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群青の空の下で  作者: 花 影
第2章 タランテラの悪夢
121/156

70 最後の仕上げ2

 フォルビア正神殿は慌ただしい空気に包まれていた。来る審理の会場に選ばれ、総本山の礎の里や他国からの賓客が来るのだ。

 ラグラスが起こした内乱に追い打ちをかける様に昨年は例年にない不作だった。賓客に対して十分なもてなしは出来ないかもしれないが、それでもできるかぎりの事をしようと神官も見習いも一丸となって準備を進めている最中だった。

「ベルク準賢者様のお部屋はここか?」

 イリスがベルクの為の客間を整えていると、高圧的に声をかけられる。振り向くと、そこにいたのはこの正神殿ではなくフォルビア城下の小神殿の神官長だった。

「はい、そうです」

 イリスはいぶかしみながらも自分よりも高位の相手に配慮して丁寧に答える。

「ここではだめだ。準賢者様には最上級の部屋を用意しなさい」

「それはトビアス神官長の御指示でしょうか?」

「奴の指示など関係ない。準賢者様をこの様な貧相な部屋にお通しするなど失礼だ。常識から言ってもあり得ないだろう」

 相手の物言いにイリスは腹が立った。だが、沸き起こってくる怒りをぐっと堪えると、努めて丁寧な口調で反論する。

「お言葉でございますが、この度は大母補様もお見えになられます。他にも見届け役として各国から賓客が訪れると伺っております。

 私共は先代神官長の時から神官は清貧であらねばならないと教えをうけており、その教えを遵守されたトビアス神官長が、ここは同輩となられるベルク高神官には大母補様や他国の賓客に譲って頂くべしと判断したのでございます」

「分かっておらぬな。あの方は今、大陸で最も強い影響力を持つ方だ。些細な手抜かりでも不興を買えば、フォルビアどころかタランテラ全ての神官が処分されてしまう。今回の不祥事を招いたロイスの腰巾着だったトビアスの巻き添えを食らってはたまらんからな。さっさと言った通りにしろ」

 思えばロイスの鎮魂の儀の折に彼の悪口を言っていたのもこの男だった。ロイスの世話になって今の地位にいるはずなのに、亡くなったとたんに掌を返したような態度をとる彼にイリスはこみ上げてくる怒りをこらえきれなかった。

「この非常時に何を言っているんですか? そもそも貴方はこの神殿での決定権を持っていないんですよ。私が従う義理はありません!」

 きっぱりと言い切るともう後には引けなくなっていた。普段の模範的な女神官としての態度をかなぐり捨て、相手が目上なのも忘れて早口でまくし立てていた。

「ロイス神官長の後を継いだのがトビアス様だったのがそんなに気に入らないですか? だからってベルク準賢者に媚を売っておけば出世できると思ったんですか? バカじゃないの」

「な、何を言うか、この小娘が!」

 図星だったらしく、顔を真っ赤にして怒った相手は手を振り上げる。殴られると思ったイリスは目をつぶって身構えたが、いつまでたってもその衝撃は襲ってこなかった。恐る恐る目を開けると、騎士服をまとった背の高い男性が男の腕を掴んでいた。

「暴力を振るうのは感心しませんね」

「ラ、ラウル卿」

 男の腕を掴んでいたのは、心なしか意地の悪い笑みをうかべたラウルだった。その背後には顔を顰めたトビアスともう一人高位の神官らしい初老の男がおり、更にその背後からは同僚の女神官達が心配そうに様子を伺っていた。

「は、離せ」

 男は振りほどこうといているが、鍛えた竜騎士の手でがっちりと掴まれているのでびくともしない。だが、言われた通りラウルが手を離すと、もがいていた男は反動で尻餅をついた。

「手伝いに来たと仰るから、通常のお勤めをお願いしたはずですが、貴公はここで何をしておられるのですか?」

 尻餅をついたままの男にトビアスは丁寧な口調で尋ねるが、その言葉には心なしか棘があった。だが、残念なことに男はその棘に気付かなかった。

「おい、この無礼な小娘を処罰しろ」

「それは出来ません」

「何だと!」

 男の要求をあっさりと断るとトビアスは呆れたように続ける。

「そもそも彼女は自分の職務を忠実に全うしていただけです。そこへ貴公が位を笠に着て理不尽な要求を強要するから腹を立てたのです。神官としてあるまじき言葉遣いがあったかもしれませんが、些細な事でしょう」

「些細だと? 人を侮辱しておいて!」

 男の言い草に、感情が高ぶっていたイリスはトビアスもラウルもいるのもかまわずにきつい口調で猛然と割って入った。

「先にロイス神官長とトビアス神官長を侮辱したのは貴方ではありませんか!」

「小娘が口を挟むな!」

 男はイリスの反論をピシャリとはねのける。悔しさに口元をゆがめていると、ラウルが寄り添い庇ってくれる。その顔を見上げると、口元にはあの意地の悪い笑みを湛えていた。

 そこへトビアスの背後にいた老神官が進み出る。旅装を解いていないところを見ると、つい今しがた正神殿に到着したのだろう。記章は身に付けていないが、醸し出す雰囲気から高位の存在だと推測できる。

「お主はベルクと親しいのか?」

「まだ直接お会いしていないが、昨年の秋に当神殿に滞在された側近のオットー高神官に色々と便宜を図らせて頂きました。この度はそのお礼として準賢者様にお目通り頂ける事になっております」

 より強い者の威光をちらつかせ、ふんぞり返る姿は滑稽以外何物でもない。男は得意気に胸を張っているが、トビアスとラウルが向ける視線には哀れみが混ざっている。

「そうか。では、念のためそなたの身柄を拘束致すとしよう」

「は?」

 突然の宣告に男は呆気にとられる。だが、周囲を兵士に囲まれて我に返った。

「何故だ! 部外者にそんな指図を受けねばならん!」

 明らかに高位の存在だと分かる相手なのに、男は猛然と抗議する。それをトビアスや周りにいた兵士が慌てて止めるが、男の怒りは収まらない。

「おお、忘れておった」

 騒然とする中、老神官は懐から金色の何かを取り出して胸に付ける。それは国主に肩を並べ、大陸中で10人にしか許されていない賢者の地位を示す記章だった。

「ば……かな……」

「カルネイロが幅を利かせておるから有名無実となっておるが、綱紀を司っておる。今回は審理の見届け役に任ぜられて参った訳だが、当初の訴えは既に撤回が決定した。逆に今度はベルクに嫌疑がかけられており、関わりのある疑わしい人物は全員捕らえて事情を聞くことになっておる。ベルク本人ではないが、補佐役のオットーに便宜を図ったと言っておったからの、詳しい話を聞かせてもらうとするかの。

 それにしても先程のこちらの女神官に対するそなたの態度はよろしくないの。位を笠に着て下位の者に無理強いするのは本来あってはならぬもの。少し反省しておれ」

 賢者が裁定を下すと、男はがっくりと膝をつく。トビアスの指示で兵士達が男を立たせて連れ出していった。

「さて、長旅で疲れたからの。心を込めて整えてくれた部屋で休ませてもらうとするかの」

 賢者はそう言うと、トビアスに案内を頼んで部屋を出て行った。様子を伺っていた女神官達もそれぞれの仕事に戻り、その場に取り残されたのはイリスとラウルだけとなった。

「あの……ありがとうございました」

 助けてもらった事を思い出し、イリスは慌ててラウルに頭を下げる。

「間に合って良かったよ。怪我は……ないよね?」

 ラウルが尋ねると、イリスは小さく頷いた。

「本当はもっと側に居てあげたいけど、お客の案内を頼まれただけなんだ。また戻らないと」

「何か、あったの?」

 ラウルは不安気に見上げるイリスを安心させるように優しい笑みを浮かべていたが、何かを決意したように表情を引き締める。

「詳しい事をまだ言えないけど、朝には朗報が届けられるかもしれない」

 どうやら何か事件が起こったらしい。一番の可能性として未だに砦に立てこもるラグラスの件が上げられるが、先程賢者が言っていたベルクの件もある。彼に限らず竜騎士達は率先して動くことになるだろう。

「そうですか。気を付けて」

「うん」

 イリスが声をかけると、ラウルは顔を綻ばせる。そして「では、また」と言い残し、彼も部屋を出て行った。




 後になって腹が立つあまり小神殿の神官長に反論していたところをラウルにも見られていた事実に気づいた。次にどんな顔して会おうか悩んでいたが、彼は宣言通り、夜明けには朗報を携えて再訪し、あまりの嬉しさから我を忘れて喜び合った。




「何だかのう、もったいないとは思わないか?」

 そう言いだしたのはダーバの隠居だった。タランテラ側が取り込み中だった事もあり、到着した夜はフォルビアの正神殿に案内されたのだが、ただ大人しく待つのも性に合わない彼等は朗報を待ちながら酒盛りを始めていた。

「何がもったいないのだ?」

 ディエゴが用意してくれたブレシッド産のワインに顔を綻ばせながらガウラの王弟殿下が聞き返す。

「折角タランテラまで来たんだ。あ奴の審理だけ済ませて帰ってしまうのはもったいないと思わんか?」

「はあ? あんたは隠居して暇だろうが、現役のこっちは国での仕事放り出して来てんだぞ。物見遊山している暇などある訳無かろうが?」

 ミハイルの要請でタランテラへ出向くことは以前から決めていた。しかし、留守にする間の仕事を前倒しでやっていた所へ、予定が変わったからとその仕事を放りだす形で強引に連れ出されたのだ。滞在期間を延ばせば延ばす程、帰国してからの後始末が大変なのだ。

「バカたれ、こんな状況で我々だけが楽しんでどうする? そうではない。この件が片付いてもこの国が復興するには時間がかかる。伝え聞いた話から想像するとだ、あの若い皇子は自分の事を後回しにしてでも国の立て直しに心血を注ぐだろう。奥方と再会できたのにこれでは可哀想じゃないか。折角これだけのメンツが揃ったんじゃ。あの若い2人を祝福しても罰は当たらんのじゃねぇかと言いたかったんじゃ」

 ダーバの隠居の力説に、ガウラの王弟殿下も2人の会話を黙って聞きながらワインをちびちび飲んでいた賢者も感心したようにうなずいている。

「要は、理由を付けて飲みたいだけじゃねぇのか?」

 置き去りにされた大母補の護衛の手配に各方面から届く情報の整理等、色々と奔走していたディエゴがボソリと呟く。

「何か言ったか?」

 味方にすると頼もしいが、敵に回すと厄介な方々である。ディエゴは慌てて言い繕う。

「いえ、別に……。ですが、アロン陛下の喪はまだ開けていなかったはずです。それにタランテラ側の意向を無視するのは良くないのではありませんか?」

「そう言えばそうだったのう……」

 ディエゴの意見に隠居は肩を落とすが、今まで一言も発しなかった賢者が横からと口出しする。

「大母様の御名代であるシュザンナ様がお許しになれば済む。事実、アロン陛下の御養女となられた姫君が殿下の腹心と婚礼をあげている。ワールウェイド家を継がせる目的もあったそうだが、2人は恋仲だったそうだ」

「シュザンナ様ならば快くご賛同いただけるだろう」

「そうじゃのう、大母補様の御許可があれば問題ないのう」

 隠居も王弟もその意見に納得しているが、問題はそれだけではないのだ。ディエゴはため息をつくと、ほろ酔いの3人に対して冷静に突っ込みを入れる。

「花嫁には支度が必要です。首座様もアリシア様も実の娘の様に可愛がっておられるフレア嬢を持参金も無く平服で送り出す真似をしたくは無いはずです。更には殿下の御親族をないがしろにする真似をすれば、後々辛い思いをするのは彼女なんですよ?」

 確かに見ようによっては正式に婚礼を挙げたとは言い難い状態である。国主となるエドワルドはもちろんの事、賢者の孫でミハイルの養女でもあるフレアもその伴侶の地位を狙っているのは1人や2人では無い。それを巡ってまた新たな陰謀がめぐらされる事になれば、復興の足手まといになり得るのだ。その為に正式な婚礼を挙げるのは最良な手でもある。

 だが、必要な手順を全て省いてしまうと、それはそれで逆に悪影響も及ぼす可能性があるのだ。特に身内をないがしろにすれば、何か事あるごとにその事でフレアが責められかねない。ディエゴも実の妹の様に可愛がっているフレアをそんな辛い思いをさせたくなかった。

「そ……そんなに怒らなくても……」

 思った以上に力が入ってしまったようで、ディエゴの剣幕に3人はしゅんとなる。

「2人が正式な夫婦となる手続きは必要です。ですが、当事者の意向を無視し、我々だけで結論を出すのは早計かと思います」

 言い過ぎたと反省し、ディエゴは声のトーンを落とすとそう結論付ける。するととたんに隠居は元気をとり戻す。

「そうじゃの。そうと決まれば善は急げじゃ。お主、首座様とタランテラ側に話を付けてこい」

「は?」

 結局は人の話を聞いてはいないらしい。押し問答の挙句、結局ディエゴはラグラス捕縛の報告と入れ違いに湖畔の村に向かう事になってしまった。




「殿下と奥方様のご婚礼?」

 エドワルドに休息を勧めたアスターとヒースが、残りの雑務をこなしている所へリーガスがその話を持ってきた。つい先ほど、ディエゴと10年ぶりの再会を果たしたのだが、それを喜ぶ間も無くその話を切り出されたのだ。リーガス自身は大賛成なのだが、さすがに彼1人では判断を下せない。とにかく補佐役の2人に話を通してみると言って別れたのだった。

「殿下はそんな場合ではないと言われて拒否されるな」

「だろうな」

 アスターもヒースも苦笑するが、2人の意見は賛成の方向で一致していた。

「奥方様も自分達の事よりも国の事を優先するようにと仰って遠慮なさりそうだ」

「似た物夫婦だからな」

「ああ」

 エドワルドを主に武で支える3人はその奥方の人となりを熟知していた。彼女も夫と同様、自分達の事よりも他を優先する傾向にある。話せば絶対拒否するだろう。

「奥方様の父上の返答次第だな。彼が同意なされば、お2人には悪いが内密に話を進める事になるだろう」

「そうだな」

 しばらく思案した後、アスターがそう決断するとヒースもリーガスもそれに同意する。政治的な絡みがあったのだが、アスターはエドワルドの強い意向でマリーリアとの婚礼を強行している。今度は彼がその返礼をしたいのかもしれない。

 ラグラスを捕えたが、まだベルクの問題が残っている。お集まりのお歴々に対して自分達がどうこう言える立場では無いので、ともかくブレシッド側の意向に従う事で話がまとまった。

 ついでに今後の予定などを打ち合わせていると、その意向を伺うつもりでいたミハイルがディエゴを伴って現れる。

「エドワルド殿はどこにおられる?」

「休んで頂いております」

「そうか。話を聞いたとは思うが、率直な話、そちらはどう思われる?」

 言うまでも無く、エドワルドとフレアの婚礼の話である。

「殿下は固辞なさると思いますが、我々としては貴方様の意向に沿う方向で話がまとまりました。ただ、まだ全てが終わっておりませんので、その兼ね合いをどうするかが問題です」

「ふむ……。実の所、私1人でも判断はしかねる。こう言った事は女性の意見が重要だからな」

「ごもっともです」

 自分の婚礼の折に見せたソフィアやセシーリアの結束力を思い出し、アスターは神妙にうなずいた。色々とありすぎて自分達だけでは対応が追いつかないので、皇都から誰か応援を頼もうかとヒースと相談していた所だった。それならばサントリナ公と一緒にソフィアにも来てもらうのが一番かもしれない。そう考えを巡らしている所へミハイルは衝撃の告白をする。

「幸い、妻がシュザンナ様と行動を共にしている。ベルクに置き去りにされた2人を迎えに行き、彼女の意見を聞いてから話を進めようと思う」

「か……かしこまりました」

 まさか奥方の方もタランテラ入りしているとは思っておらず、「最強の番が揃うのか……」と3人は内心冷や汗をかいた。

 置き去りにされたシュザンナとアリシアの迎えを誰に行かせるかで話を始めようとしたところで、肩に小竜を乗せたアレスとそれに続いてルイスが天幕に入って来る。

「お取り込み中、すみません」

「どうした?」

 ミハイルが振り返ると、アレスは彼に何やら耳打ちをする。

「本当か?」

「はい」

 何か不測の事態が起こったに違いない。アスターもヒースもリーガスも固唾をのんで彼等のやり取りを見守る。

「……失礼。ベルクが正神殿まで来れなくなった」

「こちらの動向に気付いたのですか?」

 逃げ出したのなら早急に対策を練らねばならない。ヒースがラグラス捕縛にも使った地図を引き寄せようとするのを口元に笑みをたたえたミハイルが止める。

「そうではない」

 ミハイルがアレスに視線を向けると、心得た彼は小竜に命じてその記憶を彼等に送る。腰を少し屈めた状態のまま動けなくなったらしいベルクが必死に何かを訴えている。護衛の1人が彼を抱えようとするのだが、少し動かすだけで腰に響くらしい。常に他者を見下し、不遜な態度をとる姿しか知らない彼等はそのギャップに思わず吹き出しそうになる。

「……これは、いつ……」

「俺達がラグラスを尋問していた頃かな。今は奴が情報の拠点にしていた小神殿で休んでいる」

 吹き出しそうになるのを堪え、アスターが問うと、同様に笑いを堪えているアレスが答える。その小神殿も既にアレス達が制圧しているので、ベルクの身柄は既に手中にあるのと同じである。

「どこでも好きな場所に誘導するって言ったのに守れなかったな」

 自信満々でエドワルドと約束していたのを思い出し、アレスはがっくりと肩を落とす。

「それは仕方あるまい。だが、奴の断罪の準備が整うまで大人しくしててくれるだろう。とにかくエドワルド殿にも伝えて来よう。ルイスは正神殿におられる方々に伝えてくれ」

「了解です」

 ミハイルは出入り口で控えていたルイスに指示を与えると、アレスを伴って天幕を出て行く。夫婦水入らずの所を邪魔するのは気が引けるのだが、用件は口実で孫に会いたい彼は迷うことなく村で一番大きな建物へと足を向けた。




 その後、簡単に打ち合わせが行われ、本陣を引き払い正神殿に移ることが決まった。そして皇都へはルークが使いとして飛び、船でこちらに向かっているであろうシュザンナとアリシアは第1大隊の竜騎士を率いたアスターがディエゴを伴い迎えに行くこととなった。


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