10 飛竜レース 1
その日は夜明け前から、本宮前広場に飛竜レースのスタートを見ようと、多くの人が集まっていた。広場の周りには特設の観覧席が設けられ、すでに見物人でほぼ満席となっている。一方で城の一角を利用して設けられた皇家や5大公家の為の貴賓席はまだ空席が目立つ。
その様子をスタートとなる城の西棟からルークは眺めていた。今日の彼は簡素な騎士服を着、白い布で作った襷たすきをかけている。今日のレースは出来るだけ身軽な方がいいので、出場する竜騎士は皆、この出で立ちをしている。ルークはシャツの内側に縫い付けた小さなお守りにもう一度触れる。館を出立する直前、オリガが彼に手渡してくれた包みの中にあったものだ。
『怪我だけはなさりませんように』
そう短い文面の手紙が添えられていた。彼女の気持ちが嬉しく、帰ったら絶対お礼を言って、できれば告白してしまおうと考えていた。彼女の事を思うと、少しだけ緊張がほぐれた。
彼の他にも今日のレースに参加する竜騎士が相棒の飛竜と共にその時を待っている。今年参加するのは各騎士団から選ばれた若手の精鋭10名。彼らは出発前の激励に来ている先輩達と幾度となく装具の確認をし、飛竜の状態を確かめる。上位入賞者3名には今夜開かれる国主主催の晩餐会に出席し、直々に褒賞が与えられるので、自然と力も入る。かく言うルークも今朝はもう10回も装具の見直しをしていた。
「……奴には負けるな」
刺さるような視線と共にそんな会話が聞こえてくる。装具を点検するふりをして見てみると、理不尽に見習いを7年間もさせられた、古巣の騎士団にいた先輩が若い竜騎士とこちらを睨んでいた。平民出身というだけで行われたいじめや暴行は公にはなっていないが、エドワルドとアスターが秘密裏に動いて関わった竜騎士達は全員処分を受けていた。こちらを睨んでいる先輩も積極的にかかわったわけではなかったが、それでも何かしら処分を受けた口だろう。恨まれているだろうとは思っていたが、目の当たりにすると気が滅入ってくる。ルークは気持ちを落ち着けるためにもう一度お守りに手を触れた。
急にその場がざわつく。振り向くと、彼の上司が姿を現し、自分に向かって真っすぐに歩いてくる。現在、タランテラ皇国内に於いて最強の竜騎士と謳うたわれるエドワルドは、若手の竜騎士達にとってあこがれの存在だった。目の当たりにしたその存在感に彼らはあわてて膝をつこうとするが、エドワルドは笑って手を振りそれを止めさせた。さすがにあの先輩もエドワルドの前では神妙にしている。そして一同の視線を一身に受けながらエドワルドはルークの傍まで来ると、わざわざ自ら激励に来た団長に頭を下げる彼の肩にポンと手を置く。
「どうだ、調子は?」
「エアリアルは万全です」
明かり取りに各所で松明が焚かれている。その明かりを受けて高貴なプラチナブロンドの髪はルークの目には眩しく感じる。
「お前自身は?」
「緊張で今にも心臓が逃げ出しそうです」
ルークの答えに彼の上司は苦笑する。人懐っこいエアリアルは相手の身分になど頓着せず、エドワルドにも甘えたように頭をすり寄せる。心得ている寛大な上司は飛竜の頭をなでた。エアリアルは気持ち良さそうに喉を鳴らしている。
「確かに順位も大事だが、無事に帰って来い」
「はい」
日の出が近いことを知らせる太鼓が響く。
観客席に歓声が沸き起こり、貴賓席に国主代行のハルベルトが姿を現した。彼は片手を上げて歓声に応え、自分の席に腰を下ろした。
スタートが間近となり、選手以外は着場から離れなければならない。
「ではな」
エドワルドはルークに片手を上げて挨拶すると、他団の先輩竜騎士同様に飛竜の着場から離れた。エドワルドのおかげで心の中のモヤモヤは全て吹き飛んでいた。
やがて地平線の向こうに太陽が顔を出し始める。日の出を知らせる鐘が鳴り響き、10頭の飛竜はパートナーを乗せて一斉に飛び立った。
飛竜レースは日の出と共にスタートする。近隣にある5つの神殿を回り、竜騎士が襷にした白い布に、それぞれの神殿に預けられた竜力の象徴の印章を押してもらって帰ってくる速さを競う競技だ。神殿を回る順番は自由で、本宮前広場の中央に設置された鐘を鳴らせば帰着となる。近隣を回ると言っても範囲は案外広く、先頭の竜騎士が帰ってくるのは大抵昼頃だった。
着場のある西棟から国の中枢が集まる城の南棟…本宮にエドワルドは移動し、そこの2階テラスに設置された貴賓席に足を向ける。
「おはようございます、兄上」
「おはよう、エドワルド。お前もここで見るか?」
「昼までですか? 遠慮しておきますよ。コリンがまだ部屋で寝ていますから」
見届け役のハルベルトは、レースに参加した竜騎士が全員戻るまでここに座って待たなければならない。エドワルドはうんざりした様子で肩をすくめる。
「1人にしてきたのか?」
また泣き出すのではないかとハルベルトは心配する。
「大丈夫ですよ、昨夜も来ましたから」
「ああ、なるほど。昨夜はコリンを押し付けて逃げたのか?」
「……」
エドワルドは苦笑している。彼が寝不足気味の顔をしているのは、朝が早かっただけでないことにハルベルトはすぐに気付いた。エドワルドは昨夜の女官にコリンシアの添い寝を頼み、自分はまた居間のソファで体を休めた。前日の女官と違い、積極的な彼女はコリンシアが眠るとすぐに迫ってこようとするので、神経が休まらなかった。疲労の度合いは前日をはるかに上回っている。
「一度部屋に戻ります。彼らが帰着する頃にコリンを連れてまた来ます」
エドワルドはそう言って兄に頭を下げ、自分の部屋に戻っていった。ハルベルトは1人寂しくその場で時間をつぶすことになる。
その頃アスターはファルクレインと共に、若い竜騎士達が水の印章を押す神殿の近くにいた。警備と審判を兼ねてコース付近に竜騎士を配置するのだが、人手が足りないのでかり出されたのだ。
神殿では特にトラブルが起きやすい。飛竜の離着陸や印章を押す順番でもめたり、ライバルの妨害をしたりとさまざまな問題が起こり、過去にはレースの終了後に裁判が行われたこともあった。
そこで若手の竜騎士が逆らえないほどのベテラン竜騎士が審判役に選ばれて配置される事になったのだ。それが功を奏したのか、ここしばらくは飛竜レースで問題らしい問題は起きていない。
彼がこのレースに出たのはもう8年も前になる。懐かしさもあってこの役を快く引き受けたのだ。今頃リーガスとジーンも別の場所の警備を任されているはずだった。
「アスター!」
急に声をかけられて振り向くと、赤褐色の飛竜と共に1人の竜騎士が近寄ってくる。
「ヒースか? 久しぶりだな」
声をかけてきたのはアスターの旧友だった。彼も一時エドワルドの学友を務めていたが、父親の急死により、家を継ぐために結婚し、本宮を離れなければならなくなった。現在は領地を治める傍ら、皇都を守る第1騎士団の第1大隊の大隊長を務めていた。
「始まったな」
「ああ」
日が昇り、辺りに鐘の音が響き渡っている。8年前、彼らもこれを合図に本宮を飛び立った。
「お前の所の若いのが早いらしいな」
「確かに早いが、慣れない場所だから優勝は無理かな」
毎回、印章をもらう神殿は変えられるのだが、はやり地方から参加する竜騎士には不利なレースとなる。今までの優勝者も第1騎士団から出る者が殆どで、その他の僅かな例外も皇都近辺で勤務経験があるものばかりだった。
今年回る神殿は昨夜発表されたので、アスターは寝る前にルークの順路設定の相談に応じてやっていた。助言できることはしてやったが、結局どの順路に決めたのかは彼も知らない。
「お前の所はどうなのだ?」
「今回私は関わっていない。助言したい奴はいくらでもいるし」
肩をすくめてヒースが答える。
「そうだな」
彼らは神殿を見下ろす崖の上にいた。レースの印章を押す神殿には特別な旗が掲げられるので、それを目ざとく見つけたらしい人々が集まってきている。商魂たくましく屋台を出している者もいて、付近はお祭り騒ぎになっている。
印章を押してもらうにはいったん飛竜から降りて神殿に入り、神官から祝福の言葉をもらわなければならない。飛竜が着地して竜騎士がその背中から降り、印章をもらった後は再び飛竜の背に乗って飛び立つ…そのロスをいかに少なくするのかも各竜騎士の腕の見せ所でもある。それを見たくてわざわざこういった神殿に足を向ける者も多くいるのだ。
「そういえば君の上司は、昨日は大活躍だったらしいな」
ヒースがおかしそうに聞いてくる。昨日のゲオルグを諌めた一件の事である。
「本当に困ったお方だ。それをかばうワールウェイド公もだが……」
アスターは用心して声を潜めた。
「見ものだったらしいぞ、馬達がボンボンどもの襟首咥えてザブザブと川に入っていく様は。彼らに悩まされていた都の者だけでなく、兵士達も大喜びだったらしい。私も見たかった」
ヒースは心底悔しそうに言う。
「今後はハルベルト様が直々に叩き直されるそうだから、彼等に悩まされる事もあるまい」
「ほほぉ。それはいい事を聞いた」
ヒースは面白そうな表情を浮かべていたが、声を潜めて続ける。
「だが、どうだろうか? ワールウェイド公のゲオルグ殿下に対する執着ぶりは異常だ。あの噂の信憑性も高まってくる」
「噂?」
「マリーリア嬢にはお会いしたか?」
急に尋ねられ、アスターは戸惑う。先日の晩餐会で、女性用の竜騎士礼装に身を包み、無表情でエドワルドと踊る姿を思い出した。エドワルドに何やら話しかけられていた様子だったが、無理に全ての感情を押し殺したかのような無表情は最後まで崩れる事は無かった。
「ああ、先日サントリナ家の晩餐会でお見かけした」
「あの髪の色を見て何とも思わないか?」
「髪の色って……確かに見事なプラチナブロンドだったが……」
ヒースの意図がわからずにアスターは首を傾げる。
「それがおかしいと言うのだ。直系であるはずのゲオルグ殿下が赤毛で、同じ頃にお生まれになったマリーリア嬢に皇家の色が出ていると言う事が……。ワールウェイド公は子供をすり替えたのではないか……とね」
「そんな馬鹿な!」
思わずアスターは叫んでいた。
「声がでかい」
気付くと見物人がこちらを見ていた。2人は居住まいを正して黙り込む。
「それは不可能ではないのか? 本宮でそんなことは出来ないだろう。ましてや皇家の方でもあの色をお持ちでない方もいらっしゃる。ソフィア様もハルベルト殿下の亡くなられたお子様もそうだった。逆に皇女が降嫁した先であの色を持つ子供が生まれる事だってある」
しばらくして気持ちを落ち着けたアスターが再び声を潜めてヒースに話しかける。
「……そうだな。だから噂だ」
彼は静かに答えた。それでこの話は終わり、長い沈黙が続く。
「お、来たな」
空の向こうに飛竜の姿が見えた。彼らは旧交を温める為でも、噂話をするためにこの場にいるわけではない。アスターもヒースも、自分の与えられた仕事をするために相棒の飛竜に跨った。
夜が明けたばかりなので、飛竜の背で受ける風がひんやりとして心地いい。ルークはエアリアルとこうして飛んでいるだけで、スタート前のあの緊張が嘘のように消えていくのを感じていた。しかもエアリアルと力の限り飛べるこの状況を既に楽しんでいた。
第3騎士団に移動になる前、使いで方々を飛び回っていた時でも皇都近辺はあまり来た記憶が無い。初めての土地、そしてそこに吹く風にエアリアルは高揚感を示しており、ルークはそれにつられて笑みを浮かべる。気流の微妙な変化を感じ取り、瞬時に最適なコースをエアリアルに指示をする。
「もうすぐ最初の目的地だ」
上昇気流を捕まえて一気に高度を上げると普段は迂回するような高い山を飛び越える。すると最初の目的地である炎の印章を押す神殿が視界に入ってきた。
このレースは毎回夏場に行われるため、飛竜もそれを駆る竜騎士も十分な水分補給が必要になる。その為に各神殿では飛竜の水飲み場が用意され、竜騎士には水の入った革袋を手渡してくれる。もちろん飛竜を着地すればそれなりの時間のロスがあるので、すべての水飲み場を利用する必要もない。
アスターの助言もあって、気温の低いうちに着く最初の神殿は水飲み場を利用しないと決めていた。ルークは神殿前にエアリアルを低空で飛行させ、速度をやや落としたところでその背中から飛び降りた。飛竜はそのまま上空待機させ、印章をもらうためにルークは神殿内に駆け込んだ。
「若き竜騎士にダナシア様の加護を」
神官が厳かに祈りの言葉をかけ、ルークが差し出した白い襷に炎の印章を押してくれる。済むとルークは形通りに返礼し、襷を再びかけて神殿の外へ駆け出す。
「エアリアル!」
ルークの声に応え、ちょうど降りた時と同じようにエアリアルが低空で突っ込んでくる。タイミングを見計らって装具のベルトをつかみ、そのまま飛竜の背に飛び乗った。集まっていた見物人からは大きな歓声が起こり、それに後押しされる彼らは次の神殿に向かう。
「次は大地の印章をもらいに行こう」
気流をとらえ、安定した高度に保っていられるようになったところで、ルークは相棒の首筋を労うように叩く。エアリアルはそれに応えるように一段とスピードを上げた。
しばらくして次の神殿が見えてきた。目印として立つ旗には大地の紋章が染め抜かれていて、ここにも多くの見物人が集まっている。
さすがにこのくらいの時間になると、日差しが随分と強くなっている。エアリアルの体力を考え、ルークはここで水分補給させることにした。
優雅に着地すると、エアリアルは水飲み場に直行し、ルークは神殿内に駆け込む。別ルートをたどる竜騎士とも鉢合わせしたが、滞りなく印章を押してもらえた。炎の印章を押してもらった時同様に祈りの言葉をかけてもらったので、ルークは礼を言ってから神殿を飛び出した。
「行こう!」
水を飲み終えていたエアリアルは助走を始めていた。ルークは彼に走り寄り、勢いを止めることなくその背に乗った。見物人の声援に片手を上げて応える余裕もある。
「次は水の印章だな」
喉を潤したエアリアルは力強く羽ばたき、上昇気流を捕まえるとぐんぐんと高度を上げる。そして高度が安定すると、ルークも革袋を手にして自分も喉を潤す。随分と減っているので、次では自分の水も補給する必要がある。
日差しは一層強くなり、次でもエアリアルに水は必要だろう。彼の背にしがみつきながら、頭に叩き込んだ地図をもう一度思い浮かべる。
「問題はあの気流だな」
ルークが最後に寄ると決めた風の印章をもらう神殿の上空には、通常飛竜が飛行する高度よりさらに高い位置に、皇都に向けて突風と言っていいくらいの気流があった。
昨日の昼間、辺りを飛んでいて見つけたのだ。昨夜のアスターの話では、その気流は皇都勤務の竜騎士には有名なのだが、使いこなせるのは一部だけだと言う。ルークも数度チャレンジしてその難しさは分かっていた。少しバランスを崩しただけで、大きく高度を落としてしまう。
「いけるかい?エアリアル」
ルークの問いかけに彼は力強く答えた。彼らの戦いはまだまだ続く。
レースも中盤を迎えていた。アスターがヒースと共に警備する水の印章の神殿も、もう3人の竜騎士が立ち寄っていた。まだルークは来ていないが、昨夜の話しぶりからすると、あの気流を利用するつもりのようだ。それならばきっと最後に立ち寄るのは風の印章を押す神殿のはずだから、そろそろ寄る頃合いである。
「とりあえずは順調だな」
「ああ」
朝、飛竜を止めていた崖にアスターとヒースは戻っていた。地上の警備は一般の兵士に任せ、彼らはもっぱら崖の上で監視をしていた。彼らの存在感を示すだけで十分に効果があるのだ。時折辺りを飛んで警戒し、選手が来たら邪魔にならないように気をつけながら動向を監視する。夏の日差しは強く、こうしているだけでも熱いので、2人は日よけのフードをかぶっている。
「これがワインだったらなぁ……」
革袋からぬるくなった水を一口飲んで、ヒースがしみじみと呟く。
「仕事にならなくなるだろう」
アスターは言い返し、彼も革袋の水を口に含んだ。
8年前のレースも暑い最中に行われた。彼とファルクレインもこの暑さと戦いながらゴールを目指した。序盤からデットヒートを繰り返し、結局一番手の鐘を鳴らしたのは、今隣にいるヒースで、アスターは一歩及ばず2番手だった。悔しいとも思ったが、精一杯やったので悔いは無い。ルークにも順位に関係なく悔いを残さないレースをして欲しかった。
あの時のレースのおかげで上級騎士と認められ、そしてその後、エドワルドに副官として抜擢されて今の自分があった。そんな思い出に浸っていると、ここに向かってくる飛竜の姿が見えた。ファルクレインが空に向かって声を上げる。
ゴッゴゥ…
仲間の飛竜に対する挨拶である。
「お、次がきたな」
「あれは、エアリアルだな」
ファルクレインの行動でアスターはすぐに気付いた。
「エアリアル? お前の所の若い奴の飛竜か?」
「ああ」
エアリアルは滑らかに着地すると、真直ぐ水飲み場に向かい、乗り手のルークは飛竜が着地するより前に飛び降りて、神殿に駆け込んでいく。しばらくしてルークが出てくると、水を飲み終えていたエアリアルは既に離陸の助走に入っていて、彼は身軽にその背中に飛び乗った。
「なかなかやるな」
ヒースにそう言ってもらえると、アスターも嬉しかった。ルークは自分と同じ風の資質を持っているので、連携をとる為にかなり厳しく指導した愛弟子だった。長く見習いをさせられた割には武術をほとんど教えてもらっていなかった事もあり、基礎から徹底的に叩き込んだ結果、鍛え上げられた彼の体は入団当初よりも一回りも大きくなっている。
「ああ。速さだけなら私も負ける」
「ほぉ……」
エアリアルは風を敏感に読み取る能力が優れている。そしてそれを的確に分析する能力がルークには備わっていて、最早アスターとファルクレインが同じルートを飛んでも追いつけない程になっていた。その能力を生かし、妖魔討伐の折にはアスターと共に先鋒を任されるまでになっていた。
エアリアルが上昇し、2人に近づいてくる。ファルクレインとアスターに気づいてルークは目礼し、次の神殿を目指してエアリアルはスピードを上げた。
無事に水の印章をもらい、次は光の印章の神殿である。ここでルークは勝負に出る事にした。次の神殿でしっかりエアリアルに水を飲ませ、最後の神殿では上空待機させてロスを無くす事にしたのだ。そこからならば皇都に帰るだけだし、あの風を効率よくつかむためには出来るだけ体を軽くしておいた方がいい。
「頼むよ」
ルークの声にエアリアルが一声鳴いて答える。飛竜と騎手は一丸となってひたすら次の神殿を目指した。
そして光の印章の神殿に着くと、ルークは予定通りたっぷりと水を飲むようにと飛竜に促しておく。今までの神殿同様、祈りの言葉をもらって印章を襷に押してもらう。エアリアルも十分に喉を潤したらしく、彼が神殿から出てくるとすぐに離陸の助走に入った。その背中にルークは飛び乗り、最後の神殿に向かう。
「あと1つ!」
ここまでは順調だった。気を抜かないように自分に喝を入れ、エアリアルにはもう少しだから頑張ろうと声をかける。彼からは楽しい、嬉しいという思念が返ってきて、ルークもつい口元が綻ぶ。シャツに縫い付けたお守りを握りしめ、エアリアルに先を促した。
太陽が随分と高くなった頃、最後の神殿に着いた。最初の印章の時と同じように、エアリアルが低空で滑空したところで飛び降りると、ちょうど1人の騎士が神殿から出てきた。第1騎士団の記章がかろうじて分かったが、騎竜帽で顔は分からない。すれ違う時に片手を上げて挨拶だけはしておいた。おそらく彼もここが最後だろう。急がねばならない。
逸る気持ちを抑え、神官から祈りの言葉をもらって印章を押してもらい、外へ駆け出す。ベストなタイミングでエアリアルがきたので、うまく飛び移って背中に上る。これにも見物人からは大きな喝采を浴びた。
「さあ、皇都に帰ろう!」
自分を鼓舞する為に声に出して気合を入れる。それに応じるかのようにエアリアルは高度を上げる。覚えていた地形を頼りに高度を上げてあの風を探していると、グンとスピードが上がった。
「捕まえた!」
エアリアルはすぐに風を受けやすいように羽根の角度を変え、スピードをグングンと上げていく。やがて、前方にさっきの竜騎士らしき人物が乗る飛竜が見えた。彼もこの風を利用しているらしく、なかなか差は縮まらない。それでも最後まで諦めたくは無かった。
「あれをしてみるか……」
脳裏に浮かんだのはアスターに習った、上空から急降下する技である。魔物を混乱させる効果があり、群れの前後を挟み撃ちにするために、その精度を上げる訓練を重ねてきた。だが、こんな上空から使った事は無く、一抹の不安がよぎる。
「できるな、エアリアル?」
ルークの問いかけに飛竜は力強く答えた。彼はお守りを握りしめ、腹をくくった。
山を越えて平原の向こうの川沿いに皇都が見えてきた。一際大きく、それでいて白く優美な本宮の手前、特設の会場の中心に鐘が見える。あれを鳴らせばゴールである。
そろそろ限界なのだろう、前を飛ぶ飛竜が高度を落とした。ルークとエアリアルはそこを耐え、風に乗り続ける。そして広場の少し手前、皇都の街並みを見下ろす位置に来たところでエアリアルにサインを送る。
「ゴー!」
エアリアルは翼をたたみ、きりもみするほどの勢いで急降下する。ルークは飛ばされないようにしっかりとしがみつきながらも迫りくる地面を見据えていた。絶妙なタイミングで合図をすると、エアリアルは羽を広げて急制動をかけた。ルークはその背を蹴って飛び降りると、広場の中央にある鐘を目指す。先行していた竜騎士も彼らの左側に着地しており、ほぼ同時に飛竜から飛び降りている。2人の竜騎士が同時に飛び込むようにして鐘を鳴らす紐に手を伸ばした。
この話を書き始めた当初は、エドワルドの部下その1といった程度でルークの名前を決めていた。それがいつの間にかこんなに活躍するようになっていた。ちなみに彼は21歳という設定。
通常、竜騎士の見習い期間は早くて3年、長くても5年程度。その間に竜騎士として必要な武術と教養を身に付ける事になっています。彼がいかに理不尽な扱いを受けていたかわかります。