらえているのか顔をしかめていた。

「それにしてもきりがないの」

 ダーバの隠居が漏らした本音に誰もがうなずいた。そして一先ず全ての資格をはく奪してから、十分時間をかけてその罪状を明るみにすることで意見が一致した。




「エルフレート卿」

 眠ったままのベルクを正神殿に連れて来るまで休憩となり、エヴィルの国主が声をかけて来る。エルフレートは恐縮して頭を下げた。

「お久しぶりでございます。その節はお世話になりました」

「元気そうじゃの」

「はい」

 救出してもらっただけでなくタランテラへの帰還にも尽力してもらった恩人相手に頭が上がらない。感謝の気持ちを伝えたいのだが、なんだか緊張して言葉が出てこなかった。そこへエドワルドが声をかけて来る。

「エルフレート、顏を上げろ。陛下が困っておられる」

 肩を叩かれ、エルフレートが顔を上げると、エドワルドはエヴィルの国主に向き直った。

「先ほどは簡単な挨拶で失礼しました」

「いや、こちらこそお待たせして申し訳なかった。だが、先程も報告した通り海賊団は壊滅したので安心してほしい」

「ありがとうございます」

 エドワルドにしてみれば兄の敵を取ってもらったようなものだろう。

「ふむ、それで船団が出払っているのだが、戻り次第お預かりしている貴国の兵を送ろうかと思っている。皆、回復してきておるし、長旅にももう耐えられるだろうと医師の見立てだ」

「そうですか、ありがとうございます」

 エヴィルに置いてきた仲間の事は気がかりだったので、国主の言葉にほっと胸をなで下ろす。それはエドワルドも同様のようだ。今後も継続して治療が必要になるが、それでも故郷に戻れば回復が早まるかもしれない。

「お、そうそう、忘れるところだった」

 そう言って国主は懐から一通の手紙を取り出し、エルフレートに差し出す。

「ブランカからじゃ」

 ワールウェイド騎士団長を拝命した後、忙しい合間を縫って彼女に近況を伝えるのも兼ねて令状を送ったのは秋の終わりだった。思いがけない所からきた返事に驚いたエルフレートはぎこちなくそれを受け取る。その様子にエドワルドは冷やかすような視線を送っているのだが、当の本人は気付いていない。

「か、彼女は?」

「元気にしておる。今回の討伐も先頭に立って船団を率い、見事その結果を残した。そろそろ帰国する頃合いだろう」

「そうですか」

 エヴィルが海賊討伐に乗り出したと聞き、ブランカの性格なら先頭に立つだろうとは思っていた。それでも無事と聞いてほっと安堵の息を吐く。

「まだしばらくこちらにお世話になるからの。返事があれば預かろう」

「ありがとうございます」

 何だか頭を下げてばかりだが、国主は笑って応じていた。

「では、少し休んでくるか。首座殿が来ておるからの。ちょっと楽しみじゃ」

 ミハイルと一緒にタランテラ入りしたダーバの隠居やガウラの王弟達が、ミハイルが持って来たブレシッド産のワインで飲み明かしたと聞いて内心羨ましかったのだろう。エヴィルの国主はそうおどけて応えると、軽い足取りで部屋を出て行った。

「姫提督とうまくいっているみたいだな」

 思わぬ問いかけにエルフレートは慌てる。実際にまだそんな仲ではない。

「お、恩人です」

「そうなのか?」

 以外そうな反応をしているが、その目を見ればからかう気満々である。エルフレートは身の危険を感じて思わず逃げ腰になっていた。

「エド」

 現れた救世主はエドワルドの妻フレアだった。シュザンナやアリシア、マリーリアと話をしていたのだが一段落したらしい。後ろには彼女達もいる。

「話は終わったのか?」

「ええ。シュザンナ様がエルヴィンに祝福して下さるそうです」

 先ほどまでエルフレートをからかう気満々だったエドワルドだが、嬉しそうに報告するフレアの姿を口元に笑みを浮かべて眺めている。その穏やかな表情は久しく見ることのなかったのだが、本当の幸せを得たおかげだろう。

「そうか」

「後で時間がとれるかどうか分からないから、今のうちにと仰っていただいているのですが、エドも立ち会いますか?」

「もちろん」

 妻の提案にエドワルドはとろけるような笑みを浮かべて応じている。「ああ、これで追及されずに済む」とエルフレートは安堵するが、彼はチラリと視線を向けてくる。「後で聞かせてもらうぞ」とその目は言っていた。

「では、行こうか」

 固まったエルフレートを残し、彼は妻をうながして他の女性陣と共に部屋を出て行った。




 ベルクの糾弾も終わり、城で私的な晩餐会が開かれることになった。無礼講の席だからエルフレートも出席するよう言われたのだが、絶対に話を蒸し返されると危惧し、あまり長く留守に出来ないからと言い訳してワールウェイドの城に帰ってきた。

 残していた仕事をするからと言って執務室に籠り、そこでようやくブランカからの手紙を開いた。出撃前に書かれたらしいその手紙には彼女らしい几帳面な字が並んでいる。エルフレートの体を気遣う内容に始まり、冬の間の海賊討伐の準備の様子などが書かれていた。

「相変わらずだな」

 短い付き合いだったが、彼女の人となりは良く理解しているつもりだ。例え、帰国するまでは相手が男だと思い込んでいたとしてもだ。エルフレートは仕事そっちのけで友人への手紙を書き上げた。




「エルフレート卿、皇都よりアルメリア姫様とブランドル公ご夫妻がお見えになられました」

「は?」

 手紙を書き上げた頃には深夜になっていた。そこへ侍官に客の来訪を告げられて驚く。慌てて出向くと、そこには本当に喜色満面のアルメリアと彼の両親がいた。

「おや、エルフレート。あなた、フォルビアに行ってきたのでしょう? どんな様子だった?」

 挨拶そっちのけで母親が尋ねて来る。

「ええ、そうですけど、こちらにお見えになるのはサントリナ公ご夫妻だったのでは?」

「彼等は先にフォルビアに向かわれた。我々は彼の補佐だ。後、エヴィルの代表の方にお会いしたい。どなたがお見えになっている?」

 今度は父親が矢次早に質問してくる。ともかく落ち着いて話をしようと応接間に場所を移し、使いのルークが皇都に出立した後の出来事をかいつまんで説明していく。

「そう、無事に終わったのね、良かったわ」

 ベルクの糾弾が終わり、一番安堵していたのはアルメリアだろう。彼等はワールウェイド城で一泊し、明朝フォルビアに向かう予定らしい。

「そうだわ、あなたも来てちょうだい」

「え? 私は戻って来たばかりで……」

 確かに、手紙をことづけに一度戻らねばならない。婚礼の折に行けば主賓のエドワルドは身動きが取れなくなるから変な追及はされないだろうと思っていた。しかし、復興の為の会議は数日続く予定なので、そのままあちらに居れば合間の時間を使ってブランカとの仲を追及してくるに違いない。多分、ただの友人と言っても信じてくれないだろう。

「関係ないわ。エヴィルの陛下にお礼を申し上げたいからあなたも一緒の方がいいのよ」

 言い出したら母親は聞く耳を持たない。結局、エルフレートは皇都から来た一行の案内役として逃げ出してきたばかりのフォルビアに戻る羽目になってしまった。




 石造りの地下室にヘデラ夫妻とヘザーが連れてこられた。牢に捕われて半年。下働きのような労役を課せられて自尊心を大いに傷つけられた彼等は実年齢よりも随分と老けて見えた。

「久しいな」

 用意されていた椅子に座って彼等を待っていたエドワルドが声をかけると、憎々し気な視線が返ってきた。

「何の……用だ?」

 忌々《いまいま》し気な視線をエドワルドに向けたままヤーコブが聞いてくる。エドワルドはすぐには応えず、背後に控えるアスターに視線を向ける。彼が外へ声をかけると、戸口から何かを乗せた板が運び込まれ、3人の前に置かれた。下働きらしい男が4人がかりで運び込んだそれには布が掛けられ、何が乗っているのかはまだ分からない。

「何……だ?」

 困惑する3人を尻目に下働きの1人が布を外すと、中から現れたのは人の死体だった。頭には包帯がまかれ、目はつむっているものの安らかとは決して言えない表情を浮かべている。それが死体と分かったとたんにカトリーヌとヘザーは悲鳴を上げる。

「ダ、ダドリー」

 ヤーコブにはそれが誰か分かったらしい。その呟きに騒いでいたカトリーヌは我に返り、息子の顔を改めて見る。そして今度はエドワルドを攻め立てた。

「そなたが殺したのであろう! 人殺し!」

「手を下したのはラグラスだ。内輪もめでもしたのだろう。潜伏していた小神殿で壁に頭を打ち付けた状態で発見された。一応、手は尽くしたが、昨夜死亡した」

 アスターが冷静に経緯を説明するが、カトリーヌは信じようとはしない。

「信じられるか。どこまで我らをおとしめるつもりじゃ」

「やめろ、カトリーヌ」

 以外にも彼女を止めたのはヤーコブだった。

「これはわしらを見捨てた。既にあの時から縁を切った」

 もっともらしい事を言っているが、結局、その元凶を生み出したのは彼等自身だ。ダドリーはラグラスを出し抜こうとした彼等を擁護ようごしきれなかったに過ぎない。そもそもラグラスと手を組んで反乱を起こしたのが間違いなのだ。エドワルドが突きつけた計画に大人しく従っていれば、贅沢は出来ないまでも普通に暮らしていけたはずなのだ。そこを指摘すると彼等は押し黙った。

「最後の別れぐらいさせてやろうと配慮したつもりだったが、無用だったようだな」

 エドワルドはそう言うと、控えていた下働き達に運び出す様に命じる。遺体に再び布が掛けられ、速やかに外へ運び出された。

「……」

 運び出されていく遺体をヘデラ夫妻は複雑な表情で見送った。だが、エドワルドは感傷に浸る間すら与えるつもりはないらしい。

「さて、本題に入ろうか」

「これ以上我らから何を奪うつもりか?」

「自分達がしたことを棚に上げて何を言う?」

「我らは当然の権利を主張しただけじゃ。フォルビアは我らの物じゃ。どこの馬の骨とも分からぬ女が手にするものではない!」

 血がつながっているだけあって、ヘザーはラグラスと全く同じ事を主張する。エドワルドは一つため息をつくと、再び控えて居たアスターに視線を向ける。彼は一礼をすると扉を開け、外で待っていた人物を招き入れた。入ってきたのはミハイルに手を引かれたフレアだった。

「お、お前は……」

 牢にいた彼等はこの半年に起きた事を全て知っているわけではない。彼等はまだ、フレアが死んだと思い込んでいたのだ。

「我が娘を随分と愚弄してくれたな」

 今の会話だけではない。以前にフレアは彼等に突き飛ばされて怪我をしたと聞いていたミハイルはその怒りを抑えようとはしてない。その威圧をまともに浴びた3人は恐怖で足がすくむ。

 エドワルドもだが、ミハイルも正装を纏っていた。それぞれにその地位を表す記章を付けているのだが、一同はミハイルが付けている記章に愕然となる。一番目立つのは国主を表す金の輝き。それに続く所属を示す記章を見れば、顔を合わせたことは無くても相手の素性は自ずと分かってくる。

「バカな……」

 詳しい経緯までは知らないが、それでもエドワルドが大陸屈指の実力者を味方に付けたことで苦境を脱したのは理解できた。しかも、その実力者は自分達が散々見下した相手の身内だったのだ。

「妻も娘も無事に帰ってきた。だからと言ってお前達を許す材料にはならない。ヤーコブ、カトリーヌ、ヘザーの3人には絞首刑を言い渡す」

 エドワルドが国主代行として反逆に加担した3人に刑を言い渡す。半年間牢に繋がれていた彼等は心のどこかでそれはもうないだろうと安堵していた部分があったのだろうが、単に忙しくて彼等にかまっている暇が無かっただけだった。

 ラグラスと決着をつけた後に彼等の刑も執行するのは当初の予定通りだったが、やはりフレアを散々貶めた相手に直接文句が言いたくてミハイルが同席を強く望んだために刑を言い渡すのが早まったのだ。

「……」

 今度こそ気力を全て奪われたらしい3人はがっくりとその場に膝をつく。エドワルドは身振りで控えて居た牢番達に3人を連れて行くように命じた。執行されるのは先になるが、3人はそれまで死の恐怖におびえながら過ごす事になるだろう。




 ヘデラ夫妻等3人が連れ出され、静かになった地下室に今度はラグラスが連れて来られた。反逆の首謀となる彼には処分を言い渡してすぐに刑が執行されることになる。その立ち合いの為、フレアとミハイルに続いてサントリナ公と礎の里の賢者も加わる。

 蝋燭ろうそくの僅かな明かりに照らされた彼は、数日前と比べると随分とやつれている。眠れば囚われた折にアレスによって見せられた幻覚を夢として見てしまうのだ。十分に睡眠がとれず、更にはそれによって食欲も落ちれば憔悴するのも当たり前だが、自業自得なので同情の余地は無い。

「エドワルド……殺す! 殺してやる!」

 室内にひときわ目立つプラチナブロンドを見つけた彼は、先程までの憔悴しょうすいぶりからは想像できない程の怒りをあらわにして掴みかかろうとする。だが、両手を拘束され、両脇を屈強な兵士達に固められているので身動きもままならない。

「殺す……殺す……」

 他の人間は目に入らない様で、ラグラスは両脇を固められた状態でエドワルドを睨みつけている。

「ラグラス。反逆の罪により、そなたに死罪を言い渡す」

 エドワルドが宣告するが、当のラグラスはそれすら耳に入っていない様子でエドワルドに掴みかかろうともがいている。だが、元々運動不足な上に十分な休息をとれていないのですぐに息が上がってしまう。

「……殺す……殺す……」

 血走った眼でエドワルドを睨みつけながらまるで呪文のように繰り返し呟く。もしかしたら既に正気を失い、彼の頭の中には恨みと願望だけが残っているのかもしれない。

「準備が整いました」

 そこへバセットが現れ、酒を満たした杯を差し出す。いつになく渋い表情を浮かべているのはこの酒には毒が混入されているからだ。本来ならば人の命を救う役目のある医者としては抵抗があるのだが、他の誰にも任せたくなくて自ら毒の調合を買って出ていた。

 本来であれば斬首刑にすべきなのだが、フレアのフォルビア公就任式という慶事を控えている為、あえて流血沙汰を避けた形となった。

 エドワルドが無言で頷くと、その酒は牢の係官に手渡される。そして係官はその杯をラグラスに差し出した。

「……酒……」

 手を縛られたまま器用にその酒を受け取ると、ラグラスは何の疑問も抱かずにそれをあおる様にして飲み乾した。だが、すぐに喉を抑えて苦しみだす。

「……がっ……ぐっ……」

 使われたのは即効性の毒だった。ラグラスは泡を吹いて倒れ、ピクリとも動かなくなる。バセットが近寄り、その死を確認すると、賢者が香油を振りかけて祈りの言葉を口にする。

 ダナシアの教えではいかなる罪も香油によって清めることが出来る。咎人も香油で清め、荼毘だびに伏せば生まれ変わっても罪を犯す事は無いと言われている。祈りの言葉が済むと、すぐに牢の係官がラグラスの遺骸を布に包んで運び出す。ラグラスの遺骸はこの後直ちに荼毘に付され、遺灰は生まれ故郷の小神殿に埋葬される手筈が整えられていた。

 そこにはこれから処刑されるヘデラ夫妻とラグラスの姉ヘザー、そしてラグラスの副官だったダドリーが埋葬される予定となっている。ちなみに今回の反乱に加担したリューグナーは、エドワルド救出のための情報を提供したという事で、一応死罪を免れた。但し、医師としての資格ははく奪され、その小神殿で彼等の菩提ぼだいとむらう様に命じられていた。

 この春に牢からは出られたものの、始終監視がついて扱いは見習いの神官と同じ。質素な食事と重労働も課せられており、囚われてからの半年の間で彼は一気に老け込んでいた。そこにラグラスの墓が加わる。憎い相手ではあるが、粗略に扱えば懲罰が与えられる。それも彼に科せられた刑罰だった。

「……終わった」

 ラグラスの処刑が済んだことで、エドワルドはようやく自分の中で一区切りつけることが出来た。復興という仕事が残っているが、それに関しては支援の基本合意が済んでいる。元々被害はフォルビア内に限定されていたので、滞っていた整備の遅れを取り戻せば、元の様に実り豊かな地に戻るだろう。

 ただ、内乱だけでなく昨年は長雨の影響で作物が不作だった。それは大陸の東側にあるタルカナも同様で既に小麦の値が高騰している。逆にブレシッドを始めとした西側諸国が豊作だったので、余剰の穀物をその2か国に融通してもらう事で話がまとまった。

 討伐期の竜騎士の不足はジグムント率いる傭兵団がもう1年契約を延長し、その間に体制を見直して立て直す事となった。各国からも若手の育成も兼ねて支援の申し出があったので、こちらの問題も解決したと思っていいだろう。

 これらの破格の申し出にミハイルから出された条件は2つ。先に刑を言い渡された3人に直接文句を言う事と、もう一つが内乱の原因であるラグラスの処刑に立ち会わせると言うものだった。無論、彼の量刑を変更する予定は無かったので、各国の合意がまとまったこの日に予定を早めて行われたのだった。

「大丈夫か? フレア」

 初めて処刑に立ち会った傍らの妻を見れば、彼女の顔は蒼白となっている。それでも気丈に彼女は頷いた。本当はエドワルドもミハイルも止めたのだが、ここで逃げていたのではフォルビア大公の務めを果たしたとは言えないと言い張り、この場に立ち会うことになったのだ。

「フォルビア大公としての姿を見せてもらった。立派だぞ」

 ミハイルは逃げることなく務めを果たした娘を労う。だが、知らぬ間に成長していた娘を誇らしく思うと同時に一抹の寂しさを感じていた。

「さ、戻ろうか」

 エドワルドが手を差し出すと、彼女は自分の手を重ねる。その手は若干震えていて、彼は愛おしげにその手を包み込んだ。そのぬくもりに彼女はほぅっと安堵の息をはく。

 一同が死に満ちた地下室を出ると月の明かりが迎えてくれた。再会の日よりかは幾分か細くなっているが、その明かりは彼等に安らぎを与えてくれた。

ジーンとリーガス愛の劇場8






第8話 嫉妬



 奥方様と姫様がお戻りになられた。ラグラスは捕え、懸念されていた審理も回避される事となった。この朗報を一刻も早く妻に知らせたくて、ジーンクレイを急かしてロベリアに戻った。

「ジーン、朗報だ」

「どうしたの?」

 妻は豊満な胸をはだけて授乳の真最中だった。

「奥方様と姫様がお戻りになられた」

「本当?」

 妻は驚いて私を見上げる。だが、体が動いたために息子の口から乳が離れ、ぐずりだす。

「ああ、ごめんね」

 彼女は慌ててもう一度乳を含ませると、息子はまた一心不乱に吸い始める。何だかうらやましい……。

「しかもだ、御嫡子様を伴ってのお帰りだ」

 気を取り直して続けると、彼女は驚いた様子で動きが固まる。

「……奇跡だわ」

「ジーン?」

 ポツリと漏らした妻に問いかけると、彼女は表情を曇らせて私を見上げる。

「お子様を宿したまま追手を逃れられたのは奇跡だわ。きっと、大変だったはずよ」

 彼女自身は悪阻つわりなどの妊娠に伴う体調の変化は比較的軽く済んだ。それでもたまに辛くて寝込む事もあったと聞く。その困難さを思うと、確かにこうして無事にご帰還されたのは奇跡とも思える。

「そうだな……」

 こうして会話を交わしながらも、ジーンは母親らしく息子を気遣いながら乳を与える。それにしても羨ましい……。

「すぐにお会いしたいわ……」

「行くなら坊主も連れて行こう。若様と同い年だし、遊び相手にちょうどいいとヒース卿とも話したんだ」

 満足したのか息子はゲップをすると妻の腕の中で眠り始めた。彼女は器用に息子を膝に乗せたまま肌蹴た衣服を元に戻してしまった。ああ……残念。

「一緒に遊んで、勉強して……素敵だわ」

「だろう?」

 そう遠くない未来にそんな光景が見られるかもしれない。

「いっぱいおっぱいを飲んで、早く大きくなって、パパみたいに立派な筋肉付けて、若様をお守り出来る様になるのよ~」

 妻が眠っている息子に言い聞かせているのを聞いていると、先ほどの授乳の光景を思い出す。

 ああ……早く乳離れしてくれないかな……。何だか無性に息子が羨ましくなってきた。俺も……触りたい。


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